カテゴリー「社会」の216件の記事

2009年7月11日 (土)

準児童ポルノ

 おおお、な、なんといういやらしい画像だろう。こっそりあなただけにお教えしておこう。消されないうちにダウンロードすることをお勧めする。いい歳をした豊満な大人の女性が、性器を剥き出しにした全裸の二人の児童を戯れさせ、いやらしい笑みを浮かべならがそれを眺めている。この女性はそういう趣味なのだろうか。コーフンする。劣情を催す。これで二、三発は抜けそうだ。

 あ、しまった。リンクを張ってしまった。おれはもしかすると近いうちに逮捕されてしまうかもしれない。もし長期間更新が途絶えたら、おれはブタ箱にぶちこまれていると思ってください。しばしのあいだ、さようなら、みなさん。



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2009年7月 9日 (木)

ストレス解消

 駅のホームでチューインガムを踏んだ。ひょっとしたらフーセンガムだったのかもしれんが、何ガムであろうと知ったことではない。腹立つ。駅のホームにチューインガム(フーセンガムかもしれんが)を噛み捨てるとは、まったくどういう神経であろうか。親の顔なんか見たくない、本人の顔が見たい。

 おれはこういうとき、掛け値なしの殺意を覚える。哀川翔じゃないが、もし自分の子(おらんけど)がこのようなことをしていたら、半殺しにしてやろうと思う。

 おれに恨みがあって、おれにチューインガム(フーセンガムでもいいが)を踏ませてやろうと企み、物陰からおれが不快な顔をするのを見てけけけと楽しむというのなら、まだ人としてその気持ちはわかる。しかし、このガムの主は、おれを狙ったわけではない。ここにチューインガム(もうチューインガムにしとこう)を噛み捨てたら、“誰か”がおそらく踏むだろうが、かまうものかと思って噛み捨てているのである。またそれを“誰か”が掃除するのだろうが、その誰かは掃除が仕事なのだからかまうものかと思っているのである。「誰でもいいから殺したかった」というのと、程度の差こそあれ、方向性は変わらん。こんなやつは人間じゃねえ! 叩っ斬ってやる! (ふるー)

 と、おれは同田貫を右手にホームを見まわしたが、誰を叩っ斬ったものかわからない。行き場のない怒りが、さらにふつふつと湧き上がってくる。

ドラえも~ん!

 おれはドラえもんを呼んだ。こんなとき、彼ならなんとかしてくれるにちがいない。

 ドラえもんはたちまちひみつ道具を出した。♪チャッチャカチャッチャッ、チャーチャー、チャ~~~

ゴーバック・スプレー!

 はて、ユービック・スプレーなら聞いたことがあるが、これはいったいどういうひみつ道具なのだろう?

 ドラえもんは、ホームにへばりついている手近なチューインガムにゴーバック・スプレーを噴射した。

 すると、どうだろう! チューインガムはもこもこもこもこと蠢いたかと思うと、宙に飛び上がり、ものすごいスピードでビル街のほうに飛んでいった。聞けば、いまごろ、これを噛み捨てたやつの口の中に飛び込んでいるはずだと言う。

 これは痛快だ。

 おれはドラえもんからゴーバック・スプレーをひったくると、点字ブロックの上でてらてらと光っている薄緑色をした痰の塊に噴射した。痰はなにかを思い出したかのようにおれの目の高さまで舞い上がると、二十メートルほど離れたところでケータイを覗き込んでいるスーツ姿の男の口に飛び込んでいった。

 いいねえ!

 気をよくしたおれが、喫煙コーナーのそばでとぐろを巻いていたウンコにゴーバック・スプレーを噴射すると……。



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2009年7月 8日 (水)

残酷な数字のテーゼ

アニメ映画「ヱヴァンゲリヲン」 信じられない低視聴率のナゾ (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/07/07044828.html

日本テレビ系で放送されたアニメ映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」の視聴率が12.7%(関東地区)という予想外の低さになった。高視聴率を予想する向きもあっただけに、「何かの間違いだろう」といった見方も出ていた。その真相は?

(中略)

アニメに詳しいジャーナリストは、アニメファンのここ数年の傾向として録画してから見るという人が増え、「Gガイド・テレビ王国」のランキングでもランキングの上位にアニメが登場する事が増えたと、分析している。また、「ヱヴァンゲリヲン」の場合、小さい子供やお年寄りには馴染みが薄く、ファンは学生や社会人中心。放送時間には外出している場合が多いため、ジブリの「千と千尋の神隠し」のような視聴率にならないのは当然だ、と話している。
ビデオリサーチの視聴率には録画が含まれていない。そのため、リアルタイムにテレビを見る数だけでは正確さに欠ける、などの議論が繰り返されてきた。ビデオリサーチは07年7月2日、現状の視聴率調査に加え「Gガイド・テレビ王国」が行っているようなパソコンによるテレビ視聴を、11年7月を目途に調査に加える方針を明らかにした。また、録画された番組が実際に視聴されたかどうかを認識する技術の開発を進めるという。

 わはははは、旧来の“視聴率”というものがこれほどわかりやすく崩壊すると、なかなかに痛快なものがあるな。おれも録画しながら観たが、リアルタイムで観たわけではない。つまり、CMがうっとうしいので、おれは観ようと思えばリアルタイムで観られるものでも、わざと十分から十五分ほど遅れて“追いかけ再生”で観はじめ、CMを跳ばして観ているうちに徐々にリアルタイムに追いつき、終わるころにはほぼリアルタイムで終わるような観かたをするのが常だ。ハードディスクレコーダのなにが便利と言って、こういう“追いかけ視聴”ができるようになったところが革命的だった。同時に「旧来のテレビCMは死んだ」と思ったね。

 エヴァの視聴率が低かったって? そりゃそうだろう。たとえば、サザエさん一家が茶の間に集まって、みなで『千と千尋の神隠し』をリアルタイムで観ている図は自然に想像できるが、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を観ているところなど想像もつかん。


  波平 「なんじゃ、『序』にはアスカは出んのか?」
  フネ 「お父さん、いい歳をしてなんですか」
  波平 「そういう母さんだって、冬月萌え~じゃないか」
  マスオ 「ぼくはレイ派ですから」
  タラ 「ぼくはペンペンでちゅ~」
  サザエ 「あら、ミサトの冷蔵庫に入ってるビールの銘柄がテレビ版とはビミョーにちがうわ」
  ワカメ 「ホントだぁ」
  カツオ 「それにしても、こんなすごい技術がある時代なのに、どうしてシンジはカセットテープなんか聴いてるんだろう?」
  マスオ 「そのあたりの狙いは、大人になればわかるよ、カツオ君」
  フネ 「ほらほら、シトが来ましたよ」
  波平 「ヤシマ作戦はいつ観ても興奮するのう」
  マスオ 「そうだ、明日、みんなで『破』を観に行きませんか、お父さん?」
  波平 「そりゃあいい」
  カツオ 「わーい、明日はみんなでヱヴァンゲリヲンだ!」
  タラ 「ヱヴァンゲリヲンでちゅ~」
  サザエ 「あたしみたいなおばさんが映画館でどんな顔したらいいのかわからないわ」
  カツオ 「笑えばいいと思うよ」
  一同 「あはははははははははははははははははははは」


 き、気色悪ぅ~。あり得ねー。もし、あり得たとしても、おれはこういう家庭では育ちたくねー。《エヴァンゲリオン》とか『ブレードランナー』とかいうものは、夜中に独りで自分専用のテレビかパソコンかポータブルDVDプレイヤーで観るもんだ。そういえば、『ブレードランナー』だって、劇場公開時にはぱっとしなかったのに、ビデオが出てから急速に人気が出たんだよね。独りで“浸る”のに向いた作品ってのは、あきらかにあるのだ。一家団欒の茶の間で、家族がみな同じ番組をリアルタイムで観るなどという昭和的な風景をいつまでも想定モデルにしていたのでは、意味のある視聴率調査はできない。

 ま、近い将来、面白い技術を駆使した視聴率調査方法が出てくるんだろうね。顔認識技術を用いたデジタルサイネージの視認効果測定方法みたいなものが、視聴率調査世帯のテレビに実装されるようになるかもしれん。

 テレビに内蔵された抽斗のようなものがぱかっと開いて、中からクッキーが出てくる。視聴者がそのクッキーを食うと、練り込まれたマイクロマシンが長期的に体内に定着してRFIDタグとして働き、AV機器が個々人を識別して……。そ、それはちょっとディック的すぎるか。



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2009年7月 6日 (月)

こりゃ、いまの日本には絶対作れないものだよなあ

米連邦政府,IT支出情報の開示コーナー「IT Dashboard」と専用YouTubeチャンネルを開設 (ITpro)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20090701/332965/

 米連邦政府の最高情報責任者(CIO)であるVivek Kundra氏は米国時間2009年6月30日,政府の支出情報公開サイト「USASpending.org」内に,IT支出情報の開示コーナー「IT Dashboard」(ベータ版)を新設したと発表した。またビデオ共有サイト「YouTube」内に専用チャンネル「USAspending」も設けた。
 IT Dashboardでは,国防総省(DOD)や国土安全保障省(DHS),保健社会福祉省(HHS)といった組織におけるIT支出状況や投資プロジェクトの件数などをグラフ形式で示す。全体的な状況に加え,組織ごとの支出や進ちょくも確認できる。更新情報のRSSフィード配信も行う。
 グラフなどは,各組織から連邦政府の行政管理予算局(OMB)に提出されたデータから生成する。7000件以上あるIT投資プロジェクトの概要を掲載するほか,800件弱の主要プロジェクトについてはより詳細なデータを公開している。

 ううううむ。わしゃ、この IT Dashboard を見て、orz とくずおれたよ。すげー。

 こういうものを作るITの技術力がすごいと言っているのでは、もちろんない。この程度のものを作れる技術者なら、日本にもうようよおる。そこいらへんにいっぱいおる。作れる技術力なら、日本だってアメリカに勝るとも劣らん。だが、作らせることができるリーダーシップとコラボレーションの体制に関しては、彼我の差はまるで大人と子供、いや、大人と赤ん坊だ。作れる技術は十二分にあるのに、作らせるほうがボンクラなので、日本にはせいぜいこの程度のおもちゃしか作れない。な、情けねー。「そんなことはない」という政治家やお役人方、じゃあ、作ってみろよ。賭けてもいいが、絶対に作れないから。どんなに優秀なIT技術者を大量に雇っても、金を湯水のように注ぎ込んでも、絶対に作れないから。その理由は、あんたがたがいちばんよく知っているはずだ。

 このオバマ政権の IT Dashboard の開発に携わった技術者を全員日本にヘッドハントしてきて日本の“電子政府の総合窓口”とやらを作らせたとしても、現状と似たり寄ったりのろくでもないものしかできないと断言できる。つまるところ、問題の本質はじつに簡単なことなのだ。つまり、ITの力を引き出せるかどうかは、コンピュータ技術の問題でもなければ、ソフトウェア開発技術の問題でもないということである。

 それにしても、こういうもんをちゃちゃっと作らせることができる(“作ることができる”ではない)アメリカ合衆国という国は、虚心坦懐にすごいと思うね。

 よく、日本人は個人プレイよりもチームプレイが得意だとか、アメリカ人は一人ひとりが自分勝手だから集団行動が苦手だとか、根拠のない(事実に基かない)印象だけでほざく人がおるが、おれはその手の思い込みは笑止千万だと思う。アメリカ人は、互いに異質でバラバラのやつらが、まとまればまとまるほど賢く強くなってゆき、日本人は、個々人は優れている均質なやつらが、集まれば集まるほどアホになり弱くなってゆく。

 チームプレイが得意な国で年金が消えたりするかよ。党利党益、省利省益しか考えていない政治家と役人が馴れ合って国民不在の政治と行政を自分たちだけのために回し、そんでもって、それだけコケにされても、ろくろく選挙にも行かない国民が大勢いる日本人の、どこがチームプレイが得意なものか。あの、大多数はどう見ても能天気な阿呆としか思えないアメリカ人どもが、なぜ世界の頂点に立っているのかを、もう一度、虚心坦懐に見つめ直すべきだ。やつらは、いまのおれたちにはないものをたしかに持っている。それは“多様性というのは善である”という、たしかなマインドセットだ。そりゃあ連中だって、多様性の善を否定するようなことをしてきた。しかし、やつらは、それを自浄する能力を持っている。これは手強い。多様性の善は、生物界に於いて、三十八億年以上の実績を以て証明されてきた強力な戦略だからだ。これを国家存続のための哲学とした国は、絶対に侮れん。

 日本は、このままで行けば、数十年後には、中国の“ヤマト自治区”になっているか、アメリカの五十一番めの州になっているか(まあ、いまだってそうだという見解もある)のどっちかだとおれはマジで思うのだが、どっちかを取れと究極の選択を迫られたら、おれは日本をアメリカの五十一番めの州にしたい。むろん、独立国であることが、いちばんいいに決まっているのだが……。

 おれは思うのだが、日本人というのは、ステレオタイプな日本人像とはまったく異なり、組織やシステムの不備や怠慢を、個人個人の優れた能力と自己犠牲で切りまわしてきた、世界にも稀に見る“個人プレイ”が得意な民族なのではあるまいか? “和を以て尊しとなす”という言葉を、誰よりもはきちがえてきたのは、当の日本人なのではないかと、最近切に思うのだ。

 いまこそ日本人は、ほんとうのチームプレイ、多様性を善とするチームプレイというものを学びはじめなくてはならないのではなかろうか? その最良の教師は(反面教師も含めて)、やっぱりおれはアメリカ合衆国だと思うのだ。はっきり言って、やつらは、いまの日本人よりも、はるかにチームプレイが得意である。そうじゃないと言うあなた、たとえば、在日朝鮮人の二世や三世や、中国残留孤児の二世や三世が、能力さえあれば、近いうちにこの国で議員や大臣や首相になれると思うか? アメリカ合衆国という国の連中は、それに近いことを、すでに実際にやってのけているのだ。



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2009年6月29日 (月)

謙虚になれ、爺いども!

小中学生のケータイ所持禁止 石川県条例案に異論 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/06/26043914.html

子どもには携帯電話を持たせないように保護者への努力義務を課す――。石川県議会に提出された条例案に異論が出ている。取り上げても、抜け道がいくらでもある、という指摘や、下校後の塾通いや防犯対策を考えると必要だ、という意見だ。実際、明確なルールを決めた上で携帯電話の持ち込みを認めている学校もある。

(中略)

一方、デジタル・メディアが教育上与える好ましくない影響についての調査を行っている、NPO法人青少年メディア研究会の理事長・下田博次さんは、今回の石川県の条例案について「条例で(携帯電話所持禁止に)踏み込むという姿勢を示したことがよかった。実効性は別だが、地方自治体が(小中学生の携帯電話利用への)危機感を持っている証明だと思う」と指摘する。

「携帯電話を持っているからネットいじめ、出会い系サイトの問題が成立しているのが現状です。これらは当然、携帯電話を持っていなければ、成立しない問題。こうした事件が携帯電話の普及とあいまって増していることを考えれば、私は、携帯電話がどんなに優れた機器であろうとも、大人が管理、指導できないものを子どもには渡さない方がいいのではと考えます」

 いろいろと議論をする中で、大人が世の中に追いついてゆこうと試行錯誤や努力をするのはじつによいことだ。思考停止をせずに、もっとああでもないこうでもないと、おれたちは考えてゆかねばならない。

 しかし、このNPO法人青少年メディア研究会の理事長とやらの見解にはずっこけた。「私は、携帯電話がどんなに優れた機器であろうとも、大人が管理、指導できないものを子どもには渡さない方がいいのではと考えます」だって? なにを言っているのかわかっているのか? 要するに、これは大人が「おれたちのわからんものを若いやつに持たせてはいかん」と言っているわけである。アホか。典型的なロートルの発想である。いつの世も、上の世代が理解できない新しいものがほんとうに世の中を変えてきたのだ。あんたも若いころは、「大人はわかってくれない」と思っていたことはないのか? それを忘れたのか? 手塚治虫だってビートルズだって筒井康隆だって、最初から大人たちは褒め称えていたのか?

 この理事長さんは、野口悠紀雄の言をとくと聴くがよい──

野口 それは、GPTの種類によるのですね。「電力の場合にはイギリスに不利な技術変化だったけれど、ITは逆で、日本に不利な技術変化だ」というのが、この本の主張です。
 例えば、ITは1980年代以降のものですから、その頃すでに企業の中堅になっていた世代の人たちが、いま企業において決定権を持っているわけですね。その人たちは、新しい技術に適応力を持っておらず、ITが得意なのは若い人です。だから、もし会社の中でITを活用するようなことになったら、下克上が起こる。
 そういう人たちがITの導入に積極的な考えを持つとは考えられません。これは、日本型企業のひとつの特徴である年功序列制が、新しい技術の導入に抑制的に働くことを意味します。

 そう、つまり、この理事長のものの考えかたは、“自分たちにわからないものを若いやつが自在に駆使するのは危険だし、面白くない”といった、結果的に組織や企業や国家の総体としての競争力を下げる方向に働く考えかたなのである。つまり、凡百のロートル経営者と同じ“すでに自分は終わっているくせに既得権にだけはしがみつこうとする”卑しい発想にすぎない。これこそ、日本がITをハコモノとしてしか捉えず、国を、社会を豊かにするためにITの真の力を引き出せない大きな理由のひとつだ。小学生や中学生には、ITの理論や仕組みはまだよくわかっていないかもしれない(が、興味さえ持てば、MITの講義だって無料で視聴できる仕組みはすでに開放されている。いま小学生の子らだって、やる気と興味さえあれば、数年後には、それらを直接利用し理解できるようになれる)。しかし彼らは、その“活かしかた”においては、下手な企業をはるかに凌ぐ。野村総研“産消逆転”などと言われて、国や企業は恥ずかしくないのか? ガートナー「大きな変革が足元で起きていることを認識してほしい」などと言われて、国や企業は危機感を覚えないのか?

 もたもたしている大企業のロートルをよそに、優れた中小企業の経営者たちは、あたかも小・中・高校生たちのようにITを利活用しはじめている。投資額では大企業に遠く及ばなくとも、その利活用の知恵は大企業をはるかに凌ぐケースも少なくない。「ややこしいことは専門家に任せておけばよいが、こんなに使えるものを本業の経営に使わんでどうする? おれは技術者になるつもりはないが、経営者としてこの強力な武器を活かすために学ばねばならんことがあるなら、いくらでも学んでやる!」という、経営者としてじつに正しい気概が彼らにはある。それはあたかも、難病に立ち向かう決意をした個人が、「おれは医者じゃないし、なるつもりもないが、この病気を克服するためなら、おれの病気や治療法を当事者として患者なりに理解する努力をせねばならん」と、医学的な知識を身につけようとしているかのようである。

 おれはなにも爺さんたちに十六進数で寝言を言えとか、TCP/IP のヘッダの構成くらい暗記しておけとか、Perl や PHP や Python や Ruby でばりばりコードを書けとか言っているわけではない。新しく出てきたものが“使える”ものであれば、それを自分の本業(たとえば、経営)に“活かす”ためのリテラシーくらいは、いくつになっても謙虚に身に着けようとせよ、とくに自分より年下の者に学べと言いたいだけである。

 その自分たちの怠慢を棚に上げて、「おれたちにわからんものを若いやつが使いこなすのはけしからん」などというくだらない考えを、さも教育的に重要なことであるかのように吹聴するロートルどもの気が知れん。おれはこのような年寄りにだけは、絶対になりたくない。

 なんのことはない、ケータイがどうしたこうしたという問題は、子供の問題ではないのだ。大人の側の怠慢の問題である。

 将来もし、魔法がおのれの本業や社会全体に大きな影響を及ぼす重要な技術として台頭してきたならば、おれは魔法を子供のころから使いこなしている若いやつ(“マジカル・ネイティブ”?)に教えを乞うだろう。『はじめての魔法』とか『図解でわかる魔法』とかいった本を買ってきて読むだろう。〈日経魔法ストラテジー〉を定期購読するだろう。「魔法 is beautiful」「404 魔法 NOT FOUND」といったブログのRSSを受けるだろう。自分が魔法に習熟できなくとも、その利活用のしかたについては、年の甲に頼って、あんまりない知恵を精一杯出そうとするだろう。

 まちがっても、「おれのわからん魔法を若いやつが使いこなすのはけしからん」などとほざく爺いにだけはなりたくない。



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2009年6月25日 (木)

採用条件:地頭のよいバカ

文科相「平日の就活禁止を」新ルールづくりへ持論披露 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0624/TKY200906240374.html

 「就活」に新しいルールを――。塩谷文部科学相は24日の参院行政監視委員会で、学生の就職活動が長期化、早期化して学業に影響が出ていると指摘されていることに関連し、「少なくとも平日は、企業も就活(就職活動)の会合をしてはいけないとか、それぐらいのルールを最低限つくってもらいたいと思っています」と述べた。
 山下芳生議員(共産)が「学生は大学3年の早い時期から負担を強いられている」として就職活動のルールづくりを求めたのに答えた。
 塩谷文科相は「かつては就職協定があり、今は(日本経団連の)倫理憲章のもとにやっているが、現実には守られていない」と指摘。「要は授業のある日は(企業が就活中の学生を集める会合を)やっちゃいけないとか、それぐらいのルール」が必要だと語り、山下議員も「なかなか具体的な検討内容を披瀝(ひれき)していただいた」と評価した。
 就活に関する新しいルールづくりは、何度も議論にはなるものの、企業側が難色を示すなど状況は変わらないまま。ただ、今回の大臣の持論披露には、当の文科省内でも「ちょっと現実的ではない」と受け止められている。(青池学)

 塩谷文科相の持論はたしかにいまの状況に照らすと現実的ではないとは思うが、“学生は勉強せえ”というあたりまえのことをあたりまえに言っている点で評価できる。あたりまえのことをあたりまえに言うことは、存外に大事なことだ。

 少し前にあちこちで話題になった「三角錐の体積が計算できない技術系新入社員---深刻な若手の学力低下」という記事をいま一度併せて読むと、いったい企業側はなにを求めているのかよくわからなくなる。おれがわからなくなるのだから、就職活動中の学生諸君はなおさらわからないだろう。企業側は、自分たちが大学でろくろく勉強させずに採った学生の基礎学力がないと言って嘆く。矛盾しとらんか?

 企業側のぶっちゃけた本音を想像するに、「十八、九歳の時点の瞬間風速でそこそこの大学に入れたという“そこそこの地頭のよさ”だけを一応証明してくれれば、大学の役目などそこで終わっている。大学でなにを学ぶかなど知ったことではない。というか、あんまり余計なことを教えないで、できるだけ白紙のままでこっちに渡してくれ」ということなのではなかろうか? つまり、“できるだけ地頭のよいバカが欲しい”というのが企業側の(もしかすると、企業側自身も気づいていない深層の)本音なのかもしれん。

 このような企業側の明示的メッセージと暗示的メタメッセージとの乖離は、学生たちをいわゆる“ダブルバインド”の状況に置く。学生たちは、“私はじつは「やればデキる子」なのですが(その証拠にそこそこの大学には入れたのです)、大学では毒にも薬にもならないことをちゃんと勉強するふりをして着々と単位を取っているくらいに世渡りは上手です。もちろん、卒業後はどんな色にでも簡単に染まってみせる、要するにあなたがたの脅威にはけっしてならないアホです”というケッタイなアピールをしながら就職戦線を戦わなくてはならない。

 大学生にろくろく勉強をさせないように行動しながら、採用した新人の基礎学力がないといって嘆くのは、ちょっと学生に酷じゃないの? 企業側はここらで本音で勝負したほうがいいと思う。「まぐれだろうがなんだろうが、そこそこの大学に入れたという一事を以て、少なくとも地頭は悪くないと認定する。だから、大学生時代はできるだけ余計なことは学ばないでくれ。なあに、こっちが内定さえ出しゃ、大学の教師なんぞ簡単に折れて卒業させてくれるよ。キミは義務教育修了程度の四則演算と日本語の読み書きができりゃいい。その代わり、ウチの会社に入ってから、ちゃんと“教育”してあげるからウチに来てくれ」──要するに、こう言いたいのだろう? ぶっちゃけた話。

 「へえ、企業ってそうなんだ? じゃあ、大学なんて要するに“入れれば勝ち”なんだね? よーし、大学入って、思いきり遊んで、立派な“地頭のよいバカ”になっていい会社に入るぞお」などと目から鱗が落ちた学生が仮にいたとしたら、そういう人は「優秀なエンジニアは「入社時のスキルを問わない会社」には就職してはいけない」という、これまた一時話題になったブログエントリーも読んでおいたほうがよい。べつにこれって、もはや“SIer”にかぎった話じゃないからね。定式化すると、“○○を以て競争力とし、○○で食っているはずの企業が「入社時の○○を問わない」と新卒を募集しているのはあきらかにおかしい。なにか裏がある”ということだ。

 なんの道によらず、大学でちゃんと勉強してきた人は、「入社時の○○を問わない」企業じゃなくて、「入社時の○○を大いに問う」企業に入ったほうが、なにかと面白いだろうと思うよ。せっかく○○をしっかり勉強してきたのに、入社してみたらいきなりド素人と横並びで、「大学教育? 専攻? なにそれ? 食えるの?」みたいな扱いをされたら、「だ、大学って……なんだったの?」と、ヤワなやつは五月病になっちまうよなあ。でも、基本的に“地頭のよいバカ”を欲しがっている企業ってのは、どこも似たり寄ったりだろうと思いますよ。

 純プラグマティックに考えると、大学時代の勉強は“趣味”と割り切って思いきりやって(趣味だからこそ、損得考えずに打ち込めるのだ)、就職活動では適当に“地頭のよいバカ”を演じて適当なところに潜り込む──ってのが、今風の処世術かもしれん。そのうち、デジタルネイティブのキミらがほんとうに面白いと思えるなにかにめぐり会うかもよ。会わないかもしれないけど。



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2009年6月18日 (木)

それが手前の哲学ならば、堂々と言えよ!

「外見で不合格」4人に計850万円 神奈川県教委和解 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0617/TKY200906170324.html

 神奈川県平塚市の旧県立神田高校(現・平塚湘風高校)の受験生が、選考基準にない「茶髪」や「スカートの長さ」など外見や服装で不合格にされた問題で、県教育委員会は17日、不合格とされた22人のうち4人について、慰謝料を含め計856万円を支払うとする和解案を合意した、と発表した。19日開会の県議会に和解案を提出する。
 県教委によると、05、06、08年度の同校入試で、当時の校長の指示により、髪の色やピアスの跡、スカートの長さなどを教員が出願時や受験日にチェック。合格圏内に入っていた22人が不合格とされた。県教委が公表している選考基準では、調査書と面接、学力検査を点数化するだけで、外見や服装は選考基準になっていなかった。

 こりゃまあ、県教育委員会の判断はきわめて妥当であると思うね。

 つまるところ、なにが問題なのかと言えば、校長の陰湿な“小役人根性”だけが問題なのである。「茶髪」や「スカートの長さ」も選考基準になるというのなら、そう明示すればいいだけの話だ。そう明示するのなら、それはそれで学校の教育思想の表明なのだから、べつになんの問題もない。たとえば、「アーサー・C・クラークを読んでるやつはダメ、筒井康隆を読んでるやつはダメ」と、それが選考基準になると明示すれば、べつにな~んの問題もない。それがその学校の教育哲学なのであれば、その学校に入りたいやつは、その学校の哲学に合わせるのがあたりまえである。「そんな学校はこっちからお断りだ」と受験しないのも、単に“ご縁がなかっただけ”ですむのである。

 極端な話、「わが校には障害者は入れない。障害を持つ者にはろくな人間はいないというのがわが校の哲学である。障害者に教育など与えるべきではないというのがわが校の方針である。ゆえに、身体あるいは精神に障害のある者は問答無用で落とす」と明言している学校があるとすれば、それはそれでべつに非難されるいわれのない立派な教育方針である。そう明示されているのなら、障害者は最初からその学校を受験したりするという無駄な努力をしなくてすむ。

 この学校の校長が厭らしいところは、とにかく“なにがなんでも言質を取られないように”しつつ、ちゃっかり己の勝手な哲学を公的な意思であるかのように紛れ込ませている点である。これすなわち、“小役人根性”と言う。

 「うちの学校は、茶髪は落とす。スカート丈の長いやつも落とす」と堂々と明示しておけばよいだけの話。どうしてもその学校に入りたいという子なら、ちゃんと明示しておけば、それなりの外見で受験しにくるだろうよ。そういう選択の自由を隠然と奪うのはフェアじゃない。茶髪はダメと明示しているのに、いけしゃあしゃあと茶髪で受けにくるやつがいれば、どんなにテストの成績がよかろうが、堂々と落とせばよいだけのことである。

 この校長の厭らしい小役人根性が発揮されているのは、「わが校は外見でも落とす。文句あるか」とはっきり言う度胸もないくせに、隠然と外見で落としている点に尽きる。つまり、自分はとことん安全なところにいながら、権力だけは行使する──つまり、それを世間はずばり“小役人根性”と呼ぶ──という厭らしさなのである。要するに、「なんで茶髪はダメなの?」という受験生に、堂々と反駁するだけの一貫した哲学がないのだ。哲学がないやつに、なにを教育できると言うのだ、このあさましい小役人めが。結局、可愛いのは自分だけか。

 いわゆる優等生の諸君、こんな学校、受けたいと思いますかね? キミが優秀であればあるほど、この程度の学校を受けるのは、キミらしくないと思いませんか? やめとけやめとけ、もっと“”高い”ところを狙え。



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2009年6月11日 (木)

詐欺から身を守るための二つの呪文

 (1)AとBに相関関係があるからといって、因果関係があるとは言えない。
 (2)AとBが無相関であるからといって、それらが常に独立であるとは言えない。

 べつにそれほど高度な数学や論理学を万人に教える必要はないと思うが、このふたつを高校卒業までにちゃんと納得させておけば、日本の詐欺の被害者は相当減るんじゃないかと思う。幼稚な詐欺のほとんどは、ごくごく基本的な集合と統計の知識で防御できる。というか、ある意味、悪魔はしばしば聖書を引用すると言われるように、報道から推察するに、稚拙な詐欺の多くが集合と統計の詐術に属する。

 え? 集合とか統計とかは学校教育では軽んじられているんですか? そうかなあ、はっきり言って、高校出てからいちばん実生活に役立った数学は、集合と統計だと感じるんだけどなあ……。



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2009年6月 9日 (火)

草食う男

Japan's 'herbivore men' -- less interested in sex, money (CNN.com)
http://edition.cnn.com/2009/WORLD/asiapcf/06/05/japan.herbivore.men/index.html

TOKYO, Japan (CNN) -- They are young, earn little and spend little, and take a keen interest in fashion and personal appearance -- meet the "herbivore men" of Japan.
Author and pop culture columnist Maki Fukasawa coined the term in 2006 in a series of articles on marketing to a younger generation of Japanese men. She used it to describe some men who she said were changing the country's ideas about just what is -- and isn't -- masculine.
"In Japan, sex is translated as 'relationship in flesh,'" she said, "so I named those boys 'herbivorous boys' since they are not interested in flesh."
Typically, "herbivore men" are in their 20s and 30s, and believe that friendship without sex can exist between men and women, Fukasawa said.
The term has become a buzzword in Japan. Many people in Tokyo's Harajuku neighborhood were familiar with "herbivore men" -- and had opinions about them.

