おなじみ、《ヘンな検索語》シリーズだが、これにはちょっと考えさせられた──
「虚偽の報告書に対する始末書の書き方」
そもそも、いったい全体、なにゆえにこのような検索をしているのかよくわからないが、どこかの誰かが虚偽の報告書を作成してしまい、それが発覚して組織から始末書を書くように求められている……ということなのだろうかな? 厳密に言えば、「始末書」の作成をペナルティーとして強制され得るのは公務員だけであって、民間企業で従業員に始末書を書かせるためには、その旨が就業規則にきちんと定義・明記されている必要がある。だもんだから、民間には「顛末書」という、これまたよくわからない不思議なものがあったりすることもある。なにしろ「顛末書」なのだから、事の次第を説明しているだけの文書であり、それはけっしてペナルティーではないのだが、事実上、そのような面倒なものを作らされること自体が懲罰になっているとも言えよう。
それはともかく、すでに「虚偽の報告書」を作り提出した者が書く「始末書」に、どれほどの信憑性があり、反省の意がこもるものか、それ自体、疑問である。その始末書に虚偽があった場合、次はナニ書を書かせるのだろう?
虚偽の報告書の虚偽の始末書1の虚偽の始末書2の虚偽の始末書3の虚偽の始末書4を書いたやつが、これから始末書4について書くであろう始末書5が虚偽である確率はどれくらいか──みたいなことを求めるのには、近年IT屋さんのあいだで流行(ちゅうか再評価ちゅうか)のベイズ理論ってやつが有効なのかな? 「この人物が虚偽の文書を作成するのは五回に二回であるから、始末書5が虚偽である確率は五分のニである」などという妙に客観的すぎる考えかたには、あまり人は馴染めないものなのよな。そもそも「始末書5」などというものを書かされる羽目になっている時点で、「こいつが始末書5に虚偽の記述をする確率は相当高そうだ」と主観的に思うのが人情というものだろう。
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