カテゴリー「健康」の29件の記事

2011年8月27日 (土)

放射線被曝健康法(※個人の感想です。効果には個人差があります)

「低線量の放射線被曝は、むしろ健康によい」という説がある。おれは専門家じゃないから、これを肯定したり否定したりする研究をする能力はないが、素人でも素朴に不思議に思うのは、「むしろ健康によい」のであれば、これを金にしようとする人が出現しないはずがないということである。「低線量なら、浴びてもさしつかえない」というんじゃなくて、積極的に健康を増進する効果があると言っているわけだろう? だったら、なぜ商売にしないのだろう?

 たしかに、ラジウム泉やらラドン泉やらといった、ある種の温泉などは、低線量の被曝による健康増進効果を期待して商売にしているわけだ。でも、温泉なんて、わざわざこちらから湯治に出かけてゆかねばならない。大きく儲けるには、誰もが手軽にいつでもどこでも低線量被曝の恩恵に浴すことができるような、流通可能な商品を開発したほうがいいのではないか。おお、ビッグビジネスの予感!

 そこで提案である。福島あたりの学校の校庭の隅っこに積んである、汚染された土やら砂やらがあるじゃないか。あれをですな、「低線量の放射線被曝は、むしろ健康によい」説を唱えている学者先生たちに監修してもらって、健康によい程度の分量を割り出し、食品に加工して販売するのである。ただそれだけでは売れないから、そこはそれ、こうした学者先生方の力をお借りして、特定保健用食品の認可を取る。「むしろ健康によい」程度の放射性物質を含んだ食品は、「条件付き特定保健用食品」としてなら認可される可能性は充分あるのではなかろうか?

 むろん、これを実現するには、産業廃棄物関連の法律をはじめ、いくつかの法律を改正しなくちゃならないだろうけれども、放射能汚染された瓦礫の山が健康食品の原料として宝の山に化けるのであれば、骨を折ってくださる議員さんはたくさんいるはずだ。

 特保が取れたら、有名人にCMに出てもらうのもいいだろう。「いやあ、うまい! カイワレはこれくらい汚染されているのが、むしろ健康にいいんですよ!」と、お遍路さん姿の菅直人ににっこりと言ってもらえれば売り上げ倍増である。あるいは、スポーティーな自転車を駆って躍動感たっぷりに現れた元科学技術庁長官/元原子力委員会委員長谷垣禎一が、ペットボトルを咥えて天を仰ぎ、喉仏をダイナミックに上下させながらごくごくと特保のスポーツドリンク「プルト君」を飲み干すというCMも、運動不足の中年層にアピールしそうだ。

 なにも食品や飲料ばかりが銭儲けの種ではない。旅行会社は、“放射線浴”を楽しめるツアーをなぜ組まない? もちろん、件の学者先生方にお願いして、「むしろ健康によい程度に汚染されたエリア」をピックアップしていただき、ツアーにもご同行いただこう。「◯◯先生監修! むしろ健康によい程度に被曝できるマイルドホットスポットめぐり」なんてのはどうだろう?

 いやいやいやいや、誤解してもらっては困る。おれはなにも、「むしろ健康にいい」と世のため人のためを思って無知蒙昧なおれたちを啓発してくださる先生方を茶化しているのではないのだ。ちょっとでも健康によさそうなものがあれば片っ端から商売にするビジネスマンたちが、なぜもっと商売気を出さないのか、いささか義憤すら覚えているのである。

 え? 実現したら、利用してくれるかって? いや、おれはべつにそのあの、そういうむしろ健康によいものを進んで飲み食いするほどには健康に気を遣ってないから、いいよいいよ、いいってば。どうせ独り身だ。日光浴もあんまり好きでないくらいなので、放射線浴も遠慮したい。バカだなあ、遠慮しないで、むしろ健康によいのにって、いやいやいやいや、だからおれなんかはいいから、もっとこう、健康に気を遣っている、妻も子もある人たちに薦めてあげて。


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2011年7月21日 (木)

