カテゴリー「テクノロジー」の117件の記事

2009年7月 8日 (水)

残酷な数字のテーゼ

アニメ映画「ヱヴァンゲリヲン」 信じられない低視聴率のナゾ (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/07/07044828.html

日本テレビ系で放送されたアニメ映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」の視聴率が12.7%(関東地区)という予想外の低さになった。高視聴率を予想する向きもあっただけに、「何かの間違いだろう」といった見方も出ていた。その真相は?

(中略)

アニメに詳しいジャーナリストは、アニメファンのここ数年の傾向として録画してから見るという人が増え、「Gガイド・テレビ王国」のランキングでもランキングの上位にアニメが登場する事が増えたと、分析している。また、「ヱヴァンゲリヲン」の場合、小さい子供やお年寄りには馴染みが薄く、ファンは学生や社会人中心。放送時間には外出している場合が多いため、ジブリの「千と千尋の神隠し」のような視聴率にならないのは当然だ、と話している。
ビデオリサーチの視聴率には録画が含まれていない。そのため、リアルタイムにテレビを見る数だけでは正確さに欠ける、などの議論が繰り返されてきた。ビデオリサーチは07年7月2日、現状の視聴率調査に加え「Gガイド・テレビ王国」が行っているようなパソコンによるテレビ視聴を、11年7月を目途に調査に加える方針を明らかにした。また、録画された番組が実際に視聴されたかどうかを認識する技術の開発を進めるという。

 わはははは、旧来の“視聴率”というものがこれほどわかりやすく崩壊すると、なかなかに痛快なものがあるな。おれも録画しながら観たが、リアルタイムで観たわけではない。つまり、CMがうっとうしいので、おれは観ようと思えばリアルタイムで観られるものでも、わざと十分から十五分ほど遅れて“追いかけ再生”で観はじめ、CMを跳ばして観ているうちに徐々にリアルタイムに追いつき、終わるころにはほぼリアルタイムで終わるような観かたをするのが常だ。ハードディスクレコーダのなにが便利と言って、こういう“追いかけ視聴”ができるようになったところが革命的だった。同時に「旧来のテレビCMは死んだ」と思ったね。

 エヴァの視聴率が低かったって? そりゃそうだろう。たとえば、サザエさん一家が茶の間に集まって、みなで『千と千尋の神隠し』をリアルタイムで観ている図は自然に想像できるが、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を観ているところなど想像もつかん。


  波平 「なんじゃ、『序』にはアスカは出んのか?」
  フネ 「お父さん、いい歳をしてなんですか」
  波平 「そういう母さんだって、冬月萌え~じゃないか」
  マスオ 「ぼくはレイ派ですから」
  タラ 「ぼくはペンペンでちゅ~」
  サザエ 「あら、ミサトの冷蔵庫に入ってるビールの銘柄がテレビ版とはビミョーにちがうわ」
  ワカメ 「ホントだぁ」
  カツオ 「それにしても、こんなすごい技術がある時代なのに、どうしてシンジはカセットテープなんか聴いてるんだろう?」
  マスオ 「そのあたりの狙いは、大人になればわかるよ、カツオ君」
  フネ 「ほらほら、シトが来ましたよ」
  波平 「ヤシマ作戦はいつ観ても興奮するのう」
  マスオ 「そうだ、明日、みんなで『破』を観に行きませんか、お父さん?」
  波平 「そりゃあいい」
  カツオ 「わーい、明日はみんなでヱヴァンゲリヲンだ!」
  タラ 「ヱヴァンゲリヲンでちゅ~」
  サザエ 「あたしみたいなおばさんが映画館でどんな顔したらいいのかわからないわ」
  カツオ 「笑えばいいと思うよ」
  一同 「あはははははははははははははははははははは」


 き、気色悪ぅ~。あり得ねー。もし、あり得たとしても、おれはこういう家庭では育ちたくねー。《エヴァンゲリオン》とか『ブレードランナー』とかいうものは、夜中に独りで自分専用のテレビかパソコンかポータブルDVDプレイヤーで観るもんだ。そういえば、『ブレードランナー』だって、劇場公開時にはぱっとしなかったのに、ビデオが出てから急速に人気が出たんだよね。独りで“浸る”のに向いた作品ってのは、あきらかにあるのだ。一家団欒の茶の間で、家族がみな同じ番組をリアルタイムで観るなどという昭和的な風景をいつまでも想定モデルにしていたのでは、意味のある視聴率調査はできない。

 ま、近い将来、面白い技術を駆使した視聴率調査方法が出てくるんだろうね。顔認識技術を用いたデジタルサイネージの視認効果測定方法みたいなものが、視聴率調査世帯のテレビに実装されるようになるかもしれん。

 テレビに内蔵された抽斗のようなものがぱかっと開いて、中からクッキーが出てくる。視聴者がそのクッキーを食うと、練り込まれたマイクロマシンが長期的に体内に定着してRFIDタグとして働き、AV機器が個々人を識別して……。そ、それはちょっとディック的すぎるか。



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2009年7月 7日 (火)

脳生は人の生か?

 「脳死は人の死か?」というのは、マスコミがしょっちゅう問うていることなのだが、だったら、二十一世紀においては、「脳生は人の生か?」ということも、そろそろ真剣に問わなくてはならない。なぜなら、バイオテクロノジーの進歩によって、脳という組織だけを単独で発生させ培養することも可能になるだろうし、コンピュータ技術・ソフトウェア技術の進歩によって、相当“強い人工知能”を開発することも可能になるだろうからである。

 たとえば、事故などで脳以外の機能がまったく“死んで”しまった人は、脳が生きているかぎり、法的にも生きていると認めなければおかしいだろう。

 日本人が文化的になかなか脳死を人の死だと認め難いメンタリティーを持っていることは、おれも実感としてよくわかる。しかしそれは、裏返せば、脳生を人の生だとも認めがたいということなのではあるまいか? たとえば、目の前の水槽みたいなものに浮かんでいる脳髄とコミュニケートできる技術基盤が確立されたとしても、日本人は、その灰褐色の塊を“人格”として尊重できるのであろうか?

 日本人が人型ロボットをあっさり受け入れられる背景には、案外、脳死を人の死として受け入れ難いメンタリティーが関係しているのではなかろうか? つまり、人のカタチをして人のようにふるまうものは、それが“生きた脳”を持っていようがいまいが、人の一種として受け入れられる心性があるのでないか? それとも、たとえそれが機械の“心”を持っていようが、そんなものは“人の生”としては受け入れられないので、どんなに人間に近い人工物ができようとも、人間を脅かすものとは到底捉えられないがために、安心して受け入れられるということなのだろうか? わからん。おれには、まだわからん。

 いずれにせよ、これからの時代は、「脳死は人の死か?」という問題と表裏一体のものとして「脳生は人の生か?」と、おれたちは問い続けてゆかねばならないのではないかと思うのである。



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2009年7月 6日 (月)

こりゃ、いまの日本には絶対作れないものだよなあ

米連邦政府,IT支出情報の開示コーナー「IT Dashboard」と専用YouTubeチャンネルを開設 (ITpro)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20090701/332965/

 米連邦政府の最高情報責任者(CIO)であるVivek Kundra氏は米国時間2009年6月30日,政府の支出情報公開サイト「USASpending.org」内に,IT支出情報の開示コーナー「IT Dashboard」(ベータ版)を新設したと発表した。またビデオ共有サイト「YouTube」内に専用チャンネル「USAspending」も設けた。
 IT Dashboardでは,国防総省(DOD)や国土安全保障省(DHS),保健社会福祉省(HHS)といった組織におけるIT支出状況や投資プロジェクトの件数などをグラフ形式で示す。全体的な状況に加え,組織ごとの支出や進ちょくも確認できる。更新情報のRSSフィード配信も行う。
 グラフなどは,各組織から連邦政府の行政管理予算局(OMB)に提出されたデータから生成する。7000件以上あるIT投資プロジェクトの概要を掲載するほか,800件弱の主要プロジェクトについてはより詳細なデータを公開している。

 ううううむ。わしゃ、この IT Dashboard を見て、orz とくずおれたよ。すげー。

 こういうものを作るITの技術力がすごいと言っているのでは、もちろんない。この程度のものを作れる技術者なら、日本にもうようよおる。そこいらへんにいっぱいおる。作れる技術力なら、日本だってアメリカに勝るとも劣らん。だが、作らせることができるリーダーシップとコラボレーションの体制に関しては、彼我の差はまるで大人と子供、いや、大人と赤ん坊だ。作れる技術は十二分にあるのに、作らせるほうがボンクラなので、日本にはせいぜいこの程度のおもちゃしか作れない。な、情けねー。「そんなことはない」という政治家やお役人方、じゃあ、作ってみろよ。賭けてもいいが、絶対に作れないから。どんなに優秀なIT技術者を大量に雇っても、金を湯水のように注ぎ込んでも、絶対に作れないから。その理由は、あんたがたがいちばんよく知っているはずだ。

 このオバマ政権の IT Dashboard の開発に携わった技術者を全員日本にヘッドハントしてきて日本の“電子政府の総合窓口”とやらを作らせたとしても、現状と似たり寄ったりのろくでもないものしかできないと断言できる。つまるところ、問題の本質はじつに簡単なことなのだ。つまり、ITの力を引き出せるかどうかは、コンピュータ技術の問題でもなければ、ソフトウェア開発技術の問題でもないということである。

 それにしても、こういうもんをちゃちゃっと作らせることができる(“作ることができる”ではない)アメリカ合衆国という国は、虚心坦懐にすごいと思うね。

 よく、日本人は個人プレイよりもチームプレイが得意だとか、アメリカ人は一人ひとりが自分勝手だから集団行動が苦手だとか、根拠のない(事実に基かない)印象だけでほざく人がおるが、おれはその手の思い込みは笑止千万だと思う。アメリカ人は、互いに異質でバラバラのやつらが、まとまればまとまるほど賢く強くなってゆき、日本人は、個々人は優れている均質なやつらが、集まれば集まるほどアホになり弱くなってゆく。

 チームプレイが得意な国で年金が消えたりするかよ。党利党益、省利省益しか考えていない政治家と役人が馴れ合って国民不在の政治と行政を自分たちだけのために回し、そんでもって、それだけコケにされても、ろくろく選挙にも行かない国民が大勢いる日本人の、どこがチームプレイが得意なものか。あの、大多数はどう見ても能天気な阿呆としか思えないアメリカ人どもが、なぜ世界の頂点に立っているのかを、もう一度、虚心坦懐に見つめ直すべきだ。やつらは、いまのおれたちにはないものをたしかに持っている。それは“多様性というのは善である”という、たしかなマインドセットだ。そりゃあ連中だって、多様性の善を否定するようなことをしてきた。しかし、やつらは、それを自浄する能力を持っている。これは手強い。多様性の善は、生物界に於いて、三十八億年以上の実績を以て証明されてきた強力な戦略だからだ。これを国家存続のための哲学とした国は、絶対に侮れん。

 日本は、このままで行けば、数十年後には、中国の“ヤマト自治区”になっているか、アメリカの五十一番めの州になっているか(まあ、いまだってそうだという見解もある)のどっちかだとおれはマジで思うのだが、どっちかを取れと究極の選択を迫られたら、おれは日本をアメリカの五十一番めの州にしたい。むろん、独立国であることが、いちばんいいに決まっているのだが……。

 おれは思うのだが、日本人というのは、ステレオタイプな日本人像とはまったく異なり、組織やシステムの不備や怠慢を、個人個人の優れた能力と自己犠牲で切りまわしてきた、世界にも稀に見る“個人プレイ”が得意な民族なのではあるまいか? “和を以て尊しとなす”という言葉を、誰よりもはきちがえてきたのは、当の日本人なのではないかと、最近切に思うのだ。

 いまこそ日本人は、ほんとうのチームプレイ、多様性を善とするチームプレイというものを学びはじめなくてはならないのではなかろうか? その最良の教師は(反面教師も含めて)、やっぱりおれはアメリカ合衆国だと思うのだ。はっきり言って、やつらは、いまの日本人よりも、はるかにチームプレイが得意である。そうじゃないと言うあなた、たとえば、在日朝鮮人の二世や三世や、中国残留孤児の二世や三世が、能力さえあれば、近いうちにこの国で議員や大臣や首相になれると思うか? アメリカ合衆国という国の連中は、それに近いことを、すでに実際にやってのけているのだ。



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2009年6月29日 (月)

謙虚になれ、爺いども!

小中学生のケータイ所持禁止 石川県条例案に異論 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/06/26043914.html

子どもには携帯電話を持たせないように保護者への努力義務を課す――。石川県議会に提出された条例案に異論が出ている。取り上げても、抜け道がいくらでもある、という指摘や、下校後の塾通いや防犯対策を考えると必要だ、という意見だ。実際、明確なルールを決めた上で携帯電話の持ち込みを認めている学校もある。

(中略)

一方、デジタル・メディアが教育上与える好ましくない影響についての調査を行っている、NPO法人青少年メディア研究会の理事長・下田博次さんは、今回の石川県の条例案について「条例で(携帯電話所持禁止に)踏み込むという姿勢を示したことがよかった。実効性は別だが、地方自治体が(小中学生の携帯電話利用への)危機感を持っている証明だと思う」と指摘する。

「携帯電話を持っているからネットいじめ、出会い系サイトの問題が成立しているのが現状です。これらは当然、携帯電話を持っていなければ、成立しない問題。こうした事件が携帯電話の普及とあいまって増していることを考えれば、私は、携帯電話がどんなに優れた機器であろうとも、大人が管理、指導できないものを子どもには渡さない方がいいのではと考えます」

 いろいろと議論をする中で、大人が世の中に追いついてゆこうと試行錯誤や努力をするのはじつによいことだ。思考停止をせずに、もっとああでもないこうでもないと、おれたちは考えてゆかねばならない。

 しかし、このNPO法人青少年メディア研究会の理事長とやらの見解にはずっこけた。「私は、携帯電話がどんなに優れた機器であろうとも、大人が管理、指導できないものを子どもには渡さない方がいいのではと考えます」だって? なにを言っているのかわかっているのか? 要するに、これは大人が「おれたちのわからんものを若いやつに持たせてはいかん」と言っているわけである。アホか。典型的なロートルの発想である。いつの世も、上の世代が理解できない新しいものがほんとうに世の中を変えてきたのだ。あんたも若いころは、「大人はわかってくれない」と思っていたことはないのか? それを忘れたのか? 手塚治虫だってビートルズだって筒井康隆だって、最初から大人たちは褒め称えていたのか?

 この理事長さんは、野口悠紀雄の言をとくと聴くがよい──

野口 それは、GPTの種類によるのですね。「電力の場合にはイギリスに不利な技術変化だったけれど、ITは逆で、日本に不利な技術変化だ」というのが、この本の主張です。
 例えば、ITは1980年代以降のものですから、その頃すでに企業の中堅になっていた世代の人たちが、いま企業において決定権を持っているわけですね。その人たちは、新しい技術に適応力を持っておらず、ITが得意なのは若い人です。だから、もし会社の中でITを活用するようなことになったら、下克上が起こる。
 そういう人たちがITの導入に積極的な考えを持つとは考えられません。これは、日本型企業のひとつの特徴である年功序列制が、新しい技術の導入に抑制的に働くことを意味します。

 そう、つまり、この理事長のものの考えかたは、“自分たちにわからないものを若いやつが自在に駆使するのは危険だし、面白くない”といった、結果的に組織や企業や国家の総体としての競争力を下げる方向に働く考えかたなのである。つまり、凡百のロートル経営者と同じ“すでに自分は終わっているくせに既得権にだけはしがみつこうとする”卑しい発想にすぎない。これこそ、日本がITをハコモノとしてしか捉えず、国を、社会を豊かにするためにITの真の力を引き出せない大きな理由のひとつだ。小学生や中学生には、ITの理論や仕組みはまだよくわかっていないかもしれない(が、興味さえ持てば、MITの講義だって無料で視聴できる仕組みはすでに開放されている。いま小学生の子らだって、やる気と興味さえあれば、数年後には、それらを直接利用し理解できるようになれる)。しかし彼らは、その“活かしかた”においては、下手な企業をはるかに凌ぐ。野村総研“産消逆転”などと言われて、国や企業は恥ずかしくないのか? ガートナー「大きな変革が足元で起きていることを認識してほしい」などと言われて、国や企業は危機感を覚えないのか?

 もたもたしている大企業のロートルをよそに、優れた中小企業の経営者たちは、あたかも小・中・高校生たちのようにITを利活用しはじめている。投資額では大企業に遠く及ばなくとも、その利活用の知恵は大企業をはるかに凌ぐケースも少なくない。「ややこしいことは専門家に任せておけばよいが、こんなに使えるものを本業の経営に使わんでどうする? おれは技術者になるつもりはないが、経営者としてこの強力な武器を活かすために学ばねばならんことがあるなら、いくらでも学んでやる!」という、経営者としてじつに正しい気概が彼らにはある。それはあたかも、難病に立ち向かう決意をした個人が、「おれは医者じゃないし、なるつもりもないが、この病気を克服するためなら、おれの病気や治療法を当事者として患者なりに理解する努力をせねばならん」と、医学的な知識を身につけようとしているかのようである。

 おれはなにも爺さんたちに十六進数で寝言を言えとか、TCP/IP のヘッダの構成くらい暗記しておけとか、Perl や PHP や Python や Ruby でばりばりコードを書けとか言っているわけではない。新しく出てきたものが“使える”ものであれば、それを自分の本業(たとえば、経営)に“活かす”ためのリテラシーくらいは、いくつになっても謙虚に身に着けようとせよ、とくに自分より年下の者に学べと言いたいだけである。

 その自分たちの怠慢を棚に上げて、「おれたちにわからんものを若いやつが使いこなすのはけしからん」などというくだらない考えを、さも教育的に重要なことであるかのように吹聴するロートルどもの気が知れん。おれはこのような年寄りにだけは、絶対になりたくない。

 なんのことはない、ケータイがどうしたこうしたという問題は、子供の問題ではないのだ。大人の側の怠慢の問題である。

 将来もし、魔法がおのれの本業や社会全体に大きな影響を及ぼす重要な技術として台頭してきたならば、おれは魔法を子供のころから使いこなしている若いやつ(“マジカル・ネイティブ”?)に教えを乞うだろう。『はじめての魔法』とか『図解でわかる魔法』とかいった本を買ってきて読むだろう。〈日経魔法ストラテジー〉を定期購読するだろう。「魔法 is beautiful」「404 魔法 NOT FOUND」といったブログのRSSを受けるだろう。自分が魔法に習熟できなくとも、その利活用のしかたについては、年の甲に頼って、あんまりない知恵を精一杯出そうとするだろう。

 まちがっても、「おれのわからん魔法を若いやつが使いこなすのはけしからん」などとほざく爺いにだけはなりたくない。



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2009年6月 7日 (日)

一・二七秒前の写真

The_moon
 月がとっても青いから遠まわりして帰りながら撮影。RICOH R10 の特性もかなりわかってきたせいか、三脚を使わず(といっても、おれはミニミニ三脚しか持ってないが)手持ちで撮ったわりにはうまく撮れた。コンデジでここまで写るんだなあ。

 この写真に写っている月の中心から右上に少し上がったところにある黒いところが、あの「静かの海」である。アポロ11号が着陸したのは、白いところと黒いところの境目からほんの少し“海”に入ったあたりだ。人類はむかしあそこに降り立ったんだよなあ。ちょうど四十年前の一九六九年、おれが七歳になる年の七月のことだ。

 四十年後に人類はまだこの程度であると、六歳のおれには教えたくないなあ。



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2009年5月31日 (日)

月面二足歩行ロボットの意味

「一体何の意味があるのか」 「月面2足歩行ロボット」に批判 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/05/29042101.html