 CNNが日本の“草食系男子(草食男子)”について報じている。見出しを含め、最初のほうでは 'herbivore men' と訳しているのは、さすがネイティブ感覚だ。ここは、多くの日本人は、herbivorous men とやってしまうところだろうと思う。いきなりそういうふうに言われると、英語ネイティブは、「ヴェジタリアンの男?」と思いかねない。herbivorous だの carnivorous だのというのは、第一義的には食性のことを言っているのであって、日本語ほど「草食=おとなしい・攻撃的でない」というイメージが説明抜きで伝わるわけではないってことだ。具体的に sheep とかを挙げると、日本で言っているイメージに近いところが伝わるとは思うが、herbivorous では、ぶっちゃけ、獰猛なカバだって草食ってるわけだよ。"In Japan, sex is translated as 'relationship in flesh,'" she said, "so I named those boys 'herbivorous boys' since they are not interested in flesh."などといちいち説明しなくちゃ英語ネイティブには真意は伝わらないと(おそらくは英語ネイティブの)記者が判断して書いているということなのである。

 またこれは、“名詞A+名詞B”で複合語を造る場合と、“名詞Aの形容詞形+名詞B”で表現する場合とでは、相当意味がちがってしまいかねないというよい例だろう。“草食動物的な属性を備えた男”“草ばっかり食っている男”とは似て非なるものである。smoking area は、アクセントの置きかた次第で「もくもく煙を上げているあたり」になったり「喫煙コーナー」になったりする。ここいらへんのいわく言い難い感覚ってのが、三十四年以上英語やってても、いまだに瞬時に“頭で考えてしまう”ところで、“識域下から反射で出てくる”ってところまではいかない部分なのよなあ。このへんがガイジンの限界かもなあと痛感する。ま、連中にとってのガイジンが英語が下手で文句あるかと腹をくくることも大事である。誰もがサイデンステッカードナルド・キーンになれるわけではない。が、デイヴ・スペクターくらいにはなりたいよな。

 CNNの記事のニクいところは、「この記事の文脈では“草食”ってのはこういう意味で使っていますよ」ということが読者に伝わったであろうあたりから、herbivorous という形容詞を“日本人がこの文脈で使っている意味で”使いはじめるあたりだ。伊達にCNNの記者やってるわけじゃないよね、この人は。

 断っておくが、おれはネイティブ至上主義派ではない。むしろ、英語が母語でない国で編み出された“ネイティブでないからこその表現”にも感心したり親しみを感じたりするほうだ。だけどまあ、ネイティブならではの“キレ”ってのにも憧れることはたしかなのである。たぶん、おれが「アホちゃうか!」と反射的に言うときの“キレ”に憧れてる日本語学習者も世界のどこかにいるんだろう。「日本語を三十年勉強しているが、こういう“アホちゃうか”はワタシには咄嗟に言えない。まだまだ修行が足りん」などと嘆いているガイジンだって、どっかにいるかもしれん。まあ、それはお互いさまだよ。



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2009年6月 3日 (水)

北朝鮮シミュレータ

「お前、デキるな」でスカッと ほめてくれるサイト評判 (asahi.com)
http://www.asahi.com/digital/internet/SEB200906010004.html

 あなたじゃなきゃダメなの――。「ほめる」をキーワードにしたインターネットのサービスが注目を集めている。「ストレスが吹き飛ぶ」「幸せな気分になれる」などと、会社員や主婦らの人気は急上昇中だ。「成果主義に疲れた現代人は癒やしを求めている」。専門家らはそんな見方をしている。
 大分市のウェブ制作会社は昨年12月、インターネットサイト「ほめられサロン」(http://kakula.jp/homeSalon/)を開設した。名前やニックネーム、性別、職業を入力すると、「○○(名前)がいて本当に助かるよ」「おまえデキるな」。リズミカルなドラムの音が流れ、大量のほめ言葉がハートマークとともに次々と表示される。

 また、ケッタイなもんが流行っとるなあと思いつつ、それでもどこにどんな洞察や発見に繋がるヒントが転がっておるやもしれんし、とりあえず、メディアというものは一度は体験してみないことにはなにも言えんとばかりに、さっそく「ほめられサロン」を試してみた。

 自分の名前を入れてやってみたのだが、いっこうに嬉しくない。思い当たるフシのないことばかりで褒められる。おれ自身は、なんでこのサイトが上の記事のように紹介されるほど当たっているのか理解に苦しむのだが、当たっているという事実の裏に隠れているものには興味がある。現代人って、そんなに褒められたがってるのかなあ?

 褒められて嬉しいときというのはどういうときであるかと、よくよく胸に手を当てて考えてみると、じつに簡単なことなのだった。人は、いや、安易に一般化しちゃいかんかな、おれは、“褒められたいと思ってやったことが褒められると嬉しい”のである。つまり、“ギャグがウケて笑ってもらえた”というのと同じだ。自分がギャグのつもりでやっていないことをゲラゲラ笑われてもちっとも嬉しくない。おれ自身がただただ興味深くてやっていることとか、ただただ面白いからやっていることとか、なんだか知らんがやりたいからやっていることとかが、他人から見ると、あたかも“努力”(おれの大嫌いな言葉である)であるかのように見えていることがあるらしいのだが、そういうことを褒められてもちっとも嬉しくない。「うわあ、上手に呼吸ができるんですねえ」などと言われて嬉しい人などあろうか?

 「ここは、この改行直後に噴き出してほしいな」と思って書いている文章が、思いどおりのところでウケていたりすると、これはけっこう嬉しい。「ええか、ええか、え~のんか~」と、笑福亭鶴光にでもなったような気分になる。

 だいたい、人間なんてものは、歳を食えば食うほど肩の力が抜けて、「褒められたい」などと考えてなにかをすることなどなくなってきて、どんどん自然体になってくるものだろうから(そうじゃない年寄りもたまにおりますが、ああいうのはなんか意地汚い歳の取りかたをしてるなあと、見ていてけっして愉快なものじゃない)、ただただわけのわからないことで褒められても、年寄りは嬉しくないのである。年寄りが褒められて喜んでいる場合、「こんなに好き勝手にやりたいことをやったのに、世の中にはそれを楽しんでくれたり喜んでくれたりする人もいるのだなあ。もったいないことじゃ、もったいないことじゃ」と、一抹の申しわけなさを感じながら、喜んでいるというよりも、そうしためぐり合わせに虚心坦懐に感謝しているのだと思う。あくまでおれが思うだけだけどな。

 だもんだから、この「ほめられサロン」、アイディアは興味深いが、おれ的には全然嬉しくも面白くもないんだよなあ。

 で、おれを激賞するコメントを漫然と見ているうちに、ちがう使いかたを思いついた。これは“北朝鮮シミュレータ”として使える。こんな感じだ──

Homerare_salon01_2

 おお、なかなか適切なコメントを出してくるもんだな。




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2009年5月31日 (日)

月面二足歩行ロボットの意味

「一体何の意味があるのか」 「月面2足歩行ロボット」に批判 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/05/29042101.html

政府が策定を進めている「宇宙基本計画」が、思わぬブーイングに見舞われている。この計画自体は、情報収集衛星を増強したり、有人での月探査を目指したりする意欲的なものなのだが、「二足歩行ロボットでの月探査」という項目に、批判が続々と集まっているのだ。
「お金をかけて何がしたいかわからない」
日本の宇宙開発についての基本方針を定めた「宇宙基本法」が2008年8月に施行され、これに基づいた国家戦略「宇宙基本計画」の策定が進められている。麻生首相が本部長を務める「宇宙開発戦略本部」が案をまとめ、09年4月28日から5月18日にかけてパブリップコメント(パブコメ)が募集された。
各地から寄せられたパブコメでやり玉に挙がっているのが、「月面2足歩行ロボット」。これは3月6日に行われた専門調査会の場で、専門調査委員のひとりである元宇宙飛行士の毛利衛氏が提案したもの。毛利氏が提出した資料では、国家目標として「日の丸人型ロボット月面歩行計画」をかかげ、「有人・無人の議論を超えた第3の道」「日本独特な有人宇宙開発の提案」などどうたっている。
計画案では、2020年頃に日本独自でロボットを活用した月の無人探査、25~30年頃に宇宙飛行士とロボットが連携した有人月探査を目指しており、「2足歩行ロボット」も、その中の案として出てきたものだ。計画案には458人から1510件のパブコメが寄せられたのだが、そのうち約80件が「2足歩行ロボット」に集中。その中には、
「月や火星・金星への探査計画に、人は遅れ(原文ママ)なくとも耐環境型の自立ロボットを帯同させることも日本独特の研究といえます」
と、好意的なものもあるが、ほとんどが批判的なものだ。

 SFファンの方々なら、「そもそもなぜ人間型のロボットを作る必要があるのか」という問題をあーでもないこーでもないと考えたことがあるかと思うが、これは存外に難しい問題ではあるのよなあ。

 上の引用で好意的なパブコメを寄せている人の意見は、残念ながら、かなり頓珍漢である。探査計画で閉じてしまうのであれば、二足歩行ロボットを送る意味などない。将来、月や火星に人類が居住する(金星はまあ無理でしょう)というところまでをスコープに入れれば、そこで初めて二足歩行ロボットを送る意味が出てくる。つまり、短期的な作業効率だけを考えれば、地球と環境が著しく異なるところでわざわざロボットに二足歩行などさせる意味はなく、むしろクモ型とかヘビ型とかそのほかとかのほうが合理的だが、“そこに将来人類が住む”というところまで長期的に本気で考えれば、二足歩行ロボットから取れるデータは、将来、大いに役に立つ。要するに、どれくらいの時間的なスパンが視野に入っているかで、見解が変わってきて当然なのである。「なんの役に立つのか」と言っている人も正しいし、「役に立つ」と言っている人も正しいのだ。「二足歩行ロボットでの月探査」って表現がまずいのだろうな。ここは正直に、「人類の月面居住を視野に入れた二足歩行ロボットによるデータ収集」とまで言ってしまえば、また印象は変わってくると思う。

 おそらく毛利氏はそんなことはよくご承知で、そのうえであえて、“日本人を象徴的に鼓舞する短期的計画”として、これを提案してらっしゃるのだろうと推測する。おれが思うに、毛利氏は科学者としては政治やらなにやらに過剰適応してらっしゃるように見えるもんで、腹の中では、「そりゃ、将来、月や火星にはトーゼン人間は住むでしょ」と思いつつも、そこまで言うと荒唐無稽と思われちゃうだろうから(全然荒唐無稽じゃありません)、とりあえず、アドバルーン的な短期的スコープしかないかのように見えるものを出してらっしゃるのだろう。まあ、政府に毛利氏の提案の真意が理解できるかどうかは別として、政治家や官僚にはわかりやすい“国威発揚”的なものに見せておけば、当座はオーケーかな……といったふうに、毛利氏は考えていらっしゃるのではなかろうか。

 その“世俗に合わせすぎ”なところがまずいのだと、おれは思う。「わしらが、わしらの子や孫や曾孫が、いつまでも全員地球に住んでいられるとでもお思いか?」と、はっきり言っちゃえばいいんじゃなかろうか。言わないから、「何がしたいかわからない」と言われちゃうのだ。まあそりゃ、毛利氏のそういう“世俗に合わせすぎ”なところも、無理はないと理解はできるんだけどなあ。いまの日本政府や官僚に、“人類は遅かれ早かれ宇宙に進出せざるを得ない”という認識と哲学と覚悟があるのかどうかとなると、こりゃ、おれもかなり悲観的である。毛利氏は、政治家や官僚の思惑を超えたところまで、深く考えたうえで、こういうアドバルーンを上げてるんだと、おれは想像するんだよ。

 おれたちはいつまでも全員が地球に住んではいられないのだ──という、考えてみればあたりまえのことを、政治家たちはちゃんと打ち出すべきだと思うね。宇宙への進出は、今世紀では、もはやSFマターじゃなくて、政治マターなのだ。今世紀というスパンで考えれば、軌道エレベータスペースコロニーは、必ず建造されるだろう。というか、せざるを得なくなるだろう。

 二十世紀のSFが夢見てきたことが、年金やら消費税やらエコロジーやらと同じ次元で、おれたち(の子や孫や曾孫)の日常生活に関わるリアルな問題になってくるのが、これからの百年なのだ。オバマ大統領の勝利演説じゃないが、おれたちの世界が百年前にどうだったかを振り返ってみれば、百年後にどうなるか、どうであってほしいかもリアルなこととして想像できるはずだ。西暦二一〇〇、月に人が住んでいないとでも思いますかね、あなたは? おれは、オバマ大統領にはそこまでの視野があるだろうと思っている。politician としては目先の問題に翻弄されているだろうが、彼の statesman としてのヴィジョンには、百年後のアメリカ、百年後の世界が、当然のこととして入っているように思われるのだ。

 まあ、いま現在の日本政府や官僚が、「宇宙基本計画」とやらで、そこまで考えているとはとても思えないのも事実なんだよなあ。連中は、せいぜい、次の総選挙くらいのことまでしか考えてないんじゃないの? 毛利氏の提案は、いまの日本政府には上等すぎるんじゃなかろうか? そういう意味では、毛利氏の提案にブーイングが集中するというのは、わからないでもないんだよねえ。地球上に飢えた人々がいる状態で、宇宙開発もへったくれもあるかというのは、たしかにわからないでもない見解だ。カート・ヴォネガットもそういう姿勢だったよね。おれは、クラークも好きだけど、ヴォネガットも好きなのだ。

 ともあれ、今世紀には、わが国の閣僚や事務次官は、小松左京必読ということにしないか?



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2009年5月29日 (金)

noblesse oblige

「下々の者どもは、一万二千円ぽっちを配っておけば、それなりに喜んどるようだな」
「さもしいのう……」
「一段落したところで、われわれがほんとうの給付金をいただく番だな」
「そりゃそうよ。難しい試験に受かって、国家のために尽くすという建前の仕事をしてきたわれわれは、民草どもとは次元のちがう人種なのだ」
「なんだかんだで、十四兆ほどはわれわれに入ってくる計算になるのかな」
「まあ、適当に作った基金に放り込んで、使いみちはあとでゆっくり考えればいい」
「どうせ、この借金を払うのは、一万二千円もらって喜んでる阿呆どもの子や孫や曾孫だからな」
「どうせ、われわれはそのころにはいない。畳の上で大往生したあとの話だ」
「しかし、新型インフルエンザは気になるな。毒性の強いものに変異して大流行したりせんだろうな。阿呆どもにはできるだけ長く働いてもらって、われわれを潤してもらわねばならん」
「なあに、わしらが死んだあとは、野となれ山となれだ」
「リーマンには感謝せんとなあ」
「じつにタイミングがよかったな」
「麻生はまだ使えるか?」
「そろそろ潮時だが、まだ利用価値はあるな」
「次の目くらましはどうしよう?」
「そうたびたび人気スターが公園で裸で騒いではくれないしなあ。ま、そのうち使える事件が起こるだろう」
「テレビ局も新聞社も経営が苦しいから、なんにでも食いついてきてくれるわいな」
「そうだな。アホな些末事を目の前に吊るせば、いくらでも針小棒大に取り上げおるわい」
「それにしても、今回の十四兆の給付金、なんに使う?」
「そうだなあ……三洋電機でも買おうか」
「エコポイントはつくのかな?」
「どうだろうなあ。つくことにさせようか?」
「GMを買うのはさすがにまずいかな」
「外資だからなあ。いくらなんでも、エコポイントはつけにくいんじゃないか」
「使いみちに困るなあ。わはははははは」
「ほんに。わはははははははははは」



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2009年5月21日 (木)

進んだかどうかわからないが、変わっていることはたしかなのよな

 ソ連かぜが流行したのは一九七七年だが、この三十二年で大きく変わったことを、思い当たる範囲で列挙してみる。インフルエンザを以前より流行させ得ると思われる変化に「+」以前より流行を抑える方向に働くと考えられる変化に「-」をつけてみた。「+」の要素もあれば「-」の要素もあるといった変化は「±」である。


 ■小学生のころから、大多数が塾に通うようになった。 (+)
 ■学校が週休二日になった。 (-)
 ■週休二日の職場が増えた。 (-)
 ■公衆電話が激減した。 (-)
 ■自動ドアが増えた。 (-)
 ■花粉症が国民的疾患になった。 (±)
 ■リモコンで操作する家電製品が激増した。 (±)
 ■一家に一台だったテレビが、一人に一台(以上)になった。 (-)
 ■大きなイベント会場が増えた。 (+)
 ■カラオケ店が増えた。 (+)
 ■コンビニが増えた。 (+)
 ■ATMが増えた。 (+)
 ■マンガ喫茶、ネットカフェなどが出現し、増えた。 (+)
 ■パソコンゲーム、テレビゲームが一般的娯楽になった。 (±)
 ■携帯ゲーム機が普及した。 (+)
 ■自動改札が増えた。 (-)
 ■ICカード、ケータイ、ETCなどによる電子決済が普及した。 (-)
 ■指紋認証、静脈認証などによる接触型セキュリティデバイスの導入が広まった。 (+)
 ■海外へ行くことが、一般大衆にとっても珍しいことではなくなった。 (+)
 ■独身者、独居老人が増えた。 (-)
 ■路チューしてるカップルが増えた。 (+)
 ■インターネットが普及した。 (-)


 さてさて、こんなことを列挙してみたとて、これといって役に立つわけでもないのだが、意識してみるというのは意味のあることではないかと思う。時代の流れというやつはうまくしたもので、以前あったものがなくなったことによってリスクが減る側面もあれば、以前になかったものが増えることによってリスクが高まる側面もある。

 おれのような、子供のいない独り者でもとくに痛感するのは、おれたちが小中学生、高校生だったころと比べると、現代の小中学生、高校生の生活様式はまるでちがっているということなのである。いろいろな対策を立てている“ゼーレの老人たち”には、じつは現代の子供や若者の生活がよくわかっていないかもしれない。厚生労働省は、文部科学省との連繋を密にし、現代の子供や若者たちの実態を最もよく知っている現場の先生たちの意見や疑問を吸い上げて活かすくらいのスタンスでいてほしいものである。逆に、現場の先生たちは、お上の言うことだからと鵜呑みにせず、自分たちの見識を臨機応変に感染症予防に活かしてほしいと思う。なんといっても、“いま・ここ”の子供たち、若者たちの生活をいちばんよく知っているのはあなたがたなのだし、その知識・見識は、机の前で“一般的”対策を考えている事務方たちの盲点になっていることなのかもしれないのだから。



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2009年5月19日 (火)

効率のよいインフルエンザの広めかた

 正直なところ、新型インフルエンザに罹るより、裁判員に感染するほうがおれは厭だな。

 新型インフルエンザは薬飲んで数日ウチで寝てりゃたいてい治るが、裁判員に罹ったら、運がよくて三日くらい、運が悪けりゃ数日も、慣れない裁判所に出かけてゆかねばならない。

 マジな話、裁判員や裁判官の中に新型インフルエンザの罹患者がいた場合、九人全員に感染するなんてこともありそうだ。同じメンツが、至近距離で、長時間、口角泡を飛ばして議論するんだろう? 延期したほうがよくない?



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なんでみんながみんなマスクしてるの?

 電車の中や駅でえらく大勢の人がマスクをしているので、ちょっとびっくり。インフルエンザに罹っている人や、その疑いのある人がマスクをするのはわかるが、いまのところそういう人はまだ少数派であって、なんでまたこんなにも大勢の人がマスクをしているのか、理解に苦しむ。おまじないみたいなもんか。

 インフルエンザウイルスの大きさは、だいたい100ナノメートルでこぼこだ。煙草の煙の粒子はでかいやつで1マイクロメートルくらいだそうだ。あなたが煙草の煙のでかいやつだとしたら、インフルエンザウイルスはだいたい十六、七センチの球だということになる。そこいらのコンビニやら薬局やらで手ごろな値段で売ってる“キャシャーンマスク”をしていれば、傍らで煙草を吸われても、まったく臭いもなにも感じませんか? そんなことあるか。予防という意味では、そこらの安いマスクなど、気休めにすぎない。そもそも、いくら立体的な成型をされているからといって、あんなものをナノメートル単位の隙間で顔面に密着させることなど不可能である。すでにインフルエンザに罹っている人がマスクをするのは、飛沫感染の確率を下げるという意味で大きな意味があるけれども、そのへんの手ごろなマスクでインフルエンザウイルスを漉し取ろうなどと考えるのは、サッカーゴールでビー玉を止めようとしているようなものである。本格的な医療用マスク(SARSのときに取り合いになったN95とかね)ででもないかぎり、あくまで気休めだ。まあ、電車の中とかの空気を直接吸い込みたくないという心理はわかるけどもねえ。

 猫も杓子もマスクをしている不気味な光景を見ていたら、ふとケッタイな考えが浮かんだ。サングラスをかけていればいくらかは防げるという感染症が流行ったら面白いだろうな、と。駅のホームで電車を待っているあなたがふとあたりを見まわすと、み~んながサングラスをかけているのである。想像するだに、かなり不気味な光景だ。

 若い女性だけに感染し、下半身裸でTフロントを履いていれば防げる怖ろしい病気とかが蔓延しないかなあ。



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2009年5月18日 (月)

抗ウイルス薬がインフルエンザを広めるかも?

 高校生の姪が、六月に韓国へ修学旅行に行く予定だったのだが、新型インフルエンザ発生のために修学旅行が延期になると同時に国内へと行き先が変わったそうだ。まあ、妥当な措置であろう。

 もっとも、新型インフルエンザといっても、いまのところ得られている情報では、罹った場合の怖ろしさは、ふつうの季節性インフルエンザとさほど変わらず、先進国在住のふだん健康な成人がさほど怖れるほどのものではないようだ。持病のある人、衰弱している人、老人、幼児、乳児などにとっては、たしかに脅威だが、それはべつにいままでのインフルエンザも同じである。もはや国内で人から人への感染が確認されている現段階に至っては、いっぺんに多数が発症して医療機関への負担が短期間に急激に増えないようにすることが最優先事項だろう。どんな対策を採っても、しょせん時間稼ぎにしかすぎないのだが、その時間稼ぎこそが最重要なのだ。各個人でできることはしよう。不要不急の移動を控える、大勢の人が集まるところへの不要不急の外出を控える、頻繁に手洗いをする程度のことしかない。

 マスコミはタミフルやリレンザなどのいわゆる“抗ウイルス薬”のストックや流通体制のことばかりを心配しているが、それはいかがなものかと思う。マスコミはもっと、タミフルやリレンザの作用機序をわかりやすく説明し、啓発を図るべきだと思う。

 おれはべつに学者じゃないから、医学の門外漢であることにかけては、そのへんの人に劣らぬ素人であるが、小難しい説明を根気よく読んで調べてゆくことは、多少は得意である。そんなおれ程度でも気にかかっているのは、多くの人が、“タミフルやリレンザは、インフルエンザウイルスの特効薬であって、ウイルスを死滅(というのは、そもそもあれが生物であるかどうか意見の分かれるところなので語弊があるが)させる薬”だと誤解しているという点である。

 タミフルやリレンザがどうして効くのか──というのは、素人のおれが各種情報から少なくとも理解している範囲ではこうだ。インフルエンザウイルスは、その殻(エンベロープ)の表面に、ヘマグルチニンという“細胞に取りつくための物質”を持っている。そいつで以て細胞にくっついたウイルスは、細胞内部に侵入し、細胞そのものが自己複製する仕組みの一部を乗っ取って、ウイルスを複製させる。工場に忍び込んだ犯罪者が、工場の設備を使って勝手にヘンなものを作るようなものだ。複製された新しいウイルスは、その感染した細胞から飛び出してゆくのだが、その際、そのままでは、最初に細胞にくっつくヘマグルチニンによって、また同じ細胞にくっついてしまう。ところがどっこい、そこはうまくしたもので、飛び出してゆこうとする新しいウイルスが、すでに感染している同じ細胞に再びくっついてしまった部分をぶった切る酵素をちゃんとウイルスは持っている。それがノイラミニダーゼというものである。こいつが働くから、複製されたウイルスは、感染した細胞を離れて、ほかの細胞をどんどん冒すべく、旅立ってゆけるのだ。すでにお気づきの方もあろうが、インフルエンザウイルスの型を示しているとかとかいうのは、くっつき物質・ヘマグルチニンと、ぶった切り酵素・ノイラミニダーゼの頭文字である。

 タミフルやリレンザは、新しく複製されたウイルスが感染細胞から飛び出してゆく際に、元の感染細胞に再びくっつくことを妨げるノイラミニダーゼの働きを阻害する薬(ノイラミニダーゼ阻害薬)である。だもんだから、タミフルやリレンザが働くと、インフルエンザウイルスは、感染細胞の中でせっかくコピーをいっぱい作っても、それを飛び出させることができなくなるわけだ。だから、これらの薬の効果があるのは、せいぜい四十八時間以内だとされるのである。すでに多くの細胞が感染してしまっている段階でこれらの薬を投与しても、インフルエンザの症状を緩和することはできない。あくまでインフルエンザウイルスの増殖プロセスを妨げる薬であって、インフルエンザウイルスの毒性を抑える薬ではないからである。

 だもんだから、タミフルやリレンザを早めに飲んでよくなったからといって、早々に人の集まるところへ出てゆくのはよくないと考えられる。自分の症状は悪化しなかったかもしれないが、他人にウイルスを移してしまう可能性はまだまだあるわけである。

 タミフルやリレンザは両刃の剣だ。早期にインフルエンザウイルスの増殖を抑え、症状の悪化を防ぐという点ではこれらの抗ウイルス薬は人類への福音だが、ウイルスを持っていて発症までしてしまった人を早期に動き回れるようにしてしまうという点では、感染を広める働きをしてしまいかねないとも言える。

 過去のアジアかぜ、香港かぜ、ソ連かぜなどのときには、そもそも抗ウイルス薬などは存在していなかったわけだから、今回の新型インフルエンザは、抗ウイルス薬の壮大な実験の機会とも言えよう。死者は減らすが感染は増やすかもしれないわけである。

 まあ、これからは国内でも新型が蔓延してゆくことになるのだろうが、抗ウイルス薬で早めに症状を抑えられた人も、ほかの人のために、多めに休んだほうがよいと思いますよ。「おれはタミフルのおかげでもう大丈夫だ。こんな不景気なときにおちおち何日も休んでられるか」という考えが、今回のインフルエンザを広める最大の要因になりそうな気がする。

 インフルエンザに罹ったときくらい、腹をくくって、ゆっくり休みましょうよ。



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2009年5月 5日 (火)

逮捕せんか~!