放射能をどう“うまく塗り広げる”かが問題だ

 「水拭きは雑菌を塗り広げているだけ」みたいな事実を述べて脅す除菌用アルコールの宣伝があるが、まさに放射性物質ってのは、“塗り広げる”しかない。それそのものを消滅させる手段を、まだ人類は手にしていないのだから。手にするには、ご存じのように、二十九万六千光年の旅をしなければならないのだ。“除染”というのは、要するに、できるだけ人間に害のないように、うまく放射性物質を塗り広げることを言う。

 そう考えれば、いまの日本にとっては、特定の狭い地域だけが放射能に汚染されているよりも、放射性物質が日本中にまんべんなく塗り広げられたほうが、みなが問題をわがこととして捉えるようになってよいと思う。原発の恩恵を受けてきたおれたち爺さん・婆さんはともかく、なんの罪もない子供たちにはまことに申しわけないけれども。

 放射性セシウムに汚染された牛肉の話でやたら日本中が騒いでいるが、なにをいまさらである。それ自体はたいした問題ではない。いや、たいした問題なのだが、ほかにも同等のたいした問題がうようよ存在しているのは当然なので、とくにそれだけを取り上げているのが不可思議でしかたがないだけである。よもや、牛肉だけが汚染されているなどとおめでたいことを考えている人が多数派だとはとても思えない。

 放射性物質が塗り広げられてゆくのを避けることはできない。いかに子供たちや若者に害のないように放射性物質を塗り広げるかを、人生の折り返し地点を過ぎているであろうおれたちは考えねばならないのだ。消し去ってしまうことはできないのだから、どこかをきれいにすれば、どこかが汚染されるのだ。若い人たちに近づきそうな放射性物質は、おれたちのほうへ塗り広げるような方策をいろいろ考えなきゃならん。

 もはや、放射性物質にまったく汚染されていないものを食おうなどと贅沢なことを考えてはならない。いかにきれいなものを若い人に食わせ、いかに汚染されたものをおれたち年寄りが率先して食うか ―― そういう社会システムを構築してゆかねばならないのだ。汚染されているかいないかというフリップフロップ(二者択一)な考えではもうダメだ。どの程度汚染されているのかという考えかたと、日本人はこれからずっとつきあってゆかねばならないのだ。


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2011年4月10日 (日)

さあ、おれたち年寄りは、汚染されたものをできるだけ食うようにしよう

 おれは一九六二年生まれの四十八歳だが、だいたいおれくらいの歳の人間というのは、いま日本に起こっていることを、それほど意外なことだとは思っていないはずだ。七十年代くらいには、人類は二、三十年のうちには絶対滅びると思っていたんじゃないか? それこそその、東西陣営の核戦争がなかったとしても、地震とか公害とか原発事故とかその他諸々なんらかの要因で、自分たちのいまの社会、いまの文明がぐちゃぐちゃになるはずだと思って育ってきているはずだ。

 だもんだから、おれたちの世代は、いまのこの状況を、なんとなく懐かしいものだとすら思っている。自分たちが、子供のころから、さんざん想像してきたことが、ただ単に現実になっているだけなのだ。「ああ、やっぱり、キターーーーーーーー!」みたいな感じなんである。

 だから、おれたちはいいんだよ、べつに。覚悟のうえのことだから。おれ個人は反原発派で、徐々に脱原発ができればいいなあとは思ってきたが、結局、おれには社会を変える力などなかった。おれ自身も、原発で発電した電気の恩恵をさんざん受けてきた。だからいいさ。今回の原発事故で生じたデメリットは、極力、おれたちが引き受けよう。

 そうだなあ、いま三十代以上くらいの人は、原発推進派だろうが反対派だろうが、こういう事態を招いた社会を作ってきた張本人なんだから、これからはできるだけ若い人たちにデメリットを押しつけないようにしようじゃないか。さんざん、原発のメリットを享受してきたんだろう?