政府が策定を進めている「宇宙基本計画」が、思わぬブーイングに見舞われている。この計画自体は、情報収集衛星を増強したり、有人での月探査を目指したりする意欲的なものなのだが、「二足歩行ロボットでの月探査」という項目に、批判が続々と集まっているのだ。
「お金をかけて何がしたいかわからない」
日本の宇宙開発についての基本方針を定めた「宇宙基本法」が2008年8月に施行され、これに基づいた国家戦略「宇宙基本計画」の策定が進められている。麻生首相が本部長を務める「宇宙開発戦略本部」が案をまとめ、09年4月28日から5月18日にかけてパブリップコメント(パブコメ)が募集された。
各地から寄せられたパブコメでやり玉に挙がっているのが、「月面2足歩行ロボット」。これは3月6日に行われた専門調査会の場で、専門調査委員のひとりである元宇宙飛行士の毛利衛氏が提案したもの。毛利氏が提出した資料では、国家目標として「日の丸人型ロボット月面歩行計画」をかかげ、「有人・無人の議論を超えた第3の道」「日本独特な有人宇宙開発の提案」などどうたっている。
計画案では、2020年頃に日本独自でロボットを活用した月の無人探査、25~30年頃に宇宙飛行士とロボットが連携した有人月探査を目指しており、「2足歩行ロボット」も、その中の案として出てきたものだ。計画案には458人から1510件のパブコメが寄せられたのだが、そのうち約80件が「2足歩行ロボット」に集中。その中には、
「月や火星・金星への探査計画に、人は遅れ(原文ママ)なくとも耐環境型の自立ロボットを帯同させることも日本独特の研究といえます」
と、好意的なものもあるが、ほとんどが批判的なものだ。

 SFファンの方々なら、「そもそもなぜ人間型のロボットを作る必要があるのか」という問題をあーでもないこーでもないと考えたことがあるかと思うが、これは存外に難しい問題ではあるのよなあ。

 上の引用で好意的なパブコメを寄せている人の意見は、残念ながら、かなり頓珍漢である。探査計画で閉じてしまうのであれば、二足歩行ロボットを送る意味などない。将来、月や火星に人類が居住する(金星はまあ無理でしょう)というところまでをスコープに入れれば、そこで初めて二足歩行ロボットを送る意味が出てくる。つまり、短期的な作業効率だけを考えれば、地球と環境が著しく異なるところでわざわざロボットに二足歩行などさせる意味はなく、むしろクモ型とかヘビ型とかそのほかとかのほうが合理的だが、“そこに将来人類が住む”というところまで長期的に本気で考えれば、二足歩行ロボットから取れるデータは、将来、大いに役に立つ。要するに、どれくらいの時間的なスパンが視野に入っているかで、見解が変わってきて当然なのである。「なんの役に立つのか」と言っている人も正しいし、「役に立つ」と言っている人も正しいのだ。「二足歩行ロボットでの月探査」って表現がまずいのだろうな。ここは正直に、「人類の月面居住を視野に入れた二足歩行ロボットによるデータ収集」とまで言ってしまえば、また印象は変わってくると思う。

 おそらく毛利氏はそんなことはよくご承知で、そのうえであえて、“日本人を象徴的に鼓舞する短期的計画”として、これを提案してらっしゃるのだろうと推測する。おれが思うに、毛利氏は科学者としては政治やらなにやらに過剰適応してらっしゃるように見えるもんで、腹の中では、「そりゃ、将来、月や火星にはトーゼン人間は住むでしょ」と思いつつも、そこまで言うと荒唐無稽と思われちゃうだろうから(全然荒唐無稽じゃありません)、とりあえず、アドバルーン的な短期的スコープしかないかのように見えるものを出してらっしゃるのだろう。まあ、政府に毛利氏の提案の真意が理解できるかどうかは別として、政治家や官僚にはわかりやすい“国威発揚”的なものに見せておけば、当座はオーケーかな……といったふうに、毛利氏は考えていらっしゃるのではなかろうか。

 その“世俗に合わせすぎ”なところがまずいのだと、おれは思う。「わしらが、わしらの子や孫や曾孫が、いつまでも全員地球に住んでいられるとでもお思いか?」と、はっきり言っちゃえばいいんじゃなかろうか。言わないから、「何がしたいかわからない」と言われちゃうのだ。まあそりゃ、毛利氏のそういう“世俗に合わせすぎ”なところも、無理はないと理解はできるんだけどなあ。いまの日本政府や官僚に、“人類は遅かれ早かれ宇宙に進出せざるを得ない”という認識と哲学と覚悟があるのかどうかとなると、こりゃ、おれもかなり悲観的である。毛利氏は、政治家や官僚の思惑を超えたところまで、深く考えたうえで、こういうアドバルーンを上げてるんだと、おれは想像するんだよ。

 おれたちはいつまでも全員が地球に住んではいられないのだ──という、考えてみればあたりまえのことを、政治家たちはちゃんと打ち出すべきだと思うね。宇宙への進出は、今世紀では、もはやSFマターじゃなくて、政治マターなのだ。今世紀というスパンで考えれば、軌道エレベータスペースコロニーは、必ず建造されるだろう。というか、せざるを得なくなるだろう。

 二十世紀のSFが夢見てきたことが、年金やら消費税やらエコロジーやらと同じ次元で、おれたち(の子や孫や曾孫)の日常生活に関わるリアルな問題になってくるのが、これからの百年なのだ。オバマ大統領の勝利演説じゃないが、おれたちの世界が百年前にどうだったかを振り返ってみれば、百年後にどうなるか、どうであってほしいかもリアルなこととして想像できるはずだ。西暦二一〇〇、月に人が住んでいないとでも思いますかね、あなたは? おれは、オバマ大統領にはそこまでの視野があるだろうと思っている。politician としては目先の問題に翻弄されているだろうが、彼の statesman としてのヴィジョンには、百年後のアメリカ、百年後の世界が、当然のこととして入っているように思われるのだ。

 まあ、いま現在の日本政府や官僚が、「宇宙基本計画」とやらで、そこまで考えているとはとても思えないのも事実なんだよなあ。連中は、せいぜい、次の総選挙くらいのことまでしか考えてないんじゃないの? 毛利氏の提案は、いまの日本政府には上等すぎるんじゃなかろうか? そういう意味では、毛利氏の提案にブーイングが集中するというのは、わからないでもないんだよねえ。地球上に飢えた人々がいる状態で、宇宙開発もへったくれもあるかというのは、たしかにわからないでもない見解だ。カート・ヴォネガットもそういう姿勢だったよね。おれは、クラークも好きだけど、ヴォネガットも好きなのだ。

 ともあれ、今世紀には、わが国の閣僚や事務次官は、小松左京必読ということにしないか?



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2009年5月28日 (木)

ロボットは海苔を破ってはならない

 ロボットが卵を摑んだりするのをテレビで観るにつけ、ロボット工学の進歩に胸躍るのであるが、ここまで進んでいるんだから、ぜひロボットにやらせてみてほしいと思っていることがひとつあるのである。

 コンビニのおにぎりから海苔を破らないようにフィルムを引き出し、ちゃんと三角おにぎりを完成させられるロボットというのを作ってほしい。これは工学者にとっては、たいへんな挑戦だと思う。なにしろ、人間だって、うまくできない人はざらにいるのだ。おれもときどき失敗する。

 右手でおにぎりを把持するわな。で、左手でフィルムをつまんで引き出そうとする。右手で強く摑みすぎると、フィルムの抵抗が大きくてなかなか引き出せないし、下手をすると海苔を破る。だもんだから、右手の把持を弱めると、今度はフィルムにつられておにぎりが左側にすっぽ抜けてゆきそうになる。右手にも左手にも、強からず弱からず、フィルムを引き出すのに最適なグリップ強度と、その絶妙な連繋が要求されるのである。とくに韓国海苔のおにぎりは難しい。表面に塩をまぶした韓国海苔の場合、日本のふつうの海苔よりも摩擦が大きく、相当コンビニおにぎりに馴染んでいる猛者でも、勘が狂うのだ。

 えーと、もし、このようなアホブログを読んでいるロボット工学者の方がいらしたら、ぜひこの難題に取り組んでみていただきたいと思う。冗談でなく、マジで提案している。卵摑んだり楽器弾いたりするのはですね、見るほうも「そりゃ、ロボットなんだから、できても不思議はないわな」と、それを実現する技術のすごさなどには無頓着に思ってしまうものである。しかし、コンビニのおにぎりは、なにしろ非常に多くの人が、うまくフィルムを引き出すのがいかに難しいかをよーく知っているわけだから、ロボットがいとも簡単にやってみせたら、そりゃあ、デモンストレーションとしてはどえらいインパクトですぜ。「たしかに、ここまでできるロボットなら、近い将来、介護や医療の現場に配備してもよさそうな気がするな」くらいには思ってもらえるかも。

 が、よく考えてみると、あまりにも人間的で精妙な動作をやってのけるロボットには、ひょっとすると“気味が悪い”と感じる人もいるんじゃなかろうか。ルックスとか目配りとか受け答えとかだけじゃなく、確固たる単一の目的がある一連の動作にも、“中途半端に生々しいと気味が悪い”という、いわゆる“不気味の谷”が存在するかもしれないよね。ロボットには本来必要ないはずの動作を、生々しく小器用にやってみせたりすると、これはかなり不気味かもしれん。

 たとえば、自分でそこそこ上手に化粧をするとか、社会の窓に指を突っ込んでうまくおちんちんを引っぱり出し、用がすんだら(なんの用だ?)、またうまくしまうとか、きれいに眼鏡を拭くとか、缶入りのつぶコーンスープを終盤には缶を回しながら一気に飲み、最後にのけぞったまま缶の底を叩くとか……こういうことを、ロボットが非の打ちどころがないほどスムーズにやってのける姿を目の当たりにしたとき、人は「よくできてるなあ」と感嘆するのか「気色悪ぅ~」とドン引きするのか?

 ま、なにはともあれ、コンビニおにぎりは、ホントにどなたかやってくれないかなあ。



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2009年4月20日 (月)

森下千里いいね『ITホワイトボックス』

 NHKの『ITホワイトボックス』がけっこういい。プロのIT屋さんがこの番組を観て「へ~、初めて知った」とか感心しているようではかなり困るが、非IT専門業種の人々への啓発番組としては、たいへんいい内容だと思う。これくらいのレベルの内容なら、いまの時代、全職業人に知っていてほしい。ゲストの講師も、いまのところ村井純とか渡部章とか、かなり渋い。この番組は、IT屋さんにとっても、素人筋へのわかりやすい説明はどういうふうにしたらよいかの参考になると思う。

 なにより、メインパーソナリティーに森下千里を据えたところが、やるなNHKという感じである。このコは、“知識はないがアホではない。いや、むしろ頭はいいほうだ”という役回りにピッタリだ。“知識はないがアホではない。いや、むしろ頭はいいほう”というグラビアアイドルの代表格としては若槻千夏が挙げられるであろうが、若槻の場合、ここ一、二年の芸能人としてのぶっとび具合がNHKとしてはちょっと腰が引けるであろう。となると、森下に白羽の矢が立つ。『ロンドンハーツ』では“ストーカーキャラ”として売っていたが、このコは商品としてのキャラのイメージより、ずっと頭はいいよね。さばさばしたキャラクターも好感が持てる。いや、おれは好きですよ。顔も身体つきも。

 情報処理推進機構(IPA)に於かれては、次回のITパスポート試験のイメージキャラクターは、堀北真希じゃなくて森下千里にしてはどうだろう? この『ITホワイトボックス』、ITパスポート試験の受験者層くらいにちょうどいいくらいのIT初心者向けの内容だから、森下千里をイメージキャラクターにすればうってつけなんじゃなかろうか。おれは堀北真希も嫌いじゃないけどね、ちょっと“いいコちゃん”すぎるイメージがついちゃってるじゃないか。森下千里なら、ほんとにそのへんの“おきゃん”でちょっと可愛いフツーの賢そうなコって感じでしょう。IPAには一考を促したいな。NHKの眼力は、IPAを超えてるぞ。



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2009年2月 4日 (水)

♪七つの海の底深く 科学の夢がのびてゆく

グーグル、3D海洋探査ができる地図サービス「Google Ocean」を開発中 (毎日.jp)
http://mainichi.jp/life/electronics/cnet/archive/2008/05/01/20372453.html

 「Google Earth」と「Google Sky」の次にやってくるのは、海面下の世界を表示する地図サービス「Google Ocean」となりそうである。
 Googleは、海洋学の専門家から成るアドバイザリーグループを組織し、2007年12月には、世界中の専門機関からの研究者を、カリフォルニア州マウンテンビューの本社に呼び集めた。そこで、3Dの海洋学的な地図作成計画が話し合われたことを、この件に詳しい情報筋は明らかにしている。
 この新ツールは、現在のところGoogle Oceanと呼ばれており、今後は名称の変更もあり得るが、他の3Dのオンラインマッピングアプリケーションに類似したサービスになると、この情報筋は伝えている。(Google Oceanによって)水深測量とも呼ばれる水中の地形の閲覧、特定のスポットおよび魅力的なポイントの探索、ズームやパノラマ表示によるデジタル環境ナビゲーションなどが可能になるだろう(しかしながら、この新ツールを、フランスのMagic Instinct Softwareが、海洋データのビジュアライゼーションにGoogle Earthを活用して進めている”Google Ocean”プロジェクトと混同することがないようにしてほしい)。

「タマネギをむくように街の変化を表示」Google Earth最新版 (INTERNET Watch)
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2009/02/03/22312.html

 続いて紹介したのは、海中を探索できる「Ocean機能」。バーチ氏は、海洋科学者のシルビア・アール氏に「現状のGoogle Earthは、地球と言ってはいるが、『Google 土』にとどまっている。地球の表面の3分の2は海なのに、Google Earthには海の情報が何もない」と指摘されたエピソードを紹介。「これまで地形を表示できたが、3分の1をカバーしているに過ぎなかった。Googleも海のことはよく知らなかった」と思い知らされたことが、開発のきっかけになったことを明かした。
 今回、海底の地形や海面を表現できるようにしたほか、「ナショナルジオグラフィック」の写真や解説、クイズなど海に関するコンテンツも用意した。なお、ナショナルジオグラフィックについては日本語コンテンツも用意しているが、多くは英語のままだという。ただし、テキスト情報だけでなく、BBCのコンテンツではYouTubeに掲載している動画も参照できるようになっており、英語がわからなくても海中の様子などを楽しめるとしている。

 「ををを、すげーな、今度公開された Google Ocean。おっ、マリアナ海溝の底になにか見えるぞ……。表札だ! ちゃんと“冬樹”と読めるな。あっ、こっちにはホテルに入ろうとするカップルが――」
 「プライバシーの侵害だ」

 いやしかし、楽しいこと考えるねえ。ぜひ実現してほしいな。Google の財力なら、その気になれば、原子力潜水艦だろうが深海探査艇だろうが自前で持てそうだから、光学的な写真でなくとも、音響的な世界海底地図くらいなら作れちゃいそうだけどなあ。

 その次は、地中かな? Google Earth って名前はもう使っちゃってるから、将来、そういうサービスをはじめるときは、Google Pellucidar ってのはどうだ? 家に居ながらにして地底旅行(?)ができるのはいつの日か。

 いやいや、地球ばかりが対象ではつまらない。Google Earth の要領で人体内を旅することができる Google Fantastic Voyage ってのもいいぞ。白血球に襲われそうになったところでマウスのスクロールボタンを思いきり回して“引いて”ゆくと、ミクロの世界からものすごいスピードで視野が広がり、たちまち宇宙空間から地球を見ている映像になる……なーんてのは、じつに気持ちがいいだろうな。



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2009年1月19日 (月)

ローテクの味わい

 昨年の夏からとく子さんという女性と暮らしているわけだが、今回の冬は彼女と迎える初めての冬だ。

 彼女は湯を沸かす以外のことはなにもできない“片翼ほどもない天使”であるが、それなりにたいへんおれのために尽くしてくれている。電気で湯を沸かし、魔法瓶で保温するというのは、非常に合理的である。

 で、彼女と初めて冬を迎えてみて、彼女が湯を沸かす以外の役にも立ってくれることに気づいた。

 おれは寝る前に台所のテーブルの上にいるとく子さんに水を満タンに入れ、いったん湯を沸かさせてから寝る。で、朝起きると、百度であった湯が当然いくらかは冷めている。その冷め具合は、むかしの魔法瓶とちがって、デジタル表示できっちりと示されるのである。それによって、今朝はどれくらい寒いのかが数値でわかる。八十度くらいだと、「ああ、昨夜は朝にかけてそんなに寒くはなかったのだな」とわかるし、七十度くらいだと「これは寒い朝にちがいない」と、大まかな目安になる。つまり、一定量の百度の湯が寝ているあいだに魔法瓶でどのくらい冷めるかという測定器として使えるわけなのだ。電気で保温するタイプのポットだと、こういうふうには使えない。

 なんということのない発見ではあるが、むか~しの“ただの魔法瓶”にはデジタル温度表示なんてついてなかったから、なんかこう、湯の冷め具合が数字でわかるのが妙に新鮮なのである。環境にまったく左右されないほどのハイテクも悪くはないが、ローテクで感じる季節感というのも悪くはないなと思える今日このごろなのであった。



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2008年10月25日 (土)

ゲームはまだそこまで進んでないよ

「ゲームうまくできたので、車運転」ひき逃げ容疑の中3 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1024/OSK200810240011.html

 大阪市淀川区で18日未明、自転車の男性が軽乗用車に約180メートル引きずられて重傷を負った事件で、ひき逃げなどの疑いで逮捕された大阪府豊中市の中学3年の女子生徒(14)が「車を運転したのは初めてだった。ゲームでうまく運転できたので、本物でもできると思った」と供述していることが府警への取材でわかった。
 淀川署によると、女子生徒は「ゲームセンターでハンドル付きのゲームをして運転に興味を持ち、自宅から運転して行った」と供述。友人の中学2~3年の男子生徒3人が同乗していたことについては「ドライブに行こうと自分から誘った」と話しているという。重傷の男性は現在も入院中という。

 なあに、この程度はなまぬるい。えーと、ご記憶の方もいらっしゃるだろうが、九年ほど前に、旅客機を包丁一本でハイジャックして操縦させろと機長に迫り、断られたので機長を刺殺した阿呆がおった。阿呆は、「シミュレーションゲームで訓練を積んでいるので自信がある」とほざいていたな。

 重傷を負った方にはお気の毒だが、この程度の阿呆は、もはや、そこいらへんにざらにおると考えておかねばなるまい。道を歩くときは気をつけんとな。

 こりゃしかし、いったいなんなんだろうね? 情報教育の貧困なんだろうか? “現実”というものの情報量が、現代の迫真のゲームに比べてすら、いかに桁ちがいに膨大であるかを、ちゃんと学校で教えておいてくれなくては困るね。

 おれはヴァーチャルがリアルに本質的に劣ると言っているのではない。virtual という言葉を、real の“パチもん”といった意味に誤解している人はかなり多いが、本来、virtual というのは、“そのものではないが、その「力」において、そのものと等価である”という意味だ。まあ、残念ながら、現在の技術水準は、現実世界に匹敵する情報量をリアルタイムで仮想で操るには、まだまだお話にならないほど非力である。virtual という言葉を使うのは、ホントはまだ誇大広告(?)なのだ。そんなことは、むしろ年寄りのほうが直感的にわかるのだろうが、ひょっとすると、いまの若者には、知識として教えなければならないことなのかもしれない。こういう阿呆には、スポーツをやらせれば、現実の情報量の膨大さが体感でき、いまのコンピュータ技術など、まだまだオモチャのようなものだと納得してくれるのかもな。



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2008年10月14日 (火)

Big Brother is watching yoooooou......without ever being noticed.

