カテゴリー「DVDの紹介」の13件の記事

2010年10月 3日 (日)

『さそり』(監督:ジョー・マ/主演:水野美紀)

 

「八代目さそりは、水野美紀が演るってことはずいぶん前から話題になってるが、これも期待したいねー。いやあ、おれ、水野美紀は好きだからね。彼女のクールな美貌と引き締まった肉体とアクションは端倪すべからざるものがある。水野さそりのDVDが出たら買っちゃうだろうね、たぶん」と言っていたとおり、買いましたよ、観ましたよ、水野さそり。

 梶さそりの四作に通底していたサヨク臭は、当然のことながら、香港映画にはない。そういう意味では、たかが女囚ごときが国家と闘っているという悲壮感と痛快感はこの香港映画にはないわけである。それはそれでよろしかろう。むしろ、国家などというちっぽけなもの以上のものと闘っているという感じが出ている。

 この監督と脚本家は、ちゃんと梶さそりをじっくり観ていて、梶さそりに対する敬意を表現しているんだなあと思わせるところがあるんだよね。「香港映画のさそりなんて、さそりじゃねー」と思っていたんだけど、このリスペクトを感じた時点で、「いいじゃん、さそりとして認めてやろう」という気になった。

 梶さそりの殺しは、匕首をどてっ腹にぶちこんで相手の目を見ながらぐりぐりえぐるという、あくまで“昭和の女の殺し”なんだが、水野さそりは当然ちがう。日本刀を振り回して、自分を陥れた悪人どもを、バッサバッサと斬り倒すのである。 伝統的なさそりは真っ黒なさそりなんだが、水野さそりは、深紅やパープルのさそりだ。『BLOOD+』みたい。とにかくカッチョいい。

 獄中でさそりをいたぶる、お局様的な先輩女囚には、伝統的に白石加代子を代表に、えげつないばかりの個性派女優がキャスティングされてきたわけだが、この香港さそりでは、その役回りを夏目ナナが引き受けている。いいねえ。すごい存在感だ。水野美紀は少林寺拳法の心得があるし、いろいろアクションドラマの経験もあるが、夏目ナナはまったくの素人なのに頑張っている。いいねえ、夏目ナナ。

 いいだろう。梶さそりのファンとしても、これは「さそり」と認めよう。おれは、多岐川裕美夏樹陽子岡本夏生のさそりは観たが、それらは“さそりもどき”であって、さそりとは認めない。だが、水野美紀のさそりは、平成さそりとして評価する。いいね。

 これを観ると、日本の芸能界は、水野美紀を使い損ねているんじゃないかと思いますなあ。『恋人はスナイパー』とかはよかったけど、そのほかはとてももったいない使いかたをしてるんじゃないの?  志穂美悦子の後継者は、紛れもなく水野美紀だ。


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2010年1月11日 (月)

聴視率

 例のデアゴスティーニの《東宝特撮映画DVDコレクション》を定期購読しちゃってるもんだから、二週間に一本、東宝の特撮映画を観なければならないという義務をおのれに課しているわけである。まあ、いまのところ、観たことのあるものの“おさらい”なんだけども。

 それでもやはり、むかしの映画をいま改めて観ると、いろいろと教えられることが多い。昨夜は『キングコング対ゴジラ』をひさびさに観たのだが、「ん?」と引っかかった言葉遣いがあった。

 製薬会社の宣伝部の人々(彼らが宣伝のためにキングコングを日本に連れてくるのだ)がやたら「聴視率」という言葉を使う。いまなら、「視聴率」が圧倒的にふつうだし、ラジオについてなら「聴取率」を使うのが一般的だが、『キングコング対ゴジラ』の時代には、どうやらテレビについても「聴視率」という言葉を使っていたようなのだ。『キングコング対ゴジラ』は、奇しくもおれの生まれた年、一九六二年の作品である。

 調べてみると、なーるほど、六十年代には、まだまだ「聴視率」が一般的であったようだ。やはり、まだ当時は、ラジオ優勢時代の言葉遣いを引きずっていたんだろうな。山形大学の図書館には、「テレビラヂオ番組聴視率調査全国結果表 昭和42年6月」なんてものが所蔵されている。