 と、日本中の人が大声でツッコんでいるのが聞こえるようだ。

愛知県警・守山署副署長が飲酒運転容疑 任意で取り調べ (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0505/NGY200905050001.html

 愛知県警は5日、守山署の小川直哉副署長(54)が同日未明、名古屋市守山区内で酒気帯び運転をしたとして、道交法違反容疑で任意で取り調べていると発表した。小川副署長は豊田署交通課長、県警交通安全教育推進室長を経て現職。県警によると、「何でこんなことをしてしまったかわからない。申し訳ない」と話しているという。
 監察官室の発表によると、小川副署長は同日午前2時ごろ、同区内の飲食店から自家用の乗用車を運転して署の駐車場に戻ってきたところ、署員が酒のにおいに気づき、飲酒運転がわかった。呼気中のアルコール濃度は、道交法の違反点数がより重い基準値(0.25ミリグラム/リットル)を超えていたという。
 小川副署長は4日午後6時半から5日午前0時まで、知人らと署の近くの飲食店で酒を飲み、徒歩で官舎に戻った後、1人で署の駐車場から車で再び飲食店に出かけて戻ってきたところだった。飲酒運転したのは、署と2軒目の飲食店の往復約3キロ。1軒目で焼酎の水割り3杯とビール2本を飲んだと話しているという。
 加藤僚首席監察官は「飲酒運転の絶無を期しているなか、警察幹部が飲酒運転をしたことについてはまことに申し訳なく思う。事実に基づき厳正に対処する」とのコメントを出した。

 昨今の警察の基準では、こういうのは現行犯逮捕して、ひと晩拘留し、尿検査したうえで家宅捜索するべきだろう。署員が目の前で見てて、呼気検査で違法な数値が出たんだろう? な~にが「任意で取り調べ」だ、ふざけるんじゃない。逮捕していないから、マスコミも“小川直哉容疑者”と呼ぶことができない。うまくしたもんだ。

 加藤僚首席監察官とやらは、「警察幹部が飲酒運転をしたこと」だけじゃなく、やたら身内に甘い警察の体質に関しても「まことに申し訳なく思う」べきだ。



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2009年4月30日 (木)

ブタをたっぷり食おうと思ってたのに

 そろそろ豚肉の値段が下がるにちがいない、この連休はブタを腹いっぱい食ってやろうと思っていたんだが、アテが外れた。いま近所のスーパーに買い出しに行ってみると、豚肉はいつもと変わらぬ値段で平然と売られていた。なんということだ。正しい知識がちゃんと広まってしまっているらしい。嘆かわしくも喜ばしい。

 先日、妹と電話で話したときには、妹宅周辺の店ではたしかに豚肉が値下がりしているという情報を得ていたのだが、地域差があるのか、単なる安売りだったのか? おれの住んでいるあたりは年寄りばっかりなので、いくら大丈夫だと報道されていても気味悪がる人も少なくないのではないかと推測していたのに、そうでもないようだ。あるいは、もはや人から人へ広く感染する段階になってしまっているので、乏しい情報で豚肉を食うのがなんとなく気味悪いなどと思っている段階を過ぎたのかもしれん。世間は意外と冷静なので、ちょっと安心した。

 あ、待てよ。ひょっとして、近所の年寄りたちは、まだ新型インフルエンザが発生したこと自体を知らないのかもしれないぞ。あ、あり得る……。もう少ししたら、ウチの近所でも豚肉の値が下がるかもな。下がったらいつもより多めに買い込んで腹いっぱい食ってやろう。



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2009年4月28日 (火)

もしおれがすでに狂っていたとしたらごめんなさい

 酒を飲んでいると、ふとわれに返ることがある。酔って“われに返る”というのも妙だが、正直、ほんとにそういう感じなのだ。ここ一、二か月を酔って冷静にふりかえってみると、冗談としか思えないようなことばかりが立て続けに起こる。ごちゃごちゃ言うからややこしくなるので、端的に箇条書きにしてみたとしようや──

  ・国が金をくれはじめた。
  ・政府が勝手に金を刷って配れば景気がよくなると、いろんな人が言っている。
  ・言っていたやつの一人は、置き引きで書類送検された。
  ・大臣がへべれけになって会見した。
  ・誰でもやってるようなことで最大野党代表の秘書がいきなり逮捕された。
  ・隣国がミサイルを撃ってくると大騒ぎした。
  ・二十四年前に川に投げ込まれて以来行方不明だったおじさんが戻ってきた。
  ・アイドルが酔って脱いで騒いで逮捕され家宅捜索された。ミサイルと同じくらい騒いだ。
  ・怖い病気が世界的に流行しそうになっているらしい。

 なんだか、怖ろしく支離滅裂で現実感がない。上の箇条書きを、「二〇〇九年のようすだよ」と、タイムマシンで二十年前のおれに見せてやったら、過去のおれはきっとのたうちまわって大爆笑することだろう。まるで、ドタバタ時代の筒井康隆ワールドにいるかのようだ。明日、「巨大なナスが降ってきて国会議事堂を押し潰した」というニュースを聞いたとしても、おれはたぶん「へー」と言ってそのまま屁ぇこいて寝そうで、その鈍磨した感覚がなにやら妙にわれながら怖ろしい。ひょっとすると、おれは知らないうちに気が狂ってしまっているのではなかろうか?

 そうだ。こんなときこそ、おれたちは“ちりめんじゃこの中に入っている小さなタコ”を探さねばならない。見つからないかもしれないが、少なくとも、タコを探しているあいだは正気に戻れると思うのだ。あまりにシンプルすぎて、ともすると忘れそうになるが、ちりめんじゃこの中に入っている小さなタコを探すことでのみ、人間は正気を保てるのだという、静かで、しかし深い確信がおれにはある。



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2009年4月27日 (月)

栄養のあるものをちゃんと食って、体力を温存しておこう

豚インフル「国際的な緊急事態」 警告レベルは維持 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0426/TKY200904260130.html

 【ジュネーブ=国末憲人、ワシントン=勝田敏彦】メキシコと米国での豚インフルエンザ感染を受け、世界保健機関(WHO)は25日開いた緊急委員会で、「国際的に懸念される緊急事態」だと認定し、各国に警戒を呼びかけた。ただし、感染警告レベルを引き上げる決定は先送りした。一方、米ニューヨーク市やニュージーランドなどでも新たに感染を疑わせる例が報じられ、事態は地理的に飛び火する様相を呈しつつある。
 WHOの発表によると、緊急委員会は、現状は疑問点がなお多いとしながらも、感染症阻止のための国際法上の枠組み「国際保健規則」に基づく「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」だとの点で一致。WHOのチャン事務局長はそれを受けて今回の状況を緊急事態と認定するとともに「インフルエンザ様疾患や重い肺炎が、通常みられないような形で発生していないか、すべての国は監視を強化して欲しい」と要請した。
 だが緊急委員会は、現在の警告レベルを引き上げる議論については「さらに情報が必要だ」と、決定を保留した。警告レベルは6段階分類で、現在は、下から3番目の「人から人への感染がないか、極めて限定的」なフェーズ3。これを「人から人への感染が明らか」というフェーズ4に引き上げるかが問題だった。

(中略)

 また、米疾病対策センター(CDC)が25日、感染者を新たに3人確認し、米国内での感染確認は計11人になった。ニューヨーク市東部クイーンズ地区の私立高校で生徒約100人がインフルエンザに似た症状を訴え、そのうち8人が、検査でA型インフルエンザの陽性反応が出て、豚インフルエンザに感染した疑いがあることもわかった。
 ニューヨーク・タイムズ紙によると、生徒の一部は最近、メキシコに旅行していたとの情報がある。検出されたウイルスは、既知のヒト型と違うタイプだという。
 ただし、米国での感染または疑いがある例はいずれも比較的、症状は軽い。豚と接触した形跡はなく「人から人」感染が起きた可能性が高い。

 ついに来たか。いや、まだ確たる情報は少ないが、WHOが警告レベルを上げようが下げようが、それは多分に政治的要素を含んだ問題であって、われわれ一般市民は、すでに人から人への感染が起きていることを想定して行動すべきだろう。現にそう疑わざるを得ない情報も出ている。しかし、こんなもん、個々人ではどうしようもない。せいぜい、人ごみには極力出ないようにし、万一感染しても命にかかわらないように、体力を激しく消耗するような行為を控える程度のことしかできない。このグローバル時代、飛行機で世界中を人間が行き来している。よほどうまくやらなければ、水際で止めることは難しかろう。止められるに越したことはないが、おれはそれほど日本の防疫体制を信用していない。不必要に怖がらず、不必要に侮らない、腹をくくった冷静な態度が一般市民にも求められよう。

 それにしても、なんという厭らしいタイミングだ。日本はこれからゴールデンウィークなのである。さすがにメキシコ旅行を予定していた人は、よほどの豪傑でないかぎりキャンセルするだろうが(そりゃあ、かねてから予定を立てて指折り楽しみにしていた人の気持ちはわかるが、ここは涙を呑んで、日本のためにキャンセルする勇気と分別を持ってほしい)、アメリカやニュージーランドくらいであれば、まあ、大丈夫だろうと行く人も多いにちがいない。日本政府だってアホではない。それなりの準備はしてきているはずだが、ゴールデンウィークにもろに当たるという想定はしていたのだろうか? まあ、どの国へいつ行こうが自由だが、ことのなりゆきがある程度見えるまでは、不要不急の海外旅行は控えたほうが身のため、というか、いろんな人のためだと思うね。

 おれはどのみち海外旅行はおろか国内旅行すら予定していないが、しばらくは、極力、人ごみの中には出ないようにしようと思う。アジアかぜ(1957年)、香港かぜ(1968年)、ソ連かぜ(1977年)の時代とは、地球規模での人間のトラフィックが全然ちがう。大阪には国際線の空港がある。京都なんてすぐ隣だ。世界的な観光地がある。京都在住で大阪に仕事に通っているおれには、遠くの話ではない。洒落にならない。明日、いや、今日は会社に行かなくちゃならないのだ。

 ゴールデンウィークは極力外に出ないようにして、もしものときのために体力を温存するようにするぞ。感染したって、死ななきゃいいのだ。もっとも、そのようなゴールデンウィークを過ごすのは、おれの場合、今年にかぎったこっちゃなく、ほぼ毎年のことなのだがな。いやまあ、他人におれのような連休スタイルを強要するつもりはないが、今年ばかりは、大事を取ったほうがいいと思いますよ。ゴールデンウィークは、栄養のある食いものをたっぷり買い込み家に閉じこもって、読書とDVDとネット三昧ってのはどうですか? それはそれで楽しいすよ。豚とかたっぷり食ってさ。ちゃんと熱を通して調理すれば、豚食ったからって感染するなんてことはまずありません。



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2009年4月25日 (土)

おれはすげー犯罪者であるかのような気がしてきた……

 いやあ、しかし怖ろしいよなあ。公然わいせつの疑いで家宅捜索などという世にも珍しい話をごく最近聞いた。疑いもなにも、草なぎ(「なぎ」は弓へんに剪)クンの場合は、現行犯なんだろう?

 仮におれがなにかをしでかして、XXXXの疑いで家宅捜索された場合、おおよそあらゆる罪に結びつけられそうな証拠物件が押収されることであろう。てゆーか、こんなブログを読んでるあなたの家もそうでしょう、きっと。



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2009年4月24日 (金)

鳩山大臣、なにもそこまで言わんでも

草なぎ容疑者を鳩山総務相「最低の人間」 地デジめぐり (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0423/TKY200904230109.html

 「地上デジタル放送推進メインキャラクター」を務める草なぎ(弓へんに剪)容疑者の逮捕に、地デジ担当の鳩山総務相は23日昼、国会内で記者団に「事実だとすればめちゃくちゃな怒りを感じる。だいたい総務省は何でそんなのをイメージキャラクターに選んだんだということにもなる。最低の人間としか思えない」と憤ったうえで、「地デジ関係の色々なものは全部取り換える」と述べた。草なぎ容疑者が写ったポスターなどは回収を指示する考えで、イメージキャラクターの差し替えも含め検討する。

 いやいや、スターにはなりたくないもんだね。ひどい言われようだ。酔って脱いで騒いだ程度のことで、一国の大臣に「最低の人間」呼ばわりされるんだから、たいへんな商売だ。江頭2:50だったら、スポーツ紙に面白おかしく書かれておしまいだろう。一般紙なら三面記事だ。ちょっと叩きすぎじゃないの?

 おれも四十六年以上生きてりゃ、酒で失敗したことも何度かあるわさ。酔っ払いに甘い日本の風潮を、よろしくないことだとも思っているし、自戒もしている。だけどなあ、つい昨日まで、総務省のために宣伝にこれ努めていたタレントではないか。そもそも、あんたらが選んだんだろう? “身体検査”とやらをちゃんとしなかったことを恥じるという気持ちはないのか。お怒りはごもっともであるが、大臣が自分たちが選んだ一タレントにここまで言うのはいかがなものか。友だちの友だちはテロリストなのに、軽犯罪にはやたら厳しいんだな。草なぎ(「なぎ」は弓へんに剪)だって、腰痛の薬や風邪薬を飲んでいたせいで酒がやたら回ってしまったのかもしれないではないか。

 法治国家の法務大臣として責務を厳粛に背負って死刑を粛々を執行した件(あれは朝日新聞が阿呆である)とか、かんぽの宿の件とかでは、おれは鳩山邦夫という人を高く評価している。が、どうも、この人、言うことやることにえらくムラがある。隙が多い。アルカイダの件とか、中央郵便局の件とかでは、「なに頓珍漢なこと言うとんねん、このおっさん?」と首を傾げたものだ。あんまりムラが大きいと、よい業績のほうも、「たまたまの思いつきか、まぐれじゃないのか」と思われてしまうぞ。そのうち、でかい地雷を踏まなければいいがな。

 とはいえ、鳩山大臣のようにボロクソに言う気にこそなれないが、稲垣クンの事件のときに自分たちが社会的にどういう存在であるかということを、草なぎ(「なぎ」は弓へんに剪)も思い知っていたはずだ。自分の酒量もよくわからない二十代前半の若僧ならともかく、ちょっと言いわけできない歳ではあるよね。まあ、人殺したわけでもなし、大麻吸ってたわけでもなし、ちょっと笑える情けない犯罪であった点が、救いっちゃ救いですが。

 以後、気をつけよう、草なぎ(「なぎ」は弓へんに剪)。授業料は高いけどね。数か月の謹慎ということになりましょうが、復帰第一弾の仕事は対談で決まりだ。いまから、中川昭一氏のスケジュールを押さえておくように。ま、五、六年経ちゃ、これをネタに笑いを取れるくらいになるわさ。



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2009年4月23日 (木)

おれを裁判員に選んだって知~らないぞ、知らないぞ

 裁判員制度の開始まで一か月を切ったということで、またもやにわかにいよいよ是非の論議が盛り上がっているみたいだが、是非もへったくれも、もうやることになっちゃったんだから、どうしようもないわな。さいわい、おれのところにはまだ赤紙(?)は来てない。というか、来ても言っちゃダメなんだっけ。来てないと言うのはいいんだろ?

 「私は法律の知識なんかないし、裁判員なんかにさせられても……」といったコメントをする人がけっこう多いのだが、そりゃ、みんなそうだわさ。法律にめちゃめちゃ詳しかったら、弁護士やら検事やらになってるよ。国がパンピーの常識と良識で判断しろと言っているのだから、法律の知識に乏しいことをこちとらが負い目に思う必要などない。無知な私のせいで罪もない人が重罰を課せられたらどうしよう──などと思うところが、よくも悪くも真面目な日本人だなあと思う。ふつう、無能なやつを採用したり抜擢したりしてろくな結果にならなかった場合、無能なやつが悪いのではなくて、そいつを採用したり抜擢したりしたほうが悪いのである。おれを裁判員などにしてしまった場合、どんなことになろうと、それはおれを選んだやつが悪い──と、割り切って考えられないのが、お人よしの日本人のいいところでもあるし、悪いところでもあるのだよなあ。だけど、裁判員に選ばれちゃった人は、「おれが他人の人生を、ことによると、生死を左右するのだ」などと、根を詰めて悩みすぎると、心身症になっちゃうよ。ある意味、おれたちは、ごくふつうに生きていても、その一挙手一投足が、他人の人生を左右しているのだ。考えすぎると、「生まれてすみません」状態になってしまう。「生まれてすみません」よりは、「生きてるだけで丸儲け」((C)明石家さんま)と思って生きてるほうが、人生なんぼかましだと思うよ。

 「経営陣がボンクラだから、おれたちがしっかりしなきゃ、お客さんに迷惑がかかる。おれたちが会社を支えているのだ」などと、自分に給料以上の使命感を課して身体壊しちゃう人とか、極端な場合は、過労死しちゃう人とかが少なからず出るのも、愛すべき日本人のいいところでもあり、悪いところでもあるよね。「当座はおれしかいないが、そんなもん、いざとなりゃ、べつにおれの代わりなんていくらでもいる」くらいに考えて、死なない程度に働くのがしあわせなんじゃなかろうか。なにしろ、経営陣の代わりだっていくらでもいるし、仮にあなたの勤め先が潰れたって、代わりはいくらでも出てくるのだ。あなたが公務員だってそうである。だけど、息子・娘としてのあなた、夫・妻としてのあなた、父親・母親としてのあなたの代わりはどこにもいない。優先順位の付けかたはおのずとあきらかであろう。

 おっと、裁判員制度の話からちょっと逸れたな。であるからして、おれは裁判員になんぞなりたくもないが、選ばれちまったら、それはそれでいたしかたないと思っている。選ばれちまったら、「おれが正義だ」くらいの心持ちで臨むつもりだ。たまたまおれの正義に合致する立法主旨の法律があればけっこうなことだし、おれの正義に反する法律があるのだとしたら、それは法律のほうがまちがっているのだと裁判員たるおれは思ってよいのだ。文句あるか。

 それはそうと、ミステリ作家の方々にとっては、この裁判員制度、けっこうおいしいかもしれないよね。裁判員全員が共謀する『裁判員制度殺人事件』なんてのは、誰でも思いつきそうだから早いもん勝ちだ。生まれてこのかた小さな村から一度も出たことのない老婆が裁判員に選ばれ町に出てゆくのだが、彼女にはじつはとてつもない推理の才能があって、本職の法律家をも唸らせる冴えた論理で裁判員たちをことごとく納得させ、誰も想像だにしなかった真相を暴く──な~んて話も出てきそうだ。じつは、偶然にも真犯人は裁判員の中にいた──なんてのも面白そうだな。人間の心理を手玉に取る才能に恵まれているやつが裁判員の中にいて、どう考えても無実の人間を、そいつの弁舌と手練手管で死刑に追い込む“触媒殺人”なんてのもアリかもしれない。う~む、アガサ・クリスティは偉大だねえ。

 なに? 不謹慎だ? だーかーらー、なにもあなたが全宇宙を背負うことなどありませんって。あなたがどんなにいいかげんでもボンクラでも一般常識程度の法律を知らなくても、それは選んだやつが悪いんだから。



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2009年4月13日 (月)

♪Radio, someone still loves you!

ラジオの電リク今や昔…メールに押され電話窓口次々廃止 (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/update/0411/OSK200904110015.html

 関西のラジオ番組でこの春、リスナー向けの電話窓口が相次いで廃止された。メールやファクスでのアクセスに押され、電話利用が減っていた事情もあって、番組改編や経費削減の波にのまれた。かつて隆盛を誇った音楽番組の電話リクエストも消えつつある。年配のファンからは、一時代の終わりを惜しむ声が絶えない。
 朝日放送(ABC、大阪市福島区)の看板番組「おはようパーソナリティ道上洋三です」(平日早朝)が、リスナー投稿用の電話窓口を廃止したのは今月3日。オペレーター10人が電話応対し、聞き取った内容をアシスタントディレクター(AD)が選んでプロデューサーに伝えていたが、メールなどに比べて手間がかかる、との理由だった。
 同局では、ほかの2番組の電話窓口も同時期にやめた。編成制作部の担当者は「ここ数年、通信手段の選択肢が増えて投稿数が伸びる半面、スタッフの数は減るばかり。番組進行の効率を考えた」。3月末に窓口廃止を告知した際、「寂しい」などの声が10件ほど寄せられたという。
 毎朝のように電話してきた高齢男性から「長い間いろんなこと言うて悪かったなあ。話を聞いてもらうのが楽しみやった」と言われ、涙が出た――。そんな話を電話窓口終了後、オペレーターの送別会で聞かされたという道上洋三・エグゼクティブ・アナウンサー(66)は「電話は多くの人の力を積み重ねてリスナーの思いを受け止めてきた」と振り返る。「かかった人の数だけ思いが詰め込まれ、マイクの前に届いていた。その思いを今後は少ない人間で感じていかなければならない」

(中略)

 そんな電リクも東京では健在だ。ニッポン放送(千代田区)は今月5日、「デジタルにはない臨場感がある」として、日曜朝の音楽番組で、長年途絶えていた電リクを復活させた。初回は電話が殺到したという。文化放送(港区)の編成部担当者は「電話はリスナーの生の声を聞ける重要なツール。ニーズはなくならない」。同局は音楽番組やトーク番組など複数の番組で電話窓口を維持している。(宮崎園子)

 うーむ。時代の流れと不況の波が重なった結果、いま、こういうことになったんだろうなあ。

 おれはラジオに葉書を書いていたころはあるが、電話をしたことはないもんだから、リスナーとオペレーターのコミュニケーションというのがどういうものなのかはいまひとつ実感を伴ってはわからないのだけれども、「長い間いろんなこと言うて悪かったなあ。話を聞いてもらうのが楽しみやった」というのは、ちょっと泣かせる話だよね。

 以前、職場で、電話通販でお茶を売っている会社のシステムを担当していたSEから聞いた話だが、お年寄りの客には、ほんとうにオペレーターとただただ話がしたくて電話をかけてくる人が少なからずいて、通販会社としては痛し痒しなのだという。ラジオの電話リクエスト窓口にかけてくる人にも、きっとそんな寂しいお年寄りがいて、孫のようなオペレーターに「いろんなこと言うて」やるのがじつは楽しみだったりしたんだろうな。

 電波のラジオというものを最近すっかり聴かなくなってしまい、ラジオは専らポッドキャストで配信されているものばかりを聴いているおれではあるが(そういう意味では、以前よりずっとラジオを聴くようになったくらいだ)、かつてのラジオ少年としては、たしかにまた一時代が終わったようで、そこはかとない寂しさを感じますなあ。その一時代を終わらせしめるほうの勢力に、おのれが紛れもなく加担しているとしてもだ。

 そうそう、ラジオといえば、前から気になっていたのだ。おれの小中学生、高校生のころは、ラジオに投稿するときの変名を、アナウンサーも番組パーソナリティーもリスナーたちも、みな「ペンネーム」と言っていたものであるが、いつのまにか、アレを「ラジオネーム」などと呼ぶのが一般的になってしまっている。おれがラジオを全然聴いていない時期に変化があったようなんだが、どうして変わったんだろうね? おれはどうも人間が古いのか、いまだに「ラジオネーム」って言葉にちょっと引っかかりを感じる。「ペンネーム」じゃいけない理由でも生じたんだろうか? べつに文筆活動じゃないからとかいう理由なんだろうか? そうかあ? そりゃ、一見さんならともかく、これには原稿料を出すべきだと思わせるような力作をしょっちゅうラジオに投稿している、投稿の鬼みたいな人とかもいるしなあ。

 かといって、テレビで匿名希望で変名を使っている葉書が読まれているときに、「テレビネーム」なんて言葉を使っているのは聞いたことないんだよな。げに不思議な言葉、「ラジオネーム」。



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2009年3月24日 (火)

♪AEDを持ってても、それだけじゃ困ります

松村邦洋のマラソン心肺停止 体重100キロは走れる体か (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/03/23038092.html

東京マラソンで一時心肺停止状態になったお笑いタレントの松村邦洋さん(41)。デブキャラで知られ、かねてより参加を危惧する声が出ていた。やはりチャレンジは無謀だったのだろうか。

(中略)

太田プロの担当マネージャーによると、プロフィールとは違って、松村さんは、マラソントレーニングをしているここ2年は体重100キロ台をキープ。東京マラソンの22日は、102キロ弱だったという。

 まあ、なんちゅうか、この人は仕事を断れんタイプなんじゃないかと思うよねえ。律儀っちゃ律儀な人なんだろう。でもなあ、四十も超えて、誰がどう見たって立派な“電波中年”なんだから、むちゃはいかんよ。本人も自分の体力を過信していたのかもしれんが、むちゃを容認する周囲も周囲だ。事務所にしてみれば、大事な商品なんだろう? それに、松村邦洋は、たいした藝もなく身体を張るだけのにぎやかし芸人とはちがう。余人を以て代え難い藝をちゃんと持っている。事務所はもっと商品を大事にせにゃ。「ここ2年は体重100キロ台をキープ」って書きかたがまた、狙ってますな、この記事。まあ、事実としてそうなんだったら、そりゃキープはキープだが、ふつうの人はそういうのを“キープ”などとは表現せんわい。おれなら、小柄な女性を背負って走ってるようなもんだ。

 多くのメディアが、「心肺停止したが、命に別状はない」などとシレっと書いてるけど、おいおい、AEDで蘇生させにゃならんかったなんてのは、どえらいことだぜ。関西人には、ちょっと面白くない人が多いことだろう。「ウチの大事な探偵になにをさせるか!」という気分だ。べつにおれは朝日放送の回し者じゃないけれども、松村邦洋はもはや『探偵!ナイトスクープ』になくてはならん貴重な人材である。つまらんことで殺してくれるな。たしかに『探偵!ナイトスクープ』だってむちゃはさせるが、アレはアホなむちゃであって、こういうむちゃはさせん。太田プロにだって、体重六、七十キロくらいの人はたくさんいると思うが、そういう人たち、あんた、仕事だからって走れるか? 本人がいくら走りたい、走れると言ったとしても、インテンシヴな競技者でもない体重百キロの人間が走って大丈夫だと思うか?

 「五輪メダリストの有森裕子さんらも育てた指導者の下で練習しており」って、あのなー、その指導者は百キロ超のマラソン選手を育てたことがあるとでも言うのか? たぶん、その指導者にとっても“想定外”だと思うがなあ。

 お祭り気分で芸能人やら局アナやらが参加する(させられる)のも、そりゃ当人たちも商売だろうから、一概に悪いとは言えないが、マラソンってのは危険なスポーツ(というか、スポーツというのはたいていは危険で、やりすぎると健康に悪い)だということを、主催者側ももうちょっと出場者たち(や、その周囲)に自覚させたほうがいいんじゃないかと思う。でないと、AEDのお世話になる人々がたびたび出てるんなら、そのうち人死にが出るぜ。

 都は、「万一死んでも文句は言いません」という誓約書でも取っておいてはどうだろう? 医者が手術の前に取る waver みたいなもんだ。そうすれば、都の訴訟リスク管理にもなり、参加者たちにも、遊び半分じゃいかんという自覚と覚悟を促すことができて一石二鳥ではないかと思うのだがどうか。



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2009年3月19日 (木)

ランチパックの耳はどこへ行ったのだろう?

 前から気になっていたのだが、ほれ、「ランチパック」山崎製パン)ってやつがありますわな。あれって、どうやって作ってるんだろうね?

 なにが気になるかというと、あれを作る過程で出るはずの“パンの耳”はどうしているのかという点である。

 ランチパックの大きさはビミョーだ。ふつうの食パンから、ランチパックの大きさの白い部分が二区画取れるとは思えない。きっと、ふつうのよりも断面積の大きい食パンを特別に作って、そこから一気に機械で四区画なり九区画なり十六区画なりを打ち抜いているのだと思うのだな。だとすると、ふつうの食パンの耳よりもはるかに巨大な“枠”だけが残るはずである。それをいったいどうしているのだろう?

 いや、なにしろ、おれたちの世代は、食パンの白いところだけを食うなどという神をも畏れぬ所業に激しい心理的抵抗がある。給食の残りの食パンの耳を家に持ち帰り油で揚げてもらって、砂糖をまぶした菓子にして食っていた世代なのである。駅弁を食うときには、まず蓋の裏にこびりついた米粒を、ひと粒ひと粒、箸でつまみ取って食ってからでないと本体に取りかかれない世代である。米粒をひと粒でも無駄にしたら目が潰れるとお婆ちゃんに叩き込まれて育った世代である。なんの、みみちいとも、さもしいとも微塵も思わない。いまこの時代になって、お婆ちゃんは正しかった、おれたちはなんと先進的で未来的なしつけを受けたものかと、この歳になって改めてお婆ちゃんに感謝しておる。

 だもんだから、ランチパックの耳はいったいどこへ行っているのか、たいへん気になるのである。まさか捨ててはおるまいな。家畜の飼料とかにしているのだろうか?