110番自販機、カメラ壊される 「監視社会」と落書き (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1013/NGY200810130003.html

 愛知県豊橋市に、今月10日に全国で初めて設置されたばかりの「110番通報できる自動販売機」の防犯カメラが何者かに壊された。13日午前1時5分ごろ、通りかかった人が巡回中の豊橋署のパトカーに届けた。自販機は「監視社会」「監視」とスプレーのようなもので落書きされており、署は器物損壊の疑いで調べている。
 自販機は前面の扉を開けて受話器を取り、ボタンを押すだけで110番につながる仕組み。コカ・コーラセントラルジャパン(横浜市)が、危険に見舞われた市民がすぐに通報ができる「駆け込み自販機」を目指し、愛知県警と豊橋市の協力を得て豊橋市岩田町の岩田運動公園に設置した。
 自販機の上部にあった防犯カメラが金属製のカバーごと外されていたほか、受話器を収納していた扉の表と裏の面に書かれた説明文も塗りつぶされていたという。

 おれが二時間ドラマの脚本家だとしたら、この事件を使うな。ドラマ開始三十分ころくらいに、バカな登場人物に「110番通報できる自動販売機」の防犯カメラを面白半分に破壊させる。一時間十五分くらいのところで、このバカは真犯人の息のかかったチンピラに自分が通報装置を壊した自販機の前に深夜追い詰められ、なぶり殺しにされるのだ。いかにもありそうな筋書きじゃあ、ございませんか。

 それにしても情けない。どんなやつの犯行か知らんが、おまえの考えている「監視社会」とやらは、その程度のものか。あまりに牧歌的すぎるよ。“「110番通報できる自動販売機」の防犯カメラ”ごときの明示的な装置が、おまえの考えている監視社会の象徴なのだとしたら、おまえのIT音痴にもほどがあるわ。背伸びした小中学生程度の犯行なら微笑ましく許してやるが、高校生以上だとしたら「いい歳して勉強不足もたいがいにせえ。問題意識が浅すぎるわ、阿呆」と叱ってやりたい。おまえが「監視社会」とやらを嫌い、ラッダイト(万が一知らんのなら、世界史の教科書をちゃんと読め)を気取るのなら、警察への通報機能以外に、販売データの通信機能を持っているであろう自販機そのものを破壊し、おまえが持っているケータイを破壊し、おまえがクルマの運転免許を持っているなら、おまえがクルマに取り付けているカーナビを破壊すべきだよ。なに? そんなことをしたら不便だ? そうだよ、不便だよ。だけど、それはおまえが選ぶかどうかだけの話だよ。

 なんともはや、「監視社会」がどうのこうのと、わけもわからずに言ってみせるのがカッコいいと思っている歳ごろなのだろうけれども、幼稚なことおびただしい。このニュースを読んだ東浩紀が、はらほろひれはれと崩折れるのが目に見えるようだ。




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2008年10月 1日 (水)

おれは「松下」を忘れないだろう

さよなら「松下」 最後の儀式、本社正門の銘板取り換え (asahi.com)
http://www.asahi.com/business/update/0930/OSK200809300092.html

 「松下」にさようなら――。30日夜、大阪府門真市にある松下電器産業本社正門の社銘板が取り換えられた。創業90年の松下が、1日付で「パナソニック」に社名変更する最後の儀式だ。
 正門横に設置された縦65センチ、横3メートルの石板に付けられた「松下電器産業株式会社」の金属製の文字を作業員が外し、「パナソニック株式会社」の石板が取り付けられた。作業は約1時間20分で終わった。
 帰宅する社員のなかには、作業をのぞき込む姿も。「寂しいですね」「新たに気持ちを引き締めます」といった声が聞かれた。

 むかし、「また松下に先を越されたか~!」というCMがあったもんだが、そんなCMを憶えている世代も、もう四十、五十ですな。松下の「クーガ7」には、ずいぶんお世話になりました。中学生のころだったなあ。もう、一日中ラジオばっかり聴いては、ネタ番組に葉書を書きまくっていたものだ。たまに読まれると、これがまた嬉しい。♪When I was young, I'd listen to the radio waiting for my favorite songs...

 まあ、あのCM観ながら、子供心に思っていたのは、奇抜でカッコいいものを出して先鞭をつけるのはたいていソニーであって、松下はそれを大衆化して金にするのがうまいという感じだった。子供ですらそういうイメージは持っていた。「また松下に先を越されたか~!」とはよく言うよ、と思っていた。むろん、どっちがエラいというわけでもないのだが、むかしのソニーは、やっぱ、カッコよかったよな。一方で、世間に“マネシタ”と揶揄されながらも、「ウチには品川にソニーという研究所がありますから」と言ってのけたという松下幸之助の強かさも、またカッコいいと思うのであった。たしかに、ソニーって、ゼロックスパロアルト研究所みたいな趣がありますなあ。いつの時代も先進的なすごいことやってるのに、なぜかそれを金にするのはゼロックスではない(笑)。まあ、ソニーと松下、さながら、花形満左門豊作のようであり、おれはどっちも嫌いじゃない。もっとも、おれは個人的には、いいもの作るのに経営が信じられないくらいナニでアレなサンヨーとか、いいもの作るのにマーケティングが信じられないくらいナニでアレなカシオみたいな、技術以外のところで障害を抱えた職人集団といった地味な会社に親近感を覚えるけどね。総合的に、いちばんスマートにやってるのはシャープのような気がする。

 近年、ソニーは急速にソニーらしさを失って、なんだかむかしの松下みたいになってきた。で、その松下は、パナソニックというカタカナ名前になってしまう。企業イメージというものも、いつまでも昭和のままじゃないのだなあと、わくわくもし、ちょっと寂しさも感じる、今日このごろなのであった。



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2008年9月29日 (月)

あなたにもできる地震観測

Wanted: amateurs to help track earthquakes (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/TECH/science/09/25/earthquake.trackers.ap/index.html

LOS ANGELES, California (AP) -- Earthquake scientists want to borrow your laptop or maybe a little space in your basement or garage.
Researchers don't have enough high-tech monitoring stations to track every instance of ground shaking, so they are enlisting help from ordinary people to document quakes and pinpoint areas of possible damage.
Almost anyone can participate by equipping laptop computers with special software or installing quake sensors at home.
"If they can provide scientific data that can prepare us for events in the future, then that's extremely important," said Tom Jordan of the Southern California Earthquake Center at the University of Southern California.
The epicenter of the movement is in California, the most quake-prone state in the continental United States. Each year, 10,000 temblors rattle Southern California alone, though most are too small to be felt.
The Quake-Catcher Network was launched this year to tap into the computing power of some 300 participants worldwide, including 50 volunteers in California.
The network relies on a sensor called an accelerometer that is built into many newer laptops to detect sudden motion. If the computer is dropped, for instance, the sensor can alert the hard drive, shielding it from potential damage and preventing data from being lost.
Volunteers download software that links their computers to others in the network and sends information about shaking to scientists through the Internet.
Since any movement -- passing trucks, neighbors moving furniture or a pet jumping on the desk -- can trigger a laptop's internal sensor, scientists scan incoming data only when the U.S. Geological Survey determines that an actual quake has occurred, based on readings from its field stations.
"If there's a bunch of laptops that trigger in one location, there's probably an earthquake," said seismologist Elizabeth Cochran of the University of California, Riverside, who is a leader of the project.

 これはなかなか面白いアイディアだなあ。端的に言えば、記事にもあるように、まさに SETI@home の地震版という感じかな。みんなが観測点になれるアメダスのようなものというか。

 落下などの際の加速度を検知してハードディスクのヘッドをリトラクトするために加速度センサーを内蔵したパソコンが出てきているが、そういう個人のパソコンを用いて、地震のようすをより細かく把握しようという試みである。もちろん電源を入れっぱなしにしているパソコンばかりとはかぎらないし、加速度センサーは“生活振動”も検知してしまうにちがいないが、充分な数があれば、生活振動は除外できる。同じエリアの多数のパソコンが同時に反応しなければ地震ではないと考えられるからだ。

 多数のカーナビからのデータを集約して渋滞情報をフィードバックしたりするシステムはすでに実現しているが、この地震検知システムも、そうした Web 2.0 なアイディアですな。面白いね。今後、さまざまなセンサーを内蔵した情報家電が普及すると、それらから捕捉できるデータを用いた存外に便利なサービスが出現してくるにちがいない。

 加速度センサーといえば Wii のコントローラだが、Wii のコントローラで地震を検知しようとしたりすると、あちこちで大地震が起こっていることになってしまうだろう。まあ、そういう用途には向かない。

 だが、Wii のコントローラから取ったデータを集約できるとすれば、たとえば、「雨の日はテニスゲームをする人が多い」とか、「社会保険庁の不祥事が発覚すると、“ぶった斬り”系のゲームをする人が増える」とか、有名な“おむつとビールのアソシエーション”のような、意外で面白い相関がマイニングできる可能性はある。近い将来、さまざまな情報家電から得られる情報を基に、おれたちが度肝を抜かれるような社会科学的な事実が浮き彫りになってくるのだろう。

 まあ、おれたち一人ひとりを考えたときには、べつに個人情報を取られるわけでもないから、データのそういう使いかたが普及してきても、さほど気色悪く思うわけでもない。そもそも広告屋だって、個人情報のような危険なものはできるだけ持ちたくないと思っている。たとえば、昨今の行動ターゲティングのように、個人が特定できるような情報を持たなくても効果的な広告が打てる方法論さえあればいいのだ。

 この地震データ収集システムのような発想、設計思想のシステムは、これからどんどん出てくるだろうね。もはや、ユーザというのは、情報収集端末でもあるのだ。



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2008年9月19日 (金)

「すてきなチーズ切り」くらいなら、もう造れるんだから

エレベーターで宇宙に行けるかも 東京で今秋国際会議 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/0919/OSK200809180102.html

 「上に参ります。次の階は宇宙でございます」――長さ約10万キロのケーブルをよじ登って、ロケットを使わず、そのまま宇宙へと飛び出す「宇宙エレベーター」の研究団体が日本で結成された。海外の研究者を招き、11月に第1回国際会議を東京で開催する。従来はSFの世界の乗り物とみなされてきたが、ナノテク新素材の開発によって実現の可能性が見えてきた。
 宇宙エレベーターとは、赤道の上空、高度約3万6千キロに浮かぶ静止衛星から地上に向けてケーブルを垂らし、それをガイドとして利用して、宇宙との間を昇降するエレベーター型宇宙船のこと。
 バランスが取れるように、静止衛星から地球と反対方向の宇宙にも向けてケーブルを伸ばすため、その総延長は月までの距離の約4分の1にも達する。ケーブルは、静止衛星と共に宙に浮いた状態となるので、よじ登っても落ちてこない。地球の重力を脱出する燃料がいらないので、宇宙旅行のコストが約100分の1になると見込まれている。総建設費は、約1兆円の予定。
 SF作家の故アーサー・C・クラークが小説「楽園の泉」で紹介して有名になったが、実現は不可能に近いと考えられてきた。どんな素材でもその重さに耐えきれず、ケーブルが途中で切れてしまうからだ。計算上は、鋼鉄の約180倍もの強度が必要。だが、日本宇宙エレベーター協会会長で、IT会社社長の大野修一さん(40)によれば、軽くて強いカーボンナノチューブが開発され、必要強度の約4分の1の強さの繊維がすでに造られているという。米国では、米航空宇宙局(NASA)が賞金を出すコンテストも開かれている。
 大野さんは「海外旅行感覚で、誰でも宇宙にいけるようになる。放射性廃棄物の太陽への投棄や、太陽光発電衛星の設置などいろいろな利用案も出されている」と話す。
 約50人の会員の中には、大学教授や宇宙関連産業の技術者などもいる。来年には、ケーブルを昇る模型の速さを競う国内大会を開催する計画もある。ホームページは、http://www.jsea.jp/(久保田裕)

 こういう会議が日本で開かれ、一般紙が報道するような時代になったか。感無量だねえ……。

 おれは最近しみじみ思うのが、一九六二年あたりに生まれてほんとうによかったなあということである。おれたちの世代は、家の中にある最高のハイテク製品として箪笥の上に載っていた、あのチューナーの赤い針が物理的に移動する大きなラジオを知っている。白黒テレビを知っている。“ウチにカラーテレビがやってきた日”というのを、子供のころの大きな事件として胸に刻み込んでいる。ソノシートでアニメや特撮モノの主題歌を聴いた。人類が月に立ったとき、ちゃんとその意味がわかる年ごろになっていた。やがてデジタル技術の産物が次々と生活に入ってきた。新しい技術が出現するたびに、人類が一歩SFの世界に近づいたような気がした。ほんとうにした。オリヴェッティの機械式タイプライターで卒論を書いた。パソコン通信に感動した。インターネットにもっと感動した。牧歌的なアナログの世界にもノスタルジーを覚えつつ、デジタルなハイテクにもいちいち感動してきた。生まれたときからコンピュータがコモディティー化していた世代とはあきらかに一線を画する。着々と夢が現実になってゆくさま、テクノロジーが人々の生活や人間のありかたそのものを確実に変えてゆくさまを、みずからの成長や成熟と重ねて、まざまざと見てこられた世代なのだ。なんていいときに生まれたんだろう――と、このごろホントに思うのだ。

 でもって、とうとう軌道エレベータである。あんまり長生きしたくないなあ、死ぬときにはスイッチが切れるように死にたいなあというのがおれの基本的願望ではあるのだが、こういう話に触れると、おれの生きているうちに実現するかなあとわくわくする。むかしのように「こんな夢みたいなものが実現したらいいなあ」という段階ではもはやないのだ。多少なりとも、要素技術の展望が開けてきたからこそ、こういう国際会議も開かれるのであって、人類が手を伸ばせば届く距離にそれは近づいてきているのである。あと四十年くらい生きられたとしたら、そのころには実現しているだろうか? もし間に合いそうだったら、酒も煙草もやめてみようかという気にすらなる。八十五歳でも乗せてくれますか? それこそ『楽園の泉』じゃないけれど、軌道エレベータの中で(できれば“帰路”で)息絶えるんなら、それはそれは素敵な死にかただと思う。

 「総建設費は、約1兆円の予定」だって? なんだかずいぶん安いように感じるのだが、専門家が弾いているんだから、それなりに根拠のある見積りなのだろう。安い安い。FRBがAIGの救済に投じる金があれば、軌道エレベータが九基も造れるのか! そう考えると、ホントに安いなあ。



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2008年9月15日 (月)

Diminished Reality を描くアニメ

 Augmented Reality(AR) に対して Diminished Reality(DR) というものを Mixed Reality(MR) の一分野として研究している人々がいる。ARとは逆に、DRは、現実に存在する情報量を減じてユーザに与えることで有用にするような技術だ。

 ARが普及した世界を描いたフィクションとしては、第39回星雲賞メディア部門に輝いた『電脳コイル』があまりにも有名である。では、DRの世界を描いたアニメはないだろうかと考えてみたところ、すぐに思い当たった。『あたしンち』である。

 考えてみれば、このアニメはすごい。不必要な情報を極限まで削ぎ落としている。“モブシーン”というものがまったくない。主要登場人物以外の通行人などは、ほとんど目も鼻も口もない輪郭だけの亡霊のようなものとして描写される。とくにストーリー展開に関係がなければ、“そこに人がいる”ということさえわかれば、『あたしンち』の世界ではオーケーなのである。

 その主要登場人物にしてからが、これ以上省略できないほどすっきりしている。なにしろ、立花家の四人家族のうち、常態で黒目が見えているのは“母”だけである。にもみかんにもユズヒコにも、ふだんは黒目がない。父はメガネだけで目、みかんは白目だけで目、ユズヒコは線だけで目なのである。表情を構成する要素として最も重要であろうと思われる“目”に関する情報をここまで意図的に削ぎ落としているのは驚嘆に値する。これが Diminished Reality でなくてなんであろうか?

 将来、実現された“電脳メガネ”をかけると、たちまちおれたちのまわりの世界が『あたしンち』の世界のように単純化されて見える――なんてDRアプリケーションをおれは夢想してみたりする。とにかく、世の中情報が多すぎる。たまには『あたしンち』の中のようなところへ逃避して、単純な世界に浸ってみたいとは思わないか?

 しかし、いくら単純化されているからといって、いつ見ても思うのは、あの“母”は、絶対アンクル・トリスの親戚だよなあ。さすが同世代(けら・えいこは、おれが生まれた二日後に生まれている)だなあ。



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2008年9月 6日 (土)

『ディファレンス・エンジン』が復刊されたぞ!

  おおお、「『ディファレンス・エンジン』(ウィリアム・ギブスン&ブルース・スターリング/黒丸尚・訳/角川書店)の復刊希望。こういう記念碑的古典(というには新しいが、やっぱり“スチームパンク”という意味では古典だよなあ)が古本でしか入手できないのは、じつにもったいない」などとほざいていたら、ほんとうに復刊されてしまったぞ。しかも、ハヤカワ文庫として。会社の帰りにリアル書店に寄ったら平積みされていた。どこかでどこかでエンジェルがちゃんとちゃんとちゃちゃーんと眺めてるにちがいない。まあ、おれ以外にも復刊しろしろと願っていた人はたくさんいるだろうけれども。

 十七年前にはまだ字が読めなかった若者よ(奇しくも、いわゆる“デジタルネイティブ”のほんのちょっと上の世代から、もろの世代までを含むな)、古本で読んでいなければ、今回は読もう。まあ、今後、遠い未来まで、絶版・復刊を繰り返しては、それでも読み継がれてゆくにはちがいないが、今回手に入れ損ねたら、また二十年近く待たなきゃならないかもしれないぞ。

 ふと生まれてみるとコンピュータがブラックボックスとして身のまわりにあったキミたちよ。“蒸気コンピュータ”がシュッポシュッポ(?)と稼動する、もうひとつの歴史を堪能せよ!



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2008年8月31日 (日)

飛行機は飛びながら作れ!

 いやあ、これには大爆笑したなあ。世の中には、バカ正直な会社があるもんだ。

If programmers have make a plane

 まさにソフトウェア業界ってのは、乗客を乗せて飛びながら、その飛行機を作っているに等しい。こんなことがいつまでも続いていいはずはないが、改善される気配は、少なくとも日本国内ではあんまりない。まあ、おれなんかは管制塔の窓際の隅っこでレーダーを覗き込みながら、「おいおいおいおい、大丈夫かいな、これ」と一喜一憂しているだけでなにもできないワーキングプアだからいいようなものの、実際に上空で飛びながら飛行機作ってる人たちは、さぞやたいへんであろうなあ。ご同情申し上げる。あ、顧客が急に複葉機にしろと言ってきたぞ。建設業界で十階建てのビルができかかっているときに急に二十階建てにしろと言ってくる発注者がいたら、発注者のほうが狂人扱いされるであろうが、ソフトウェア業界ではそれが日常茶飯事なのである。

 こんなことを続けていたら、そのうち業界ごと墜落すると思うな。In a sense, this is what we do. か。なんて正直な会社なんだ。Indeed, this is what you do. However, is that really the way you should do your job? Is there any alternative?