 だから、おれはこれから死ぬまで、できるだけ放射能に汚染されたものを食おうと思う。おれがそういうものを進んで食うことで、いまの社会を作るのに責任のなかった若い人たちの口に、放射能汚染された食いものが入るのを、ほんの少しでも阻止できるかもしれないじゃないか。

 われらの同世代よ! さあ、いまこそ、おれたちが責任を取るべきときだ。放射能汚染されたおそれのある食いものは、できるだけおれたちが食おう。おれたちはどうせ、あと二、三十年しか生きん。どうせ日本人の二人に一人は癌になり、三人に一人は癌で死ぬのだ。それが少々早まろうが、なんの問題があろうか? 若いやつらには、できるだけきれいなものを食わせてやろうぜ。

 おやおやおやぁ? なんかこのカレー、パンチが足らんぜ! セシウム137が足らんのじゃないか? おっ、この刺身はキレがあるぞ。ストロンチウム90が利いてるよね! さあ、もっと持ってこい。いまの日本の社会を作ってきた、おれたち四十代以上が、みんな責任持って食ってやるぜ! 爺い、婆あどもを、地獄に道連れだ! どわははははははははははははははは。

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2010年6月 1日 (火)

ひとつの認識を広めるというのは、じつにたいへんなことなのだなあ

心肺蘇生:胸押し続けて 人工呼吸しなくても効果…京大 (毎日jp)
http://mainichi.jp/select/today/news/20100530k0000e040007000c.html

 心肺蘇生には人工呼吸より、とにかく胸を押し続けて--。従来の救命措置の“常識”を覆す簡単な手法の普及に京都大の石見拓(いわみたく)助教(救急医学)らが取り組んでいる。「救命措置法の普及の壁を破る手法」として海外での評価も高く、今年秋には国際指針となる見込みという。
 事故などで心肺停止に陥った時、蘇生が1分遅れると救命率が約10%下がるとされる。日本救急医療財団は一般の人向けに、人工呼吸と、胸部を一定のリズムで圧迫する心臓マッサージとを組み合わせた心肺蘇生法のガイドラインを策定しているが、口と口をつける人工呼吸への抵抗が根強く、普及は頭打ちになっていた。
 石見助教らは、病院外で心停止した大阪府の18歳以上の男女約4900人の1年後の状態を、心臓マッサージによる胸部圧迫だけと、人工呼吸を併用した場合とに分けて調べた。その結果、胸部圧迫だけでも4.3%が脳機能を回復しており、人工呼吸を併用した場合の4.1%と差がなかった。胸部を押すことで脳にも血液が送られたとみられる。
 この成果を受け、石見助教はNPO法人「大阪ライフサポート協会」(大阪市)とともに胸部圧迫の訓練キットを開発、09年から講習会を各地で実施。6月20日には大阪市東淀川区でも開く。
 心肺蘇生法の国際指針に影響力を持つ米心臓協会もこの結果に注目。既に米国内では心肺停止した大人には、胸部圧迫のみの蘇生法を指導しており、秋に公表予定の新国際指針でもこの蘇生法が採用される見通しだ。
 日本救急医療財団の島崎修次理事長(救急医療)は「人工呼吸は心肺蘇生法普及の壁となっていた。いずれ日本のガイドラインも変更されるだろう」と話す。講習会の問い合わせは大阪ライフサポート協会(06・6370・5883)。【林田七恵】


 あれれ? 二年前に書いた「常識が覆った応急心肺蘇生法」というエントリーで、この石見先生が提唱なさっている方法をアメリカでの記事と共に紹介したのだが、当時ですら、応急処置の研修を受けている教員の方などから、これは現場ではすでに「常識の範疇」といったコメントをいただいていたのだぞ。

 なのに、また記事になるのかよ。いや、そりゃ、こういうことは、何度も繰り返し報じたほうがいいにはちがいないが……。それにしても、「心肺蘇生法の国際指針に影響力を持つ米心臓協会もこの結果に注目。既に米国内では心肺停止した大人には、胸部圧迫のみの蘇生法を指導しており、秋に公表予定の新国際指針でもこの蘇生法が採用される見通しだ」とは、どんだけ遅いねん、国際指針! 「人工呼吸は心肺蘇生法普及の壁となっていた。いずれ日本のガイドラインも変更されるだろう」って、国際指針よりも遅いんかい、日本のガイドライン!