 むかしは、カステラの裁ち屑だけを袋に詰めてパン屋などで安くで売っていたもので、あれはけっこううまかった。というか、味はちゃんとしたカステラと変わらん(あたりまえだ)。筒井康隆だって、貧乏なころはあれを食っていた(こんなものを食っていてはいかんと、のちにやめたそうだが、もったいない、お得なのに)。最近だと、形が崩れただけにすぎないタラコを、切れ子とかバラ子とか称して割安で売っていますわな。料亭じゃあるまいし、なにも美しいタラコを家庭で食う必要などない。賢い主婦は、バラ子をうまく料理に使っているだろう。そうよ、そのほうが合理的だ。時代の最先端である。

 山崎製パンに於かれては、「これはランチパックの耳を使って作りました」という商品をぜひ企画していただきたい。いや、本気で言ってるのだよ。売れると思うぜ。そういうのが安くであったら、おれは買う。

 じつを言うと、たまにランチパックを買って食うと、なんだかとてつもない贅沢をしているような気がして、うしろめたく落ち着かない。こりゃもう、そういうふうに育っているのだからしかたがない。せめて、ランチパックの耳を使った商品がちゃんとあれば、「ああ、べつにどこも無駄にはなっていないのだな」と安心してランチパックを食うことができると思うのだ。いやまあ、そういうものがあればあったで、耳のほうの商品ばかり買うかもしれないが……。

 戦争を経験した人々は、そろそろ人生の終盤にさしかかり、減ってゆきつつある。団塊の連中も、早晩死んでゆくだろう。日本が貧しかったころの名残を実体験として知っている最後の世代として、おれたち昭和三十年代から四十年代前半生まれあたりの連中は、近い将来、頑固爺い、頑固婆あになって、伝えるべきことを次代に伝えておかねばならない。

 米粒を残すと目が潰れる──なんとすばらしい、二十一世紀的な価値観であろうか! いやじつはおれも子供のころは、「なにをバカな、戦時中じゃあるまいし、みみっちい」と大人をバカにしていたものなのである。しかし、二十一世紀になって、改めて思う。食べものを無駄にしない。ものを大切にする。なにがみみっちいものか。じつに科学的、合理的な価値観ではないか。

 いま、身のまわりを見てみろ。とくに大金持ちでもない、ごくふつうの家庭に、カラーテレビ(下手すると地デジ対応)がある、エアコンがある、電子レンジがある、パソコンがある、携帯電話がある、ハードディスクレコーダがある、携帯音楽プレイヤーがある、デジタルカメラがある……百年に一度の経済危機だとかなんとか言いながら、おれたちの子供のころに比べれば、夢のように豊かな、SFのような暮らしをおれたちは享受している。だからこそ、おれたちは、「米粒を残すと目が潰れる」というすばらしい価値観の片鱗をでも、下の世代に残してゆかねばならないのだ。

 使わにゃ損そんとばかりに、自分たちの未来から際限なく借金をしてクレジットカードで現在の贅沢な生活を膨れ上がらせるバカなアメリカ人のようになってはならない。公的資金の注入で首の皮一枚のところで助けられておいて、社員に(ばかりか、元社員にまで)ボーナスを出そうなどという、恥知らずで意地汚い企業が成り立つような社会にしてはならない。アメリカのバカどもには、おれたちまっとうな日本人が、“分相応”という日本語を“もったいない”と共に教えてやらねばなるまい。

 カステラの裁ち屑がごちそうで、クジラのベーコン(は、いまでこそ高級食材だが、むかしは屑肉)ばかり食わされて育ったおれたちに、少々の不況だからといって、なにも怖いものなどあるか。どれだけ落ちても、おれたちの子供のころよりは、ずっと豊かだ。ざまをみろ。どわははははははは。

 それにしても、ランチパックの耳がどこへ行ったのかは、あの少年の夏の日、風に飛ばされて谷底に落ちていった麦藁帽子がどこへ行ってしまったのかと同じくらい、気になりませんか? ♪まま~、どぅゆ~りめんば~



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2009年1月12日 (月)

臨界に達した連鎖反応拡大中の「相対性理論」

 げげげ。このブログに検索エンジンからやってくる人が用いた「検索フレーズランキング」(左ペインの下のほうに出してる)だが、なんと「相対性理論」6位に上がってきている。日本語を使っている人たちが突然物理学に関心を抱きはじめたとはちょっと考えにくいから、こりゃやっぱり、前エントリーで激賞したバンドの相対性理論を、日本語使用者が世界のあちこちで猛然と検索してるんでしょうなあ。

 しかし、この勢いはすごい。ほとんど社会現象になりつつあるのではないか。今回の『ハイファイ新書』のブレークで、「特殊相対性理論が一般相対性理論になった」な~んてことを言う人が、きっとうようよいるのにちがいない。あ、あなたもうどっかに書きましたか? みんな思いつくネタだと思うよ、これ。この調子では、「量子論」とか「超紐理論」とか「大統一理論」とか「万物理論」とかいうアマチュアバンドがあちこちに出現しそうだ。「万物理論」ってのはバンド名としてはけっこういいかもしれんが、よほど天才的な実力がないと絶対名前負けすると思う。

 きっといまごろ、日本中のマーケターが、このあまりにも象徴的で面白い現象を固唾を呑んで見守っていることだろう。巨額の費用を投じてテレビCMをばんばん打っても売れないレコード会社は、「え? なんで? なんで? なんでじゃーー!?」と目を白黒させているにちがいない。だってあなた、テレビのCMなんて、もはやハードディスクレコーダ使ってる人は、自動手動を問わず、みんな跳ばしちゃうでしょ、ふつう。アマゾンや iTunes Store のパーソナライズされたレコメンデーションはしばしばちゃんと見るけどね。広告主の方々は、なけなしの広告費をどこにどう使うべきか、消費者の立場で考え直しましょう。テレビ局に代表されるマスメディアの方々は、媒体屋とコンテンツ屋は本来まるで異なる商売なのだというあたりまえのことにとっとと目覚め、認可事業の既得権ビジネスモデルにいつまでもしがみついていないで自分から先手を打ってそれを破壊し、どうやったら生き残れるかを考え直しましょう。

 それにしても、ウチの「検索フレーズランキング」のベスト10入りしている人名・グループ名が、おれの名前はさておくとして、「武梨えり」「タモリ」「稲垣早希」「鳥居みゆき」「相対性理論」って、なんか、そこはかとなく読者層のカラーが見えるよなあ。まあ、なんちゅうか、友だちが多くて困るというタイプの人たちではけっしてなさそうな気がする(笑)。



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2009年1月 8日 (木)

なるほど、新聞社はSIerであったか……

新聞記者は会社官僚制の中で埋没 だから新しいニーズを掬えない (連載「新聞崩壊」第9回/新聞研究者・林香里さんに聞く) (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/01/07032978.html

 トヨタのニュースであれば「トヨタを取材する」正当性(大義名分)の元に取材ができるし、麻生内閣も「支持率が落ちた」となれば、それだけで正当性ができて、すぐに取材ができる。記者クラブもある。ですが、まったく新しいニーズというのは、会社の中では「何故それが大事か」を、まず説明しないといけない。新聞社自体が大きな官僚機構ですから。そうなると、初動にすごいエネルギーが必要になります。多くの記者は、「認められないネタは、やらない方がいい」と、危ない橋を渡らなくなってしまう。外から見ていると、そういう悪循環のシステムができあがってしまったように思えますね。記者一人一人の責任や能力の問題というよりは、記者が巨大システムの中で埋没してしまって自分の意志をもてなくなっている。みんな忙しくて、目先のことに囚われてしまっている。いまはある意味で日本全体がそんな状態かもしれません。でも、記者という仕事は、必ず心のどこかに「余白」を残しておかないと、他人の痛みを感じ取ることができないのではないでしょうか。記者が会社員と違うのは、そういう種類の感受性を要求される仕事だということもあると思います。

(中略)

 どの世界にも最低限の知識やスキルは必要ですが、新聞社の場合、ジェネラリストが多すぎるのではないでしょうか。記者さんと仲良くなって「一緒に問題考えようよ」って思っても、2-3年経つとすぐに異動してしまう。もちろん、定期的にローテーションする人がいてもいいとは思うんですけど、情報を扱う企業としては、専門性にも配慮した方がいいですよね。「いまの時代、どんな読み物にもしっかりとした専門性がないと、なんかつまんないですよね。

 なーるほど、そうか。要するに、新聞業界の抱えている問題というのは、ソフトウェア業界(とくに、いわゆる「SIer」)の抱えている問題とまったく同じであったわけかあ……。林香里氏の見識によって、こういうパースペクティブを得られたのは、個人的にはちょっと得した気分である。

 林氏には、ぜひJISAIPAJIPDECの偉いさんを相手に対談でもしていただきたい。偉いさんたちには林氏の言っていることが全然ピンと来ないのに、林氏には「ブルータス、おまえもか!」と、畑ちがいの業界のことが手に取るようにビンビン理解できるかもしれない。

 そのうち、新聞業界でも、『優秀な記者は「入社時のスキルを問わない会社」には就職してはいけない』『優秀なエンジニアは「入社時のスキルを問わない会社」には就職してはいけない』参照)なんてことを、遠慮なく書く人が現れるかもな。というか、すでに誰かが書いてるかもなあ。

 『ですが、まったく新しいニーズというのは、会社の中では「何故それが大事か」を、まず説明しないといけない。新聞社自体が大きな官僚機構ですから。そうなると、初動にすごいエネルギーが必要になります。多くの記者は、「認められないネタは、やらない方がいい」と、危ない橋を渡らなくなってしまう』か……。鋭いねえ。この人、会社勤めをしたことはないはずなんだが、さすが研究者、外から観察しているがゆえの岡目八目というのはたしかにある。まあ、大学にだって、同じようなことはあるのかもしれないけどね。このご指摘、中堅規模以上の会社員であれば、どの業界の方でも、ぶんぶん音を立てて首を縦に振ることだろう。鋭い経営者にさえ理解させれば、「よし、行け!」と、いっせいにベクトルが揃う優れた中小企業のほうが、中途半端に大きい会社よりも、激動のいまの時代には、フットワークが軽くてずっと有利なのかもしれないよ。

 『でも、記者という仕事は、必ず心のどこかに「余白」を残しておかないと、他人の痛みを感じ取ることができないのではないでしょうか』――なるほど、「他人の痛み」を「顧客のニーズ」「社会のニーズ」と読み替えれば、これはまさに Google の二〇パーセントルールのことを言っているのだな。まあ、ふつうの会社じゃ、ニ〇パーセントは到底無理だ。せいぜい五パーセントだろう。

 だが、このなけなしの五パーセントがあるかないかは、決定的に大きな差となる。社員に“余白”をまったく持たせないような使いかたをしている会社は、今日の飯はさしあたり食えても、明日、あさってになにをしたらよいのかがさっぱりわからなくなるからだ。ひたすら、モグラ叩きのように、今日、今日、今日、今日、今日の飯の種だけに忙殺される。それはすなわち、放送禁止用語ではあるが、会社ごと日雇い人夫になっているのと同じなのである。



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2008年12月21日 (日)

こんな人でも、自分の居場所がわからない

「居場所みつけるのに苦労」 小林さんノーベル賞祝賀会 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/1220/TKY200812200162.html

 小林誠・高エネルギー加速器研究機構名誉教授のノーベル物理学賞受賞を祝う会が20日、東京都内で開かれた。同機構や日本学術振興会が中心となって呼びかけ、小柴昌俊・東京大特別栄誉教授や塩谷文部科学相ら約200人が集まった。
 小林さんは「授賞式を終えたが、いまだに、これが我が身に起こっていることだと信じられない。急に人前に引き出されて、居場所をみつけるのに苦労している」とあいさつ。「数カ月前までの自分と何も変わらないのに、周りだけが変わってしまった」と感想を語った。

 さすがノーベル賞受賞者だけあって、渋いことをおっしゃるね。「居場所をみつけるのに苦労している」――まさに。そう、それは、十代、二十代の若い人から、四十代、五十代のおっさん・おばはんまで、みーんな思っていることなんだよ。まあ、ノーベル賞を取った人でもこんなふうに思っているんだから、十代や二十代の人が自分の居場所がわからなくても、そんなのあたりまえなんですよ。

 みんながそういう場所を見つけられればいいなあと、おれは思う。そういう場所がなければ、創っちゃえよ、若い人たちは。



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2008年12月19日 (金)

茶番は茶番で面白いが、それどころではない人もたくさんいるんですがね

雇用対策4法案が参院委可決 野党が強行、与党は抗議 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/1218/TKY200812180301.html

 民主、社民、国民新の野党3党が提出した雇用対策4法案の採決が18日、参院厚生労働委員会で強行され、民主、社民両党の賛成多数で可決された。3野党は今国会で成立させるため、民主党の小沢代表と麻生首相の党首会談を申し入れたが、与党は拒否した。4法案は19日の参院本会議で可決されるが、与党が衆院採決に応じないため、成立はしない。
 採用内定取り消し規制、派遣労働者等解雇防止緊急措置、住まいと仕事の確保、有期労働契約遵守(じゅんしゅ)の4法案。ねじれ国会で参院での野党提出法案の採決強行は、6月の後期高齢者医療制度廃止法案に次いで2度目。
 4法案は、雇用情勢の悪化を受け、3野党が15日に国会に提出した。18日一日で趣旨説明から審議、採決まで行う異例の委員会運営。「野党のパフォーマンス」と反発する与党は採決を棄権した。共産党も採決を棄権、小池晃政策委員長は「与野党で議論できる環境を壊している」と批判した。

 いやまあ、この光景、テレビでも観たけど、自民党の議員が「強行採決だ!」などと抗議している光景には、大爆笑してしまった。こういう光景に爆笑してしまうほどに、おれたちは異常な一党支配というものに慣らされて育ってきてしまったのだな。

 「野党のパフォーマンス」だなどと、いまさら自民党がどの口で言うか。茶番だ。おれも野党の法案が通る可能性などないとは思う。目くそ鼻くそだ。ただ、次に選挙をやれば、目くそと鼻くそにも優劣がつくことになる。

 近い将来、なんかの折に“自民党の牛歩”などという世にも珍しい光景を目にすることができるかもしれんなあ。観てみたいなあ。まあ、公明党なんてのは、そのときそのときの強いほうに着く無節操な数合わせのための宗教集票マシーンにすぎないので、そのころは民主党に擦り寄っているかもしれんがな。おれが公明党を支持することなど金輪際ないとは思うが、せっかくの集票マシーンだから、効果的に利用できると判断したときには利用だけはするかもしれん。

 まあ、政治家さんたちは、目くそ鼻くそのパフォーマンスを繰り広げているが、屋根のあるところで年を越せないかもしれない人もたくさんいるわけである。石地蔵に笠でも掛けに行こうかと思っている人もたくさんいるだろう。野坂昭如のほうの「マッチ売りの少女」だって、この平成の世に冗談抜きで出現するかもしれない年の暮れだ。与党も野党もぐだぐだ政局ごっこをするのは後まわしにして、とにかく目の前の人に刺さった毒矢を早く抜け! 理屈はあとでいい、緊急避難だ。



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2008年12月 4日 (木)

ご家庭ですぐはじめられる景気浮揚策

 とりあえず、「ヘソクリ」という言葉をやめて、代わりに「埋蔵金」と呼ぶことにしよう。

 日本全国の家庭でこれを励行すれば、みんななんとなく気が大きくなって、金を使いたくなる。そりゃそうだ。アクセサリーとして居間に飾ってある百科事典のあいだに埋蔵金が挟んであったり、観葉植物の鉢からビニール袋に入った埋蔵金が発掘されたり、じつは二重底にしてある冷蔵庫の野菜入れから青臭い埋蔵金が出てきたり、ミニタワーパソコンの側面蓋の内側に埋蔵金が貼り付けてあったりするのだ。気が大きくならいでか。なんかこう……ゴージャスである。

 さあ、みなさん、あなたの家の埋蔵金を探そう!

 ほんとに見つかってしまっていろいろごたごたしても、当局は一切関知しないからそのつもりで。



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2008年11月23日 (日)

これで納得できるほうがおかしいよなあ

小泉容疑者、2つの事件への関与を認める 元次官宅襲撃 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1123/TKY200811230175.html

 元厚生事務次官宅が相次いで襲撃され計3人が死傷した事件で、「事務次官を殺した」と22日夜、警視庁に出頭したさいたま市北区東大成町2丁目、無職小泉毅(たけし)容疑者(46)を、同庁は銃刀法違反容疑で23日未明に逮捕したと発表した。二つの襲撃について関与を認めているという。同庁は同日、東京都中野区の吉原健二さん(76)の妻靖子さん(72)に対する殺人未遂容疑で小泉容疑者の自宅アパートなどを家宅捜索や検証した。
 同庁と埼玉県警は、サバイバルナイフなどに付着した血液のDNA鑑定などを進め、物証が整って容疑が固まれば、靖子さんに対する殺人未遂か、さいたま市の山口剛彦さん(66)、妻美知子さん(61)に対する殺人のいずれかの容疑で再逮捕する方針だ。
 元次官宅襲撃について小泉容疑者は調べの中で「以前、保健所でペットを殺されたことに腹が立った」などと話したという。父親によると、小泉容疑者が小学生の時に、家に来る茶色い野良犬を飼うようになったが、自宅で営んでいた駄菓子屋の客や周囲の人によくほえるため、保健所に処分してもらった。小泉容疑者には相談しなかったという。

「事実なら理不尽」被害者の知人、元次官襲撃動機に怒り (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1123/TKY200811230164.html

 小泉容疑者は元厚生事務次官宅を相次いで襲った動機について、子どものころに飼っていたペットが保健所に処分されたことをあげた。思いも寄らない内容に、被害者を知る人たちは「理由は別にあるのでは」「むなしい」と言った。
 殺害された山口剛彦さんが厚生省で官房長だったとき、厚生事務次官だった多田宏さん(69)は、容疑者逮捕の知らせに安心できなかった。「ずっと前にペットを処分されたことが殺害の理由だと言っているようだが、そんなことで人を殺せるわけがない。理由は別のところにあるのではないか。捜査が進まないと、家族も私も、不安な気持ちのままだ」と話した。

 なんだかなー、じつに不可解な話ではあるよね。わけわからんよ。

 先日、テレビのニュースを観ていたら、誰かが「犯人は年金行政に不満のある者ではないか」みたいなことをほざいたので、おれはのたうちまわって大爆笑してしまいましたわさ。公務員を除く日本国民に、年金行政に不満のないやつなんかいるものか。誰でもいちばんに考えるような単純なこと、だからこそ、どこかの誰かのミスリーディングかもしれないようなことを、さも重要なニュースであるかのようにほざいてどうする、マスコミよ?

 仮におれが“年金テロ”を行なうとしたら、とっくに“逃げ切った”爺さんたちを襲うよりも、“ちょっと前から現職に至るまでの事務次官どもと、その形式上の上司であった政治家ども”を襲うことだろう。そのほうが、現職の政治家や国家公務員の連中に、「国の禄を食んで権力と厚遇を与えられるということには、当然、このような逆恨みを受けるリスクも織り込まれているのだ」というあたりまえのことを改めて認識させる刺激になるであろうし、逆に言うと、それが怖いような人は政治家や国家公務員になるべきではないとおれは思うからである。世の中、どんな歪んだ怨みを持つやつがいるかはわからない。ましてや、正当な怨みとなればなおさらだ。べつに、命に危険が及ぶやもしれぬ公職は、自衛官だけではないのだ。

 むろん、このようなテロはけっして許されるべきことではない。だが、職と厚遇にくっついてくるリスクは、やはり、エリートとしては覚悟すべきだろう。それが真のエリートというものだ。テロはいかんという話と、エリート(と、その周辺にいて恩恵を受ける人々)はテロも覚悟しておかねばならんという心構えの話とは、別問題である。「無関係の奥さんを襲ったのは許せん」という論調もあるようだが、それはちょっとちがうだろうとおれは思うね。許せんことは許せんのだが、あくまで覚悟の問題としては、坂本竜馬に添うなら、やはり奥さんもおりょうくらいの覚悟は当然持っているとおれは推測する。え? おれ? おれはそんな覚悟などとても持てないから、逆立ちしても政治家や公務員にはなれません、ハイ。というか、たとえ能力的になれたとしても、そういう覚悟がなければなってはいかんと思う。

 それにしても、この“自称犯人”、胡散臭いことおびただしいよなあ。おれはこいつが現れたとき、いちばんに、オウム真理教の村井をマスコミの目の前で殺害した、あの徐という男のことを連想した。あいつはたしかに実行犯にはちがいないが、あいつを操っていたやつがどこかにいることは、(法的に証明できないとはしても)誰もが確信しているだろう。今回の小泉というやつも、徐と同じ臭いがしますなあ。きっと、どこかでかんらからからと哄笑しているやつがいるのにちがいない。それは、殺害された元事務次官に、この期に及んでおかしなことを口走られては困るような誰かなのかもしれん。大勢の人がそう思っていることではあろうが、まあ、おれの言っていることは、あくまでファンタジー((C)北芝健)ですから、どこかでかんらからからと哄笑している人は、ヘンな鉄砲玉をおれみたいな善良な雑魚に差し向けないように。



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2008年11月13日 (木)

田母神氏に退職金は支払うべきだよ

「田母神前空幕長に退職金自主返納求める」防衛相、意見を表明 (MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081107/plc0811070010001-n1.htm

 浜田靖一防衛相は6日の参院外交防衛委員会で、政府見解と異なる歴史認識を含む論文を公表し航空幕僚長を更迭された田(た)母(も)神(がみ)俊雄元空将(60)=3日付で定年退職=に対し、退職金の自主返納を求める考えを示した。田母神氏には5000万円前後の退職金が支払われるとみられることから、与党から「多額の退職金をこのまま渡していいのか」(北側一雄公明党幹事長)などと支払い停止を求める声が上がっていた。浜田氏もこうした公明党など与党の意向に配慮して、自主返納を求める意見を表明した格好だ。
 公務員の退職金は国家公務員退職手当法で本人が辞退しない限り支払われることが決まっている。だが、浜田氏は委員会で「今回の事案の重大性を考えれば、自主返納という本人の判断を待ちたい」と語った。
 公務員の退職金は懲戒免職となった場合、支払われない。また、在職中に懲戒処分を受けた場合に減額されるケースがある。
 防衛省関係者によると、田母神氏は定年退職の発令に先立ち、同省に「懲戒処分に当たるのかどうか徹底的に議論したい」と申し入れ、懲戒処分の是非を決めるため処分対象者の意見を聞く「審理」の場で、論文の記述内容などについて争う姿勢をみせていた。

 先日から問題になっている田母神論文問題だが、浜田防衛相はなにを寝ぼけたことを言っているのか。あんたがたが懲戒処分にしなかったんだから、面従腹背だろうがなんだろうが、ちゃんと勤め上げた田母神氏には退職金を支払うべきである。退職金返納を云々されるのは、任命権者のほうだ。自民党も公明党もアホか。おまえら文民がボンクラだから、こうやって増長した制服どもにナメられるのである。

 おれは田母神氏の論文とやらを全文読んでいないが、報道されているとおりの内容だとしたら、なにをいまさらたわごとをほざいているのかと思う。しかし、彼は彼で、歪んでいようがなんだろうが、彼の信ずるところを言論で表明しているだけのことである。

 聞けば、彼が以前からそのような思想を持っていることは周知の事実であるそうではないか。だとすれば、それが彼の立場でどういう意味を持つのかということをちゃんと認識し、然るべき処分をしなかった文民どもがボンクラなだけだ。おれは田母神氏の思想にはまったく共感できないが、彼が退職金を受け取ることにはなんの異論もない。日本は法治国家だからな。

 しかし、田母神氏もあんまり褒められたもんじゃない。そんなふうに思いつつ面従腹背を続け空自のトップにまで昇りつめるというのは、サムライとして潔くないのではないか? 退職金が欲しかったからだとしか思われない。あなたがほんとうのサムライならば、とっとと自衛隊を辞めて、そのような言論活動を以て、世間に自分の思想をぶつけるのが本筋であったはずだ。退職ギリギリになって、鬱憤を晴らすかのように開き直るのは、サムライらしくない。あんたも卑しい。

 それにしても、文民がナメられているからこそ、こういうことになるのだ。しっかりしろ、自公! あんたら、最高司令官として命を投げ出す覚悟があるのか? 文民だからこそ、そういう覚悟は持つべきだ。でないと、ああいう“自分たちこそが国を愛し守っている”と勘ちがいしている増長した連中にナメられるばかりだぞ。



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2008年11月10日 (月)

いちいち社会に認めてもらおうと思うな

人間の女性には興味がない!? 「キャラクターと結婚認めて」署名活動 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/11/08029977.html

アニメやゲームの「二次元キャラクター」との結婚を法的に認めて欲しい――。そんな署名活動がネットで始まっている。好きなキャラクターを「オレの嫁」と表現するファンがいるが、それどころか今度は実際に結婚してしまおうというものだ。もちろん実際の結婚とは別物だが、「法律ができたとしてもキャラの作者が結婚を許可するのか」などという問題や、「オレの嫁に手出すんじゃねーぞ」といった「奪い合い」がネット上で激しくなるのでは、といった話題で盛り上がっている。
「まともに話してくれそうな女の子と言ったら二次元」
この署名活動はオンライン署名サイト「署名TV」で2008年10月22日から始まった。企画者は100万人の署名を集めて、日本政府に認めさせたいとしている。書名を呼び掛ける文には、
「もはや、僕たちは三次元 (人間の女性)には興味がない」
と書かれている。しかし二次元の世界の住人になるのは無理なため、
「せめて二次元キャラとの結婚を法的に認めてもらうことはできないでしょうか?」
となっている。この法案が実現したらならば、企画者は人気アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」に登場するキャラ「朝比奈みくる」と結婚する予定なのだそうだ。

 うう~む。いやまあ、おれもまんざら二次元は嫌いじゃないし、二次元の女性にリアルな性的欲望を感じることもないではないのだが、二次元キャラと“結婚”したいと言っている連中がなにを考えているのか、まったく理解できないよ。

 そもそも自分の性向があんまり社会的じゃない場合(“反社会的”というのとはちがうのだ)、べつに社会から認めてもらう必要なんてないじゃないか。密かに楽しめばよいだけ、あるいは、迫害されても堂々とわが道をゆけばよいだけの話である。たとえば、しゃもじが好きで好きでたまらず、中でも、この特定のしゃもじがないとおれは生きてゆけない――からといって、しゃもじとの結婚を社会に認めさせる必要などないのではなかろうか?