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2008年8月28日 (木)

じゃあ、ソースネクストの商品は企業じゃ使えなくなるよなあ

USBメモリでPCソフト販売 「どのPCにも使えるメディア」を強調 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/08/27025824.html

「PC(パソコン)にソフトをインストールする」といえば、CD-ROMを使うのが、これまでの「常識」だった。ところが、低価格PCの売れ行きが伸び、その風向きが変わりそうなのだ。そうした中で、大手ソフトウェア会社ソースネクストが、ソフトをUSBメモリに入れて発売することになった。記憶媒体の変遷が、また一段と明確になった形だ。
ソースネクストが年内計30タイトルを発売
ソースネクスト(東京都港区)は2008年8月27日、USBメモリにソフトウェアを収容して販売する「『Uメモ』戦略」を展開する、と発表した。具体的には、「ウイルスセキュリティZERO」などの定番ソフト7タイトルを08年9月5日に発売し、08年末までに合計30タイトルを発売する。ソフトが収納されている容量1GBのUSBメモリは、インストール後は通常のUSBメモリとして利用でき、販売価格はCD-ROM版と同価格を維持した(「ウイルスセキュリティZERO」であれば標準価格4980円)。
この背景にあるのが、販売価格が10万円を切る「低価格PC」の伸び。民間調査会社のBCN(東京都文京区)の調べによると、低価格PCの2008年7月時点での販売台数のシェアは、ノートPC全体の4割に達している。この低価格PCの売れ行きがPC市場全体を下支えしている模様で、PC全体の売れ行きを見ても、08年4~6月期の国内PC出荷台数(速報値)は前年同期比8%増の354万台に達している(IDCジャパン調べ)。
しかし、この低価格PCの価格は、「使用頻度の低い機能を削ぎ落とす」ことで実現されている面が強いのも事実。通常であればソフトなどのインストールに必要なCD-ROMドライブが搭載されていないケースも多い。

 これはなかなか思い切った戦略だなあ。

 たしかに低価格パソコンの伸びだけを見ればUSBで提供するのは合理的だが、並みのセキュリティー・ポリシーを持っている企業には、USBメモリをパソコンに接続することをそもそも禁じているところも少なくない。むろん、ソースネクストはそんなことは百も承知だろう。元々ソースネクストの主たるターゲット層は個人である。だが、安価で軽いソフトが多いため、企業でもけっこう重宝していたところが多いのが実情だろうと思う。今回のUSBでの提供は、「ウチの商品は個人のお客様のためのものであり、企業には売れなくてもかまいません。いや、むしろ使わないでください」と暗に宣言しているわけである。当然彼らも損益を緻密に計算したうえでこういう戦略を取ったのだろう。

 なんかソースネクストを見ていると、ノートパソコンが普及しはじめたころに、フロッピィーディスク一枚に入る軽くて安価な“文具”としてのソフトを売り出したアシストの姿が既視感を伴って甦ってくるよなあ。あれはけっこう重宝したよね、当時は。アシストのやったことは、早すぎたんでしょうな。いまでは、アシストはそうしたパーソナルユースの分野からはすっかり撤退しており、企業向けのミドルウェアを中心に扱う会社になっている。

 企業のシステム管理者は、今後しばらく、ソースネクストの商品を社内のクライアントパソコンにインストールしようとするやつに注意してまわる仕事が増えることになるだろう。社員が自分のパソコンにインストールしているソフトをすべて情報システム管理者が把握できるようなデスクトップ管理のインフラを導入している企業であればそうだが、あまり情報システムやセキュリティーにお金をかけられない企業であれば、もっと安価で効果的なシンプルきわまりない施策を採っているところもある。クライアントパソコンのUSB端子を、専用工具がなければ外せない“蓋”で塞いでしまうのだ。そうした用途のための蓋と工具は実際に販売されている。コストパフォーマンスを考えればバカにできない、コロンブスの卵的なソリューションである。USBマウスやキーボードはどうするんだろうと思うこともあるけどね。

 セキュリティーや内部統制がやかましく言われるようになればなるほど、今後ますます、野村総合研究所の言う「産消逆転」という現象は進んでゆくような気もするよね。おれの勤めてる会社なんかでも、完全に産消逆転してるしなあ。



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2008年8月21日 (木)

♪胸の回路に指令が走る~

 ♪俺の 俺の使命 俺の宿命~~~ (わからん人は、オタクなおじさん・おばさんに訊いてね)


ネズミの「脳」内蔵ロボ、障害物記憶し回避 英大学開発 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/0818/TKY200808180058.html

 【ワシントン=勝田敏彦】コンピューターではなく、生物の「脳」の判断で障害物を避けて動くロボットを開発したと、英レディング大の研究チームが発表した。
 チームは、ネズミの胎児から取り出した脳を酵素で処理し、神経細胞30万個がバラバラになったものを作った。これに約60本の電極をつなぎ、動き回るロボットの障害物センサーから出る電気信号で、神経細胞が刺激されるようにした。
 このロボットを繰り返し動かしたところ、障害物を避けるようになった。障害物センサーからの刺激でネズミの神経細胞に新たなネットワークができて、ロボットの動きを制御したと見られる。センサーの情報で、ネズミの「脳」が学習したことになる。
 チームのベン・ウェイリー博士は「一つひとつの神経細胞が、複雑な生物行動をどのように制御しているのかはわかっていない。実験はこの問題の理解に役立つのではないか」と話している。

Rise of the rat-brained robots (New Scientist Tech)
http://technology.newscientist.com/channel/tech/mg19926696.100-rise-of-the-ratbrained-robots.html

After the selected stimuli have been applied a few times, certain behaviours become embedded in the culture for some hours. In other words, the culture has been taught what to do. "It's like training an animal to do something by gradual increments," Potter says.
The Reading team are now planning to study whether particular parts of the culture, rather than all of it, can be more useful for performing certain tasks. They also plan to study whether the culture should be embodied in a robot early on. At the moment, they wait three to five weeks until a culture is mature before applying any sensory input. This might amount to trying to get a sensory-deprived "insane" culture to learn, says Whalley.
This work will hopefully contribute to our knowledge of how brains work, but its potential should not be exaggerated, says Potter. "This system is a model. Everything it does is merely similar to what goes on in a brain, it's not really the same thing. We can learn about the brain - but it may mislead us."
Warwick agrees, but believes it will be useful. "If this kind of work can make a 1 per cent difference to the life of an Alzheimer's patient it will be worth it," he says.

 生きた脳細胞で機械を制御するというのは、そりゃあもう、SFでは定番中の定番と言ってよい(ゲップが出るほどありがちな)アイディアではあるが、こうして実際に作られると、なんとも言えない感慨がありますなあ。二十一世紀やなあ……。

 こういう記事を読みビデオを見ると、当然、“人間の脳細胞でもできるはずだ”と思うのが人情である。ちょっと前までであれば、堕胎した胎児の脳細胞を培養し……みたいな話になって、倫理的には到底実現不可能、もしもやったらマッドサイエンティストの烙印を捺されること必至だったろうが、おれたちはいまやiPS細胞を手にしている。人間の脳細胞だけを大量生産できるようになれば、こんな実験はやり放題だろう。再生医療が目的であれば、発癌性やらなにやら遺伝子操作の弊害を徹底的に調べ安全性を担保せねばならないが、ロボット工学に使うぶんには、多少の遺伝子の瑕疵は問題にならない。それが人間の脳細胞であれ、単なる生体素子にすぎないわけだ。iPS細胞は、再生医療の分野への実用よりも早く、案外、ロボット工学や情報工学に貢献する日が近いのではあるまいか。

 「おお、キミが生体脳を搭載したネズミロボット第一号か。おれたちのころは、迷路を走らされたもんだがなあ。生きた脳細胞で障害物を回避するとはたいしたもんだ」
 「畏れ入ります。これも先人、いや、先鼠の方々の業績あってのことです、あ、アルジャーノン先生」
 「そんなに固くならなくてもいいよ、先輩でいい」
 「は、ハイ、先輩っ!」
 「♪ぽっぽぽぽぽぽ、ぽっぽー ぽぽぽぽぽ、ぽっぽっぽっぽっぽー……」
 「……さては、それが唄いたかっただけやな」



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2008年8月 6日 (水)

『TIGER VE電気まほうびん<とく子さん> 電気ポット グレー 2.2L PVN-A220H』(タイガー)

 先日、十年近くは使ったであろう電気ポットがぶっ壊れたので、こいつを買ってみた。初期投資は少々割高だが、豆電球を発光ダイオードに買い換えるようなものだろう。ランニングコスト重視である。

 ウチはとにかく物持ちがよすぎるのがよくないのかもしれん。家電を十年も二十年も使うのは考えものだ。というのは、その間の技術革新で、ランニングコストが段ちがいに下がっている分野もあるからだ。エアコンなんかはまさにそうだった。

 以前から、一度沸かした電気ポットの湯を電気で保温するってのは無駄だなあとは思っていたのだ。魔法瓶という枯れた技術がすでにあるのだから、ハイブリッドカーのように、電気で沸かした湯を魔法瓶で保温するという手もアリではないか、なんでそういうものを作らんのだ――と思っていたところへ《とく子さん》シリーズが出たのだけれども、やっぱりせっかくいま使えている電気ポットを廃棄してまで乗り換えるのはいかがなものかという貧乏性が発揮され、とうとう壊れるまで古い電気ポットを使い続けたのであった。

 《とく子さん》をしばらく使ってみて思うのは、やっぱり魔法瓶というのは偉大であるということだ。電気を使わずに保温しても、家庭での実用上、ほとんど困ったり苛立ったりすることはない。

 《とく子さん》でもって、いったいどのくらい電気の節約になっているのかは、次の電気代の請求を見てみるまでわからない。というか、見てもおそらくわからない。ほかの電気製品もいっぱい使っているし、なにより、夏はエアコンを酷使するため、長期間の電気代を記録してでもいないかぎり、《とく子さん》による節電効果は、なかなかデジタルには弾きにくいのである。

 とはいえ、定量的な測定は難しくとも、こいつをしばらく使っていると、どう考えたっていままでより電気を使っていないことが実感できる。いやなに、その、あのね、おれはなにも電気代が得だとか、そういうみみちいことを考えているのではなくて、一家庭がいかに二酸化炭素の排出抑制に協力できるか、地球のため、姪たちの未来のためになにができるかと崇高なことを考えて、たかが電気ポットごときを選んでいるわけなのであるのだぞ。そうなのだぞだぞ。電気代がもったいないのではない。電気がもったいないのだ――と、自分に言い聞かせる今日このごろである。いやそれにしても、次回の電気代の請求が楽しみだ。

 おれが買ったのは湯量も少なく値段も比較的安い普及型だが、最上位機種ともなるとえらいもんですなあ。「過去14日間の使用パターンを記憶して、曜日ごとの使用パターンに合わせてポットが自動的に使う時間帯はヒーターON、使わない時間帯はOFFに切り替え」るのだそうで、たかがポットごときがえらくインテリジェントである。

 おれはどうも昨今の“二酸化炭素排出抑制ファシズム”みたいなものにはイラっときて抵抗を覚えるのだが、まあ、電気を使うよりは使わないほうがいいにはいいに決まっている。これから十年くらいは、このポットにがんばってもらわんとな。



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2008年7月31日 (木)

「自働算盤」から「カシオミニ」まで七十年

明治のスパコン、小倉にあった 最古の国産機械式計算機 (asahi.com)
http://www.asahi.com/travel/news/SEB200807270023.html

 福岡県豊前市出身の発明家矢頭(やず)良一(1878~1908)が1902年に作った「自働算盤(じどうそろばん)」が、現存する最古の国産機械式計算機であることを日本機械学会が確認した。現物は北九州市小倉北区の市立文学館(佐木隆三館長)に寄託、保管されており、同学会は近く機械遺産に認定する。
 この自働算盤は外観はタイプライターのような形。そろばんと同じように2、5進法で数値を入力する方式で、レバーを回すと22枚の歯車が数を記憶し、15~16けたの四則計算ができるという。
 機械遺産の選考委員の西日本工業大学工学部の池森寛教授は「日本人になじみのそろばん方式を採り入れた点が独創的なところ。欧米の計算機が主流だった当時、国内の技術者に国産計算機を使うきっかけを与えた」と評価する。
 同館などによると、矢頭は1878(明治11)年、福岡県の黒土村(現在の福岡県豊前市)に生まれた。鳥を見て空を飛ぶことに興味を持ち、中学を中退して鳥類や理工学の勉強のために大阪に出向いた。99(明治32)年に徴兵検査で帰郷。航空機エンジンの研究や開発の資金を得るために、計算機の発明に取り組んだとされる。
 計算機の模型は、官営八幡製鉄所が開業した1901(明治34)年に完成。同年2月22日、矢頭は資金援助を受けるため、軍医として小倉に赴任していた森鴎外を訪問。その様子は鴎外の「小倉日記」にも記されている。矢頭は鴎外から支援を受けて上京し、計算機を量産。1台250円という価格は「家が一軒建つほど」だったが、陸軍省や内務省などに約200台売れたという。
 文学館は秋にも、矢頭の企画展を開く予定。

 うわあ、これは渋いなあ。「自働算盤」ってネーミングがスチームパンクだね。野尻抱介さんなんか、いかにも好きそうだ。なにしろ、タイガー計算機を入手したときなど、あたかも女子高生を愛撫するかのような手つきでにやにやしながらいじくりまわしていた人であるからな。もしこんなのが売りに出されたら、野尻さんなら数十万くらいは軽く出しそうだ。

 調べてみると、あの“答え一発”「カシオミニ」が出たのは、一九七二年「家が一軒建つほど」の小型計算機は、わずか七十年で一万二千八百円(なにしろ、当時CMでさんざん聞かされたから憶えているのだ)になり、庶民の手にもなんとか届くようになったのだった。

 あれから三十数年。二、三年前に一円で買って母に持たせた高齢者向けのシンプルな携帯電話にすら、カシオミニをはるかに凌ぐ性能の電卓機能が搭載されている。「家が一軒建つほど」の計算機は、百年ほどで事実上タダになってしまったことになる。SFだねえ。

 これからの百年、いったいなにがどうしてどうなることやら、想像するだにわくわくしますな。



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2008年7月30日 (水)

♪おれは涙を流さない、ダダッダー

ASIMOが来た 四川の子ども励ます (asahi.com)
http://www.asahi.com/international/update/0728/TKY200807280084.html

【徳陽(中国四川省)=小林哲】中国・四川大地震で被災した子供たちを励まそうと、ホンダの人型ロボット「ASIMO(アシモ)」が28日、当地の私立外国語学校小学部を訪れ、子供たちとゲームをするなどして遊んだ。
 ASIMOは中国語で子供たちに自己紹介した後、一緒にじゃんけんやミニ・サッカーをしてふれ合った。中国での実演は北京や上海のモーターショーでこれまでにもあったが、学校を訪れて子供たちと交流するのは初めて。30日まで滞在し、徳陽市周辺で被災した小学生や幼稚園児ら計5千人を励ます。
 同小6年の代宸吉さん(12)は「科学技術は進歩している。サッカーでも、やっぱりASIMOが勝った」と目を輝かせていた。

 このニュースを読んで、ネット者はみーんな同じことを思ったとは思うんだけどな、あえて言わせてもらおう。あの、ちょこっと一世を風靡した中国の最先端ロボット、

先行者はこんなときになにをしている!?

 プラモデルまで出た人気者のくせに、外国のロボットに先を越されてどうする。こういうときこそ同胞を励ましに行かんか。じゃんけんやミニ・サッカーくらい、先行者ならお手のものであろう。

 ゆけ、先行者! 中国人民の自由のために、中国共産党と闘うのだ!



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2008年7月23日 (水)

大統領候補のデジタル・ディバイド

Unlike McCain, many seniors surf the Web (CNN.com)
http://edition.cnn.com/2008/TECH/ptech/07/21/wired.seniors.ap/index.html

NEW YORK (AP) -- If Sen. John McCain is really serious about becoming a Web-savvy citizen, perhaps Kathryn Robinson can help.
Robinson is now 106 -- that's 35 years older than McCain -- and she began using the Internet at 98, at the Barclay Friends home in West Chester, Pennsylvania, where she lives.
"I started to learn because I wanted to e-mail my family," she says -- in an e-mail message, naturally.
Blogs have been buzzing recently over McCain's admission that when it comes to the Internet, "I'm an illiterate who has to rely on his wife for any assistance he can get." And the 71-year-old presumptive Republican presidential nominee, asked about his Web use last week by the New York Times, said that aides "go on for me. I will have that down fairly soon, getting on myself."
How unusual is it for a 71-year-old American to be unplugged?

 ニューヨーク・タイムズ紙の記者に訊かれたとき、うっかり「インターネット文盲で、妻に頼りっきり」みたいなことを言ってしまったばっかりに、マケイン候補はすっかりCNNでは電脳社会の文盲扱いである。「この百六歳のおばあちゃんに教えてもらえば?」と揶揄する論調だ。

 たしかに、これはアメリカ大統領候補としては、ずいぶんまずいことを言ったものだ。高齢者や身体障害者が時に命の綱にもしているインターネットに、現代のアメリカ大統領になるかもしれない人物が無関心であるというイメージが広まってしまっては、どう考えたってプラスにはならない。インターネットを使っているかどうかが、自由社会のリーダーたる条件になるかどうかという議論が起こっているそうだが、少なくとも、おれは自分で使いもしないでインターネット社会がどうのこうのとほざいている経営者などは、まったく信用しないがなあ。自分がユーザでないものに関しては、どうしたって“顧客視点”を欠くのが人間というものである。「喫茶店に入ったことのない人が喫茶店をはじめてはいけない」と先日書いたとおりだ。小説を読んだことがない作家なんているものか。アメリカ国民も、その点に引っかかって揶揄しているのだろう。とくに民主党支持者は。

 マケイン候補は七十一歳なんだから無理もない……というのはIT後進国の日本での感覚。記事によると、アメリカ人全体では、六十五歳以上でインターネットを使っている人はわずか三十五パーセントだが、六十五歳以上の白人大卒男性となると話はちがう。じつに七十五パーセントが使っているのだ。マケイン候補は、少数派の電脳文盲(?)に属してしまうのである。

 オバマ候補のほうは電脳リテラシーに関してはあまり心配なく、ブラックベリーに夢中になって歩道の縁に躓いたりしているところを撮影されて、YouTube に流されたりしているくらいだそうだ。危うし、マケイン! ここで挽回するには、iPhone でも常時携帯して見せびらかさないと。

 七十一歳の爺さんがインターネットを日常的に使っていないからといって、日本ではそんなことは論点にすらならないが、まあ、このあたりが腐ってもアメリカである。インターネットに疎いということは、すなわち、水道やら電気やらガスやらといったライフラインに疎いというのに匹敵するマイナスイメージになりかねない。おれ個人にとっては、すでに充分ライフラインなんだけどね、日本でも。

 『日本の電子政府は「おもちゃ」』という意見にはおれも賛成だから、マケイン候補も、日本でならまだおちょくられたりしないのにね。残念ながら、IT先進国で大統領選に出るということは、たいへんなことなのだ。



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2008年7月18日 (金)

こういう会合には、ブルース・スターリングでも呼ばんとなあ

Scientists: Humans and machines will merge in future (CNN.com)
http://edition.cnn.com/2008/TECH/07/15/bio.tech/index.html

LONDON, England (CNN) -- A group of experts from around the world will hold a first of its kind conference Thursday on global catastrophic risks.
They will discuss what should be done to prevent these risks from becoming realities that could lead to the end of human life on Earth as we know it.
Speakers at the four-day event at Oxford University in Britain will talk about topics including nuclear terrorism and what to do if a large asteroid were to be on a collision course with our planet.
On the final day of the Global Catastrophic Risk Conference, experts will focus on what could be the unintended consequences of new technologies, such as superintelligent machines that, if ill-conceived, might cause the demise of Homo sapiens.
"Any entity which is radically smarter than human beings would also be very powerful," said Dr. Nick Bostrom, director of Oxford's Future of Humanity Institute, host of the symposium. "If we get something wrong, you could imagine the consequences would involve the extinction of the human species."

(中略)

"Nanotechnology will not just be used to reprogram but to transcend biology and go beyond its limitations by merging with non-biological systems," Kurzweil said. "If we rebuild biological systems with nanotechnology, we can go beyond its limits."
The final revolution leading to the advent of Singularity will be the creation of artificial intelligence, or superintelligence, which, according to Kurzweil, could be capable of solving many of our biggest threats, like environmental destruction, poverty and disease.
"A more intelligent process will inherently outcompete one that is less intelligent, making intelligence the most powerful force in the universe," Kurzweil writes.
Yet the invention of so many high-powered technologies and the possibility of merging these new technologies with humans may pose both peril and promise for the future of mankind.
"I think there are grave dangers," Kurzweil said. "Technology has always been a double-edged sword."