 こういう、ほんの三、四十年で変わってしまうような言葉ってのは、むかしのことを書く際には要注意だろう。当時なかった言葉、あるいは、当時は非常にマイナーだった言葉をうっかり当前のように使ってしまう危険があるからだ。逆に言うと、昭和三、四十年代を舞台にしたフィクションで「聴視率」という言葉を使うと、リアリティーが増すわけである。

 ちょっとむかしのものを改めて観たり読んだりすると、ほんとうに教えられることが多いなあ。すごくむかしのことというのは、“歴史的知識”として学校で習ったりするし、それらを扱った書物も多いのだが、中途半端にむかしのことというのが、いちばんの陥穽だと思う。いわゆる“考現学”の対象になるようなちょっとしたディテールが、著しくリアリティーを損ねてしまったりするのだ。重箱の隅をつつくようにそんなところばかりを指摘したくはないけれども、やっぱり気になっちゃうのよね、こういうのは。

 以前も書いたような気がするが、江戸時代の時代劇で、野原に寝転がった登場人物の横でヒメジョオンが揺れているというのは、やっぱりまずいと思うわけですよ、いくら電信柱が映らないように撮影していたとしてもね。



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2010年1月 2日 (土)

『ハイキック・ガール! 』(主演:武田梨奈/監督:西冬彦/ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)

 空手家でロシア語SF翻訳家でアイドル好きの大野典宏さんが劇場公開時から武田梨奈ちゃんを激賞してたもんで、子供のころに志穂美悦子のハイキックを見て以来、強い女性の美しいハイキックをこよなく愛するおれは、DVDが出たら買おうと思っておったのだった。年末年始はこれで楽しめたねえ。

 えーと、お話を楽しもうという方にはお薦めしません。まあ、アレだ、腕に覚えはあるが精神的に未熟な主人公が、師匠の闘いぶりを見て成長してゆくという定型フォーマットであり、悪党どもに捕えられた主人公の空手少女を助け出そうと敵地に乗り込んだ師匠が、次々と立ちはだかるキャラの立った敵を倒して前進してゆくという『死亡遊戯』的フォーマットだ。べつにお話はこの際どうでもよろしい。

 それでも、見応え充分。当てる当てる、ホントに当てる。素人のおれが観ていても、大丈夫かいなと思うくらい当てている。空手はもちろん、ムエタイやらテコンドーやら、“ほんまもん”の手練者が出演して、バシバシ当てている。デキる者同士だから、フルコンタクトが可能なんでしょうな。素人の役者相手だったら、手加減しても怪我するよ、これじゃ。しかも、いくら空手の大会で優勝経験のある美少女アイドルとはいえ、むくつけきおっさんがアイドルの顔面を頭を肩を腹を蹴るわ蹴るわ、こんなもん、ふつうのアイドルなら一発で失神だろう。

 武田梨奈ちゃんもカッコいいが、彼女の師匠役(中達也:日本空手協会総本部師範)がこれまたカッコいいのよ。おれは空手なんて知らんから、こんな美形の達人が空手界におるなんて、これ観て初めて知った。なんちゅうか、『柔道讃歌』“秒の殺し屋”帯刀省吾(喩えが古いかねえ?)が空手をやっておったらこういう感じだろうという、気品のある美しさと立ち居振る舞いである。立ってるだけでただただ美しく、強そうなのだ。

 女子高生空手家のハイキックをコマ送りしてスカートの中を覗こうなどという邪念のある人でも(いやまあ、おれもそういう邪念が皆無であったとは言わんが)、この映画を観ているうちに、そんなところを見ている場合ではない“ただごとではなさ感”に引き込まれること請け合い。人間の筋力や重力を無視したワイヤーアクションやら、なんでもありのCGやらに食傷気味の方には、ワイヤーなし、スタントマンなしの“ほんまもん”の突き合い・蹴り合いを、ぽか~んと口開けて堪能していただきたい。なるほど、脚本なんてどうでもいい映画ってのは、たしかにあるもんだな。この映画、あちこちのブログなどでの評価を見ると、武道を嗜む人は激賞する傾向にあるようだ。たぶん、素人が見てもわからんレベルで、「よくこんなことするなあ」という、とんでもないことをしているんだろうな。メイキングやら詳しい解説なども観てみたい武道家の方には、二枚組の豪華版のほうがいいかもしれない。

 それにしても、武田梨奈ちゃん、眼がいいなあ。このコになら蹴られてみたい(が、下手すりゃ死ぬ。マジで)。二十一世紀の志穂美悦子、ここに登場である。



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2009年12月27日 (日)