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2010年1月 7日 (木)

今年から煙草とひとまず別れて、愛人にすることにした

 四日の朝に吸った煙草を最後に、休煙期間に入っている。というか、早い話が、禁煙を試みている。なんか“禁煙”という言葉を使うと、まるで喫煙が悪いことででもあるかのような感じになってしまうので、さしあたり“休煙”と言うことにしているのだ。

 不思議なことに、三日も煙草を吸わないと、自分の吐く息が煙草臭いことがよくわかる。しばらくは煙草を吸わなくても、自分の体内から出てくる煙草の香りで楽しめそうだ。

 これで一週間くらい経ったころに一本吸ってみることにしよう。それはもう、めちゃめちゃうまいにちがいない。頭がクラクラクラ~と痺れるような“あの感覚”を、じっくりと味わえるにちがいない。

 で、その次には、二週間くらい我慢してみる。二週間吸わなかったところへ一本吸ってみろ、そりゃもう、ガツーンとくるにちがいない。そのガツーンは、しょっちゅう吸っていたのでは絶対に味わえない類のガツーンなのだ。

 これを繰り返してゆくと、禁煙をせずに、煙草を吸う本数を劇的に減らすことができるはずだ。禁断症状を積極的に楽しむのである。こういう楽しみかたは、麻薬や覚醒剤にはなかなかできまい。煙草程度だからこそ楽しめるのである。

 おれがちょっと怖れているのは、一週間、二週間と休煙したあとに吸った煙草が、「うえ、まずい」と思えてしまうことなのである。そうなると、もはや煙草を吸っている意味がない。こんなふうにはなりたくないのだ。煙草を味わう能力は維持したまま、ほんのたま~にしか吸わないようにしたいのである。

 最終的には、一箱五千円くらいの煙草を一年ほどかけてじっくり味わうってのが理想だなあ。とびきりいい酒を買うと、そんな感じじゃないか。

 おれは二十四歳から煙草を吸いはじめたので、やがて四十八歳を迎える予定の今年、煙草を吸っていなかった人生と煙草を吸っていた人生とがちょうど釣り合うくらいのタイミングなのだ。ここらで煙草とのつきあいかたを変えてみたい。四六時中義務のようにしてつきあうカミさんみたいな関係じゃなく、たま~に思いきりじっくり燃え上がる愛人みたいな関係を、煙草とのあいだに築いてゆきたいのである。



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2009年10月 2日 (金)

弱い者たちを先に逃がそう

新型ワクチン接種、政府方針を決定 (YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091001-OYT1T00944.htm

 政府の新型インフルエンザ対策本部(本部長=鳩山首相)は1日、ワクチン接種に関する基本方針を正式決定した。 接種は10月19日の週から始める。医療従事者と重症化の危険性が高い人など計5400万人に順次接種していくが、児童・生徒や高齢者など大半の対象者は年明けの接種になり、流行のピークに間に合わない恐れもある。

広がる子どもの健康格差 病院に行けず、保健室で治療も (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0929/TKY200909280430.html

 親の経済格差は教育格差にとどまらず、「健康格差」となって児童生徒に広がっている。治療費がなく学校の保健室で治そうとする子、健康診断で異常が見つかってもなかなか再検査を受けない子……。格差社会の広がりとともに状況は悪くなる一方だといい、現場の養護教諭らは改善を訴えるために全国の事例を集め始めた。

(中略)

 別の2年生の男子生徒は「頭痛がする」と言って、1年前から毎日、市販の鎮痛薬を飲んでいた。「薬ちょうだい」。そう言って、保健室にもよく顔を出す。心配で、母親に「一度検査を受けた方がいい」と手紙を出した。でも、返事はない。校医に治療勧告書を書いてもらい、母親はようやく生徒を病院に行かせた。幸い大事には至らなかったが、放っておけば脳梗塞(こうそく)を起こすおそれがある状態だったという。

(中略)

 学校の定期健診で再検査が必要になっても、生徒からまず出る言葉は「検査代はいくら?」。自己負担になる再検査では、例えば心電図だと5、6千円かかるという。再検査を促し、ようやく受診して問題がなかった生徒の保護者からは「お金が無駄になった」と苦情を言われたこともある。「お子さんのためにはよかったんです」と返すしかなかったという。

 よし、決めた。おれは今回の新型インフルエンザの流行中は、予防接種など受けないことにする。多少ワクチンが出まわりはじめたとしても、国が優先順位を決めなくちゃならないほどに足りないものを、とくに重篤な疾患があるわけでもない成人男性が消費するわけにはいかん。余ってきたというくらいの状況になり、かつ、ウイルスが変異して毒性が相当高くなったとでもいうのなら、そのときには考えようかと思う。どのみち、現状では健康な人間が罹ったとて、めったなことでは死なん。そりゃ亡くなった健康な成人もおるが、それは確率的には低い話だ。