 今日、オクスフォード大学に諸分野の専門家が集まって、global catastrophic risks について話し合うカンファレンスを持っていたらしいのだが、その global catastrophic risks ってのが、SFファンの関心事そのものである。核テロが起こったらどうなるかとか、小惑星が地球にぶつかってきたらどうなるかとか、人類の知性をはるかに凌ぐ能力を持った機械知性が現れたらどうなるかとか、べつに珍しくもなんともない話なんじゃないかなあ、SFファンにとっては。この種のカンファレンスは初だと記事は伝えているが、ほんとにそうなの? SFファンってのは、寄るとさわるとこんな話ばかりしているし、SFファンには本職の学者も多いのである。おんなじようなもんなんじゃないの?

 人類はいずれみずからを改造して機械と融合してゆくだろうなんてことを、いまさらのように言われてもねえ。しかもそれを“リスク”だと言われてもねえ。おれはそんなこと、リンゴが木から落ちるくらいあたりまえのことだと思ってたけどなあ。眼鏡や入れ歯となにがちがうというのだろう? それとも、“カタギの人”たちは、この期に及んで、人類と機械が今後融合してゆかないとでも、まだ思っているとでもいうのだろうか? そんなアホな。おれの貧しい見識に照らしてさえひとつだけ確かなのは、“人類というものは、できるようになったことは必ずやる”ということである。

 そういうわけで、この記事、SFファンにとってはちっとも面白くないのだが、Dr. Ray Kurzweil の言葉にだけは、「それは、きっとそうだろう」と頷けるものがある。グレッグ・ベアが、かつて似たようなことを言ってたよね。Kurzweil 博士曰く、"This will happen faster than people realize."

 そう、それはいままでも、常にそうだった。



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2008年7月 2日 (水)

躍動する奔放な死体

Donors sign up to have bodies dissected, displayed (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/TECH/science/06/30/body.worlds/index.html

 おわわわ、こういうのは小林泰三さんとかがいかにも好きそうだなあ。

 死体の体液や脂肪をプラスティックで置き換える plastination という技術でもって、死体がそのまま展示物になるわけである。ただただフツーに埋葬されたり火葬されたりするよりは、死後、自分の遺体を人々の教育や啓発に役立てたいと、この死体展示会のために“ドナー登録”をする人が、北米で八百人、全世界で八千六百人もいるそうなのである。英語の苦手な方は、写真だけでも見てほしいが、いや、なかなかこれはすごいものですぜ。なんか、映画の『AKIRA』みたいだ。

 おれはあんまり人様の鑑賞に堪えるような身体をしているとは思えないが、その思想には共感できるものがあるな。おれはいかなる生気論的な立場も取らないので、死んでしまったら、遺体、というか、死体は、放っておけば腐ってゆくばかりの、ただの有機物の塊だと思っている。どうせなら、そういうものを役立てる方法があるなら、なんらかのカタチで役立てたいとも思っている。

 医者の卵のために献体するという手もあるが、多くの人の目に触れるという点では、自分の遺体の利用法としては、こういう“展示”という方法も、オプションのひとつに入れておいてもいいだろう。人体というのは美しいものだなあと見学者あるいは見物人を感嘆させることはできないだろうが、煙草を吸ってるとこんなふうになりますよ、酒を飲みすぎるとこんなふうになりますよという見本くらいにはなれるかもしれない。

 虎でなくても、死して身体を遺すテクノロジーがあることはあるわけだ。



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2008年6月12日 (木)

アメリカでLPレコードが復興中

Retailers giving vinyl records another spin (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/US/06/10/vinyl.records.ap/index.html

PORTLAND, Oregon (AP) -- It was a fortuitous typo for the Fred Meyer retail chain.
This spring, an employee intending to order a special CD-DVD edition of R.E.M.'s latest release "Accelerate" inadvertently entered the "LP" code instead. Soon boxes of the big, vinyl discs showed up at several stores.
Some sent them back. But a handful put them on the shelves, and 20 LPs sold the first day.
The Portland-based company, owned by The Kroger Co., realized the error might not be so bad after all. Fred Meyer is now testing vinyl sales at 60 of its stores in Oregon, Washington and Alaska. The company says, based on the response so far, it plans to roll out vinyl in July in all its stores that sell music.
Other mainstream retailers are giving vinyl a spin too. Best Buy is testing sales at some stores. And online music giant Amazon.com, which has sold vinyl for most of the 13 years it has been in business online, created a special vinyl-only section last fall.
The best-seller so far at Fred Meyer is The Beatles album "Abbey Road." But musicians from the White Stripes and the Foo Fighters to Metallica and Pink Floyd are selling well, the company says.
"It's not just a nostalgia thing," said Melinda Merrill, spokeswoman for Fred Meyer. "The response from customers has just been that they like it, they feel like it has a better sound."
According to According to the Recording Industry Association of America, manufacturers' shipments of LPs jumped more than 36 percent from 2006 to 2007 to more than 1.3 million. Shipments of CDs dropped more than 17 percent during the same period to 511 million, as they lost some ground to digital formats.

The resurgence of vinyl centers on a long-standing debate over analog versus digital sound. Digital recordings capture samples of sound and place them very close together as a complete package that sounds nearly identical to continuous sound to many people.

Analog recordings on most LPs are continuous, which produces a truer sound -- though, paradoxically, some new LP releases are being recorded and mixed digitally but delivered analog., manufacturers' shipments of LPs jumped more than 36 percent from 2006 to 2007 to more than 1.3 million. Shipments of CDs dropped more than 17 percent during the same period to 511 million, as they lost some ground to digital formats.

The resurgence of vinyl centers on a long-standing debate over analog versus digital sound. Digital recordings capture samples of sound and place them very close together as a complete package that sounds nearly identical to continuous sound to many people.
Analog recordings on most LPs are continuous, which produces a truer sound -- though, paradoxically, some new LP releases are being recorded and mixed digitally but delivered analog.

 へぇ~。早い話が、アメリカではいわゆる“バイナル”、つまり、ポリ塩化ビニル製のアナログレコードのセールスがこのところ“伸びている”らしい。音源がデジタルなのに、わざわざアナログ媒体にしたりする例もあるそうな。

 小売チェーンのフレッド・マイヤーが、発注の際にうっかり「LP」のコードを打ち込んでしまったところ、各店舗にドカっと、あの“レコード”が届いた。返品してしまった店舗も多かったが、そのまま店に並べたところでは、面白い現象が起こった。売れたのだ。初日で二十枚も売れたという。フレッド・マイヤーだけでの事件ではない。the Recording Industry Association of America によれば、二〇〇六年から二〇〇七年にかけて、LPレコードの出荷量は、三六パーセントもの伸びを見せているそうだ。一方で、同じその期間に、CDの売れ行きは一七パーセントも落ちているという。

 てなわけで、なにやらアメリカでは、ちょっとしたLPレコード復興ブームが起こっているらしい。奇妙なもんだねえ。いや、むろん、絶対量としては、いまやウォルマートを抜いて世界でいちばん音楽を売っている小売店、iTunes Store を脅かすほどのことではないが、“バイナル”にこだわる音楽ファン(“音響ファン”と呼ぶべきかもしれないけれども)の需要には、けっこう根強い(根深い?)ものがあるようだ。

 これが一時期だけの現象なのか、今後、もっと大きなうねりになってくるのかには興味津々だけど、ちょっと日本では考えにくいブームだよねえ。日本の場合、往年の名盤や幻のアルバムの復刻などが、いわゆる“紙ジャケ”というカタチでちょっとした人気を博していることはいるけれども、まあ、あれだって中身はCDである(LPレコードそっくりの外観に模してあったりするのが食玩感覚で愉快だが)。

 アメリカという国の面白いところは、最先端の技術の産物を謳歌している層があるかと思えば、まるで時間が止まったかのような枯れた技術やインフラをごくふつうに使っている層が平然とあったりするあたりだ。振幅がやたら大きいのだ。スペースシャトルを飛ばしている国だからといって、みんながみんな光ファイバーのブロードバンドでバカスカインターネットを使っているわけではなく、いまだに「ピーーーー、ガガガガガ……」などと56Kモデムであたりまえのように通信していたりする人たちがいる。その点、日本のほうがずっと均質である。韓国ともなると、後発のメリットで、最初から一気に与えられたブロードバンドしか知らないような層がマジョリティーだ。

 このLPレコードブームも、アメリカならではという気がするなあ。ごくごく一部のオーディオマニアだけじゃなく、きっと“針を落として”聴くむかしのプレイヤーがまだまだ家にあるという世帯がかなりあるのだろう。まあ、日本にもそういう人(「やっぱり超音波や低周波を身体で感じないと、ホントの音楽じゃない!」と熱弁をふるうタイプのああいう人たち)はいることはいるけど、こんな社会現象(?)を作り出すほどの数ではないと思うね。

 この現象が日本に渡ってくるかどうかは、たいへん興味深いところだ。おれは渡ってこないと思うけどね。この時代に、データじゃなく記録媒体で販売する音楽の売り上げが“伸びる”なんてのは、まことにアメリカらしい面白い現象だと思うね。ある意味、ハイテク必ずしも善ならず、先端ならずという価値観を持った人が多いわけで、不均質であるがゆえに多様性を許容する市場があるというあたりこそ、アメリカの底力だと思う。多様であることは、非効率ではあっても善であるというベースの価値観がアメリカ人にはある。これはちょっと、おれたちも見習いたいところだよね。まあ、おれ個人はものぐさなので、いまLPレコードが欲しいなどとは、まず思わないけど……。やはり、iTunes Store の便利さにはかなわない。



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2008年6月 1日 (日)

♪惑星Eから~追放さ~れた~

Monkeys control robots with their minds (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/TECH/science/05/29/monkey.robots/index.html

(CNN) -- Scientists have trained a group of monkeys to feed themselves marshmallows using a robot arm controlled by sensors implanted in their brains, a feat that could one day help paralyzed people operate prosthetic limbs on their own, according to a study out Thursday.
Lead researcher Andrew Schwartz of the University of Pittsburgh said he believes it won't be long before the technology is tested in humans, although he predicts it will be longer before the devices are used in actual patients with disabilities.
"I think we'll be doing this on an experimental basis in two years," said Schwartz, professor of neurobiology at the university's School of Medicine.
The results were appeared in the journal Nature's online edition on Thursday. The arm is controlled by a network of tiny electrodes called a brain-machine interface, implanted into the motor cortex of the monkeys' brains -- the region that controls movement.
It picks up the signals of brain cells as they generate commands to move and converts those into directional signals for the robotic arm, which the monkeys eventually used as a surrogate for their own.

 おお、すげえなあ。だけど、こういうのを見ると、おれくらいの世代の人は、このサルに“ラー”と名前を付けたくなるにちがいない。

 将来的に、こういう技術の恩恵に身体障害者が与ることができるようになると、健常者以上に器用で力持ちになる可能性すらある。おれたちが子供のころに空想してたようなものが、もはやすぐそこまで来ているのだなあ。もうすぐ、生得的に持っているものを人工物が超える時代がやってくるにちがいない。そういう技術とどうつきあってゆけばよいのかも、そろそろ考えておかなくてはならないよなあ。むかしはこういう手術をするのには、600万ドルくらいかかったもんだ。



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2008年5月27日 (火)

ズルはアホよりタチが悪い

コピペしたリポート、ばれちゃうぞ 検出ソフト開発 (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0525/TKY200805250186.html

 インターネット上の公開情報を引き写しただけの「コピー・アンド・ペースト(コピペ)」でないかをチェックするパソコンソフトを、金沢工業大学教授が開発した。コピペは学生のリポートなどで横行しているとされ、先生らには朗報になりそうだ。
 金沢工大知的財産科学研究センター長の杉光一成教授が今年2月に特許出願した。来年にも市販する予定という。
 電子データで提出された文章をソフトに入力すると、翻訳ソフトに使われている「形態素解析」という技術で、文章を文節や単語に分解。それぞれの文節や単語をネット検索し、類似した文章がネット上で見つかれば、URLを表示して知らせる。複数のリポートを比べて、学生同士が写し合っていないかチェックすることもできる。
 杉光さんは一昨年、学生に課したリポートを読んでいて、学生2人の表現が似ていることに気付いた。共通する文章をネット検索したところ、あるブログからの引き写しとわかった。同僚もコピペに悩んでいると知り、昨夏、開発に着手した。
 杉光さんは「先生が不正を見抜く技術を持てば、学生には大きな抑止力になるはず。安易にコピペできなくなれば自分で文章を考えるから、学生のためにもなる」といっている。(山口智久)

 ほおお、こりゃいいや。前から、こういう学生の意地汚い根性にむかついていたのだ。稲葉振一郎さんにとっても朗報であろう。

 なにがむかつくと言ってだな、要領だけいいのがむかつく。要領がいいことはたしかに少なからぬ局面で大事なことであるが、要領だけいいのがむかつくのである。勉強してないのなら、堂々と悪い点を取るという潔さはないのか。また、勉強してもダメだったのなら、少なくともその科目においては自分には才能がないのだと受け容れる潔さはないのか。自分が得られるもの以上のものを要領よく得ようとする、そのこすからい根性がよろしくない。吐き気を催す。

 たしかに世の中には、なにをやらせても人並み以上という才人もたまにはおるが、自分がそうなのかそうでないのかくらいは、まともな人間であれば人生の早いうちに自覚するはずである。誰にでも得手不得手はある。なんに於いても、的確に現状を把握しないことには、立てるべき戦略、次に打つべき戦術など、策定のしようもない。等身大の自分以上のものを、分不相応にも得ることにだけに血道を上げる人生など、くだらないことおびただしい。おれはアホは許すが、ズルは許さん。英語には deserve といういい言葉がある。おのれに見合わないものを受け取って嬉しいか? 嬉しいなどというやつは、その程度の人間なのだ。全世界が賞賛しようとも、自分にとって納得がいかなければ、そんなものには価値がないと考えるのがサムライである。

 大学の先生に於かれては、ぜひこのようなソフトを活用なさり、要領だけよければいいのだと思っているような根性の腐った学生どもをどんどん落第させていただきたい。そういう性根の腐ったやつらが、カタチさえ踏んでおけば本来の目的などどうでもよいと考えるような、腐った小役人になり下がる(というか、当然のようになる)のにちがいない。日本の将来のためにも、そういうズルいやつらを叩き潰しておかねばならない。自分が怠け者だアホだと自覚したやつは強い。そこから進歩する無限の可能性を秘めている。だが、ズルはどこまでいってもズルのままである。一生ズルだ。そんなやつらを栄えさせてはならない。叩き潰しておくのは、大学の重要な使命だと思うぞ。



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2008年5月20日 (火)

力は六千六百倍?

 ……ってとこまではいかず(いったら危ないわい)、二十倍くらいらしい(そもそもタイトルのネタが古すぎる)。

Robotic suit amplifies human strength (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/TECH/05/15/robotic.soldier.ap/index.html

Much as the brain sends signals to tendons to get muscles to move, the computer sends instructions to hydraulic valves. The valves mimic tendons by driving the suit's mechanical limbs, replicating and amplifying the wearer's movements almost instantly.
"With all the previous attempts at this technology, there has been a slight lag time between the intent of the human, and the actual movement of the machine," Obusek said.
In the demonstration, the bulky suit slowed Jameson a bit, but he could move almost normally.
When a soccer ball was thrown at him, he bounced it back off his helmeted head. He repeatedly struck a punching bag and, slowly but surely, he climbed stairs in the suit's clunky aluminum boots, which made him look like a Frankenstein monster.
"It feels less agile than it is," Jameson said. "Because of the way the control laws work, it's ever so slightly slower than I am. And because we are so in tune with our bodies' responses, this tiny delay initially made me tense."
Now, he's used to it.
"I can regain my balance naturally after stumbling -- something I discovered completely by accident."
Learning was easy, he said.
"It takes no special training, beyond learning to relax and trust the robot," he said.

 どうもアメリカ人というのは、こういう技術の話になると、すぐ兵士が着るだの、身体障害者自身が着るだのと、貧困な発想を露呈するなあ。だいたい、アメリカ人というのは“攻めてゆく”とか“自分で守る”とか“自立する”とかいった、強迫的に“個”に囚われた発想をしすぎる。基本的におれ自身は indivisualist ではあるし、アメリカ的発想もわからんでもないんだが、こういう技術を話題にするのなら、“弱い人を助ける”とか“互いに助け合う”といった発想にはならんのか、アメリカ人よ。こういうの見ると、真っ先に災害救助用に役立ちそうだと思うわな、日本人は。

 この種の研究だと、日本で有名なのは、神奈川工科大学山本圭治郎教授らによる「介護用パワーアシストスーツ」だろう。日常生活で力を二十倍にもする必要なんかあるもんか。山本教授らの研究は、その発想に於いて、世界に誇るべきものがあると思うのだがどうか。介護師や介護する家族がパワードスーツを着るなんて発想は、アメリカ人にとっては、あっと驚く盲点にちがいない。

 まあ、アメリカでも、ボランティア団体が傷痍軍人にセグウェイを寄贈したりしているようで、テクノロジーのそのような使いかたにはたしかに見るべきものがある。だけどな、そもそも、国家の名の下に国民がこういう目に会ったりしないような政治をしろよ、ブッシュ。それから、ブッシュ、セグウェイは電源入れてから乗るようにな。

Donated Segways may help disabled vets get back on feet (USA TODAY)
http://www.usatoday.com/news/nation/2007-12-04-Segway_soldiers_N.htm

Wounded Arizona Veteran to Receive Segway to Improve Mobility (EVliving.com)
http://www.evliving.com/cities_news.php?action=fullnews&id=9854



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2008年4月27日 (日)

「ひので」と『サイエンスZERO』

 今回の『サイエンスZERO』(NHK)、お題は「ここまで見えた 知られざる太陽」。一昨年秋に打ち上げられた太陽観測衛星「ひので」からのデータが着々と予想以上の成果を挙げているようすを紹介していた。思えば、二〇〇六年、「ひので」が送ってきたばかりのデータを紹介していたこの番組も、ナビゲータは二人とも変わってしまっている。彼らの記憶に小杉健郎の名はないかもしれないが、こうしてまた同じ番組で「ひので」の成果が紹介されるのであるから、お星様になった科学者もさぞやお喜びであろう。

 それにしても、今回は、内容の興味深さもさることながら、音楽が妙に懐かしかったぞ。吉川洋一郎『地球大紀行』からやら羽田健太郎『さよならジュピター』からやら、選曲したのはおれと同世代の人じゃないかな?



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2008年4月19日 (土)

鏡に不細工な自分が映っていたら、それは鏡が悪いのかね?