『ようこそ桜の季節へ』(桜/よしもとアール・アンド・シー)

 コンビとしての「」、最初で最後のDVDである。お断りしておくと、おれはこれを“お笑い”のDVDとして万人にお薦めしているわけではない。桜のファンか、稲垣早希のファンか、増田倫子のファンでもないかぎり、“こういう世界”にぜーんぜん縁のない方にはお薦めできない。ま、たぶんここを読んでいるような方々は、“こういう世界”の住人であるとは思うが……。あと、お薦めできる人といえば、そうだなあ……天津・向か。あると思います(それはちがう、それは)。

 彼女らの“エヴァ漫才”はテレビやネットでさんざんおなじみであるとは思うけれども(え? ご存じない? 不憫やなあ……)、このDVDはエヴァ漫才メインではない。「へー、こんなのもやってたんだ」と、いまさらながら惜しいコンビだったのだなと気づかされる。まあ、はっきり言って、学芸会みたいなとこもあるが、“こういう世界”が好きな人にとっては、そんなことは気にならないのである。

 稲垣早希はもはや全国区であるが、このDVDを観ると、増田倫子のボーイッシュな魅力に改めて気づく(関西の人以外でも)。増田は本来得意なダンスに打ち込むために「桜」を“卒業”するということで、お笑いをやめるのは惜しい気がする。

 京橋花月でのライブ「桜の季節 ~2分咲き~」に加えて、小ネタ、ロケネタを集めた「桜の冒険」を収録。関西人にしかわからんネタもあるけどね。「稲垣早希のやってみよう!」では、稲垣が太巻きでサキエルを作るという、わからない人にはさっぱりわからないネタが展開され、「増田倫子のやってみよう!」では、ゴルフ好きの増田がいろんなものを片っ端から打ちっぱなしでひっぱたき、どれくらい飛ぶかを試す。「ベリーダンスでセクシー早希ちゃん」「ロケみつ」ファン必見。ブログ旅の入浴シーンを除いては、おそらく稲垣早希最大露出なんだが、あんまりエロくないのが不思議。むしろ、増田倫子がメイドカフェで働かされる「メイドでプリティー倫ちゃん」のほうがよっぽどエロいのであった。

 コンビとしての活動期間が短かかった「桜」を見ていると、かつての「トゥナイト」をおれは思い出す。しずか引退後のなるみは、いまではすっかりベテランのお笑い人として大成しているんだから、早希ちゃん・倫ちゃんにも、それぞれの道で大成してもらいたいものである。今後、「桜」みたいな若い女のコの漫才コンビが増えてくるんだろうなあ。

Sakura_photo1_2 「初回プレス限定封入特典」として、「桜」の生写真(五種類の中から一枚をランダムに封入)が付いている。おれは、こんなのが当たりました。



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2009年3月15日 (日)

『zabadak 1986-1993 SPECIAL EDITION』(zabadak/バイオスフィア・レコーズ)

 おっと、去年にこんなものが出ていたとは……。「1985-1993」というのは、要するに、上野洋子がいたころのzabadakということである。おれはべつに吉良知彦が嫌いというわけではなく、それどころか、非常に品のよい優れたミュージシャンであると評価しているが、なにせおれ自身が声フェチなもんで、どうしても上野洋子のウェイトが重いんだよなあ。

 上野洋子のいたころのzabadakというのは、まことに奇跡的なユニットであったと思う。人ごみが嫌いで、まずライブなどというものには出かけてゆかないおれが、zabadakのライブには二回も足を運んだのだからな。あれは、大阪ビジネスパークのIMPホールと、新大阪のメルパルクホールだったなあ。ライブの上野洋子は、それはそれはシャーマン的な魅力を湛えた少女のような魔女のような人だった。

 このDVDは、まあ、既出のPVやDVDのおいしいとこ取りみたいなもんで、zabadakファンにはさほど新鮮というわけでもないのだが、おいしいとこ取りだけに、上野洋子在籍時代zabadakのダイジェストが効率よく(?)楽しめるそこそこのものである。初期のPVのしょぼいこと。低予算の映像をやたらにクオリティーの高い音楽が完全に食っていて、その滑稽さがなにやら微笑ましい。名曲「harvest rain 豊穣の雨」あたりから、ようやくまともなPVになってくる。しょぼいPVもいま観ると懐かしいですけどね。