 とくに疾患のない成人男性(医療従事者等を除く)には、今後多少ワクチンが出まわりはじめたとて、あえて予防接種を自粛することをおれは呼びかけたい。罹ればいいじゃん。あなたが一週間やそこら休んだくらいで回らなくような職場は、そもそもヒューマンリソースマネジメントと危機管理がなっとらんのだ。「いや、おれが一週間も十日も休んだらたいへんなことになる」とおっしゃるあなた、その仕事は、どこかの抵抗力の弱い子供の命より大事なものなのか? どこかの妊婦と赤ん坊の命よりも大事なものなのか? どこかの貧しい家庭の学童の命よりも大事なものなのか? そうだとしたら、どんなごたいそうな仕事だ、それは? 国が優先順位を決めるのは当然のことではあるが、国に言われるまでもなく、健康な成人男性の品格として、「おれたちは最後の最後でいい」というスタンスを行動(というか、行動しないこと)で示そうではないか。

 むろん、健康な成人男性だって、インフルエンザで死ぬこともある。そのリスクは、おれたちで背負おうではないか。いままさに沈没しつつある豪華客船にあなたが乗っていたとしたら、女性や子供や老人を押しのけて救命ボートに乗るか、あなたは? 乗らんだろう。弱い者たちがことごとく避難し終えるまで、客船に残るだろう。まあ、そういう事態のマイルドなことが今回起こっているのだと考えれば、健康な成人男性が取るべきスタンスはあきらかだ。さいわい、今回の場合、豪華客船に最後まで残っていたって、死なない確率のほうがずっとずっと高いのだ。

 国がボンクラだったのはたしかだ。時間はあった。しかし、それをいまさら言うても詮ないことである。札束で外国人の面をはたいてワクチンを調達してきても、それは結局、本来優先されるべき“他国の弱い者たち”を犠牲にしていることに変わりはない。

 そりゃあ、中にはね、おれは重要な仕事をしている重要な人物だから、万が一にもこんなことで休むわけにも死ぬわけにもいかんのだという御仁もいらっしゃるかもしれんが、それでもなお、自分より弱い者を救命ボートに先に乗せるのが品格というものである。おれは、映画『タワーリング・インフェルノ』の、救命カゴにわれ先に跳びついて高層ビルから転落していった醜い男たちの姿を忘れない。

 フィクションとちがって、人はヒーローになんてめったなことではなれないものだ。ただ、誰の目にも留まらない、誰も褒めてくれないところで、意地汚い生きかた、意地汚い死にかたをしないだけの矜持を保った行動をすることは、ふつうの人間にでも充分できる。

 さあ、健康な成人男性のみなさん、この指とまれ!



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2009年9月25日 (金)

飯を食うのとは別に召し上がるもの

 食いものにあまり執着のないおれは、面倒くさいのでついつい同じような手軽なものばかり食ってしまうから、いろんなサプリメントを気休めに摂取している。効いているのかどうかよくわからんが、止めると病気になるような気もしないではないので、精神的にであれ多少は効いているのだろう。

 いや、正しくは“効く”はずはないのだ。医薬品ではないのだから、“効く”という言葉を、少なくとも売るほうは法律上使ってはいかんのである。だもんだから、サプリメントの袋や容器には必ず「一日*粒を目安にお召し上がりください」と書いてある。「服用」させてはいかんのだ。「お召し上がり量」などという、これ以外のシチュエーションではまず見たことがない不可思議な言葉も書いてある。

 だからおれは今日もサプリメントをたくさん召し上がったのだけれども、水や湯で流し込むだけの行為を“召し上がる”と言われるのは、なんともたいそうな感じだ。おちょくられているような気さえする。

 ああ、召し上がった召し上がった、何錠、じゃない、何粒も召し上がったぞー、げふっ。

 それにしても、法律に触れない範囲で、もう少しましな言葉はないのか?



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2009年6月17日 (水)

「ケータリングのピザ」って十回言って……じゃあ、コレは?