 だいたい、“結婚”ってのは社会的な行為だ。あんまり社会と関わりたくない人、自分の社会的な位置づけなどまったく気にならない人たちは、三次元の異性あるいは同性とであっても、結婚などというまどろこしい手続きを取る必要などない。ただ、一緒に暮らしはじめればよいだけの話である。“結婚”したいなどと言っている時点で、たまたま社会的でないおのれの性向を社会に認めてもらいたいと思っているわけで、潔くない。甘ったれている。「おれはしゃもじが好きなんだ~!」と叫んで、狭量な社会からヘンな目で見られることを甘んじて受け容れればよいだけの話である。

 二次元キャラとの結婚を認めてほしいなどと運動をするのは、時間の無駄以外のなにものでもあるまい。勝手に結婚して、恬としていればよろしい。なにをわざわざ社会などという狭量なものに“認めて”もらう必要があるか。たまたまメジャーではない性向を持ってしまった自分の運命に対する覚悟が足りん。

 「おれは大多数の人とは異なる性向を持っている。それがおれなのだから、おれがおれであるためには、性向を偽ることなどできん。また、大多数の人に理解してもらおうなどとも思わん。なぜなら、おれもまた、大多数の人が理解できないし、したいとも思わんのだから。しかし、おれは、おれがおれであるためのこの性向に、なんら恥じるところなどないし、それがゆえに被る不利益があるとすれば、従容として受けよう。おれがおれであるために」と、堂々と誇り高くマイノリティーの道を突き進んでもらいたいね、こういう人たちには。がんばれ。というか、ヘンな方向にがんばるな。

 社会全般に認めてもらおうなどと甘えるな。それは媚びだ。キミを認めてくれる“社会”を、小さくはあっても、キミが探し、それがなければキミが作ってゆけばよいだけの話だ。キミのための名言を挙げておこう――

 I don't want to belong to any club that will accept me as a member. (ぼくを入れてくれるようなクラブには入りたくない)

―― Woddy Allen < Groucho Marx



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2008年10月31日 (金)

“足るを知る”という能力を欠くと、不幸になるんだろなあ

高級住宅街で麻薬密売のイラン人摘発 (TBS News i)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3982684.html

 東京の高級住宅街で、主婦や会社員ら、延べ2万人に覚せい剤などを密売していたイラン人らのグループが摘発されました。このグループは調べに対し、「こんなに薬物を買う人がいて、日本は大丈夫なのかと心配になった」と、供述しているということです。
 東京・港区の高級住宅街で周囲を見回す女性。現われたのは1人の男。2人は何かを話した後、男は女性に手渡されたライターでたばこに火をつけると、ライターと一緒に何かを女性に手渡しました。薬物売買の瞬間です。この男は、同じ場所で車に乗った"客"にも何かを手渡していました。
 関東信越厚生局麻薬取締部は、今年7月、薬物密売グループのリーダーでイラン人のアボルファズル・ザルバリ被告(42)を逮捕しました。港区のマンションやアパートで、覚醒剤やコカインなどを販売目的で所持していた疑いです。
 ザルバリ被告はその後、起訴されましたが仲間のイラン人4人と共謀。港区の白金や高輪、麻布といった高級住宅街で薬物を、1日平均70人、延べ2万人の主婦や会社員に密売したということです。月に2千万円の売り上げがあったこともありました。

 いやあ、どうも、遠い国からやってきて、こんなにも日本のことを心配してくれてありがとう。

 白金に高輪に麻布かあ……。なにが不満で薬物に走るのやら。ひょっとすると、住むのに精一杯で、案外、内実は“豊かでない”(それはたぶん“貧しい”というのとはちがうのだ)生活をしてたりして。見栄も張らにゃあならんだろうから、ホントは使いたくもないトコに金使ってストレスが溜まるのかもしれないしね。

 それにしても、貧乏人は薬物中毒にすらなれないのかと思うと、なんとなく癪に障るよな。きっと、本やCDやDVDやデジタル機器や食玩を買っても、まだなお薬物中毒にもなれるほどの金があるんだろうなあ……って、人はほかにいったいなにを買うというのだろう? 何億も持ってても、どうせそんなに本も読み切れないし、CDも聴き切れないし、DVDも見切れないのになあ。となると、薬物でも買うしかないのか?



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2008年10月28日 (火)

最近ついたヘンな癖

 冷凍食品をチンする前に、匂いを嗅ぐようになった。

 こういう人、けっこういるんじゃないかなあ。



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2008年10月26日 (日)

怨みの抽象化?

母校文化祭へ「いじめ仕返し」 ナイフ所持容疑の男逮捕 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1025/TKY200810250234.html

 文化祭を開いていた群馬県前橋市日吉町2丁目の勢多農林高校駐車場でナイフを所持していたとして、前橋署は25日、吉岡町大久保の専修学校生、小渕鏡人(あきと)容疑者(20)を銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕したと発表した。小渕容疑者は同校の卒業生で「在学中のいじめに仕返ししようとした」と容疑を認めているという。
 数日前から同校周辺に「文化祭で卒業生の首をもらいに行く」などと書かれた怪文書がまかれていたため、前橋署が警戒中だった。同署は怪文書との関連を調べている。
 前橋署によると、小渕容疑者は25日午前11時25分ごろ、勢多農林高校の駐車場で、刃渡り約12センチの果物ナイフを持っていた疑いがある。署員が職務質問した際、所持品の中からナイフが見つかった。小渕容疑者は同校卒業後、高崎市内の県立の専修学校に入学していたという。
 同校は「在学中にいじめがあったかどうかわからないのでこれから事実を確認する。いまは何もわからない」としている。

 なんかまたこれも、一読しただけではなんのことやらさっぱりわからない事件である。いや、記者の文章が下手とかいう意味じゃなくて、この小渕容疑者とやらの言葉と心理がさっぱりわからない。“仕返し”という言葉をどういう意味で使っているのだろう? 以前あった「誰でもいいから皆殺し」に匹敵する不可解な言葉遣いだ。

 小渕容疑者が勢多農林高校在学中にいじめを受けていたのだとしたら、いじめた当事者を探し出して刺しにゆくというのが、ふつうの“仕返し”なんじゃあるまいか? おれならそうする。

 あるいは、そうしたいじめを知りながら看過していた教師がいて、いまもまだ同じ学校で教えているというのであれば、その教師を刺しにゆくというのがふつうの“仕返し”ではなかろうか? おれならそうするかもしれん。「卒業生の首をもらいに行く」(という怪文書が小渕容疑者によるものであるとすれば)というのは、じつに奇妙だ。現在の在校生になんの関係があるというのだ? 現在の在校生を傷つけて、怨みが晴れるとでもいうのだろうか? おれなら晴れん。

 小渕容疑者が、勢多農林高校という抽象的概念としての組織体にいじめを受けていたと感じていて、それに対する“仕返し”を試みたと考えるとすれば、まあ、多少はわからないこともない。しかし、だとすると、現在もその抽象的組織体にいじめを受けている最中の具体的構成員(つまり、過去の自分と同じ境遇にある生徒)がいるかもしれず、自分の“仕返し”がそのような生徒を傷つける可能性も大いにある、それでもいいのか――と考えるのが、ふつうの想像力というものではあるまいか? とにかく、おれにはこやつがなにを言っているのか、さっぱりわからん。わからなくてさいわいだ。

 もしかすると、おれは難しく考えすぎているのかもしれん。要するに、単にこいつは、いまの自分より弱そうなやつに八つ当たりしたかっただけの話なのかもしれん。親に虐待を受けた子が長じて親になったとき自分の子を虐待してしまうといった、いわゆる“虐待の連鎖”が学校現場でも起こり得るということなのだろうか。そういえば、あの宅間守も「エリートでインテリの子供をたくさん殺せば死刑になると思った」と言っていたが、論理的に考えれば、“宅間が子供だったころにエリートでインテリの子供だったおっさん・おばはん”を殺しにゆくのが筋というもので、現在“え~トコの学校”に行っている子供を殺したとて、怨み(というか、逆恨みというか)が晴れたりするものであろうか?

 いやまあ、「怨みが晴れたりするものであろうか」などと言っている時点で、正常な精神状態のものさしを持ち出しているわけだから(た、たぶん正常だと思う……)、じつに詮のないことではあるのだが、おれにはこういう思考回路がないだけに、不気味であると同時に、興味も覚える。

 人は、集合の具体的要素を怨んでいるうちに、集合という抽象的なものを怨むようになってしまうこともあるものらしい。おれにはよくわからんが……。「日本に原爆を落としやがって」などと、戦後に生まれたおれが戦後に生まれたアメリカ人一人ひとりに怨みを抱けるかというと、そんな感情はまったく湧いてこない。アメリカ政府という抽象的なシステムの厭らしさに嫌悪感を覚えるということはあるが、だからといって、そこのマイケル君やあそこのメアリーちゃんに嫌悪感を覚えるかというと、そんなことはまったくない。なんだか、おれが異常なんじゃないかと自信がなくなってきたが、ふつう、そんなもんなんじゃないの?

 しかし、小渕容疑者のような思考回路を持つ人間を計算に入れておく必要というのは、危機管理上、あるだろう。SFファンという抽象的な集合に殺意を持っているやつだっているかもしれんし、喫煙者を皆殺しにしたいとか、酒飲むやつを皆殺しにしたいとか、眼鏡をかけているやつはみんなオレをむかしいじめたやつの仲間だ、殺せ、殺せ、殺せ~~~とか思っているやつだっているかもしれん。

 ことによるとひょっとしてもしかするとあなただけは該当しないかもしれないが、人類という集合のなんらかの部分集合に属してしまっている人は、誰かに部分集合ごと怨まれているかもしれないので、個人的には身に覚えがなくても、気をつけたほうがよい(っつっても、気をつけようがないけど)。

 そもそも、生命体という集合を怨んでいるやつだっているかもしれないんだよなあ……。



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2008年10月25日 (土)

ゲームはまだそこまで進んでないよ

「ゲームうまくできたので、車運転」ひき逃げ容疑の中3 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1024/OSK200810240011.html

 大阪市淀川区で18日未明、自転車の男性が軽乗用車に約180メートル引きずられて重傷を負った事件で、ひき逃げなどの疑いで逮捕された大阪府豊中市の中学3年の女子生徒(14)が「車を運転したのは初めてだった。ゲームでうまく運転できたので、本物でもできると思った」と供述していることが府警への取材でわかった。
 淀川署によると、女子生徒は「ゲームセンターでハンドル付きのゲームをして運転に興味を持ち、自宅から運転して行った」と供述。友人の中学2~3年の男子生徒3人が同乗していたことについては「ドライブに行こうと自分から誘った」と話しているという。重傷の男性は現在も入院中という。

 なあに、この程度はなまぬるい。えーと、ご記憶の方もいらっしゃるだろうが、九年ほど前に、旅客機を包丁一本でハイジャックして操縦させろと機長に迫り、断られたので機長を刺殺した阿呆がおった。阿呆は、「シミュレーションゲームで訓練を積んでいるので自信がある」とほざいていたな。

 重傷を負った方にはお気の毒だが、この程度の阿呆は、もはや、そこいらへんにざらにおると考えておかねばなるまい。道を歩くときは気をつけんとな。

 こりゃしかし、いったいなんなんだろうね? 情報教育の貧困なんだろうか? “現実”というものの情報量が、現代の迫真のゲームに比べてすら、いかに桁ちがいに膨大であるかを、ちゃんと学校で教えておいてくれなくては困るね。

 おれはヴァーチャルがリアルに本質的に劣ると言っているのではない。virtual という言葉を、real の“パチもん”といった意味に誤解している人はかなり多いが、本来、virtual というのは、“そのものではないが、その「力」において、そのものと等価である”という意味だ。まあ、残念ながら、現在の技術水準は、現実世界に匹敵する情報量をリアルタイムで仮想で操るには、まだまだお話にならないほど非力である。virtual という言葉を使うのは、ホントはまだ誇大広告(?)なのだ。そんなことは、むしろ年寄りのほうが直感的にわかるのだろうが、ひょっとすると、いまの若者には、知識として教えなければならないことなのかもしれない。こういう阿呆には、スポーツをやらせれば、現実の情報量の膨大さが体感でき、いまのコンピュータ技術など、まだまだオモチャのようなものだと納得してくれるのかもな。



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2008年10月22日 (水)

しょぼいことで捕まるなよ、正義の味方

正義の味方捕まる 茨城ご当地ヒーロー「イバライガー」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1020/TKY200810200417.html

 子ども向けのテレビ番組「獣拳戦隊ゲキレンジャー」の衣装を無承諾で複製・販売したとして茨城県つくば市に住む男性(41)が先月末逮捕され、今月15日、著作権法違反の罪で罰金100万円の略式命令を受けた。この男性は茨城のご当地ヒーロー「時空戦士イバライガー」でもあった。正義の味方の逮捕は、イバライガー消滅の危機をもたらし、コスプレ業界にも不安を広げている。

 ご当地戦隊ってのは、この間歇日記でも「離島戦隊タネガシマン」あたりからいろいろ取り上げてはきたが、とうとう逮捕される戦隊が出たかあ。

 まあ、ウルトラマンコスモスだって逮捕されたことがあるんだから、イバライガーもちゃんと罪を償って復活してもらいたいものである。

 杉浦太陽だって、被害者の証言に虚偽があったってことで不起訴となり、結果的には誤認逮捕ってことで、いろいろ番組には影響はあったが最終的にはことなきを得たわけで、いまは問題なく芸能活動してますしね。可愛い奥さんももらったし。

 まあ、正義の味方をやる人は、子供の夢を壊さないよう、めったなことはしないような心がけは必要でありますなあ。大人は「あんたも聖人君子じゃあるまいしね」と見てくれるかもしれんが、子供にとってはヒーローなんだしね。



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2008年10月17日 (金)

お爺ちゃん・お婆ちゃんに近況報告しよう!

15日の「振り込め詐欺」集中警戒にもかかわらず、4件700万円の被害 (FNN)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00142431.html

年金支給日の15日、警察庁はいわゆる「振り込め詐欺」に対する集中警戒として、異例の5万人以上の警察官を全国各地のATM(現金自動預払機)に配置し、厳重な警戒にあたった。
しかし、宮城、群馬、埼玉、静岡で4件の被害が起き、総額およそ700万円の被害が出てしまった。

 おれが不思議でしようがないのは、マスコミが再三再四報道し、警察が注意を呼びかけているにもかかわらず、いまだにこの手の詐欺に引っかかる人が多いことである。むろん、被害者の多くは高齢者だが、ボケてしまっているわけではない。ボケてたら、現金の調達もままならないだろう。おそらく、こうした老人たちは、ほんとうに「振り込め詐欺」なるものを知らないか、聞いたことがあってもわが身に降りかかるものであるという認識がないのだ。

 いまこうやって、このような駄ブログですら読んでいるような人は、おれも含めて、いわば情報強者である。世間でなにが起きているか、マスコミが報道しているようなことは、たちどころに情報収集できるだろう。必要とあらば、外国の片田舎のニュースにすら触れることができる。だが、世の中には、新聞も取っておらず、テレビも決まったドラマなどしか観ないといったお年寄りは大勢いるのにちがいない。

 若いやつが引っかかるのなら「アホかおまえは」とおれも容赦はしないのであるが、世間に疎くなったお年寄りが引っかかるのはなんとも気の毒である。まあ、百万、二百万といった大金をすぐに調達できるのだから、ある意味、被害者は恵まれたお年寄りたちとも言えないことはないが(そもそも、孫が困っていようがどうしようが、ない袖は振れないのである)、被害者に金があろうがなかろうが、このような情報弱者を狙うという根性が好かん。どうせなら、頭脳明晰なやつを相手に、そのまま映画にでもなりそうな虚々実々の知能戦を展開して金を騙し取ってもらいたい。ケヴィン・ミトニックツトム・シモムラのように、知能の火花を散らして戦ってもらいたい。おまえら、そもそも、騙しやすい人たちを騙してなにが面白い?

 えーと、なんだか話が微妙にズレてゆくような気がするのでここらで戻そう。それにしても、全国で五万人の警察官が動いて、それでも被害が出るというのは、じつに根が深い問題だ。

 そこで、振り込め詐欺被害防止のため、おれも若い人に呼びかけたい。お爺ちゃん・お婆ちゃんが健在な人は、多少照れくさいかもしれんが、たまにはお爺ちゃん・お婆ちゃんに電話をして、近況報告をしてあげよう。こんな手口の詐欺が流行っているから気をつけてねと言ってあげよう。オレは、アタシは、まちがっても、お爺ちゃん・お婆ちゃんにこんなふうにお金をねだることなどないからと安心させてあげよう。全国の孫たちが、ちょっと時間と電話代を使ってこれを実行してくれれば、ATMに張り込む五万人の警察官よりも、詐欺被害を食い止める大きな力になることだろう。

 詐欺師どもは、多くのお爺ちゃん・お婆ちゃんが長らく孫の声を聞いておらず、最近なにをしているのかも知らないということにつけこんでいるのだ。自分のお爺ちゃん・お婆ちゃんくらい、キミらが守らんでどうする! 詐欺師が苦手なのは、最近の孫の声をしっかり憶えているお爺ちゃん・お婆ちゃんだ。孫が最近なにをしているのかをよく知っているお爺ちゃん・お婆ちゃんだ。

 おれくらいの歳になるとな、電話するお爺ちゃん・お婆ちゃんなど、もうとっくにいないのだ。

 さあ、明日、いや、今日電話してあげよう!



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2008年10月14日 (火)

Big Brother is watching yoooooou......without ever being noticed.

110番自販機、カメラ壊される 「監視社会」と落書き (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1013/NGY200810130003.html

 愛知県豊橋市に、今月10日に全国で初めて設置されたばかりの「110番通報できる自動販売機」の防犯カメラが何者かに壊された。13日午前1時5分ごろ、通りかかった人が巡回中の豊橋署のパトカーに届けた。自販機は「監視社会」「監視」とスプレーのようなもので落書きされており、署は器物損壊の疑いで調べている。
 自販機は前面の扉を開けて受話器を取り、ボタンを押すだけで110番につながる仕組み。コカ・コーラセントラルジャパン(横浜市)が、危険に見舞われた市民がすぐに通報ができる「駆け込み自販機」を目指し、愛知県警と豊橋市の協力を得て豊橋市岩田町の岩田運動公園に設置した。
 自販機の上部にあった防犯カメラが金属製のカバーごと外されていたほか、受話器を収納していた扉の表と裏の面に書かれた説明文も塗りつぶされていたという。

 おれが二時間ドラマの脚本家だとしたら、この事件を使うな。ドラマ開始三十分ころくらいに、バカな登場人物に「110番通報できる自動販売機」の防犯カメラを面白半分に破壊させる。一時間十五分くらいのところで、このバカは真犯人の息のかかったチンピラに自分が通報装置を壊した自販機の前に深夜追い詰められ、なぶり殺しにされるのだ。いかにもありそうな筋書きじゃあ、ございませんか。

 それにしても情けない。どんなやつの犯行か知らんが、おまえの考えている「監視社会」とやらは、その程度のものか。あまりに牧歌的すぎるよ。“「110番通報できる自動販売機」の防犯カメラ”ごときの明示的な装置が、おまえの考えている監視社会の象徴なのだとしたら、おまえのIT音痴にもほどがあるわ。背伸びした小中学生程度の犯行なら微笑ましく許してやるが、高校生以上だとしたら「いい歳して勉強不足もたいがいにせえ。問題意識が浅すぎるわ、阿呆」と叱ってやりたい。おまえが「監視社会」とやらを嫌い、ラッダイト(万が一知らんのなら、世界史の教科書をちゃんと読め)を気取るのなら、警察への通報機能以外に、販売データの通信機能を持っているであろう自販機そのものを破壊し、おまえが持っているケータイを破壊し、おまえがクルマの運転免許を持っているなら、おまえがクルマに取り付けているカーナビを破壊すべきだよ。なに? そんなことをしたら不便だ? そうだよ、不便だよ。だけど、それはおまえが選ぶかどうかだけの話だよ。

 なんともはや、「監視社会」がどうのこうのと、わけもわからずに言ってみせるのがカッコいいと思っている歳ごろなのだろうけれども、幼稚なことおびただしい。このニュースを読んだ東浩紀が、はらほろひれはれと崩折れるのが目に見えるようだ。




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2008年10月 9日 (木)

たまたま日本で生まれた人がノーベル化学賞も受賞

南部さんは日本人?米国人? 人材流動化で意見百出 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/1008/TKY200810080230.html

 「南部さんを日本人とカウントしないわけにはいかないが……」。素粒子物理学などの基礎研究を支援する文部科学省は、内部資料としてノーベル賞の受賞者数を国別に毎年集計している。これまでは受賞者の国籍で数えてきた。
 南部さんは注釈付きで日本の受賞者にする方向だが、関係者からは「そもそも国別に数える意味があるのか」という声も聞かれる。「外国人が日本の研究拠点での業績でノーベル賞を受けたら、日本の受賞にカウントするのだろうか」ともらす関係者もいる。
 下村さんは日本国籍のままだが、60年に渡米。そこでの研究が、今回の受賞につながった。
 政府は最近、魅力的な研究環境を整え、逆に世界から日本に人材を集める「頭脳循環」へと持ち込む姿勢を強める。塩谷文科相は8日、「大いに世界に出ていくと同時に、世界の頭脳が日本に集まる環境作りをぜひやりたい。4人もの受賞は、世界の拠点のひとつになりうる証明と思う」と話した。
 文科省は昨年、外国人比率を高める「世界トップレベル研究拠点」を全国に5カ所選出し、事務部門も含めて英語を公用語にした。そのひとつの東京大数物連携宇宙研究機構は、米カリフォルニア大教授だった素粒子論の世界的リーダー、村山斉さん(44)を機構長に引き抜いた。
 「同じ研究環境があれば欧米にこだわる必要はない。米国からは、日本の素粒子物理学が非常に華々しく見えた。かつてとは違う」と話す。
 米国に研究拠点を移して73年にノーベル物理学賞を受けた江崎玲於奈さんは「今の日本は、当時より飛躍的に研究基盤が発達している割に、外国人研究者が根付いていない。二重国籍を許すなど差別のない住みやすい日本を作るため、国内のみんながしっかり取り組まなくてはだめだ」と話した。

ノーベル化学賞に下村脩さん 蛍光たんぱく質を発見 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/1008/TKY200810080238.html

 スウェーデンの王立科学アカデミーは8日、今年のノーベル化学賞を米ウッズホール海洋生物学研究所・元上席研究員の下村脩(おさむ)さん(80)と米国の研究者2氏の計3人に贈ると発表した。下村さんは、オワンクラゲの発光の仕組みを解明する過程で、緑色蛍光たんぱく質(GFP)を分離し、その構造を解明した。GFPは、生命科学の研究で、細胞内で動く分子にくっつけて追跡する便利な「道具」として世界中の研究者に使われている。

Glowing jellyfish earns Nobel Prize (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/TECH/science/10/08/nobel.chemistry/index.html

(CNN) -- Research into the mysterious green glow of a jellyfish earned three scientists this year's Nobel Prize for Chemistry, the Nobel Foundation announced Wednesday.
Osamu Shimomura of the Marine Biological Laboratory in Woods Hole, Massachusetts; Martin Chalfie of Columbia University; and Roger Tsien of the University of California at San Diego won for the discovery and development of the green fluorescent protein GFP.

(中略)

Osamu Shimomura, a Japanese citizen, was the first to isolate GFP from the crystal jellyfish, discovering that the protein glowed bright green under ultraviolet light.
American scientist Martin Chalfie demonstrated GFP's value as a luminous genetic tag in nature. One of Chalfie's first experiments, the foundation said, involved using GFP to color individual cells in a transparent roundworm.
Roger Tsien, also an American, extended the color palette beyond green. Researchers can now give various proteins and cells different colors, enabling them to follow different biological processes at the same time, the foundation said.

(中略)

Shimomura was born in Kyoto, Japan, and received a Ph.D. in organic chemistry in 1960 from Nagoya University. He is now professor emeritus at the Marine Biological Laboratory and Boston University Medical School.
Chalfie grew up in Chicago, Illinois, and received his Ph.D. in neurobiology from Harvard University in 1977. He is now a professor of biological sciences at Columbia University in New York.
Tsien was born in New York and received a Ph.D. in physiology from Cambridge University in 1977. He is a professor at UC-San Diego.

「化学賞は意外」「クラゲ85万匹採取」下村さん語る (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/1008/TKY200810080259.html

 ——米国に居続けたのは?
 「昔は研究費が米国の方が段違いによかった。日本は貧乏で、サラリーだってこちらの8分の1。それに、日本にいると雑音が多くて研究に専念できない。一度、助教授として名古屋大に帰ったんだけど、納得できる研究ができなかったので米国に戻った」
 ——何が納得できなかったんですか?
 「規模が違う。僕は十何年かけて85万匹のオワンクラゲを採取した。100トンは超すでしょう。何十人もの人を雇いました。家族も手伝ってくれた。ノーベル賞はその副産物なんです」
 ——週末に海辺に行ったりされたのですか?
 「いやいや、夏に1カ月か2カ月滞在して、朝から晩までクラゲを採った」
 ——国籍は日本のままなんですね。
 「何でわざわざアメリカ人に変わる必要があるの? 日本人でもアメリカに住める。研究費を取るにも差別はなかったし、ほとんど不便は感じない」

 今年は物理学賞に引き続き、化学賞も日本で生まれた人が受賞することになった。めでたいことである。利根川進氏が医学生理学賞を受賞したときもそうだったが、前エントリーで述べたようなことをあちこちで話題にしている人がいて、これはじつによいことだと思うのである。

 たしかに、湯川秀樹氏や朝永振一郎氏が受賞したころには、単に日本で生まれた人が受賞したというだけで戦後の暗い世相に明るい光を投げかける大事件だったにちがいないが、もはや日本は、頭脳流出の問題を国家戦略的パースペクティヴで真剣に考えるべき段階に来ている。アメリカで業績を上げた日本人がノーベル賞を取ったからといって、手放しで喜んでいる場合ではないのだ。

 とくに選挙前には、政治家どもなど世論でいくらでも意のままに操作することができる。もっともっと頭脳流出を嘆く世論を盛り上げ、びくびくしている政治家どもから言質を引き出すようにしなくてはならない。食料自給率が四割を切り、天然資源もろくにないような国が一流国家として世界に伍してゆくには、頭脳以外の資源はあるまい。いまこそ、市井の人々が政治家どもを操るときだ。

 日本の新聞に、「京都大学のキルゴア・トラウト教授がノーベル経済学賞を受賞」といった見出しが躍る日を、おれは楽しみにしている。



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2008年10月 8日 (水)

たまたま日本で生まれた人々がノーベル物理学賞を受賞

ノーベル物理学賞、素粒子研究の日本人3氏に (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/1007/TKY200810070297.html

 スウェーデン王立科学アカデミーは7日、今年のノーベル物理学賞を、素粒子物理学の理論づくりに貢献した米シカゴ大名誉教授で大阪市立大名誉教授の南部陽一郎氏(87)と、新たな基本粒子の存在を共同で提唱した高エネルギー加速器研究機構(茨城県つくば市)名誉教授の小林誠氏(64)と京都大名誉教授で京都産業大理学部教授の益川敏英氏(68)の日本人計3人に贈ると発表した。日本人が一つの賞で同時受賞するのは初めて。

 おおお、ひさびさにめでたいニュースだ。日本人がノーベル賞を取るたびに、いままでの受賞者をちゃんと憶えているか指折り名前を挙げてゆくのがおれの習慣なのだが、記憶力が衰えてきているうえ、今回のようにいっぺんに三人も増えると、そろそろ憶えきれなくなってくるのではなかろうか。子供のころは、湯川朝永川端だけですんだのになあ。

 とはいえ、ちょっとフクザツな想いを抱くのは、利根川進氏と南部陽一郎氏は、生まれ育ちが日本であるというだけで、世界から見れば、彼らは“アメリカの学者”だと考えるのが妥当だろうということである。南部氏にいたっては帰化しているんだから、国籍もアメリカだ。

 先進国である(はずの)日本の国民としては、単に遺伝的に日本人である人の受賞よりも、日本の大学や研究機関でノーベル賞に繋がる業績の主な部分を築いた人の受賞をより喜び、より誇るべきなのではあるまいか? いや、おれはべつに利根川氏や南部氏の個人としての偉大な業績にケチをつけるつもりはないのだ。ただ、喜びかたとして、“日本人だからどうこう”という時代では、もはやないのではないかと思うのである。まあ、おれとて、“世界で活躍する日本人”と言われる人々を見るにつけ、なにしろ同じ言語が通じるのだから親近感を覚えるのは事実だけれども、彼ら・彼女らの多くが“なぜ日本にいながら世界的に活躍できなかったのか?”という想いが反作用のように心中に生じ、フクザツな気持ちになってしまうのだ。

 そこで、日本人の意識が次の段階に進むステップとしての目標を想定しておきたい。それは、日本の大学や研究機関でノーベル賞に繋がる業績の主な部分を築いた“外国人”の受賞を国を挙げて喜ぶということである。冷静に考えると、世界から“あの人だからこそできた”と見られるよりも、“あの国でだからこそできた”と見られるほうが、日本人一般にとってはずっと誇らしいはずのことではないかと思うのだがどうか。「あの国で研究がしたい」と世界中の研究者から思われるようになることのほうが、たまたま日本に生まれ育った人がノーベル賞を取ることよりも、国家としてずっと重要だと思いませんか?



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2008年10月 3日 (金)

標本標準偏差と母標準偏差とのギャップ

 「○○と××くらいちがう」シリーズの新作いってみよう。ちょっと破格なんだが――

「“市議会議員にしては美人すぎる女性”と
  “美人すぎる女性市議会議員”くらいちがう」

 両者は相当ちがうと思うんだが、いつのまにか後者がひとり歩きしている。混同すると、いろいろ問題が起こりかねない。というか、すでに起こっているみたいだ。



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2008年9月29日 (月)

あなたにもできる地震観測

Wanted: amateurs to help track earthquakes (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/TECH/science/09/25/earthquake.trackers.ap/index.html

LOS ANGELES, California (AP) -- Earthquake scientists want to borrow your laptop or maybe a little space in your basement or garage.
Researchers don't have enough high-tech monitoring stations to track every instance of ground shaking, so they are enlisting help from ordinary people to document quakes and pinpoint areas of possible damage.
Almost anyone can participate by equipping laptop computers with special software or installing quake sensors at home.
"If they can provide scientific data that can prepare us for events in the future, then that's extremely important," said Tom Jordan of the Southern California Earthquake Center at the University of Southern California.
The epicenter of the movement is in California, the most quake-prone state in the continental United States. Each year, 10,000 temblors rattle Southern California alone, though most are too small to be felt.
The Quake-Catcher Network was launched this year to tap into the computing power of some 300 participants worldwide, including 50 volunteers in California.
The network relies on a sensor called an accelerometer that is built into many newer laptops to detect sudden motion. If the computer is dropped, for instance, the sensor can alert the hard drive, shielding it from potential damage and preventing data from being lost.
Volunteers download software that links their computers to others in the network and sends information about shaking to scientists through the Internet.
Since any movement -- passing trucks, neighbors moving furniture or a pet jumping on the desk -- can trigger a laptop's internal sensor, scientists scan incoming data only when the U.S. Geological Survey determines that an actual quake has occurred, based on readings from its field stations.
"If there's a bunch of laptops that trigger in one location, there's probably an earthquake," said seismologist Elizabeth Cochran of the University of California, Riverside, who is a leader of the project.