「アマゾン」の商品検索で 自殺に必要な品一式表示 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/04/16019103.html

入浴剤と洗浄剤を混ぜ合わせてガスを発生させ、これを吸って自殺するケースが社会問題化している。たとえば、「アマゾン」で問題の入浴剤を検索すると、関連商品として、自殺に必要な品一式が表示される。ネット上には「これは自殺の勧めだ」という批判が出ている。

 こ、これは、アマゾンやら、「自殺に必要な品一式」に含まれるアイテムの各メーカーを批判したってしようがないでしょう。とばっちりもいいところだ。

 おれはむしろ、この記事を読んで、アマゾンの協調フィルタリング技術というのは、なかなか大したものだという印象を受けたけどね。ちゃんと動いて機能しとるなあと。

 たとえば、ハンマーで自分の頭を殴って自殺するという豪快な方法が一時的に流行したとすると、ふだんアマゾンを利用している自殺志望者はハンマーについてアマゾンであれこれ検索して自殺に適したハンマーを見繕い、また、書籍のコーナーでは自殺の方法についての本をあれこれ検索して研究することだろう。そういう自殺志願者が増えてくると、ハンマーと自殺方法についての書籍の相関が強くなってゆき、カスタマプロファイリングの有為なパラメータとして機能するようになってゆく。そうなると、単に家の棚を修理したくてハンマーを探している人に対しても、「自殺本はいかがですか?」と薦めてくるようになってしまうはずだ。たいていの人は、「なんで自殺本なんか薦めてくるのだろう?」と不可解に思うだろうが、“最近ハンマーで自分で自分の頭を殴って自殺するのが流行している”ということを知っている自殺志願者は、すすめられたアイテムをクリックして眺めてみたりする。するとさらに、ハンマーと自殺の相関は高くなってゆき、“ハンマーに興味を持つ人は自殺にも興味を持っている”と、システムがあたかも認識しているかのようなふるまいをする傾向が強くなってゆく――というわけである。つまり、端的に言うと、ハウリングを起こしているようなものだ。アマゾンが表示してくる“おすすめ”といったところで、その“おすすめ”の過程に人間は一切介在していない。ひょっとすると、電車に飛び込んで自殺したいと思ってアマゾンで調べる利用者が増えると、電車と自殺の相関が高くなり、アマゾン(のシステム)は鉄道模型と自殺本を薦めてくるかもしれないわけだ。つまり、アマゾンの利用者の中で特殊な動機を持つ人々のアマゾンでの操作履歴が、たまたま特定の目的に使えそうなアイテム同士の相関を、あたかもハウリングのようにぐんぐん高めてゆくことになる。

 この記事が取り上げている“事件”が示すのは、単に、硫化水素で自殺したがっている人も、相当数アマゾンの利用者であるということにすぎない。

 極端な話、SFの読みすぎで自殺するという方法が流行した場合(流行せんとは思うが)、アマゾンはアーサー・C・クラークの本を検索して買おうかどうか迷っている人に対して、『完全自殺マニュアル』を薦めてくるように動作する可能性が高い。もし、アマゾンで薬品や医療器具を売っていたとしたら、塩化カリウムを買った人に対して、アマゾンは注射器や自殺本を薦めてくるように動作するかもしれない。

 アマゾンが自殺を薦めてくるかのように見えているのは、単に世間の流行を忠実に反映し、その傾向を強化する方向へとデータを表示してくるからというだけのことである。つまり、アマゾンのシステムが自動的に行なっていることは、一種の報道と見ることができる。テレビの選挙予測報道が投票行動に影響を及ぼしてしまうのにも似た、ハウリングが起こっているのである。

 旧来のマスメディアもネットも、そのようなハウリングを生む媒体特性を内包している点に於いては変わらない。問われているのは、意識を持たず機械的なアルゴリズムで動いているだけのシステムが出してくる程度の情報に惑わされないための、利用者側のリテラシーだ。

 聖書で自分の頭を殴って死ぬという自殺方法が一時的なファッションとして流行すれば、アマゾンは、聖書を買った人に自殺マニュアルを薦めてくる可能性が高くなるだろう。つまるところ、協調フィルタリングによるレコメンデーションというやつは、“あなたに似た人と推測される人はこんなことをしていますが、あなたはそれをただただ真似しますか?”と言っているに等しいわけだ。真似したほうが便利だと思えば、機械のおすすめに従えばいいだろうし、「ふざけたおすすめをしてきやがる」と思うのならば、逆らえばいいだけの話だ。利用者の意志こそが最も問われている局面で、責任を機械になすりつけても虚しいことだ。

 もっと単純に言えば、「おまえはアマゾンが死ね言うたら死ぬんか?」という問題にすぎない。死ぬか、そんなもん。おれにはおれの意志があり、おれにはおれの考えがある。おれが死んで喜ぶやつに、おれのオールは任せない。アマゾンに文句を言うのは、どう考えてもお門ちがいだと思うのだがどうか。



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2008年4月11日 (金)

いかにもエンジンの名にふさわしい

Steampunk Unboxing: Difference Engine Arrives in Silicon Valley (Wired)
http://www.wired.com/gadgets/miscellaneous/multimedia/2008/04/gallery_babbage

When Charles Babbage invented a massive calculating machine in 1849, he probably didn't count on the 150 years it would take to actually get the thing built.
Babbage's Difference Engine No. 2 was a precursor of modern computers, capable of performing complex mathematical calculations with 31 digits of precision, all using Victorian-era rods, gears, levers and linkages.
But Babbage never completed it. It took engineers and curators at London's Science Museum almost six years of work to bring Babbage's 20 pages of blueprints to life in 1991.
Now, thanks to Microsoft multimillionaire Nathan Myhrvold, a second Difference Engine has been built and delivered to the Computer History Museum in Mountain View, California, where trained docents will turn its brass handle to crank out the calculations Babbage dreamed of automating.

 ううーむ、なんてセクシーなんだ。なんかこういうのには、下手なエレクトロニクス(って、どんなエレクトロニクスだ?)より萌えますなあ。タイガー計算機のでかいやつ。惜しむらくは、やっぱりこれは蒸気機関で動かしてほしいよなあ。まあ、湿気に弱いそうだから、蒸気機関本体とは隔離して駆動力を伝えなきゃならんだろうけど。

 これを機会に『ディファレンス・エンジン』(ウィリアム・ギブスン&ブルース・スターリング/黒丸尚・訳/角川書店)の復刊希望。こういう記念碑的古典(というには新しいが、やっぱり“スチームパンク”という意味では古典だよなあ)が古本でしか入手できないのは、じつにもったいない。『パヴァーヌ』(キース・ロバーツ/越智道雄・訳/扶桑社)なんかは、サンリオ文庫なきあと、扶桑社から復刊されたのになあ(それももう古本でしか手に入らないのか。おれも歳食ったもんだ)。



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2008年4月 8日 (火)

約74日

 イリジウム192の半減期。人の噂よりは長期間放射線を出すようだ。

 というか、ふだんイリジウムを取り扱っている人たちも、きっと最初に「え~と、半減期はだいたい人の噂くらい」と覚えたのにちがいないぞ。

放射性物質盗まれる 防犯カメラに不審者 市原の検査会社 (東京新聞 TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008040802001924.html

 七日午前七時ごろ、千葉県市原市五井の検査会社「非破壊検査」(大阪市)京葉事業部の保管庫で、放射性同位元素イリジウム192を密封した容器(被害額約百三十万円)が無くなっているのを出勤してきた男性社員(66)が見つけた。
 非破壊検査によると同社は五、六の両日は休みだったが、五日未明、保管庫内の防犯カメラに容器を持ち出す不審な人物が写っており、市原署が窃盗事件として調べている。



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2008年4月 2日 (水)

アメリカだと、壊されないのか心配だけどね

戸田 覚のPC進化論『【米国ルポ】驚愕のiPod自動販売機を発見!』 (日経トレンディネット)
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20080328/1008617/

 帰りがけに空港で暇をつぶしていて、さらに驚愕!
 なんと、iPodや周辺機器の自動販売機が設置されているではないか。菓子パンの自販機のように選んだ商品が販売口から落ちてくるタイプなのだが、これには参った。日本では想像すらしなかった光景である。

 これには笑った。ほんとにこんなもんがあるとはねえ。エイプリルフールのネタかと思ったよ。セカンドライフ内の日産車の自動販売機みたいだ。

 iPod の自動販売機があるんなら、G-SHOCKの自動販売機とかもあってもよさそうだよねえ。



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2008年3月22日 (土)

THE VOICES OF TIME

 One day the pain would be gone; but never the memory.

―― The Songs of Distant Earth by Arthur C. Clarke

Sir Arthur C Clarke: 90th Birthday Reflections



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2008年3月20日 (木)

映画『楽園の泉』?

 そういえば、十年以上前にこんな文章を書いていたのを思い出した。『楽園の泉』を映画化するとしたら、このカットはぜひ実現してほしいんだよなあ!

 クラークの訃報を聞いたときに、なぜかヴァニーヴァー・モーガンの最期が脳裡に浮かんでしまった。あの、アラームが虚しく鳴っているシーンね。

 なんか、意外な人が『楽園の泉』に言及しているんで、ちょっとびっくりした。名作というのは、こういうものなのですなあ。



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アーサー・C・クラーク死去

Sir Arthur C. Clarke (1917-2008) (SFWA)
http://www.sfwa.org/news/2008/aclarke.htm

Obituary: Sir Arthur C Clarke (BBC NEWS)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/2358011.stm

SF作家のアーサー・C・クラーク氏が死去 (asahi.com)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0319/TKY200803190065.html

Author Arthur C. Clarke dies (CNN.com)
http://edition.cnn.com/2008/SHOWBIZ/books/03/18/obit.clarke/index.html

Arthur C. Clarke, 90, Science Fiction Writer, Dies (The New York Times)
http://www.nytimes.com/2008/03/19/books/19clarke.html

Space Odyssey author dies (Al Jazeera English)
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/A2827CF5-BB28-4FF1-BE69-75A67ACFD1AA.htm

Clarke sur orbite (Le Monde.fr)
http://passouline.blog.lemonde.fr/2008/03/19/clarke-sur-orbite/

Weltraum-Visionär Clarke gestorben (ZEIT online)
http://www.zeit.de/online/2008/13/clarke-2001

 いつかはこの日が来るだろうとSFファンはみな頭ではわかっていたはずだ。「次はクラーク」などと失礼にも冗談のネタにしたりすることはしばしばあったが、なぜか心情的には“この人は死なない”と確信していたからこそ、そのような冗談も気安く口にされたのだろうと思う。とはいえ、アーサー・C・クラークの肉体はその機能を停止した。それは事実なのである。世界の“ミスターSF”“SF作家の代名詞”は、ついにおれたちを後にした。これからは、クラークのいない世界で暮らさねばならないのだ。残酷な現実ではあるが、クラークなら、それを受け止めて進め、とおれたちに言うにちがいない。

 クラークにはさまざまな思い入れがあるが、故人となった偉大なヴィジョナリーを偲んで、あえて個人的な感慨を述べることを許していただきたい。おれがクラーク作品の最高傑作として挙げるなら、やはり『楽園の泉』『宇宙のランデヴー』である。だが、どの作品が“好きか”と言われると、おれはあえて『遥かなる地球の歌』を挙げる。なんかね、好きなんだよ、この作品。

 おれが The Songs of Distant Earth をペーパーバックで読んだのは、大学生のころだ。ちょうど、2010: Odyssey Twoを読んでから、映画化されたのを観にいって、「いやあ、ブンガク的なSFもいいけど、やっぱクラークは最高だなあ」と思っていたころに、The Songs of Distant Earth を読んだわけで、そりゃもう、クラクラ来ましたよ。どうしてこんなにカクカクした“科学的事象”を描写するだけで、読む者に poetic な感動を与えるのか、クラークはおれが思っている以上に名文家であり、おれが思っている以上に偉大な文学者なのではないかと、その文章の秘密を分析していたころだ。もうね、The Songs of Distant Earth にはノックアウトされちゃいましたね。科学と詩情というものは両立し得るのだという感動だ。よもや、後にその邦訳文庫版の解説を自分が書く運命が待っているとは、想像だにしていなかった学生時代のいい思い出である。

 クラークの作品は、最先端の科学理論や工学技術を面白おかしく組み合わせては、鬼面人を驚かすものでは断じてない。むしろ彼は、ともすると陳腐とすら映りかねないアイディアも、それが合理的であれば、意に介さず重ねて使うタイプの作家である。科学的アイディアのけれん味でクラークを凌ぐSF作家の名を挙げるのは容易だろう。
 それでもなお、アーサー・C・クラークの“SF作家の代名詞”たる評価が毫も揺らぐことがないのは、本来科学の持っていた素朴な驚異や感動をみずからの血肉と化している点において、彼の右に出る者はそうはいないからだ。彼にとって科学とは、電波望遠鏡や電子顕微鏡といった取捨選択可能なツールなのではなく、驚異に見開いたり感動に涙したりできる、生身の目そのものなのである。だからこそ、それ自体は無味乾燥な科学的ディテールを彼が淡々と語るとき、あたかも高僧の口から出た念仏が仏像と化すがごとく、それらはそのまま詩となり歌となってわれわれの心を打つ。このあたりが文科系の読者にも広く愛される理由なのであろう。われわれは、絶対音感を持ったメロディ音痴が譜面どおりに弾いてみせる科学論文が読みたいのではない。宇宙が暗く冷たいことを知っている科学の詩人が奏でる、“遥かなる地球の歌”に聴き惚れたいのである。
――『遥かなる地球の歌』(ハヤカワ文庫SF)解説:冬樹蛉

 クラークの偉大なところは、おれのような文科系の読者に感動を与えただけではない。理学・工学系の読者には、実際に「いつかこういうものを実現してみたい」というヴィジョンを与えたのである。そりゃもうね、実際に“作る側”に回った人々が、いかにクラークの影響を受けているかということを、おれはSFギョーカイの片隅を汚すようになって、つくづく思い知った。SF作家にしてからが、野尻抱介林譲治小林泰三小川一水といった人々は、クラークがいなかったら、いまここにいないのではないかと思う。

 きっと、これからの千年、二千年のあいだに、人類は、もっと遠くへゆくだろう。ずっと、遠くへゆくだろう。そして、見知らぬ惑星の上に立った人々が、こんな会話を繰り返すにちがいない――

 「こんなところに自分が立っているだなんて……なんだか信じられない気持ちだ」
 「その気持ちを誰にいちばん伝えたいですか?」
 「……アーサー・C・クラーク。あなたがいたからこそ、いまボクが、ここにいるんだ」



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2008年3月14日 (金)

♪ゴジラ、ゴジラ、ゴジラが飛ぶゴジラ、ゴジラ、ゴジラが……

ゴジラの叫び声でお目覚め シャトルの土井さん (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/0313/TKY200803130083.html

 スペースシャトル・エンデバーの飛行3日目となる12日、土井隆雄さんは、地上から流された映画「ゴジラ」の劇中曲とゴジラの叫び声で目覚めた。その後、エンデバーは国際宇宙ステーション(ISS)にドッキングした。
 シャトルの飛行中は毎日、乗組員や家族が打ち上げ前にリクエストした「ウエークアップ・コール」(目覚めの曲)を1曲ずつ、一日の始まりとして管制センターから流すのが習わしだ。
 米中部夏時間12日午後3時(日本時間13日午前5時)に流された曲は、日本の映画「ゴジラ」の劇中曲と叫び声。地上の管制官が「土井さん、おはようございます」と日本語で呼びかけると、土井さんも「おはようございます」と返した。
 「ゴジラ」を選んだのは、土井さんの妻のひとみさん。エンデバーの乗組員の多くは子供のころに「ゴジラ」や「鉄腕アトム」を見ており、打ち上げ前にも一緒にゴジラの映画を楽しんだ。
 ひとみさんは「大変なミッションを前にした『スペースゴジラ』たちを、仕事の成功を祈ってゴジラの足音と叫び声で起こすことにしました」とコメントを出した。

Shuttle Endeavour to Dock at Space Station Tonight (SPACE.com)
http://www.space.com/missionlaunches/080312-sts123-docking-preview.html

The crew awoke today to the battle scene song from the movie "Godzilla Vs. Space Godzilla," followed by the Blue Oyster Cult's radio hit "Godzilla."
"Good morning Endeavour. Doi san, ohayo gozaimasu," said Alvin Drew, shuttle spacecraft communicator, to Japanese astronaut Takao Doi from Mission Control here in Houston. "Take on today like a monster."
"We are very happy to hear Godzilla," Doi responded. "We are ready to go and we'll have a great time today docking with the space station."

 いやあ、なかなかセンスのいい奥様だ。なんたって、ゴジラなら世界中の人が知っている。日本が世界に誇る創作物である。たしかに国家としてはあちこちで機能不全を起こしてずいぶん落ちぶれてはきたものの、腐っても日本、日本をナメるなよ、マツイと同じように宇宙でもがんばっているぞー、カミカゼ、スキヤキ、ゲイシャー、ハラキリ、テンプラ、フジヤマー、といったような裏の意味もことによると込められているのではなかろうかと、おれは勝手に思い込んでいる。

 ただ、ひとつ残念なのは、やっぱり二十一世紀の日本文化のプレゼンスを示すには、この「ゴジラのテーマ」(arranged by 野尻抱介 featuring 初音ミク)を使ったほうがよかったんじゃないかなあ。

Hatsune Miku / Godzilla



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2008年2月28日 (木)

おれのブログはいくら?

 「見つからないblogの価値、100万ドル以上!?」404 Blog Not Found)でネタになってるのを見て、おれもさっそく How Much is Your Blog Worth?Dane Carlson's Business Opportunities Weblog)で、このブログの価値を測定(?)してみた―― Your blog, ray-fuyuki.air-nifty.com/, is worth $0.00

 $0.00 てことは、えーと、現在の為替レートで日本円に換算してみると……〇円ということだな。いやまあ、そこいらへんだろうと思ってはいたが、せめて十円くらいはつけてくれよ。暇つぶしくらいの価値はあってほしいよなあ。

 もののついでに、できるだけ高値がつきそうなブログで試してみたところ、The Official Google Blog は、$5,008,598.88 を叩き出した。どんな計算をしているのか知らんが、なんだかすげー。脳内メーカー脳の中が全部「H」になったくらいの感動がある。もう少し頑張れば、スティーブ・オースティンが買えるぞ。いまのままでも、バイオニック・ジェミーくらいは買えるかもしれん(ジェミーはいくらかかってるんだっけ? なんとなく、目のほうが耳よりも高くつきそうに思うんだが……)。

 きっと、なんだかんだ言っても、英語サイトは有利なんだろうなあ。Steve RubelMicro Persuasion で試してみると、$1,537,806.96 と出た。うーむ、やっぱり技術系やマーケティング系は強い。

 『特殊清掃「戦う男たち」』$181,217.34 と大健闘。『岸部シローの四郎マンション』$114,037.08 !! えーと、今日は一ドル一〇六円として……ざっと千二百万円強か。うーむ、岸部シローさんにこの結果をお教えするべきかどうか悩みますなあ。あくまでこの概算システムの査定であって、ほんとにその値段で買う人がいるかどうかは別問題だし……。もし売ってしまったら、金の卵を産むガチョウを殺して腹を割くようなことになりかねない。やっぱり黙っておこう。



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2008年2月23日 (土)

歴史は繰り返す

 「なにかね、ヘス君?」
 「はっ、イージス総統! それがじつは……」
 「報告は手短かにしたまえ」
 「は、はっ、イージス総統。や、ヤマトが……わがガメラスの誇るイージス機雷原を、なにごともなく突破いたしました」
 「なに!? そろそろオチは読めてきたが、念のために訊きておきたい。どのような科学技術を持つ敵にも、いまだかつて一度も突破されたことのないイージス機雷原を、あの原始的なサルどもがどうやって突破したというのだ?」
 「そ、それが……手で
 「……?」
 「やつらはイージス機雷を手で撤去して、悠々と機雷原を突破いたしました」
 「……あの機雷の名はなんといったかな、ヘス君?」
 「…………」
 「あの機雷の名はなんといったかな、ヘス君?」
 「…………」
 「もうよい、下がれ!」
 「はっ……あ、あの……祝電を打ちましょうか?」
 「……へス君、キミはバカかね?」
 「はっ、ししし失礼いたしましたっ」
 「――ああ、それからヘス君!」
 「はいっ!?」
 「Winny はアンイストールしておきたまえ」



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2008年2月21日 (木)

普及型“電脳メガネ”の嚆矢

あの「スカウター」にそっくり メガネ装着「超小型ディスプレイ」 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/mono/2008/02/19016864.html

 人気マンガ「ドラゴンボール」に登場するアイテム「スカウター」によく似た超小型ディスプレイが発売され、話題を呼んでいる。光学・分析機器メーカー、スカラが開発した「Teleglass(テレグラス)T3-A」という名の商品。メガネに装着してディスプレイを覗くと、目の前に大きなスクリーンがあるように見えるのだという。

Teleglass T-3F/T-3A (スカラ
http://www.scalar.co.jp/teleglass/t3.html

 ををを、ついにここまで来たかー。やはり、普及型となると、これくらいの値段であってほしい。五年前に、塚本昌彦さんの研究室を見学に行ったとき(2003年3月1日の日記)、塚本先生はすでに「スカウターみたいな」アプリケーションの話とか「三、四万はいい線」とかいった話をなさっていたからなあ。