長電話「ケータイひじ」にご注意 米医学誌に論文 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/0605/TKY200906050105.html

 【ワシントン=勝田敏彦】携帯電話の長時間使用で、手や腕のしびれや痛みを訴える人が増えている。ひじを鋭角に曲げ続けていると起きる症状で、全米有数の医療機関の一つクリーブランド・クリニック(オハイオ州)のチームが、注意を呼びかける論文を同クリニックの学術誌に発表した。
 論文によると、「肘部管(ちゅうぶかん)症候群」または俗に「携帯電話ひじ」と呼ばれる症状で、ひじの内側を走る神経(尺骨神経)が圧迫されるのが原因。


More talking, more problems: 'Cell phone elbow' damages nerves (CNN.com)
http://www.cnn.com/2009/HEALTH/06/02/cell.phone.elbow/

(CNN) -- If your pinkie and ring fingers tingle or feel numb, you might not want to pick up that cell phone to call the doctor.
Orthopedic specialists are reporting cases of "cell phone elbow," in which patients damage an essential nerve in their arm by bending their elbows too tightly for too long.
When cell phone users hold the phone to their ears, they stretch a nerve that extends underneath the funny bone and controls the smallest fingers. When talkers chat for a long time in that position, it "chokes the blood supply to the nerves. It makes the nerves short-circuit. The next thing you know, there's tingling in the ring and small finger," said Dr. Peter J. Evans, the director of the Hand and Upper Extremity Center at the Cleveland Clinic in Cleveland, Ohio.
When that happens, the advice is simple: Switch hands -- before it gets worse.

 ……ってあのなあ、ごくごく素朴な疑問として、おまえら、どんだけ電話しとんねん!? なにをそんなに話すことがある?

 ひょっとしたら、ソフトバンクの「でか!ストラップ」のアイディアは、この問題に対する解決策を、論文に先んじて提示しているのかもしれないぞ。あのストラップが十キロくらいあったら、長電話を防止できるばかりではなく、いい筋トレにもなる。ケータイひじなどというものになる前に、疲れて通話を継続できなくなるからね。

 「論文は、携帯電話を持つ手を左右でときどき替えたり、ハンズフリー装置を使ったりすることを勧めている」って、いやだからそもそもそれ以前に勧めるべきことがあるでしょうが!



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2009年5月24日 (日)

♪必殺パワー、サンダーブレーク!

Dengeki01 先日、ホームセンターで三百九十八円で売ってたので、試しにわが家にも“配備”してみた。そう、あの「電撃殺虫ラケット」である。たかがハエ・蚊の類を一千数百ボルトの電圧で退治しようという大げさ加減がすばらしく、“購入”などという言葉は似つかわしくない。“配備”だ、配備。むかしは日本橋くらいでしか見かけなかったものだが、最近はホームセンターで大量に売っているのだな。

 ちゃんと使えるのかな、早く試してみたいものだと手ぐすね引いて待っていたら、昨夜、パソコンのディスプレイに小さな羽虫がぶち当たってきたではないか。来たきた、最初の獲物が来た、おれの家に入ってきたのがこいつの運の尽きである。

 おれはラケットのメインスイッチを入れ、通電スイッチに指をかけて下段に構えた。安全のために、スイッチは二段階になっている。羽虫はふらふら飛び回っている。

Dengeki02 いまだ! おれは通電スイッチを押しながら、軽くラケットを振った。バチッ!──ラケット面に青白い閃光が瞬き、すでに勝負はついていた。羽虫は、いや、羽虫であったろうものは、ラケットの金網に引っかかったまま微動だにしない。おれは電源を切ると、羽虫の残骸をティッシュでつまんで捨てた。

 ううむ、以前から半ばジョーク商品なんじゃないかと思っていたが、こいつはいい。殺虫スプレーを部屋の中で噴射すると、臭いがなかなか抜けないし、身体にも悪いにちがいない。虫が死ぬんだから、けっして人間の健康にもよい薬品ではあるまい。