 あのころのzabadakの面白さというのは、凡百の男女デュオとはちがった“ねじれた関係”だったのだよなあと、いまこのDVDを観ながら、改めて思う。声を楽器のように操る理知的な上野洋子の歌唱を、唄うようにギターを奏でる情緒的な吉良知彦の演奏がしっかりと支えている。つまり、紋切り型の男女の役割が逆転しているのだ。その面白さと危うさは、「このままの姿では長くは続かないだろうなあ」という哀しい予感を伴いつつも、その奇跡的な数年間に立ち会えることの喜びをいや増すものだった。なにもかもみな懐かしい。

 その後、上野も吉良も、それぞれの音楽性をそれぞれの方向に追求し、深化していっているのは若い人もご存じのとおりである。いまの上野洋子、いまの吉良知彦がお好きな若い方々は、このふたつの才能が奇跡的に交じわっていたあの数年間を、御用とお急ぎでなければ、ぜひ味わっていただきたいと思う。『飛行夢』から『私は羊』あたりまでのzabadakは、ほんとにワン・アンド・オンリーの、昼下がりのうたた寝に見た前世の夢のようなユニットだったなあ。



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2008年12月15日 (月)

『ハッピーマンデー』(鳥居みゆき/Victor Entertainment,Inc.)

 いっぺん観てみずばなるまいとは思っていたが、とうとう買っちゃったんだよね。率直な感想を述べるとするなら、こ、こぇえ~

 どう怖いかというと、一度これを観てしまうと、もう二度とモダンホラー映画をまともに観られなくなるのではないかというところが怖い。このDVDを観てしまったが最期、おれはもう、これから『女優霊』とか《リング》シリーズとか《呪怨》シリーズとか《富江》シリーズとか『感染』とか『CURE キュア』とかをもっぺん観たとしても、大爆笑してしまうのではないかと思う。それがとてつもなく怖い。

 テレビやら GyaO やらで観る鳥居みゆきは、まだまだ生温いのだなあと思わされた。なるほどね。そりゃまあ、このレベルのものはテレビではできんわ。ある意味、観ておいてよかった。でも、上記の理由で観なければよかったとも思う。

 おれのお気に入りは、「妄想妊婦」「ひきこもり」「水子供養」。テレビ等でおなじみの「まさこ」ネタは、本篇じゃなく、特典映像での“おまけ”扱い。鳥居みゆきの本領は、テレビ向きではないということなんでしょうな。それにしても、DVDですら「ピー」とモザイクが入るネタ(「水子供養」)ってなによ。まあ、「ピー」とモザイク自体がギャグであることはわかるのだが、“素”で観てみたいな、これ。

 「鳥居みゆきに100の質問」、SFファン的に大爆笑したのは、「目の前に宇宙人が! あなたならどうする?」「われわれは、地球人だ!」 そうそう、それ、絶対やってみたいと思ってたんだよね、おれも!

 「ひきこもり」いいねー。「六年前、アコムのCMのオーディションで最終まで鳥居みゆきと残って結局選ばれた小野真弓めー! 歯並びさえよければー! 実話だよー!」にはのたうちまわって大爆笑。そうなんだよなあ、それは知ってる知ってる。思えば、そのとき鳥居みゆきが残らなくてよかったよ。残ってたら、おれたちは小野真弓と鳥居みゆきの両方を失っていたかもしれないのだ。アコムの人、広告代理店の人、えらい!

 いや、おれもね、鳥居みゆきには GyaO で出はじめのころから興味あったから、いろいろ調べてはいたんだよ。お笑いデビュー以前のお色気映像とかも探し出して観たよ(アニメ『ブラック・ジャック』の番宣CMのころは、かなりいまのキャラに近づいていたが……)。たしかに、あのような狂人メイクでなければ、美人モードの鳥居みゆきは、小野真弓と張り合ったと聞かされても、まったく不思議ではない。というか、あのCMは小野真弓でよかったと思うが、小野真弓の“そのへんにいる、同僚だったらいいなという可愛さ”とは異なる次元で、一般的にどっちが“美人”かと言われれば、そりゃ断然、鳥居みゆきだろう。