 この T-3A のすごいところは、T-3F とちがって自分の眼鏡に装着できることだ。こりゃあ、マジで普及するかもね。宣材のおねーちゃんが装着している姿は十分にかっこいいが、爆発的に普及させるには、ハードウェアのカラーヴァリエーションと、なによりキラーアプリケーションが欲しいところだ。Nintendo DS や Wii のハードウェアを活かすソフトがあったればこそ、両者はここまで普及しているのである。あとは、ドラマで小栗旬にでも装着させることだよな。

 いやあ、これで Google Earth とか見たら、どんな感じなのかなあ。最初は酔うかもしれんが、なんか奇妙な“全能感”を覚えそうだよね。なんちゅうか、“現実が拡張される”という感覚が理屈抜きでわかるような体験ができそうだ。現実が拡張されるということは、すなわち人間が拡張されるということであって、マクルーハンがこいつを見たら、どんな感想を漏らしたろうねえ。

 このハードウェアとの併用を前提とした、あっと驚くソフトウェアを、ソフトウェア開発会社のみなさんにはぜひ考案してほしいものだなあ。処理時間の問題はあるだろうが、こいつにカメラをくっつけるだけでも、弱視者用の補助器具に化けそうな気もする。

 来年のいまごろには、電車に乗ると、この“スカウター”を装着した人が同じ車両に二、三人はいる――なーんてことにならないかな。



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2008年2月14日 (木)

肴はあぶったイカでいい

 いやあ、四十五の中年男がだね、夜中に独りでちびちびと酒を呑みながら初音ミク「舟唄」を聴いていると、そのあまりに二十一世紀的なわびしさがなんだか無性に心地よくて癖になりそうだ。どう表現していいものか、生身の余人に真似のできない、ある種のしっとりとバカバカしさを伴った情感に溢れていて、不思議な感動を覚える。「ほのぼにょぉ~呑めばぁ~、ほのぼにょとお~ぉ~ぉ~、心が~すすり~泣いているぅ~ぅ~」なんてあたりは、なにやら妙にいとおしくて、実体のない歌い手を抱きしめたくなりそうなくらいだ。人類史において、こういう妙な感情を味わえているのは、たぶんおれたちが最初なのだと思うと、この時代に生まれてよかったなあと思うねえ。この星の「初音ミク」は……泣ける。


舟唄 歌/初音ミク



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2008年1月28日 (月)

これがホントの DARKER THAN BLACK

黒よりも黒い? 「最も暗い」物質 米大学チーム作製 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/0128/TKY200801270132.html

 米レンセラー工科大とライス大の研究チームが「世の中で最も暗い物質」をつくった。当たった光の99.955%を吸収するという。ギネスブックに世界記録として申請している。
 この物質は、基板の上に微細な炭素の筒(カーボンナノチューブ)を成長させたもの。光を0.045%しか反射せず、従来の記録より約3倍も「暗い」という。穴がたくさん開いた長いカーボンナノチューブと、やや粗い表面の基板を使うのがコツという。
 どんな物質でも、当たった光を多かれ少なかれ反射しており、光を完全に吸収することはない。一般的な黒い塗料では5~10%の光を反射する。「暗い物質」は、太陽光を電気や熱などに変換する装置や赤外線センサーの性能を上げるのに役立つと期待される。

 いやまあ、ほとんどタイトルを言ってみたかっただけなんだが、なかなかいいなあ、これ。衣服に利用できんかな。少々高価でも、冬場は熱を効率よく吸収して温かくなりそうだ。芝居の黒子の衣装なんかにも持ってこいかもな。とくに人形浄瑠璃なんかでは威力を発揮しそうだ。作った人たちは工学的応用に発想が囚われがちなんだろうけれども、意外と“バカ”で“エレガント”な応用分野がありそうな気がする。マジシャンなんかには、金に糸目をつけずにさっそく使いたいという人もいるのではなかろうか。



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2008年1月21日 (月)

ネットの噂では、もうリアルタイムでこんなことができるそうです

 うおお、こ、これはすごい! 面白い!

『攻殻機動隊』『電脳メガネ』どころではない拡張現実感技術の現在 (王様の箱庭)
http://www.masayashi.com/2008/01/20/556

 もう、ノートパソコンで、リアルタイムで、こんなことができちゃうんだねえ。それにしても、この記事で紹介されている Georg Klein という研究者は、よくよくダース・ベイダーが好きなんだな。

 カプセル内視鏡やら将来の医療用マイクロマシンやらの映像とこの技術を組み合わせれば、“リアルタイム『ミクロの決死圏』”とでも言うべき映像がたちまち作れてしまうのではあるまいか。縮小光線の効果が切れて、ミクロの医療チームがだんだん大きくなってくるところも含めてだ。

 え? こんな技術なんかなくても、ボクにはしばしば小さな大名行列がとことこと机の上を歩いてゆくのが見えるって? アタシにはパソコンの上に座って英語の綴りの不合理さをバカにする緑色の小人が見えるって? いやまあ、それも拡張現実感かもしれんが、ちょっと歪んだ方向に拡張していると思うぞ。



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2007年12月27日 (木)

日本製の「心のふるさと」

除夜の鐘、自動鐘つき機で「ゴ~ン」? 後継難で急増 (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/1226/OSK200712260038.html

 無人で鐘を突く機械式の撞木(しゅもく)を採り入れる寺院が増え、今や全国約1600カ所に広がっている。住職が高齢化したり、過疎化で後継者がいなくなったりする突き手不足の中、地域の鐘の音を守りたい住民らの願いがのぞく。タイマーで動く撞木を唯一、製造しているのは奈良市の上田技研産業。日本人の「心のふるさと」を消すまいと、除夜の鐘を控えた年の瀬、駆け込み需要に追われる日々だ。


 「ばあさんや」
 「なんですか、おじいさん」
 「ちょっと寒いんで、窓を閉めてくれんかね」
 「あら、いやですよ、おじいさん。除夜の鐘が聞こえにくいから、少しだけ開けておいてくれと、おじいさんがおっしゃったんじゃありませんか」
 「そんなこと言うたかいな……。除夜の鐘は聴きたいし、この歳じゃ寒いのも身体にこたえるし、いったいどうすりゃいいんじゃろうなあ」
 「ふふふふふ」
 「なんじゃ、ばあさん、その不敵な笑いは?」
 「こんなこともあろうかと密かに買っておいた“自動除夜の鐘聴き機”を、いまこそ試すときですわいな」
 「そ、そりゃいったいどんなものじゃね?」
 「おじいさんのような寒がりの年寄りのために、スイッチを入れると自動的に除夜の鐘を聴いておいてくれる機械ですよ」
 「ひえ~、こりゃ驚いた! するってえとなにかね、その機械は、スイッチを入れると自動的に除夜の鐘を聴いておいてくれるというわけかい?」
 「だから、そう言ってるじゃあありませんか、おじいさん」
 「いやあ、長生きはするもんだね。文明開化の音がするね」
 「じゃあ、スイッチを入れておきますね」
 「うん、頼むわい」


 「おじいさん、コタツで寝ると風邪引きますよ。そろそろ『ゆく年くる年』の時間ですよ」
 「……ん? あ、ああ、もう紅白は終わったのかい」
 「終わりましたよ。今年も小林幸子はすごかったですよ。すっかり衣装と一体化してましたよ」
 「一体化してたのかい?」
 「ええもう、継ぎ目なく」
 「ああ、そうかい。いや、どうもわしは毎年寝てしまっていかんね」
 「お酒をお召しになるからですよ」
 「いやしかし、やっぱり『ゆく年くる年』はNHKだねえ」
 「そうですねえ」
 「ときに、鐘はいくつめかな?」
 「自動除夜の鐘聴き機によれば、次が九十八ですよ」
 「『ゆく年くる年』もいいけど、やっぱり遠くからかすかに聞こえてくるナマの鐘の音色がいいねえ」
 「ちゃんと機械が聴いておいてくれますよ」

 アナウンサー「……そしていま、去りゆく年に最後の鐘の音が響こうとしています。さようなら、三千百七十三年……」

ごぉおおおおお~~~ん

 アナウンサー「……年が明けました。あけましておめでとうございます。西暦三千百七十四年の幕開けです」

 「あけましておめでとう、ばあさん」
 「あけましておめでとうございます、おじいさん」
 「ありがたいことに、また二人で新年が迎えられたのう、ばあさんや」
 「ほんにありがたいことですよ、おじいさん」
 「じゃあ、そろそろ寝るか、ばあさんや」
 「そうですね、おじいさん」
 「自動除夜の鐘聴き機のスイッチを切るのを忘れんようにな」
 「いやですよ、おじいさん。ちゃんと百八つ聴いたら、自動的にスイッチが切れるんですよ」
 「ほえ~、よくできてるもんだね」
 「そんなのあたりまえじゃありませんか、おじいさん」
 「そんなものかね。じゃ、おやすみ、ばあさん」
 「おやすみなさい、おじいさん。今年はよい年でありますように」

 爺さんと婆さんは互いのスイッチを“待機モード”に設定し、七時間かっきりの眠りについた。



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2007年11月27日 (火)

透明ボール

 強盗のニュースを観ていて、ふと“透明ボール”というやつを考えた。もちろん、“カラーボール”の逆(?)の機能を持っているのである。強盗に投げつけると、そいつはたちまち透明になってしまう。それでは逃走を幇助しているのではないか? いやいや、そうでもないぞ。なにしろ、そいつは一生透明なのである。せっかく金を盗んでも、それではあんまり生きている意味がない。“透明ボール”に封入されている薬剤は、その解毒剤(?)である“不透明化薬”と必ず対で生成され、その対関係を解明するには、巨大な数列をふたつの素数の積に因数分解しなければならない。透明ボールを投げつけられた犯人は、きわめて実用的な量子コンピュータでも発明しないかぎり、早晩、自首してくるという寸法である。なんか、ドラえもんチックなアイディアではあるな。



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2007年11月 2日 (金)

大人のおもちゃのための大人のおもちゃ

 な、なんじゃ、これは……。便利なのか不便なのか、さっぱりわからない。ほんとに使う人いるのか?

Phone Fingers
http://www.phonefingers.com/

 まあ、おれもPDA党なので、ディスプレイを指紋で汚したくないという気持ちはわかるのだが、これって、いつでもどこでも装着してないと意味ないわけだよね? iPhone やら iPod touch やらを使いたくなったときに、いちいち取り出して装着するなんてことを想定しているとは思えない。となると、やっぱり、ずっと着けていろってことだよねえ。電車の中で隣の人がこれ着けてたら不気味だよなあ。冗談商品のつもりなのか、本気で売ってるのか、どっちなんでありましょう?

 ま、正直なところ、なにかの怪しいプレイ用具にしか見えないよなあ。このぴっちりと膚に密着する感じは、牧野修さんとかが好みそうだ。おお、そうだ、にしおかすみこ嬢、コスチュームのアクセントにどーよ? これを十本の指にエレガントに装着してだな、「ふっ、欲しがり屋さんだね、このブタ野郎!」とか言いながらあ~んなこととかこ~んなこととか……。



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2007年10月30日 (火)

ゴルフ接待でガンダムも売るのかな

防衛省技術研究本部、陸上装備として「ガンダム」の実現を模索 (Garbagenews.com)
http://www.gamenews.ne.jp/archives/2007/10/post_2793.html

【防衛省技術研究本部】は10月29日までに、11月7日と8日に東京新宿のホテルグランド市ヶ谷で開催される「平成19年度研究発表会~防衛技術シンポジウム2007~」の概要を発表した(【発表ページ】)。防衛省が現在開発している数々の兵装や技術に関するお披露目の場ということだが、その展示品目の中に「陸上装備」カテゴリーとして「ガンダムの実現に向けて(先進個人装備システム)」という表記があることが明らかになった。
これは公表資料中の【研究発表会プログラム(PDF)】に記載されていたもの。プログラムでは発表会内の各会場における詳細なスケジュールと共に、展示コーナーでの展示品目の一覧が掲載されている。その中の陸上装備部分に「ガンダムの実現に向けて(先進個人装備システム)」が表記されている。公開資料ではテキストのみで、具体的にどのような展示物があるのかは分からない。

 まあそりゃ、一般向けに“ああいうふうなもの”をひとことで言うなら、「ガンダム」ってのが手っ取り早いでしょうなあ。でも、ミノフスキー粒子のない世界で、あえて人型をしてビームサーベルとかを振りまわす必然性があるのかどうか、はなはだ疑問ではある。まだ『歩兵型戦闘車両OO(ダブルオー)』のほうが現実味があるような気もしないではない。

 いやしかし待てよ、兵器ではなくて、災害救助用の装備であれば、ガンダムみたいなのは便利そうだ。もちろん、剣も盾も要らん。のっしのっしと歩いていって、瓦礫の山を手で取り除けて生き埋めになっている人々を救うといった用途であれば、人型をしている意味もあろうというものだ。人間の形というのは、けっこう汎用性が高いからね。

 まあ、おれはガンダム直撃世代よりはちょっと上だと思うので(まあ、おれの同世代にもガンダムフリークはたくさんいるけれども)、“ああいうふうなもの”といえば、最初に思い浮かべるのは『ジャンボーグA』だなあ(爺いが墓穴掘ってるなあ)。

 でも、いまやってる『機動戦士ガンダム00(ダブルオー)』は、斜に構えたブラックな設定が、なかなかおれ好みだ。毎週観てるよ。ガンダムを有する私設武装集団(まあ、いまの世で言えば、要するに“テロリスト”)の側が、近未来世界を分かつ三大勢力よりもずっと進んだ科学技術を持っていて、戦争や紛争を根絶するためにその圧倒的な武力(つまりガンダム)を行使する(むろん、その理念のために人も殺しまくる)というのだから、こりゃおれたちが子供のころの冷戦時代には、ちょっと子供向け番組としては出てこない設定だよね。二十一世紀の子供は、こういうのを観て育つわけだ。なんか、そら怖ろしいような、頼もしいような気がするよ。これを今後どう転がしてゆくのか、とても楽しみ。



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2007年10月12日 (金)

まぼろしのメールフレンド?

Is that your phone or your imagination? (Yahoo! News)
http://news.yahoo.com/s/ap/20071010/ap_on_hi_te/phantom_vibrations

Many mobile phone addicts and BlackBerry junkies report feeling vibrations when there are none, or feeling as if they're wearing a cell phone when they're not.

 ケータイ猿の多くの人々が、ケータイを携行してもいないのに着信のバイブレーションを感じるといった現象を体験しているという。あるあるあるあるあるある! なんだ、やっぱりみんなそうだったのか。“幻肢”に倣うとするなら、“幻着信”とでも呼ぶべき現象である。Phantom vibrations ねえ。あなたもきっと体験したことがあるにちがいない。

 まあ、単に腹が鳴っているのを勘ちがいするときもあるけどな。



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2007年10月 4日 (木)

サー・アーサーの三つの願い

 ♪一つ やさしく 愛して~、二つ わがまま 言わせて~

 ……じゃなくて。

Remembering Sputnik: Sir Arthur C. Clarke (SPECTRUM ONLINE)
http://www.spectrum.ieee.org/oct07/5584

SPECTRUM: And, finally, what do you think are some of the most important technologies humans should concentrate on developing in the next 50 years?

CLARKE: If I had three wishes, I would ask for these:

1. A method to generate limitless quantities of clean energy.

2. Affordable and reliable means of space transport.

3. Eliminating the design faults in the human body

 1.がでかすぎて、これが実現しちゃったら、たいていの願いは時間の問題でかなっちゃうような気もするんだが……。1.はまあ、ご愛嬌でしょうね。2.と3.は、「次の五十年」ということを考えると、妥当な目標だと思う。具体的には、つまるところ、“軌道エレベータの建造”“ヒューマン・ゲノムの完全解読(「読み下し」ではない)およびナノマシンによる自在な遺伝子治療の実現”ってことになるんだろうな。はてさて、1.はともかく、おれが九十四、五歳になるころには、2.と3.は実現しているだろうか。まあ、そんなに生きられんだろうけどねえ。可能性としては、生きて軌道エレベータ開通の日を迎えることも、まったくないとは言えない。

 待てよ、九十四、五歳で3.が実現し、庶民の手の届くものになっていたとすると、さらに三、四十年は生きることになるのかもしれんぞ。うーん、ビミョーだなあ、煙草やめようかなあ……。



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2007年9月12日 (水)

うん、死んだら連絡するよ

あなたが死んだら大事な人にそれを知らせてくれる「DeathSwitch」 (Japan.internet.com)
http://japan.internet.com/busnews/20070904/7.html

DeathSwitch ではあなたが万が一死んでしまったり、動けなくなってしまったときに周りの人にそれを知らせてくれるサービスを提供している。
仕組みは簡単で、定期的に送られてくるメールに返信していくだけである。ただし、あなたが一定期間返信できなかったら、あらかじめ指定された人に指定した内容のメールを送ってくれるのだ。

 ああ、やっぱりこういう商売をしている人がいるんだなあ。十年前くらいから、腐乱死体になって人に迷惑をかけないようにするにはどうするかみたいなことを考えていたのだが、こういう商売があるなら話が早い。日本語版も提供してほしいなあ。特殊清掃の人には、できるだけ面倒をかけたくないよなあ。

 しかし、このサービスのサンプルメールを読んでると、なんだかフクザツな気分になるなあ。便利っちゃあ便利にちがいないのだが、こういう商売が必要な社会というのは、進んでいるのか後退しているのか、どっちだろう? これからどんどん少子高齢化社会になってゆくのはたしかだから、日本でもこんな商売が出てくるのは時間の問題だと思う。もうすでにあるのかもな。

 死期を自分で悟って、象の墓場みたいなところへ行ければいいんですけどね。

   ♪わたしの~お墓の前で~ 吐かないでください~

 酔っ払いがうろついてる墓地って、あるでしょ。ワンカップとか盗み飲みしてるやつとかいてさ。



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2007年9月 9日 (日)

ヴォミーサ

情報処理技術者試験が大改革へ、試験内容に「IT土方三原則」追加 (bogusnews)
http://bogusne.ws/article/54504061.html

情報処理推進機構(IPA)は7日、情報処理技術者試験の改革に関する中間報告を発表した。「資格を取得した者がかならずしも即戦力になっていない」という企業現場からの注文にこたえ、より使いやすい人材育成につながるよう新たに
  「IT土方三原則」
を試験科目に追加することを提言する内容となっている。

 ひいぃ。「より使いやすい人材育成」ってとこが、めちゃめちゃブラックだなあ。つまり、ここで言われている「より使いやすい人材」というのは、「自分の所属している会社の経営に疑問を持たない人材」「業界の構造に疑問を持たない人材」「社会のありかたに疑問を持たない人材」を意味していることはあきらかであり、そこを茶化している記事なのである。こわー。そこんとこは、みんなだましだましやっている、というか、だまされだまされやっている、というか、だまされたふりをしいしい適当にやっているというのが現状であって、あんまりはっきり言語化してはいかんのである。もちろんこれは、「みんなもっとはっきり言語化しろ」ということをブラックに言っているだけである。

 それにしても、このニュースのような制度改革をホントにやられたら、おれはまず試験に受かりそうにないなあ……。



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2007年9月 7日 (金)

冷たい夢に乗り込んで 宇宙(おおぞら)に消えるヴォイジャー

Voyager celebrating three decades of flight (CNN.com)
http://www.cnn.com/2007/TECH/space/09/04/voyager.anniversary/index.html

 考えてみれば、ヴォイジャー1号・2号の成果が次々と新聞をにぎわせていた時代というのは、おれたちの世代のSFファンにとっては、空想と現実が幸福に出会い続けていた黄金時代だったと言えよう。やはり、なんと言っても、イオの噴火の映像は衝撃的だった。たしか、『さよならジュピター』なんかは、ヴォイジャー2号の成果を“待って”書かれ、映画化されたものだと記憶している。

 このCNNの記事によれば、ヴォイジャー1号は、現在地球から最も遠くにある人工物だということだ。ということは、初めて太陽系を脱したパイオニア10号をすでに追い越しているわけである。

 なにはともあれ、三十周年おめでとう! あなたにとって、この三十年は、どんな三十年でしたか?