 そもそも、飛び道具で毒殺するというのは、なんだか後味が悪い。二重に卑怯な気がする。虫のほうも長く苦しんで死ぬわけだから、陰惨である。一寸の虫にも三分の理。

 そこへゆくと、この電撃ラケットは潔い。飛び道具でない。漢の殺虫武器である。相手の目を見ながら、脇差しのひと突きで悪を葬る中村主水のようなダンディズムすら感じられる。なに? どっちかというと、ひかる一平のような気がする? い、いやまあ、そこは気にするな。薬剤は卑怯で電撃は卑怯ではないのかという声もあろうが、電撃のほうが虫も楽に死ねるというものである。おれは化学より物理のほうが好きだ。一瞬の出来事に、虫自身もなにが起こったのかさっぱりわからないことであろう。

 マジな話、乳児や幼児のいるご家庭などでは、殺虫スプレーはできるだけ使いたくないと思う。化学物質に対して過敏な反応をしてしまう体質の方もいらっしゃるであろう。そんな方々には、これ、けっこういいですよ。化学ではなく、物理で虫に対抗していただきたい。

 ただし、お子様の手の届かないところに保管してくださいね。金網は三層になっていて、通電されるのは外側の二層でガードされた中心の金網だけなので、通電中にうっかり軽くラケット面に触れてしまった場合も危険でないように考慮されてはいるが、強く触れたら通電網にも触れてしまうおそれがある。子供に触らせないに越したことはない。電圧が高いだけで、電流はさほどではないと思うが、電子ライターなどの圧電着火装置の火花(数千~一万ボルト)に触れたことのある人は、あれがいかに強烈なものか身を以てご存じであろう。

 おーし、今年の夏は、こいつに活躍してもらおう。おれはちょっとサドっ気があるのかもしれん。バチッ! と電撃火花が飛んだとき、なんか、すーっとした。ストレス解消にもいいグッズかもな。

 もっとも、虫の後始末をしなきゃならない点は、ほかの殺虫方法と変わらない。でも、新聞紙で叩き潰すよりはましだと思う。叩き潰すと、叩き潰した面(床、壁、襖、その他)も汚れてしまうが、こいつなら、感電死した虫はラケットの網に捕えられたままになるか、そのまま下に落ちるかである。どこも汚れない。

 さあ、来い、虫ども!



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2009年5月19日 (火)

なんでみんながみんなマスクしてるの?

 電車の中や駅でえらく大勢の人がマスクをしているので、ちょっとびっくり。インフルエンザに罹っている人や、その疑いのある人がマスクをするのはわかるが、いまのところそういう人はまだ少数派であって、なんでまたこんなにも大勢の人がマスクをしているのか、理解に苦しむ。おまじないみたいなもんか。

 インフルエンザウイルスの大きさは、だいたい100ナノメートルでこぼこだ。煙草の煙の粒子はでかいやつで1マイクロメートルくらいだそうだ。あなたが煙草の煙のでかいやつだとしたら、インフルエンザウイルスはだいたい十六、七センチの球だということになる。そこいらのコンビニやら薬局やらで手ごろな値段で売ってる“キャシャーンマスク”をしていれば、傍らで煙草を吸われても、まったく臭いもなにも感じませんか? そんなことあるか。予防という意味では、そこらの安いマスクなど、気休めにすぎない。そもそも、いくら立体的な成型をされているからといって、あんなものをナノメートル単位の隙間で顔面に密着させることなど不可能である。すでにインフルエンザに罹っている人がマスクをするのは、飛沫感染の確率を下げるという意味で大きな意味があるけれども、そのへんの手ごろなマスクでインフルエンザウイルスを漉し取ろうなどと考えるのは、サッカーゴールでビー玉を止めようとしているようなものである。本格的な医療用マスク(SARSのときに取り合いになったN95とかね)ででもないかぎり、あくまで気休めだ。まあ、電車の中とかの空気を直接吸い込みたくないという心理はわかるけどもねえ。

 猫も杓子もマスクをしている不気味な光景を見ていたら、ふとケッタイな考えが浮かんだ。サングラスをかけていればいくらかは防げるという感染症が流行ったら面白いだろうな、と。駅のホームで電車を待っているあなたがふとあたりを見まわすと、み~んながサングラスをかけているのである。想像するだに、かなり不気味な光景だ。

 若い女性だけに感染し、下半身裸でTフロントを履いていれば防げる怖ろしい病気とかが蔓延しないかなあ。



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