 ま、美人かどうかというのはこの際あんまり問題ではないが、鳥居みゆきの藝は、鳥居みゆきが十人並み以上の美人でなければ成立しないという面もたしかにある。あれは美人だから怖いのである。そこに気がついてこういう藝風を創り上げたのはすごいと思う。こういう美人の活かしかたもあるのよなあ。たとえば、ハリセンボンはるか(も、素でそのへん歩いてたら美人のほうだとおれは思うけど)が鳥居みゆきの真似をしたとしてもあんまり怖くはないと思うが、菅野美穂が鳥居みゆきの真似を本気でやったら、これはかなり怖いと思うぞ。というか、“可愛い”という要素を抜きにして、菅野美穂と鳥居みゆきとどっちが美人かと言われたら、おれは鳥居みゆきに軍配を挙げる。

 というわけで、「私はけっこう美人だと思う」とか、「とびきりじゃないかもしれないけど、率直に美人だと思う」とか内心思っていて、人にも言われるような女性は、檀れいとか吉瀬美智子とかと同じ土俵で戦うのは無理だとあきらめずとも、鳥居みゆき路線の“活かしかた”というのもあると思うぞ。もっとも、鳥居みゆきと同じようなことやっても、二番煎じにすぎないけどな。

 いやしかし、地上波テレビやネットで観る鳥居みゆきを侮っていたな。狂人キャラをいつまでも続けられるとは思わないが、そのうち脱皮して、イッセー尾形クラスのアーティストになれる素質があるのではないか、この人は。



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2008年6月 5日 (木)

『DVD&図解 見てわかるDNAのしくみ』(工藤光子・中村桂子/ブルーバックス 講談社)

 うう~む。こ、これはすごい。もっと早く買っておけばよかった。

 ブルーバックスはブルーバックスなんであるが、本のほうはDVDのダイジェストみたいなもので、まず、いきなりDVDを観るのがいいと思う。それから本に目を通せばいい。これで千六百八十円は安い。ミニサイズのDVDが三枚付いていて(これは“付録”ではない。こっちがメインである)、最初多少DVDが取り出しにくいものの、それだけDVDをがっちり保護する厚紙を綴じ込んだ作りで、ふつうの新書となんら変わることなく、そのまんま安心して本棚に収納できる。

 おれもいままでいろんな科学書や科学雑誌や科学番組で、DNAのいろんな図解やアニメやCGを観てきたが、これほどの躍動感に打たれたものは初めてだ。DVDを観て呆然としてから、本書の「メーキング編」を読んで合点がいった。タイトルに「図解」とあるが、これはそんじょそこらの“説明のための映像”ではない。むしろ、“映像による動く模型”とでも呼ぶのがふさわしい。著者(というか、製作者というか)らは、さまざまな論文を確認し、針金のモールや紙粘土と格闘しつつ、納得のゆく“動くDNA”の手応えを得るために、手で触れられるDNAや酵素の模型を構築しながら、このCG作品をものにしたのだ。「表現すると見えてくるものがあるということをこれまで以上に強く確信」したという。さもありなん。これは、『超時空要塞マクロス』『マクロスF』などでおなじみのメカニックデザイナー&監督・河森正治の方法論そのままである。河森は、絵ならなんでもできてしまうからといって、どう見ても動きそうにない、飛びそうにないメカをデザインすることを潔しとしない。手を動かして、手で触れられる模型を作りながら、映像のためのメカをデザインしてゆく。そうした作業の中から、動きに説得力と躍動感がある、あのバルキリーなどが生み出されたわけである。「SFは絵だねえ」という野田昌宏宇宙大元帥のお言葉もあるが、二十一世紀的には、もはや「SFは模型だねえ」というのが妥当なのかもしれない。最終的なアウトプットが絵や文章の作品であっても、実際に模型を作ったうえで描く・書くくらいのこだわりが、圧倒的な説得力を生むのかもしれない。

 腰巻で福岡伸一も絶賛しているが、いわゆる“岡崎フラグメント”の生成の繰り返しによってラギング鎖側のDNAが複製されてゆくようすなど、いままで観たことのないダイナミックな映像である。ああ、こんなのが高校生のころにあったなら、おれは道を踏み誤って(あるいは、道を踏み誤り損ねて)いたかもしれないなあ。