 これはなかなか面白いアイディアだなあ。端的に言えば、記事にもあるように、まさに SETI@home の地震版という感じかな。みんなが観測点になれるアメダスのようなものというか。

 落下などの際の加速度を検知してハードディスクのヘッドをリトラクトするために加速度センサーを内蔵したパソコンが出てきているが、そういう個人のパソコンを用いて、地震のようすをより細かく把握しようという試みである。もちろん電源を入れっぱなしにしているパソコンばかりとはかぎらないし、加速度センサーは“生活振動”も検知してしまうにちがいないが、充分な数があれば、生活振動は除外できる。同じエリアの多数のパソコンが同時に反応しなければ地震ではないと考えられるからだ。

 多数のカーナビからのデータを集約して渋滞情報をフィードバックしたりするシステムはすでに実現しているが、この地震検知システムも、そうした Web 2.0 なアイディアですな。面白いね。今後、さまざまなセンサーを内蔵した情報家電が普及すると、それらから捕捉できるデータを用いた存外に便利なサービスが出現してくるにちがいない。

 加速度センサーといえば Wii のコントローラだが、Wii のコントローラで地震を検知しようとしたりすると、あちこちで大地震が起こっていることになってしまうだろう。まあ、そういう用途には向かない。

 だが、Wii のコントローラから取ったデータを集約できるとすれば、たとえば、「雨の日はテニスゲームをする人が多い」とか、「社会保険庁の不祥事が発覚すると、“ぶった斬り”系のゲームをする人が増える」とか、有名な“おむつとビールのアソシエーション”のような、意外で面白い相関がマイニングできる可能性はある。近い将来、さまざまな情報家電から得られる情報を基に、おれたちが度肝を抜かれるような社会科学的な事実が浮き彫りになってくるのだろう。

 まあ、おれたち一人ひとりを考えたときには、べつに個人情報を取られるわけでもないから、データのそういう使いかたが普及してきても、さほど気色悪く思うわけでもない。そもそも広告屋だって、個人情報のような危険なものはできるだけ持ちたくないと思っている。たとえば、昨今の行動ターゲティングのように、個人が特定できるような情報を持たなくても効果的な広告が打てる方法論さえあればいいのだ。

 この地震データ収集システムのような発想、設計思想のシステムは、これからどんどん出てくるだろうね。もはや、ユーザというのは、情報収集端末でもあるのだ。



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2008年9月24日 (水)

日本のお米は世界で一番??

 昨今の汚染米騒ぎのとばっちりをいちばん食っているのは誰かと考えた場合、おれはたぶんBerryz工房だろうと思う。まあ、「行け 行け モンキーダンス」なんてのは、なにやら歌詞といいコード進行といい「LOVEマシーン」の焼き直しみたいな曲ではあるが、それなりに可愛らしい面白い曲ではある。しかし、「よっしゃ/与も野も 食べましょ/ご飯を 食べましょ/日本の お米は/世界で 一番」とか、「よっしゃ/民も官も 食べましょ/ご飯を 食べましょ/元気が 出るから/力に なるから」なんてところは、いかにも唄いにくい社会状況だ。かわいそうに。

 おまけに、アラジン「陽は、また昇る」なんてのも、空元気的な日本応援歌として、内容がかぶっている。日本って、こんなところしか褒めるとこないか? それに、この歌で褒められている日本というのは、どっちかというと、日本の社会では迫害されてきた個人の業績が多いような気がするのだがどうか。ガイジンに褒められると、いままで迫害していた個人の業績でも掌を返したように褒めはじめるのは、なんともいやらしいと思うんだが、どうかね、日本人? この歌で“日本の業績”として取り上げられているようなものを、“日本”の手柄じゃなく、あくまでたまたま日本人であった個人の業績として捉えるところから、日本の真の再生がはじまるようにおれは思うんだが……。




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2008年9月19日 (金)

そんなに安全なら、ちゃんと商品にしようよ

「あきたこまち」に萌え系イラスト JA、若者獲得狙い (asahi.com)
http://www.asahi.com/food/news/TKY200809170292.html

 市女笠(いちめがさ)をかぶり、稲穂を手に笑顔を浮かべる黒髪の美少女。秋田県羽後町のJAうごが、萌(も)え系のイラストが米袋に印刷された「あきたこまち」を発売する。
 事故米のニュースが連日報道されるなか、米離れが進む若者に身近に感じてもらおうと、ゲームのデザインなどを手がける原画家に依頼した。
 東京の百貨店には「店の雰囲気に合わない」と断られたというが、「若者なら受け入れてくれるはず」とJA担当者は強気。米袋は1万枚発注済みで、ホームページで22日から注文を受け付ける。

 いやまあ、この企画自体が優れているとかスベっているとかいう話じゃないのだ。まともな米を食用に売っているちっちゃな町のJAですら、このように涙ぐましい知恵の絞りかたをしているということに感銘を受けたのである。おれ自身は、米はあんまり食わないけどさ。

 太田農林水産大臣農林水産省の役人どもは、JAうごを表敬訪問して、担当者の爪の垢でももらって煎じて飲むがいいぞ。アフラトキシンB1メタミドホスほどの害はあるまい。

 農水大臣が「低濃度で、人体への影響はないと自信をもって言える」などとほざくのなら、最初からそのような米であると宣言して消費者に食用のちゃんとした商品として売ればいいのだ。国民を騙そうとするからいかんのであって、農水大臣が安全を保証した商品なら、最終消費者の中には“安かろう悪かろう”を納得して買う人が出てくるはずだ。コロンブスの卵だと思うがどうか。なに? 法律がある? かまわんかまわん、人体に害がないのなら毒入りでもいいと納得して食う消費者がいるんなら、法律なんぞ適当に変えればよろしい。

 そうだな、ほれ、よく「私が作りました」なんて、農家のおじさん・おばさんの写真が印刷してあるパッケージとかがあるじゃないか。ああいうふうにして、にこにこと微笑む太田農水大臣の写真に「あまり安全だと言わないが、でも安全なんだ」というキャプションを添えて袋に印刷しよう。商品名は、『汚染米「かなり安全」』とでもしようか。

 もっとも、テグレット技術開発から文句が出るかもしれないけどさ。



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2008年9月15日 (月)

とても“マジメ”なやつが自分の仕事をかんちがいするとダークサイドに堕ちる

三笠フーズ、農政事務所元課長を接待 05~06年 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0914/OSK200809140075.html

 農薬などに汚染された事故米を食用に転用していた米販売会社「三笠フーズ」(大阪市)の冬木三男社長らが05~06年、農林水産省近畿農政局大阪農政事務所の当時の消費流通課長(62)を、大阪市内の飲食店で接待していたことが14日、わかった。元課長は朝日新聞の取材に対し、飲食接待を受けたことを認めたうえで「三笠フーズに便宜をはかったことは一切ない」と話している。
 同消費流通課は大阪府内の米の流通業務全般を管轄し、政府が保有する輸入米や備蓄米の販売・入札、業者の監督・指導をしている。輸入米を購入していた三笠フーズの調査は同課が業務としており、接待は同社が事故米を食用と偽って不正転用していた時期と重なる。

「三笠フーズはお客さん」 接待受けた農水省課長 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0915/OSK200809150005.html

 ――便宜供与は?
 ない。農政事務所には供与できる資料は何もない。うちは政府米を買ってもらう立場であり、(三笠フーズは)お客さん。行政をしているようで商売している感じ。千トンの米を保管したら年に1千万円かかる。米を売らねばという思いだった。ずっと断り続けるのは失礼にあたると思った。
 ――三笠フーズの印象は?
 輸入米を一生懸命買ってくれる大事なお客さん。10年ほど前から米の在庫が問題化し、食糧庁長官が「米を売れない農政事務所長は辞表を出せ」と言ったという話まで広まっていた。消費流通課長には相当なプレッシャーだった。三笠フーズが事故米を買っていたことは新聞で初めて知った。

 誰もが疑っていたとおりの展開になってゆくなあ。こんなのは序の口で、もっと大口のがどんどん出てくるんじゃないの?

 それにしても、奇妙な構図である。こんな感じだ――

   悪代官 「事故米を持って参りましてございます。毎度のお買い下げ、かたじけのう存じます」
   越後屋 「苦しゅうない苦しゅうない。この米、なんに使うかは言いっこなしじゃぞ」
   悪代官 「手前どもの商売は、事故米を売るところまででございます。あとは手前どもの与り知らぬこと」
   越後屋 「お主もワルよのお」
   悪代官 「越後屋様ほどでは……」
   越後屋 「まま、近う寄れ。まずは一献。今宵はよい焼き鳥が入っておる」
   悪代官 「かたじけのう存じます」
   越後屋 「よい焼酎も入っておるのじゃが……」
   悪代官 「そ、それはけっこうでございます。越後屋様もお人が悪い……」
   越後屋 「はっはっは、戯言じゃ。われらは麦酒といこう」

 どっちが悪徳商人なんだか。♪ややこしや~。

 三笠フーズに対して「輸入米を一生懸命買ってくれる大事なお客さん」などという意識になってしまっている時点で、すでにこの人は公務員じゃなくなっているよね。あんたに給料をくれるほんとうのお客様、いやさ、パブリック・サーヴァントたるあんたのほんとうの主人はいったい誰だと思っているのだ?

 もし“事故瓜”とか“事故李(すもも)”とかがあったら、農水省に大量に送りつけてやりたいよ。



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2008年9月14日 (日)

汚染米じゃなまぬるい、“毒入り米”と呼べ!

 いま焼酎のお湯割りを飲みながらこれを書いている。幸か不幸か、おれが飲んでいる銘柄は幸か不幸か“いまのところ”毒入り銘柄には挙がっていない。

 マスコミは最初あれを“事故米”と呼んでおり、やがて一部を除いては次々と“汚染米”と呼びはじめたが、ふつうに考えれば“汚染米”でもまだまだなまぬるい。転売した業者の犯意農林水産省の不作為(ひょっとして業者と癒着していたとすれば犯意)という二重の“人間の意志”が介在しているのだから、“汚染されていた米”などというニュートラルな言葉を使っている場合ではないだろう。例の農薬の入ったギョーザをみな“毒入りギョーザ”と呼び習わしているのだから、今回のこの米も“毒入り米”と呼ぶのが適当ではあるまいか。焼酎メーカーやらお菓子メーカーやらなにやら、善意の第三者として“毒入り米”を購入し、それを原料とした商品を作って売ってしまった方々にはまことに気の毒ではあるが、腐った役人どもの根性を叩き直すためには、被害者となった善意の第三者の方々にも、あえてこれを“毒入り米”と呼んでいただきたい気持ちがおれにはある。誰もあなたがたが犯意を持って毒を混入したなどとは、もはや思いませんから。すべては、毒と知りつつ転売した業者と、そもそもそんなものを売って、容易に転売できるような仕組みを作った農林水産省が悪いのです。

 もし業者を検査した農水省の担当者に充分な能力があったのなら、同じ業者に過去五年間のあいだに九十六回も検査に入っていて見抜けなかったなどということはまずあるまい。その場合、作為義務がある状況に於いての不作為があきらかに認められるだろう。公務員による犯罪だ。もし検査担当者が、公務員であるにはあまりに能力的に適格を欠く場合、また、そのような業務を行わせるにはあまりにも能力的に適格を欠く場合(早い話が、税金で養われているにしてはあまりに阿呆な場合)、その直属上司から農水大臣までがみな悪い。阿呆にその知能以上のことを無理やりやらせているのだから、そんな状況で当の阿呆を責めては阿呆がかわいそうだ。阿呆(すなわち、検査担当者)たち自身には罪はない。ただ阿呆なだけで、それは生まれつきのものだから、本人たちの努力ではどうにもならないのである。なにかのまちがいで公務員に採用されてしまっただけの話だ。採用のしかたそのものにも、大きな問題があるだろう。だからこの場合、当然そういう重要な仕事を阿呆に命じているやつらが悪い。もし検査担当者たちが阿呆でないというのなら、明白な犯意があるとしか考えられないから、農水省は、転売した業者だけではなく、とっとと検査担当者たちを刑事告訴しろ。おれの言っていることになにかおかしいところがあるか?

 というわけで、マスコミの方々、もうそろそろあれをちゃんと“毒入り米”と呼んではどうか? もちろん、善意の第三者である、米を原料とした食品を作るちゃんとした業者さんたちの損害を国が賠償するべきであるのは言うまでもない。警察には、転売した業者と検査担当者たちの金銭授受を伴う癒着関係がないかどうかを徹底的に調べてもらいたい。



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2008年9月 1日 (月)

ゴミの体積を減らして家計防衛

 生ゴミにせよプラスティックゴミにせよ、なにやら無駄に体積が大きくなってしまうのに腹が立つ。なにしろ、京都市では四十五リットルのゴミ袋が一枚あたり四十五円もするのだ。そこでおれは、最近、ゴミの体積を減らす大作戦に取りかかった。

 ゴミの圧縮機を買うとかいった金のかかる方法ではない。ゴミをすぐに捨ててしまわず、極力、ゴミの中にゴミを入れるようにするという作戦である。煙草の空き箱の中に細かいゴミを詰める。さらにそれをティッシュペーパーの空き箱の中に詰める。エリンギを入れて売っている容れものはとくに体積が大きいので、その中にほかのプラスティックゴミを詰め込んで捨てる。でかいヨーグルトの容器にも、いろいろほかのプラスティックゴミが入る。とにかく、できるだけゴミを“入れ子”になるようにして捨てるのだ。

 これは案外バカにならないぞ。おれはこの作戦を勝手に「マトリョーシカ作戦」(cf.『サラマンダー殲滅』)と呼称して、わが家で励行している。

 まあ、ほんのわずかでもね、家計の防衛にはなるよ。百五十円でも二百円でも防衛できれば、それで iTunes Store で一曲買えるわけだよ。ペットボトルのドリンクが一本買えるわけだよ。“金を払って空気を捨てる”ようなアホなことをできるだけ避けるため、みなさんもマトリョーシカ作戦を励行せよ!



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2008年8月31日 (日)

飛行機は飛びながら作れ!

 いやあ、これには大爆笑したなあ。世の中には、バカ正直な会社があるもんだ。

If programmers have make a plane

 まさにソフトウェア業界ってのは、乗客を乗せて飛びながら、その飛行機を作っているに等しい。こんなことがいつまでも続いていいはずはないが、改善される気配は、少なくとも日本国内ではあんまりない。まあ、おれなんかは管制塔の窓際の隅っこでレーダーを覗き込みながら、「おいおいおいおい、大丈夫かいな、これ」と一喜一憂しているだけでなにもできないワーキングプアだからいいようなものの、実際に上空で飛びながら飛行機作ってる人たちは、さぞやたいへんであろうなあ。ご同情申し上げる。あ、顧客が急に複葉機にしろと言ってきたぞ。建設業界で十階建てのビルができかかっているときに急に二十階建てにしろと言ってくる発注者がいたら、発注者のほうが狂人扱いされるであろうが、ソフトウェア業界ではそれが日常茶飯事なのである。

 こんなことを続けていたら、そのうち業界ごと墜落すると思うな。In a sense, this is what we do. か。なんて正直な会社なんだ。Indeed, this is what you do. However, is that really the way you should do your job? Is there any alternative?



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2008年8月24日 (日)

サザエさんはなぜ街までゆけたのか?

 どうして四十年近くも考えてみようともしなかったのだろう? 日曜夕刻に流れるあの歌に関する第一の疑問は、子供のころから抱いていたというのに。

 そうだ、そうにちがいない。サザエさんは小銭入れと財布を別々に持っているか、バスや電車に乗るときには回数券を使っているかのいずれかだ

 ♪買い物しようと 街まで出かけたが
   財布を忘れて 愉快なサザエさん

 ……ってことは、サザエさんは街までは現金を使わずに行けたわけだ。また、ここで言う「買い物」とは、近所にダイコンを買いにゆくとかいった日常的な買いもののことではない。なにか高価なものや小さな店では揃えていないようなものを買いにいったのだろう。とすると、歩いてゆけるようなところではないと考えられる。昭和四十年代の「街まで出かける」という言いまわしには、そういう暗黙の了解があった。

 とすると、サザエさんが「財布」を見ずに街までゆけたのは、小銭入れを別に持ち、日常的にはそれを使っていたか、交通機関の回数券を利用していたからだと考えるのが妥当だろう。

 もしかすると、いまの世には、サザエさんがなぜ街までゆけたのかを、まったく不思議に思わない子供さえ少なからずいそうだ。もう少し先には、そんな子供ばかりになるだろう。ケータイさえあれば、乗りものにも乗れるし、買いものもできてしまう。むしろ、サザエさんが財布を忘れたことがなぜ「愉快」なのかがさっぱりわからないなんてことになるのかもな。「財布は忘れたけど、ケータイは持っていったんでしょ?」とか言いそうだ。



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2008年8月17日 (日)

打ち水が「温暖化対策」なわけないだろう

打ち水で「温暖化止めよう」 暑さ日本一の岐阜・多治見 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0816/NGY200808160002.html

 昨年8月16日に最高気温が40.9度となり、74年ぶりに国内記録を更新した岐阜県多治見市は、毎年この日を地球環境を考える「たじみクールアースデー」と定めた。今年は1日早い15日に催しがあり、市が打ち水や消灯など身近な温暖化対策への取り組みを呼びかけた。
 市役所前での打ち水には、貯水槽にためた雨水が使われた。市民ら約200人のほか、「住民票」を交付された市のマスコットキャラクター「うながっぱ」も登場。約500リットルをバケツやひしゃくで道路にまいた。
 市立精華小学校の近くでは、市街地の地下を流れる虎渓用水の水をくみ上げる手押しポンプ「ガチャポン」がお披露目され、地域の人たちがくんだばかりの水を歩道や庭先に打ち水した。
 用水から給水した散水車も市内を巡回。夕方からは、市役所の敷地内でろうそくをともし、庁舎の照明を落とした。

 ちょ、ちょっと待て。この記事、まず見出しを一瞥しただけで、義務教育を修了した人ならズッコケるだろう。「市が打ち水や消灯など身近な温暖化対策への取り組みを呼びかけた」って、えーと、これは市がトンチンカンなのか、記者がトンチンカンなのか、両方トンチンカンなのか?

 消灯はまあいいとしようや。たしかに二酸化炭素排出削減には繋がる。二酸化炭素を含む温室効果ガスがどのくらいの時間幅でどの程度地球全体の温暖化に寄与しているかしていないかといった議論は置いておくとして、やらないよりはやったほうがいいことだろう。

 だが、打ち水「温暖化対策」などと呼ぶのは、ミスリーディングもおびただしい。教育上、悪い。打ち水の効果は、水が蒸発するときに地表から気化熱を奪い、地表からの輻射熱を減らし、地表付近の気温も多少下げるというだけのことにすぎない。熱エネルギーは地表から水の分子に移動しただけであって、ちょっと広い範囲で見れば、熱の総量は変わっていない。

 こういう文脈で「温暖化対策」なんて言葉を使っちゃいけませんなあ。この言葉は「地球温暖化対策」と解釈されるのが常だ。そういう“流行語”をイベントの広報や新聞記事にちりばめたいという大人の思惑はわからんでもないけど、限度というものがある。これは拡大解釈なんてもんじゃなく、ただの歪曲だ。打ち水を「温暖化対策」と呼ぶのは、水飲み鳥を永久機関と呼んでいるに等しい。いくらなんでもやりすぎだ。「打ち水をすることで少しでもエアコンの電力消費を抑えることができると考えられるから、“温暖化対策”なのだ」と言いたいのかもしれないが、だったらその意図こそを明確に書け。この記事の書きかたでは、打ち水そのものが直接「温暖化対策」として効果があるかのように読めてしまう。

 「温暖化対策」で人類が求められているものの見かたは、打ち水という行為の効果が体感できる範囲のものの見かたと、むしろ真っ向から対立するとすら言えるかもしれない。いや、おれは打ち水が悪いと言ってるんじゃないよ。生活の場に淡水が豊富に存在する日本が育んできた貴重な文化ではある。おれが問題にしているのは、あきらかに地球温暖化対策ではないものに「温暖化対策」などという中途半端な言葉を軽々に貼り付けて、狂騒的な“ブーム”のようなものに乗っかって目立とうとする多治見市だか記者だかのあさましい姿勢である。

 科学部を持っているような大新聞が、こういう、中学生でもおかしいと思うような軽薄で意地汚い言葉遣いをノーチェックで通しちゃいけませんなあ。

 多治見市も多治見市で、ちゃんとオチまでつけている。「夕方からは、市役所の敷地内でろうそくをともし、庁舎の照明を落とした」って、もの燃やしとるやないかあっ! 何本くらい燃やしたのか知らんが、誰か市の職員は二酸化炭素排出量の計算をしたのか? あるいは、然るべきところに算出を依頼したのか? もし、ふつうの蛍光灯が消費する電力を得るために排出する以上の二酸化炭素を蝋燭を灯すことで出しておったとしたら、洒落にもならんイベントだということになる。市民の税金でやっとるんだろう?



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2008年7月25日 (金)

「教育委員は誰か辞めてはいないんですか?」

 高校一年生の姪が、おれの姪にしては英語が苦手なもんだから(まあ、あんまり血縁は関係ないわな)、少し前に、中学の基礎の復習もしっかりできるような高校生向けのよさげな参考書がないかとネットでいろいろ漁ったところ、英語教育の玄人筋にたいへん評判のよい『高校これでわかる基礎英語―基礎からのシグマベスト』(組田幸一郎・宮腰愛美・佐野正之/文英堂)ってのを見つけ、姪に勝手に送りつけて押しつけた。姪は迷惑しているだろうが、おれの気がすまん。おれは英語がそこそこできるが、英語教育に関しては素人である。NHKの講座なんかの最近の教えかたを観ては、「おれたちが学生のころに比べて、ずいぶん進んだなあ」と、いまだに蒙を啓かれたりしているくらいだ。とはいえ、おれがなんだかんだで影響を受けた英語の先生三巨頭(國弘正雄倉谷直臣松本道弘)のうちのひとり、國弘先生ご推薦の本であるからして、とんちんかんな参考書では絶対にあるまい。さすが、漢文ならぬ英文の“只管朗読”を推奨なさる國弘先生お薦めだけあって、「声に出して読ませる」「書かせる」に力を入れているのは、学習参考書として絶対に正しいとおれも思う。

 まあ、姪はそもそも英語という言語そのものが生理的に嫌いなようなので、有効利用するとはとても思えないのだが、おれ自身の経験に照らすと、良書というものは、とにかく当座読もうが読むまいが、“それが手元にある”ということが非常に大事である。ふとしたタイミングで、汗を大量にかいたときに塩気のものが欲しくなるかのごとく、魔法のようにぱらぱらとめくってしまい、その真価に吸い寄せられるように気づくということがあるのである。不思議だが、ほんとうだ。こういう経験のある本読みは、当面読めないだろうなと思いつつも、本能が命じた本をとにかく買って手元に置いておきたがる。

 で、なんの話かというと、姪が英語が苦手なおかげで、おれは情報収集の過程でこの参考書を書いた先生、組田幸一郎氏のブログ「英語教育にもの申す」を発見し、しばしば覗かせてもらっている。学校英語教育の現場の方の声としてたいへん読み応えのある内容で、非常に勉強になる。まったく、姪のおかげだ。

 現時点での最新エントリー「この国は弱いものいじめが通るのか?」には、たいへん感銘を受けた。これは、安全圏からコメンテーターがほざいている台詞ではない。現職の教師が風当たりを承知で投げかけている勇気ある言葉なのだ――

 その一方で、教育長が辞職をしないのはどうして? 県の教育のトップが、「知らなかった」だけで、その職にとどまるのでしょうか。武士としての志が全く感じられない。そんな人間が、教育畑で偉くなっていくのって、ホントに良いんですか。
 教育委員は誰か辞めてはいないんですか? 
 秘書が口利きをしたといわれている議員が辞職しないのはどうして? 報道で名前が出てこなければ良いんですか? 結局は、秘書が行ったこと、自分は知らなかったで通すつもりなのだろうか。日本の政治って、所詮はこんなもんなんでしょうか。
 だいたい、今回の件は大分だけなのかい? そして、教員だけなのかい? 地方自治体の公務員にコネってないのかい? これについて、どうしようもないほどの、腹立たしさがあるけれど、あえて言うまい。
 しかし、組織的な矛盾について、若い教師が辞めることで、一件落着にしてはいけないだろう。

 いやあ、おれはこの先生、ますます好きになっちゃったよ。武士(もののふ)だね。「生涯一教諭のススメ」ってエントリーもしびれるぞ。なんか、これ読むと、教師の業界って、ソフトウェア業界にちょっと似てるな。

 もはや制度的にはぐちゃぐちゃと言ってもよいわが国の教育であるが、この先生みたいな方々が、上向きでも内向きでもなく、子供のほうだけを向いていらっしゃるかぎり、まだまだ日本も捨てたもんじゃないと、ちょっと安心するのである。痴漢とか盗撮とかで捕まってるバカも少なからずいるけどね。



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2008年7月24日 (木)

色即是空、空即是色

広がるちくわの穴 食料・日用品、価格据え置きに苦慮 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0720/TKY200807200189.html

 物価の上昇が止まらない。とりわけ暮らしに影響が大きいのは、食料品や日用品の値上げだ。消費者の買い控えを避けたい企業側は、割高感を与えまいとパッケージを変えたり商品を改良したり。工夫をこらしたあの手この手の商戦が続く。
 水産加工大手の日本水産(東京都)は06年9月から、主力商品「活(いき)ちくわ」の穴を大きくしている。原料のスケトウダラのすり身の価格が、世界的な魚肉需要の高まりで高騰したため、1本30グラムから25グラムへ減量したという。穴の直径は公表していないが、同社は「長さを短く、身も少し薄くしました」と明かす。

 「いらっしゃい、まいど」
 「毎日暑いわねえ……あら、この空っぽの袋はなに?」
 「ああ、それね。ちくわですよ」
 「ちくわ――って、なんにも入ってないじゃない」
 「心外だな、奥さん。いやね、メーカーが言うには、価格据え置きのためにちくわの穴を大きくしていったら、とうとう穴だけになっちゃったらしいんですわ」
 「じゃあ、この袋の中には、ちくわの穴が詰まってるわけ?」
 「ええもう、ぎっしりと。涙ぐましい企業努力ですよ。しかも、サービス期間中は一本ぶん多く入ってます」
 「……い、いただくわ」
 「さすが奥さん、まいどありぃ。なんたって、メタボ対策にはちくわですよ」
 「それはたしかなようね」



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2008年7月23日 (水)

大統領候補のデジタル・ディバイド

Unlike McCain, many seniors surf the Web (CNN.com)
http://edition.cnn.com/2008/TECH/ptech/07/21/wired.seniors.ap/index.html

NEW YORK (AP) -- If Sen. John McCain is really serious about becoming a Web-savvy citizen, perhaps Kathryn Robinson can help.
Robinson is now 106 -- that's 35 years older than McCain -- and she began using the Internet at 98, at the Barclay Friends home in West Chester, Pennsylvania, where she lives.
"I started to learn because I wanted to e-mail my family," she says -- in an e-mail message, naturally.
Blogs have been buzzing recently over McCain's admission that when it comes to the Internet, "I'm an illiterate who has to rely on his wife for any assistance he can get." And the 71-year-old presumptive Republican presidential nominee, asked about his Web use last week by the New York Times, said that aides "go on for me. I will have that down fairly soon, getting on myself."
How unusual is it for a 71-year-old American to be unplugged?