 先日、郵便受けにどこかの教会の信者勧誘用小冊子が入っていた。おれを知る人はご存じのように、おれは宗教心のカケラもない人間であるが、どんな手を使っておるのかなあと興味本位に読んでみると、もはや使い古された“眼のような精妙な器官が進化などでできたはずがない。誰かが設計したのだ。ダーウィンだって困っていた”という例の論を中心に話を展開していたので、「けっ」と苦笑してゴミ箱に放り込んだ。えーと、この進化論への反論(?)そのものをご存じない方は、『イリーガル・エイリアン』(ロバート・J・ソウヤー)でもお読みください。

 きっと、この教会の人がこのDNAのDVDを観たら、「ほら、こんな精妙な仕組みがひとりでにできあがったはずがない。神秘を感じるでしょう?」などと勧誘してくるにちがいないが、残念でした、おれはこういうものに“神秘”などカケラも感じない。むしろ、“神秘”などというわけのわからないものが関与していないことにこそ、“驚異”を感じる。妙な言いかたかもしれないが、そこに“謎”はあっても“神秘”など介入する余地もないほどの“ミもフタもない精妙さ”があることに、一種の神秘を感じないでもないけどな。もっとも、おれはそれを“神秘”などとは呼ばないが……。そう、それは、ただただ純粋な“驚異”であり、“感動”であるだけである。

 こんなにお手軽ですごいものが出ているのだから、高校・大学の先生方は、ぜひ活用してほしいね。授業や講義で使えなくても、せめて推薦図書くらいには入れておいてほしい。何十人か何百人かに一人の学生が、“生命の驚異”(“神秘”じゃないよ、しつこいけど)に打たれて道を踏み外して(あるいは、道を見つけて)くれるなら、千六百八十円など安いものだろう。

 こりゃ、現代のSFファンは必読(ちゅうか、必見)の作品でしょう。やっぱり映像のインパクトはすごいわ。わかった気になっていただけのことを呆然と再発見し、「おれは浅はかだった」と打ちひしがれちゃいましたね。



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2008年1月 7日 (月)

“梶芽衣子さそり”を揃える

 ふだんあんまりリアルワールドのビデオ屋とかには行かないもんだから知らなかったのだが、東映ビデオが「期間限定プライスオフ!」で、厳選30タイトルを先月から廉価で出しているとは! 嬉しいね、東映、やってくれるじゃん! 梶芽衣子の《女囚さそり》シリーズ四本が、アマゾンで一本二千三百三十一円って、うそー! 従来版の半額くらいではないか。正月はなぜか《女囚さそり》が観たくなるおれのこと、これは買いだ、いまこそ買いだとポチっとやっちゃいましたね。梶さそりが四本で一万円を切るとは、とんだお年玉だ。揃えちゃいましたよ。これ以上安くなることは、ちょっとないんじゃないかな。梶芽衣子のさそりがコンビニで千円そこそこで並べられているなんて光景は、ちょっと想像しにくい。いやあ、これでいつでも梶さそりが観られるわい。タランティーノに教えてやりたいね、向こうでいくらで売ってるかは知らんが。

 《女囚さそり》シリーズ以外には、《昭和残侠伝》シリーズ・9作、《緋牡丹博徒》シリーズ・8作、『柳生一族の陰謀』『大菩薩峠』ほか時代劇・9作がキャンペーン対象とのこと。いやあ、なにはともあれ、梶さそりを全部手元に置けたのは嬉しいね。

 八代目さそりは、水野美紀が演るってことはずいぶん前から話題になってるが、これも期待したいねー。いやあ、おれ、水野美紀は好きだからね。彼女のクールな美貌と引き締まった肉体とアクションは端倪すべからざるものがある。水野さそりのDVDが出たら買っちゃうだろうね、たぶん。なんでこんなに《女囚さそり》が好きなのか、自分でもよくわからんのだが、とにかくいいもんはいい!


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2007年10月10日 (水)

『しょこたん☆かばー×2 ~アニソンに愛を込めて!!~(DVD付)』(中川翔子/ソニーミュージックエンタテインメント)

 第一弾にいたく感心したので、おじさんはやっぱり買ってしまいましたよ。

 さーて、第二弾は、「1/2」(『るろうに剣心』)、「輪舞 -REVOLUTION」(『少女革命ウテナ』)、「Catch You Catch Me」(『カードキャプターさくら』)、「テレポーテーション-恋の未確認」(『エスパー魔美』)、「ETERNAL WIND ~ほほえみは光る風の中~」(『機動戦士ガンダムF91』)の五本でお送りしまちゅ。第一弾は比較的メジャーなアニソンで勝負したこともあってか、第二弾はえらくマニアックなラインナップである。いーじゃん、いーじゃん、すげーじゃん! 残念ながら、おれが投票した(したんだよ)「わぴこ元気予報!」(『きんぎょ注意報!』)は入らなかったけどな。第三弾に期待しよう。