 ニューヨーク・タイムズ紙の記者に訊かれたとき、うっかり「インターネット文盲で、妻に頼りっきり」みたいなことを言ってしまったばっかりに、マケイン候補はすっかりCNNでは電脳社会の文盲扱いである。「この百六歳のおばあちゃんに教えてもらえば?」と揶揄する論調だ。

 たしかに、これはアメリカ大統領候補としては、ずいぶんまずいことを言ったものだ。高齢者や身体障害者が時に命の綱にもしているインターネットに、現代のアメリカ大統領になるかもしれない人物が無関心であるというイメージが広まってしまっては、どう考えたってプラスにはならない。インターネットを使っているかどうかが、自由社会のリーダーたる条件になるかどうかという議論が起こっているそうだが、少なくとも、おれは自分で使いもしないでインターネット社会がどうのこうのとほざいている経営者などは、まったく信用しないがなあ。自分がユーザでないものに関しては、どうしたって“顧客視点”を欠くのが人間というものである。「喫茶店に入ったことのない人が喫茶店をはじめてはいけない」と先日書いたとおりだ。小説を読んだことがない作家なんているものか。アメリカ国民も、その点に引っかかって揶揄しているのだろう。とくに民主党支持者は。

 マケイン候補は七十一歳なんだから無理もない……というのはIT後進国の日本での感覚。記事によると、アメリカ人全体では、六十五歳以上でインターネットを使っている人はわずか三十五パーセントだが、六十五歳以上の白人大卒男性となると話はちがう。じつに七十五パーセントが使っているのだ。マケイン候補は、少数派の電脳文盲(?)に属してしまうのである。

 オバマ候補のほうは電脳リテラシーに関してはあまり心配なく、ブラックベリーに夢中になって歩道の縁に躓いたりしているところを撮影されて、YouTube に流されたりしているくらいだそうだ。危うし、マケイン! ここで挽回するには、iPhone でも常時携帯して見せびらかさないと。

 七十一歳の爺さんがインターネットを日常的に使っていないからといって、日本ではそんなことは論点にすらならないが、まあ、このあたりが腐ってもアメリカである。インターネットに疎いということは、すなわち、水道やら電気やらガスやらといったライフラインに疎いというのに匹敵するマイナスイメージになりかねない。おれ個人にとっては、すでに充分ライフラインなんだけどね、日本でも。

 『日本の電子政府は「おもちゃ」』という意見にはおれも賛成だから、マケイン候補も、日本でならまだおちょくられたりしないのにね。残念ながら、IT先進国で大統領選に出るということは、たいへんなことなのだ。



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2008年7月16日 (水)

コンピューターおばあちゃんの死

'World's oldest blogger' dies at 108 (CNN.com)
http://edition.cnn.com/2008/WORLD/europe/07/14/oldest.blogger/index.html

(CNN) -- An Australian woman often described as the world's oldest blogger has died at the age of 108 after posting a final message about her ailing health but how she sang "a happy song, as I do every day."
Olive Riley died Saturday at a nursing home in New South Wales.
Riley posted more than 70 entries on her blog -- or "blob" as she jokingly called it -- since February 2007.
On the site, The Life of Riley, and in a series of videos post on YouTube, Riley mused on her day-to-day life. She also recounted living through two world wars and raising three children on her own while working as a cook and a bar maid.

(中略)

Riley was born in 1899 and would have turned 109 on October 20. She took up blogging at the suggestion of Mike Rubbo, who filmed a documentary on her life four years ago.
"First of all, I had to explain to her what a blog was and that took some doing," Rubbo said. "Then I got across the idea it was sort of a diary that she would share with the world.
"The reason for its popularity is that she was such a standout talent -- just so touching and funny and such a great story teller."

 おれはこの“世界最高齢ブロガー”のライリーおばあちゃん、この記事を読むまで知らなかったんだけど、いやあ、いいねえ。おれもこういうふうに死にたいもんだ。

 彼女がブログを書いていたのは、ほんの一年半足らず、わずか七十四エントリーを記しただけだ。それでも、彼女にとって、人生の最後に、世界中のいろんな人とこういう形で交流ができたことは、どんなにか新鮮な驚きだったことだろう。

 なにしろ、ライリーおばあちゃんは一八九九年に生まれているのだ。アインシュタインが特殊相対性理論を世に問うたのは、彼女が十六歳のときだということになる。そう考えるだけでも、彼女が経験してきたであろうことどもは、おれたちの想像を絶する。ライリーおばあちゃんは、おれたちには信じられないような、さまざまなものを見てきたにちがいない。Attack ships on fire off the shoulder of Orion. ...とかはさすがに見てないと思うが、それに相当するようなワンダーを経験してきていたのだろう。

 そんな彼女にとっても、百歳を超えた自分が個人用のコンピュータなどというものを使って世界中の人に向けて日記を書くと、見も知らぬ外国の人々が温かいコメントを寄せてくれるなどという出来事は、まるでむかし子供たちが読んでいた Amazing StoriesAstounding Science Fiction の中にいるかのようであったろう。ワンダーは未来の話にのみあるわけではもちろんない。こんなおばあちゃんの人生は、それそのものがワンダーの塊なのである。

 All those moments will be lost in time, like tears in rain. コンピューターおばあちゃん、バンザイ!



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2008年7月15日 (火)

右翼の方々、こういうのをほっといてはいかんよ

田中義剛さんの生キャラメル「200箱売れ」強要の男逮捕 (YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080714-OYT1T00418.htm

 タレントの田中義剛さんが経営する花畑牧場(北海道中札内村)に対し、右翼団体を名乗って生キャラメルを大量販売させようとしたとして、道警帯広署は14日、芽室町西2、不動産業山口栄治容疑者(29)を強要未遂の疑いで逮捕、釧路地検帯広支部に送検したと発表した。
 発表によると、山口容疑者は9日、花畑牧場に電話をかけ、人気商品「生キャラメル」(12粒入り、850円)約200箱の購入を申し込んだが、断られたため、右翼団体を名乗り、「100箱買うんだったら30人で行って買えばいいんだな」「バスに乗って、黒い服を着て行くぞ」などと脅した疑い。
 生キャラメルは昨年4月に発売したところ、大人気となり、今春から1人当たり5箱の限定販売をしている。山口容疑者は「内祝いのお返しに使うつもりだった」と供述しているという。

 なんだかなあ。脅しただけだから強要未遂ということになるのだろうが、実際に押しかけていったら、威力業務妨害だろうな。

 「右翼団体を名乗り」ってあるけど、キャラメルが欲しいからと三十人で押しかけてくる右翼なんているかねえ。ちゃんとした右翼が怒るぞ。「内祝いのお返しに」人気のキャラメルを使いたいんなら、その三十人の手下だか従業員だかに、行儀よく一人ずつ代わるがわるふつうに買いにゆかせればいいだけではないか。それくらいのことは、みんなスーパーの特売とかで家族を動員してやっているぞ。念の入った人は、着替えて行ったり、リバーシブルのジャンパーとかを用意していったりするくらいだ。庶民がふつうにやってる手間を惜しんではいけませんなあ。

 ちゃんとした右翼の方々は、こういうくだらない犯罪で右翼を名告るようなけしからんやつには、再発防止のためにヤキのひとつも入れてやるべきだな。右翼をバカにしている。こういうやつがいるから、左翼に比べて右翼は頭が悪いとか(実際にはそんなことは全然ない。左翼だろうが右翼だろうがアホはアホ、カシコはカシコである)、右翼のイメージが悪くなるのだ。



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2008年7月 5日 (土)

電車の女性乗務員を守る提案

電車内で乗務員を連続強姦 男起訴、朝のグリーン車狙う (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0703/TKY200807030489.html

 JR東日本の電車内で今年3月と4月、乗務員の女性が襲われる事件が2件相次ぎ、川崎市川崎区の飲食店従業員、今井卓哉被告(34)が、強姦(ごうかん)や強姦致傷の罪で逮捕・起訴されていたことがわかった。JR東日本は、一部の電車内に監視カメラを設置するなど、車内の防犯、安全対策の強化に乗り出している。
 電車内の強姦事件では、JR西日本管内の特急などで06年、乗客の女性3人が被害に遭うなどしたが、勤務中の乗務員の被害が明らかになったのは初めて。
 捜査当局やJR関係者などによると、今井被告は今年3月下旬と4月上旬ごろ、走行中の電車のグリーン車付近で、乗務員の女性をトイレに連れ込んで首を絞めるなどの暴行を加えたうえ、「静かにしろ。殺すぞ」「死にたくなかったら言うことを聞け」などと脅迫。1人を強姦し、1人は未遂だったが約2週間のけがを負わせたとされる。
 今井被告は、グリーン車には女性乗務員が勤務していることを知っていて、乗客の人目が少ない早朝を狙って相次いで乱暴したとみられる。

 ひえええ、こんなアダルトビデオみたいな事件が現実に起こっているとは……。まあ、車内がガラガラになる時間帯だったら、こういうやつも現れるかもなあ。

 それにしても、鉄道会社も鉄道会社だ。自社のどの路線のどんな列車がどんな時間帯にガラガラになるのかとかは、把握してないのかなあ。女性乗務員をひとりで回らせるのは危険かもしれないくらいのことは、気づきそうに思うんだけどな。ひょっとしたら、女性乗務員たちからも、「あの時間帯は怖い」くらいの訴えはあったのかもしれない。とくに昨年は、北陸本線の特急「サンダーバード」車内で、衆人環視(というか、衆人看過)の下に起こったああいう事件が各メディアに大きく取り上げられたくらいなのだから、もっと早く手を打つべきだったろう。

 監視カメラやなんかを設置する決定をし手配をするまでに時間がかかったのだろうが、どっちにしても監視カメラってのは、モニタを常時見ている人がいなければ、迅速に対応はできないだろう。あとで録画を観たら乗務員が強姦されていました、では話にならないのである。また、抑止力としての監視カメラは、「監視してるぞ~」とこれ見よがしに設置しなければ意味がない。ホンモノであろうが、ダミーであろうがだ。ほとんどのふつうの乗客にとって、ちょっと不愉快だろう。グリーン車となれば、なおさらだ。

 そこでおれは考えたのだが、女性乗務員にヘッドセットを着用させるというのはどうだろう? コールセンター要員が着けてるようなアレだ。実際に機能してもいいし、なんならダミーでもいい。よからぬことを考えている男に、「私はどこかと繋がってます」ということを視覚的にアピールするだけで、大きな抑止力になるだろうと思うのだがどうか? ヘッドセットなら、監視カメラほど不快な印象を与えないし、なにより、女性が装着している姿はあちこちで誰もが見慣れている。

 まあ、問題は、世の中には“ヘッドホン萌え”という趣味の人もあるから、“ヘッドセット萌え”だって、たぶんあるだろうということだけだな。ヘッドセットを装着しているがゆえに、ニッチな趣味(?)の男の劣情を刺激してしまうという可能性はゼロとは言えない。でも、ニッチなフェチで非常識な男であったとしても、「キャー」とひと声叫べばどこかの誰かに聞こえるようになっているかもしれないと“見える化”されていれば、そうそう迂闊に手は出せまい。ひょっとしたら、車内放送のマイクになっているという可能性だって、見るからにあるのだ。

 これ、いいアイディアだと思うんだけどなあ。ダミーでも充分効果あるんじゃないかな。どこかの鉄道会社さん、採用しませんか?

 まあ、最後の手段は、女性乗務員にスタンガンでも携行させるしかないか。それもまた、殺伐としてて厭だけどねえ。日本という国がそこまで落ちぶれてほしくない。



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2008年7月 2日 (水)

警戒せよ、大阪人!

大阪人、「金が戻ってくる」には弱い? 還付金詐欺急増 (Yahoo!ニュース)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080701-00000901-san-soci

 「オレオレ詐欺」には強くても、税金などの払い戻しを装う「還付金詐欺」には弱い大阪人-。大阪府警が30日まとめた今年1~5月の府内の振り込め詐欺の被害状況で、こんな大阪人像が浮かびあがった。全国での還付金詐欺の被害額は一般にオレオレ詐欺の半分以下だが、大阪府の還付金詐欺は件数、被害額とも前年同期比10倍以上と急増しており、オレオレ詐欺を大きく引き離している。
 府警幹部は「オレオレ詐欺に強い大阪人も、金が戻ると思わせる還付金詐欺には注意してほしい」と呼びかけており、府警は同日、被害抑止に向けた「振り込め詐欺対策本部」を設置した。

 いわゆる“オレオレ詐欺”に最も引っかからないのは大阪人であると人口に膾炙しているのだが、“金が戻ってくる”という話には弱いというのは、じつに面白い。おれは妙に納得し、爆笑してしまったよ。

 だけど、大阪人ともあろうものが、こんな手口に引っかかるとは、もう少し常識というものをわきまえなきゃならんよなあ。そもそも、国やら自治体やらが、「取りすぎていました」などと自分から申し出てくるわけがないじゃないか。民間の優良な企業であれば、そういう良心というものを持ち合わせており、みずからの過ちを誠実に認めることが長期的には自分たちの繁栄にも繋がるということをちゃんと理解しているが、国や自治体を逆さに振っても、そんな良心が出てくるわけがない。取れるところ、取りやすいところからはどんどん取り、取れないところ、取りにくいところからも取れれば取りたいと思っている。そして、一度取ったものは絶対に返すものかと思っている。「公のものは公のもの、民のものは公のもの」くらいに思っているのが、日本の多くの公務員である。ジャイアンみたいなものだ。そういう卑しい身分を恥ずかしく思う人は、たいてい遅かれ早かれ公務員など辞めている。

 原則として、国や自治体が国民・住民(ユーザ)のためを思って、自分たちが損をするようなことを自主的に言ってくるわけがないという、あたりまえのことをわきまえておれば、還付金詐欺などに引っかかるはずがないのである。わかりましたか、大阪人? とにかく、“官”とか“公”とかの名のつくものは“ひったくりの一種”だと思っていれば、大阪人ももっと自然に警戒できるだろう。



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誰を“ほふる”の?

 前から思ってるんだが、証券保管振替制度(あるいは、機構)の愛称が「ほふり」ってのは、あまりといえばあんまりではないだろうか? まず、いちばんに「屠り」と漢字を当ててしまう。あんまり“大切な株券”を預けたくないような名称だよなあ。まあ、おれは株券なんて持ってないが。

 こういう愛称がすんなり通ってしまうということは、「屠る」といった言葉を日常の語彙に持っている人が減っているということなのかもしれんなあ。まあ、このブログを読みにきているような人々にとっては、「屠る」というのは非常に使用頻度の高い日常語だろうとは思うが、どうやら一般世間ではそうではないらしい。

 ひょっとしたら、わざと「ほふり」という名称にしているという可能性もないではないかな。株式投資などとは縁のない経済的弱者を「屠る」という意味を意図的に込めているのかもしれない。いや、あくまで、“かもしれない”だよ。



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2008年6月28日 (土)

なんととっぴな平城京

「せんとくん」敗れる 京都・山科駅前で288人に聞く (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0626/NGY200806260005.html

 「せんとくん」は有名だが、好感度は「まんとくん」に軍配――。平城遷都1300年祭のキャラクターについて、そんなアンケート結果が出た。ただ、「せんとくん」は高齢者の間では健闘した。「なーむくん」も含め、乱立ぎみのキャラだが、調査した京都橘大学の木下達文准教授は「せんとくんの知名度を生かし、ダブル、トリプルキャストでやってはどうか」としている。

 せんとくんまんとくんなーむくんに続いて、けんとくんというのはどうだろう? まんとくんにもなれる。



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産地はどこか、前へ回ってウナギに訊いてくれ

ウナギ偽装の魚秀社長「神港魚類と計画」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0628/OSK200806280057.html

 ウナギ輸入販売会社「魚秀(うおひで)」(大阪市)と水産物卸売会社「神港魚類」(神戸市)が中国産のウナギのかば焼きを「三河一色産」と偽装して販売していた問題で、魚秀の中谷彰宏社長が朝日新聞の取材に対し、「魚秀の福岡営業所長と神港魚類の担当課長が1月下旬ごろに偽装を計画した」と話した。中谷社長は営業所長から相談を受け、「ウナギの在庫を何とかしたい」と思って偽装を承認したという。
 中谷社長によると、神港魚類との商談窓口になっている福岡営業所長が、神港魚類の担当課長との雑談の中で「中国産ウナギの在庫がふくらみ困っている」と話したところ、互いの利益が一致し、偽装の計画が持ち上がった。その際、一色産なら有名だから売れるのではないかと、偽装ブランドの内容も決めたという。

(中略)

 問題発覚後の神港魚類の会見では、担当課長が中谷社長から呼び出され、1千万円入りの中国産のお茶の袋を渡されたと証言。当時、市場関係者から「ウナギの産地がおかしい」と指摘されており、担当課長は「産地偽装の口止め料」と認識していたという。これに対し、中谷社長は「偽装したウナギを売ってもらうためのリベート」と話しており、両者の認識は食い違っている。

 『担当課長は「産地偽装の口止め料」と認識していたという。これに対し、中谷社長は「偽装したウナギを売ってもらうためのリベート」と話しており、両者の認識は食い違っている』って、ええい、目くそ鼻くそじゃ。お互い、自分の都合のいいようになんとでも呼べ。

 しかし、すげえなあ。「越後屋、お主もワルよのお」「いえいえ、お代官様にはかないませぬ」みたいな定型のやりとりが聞こえてきそうだ。いや、少なくとも、悪代官と越後屋には相互に犯意の認識があるわけであって、まだしもすがすがしい(?)。今回のようにワル同士がなすり合いをしているのは、なんとも見苦しいなあ。

 もし、《必殺》シリーズをいまも作ってたら、絶対、偽装ネタで一本やっただろうねえ。「主水、偽装鰻を食う」とかなんとか。

 それにしても、「ウナギ偽装」とか言われると、「イヌの肉を混ぜてたりして……」などと反射的に考えてしまうおれもわれながらいかがなものかとは思うが……。それを“珍味ウナギイヌ”として売るのならなんの問題もないが(買う人がいるかどうかはともかく)、純ウナギだとか純イヌだとか偽って売っちゃいかんというだけの話だよなあ。

 「ウナギの在庫を何とかしたい」と思っていたんなら、丸明の冷凍庫に預けておけばよかったのに。とっても長いあいだ保管(保存ではない)してくれるぞ。



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2008年6月21日 (土)

国際環境保護窃盗団「グリーンピース」

グリーンピース:鯨肉持ち去りでメンバー2人逮捕 (毎日jp)
http://mainichi.jp/select/today/news/20080620k0000e040025000c.html

 国際環境保護団体「グリーンピース・ジャパン」(GP)=東京都新宿区西新宿8=のメンバーが4月、調査捕鯨船「日新丸」乗組員の鯨肉横領を裏付けようと、宅配途中の鯨肉入り段ボールを無断で持ち去った事件で、青森県警と警視庁は20日朝、GP海洋生態系問題担当部長、佐藤潤一容疑者(31)=東京都八王子市みなみ野3=ら2人を窃盗と建造物侵入の疑いで東京都内で逮捕した。

(中略)

 県警は20日午前、新宿区のGP事務所など5カ所の家宅捜索に入った。2人の身柄は同日中に青森署に移して本格的に事情を聴き、GPが組織的に関与していなかったかなどについても調べる。
 GPは5月15日、乗組員ら12人が鯨肉を着服したとして業務上横領容疑で東京地検に告発。佐藤容疑者は記者会見で、無断持ち出しを認めたうえで「横領行為の証拠を入手するためで問題ない」などと説明していた。
 県警は「持ち出し行為は悪質で、グリーンピースの主張は関係ない」としている。西濃運輸は「同様事件の再発防止を再徹底する。グリーンピースへの損害賠償請求については、弁護士に相談する」とのコメントを発表した。【矢澤秀範、野宮珠里】
 ◇「逮捕は当然だ」 国家公安委員長
 GPメンバー2人が逮捕されたことについて、泉信也国家公安委員長は20日の閣議後会見で「人の所有物を勝手にとるのはあってはならないことで許されない。(逮捕は)警察として当然の責務を果たしたものと理解している」と述べた。

グリーンピース:即時釈放求める声明 (毎日jp)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080620k0000e040079000c.html

 国際環境保護団体グリーンピースは20日、「グリーンピース・ジャパン」の幹部ら2人が窃盗容疑などで青森県警と警視庁の合同捜査本部に逮捕されたことを受けて、「無実の人間が逮捕されたことは驚きだ。即時に釈放されるべきだ」との英文の声明を東京発で発表した。
 声明は、「日本の捕鯨は国際的に批判されている。逮捕された活動家には、捕鯨で誰が得をしているか知る権利がある。(逮捕は)脅迫行為だ」と非難した。(共同)

 おれは最初にテレビでこのニュースを観たとき、目か耳がおかしくなったのかと思ったよ。言っていることがさっぱりわからない。「横領行為の証拠を入手するためで問題ない」って、あのなあ、いつどこで誰がおまえに司法警察権を付与したというのだ?? 環境より先に、自分の脳を心配しろ。

 まあ、どんな組織にもバカはいる。ごく少数のバカが勝手な解釈で突っ走って犯罪に走ることもあろう……と大目に見てやろうかと思っていたら、団体名義の声明で「無実の人間が逮捕されたことは驚きだ」などとほざいている。おまえらが犯人たちを「無実の人間」だと思っているのが驚きだよ。

 こら、あかんわ。こいつらの言っていることは、オウム真理教と本質的には変わらん。テロリストの論理だ。こういう連中は、法というものは自分たちを縛るばかりの枷だとしか考えられない程度の知能と想像力しか持ち合わせていない。その法が守っているものの中には、ほかならぬ自分たちも入っているのだとは夢にも思っていないのである。

 こんなやつらは、どんどんしょっぴけばよろしい。というか、しょっぴかんとまずい。国家公安委員長の言ってることは、まったくもって正しい。こいつらは、“環境保護”という呪文を唱えれば、なにをしてもかまわんと思っているわけだ。“なにをしても許される”と思っているわけではない点に注意されたい。なにをしてもかまわんのだから、“許される”なんて概念そのものがそもそもないのである。

 こういう団体を放っておくと、そのうち集団で秋葉原とか新宿とか霞が関とか東京駅とかでダガーナイフを振りまわし通行人を数十人、数百人と殺傷しては、シー・オー・ツーの排出を削減するためで問題ない」などと、いけしゃあしゃあとほざくにちがいない。おれは冗談で言っているのではないのだ。そういう思想を内包している団体だと、連中は自分たちで誇らしげに明言しているのである。

 まともに環境保護について考えているのだが、うっかりなにかの弾みでグリーンピースに所属してしまっている人は、すぐに脱退したほうがいい。いつなんどきどんな理屈で、“自己批判”を迫られ、粛清されるかポアされるか、わかったもんじゃないですぞ。なにしろ、あなたひとりがこの世から消えれば、あなたぶんの二酸化炭素の排出は確実に削減できるし、あなたぶんの食糧になる動物や植物の命を絶たなくてもすむのもまた、定性的にはまったく正しいことなのだから。



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2008年6月17日 (火)

お帰りなさいませ

 たとえば、秋葉原だけにたまたま観光で来たガイジンは、「お帰りなさいませ」という日本語をまちがって覚えている可能性はないだろうか? 日本ではどんな飲食店に入っても「お帰りなさいませ」と言われるものだと思っていたら、それは大まちがいだぞ。ふつーは「いらっしゃいませ」と言われる。

 じゃあ、日本の家庭では、家に帰ると奥さんなり旦那さんなりが「お帰りなさいませ」と言ってくれるかというと、そんなことはたぶんない。「お帰りー」くらいがせいぜいだろう。なに? あなたのウチでは、奥さんが帰ってくると、あなたが「お帰りなさいませ、奥様」と言って迎えるですと? いやまあ、それはあなたのウチの特殊な事情であって、ガイジンさんに「日本ではこう言う」などと教えるのには問題があるだろう。

 要するに、秋葉原で「お帰りなさいませ、ご主人様」などという日本語を覚えて帰ったとしても、そんな日本語を使う機会などまずないのだ。わかりましたか、ガイジンさん? まあ、こういうのは、われわれが外国語を覚える際にも気をつけたいことではある。



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2008年6月15日 (日)

喫茶店に入ったことのない人が喫茶店をはじめてはいけない

炎上寸前!? 新山千春のブログがアツい(イタい?)! (日刊サイゾー)
http://www.cyzo.com/2008/06/post_638.html

芸能プロも頭を抱える!? タレントブログの“管理”問題 (日刊サイゾー)
http://www.cyzo.com/2008/05/post_581.html

 うう~む、新山千春のブログに行ってみたが、これは、た、たしかにかなりイタいね。タレントとしての新山千春におれ個人は含むところはなにもないし、好きでも嫌いでもないといった感じだ。べつに褒めようとも叩こうとも思わない。メジャーでもマイナーでもないという微妙な立ち位置ではあろうから、マーケティング的にいろいろと演じなきゃならん面もあるのだろう。芸能人も商売だ。でも、このブログのノリは、はっきり言ってスベってるとしか思えないんだけれども……。

 なにより、アクセスした瞬間に思ったのは、まあ、おれの感覚が古いのかもしれんが、もし津川雅彦がこういうブログを見たらどういう感想を抱くものか、訊いてみたい気もする――ということだった。ぞっとするだろうか、「時代も変わったねえ」と苦笑するだろうか……。おれの婆さんが生きていたら、まちがいなく「あほや」と一蹴しただろうけどな。まあ、さいわいあのときの娘さんも、立派に女優になってらっしゃいますしね。おれも歳を食ったもんだ。

 ま、新山千春のことはともかく、たしかに昨今、芸能人が猫も杓子もブログを開設して、中には仰天するほど非常識なことを書いて世間に呆れられ叩かれたり、最悪、本業の活動停止を食らったりするような例も出てきている。芸能プロダクションとしても管理が難しいだろうとは思う。まあ、いまの日本なら、ほぼ三十歳くらいを精神的な成人だと考えるとすれば、芸能プロが扱っているタレントという商品の多くは、精神的には未成年なのである。早くから特殊な世界に放り込まれたコなら、けっこういい歳になっても精神的にバランスが悪いことも考えられる。

 そこいらへんの高校生、大学生が自分でブログを立ち上げ、少々問題のあることを書いても、それは本人の責任であるし、また、ほとんど大きな問題にはならない。なにしろ、たいていは、ほんの限られた身内しか読んでいないのだ。その点、芸能人の場合、下手に有名なもんだから、パンピーなら無視される程度のことでも、やたらあちこちで叩かれることになる。それが芸能人であるということの職業的宿命ではあるのだけれども、そういう自覚がない芸能人だって、若年化が進む中で少なからずいることだろう。

 となると、いちいち検閲するのはどうかと思うけれど、やはり芸能プロダクションとしては、媒体としてのブログの特性を教育してから開設させるべきではなかろうか。法的なことの基礎教育をやっているところもあると上記の記事は伝えているが、それでは足らないと思う。「このご時世、ウチのタレントにもブログくらいやらせないとなあ」などと、ブログを自分たちが馴染んできたマスメディアのひとつだと勘ちがいしていると、そんな芸能プロのタレントはいつかブログで問題を起こすだろう。ブログはマスメディアじゃない。まず、そこを芸能プロが認識することが重要だと思う。

 ブログを長く続けて支持されているタレントは、たいていみずからもさまざまな他者のブログの一読者であるところからはじめている。眞鍋かをりしかり、中川翔子しかりである。彼女らは、ブログの媒体としてのすごさも怖さも、ウェブ上のいろいろな事件を見てきて、頭の隅にあることだろう。つまり、ユーザとしての視点を持っており、ブログはけっして自分たちの主戦場であるマスメディアなどではないこと、マスメディアのノリが通じない別の媒体であることを、しっかりと“体感”しているはずだ。

 ろくろくウェブを利用してもいないタレントに、流行りものだからと、マスメディア的なプロモーションのつもりで無理にブログをはじめさせると、絶対失敗すると思うな。失敗するどころか、問題を起こす可能性も高い。それはあたかも、喫茶店の客になったことがない人に、いきなり喫茶店を経営させようとするようなものだからだ。なかなか注文を取りに来なくてイラついた経験がない。ゴキブリが這っていたりハエが飛んでいたりして、イラついた経験がない。音楽がやかましい、テーブルが汚い、コーヒーフレッシュの瓶の注ぎ口からフレッシュが垂れている、品のない客が大声で騒いでいるのを放置している、ウェイトレスが水を置いてゆくときに荒っぽくて水がこぼれた……などなど、自分が喫茶店を経営するなら、絶対こういうことには気をつけるようにしたいな、と思うような不快な経験をしたことがない。こういう人に、いきなり喫茶店を経営しろと言っても無理な話なのである。

 そこでおれは芸能プロに提案したい。所属タレントにブログをはじめさせるのなら、まず彼ら・彼女らに、“ユーザ”としての経験をさせるべきだ。同業のタレントや文化人のブログを、最低一か月はじっくりと読ませるべきである。ユーザとしての経験をさせれば、小難しい教育などしなくとも、おのずとやっていいことと悪いことに関して自覚的になるはずだ。媒体の“ノリ”がわかるはずだ。

 自分が客になったことのない媒体で、いきなり提供者側に回らせようとすることに、そもそもの問題があるように思える。テレビを観たことがなくて、テレビで活躍するタレントになっている人はほとんどいないだろう。テレビというのがどういう媒体であるか、彼ら・彼女らは、ユーザとしての経験を積むことで、いちいち教えなくても身体でわかっているはずだ。インターネットだって同じである。まず、ちゃんと使わせろ。提供者側に回るのは、それからだ。



 

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2008年6月14日 (土)

煙草が千円になったら

 さすがにおれはやめるつもりだ。いくらなんでも、毎日一枚ずつ千円札に火を点けて燃やしているところを想像すると、アホらしいことおびただしい。いやまあ、毎日三枚ずつ百円玉に火を点けて燃やすのも充分アホらしいことはアホらしいのであるが、それはあまりリアルでヴィヴィッドな“画”には繋がらない。やはり、燃える千円札のイメージは、あまりにも鮮烈だ。

 きっとアレだなあ、そろそろ値上げというころになると、コンビニに車で乗りつけて、最後の安い煙草を何十カートンも“大人買い”してゆくやつがいっぱい現れるだろうなあ。子供にゃ買えないんだけどな。



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2008年6月12日 (木)

アメリカでLPレコードが復興中

Retailers giving vinyl records another spin (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/US/06/10/vinyl.records.ap/index.html

PORTLAND, Oregon (AP) -- It was a fortuitous typo for the Fred Meyer retail chain.
This spring, an employee intending to order a special CD-DVD edition of R.E.M.'s latest release "Accelerate" inadvertently entered the "LP" code instead. Soon boxes of the big, vinyl discs showed up at several stores.
Some sent them back. But a handful put them on the shelves, and 20 LPs sold the first day.
The Portland-based company, owned by The Kroger Co., realized the error might not be so bad after all. Fred Meyer is now testing vinyl sales at 60 of its stores in Oregon, Washington and Alaska. The company says, based on the response so far, it plans to roll out vinyl in July in all its stores that sell music.
Other mainstream retailers are giving vinyl a spin too. Best Buy is testing sales at some stores. And online music giant Amazon.com, which has sold vinyl for most of the 13 years it has been in business online, created a special vinyl-only section last fall.
The best-seller so far at Fred Meyer is The Beatles album "Abbey Road." But musicians from the White Stripes and the Foo Fighters to Metallica and Pink Floyd are selling well, the company says.
"It's not just a nostalgia thing," said Melinda Merrill, spokeswoman for Fred Meyer. "The response from customers has just been that they like it, they feel like it has a better sound."
According to According to the Recording Industry Association of America, manufacturers' shipments of LPs jumped more than 36 percent from 2006 to 2007 to more than 1.3 million. Shipments of CDs dropped more than 17 percent during the same period to 511 million, as they lost some ground to digital formats.

The resurgence of vinyl centers on a long-standing debate over analog versus digital sound. Digital recordings capture samples of sound and place them very close together as a complete package that sounds nearly identical to continuous sound to many people.

Analog recordings on most LPs are continuous, which produces a truer sound -- though, paradoxically, some new LP releases are being recorded and mixed digitally but delivered analog., manufacturers' shipments of LPs jumped more than 36 percent from 2006 to 2007 to more than 1.3 million. Shipments of CDs dropped more than 17 percent during the same period to 511 million, as they lost some ground to digital formats.

The resurgence of vinyl centers on a long-standing debate over analog versus digital sound. Digital recordings capture samples of sound and place them very close together as a complete package that sounds nearly identical to continuous sound to many people.
Analog recordings on most LPs are continuous, which produces a truer sound -- though, paradoxically, some new LP releases are being recorded and mixed digitally but delivered analog.

 へぇ~。早い話が、アメリカではいわゆる“バイナル”、つまり、ポリ塩化ビニル製のアナログレコードのセールスがこのところ“伸びている”らしい。音源がデジタルなのに、わざわざアナログ媒体にしたりする例もあるそうな。

 小売チェーンのフレッド・マイヤーが、発注の際にうっかり「LP」のコードを打ち込んでしまったところ、各店舗にドカっと、あの“レコード”が届いた。返品してしまった店舗も多かったが、そのまま店に並べたところでは、面白い現象が起こった。売れたのだ。初日で二十枚も売れたという。フレッド・マイヤーだけでの事件ではない。the Recording Industry Association of America によれば、二〇〇六年から二〇〇七年にかけて、LPレコードの出荷量は、三六パーセントもの伸びを見せているそうだ。一方で、同じその期間に、CDの売れ行きは一七パーセントも落ちているという。

 てなわけで、なにやらアメリカでは、ちょっとしたLPレコード復興ブームが起こっているらしい。奇妙なもんだねえ。いや、むろん、絶対量としては、いまやウォルマートを抜いて世界でいちばん音楽を売っている小売店、iTunes Store を脅かすほどのことではないが、“バイナル”にこだわる音楽ファン(“音響ファン”と呼ぶべきかもしれないけれども)の需要には、けっこう根強い(根深い?)ものがあるようだ。

 これが一時期だけの現象なのか、今後、もっと大きなうねりになってくるのかには興味津々だけど、ちょっと日本では考えにくいブームだよねえ。日本の場合、往年の名盤や幻のアルバムの復刻などが、いわゆる“紙ジャケ”というカタチでちょっとした人気を博していることはいるけれども、まあ、あれだって中身はCDである(LPレコードそっくりの外観に模してあったりするのが食玩感覚で愉快だが)。

 アメリカという国の面白いところは、最先端の技術の産物を謳歌している層があるかと思えば、まるで時間が止まったかのような枯れた技術やインフラをごくふつうに使っている層が平然とあったりするあたりだ。振幅がやたら大きいのだ。スペースシャトルを飛ばしている国だからといって、みんながみんな光ファイバーのブロードバンドでバカスカインターネットを使っているわけではなく、いまだに「ピーーーー、ガガガガガ……」などと56Kモデムであたりまえのように通信していたりする人たちがいる。その点、日本のほうがずっと均質である。韓国ともなると、後発のメリットで、最初から一気に与えられたブロードバンドしか知らないような層がマジョリティーだ。

 このLPレコードブームも、アメリカならではという気がするなあ。ごくごく一部のオーディオマニアだけじゃなく、きっと“針を落として”聴くむかしのプレイヤーがまだまだ家にあるという世帯がかなりあるのだろう。まあ、日本にもそういう人(「やっぱり超音波や低周波を身体で感じないと、ホントの音楽じゃない!」と熱弁をふるうタイプのああいう人たち)はいることはいるけど、こんな社会現象(?)を作り出すほどの数ではないと思うね。

 この現象が日本に渡ってくるかどうかは、たいへん興味深いところだ。おれは渡ってこないと思うけどね。この時代に、データじゃなく記録媒体で販売する音楽の売り上げが“伸びる”なんてのは、まことにアメリカらしい面白い現象だと思うね。ある意味、ハイテク必ずしも善ならず、先端ならずという価値観を持った人が多いわけで、不均質であるがゆえに多様性を許容する市場があるというあたりこそ、アメリカの底力だと思う。多様であることは、非効率ではあっても善であるというベースの価値観がアメリカ人にはある。これはちょっと、おれたちも見習いたいところだよね。まあ、おれ個人はものぐさなので、いまLPレコードが欲しいなどとは、まず思わないけど……。やはり、iTunes Store の便利さにはかなわない。



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2008年6月10日 (火)

ビッグビジネスの予感

「おかかえ運転手」サービス 富裕層に人気 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/06/07021346.html

団塊世代など富裕層のあいだで、ゴルフ場や会員制リゾート施設、会社や病院への送迎に使う「おかかえ運転手」が話題になっている。ハイヤーよりも安く、自家用車の運転を代行する。利用者の多くは企業のオーナーやリタイヤした元役員などで、「運転手付き」というステイタスが気持ちいいようだ。
利用者の多くは60歳以上
このサービスをしているのは「おかかえ運転手株式会社」という会社で、サービスの名前は「おかコール」。「おかかえ運転手を呼べ(コールしろ!)」という意味だそうだ。登録運転手は150人を確保。女性の運転手もいて、英語の通訳や秘書業務もする。また、ボディーガード、囲碁や将棋の相手やパソコンでの株価チェックなども行う。ここまですると、運転代行というよりも人材派遣だ。

 へー、こんなのが話題なのか。なんか、そんなにめちゃめちゃ高価なサービスでもないようだし、会社の名前からして、ちょっと“なんちゃって感”が入っている。要するにこれは、一種のコスプレというか、ロールプレイ願望を狙ったビジネスで、顧客の“アレやってみたかったんだ”願望に応えるという面が大きいのだろう。

 いま団塊世代を相手にこういうビジネスが出現しているとするなら、もう十年もすれば客層が変わって、もっと大きなビジネスになるぞ。

 初期投資は必要だ。まず、絶対必要なのは、ピンク色のロールスロイスだ。マシンガンとかも搭載していたほうがよい。運転手の“源氏名”は「パーカー」でなくてはならない。もう、これだけで大枚はたいてでも呼びたがる年寄りが、いずれ大量に出現する。

 ある程度儲かってきたら、流星号マッハ号ポインタージャンカーZ、ジローのサイドマシンフレンダーカーヤッターワンナイト2000ガンセキオープンヒュードロクーペマジックスリークロイツェルスポーツプシーキャットタンクGTギャングセブンポッポSLハンサムV9トロッコスペシャルゼロゼロマシン(犬付き)などを次々と投入する。ちょっと投入の順番がおかしいけどな。派遣運転手の源氏名は、パーカーばかりじゃ飽きるので、なんかこう“榊”とか“伊集院”とか“伊達”とか、それっぽい(なにっぽいというのだ?)名前をいろいろ揃えたほうがいい。ちょっとS気のあるお客には“糞虫”とかもいいかもな。最低限の受け答えのほかには「ピルルルル……」としか言わないのだ(ほんとに狭い世代にしか通じないネタだなあ)。

 つまり、おかかえ運転手ビジネスと、昭和三十~四十年代の少年を狙ったアキバ系オタクビジネスとを融合させるのである。これは儲かるぞ!

 ところで、どうでもいいけど、Penelope Parker って作家がほんとうにいるんだよね、おれは読んだことないけど。これって、“香山リカ”的なペンネームなんだろうか、本名なんだろうか。



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2008年6月 1日 (日)

しっかりしてくれ、大学

大学入学式に父母出席 これは「過保護なのか」論争 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/05/31020864.html

学生の数を上回る父母が出席した東京大学の2008年入学式で、特別栄誉教授の安藤忠雄さんが「子離れしろ」と発言した。メディアでも取り上げられ、「これは過保護なのか」がネットで議論になっている。

 そりゃ、過保護だよ。過干渉というべきか。入学式ならほんの少しは気持ちもわからんでもないが、入試にまで親がついてくるとなると、失笑を禁じ得ない。幼稚園、小学校の“お受験”じゃあるまいし、親がついてきた時点で、そんな受験生は不合格にしてしまえ。

 話には聞いていたが、事態はおれの想像を上まわってるみたいだなあ。東大にかぎった現象でもないらしいのが情けない。もはや、大学の入学式に親が出てくるのがあたりまえという時代になりつつあるのだろう。

 私立大学だったら、学生もその親も“顧客”だから、のこのこ入学式についてゆきたいという親が増えてきたら、つっぱねるわけにもいかなくなってくるのが資本主義というものでありましょうが、国公立大学こそ、「親のための場所などない。どうしてもわが子の晴れ姿が見たいなら、慎ましく門の外で待っておれ」と毅然とした態度を示すべきだろう。安藤忠雄、よく言った。

 大学も大学、親も親なら、学生も学生だ。十八にもなれば(十九、二十歳だってざらにいるだろう)、親がついてゆきたいなどと言おうものなら、恥ずかしいからやめてくれ、大学にも迷惑だと思うもんなんじゃないだろうか? 「思うもんなんじゃないだろうか?」と言ったところで、事実、そうじゃないんだから詮ないことではありますが……。

 まあ、若者がどんどん減ってゆくわけだから、そのうち企業だって、新卒学生様、その親御様のご要望をもったいなくもありがたくも尊重させていただかざるを得なくなり、入社式にのこのこついてくる親のための席を用意するようになってくるかもしれんな。このままゆくと、その可能性は高いと見た。学生様や親御様の不興を買うと、優秀(だが過保護な)学生様が来てくれなくなるからだ。

 大学も学生も親もそれぞれに情けないと思うが、いちばん情けないのは、やっぱり大学である。学生と親は自分たちの閉じた世界でおままごとをしておれば、まったりと時間の止まった Win-Win の関係(?)が維持できて心地よいのかもしれんが、そのディストピアを“外の価値観”でガツンとやって破壊するのが、教育機関としての大学のあるべきスタンスだと思う。ぬるい親の侵攻も撃退できずに、“大学の自治”などちゃんちゃらおかしい。



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2008年5月29日 (木)

多様性、みんなで守れば怖くない

生物多様性基本法が成立 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0528/TKY200805280306.html

 多様な生物を守り、その恩恵を持続的に利用することを目的にした「生物多様性基本法」が28日、参院本会議で全会一致で可決され、成立した。6月にも施行される。
 国や自治体に対し、生物多様性を守る国家戦略や地域戦略の策定を求めている。国は法制や財政、税制上の措置のほか、公共事業など開発の計画段階で環境への影響評価が必要となる。生物多様性に影響が及ぶ恐れがある場合は保全策をとらねばならない。

 それはそれでけっこうなことだとは思うんだけれども、わが国の場合、先に人間の多様性を尊重する法律を作ったほうがいいような気もするんだがどうか。



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2008年5月28日 (水)

肥後守とケータイ

 最近、充分な議論もなされぬまま、とにかく「子供にケータイを持たせるな」という、大人も子供も最も頭を使わなくてよい安易な規制の方向に持ってゆこうとするやつが増えてきているようである。要するに、問題の種になりそうなものは禁止するのが面倒がなくてよいという思考停止だ。大人の怠慢と言ってもいいだろう。

 なんだかなにかに似てるんだよなあともやもやしていたんだが、今朝トイレでウンコしてたらだしぬけにわかった。むかし社会党の浅沼委員長が刺殺されたことによって盛り上がった「子供に刃物を持たせるな」という風潮に似ているのだ。といっても、浅沼委員長が刺されたのはおれの生まれる前だが、なんというか、あとから知った“記憶のような知識”としておれの頭の中にあるものだから、「そういえば似ている」と思い出して(?)しまうのである。

 あの事件のあとに盛り上がった刃物追放運動の影響で、おれたちよりちょっと上の世代には、肥後守(といっても若い人にはピンと来ないかもしれないが、工作なんかに使う鞘の付いた切り出し刀のことである)で鉛筆を削れない人が多いという。おれたちが子供のころくらいになると、すっかり浅沼委員長刺殺事件のほとぼりは冷めていて、おれは文房具屋でなにごともなく売られている肥後守を買ってきて、竹薮に落ちている切り残しの竹を拾ってきては、よく竹トンボを作ったりしていた。さすがにおれたちの子供のころには、鉛筆は鉛筆削り(手回しや電動)で削るのが一般的であったが、肥後守やカッターナイフで削るのがなんだかカッコいいような気がして、鉛筆削りと併用していた。

 そういうものだ。つまり、ケータイはナイフのようなものだということにすぎない。追放(?)しようとしたところで、無駄なことである。自分も人も傷つけないように正しく使えばたいへん便利なものであり、大人にはそれをきちんと子供に教える義務と責任がある。どのみち、いま、安易な考えと勢いだけで「子供にケータイを持たせるな」なんて言ってる連中の多くは、そのうち、中国やら韓国やら台湾やらの子供に比べて日本の子供は情報機器を使いこなす能力が低い――なーんて調査結果が出たりすると、掌を返すように「子供にケータイを持たせろ」と言い出すに決まっているのだ。

 繰り返すが、おれたちが小学生・中学生のころ(昭和四十年代後半)には、肥後守はふつうに文房具屋で売っていたし、持っていても、親も先生もなにも言わなかった。「手ぇ切るなよ。人に向けるなよ」くらいのもんである。それでも何度か自分の指を切り、血を流し、痛い思いをして、“正しく使わないと怖い道具がある”という大切なことを、大人に叱られたり説教されたりしながら、おれたちは学んでいったように思う。

 まあ、肥後守で鉛筆が削れない子供が大量生産されたからって、それで大人になってから困ったという人はいないだろう。だけど、ケータイはそうかな? 英語は早くから子供にやらせたがるくせに、ケータイはいかんというのは矛盾しとらんか? 自分ではいまの社会を生きていないくせに口だけは出したがる輩の考えることはまことに不可解だ。だいたい、コミュニケートするということの大切さと怖さに目隠しをさせながら、英語でコミュニケートできる日本人を作るもへちまもあるもんか。どうして、「ケータイでインターネットを使って、外国のお友だちと英語でやりとりしてみよう!」という方向に子供たちを導こうとせんかなあ? そういうふうに教育することのほうが、問答無用でケータイを取り上げるよりも、はるかに前向きで、これからの時代の要請に合っていると思うんだがどうか。



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2008年5月20日 (火)

力は六千六百倍?

 ……ってとこまではいかず(いったら危ないわい)、二十倍くらいらしい(そもそもタイトルのネタが古すぎる)。

Robotic suit amplifies human strength (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/TECH/05/15/robotic.soldier.ap/index.html

Much as the brain sends signals to tendons to get muscles to move, the computer sends instructions to hydraulic valves. The valves mimic tendons by driving the suit's mechanical limbs, replicating and amplifying the wearer's movements almost instantly.
"With all the previous attempts at this technology, there has been a slight lag time between the intent of the human, and the actual movement of the machine," Obusek said.
In the demonstration, the bulky suit slowed Jameson a bit, but he could move almost normally.
When a soccer ball was thrown at him, he bounced it back off his helmeted head. He repeatedly struck a punching bag and, slowly but surely, he climbed stairs in the suit's clunky aluminum boots, which made him look like a Frankenstein monster.
"It feels less agile than it is," Jameson said. "Because of the way the control laws work, it's ever so slightly slower than I am. And because we are so in tune with our bodies' responses, this tiny delay initially made me tense."
Now, he's used to it.
"I can regain my balance naturally after stumbling -- something I discovered completely by accident."
Learning was easy, he said.
"It takes no special training, beyond learning to relax and trust the robot," he said.

 どうもアメリカ人というのは、こういう技術の話になると、すぐ兵士が着るだの、身体障害者自身が着るだのと、貧困な発想を露呈するなあ。だいたい、アメリカ人というのは“攻めてゆく”とか“自分で守る”とか“自立する”とかいった、強迫的に“個”に囚われた発想をしすぎる。基本的におれ自身は indivisualist ではあるし、アメリカ的発想もわからんでもないんだが、こういう技術を話題にするのなら、“弱い人を助ける”とか“互いに助け合う”といった発想にはならんのか、アメリカ人よ。こういうの見ると、真っ先に災害救助用に役立ちそうだと思うわな、日本人は。

 この種の研究だと、日本で有名なのは、神奈川工科大学山本圭治郎教授らによる「介護用パワーアシストスーツ」だろう。日常生活で力を二十倍にもする必要なんかあるもんか。山本教授らの研究は、その発想に於いて、世界に誇るべきものがあると思うのだがどうか。介護師や介護する家族がパワードスーツを着るなんて発想は、アメリカ人にとっては、あっと驚く盲点にちがいない。

 まあ、アメリカでも、ボランティア団体が傷痍軍人にセグウェイを寄贈したりしているようで、テクノロジーのそのような使いかたにはたしかに見るべきものがある。だけどな、そもそも、国家の名の下に国民がこういう目に会ったりしないような政治をしろよ、ブッシュ。それから、ブッシュ、セグウェイは電源入れてから乗るようにな。

Donated Segways may help disabled vets get back on feet (USA TODAY)
http://www.usatoday.com/news/nation/2007-12-04-Segway_soldiers_N.htm

Wounded Arizona Veteran to Receive Segway to Improve Mobility (EVliving.com)
http://www.evliving.com/cities_news.php?action=fullnews&id=9854



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2008年5月13日 (火)

テロリストを「アホ」と呼んで、なにが悪いものか

松本人志が硫化水素自殺で「放言」 「アホが死んだら別に俺はええねん」 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/05/12019982.html

 はて、松本人志の発言のどこがどう問題なのか、おれにはさっぱりわからないよ。あえて松本発言に文句をつけるとするなら、硫化水素で自殺しようなどというやつを単に「アホ」と呼ぶのは生ぬるい。あれはアホどころではなく、先日も書いたように“テロリスト”なのである。自分が死ぬという目的のためであれば、無関係の人が巻き添えになってもかまわぬと考える程度の人間なのだ。「アホ」程度ですんだら上等である。

 おれは、どうしても死にたいという人に死ぬなとは言えない。おれの知っている人が自殺したいと言えば、そりゃあ絶対止めるが、おれが顔も知らない不特定多数の人に、生きているほうが絶対いいなどと自分の価値観を押しつけるわけにはいかない。ずいぶん前に、『せっかく生きてるのにわざわざ早めに死ぬなんて、生きたいのに死ななければならない人に失礼きわまりない。「失礼でもなんでも、私はどうしてもいま死ななければならないのだ」と判断したのなら無理に止めたりはしないから、せめてできるだけ人に迷惑をかけないように死んでほしいものだ』とおれは書いたが、いまでもまったく考えは変わっていない。だって、どうしても死にたいと思っている人のほうだって、どこの馬の骨とも知れぬおれなどに「とにかく死んじゃだめだ」などと型どおりの陳腐な説教などされたくないだろう。大きなお世話である。

 だから、おれはおれに関係ない人が死にたがろうが生きたがろうが無責任に口は出さん。人にはそれぞれ事情というものがあろう。はたして、この宇宙で生き続けることが賢明な選択なのかどうか、おれ自身、ときどき疑問に思うことがあるのは事実である。おれが生き続けているのは、単に「せっかく生きてるのにもったいない」という貧乏性のなせる業かもしれん。

 だけど、何度も言うが、どうしても死なねばならんというのなら、せめて、せめてできるだけ人に迷惑をかけないように死になさい。どうもおれは日本人の多数派の心性を身につけ損ねたのか、死者に鞭打つことをなんとも思わん。鞭打たれてもしようがないような死者であれば、いくらでも罵ることにしている。死んだらなにもかもすむと思うなよ!

 考えてもみろ、ただたまたま本人も死んだというだけの些細なことを理由に、不特定多数の、生きたい、生きようとしている人々にテロを仕掛けたやつに、なんで同情せねばならんのだ。本人が死んでいるだけに、余計腹が立つ。許し難いやつに対して反射的に出てくる「死ね!」という罵倒が通じないのだから、忌々しいことおびただしい。

 もっと科学技術が進めば、安部公房グレッグ・イーガンが書いたように、死んだ人間の脳を一時的に強引に機能させるようなことができるようになるかもしれん。そうなれば、硫化水素でテロを仕掛けて死んだやつの脳を無理やり機能させ、いちばん苦しいところで寸止め(?)にして、発狂するまで生かしておくという“死後刑罰”を作ればよいと本気で思っている。そのような刑罰が可能になれば、自分が死ぬついでに不特定多数の人間が死んでもかまわぬなどと考える憎むべきテロリストに対する大きな抑止力となるだろう。



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2008年5月 5日 (月)

硫化水素自殺対策に関する控えめな提案

 最近やたらむかついているのが、硫化水素による自殺である。そりゃまあ、自殺するのは、この際、個人の自由であるとしよう。するなとは言わん。おれは牧師じゃない。ここでは、専らその方法のみを問題とする。

 気体の硫化水素を発生させて自殺しようとする場合、当然、本人はそれがたいへんな毒ガスであることを知っているわけである。つまり、不特定多数の無辜の市民が、ことによると巻き込まれて、死んだり障害を抱えたりすることになると知ったうえでそのような毒ガスを発生させ、おのれの目的のみを果たそうとしているわけだ。手前の都合だけしか考えていない。同じ死ぬにしても、もう少し他人に迷惑のかからん方法がありそうなものだ。まあ、人が死ぬということは、どんな死にかたであろうが自動的に他人になにがしかの迷惑がかかるものなのであるが(かからない方法があればどんなにいいだろう)、よりによって、他人も巻き込まれて死ぬことを織り込んで、自分勝手に死ぬことはなかろう。これは、未必の故意による殺人あるいは傷害である。“死ぬ”というおのれの目的のためであれば、関係のない人がどうなろうとかまわんという思想がベースにある。要するに、自爆テロといささかも変わらん。

 しかし、自暴自棄で死ぬ気になっている人間に対して、「それは人としてどうか」などと難詰したところで詮ないことである。本人は、自分が死ねさえすれば、人がどうなろうと知ったことではないという心境なのだろう。その自分勝手さに腹が立つというのは、大方の人が共有する心境なのではなかろうか。だが、おれたちがいくら腹を立てようと、硫化水素で死にたいやつは、自分勝手に死ぬのである。

 となると、そうした死にかたを抑止する(死ぬのを抑止するのではない)方法としては、まず、死後に罰するという方法が考えられる。たとえば、未必の故意による殺人あるいは傷害を見込んで硫化水素で自殺した者には、死後、遺体、いや、死体を全裸で河原に晒しものにしてカラスやらについばませるに任せ、往来の人々は暇潰しに石を投げたり棒でつついたりチンポコを切り取って犬に食わせたりオマンコにアイスキャンディーの棒を突っ込んだりしてもよいことにし、葬儀も出させず、本人についての一切の記録を抹消し、そんなやつは最初からこの世にいなかったことにするくらいの死後刑罰を科すといった方向もあろうが(“市中引き回しのうえ獄門”みたいなもんだ)、他人が死んでもかまわぬという心持ちで自分が死にたいと思っているくらいのやつになら、自分の死後の扱いがどのようになろうがまったく意に介さぬというやつも少なからずあろうから、死後にひどい扱いをしてやるという刑罰がどの程度危険な自殺に対する抑止力になるかは疑問である。

 むろん、自殺などしないに越したことはないが、ここでは、他人を巻き込んでもかまわんと考えて自殺する身勝手なやつはけっしていなくなりはしない、いや、ことによるとどんどん増えてくるやもしれぬとして、冷徹に考えることとしよう。

 じゃあ、そうした自殺そのものが阻止・抑止できないのであれば、どうしたらよいのか? 本人が死のうとすることは避けられぬとした場合、最優先で考えるべきことは、無関係の人々が巻き添えになるのを防ぐことである。

 とすると、硫化水素で死にたがっている人々に、せめて他人を巻き込まぬよう、“安全に死んでもらう”方法を提供するしかあるまい。つまり、ガスが漏れたりせず、自殺志望者だけが安全に死ねるような設備を提供するという方法が考えられる。いわば、個人用の公衆ガス室だ。自殺志望者のみが確実に死ね、換気や通報の機能によって、無関係の人にはまったく危害を加えない公共の施設を用意してはどうか?

 ここまで書くと、似たものがすでに実在するのにお気づきになるだろう。そう、“赤ちゃんポスト”である。あれは、望まぬ赤ん坊を産んでしまった人々に対して、嬰児を殺害するくらいであれば、このポストに“投函”して命を救ってくださいというものだ。だったら、どうしても硫化水素で自殺したい人に対しては、「無関係の人を巻き添えにして殺したり障害を負わせたりするくらいなら、どうぞこの設備であなただけが安全に死んでください」というコンセプトの公共施設があってもいいのではなかろうか。これを“自殺ボックス”とでも名づけよう。赤ちゃんポストも自殺ボックスも、望まずして命を危険に晒される人々を救うためのものである。なにか問題でもあるだろうか?

 いまの日本は、自分の力でなんとか生きていけないような、能力のない人間、不運な人間、弱い人間、不健康な人間、老いた人間は、とっとと死んでくれたほうが国のためであるという国策を推し進めている国家である。だったら、おれの提案する自殺ボックスを実現するのに、なんの不都合もあるまい? おれの論理になにかおかしなところがあるか、福田さん? 硫化水素で自殺しようとしている四十代のニートが、日本のGDPを引き上げているIT企業の有能な社長を巻き添えにして殺すかもしれないのだぞ。介護疲れで年金もろくろくもらえない六十代の老いた夫が認知症の妻と一緒に硫化水素で死のうとして、なんの仕事もしていないが有能であることになっている天下り官僚を巻き添えに殺してしまうかもしれないのだぞ。そんなことがあってはならない。日本政府としては、早急に自殺ボックスを設置すべきではないかとおれは思うのだがどうか。

 多少英文学を齧った方であれば、このエントリーのタイトルだけでおれの真意を察してくださることと思うが、おれの提案は、聖職者であったジョナサン・スウィフトにのそれに比べれば、ずっと“控えめな提案”として日本政府に嬉々として受け容れられるだろうと思うんだがどうだろう?



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2008年5月 2日 (金)

地球にやさしい船場吉兆