 「1/2」は、はっきり言って、川本真琴より歌はうまい。おれは川本真琴も好きなんだが、川本の場合は、あのワン・アンド・オンリーの個性と特異な声で魅了しているのであって、「どっちが歌がうまいか」と問われれば、おれはしょこたんに軍配を上げる。「どっちが好きか」と問われれば、川本版「1/2」のほうが好きだけどね。いやしかし、歌手としてのしょこたんをおれは充分評価しているつもりだったが、まだ甘く見ていたようだ。すまん、しょこたん。

  「Catch You Catch Me」なんかも、どう聴いてもめちゃくちゃ難しい曲なのに、日向めぐみに迫る歌唱力を発揮している。むしろ、広瀬香美テイストをうまく活かしているのはしょこたんのほうかもしれない。 「ETERNAL WIND ~ほほえみは光る風の中~」も森口博子よりうまい……なんてことはさすがにないが、かなりいい線は行っていると思う。

 しょこたん、おそるべし。このコは、単なるオタクタレントでは終わらないだろう。ギガント感嘆。



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2007年5月12日 (土)

『しょこたん☆かばー ~アニソンに恋をして。~』(中川翔子/ソニーミュージックエンタテインメント)

 先日注文したのが届いたお(^ω^) ギザ、ウレシス(←だからおっさん、お前、いくつだよ?)。

 それはともかく、じっくり聴いてみると、これはそのときかぎりの“企画モノ”の域を超えていて、はなはだ感心した。長きにわたって愛聴するに足る出来栄えである。本人が好きでやってるほど強いことはない。考えてもみたまえ(急にエラそう)。「ロマンティックあげるよ」(『ドラゴンボール』)、「乙女のポリシー」(『美少女戦士セーラームーンR』)、「BIN・KANルージュ」(『魔法の天使クリィミーマミ』)、「残酷な天使のテーゼ」(『新世紀エヴァンゲリオン』)、「青春」(『タッチ』)といったラインナップを、中川翔子はそれこそ子供のころから何百回、何千回と聴き込み唄い込んでいるにちがいなく、自分の持ち歌よりもはるかに時間をかけて磨き上げてきているはずなのである。カバーとしての完成度が高いのは当然のことだ。

 中川翔子の歌声は、一、二秒聴けば誰だかわかるといった個性的なものではない。が、彼女のアニソンは、けっして没個性的ではない。強いて言えば、“脱個性”的なのだった。器用に声色を使い分けて原曲のイメージを損なわないようにしているのだが、単なる“ものまね芸”などではない。「どうだ、似てるだろう」とばかりに、似せることに意識を置いているのではなく、原曲への愛ゆえに巧まずして似てしまっているという感じが伝わってきて好もしい。その“愛しかた”にこそ、ほかの誰でもない中川翔子の個性が紛れもなく立ち上がっているのだ。企画モノから駒が出たとでも言おうか、愛のある企画モノの大成功例ですな。

 そのむかし、近所にいる“ふつうのコ”をふつうでない状況に巻き込んでアイドル化していた時代があった。いまは、“ふつうじゃないコ”がごくふつうに好きなものを愛でているさまがアイドル化されるのだろう。そんな中川翔子は、いわば“アルファ・プロシューマー・タレント”とでも言うべき存在として、いよいよ相転移にさしかかった現代の消費社会を体現している。まさに、こういう企画で輝くために生まれてきたような才能だ。この、遅れてきた八○年代アイドルは、遅れてきたからこそ、時代に足を取られることなくその風に乗り、強かな無垢を武器に、ごくふつうに羽ばたいている。不思議なコだ。少女よ、神話になれ!

 アニソンがとてもアニソンらしかった時代の宝石を、古いオルゴールから取り出してケータイストラップにしてしまう、ふつうじゃないコのふつうさが眩しい一枚。「ロマンティックあげるよ」のPVメイキングを収めたDVD付き。

 そうそう、しょこたん、第二弾をやるんなら、おじさんは「わぴこ元気予報!」(『きんぎょ注意報!』)希望!



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