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2007年8月20日 (月)

ちっちゃくてよくできてるものに対する愛情

 これっておれだけなのかなあ~? いやね、身長数十センチのちっちゃい子供がさ、なんとか日本語として聞き取れるようななにごとかを叫びながら、ちょこちょこちょこちょこと走っている姿なんかを街なかで目撃するとさ、おれは「おお、可愛いなあ」と思うよりもほんの少し先に、「おお、よくできてるなあ」と思ってしまうのである。なんというか、よくもこの小さな筐体の中にこのような精妙な機能が詰まっているものだなあと、そのことがとてもいとおしく感じられる。それはたとえば、PDAやら時計やらといった小さく精巧な機器に感じる愛情のようなものと、おれにはほとんど区別がつかない。一度破壊してしまったら、同じようなものは復元できても、まったく同じ状態のものは二度と創り出せないのだなあという危なっかしさゆえ、文字どおり“いと惜しい”感じがする。

 おれは、この小さく精巧な機器が自分のゲノムの半分を運んでいるのだなあといった実感を持ったことはないのだが、そうでなくても、ちっちゃい子供の精巧さを見せつけられると、なにやら胸を掻き毟られるかのような奇妙な愛情が湧いてくる。他人の子だろうがなんだろうが、子供一般に対してだ。おれはたぶん、精巧でちっちゃい機械と精巧でちっちゃい子供との区別が、心の底ではできていないのだと思うんだが、「なんでいちいち区別する必要がある?」とも正直なところ思っている。おれの子供に対する愛情は、世間一般的な規範に照らせば、きっとかなり歪んでいるのだと思う。思うが、それがおれの素直な感じかたなのだからしかたがない。自分に嘘はつけませんわ。

 ほんと、ちっちゃい子供ってのは、よくできてて可愛いよね~。



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2007年8月18日 (土)

ケータイで動画なんてとは思っていたけれど……

 おおお、すげー。TCPMP ってソフトは優れものだなあ。avi の動画がアドエスでさくさく再生できるじゃん。感動しちゃいますわ。さすが液晶のシャープ。小さな画面でも魔法のようにきれいに見える。ひょっとして、パソコンで観ているよりきれいなのではあるまいか。いやあ、二十一世紀だなあ。



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2007年7月29日 (日)

京ぽんのデータをアドエスに移す

 先日機種変更したAdvanced/W-ZERO3[es]に、長年使ったケータイ“京ぽん”(っつっても使ったのは三年だが、同一機種では個人的最長記録だ)のアドレス帳データを移す。「週末の夜中に、なにをせっせと仕事みたいなことをしているのだろう?」と、ちょっとフクザツな気持ちにならないでもないが、まあ、京ぽんご苦労さん、アドエス(という愛称が、すでにAdvanced/W-ZERO3[es]にはついているようだ)こんにちわという気持ちで執り行う儀式のようなものだから、文句を言ってはいけない。いままで世話になったマシンを労い、これから世話になるマシンにご挨拶をするという、機械に対する礼儀としてのセレモニーである。

 PDAのデータはどのみちOutlookと同期されているわけだから簡単に移るが、ケータイのアドレス帳はそうはいかない。多少手間がかかる。WILLCOMのユーティリティー「H"問屋」で京ぽんからCSV形式でエクスポートしたデータをExcelに読み込んで掃除・整形し、Outlook 2003にインポートする。あとはアドエスを繋ぐだけで、自動的にOutlookのデータと同期される。

 こう書くと簡単だが、ケータイのアドレス帳とOutlookとでは、そもそも項目の体系がまるでちがう。どの項目をどの項目に移せばあとで編集がしやすいか、捨てることになってもよい項目はどれか、最悪手作業で移しても差し支えないデータはどれかなどなどを考えつつ作業を進めるので、なんだかんだで小一時間かかってしまった。Outlook側のインポート/エクスポート機能にいろいろと親切なコンバータが用意されているから、MS-DOS時代に電子手帳のデータをあれこれ移行したほどの労苦はないわけだが、それでも多少はこういうことをやり慣れた人でないと難しいと思う。少なくとも、年賀状ソフトとExcelとのあいだでデータのやりとりをさせられたりする若いハケン事務員の女のコくらいのスキルは要るのではなかろうか? 街のケータイショップなどではどうしているのだろうな? やっぱり、ちゃんと教育する制度があるのかな?

 そういえば、アドエスに機種変更したとき、ヨドバシカメラのカウンタのねーちゃんは、「データはどうされます? ご自分で移されますか?」という訊きかたをしていたな。できればご自分で移してほしいというニュアンスだった。アドエスは立派なPDAだから、データの移行はユーザがご自分でやるものとばかり思っていたおれは、ちょっと面食らって、「え、ええ、もちろん、自分で移します」と答えたのだが、するってえとなにか、「いえ、お願いします」と言ったら、店のほうでやってくれるのだろうか? だとしたら、けっこうたいへんだよなあ。いま使っているケータイからご自分でデータを移せるような人しかこんな機種買わないと思うんだが、そうでない客もたぶんいるんだろう。というか、そうでない人はたぶんなにか勘ちがいしているので、こういうものはおれならお薦めしないが、そこはそれ、ケータイ屋さんも商売なのだろう。欲しいと言ってくる人を断るわけにはいかないのだろうなあ。

 「データは消えちゃいますがなにか?」みたいな無愛想なケータイショップの店員がCMのネタになっていた時代もあったんだが、最近のケータイショップの店員は、各種スマートフォンの出現によってパソコンの知識まで身に着けなきゃならなくなっているんだろうか? だとしたら、たいへんだなあ。あんなの簡単なバイトだろうと思って面接に行ったら、「えーと、初級シスアドくらい持ってますよね? Microsoft Office Specialist は? アプリケーションはどれとどれ?」とか言われたりして……。



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2007年7月24日 (火)

Advanced/W-ZERO3[es]に機種変更

Advancedes01 Advancedes02

 先日、ケータイの機種を変更した。同一機種ではいちばん長く使った“京ぽん”(AH-K3001V/京セラ)から、一気に最新のAdvanced/W-ZERO3[es]に乗り換えたのである。少々高くついたが、まあ、これにはそれだけの値打ちがある。いままでPDAとケータイを身につけて持ち歩いていたのを、一台にまとめてしまうことができるからである。おかげでずいぶんと身体が軽くなったよ。いやホントに、物理的に。

 まあ、まだ使いはじめたばかりだから、レヴューというほどのことはできないのだが、いまのところは大満足である。Pocket PC などというタコなOSを使い慣れた身にとっては、Windows Moblie も似たりよったりで、“電話もできるPDA”と考えると、じつにけっこうなマシンだ。おれみたいに長年のPDAユーザで、この際、PDAとケータイとを一台にまとめたいという方にはお薦めだが、ケータイひと筋でやってきて、より高機能のケータイにでも乗り換えるつもりでご検討中だという方は、もう少しよく研究したほうがいいと思う。このマシンを“ケータイのノリ”で使う気なら、たぶん「しち面倒くさい」という印象のほうが先に立つだろうからだ。はっきり言って、これはもう“携帯電話”ではありません。“通話機能付き携帯情報端末”だ。

 まるでHP200LX時代に戻ったようなキーボードも長文を打つときにはいいが、キーボードを収納したままの“縦型状態”でも、かなり快適な使い勝手である。縦型状態で、左手でケータイ風入力キーを駆使しながら、右手でスタイラス(この機種から内蔵スタイラスはなくなったので、おれはもちろん「ROTRING エクステンションインプット」を使っている)を持ち操作するのが存外に快適。縦横のモードを自在に使い分けられるのが、たいへんよろしい。むろん、ただ電話をかけるといった基本的なアクションは、左手だけでできる。文句ないすね、いまんとこ。

 いやあ、生きているあいだにこんなに便利なものが持てるようになるとは、まるでSFのようだよ。細かい使い勝手は、今後おいおいネタにしてゆくことにしよう。とりあえずいまは、握っているだけで掌にしっくりときてしあわせになれるマシンなのだよのな~。



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2007年7月18日 (水)

ベッカムでも曲がらんと思う

スプーン曲げ、ネット中継 本当に曲がる? (asahi.com)
http://www.asahi.com/komimi/TKY200707120400.html

 インターネットの力で「超能力が存在するのか、しないのか」を解明する。そんな“壮大”な試みが始まった。(アサヒ・コム編集部)
 サイトにアクセスすると、透明な箱に入ったスプーンの映像。「念」を送っている人の人数が表示されるが、今のところ、スプーンには何の変化もない。箱の奥に置かれた時計の針だけが動いているのが見える――。
 これは、ITベンチャー「面白法人カヤック」(神奈川県鎌倉市)が7日に始めた「超能力ラボ」というサイト。第1弾の「スプーン曲げ実験」で、同社内に置かれたスプーンを、同社の動画配信技術で24時間実況中継している。
 利用者は、その画面を見ながら「念」を送る仕組み。念を送っている人同士で、チャットもできる。もちろん、送らずにただ見ているだけでもOKだ。

 「見ているだけでもOKだ」って言われてもねえ。ほかにどうしろと……。

 いやしかし、こういうノリは好きだね。動画配信技術のアピールに、まず絶対に動かないものを撮り続けるという人を食った発想がすばらしい。「田中哲弥24時間監視カメラの映像」にも比肩し得る。

 念力に自信のある人は、やってみてはいかがだろうか。もっとも、万が一曲がったとしても、誰の念で曲がったのかわからないところが珠に瑕だが……。「ありがとう」と書いた紙を、みなでディスプレイに貼るというのもいいかも。スプーンのほうにもだんだん感謝の念が湧いてきて、「こちらこそありがとう」とおじぎしてくれるかもしれんぞ。

 おれも一応、三十秒ほど念を送ってみたのだが、三十年送ってもたいして変わらんような気が激しくしてきたので、早々に匙を投げた。


超能力ラボ 超能力企画第1弾 スプーン曲げ実験中 期間:7月7日~7月21日まで (面白法人カヤック)
http://esp.kayac.com/



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2007年7月14日 (土)

需要と供給のミスマッチ

トイレの1万円札、全国で400枚 誰が? (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0712/TKY200707110546.html

 各地の役所のトイレなどで和紙に包まれた1万円札が見つかっている問題で、同様の届け出は全国18都道府県に上ることが朝日新聞のまとめでわかった。総額は400万円を超える。したためられた文章はほぼ同じ。誰が、何のために?

日記に「おにぎり食べたい」 生活保護「辞退」男性死亡 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0711/SEB200707110049.html

 北九州市小倉北区の独り暮らしの男性(52)が自宅で亡くなり、死後約1カ月たったとみられる状態で10日に見つかった。男性は昨年末から一時、生活保護を受けていたが、4月に「受給廃止」となっていた。市によると、福祉事務所の勧めで男性が「働きます」と受給の辞退届を出した。だが、男性が残していた日記には、そうした対応への不満がつづられ、6月上旬の日付で「おにぎり食べたい」などと空腹や窮状を訴える言葉も残されていたという。

 あるところにはあるし、ないところにはない。コンビニのおにぎりが、まあ、一個百三十円として、一万円あれば七十六・九個食える。食いたかったろうな。

 人が金を勝手に配っているわけであるから、「こんなふうに使え」などとおこがましいことを言う筋合いではないのだが、こういう事件が時間的に隣接して起こると、非常にフクザツな気持ちになることはたしかである。

 おれがこうしたバカ日記を書いているだけで、世間の方々は、おにぎりが買えるくらいの金(ときには、コンビニ弁当が買えるくらいの金)を毎日おれに恵んでくださる。ありがたいことである。それはそこにそういうインフラがあるからだ。この事件の二人を繋ぐ仕組みがどこかにあれば、生活保護を無言の圧力で辞退させられた男性も、あたら命を落とすことはなかったかもしれない。ロミオとジュリエットがケータイを持っていたら、彼らはまんまと駆け落ちしていたはずである。ばらまかれているあの一万円札は“修行用”なのだそうだが、世の中には、修行どころではない人もたくさんいる。情報処理を生業としている人間は、この哀しいミスマッチをわがこととして捉えずばならないだろう。

 こんなに自由に個人が情報を発信でき、情報の風通しが人類史上初というほどによくなっている時代に、なぜに、ばらまくほどに金を持っている人の金を、おにぎりも食べられない人のところに届けられなかったのだろう。情報処理・情報通信とはなんなのか? なんか、そんなことまで考えてしまい、たいへん気が滅入るのであった。



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2007年7月 9日 (月)

育児グループウェア

The cell phone as baby monitor (CNN Money.com)
http://thebrowser.blogs.fortune.com/2007/07/06/the-cell-phone-as-baby-monitor/

A few years ago, when the price of wireless airtime plummeted, wireless executives sometimes talked about customers who used pairs of mobile phones as baby monitors. (The Browser suspects this is the stuff of urban legend, but a few websites do explain to the technically impaired how to perform this trick.)
Now along comes Babble Soft, an upstart that can turn a number of so-called “smartphones” into a different sort of baby monitor. (Company founder Aruni Gunasegaram, a mother of two, prefers the term “baby manager.”) Gunasegaram has created a web-based application that helps new parents keep track of feedings, sleep schedules and other newborn activities and milestones that pediatricians often ask moms and dads to track. A mobile version of the application, available for many smartphones, such as the Treo, allows users to access their baby data on the go. (Think Google Calendar for the diaperpail set.)

 山村美紗が、幼いころの娘(山村紅葉)にワイヤレスマイクを付けてモニタしながら仕事をしていたという、合理的なミステリ作家らしい逸話は人口に膾炙しているが、この記事が紹介している“赤ちゃんモニタ”はそういうものではない(前振りで触れているのは、ケータイを山村美沙方式で使う方法だけど)。

 Babble Soft のサイトに行っていただければ、どういうものか詳しくわかると思うけど、端的に言えば、乳幼児のケアを夫婦の共同作業と捉えたグループウェアの一種である。以前は、PDAにダウンロードして使うものだったのを、スマートフォン向けに完全にウェブアプリケーションとして提供しはじめたというわけだ。グループウェアっちゃグループウェアなのだが、夫婦だけ(欧米なら、ベビーシッターも加わるだろうけど)で使うことになるのだろう。いつミルクをやったか、いつオムツを替えたか、いつ薬を飲ませたかといった記録を赤ちゃんのケアをする者同士で共有し、共働き夫婦(最近では“片働き”のほうがむしろ少数派なわけだが)の育児コラボレーションを効率化しようという次第である。欧米のエグゼクティブのあいだでは、ブラックベリーはほぼ必需品状態だそうだから、こういうビジネスもイケそうな感じはしますねえ。

 日本でも、ITリテラシーの高い共働き夫婦の一部ではこうしたニーズも顕在化してくるかもしれないから、この企業の日本進出、あるいは、同様のサービスを提供する日本企業の出現も、そう遠い日のことではないような気がするが、文化的に日本に欧米ほどの市場が育つかどうかは、ちょっと不安ではあるよね。つまり、育児をコラボレーションと捉えないと、そもそもグループウェアの必要性なんかないわけだから。

 Hasta la vista, baby!



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2007年7月 5日 (木)

『ソーシャル・ウェブ入門―Google、mixi、ブログ…新しいWeb世界の歩き方』(滑川海彦/技術評論社)

 あちこちで評判がいいので、一応読んでおくべきだろうなと手に取ったんだが、なるほど、こりゃ評判がいいのも道理だ。

 “入門”とついてる本には、ちっとも入門じゃないがちゃがちゃしたものも少なくないけれど、これはタイトルに恥じない優れた入門書にちがいない。たとえば、12くらいしかわかってない人が10くらいの内容を書いたものは、“入門書”じゃないのである。ただの内容の薄い本だ。120わかっている人が10くらいに圧縮して書くと、本書のような好著になるのだろう。この10は濃い。だものだから、「おれは70~80はわかってるつもりなんだけど、深く突っ込まれると、本質を掴んでいるかどうか心許ないかもな……」というくらいの人(というのは手前のことだが)がこの10を読むと、そいつが頭の中で“増えるわかめ”みたいにむわむわっと膨らんで、100くらいになる。要するに、入門者以外にとっても大いにためになるのが、よい入門書というものなのである。

 もっとも、の人がこれを読んでも、やっぱりだと思う。見よう見まねでウェブをあちこちいじくりまわしてみて、くらいになったときに読むと、目から鱗がぼろぼろ落ち、パズルのピースがかちゃかちゃ繋がって、たちまち50くらいになるにちがいない。

 ここ二、三年ばかり、ほとんど“相転移”と呼べるくらいに、音を立てて社会が組み変わってゆくのを感じている人は少なくないと思う。過冷却液体がなにかの拍子に一気に氷結しはじめたかのように、なにもないところに見るみる“構造”ができあがってゆく。そこには常にウェブがある。いやあ、こんなめちゃくちゃ面白い時代に生まれて、ほんとうによかった。

 本書は、一見、新奇な小ネタ的ノウハウと薀蓄を詰め込んだイージーな本に見えてしまうかもしれないのだが、とんでもない。ビシッと一本、筋が通っており、しっかりとしたパースペクティブで“いま、ここ”のウェブと社会をみごとに鳥瞰した本である。蛇のような長い鼻やら、巨木の幹のような脚やら、ひらひらした板のような耳やらに混乱している人にお薦め。たぶん、象らしきものがおぼろげに見える。この象がこれからどうなるのかは、誰にもわからんけどね。なんにせよ、なんだか面白いことが起こりそうだ。Who says elephants can't dance?




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2007年7月 3日 (火)

電流火花が塩基を走る

DNAに電流通る ミクロの電子デバイスに道 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/0628/OSK200706280026.html

 細胞の核にあり、遺伝情報を担うDNA(デオキシリボ核酸)の中を電流が流れることを、大阪大産業科学研究所の真嶋哲朗教授(光化学)の研究グループが突き止めた。DNAの2本の鎖がつくる二重らせんの幅は2ナノメートル(ナノは10億分の1)。これを利用してナノサイズの「電線」ができれば、半導体など超ミクロの電子デバイスの作製につながる。今週の米科学アカデミー紀要電子版に発表する。
 DNAに電流が流れる可能性があることは指摘されていたが、そのルートはわかっていなかった。真嶋教授らは、実験によって、電流は二重らせんの鎖の部分ではなく、二つの鎖の間にまたがっている塩基を伝わって流れていることを初めて確認した。
 研究グループは、10~100個ほどの塩基が並ぶDNAを人工的につくってガラス基板に張り付けた。一方の端に光増感剤を、もう片方の端に蛍光色素をくっつけ、ガラス基板の裏から紫外線を当てた。すると、光増感剤から正電荷が発生し、反対の端まで移動して蛍光色素と反応し、蛍光を消す現象が観測できた。4種類の塩基の並び順によって、電気が流れる速さが変わることもつかんだ。

 ちょっと前のニュースだけど、なんか気になってたのよな。なんで話がいきなり電子デバイスに跳んでしまうんだろう?

 いやまあ、そういう役に立てば立つで面白いけど、素人なりに真っ先に抱く疑問は、「DNAに電流が通るというなら、なぜそんなふうにできているのだろう?」ということである。ふつう、そういうふうに思考が働きませんか? DNAは、なにも将来電線に使ってもらおうと思って誰かが作ったわけではないだろう。ひょっとしたら、電流が通るという性質は、DNAの構造や働きにとって、なにか重要な意味を持っているのではあるまいか。つまり、DNAに電流を流したら流れたという結果オーライみたいな話じゃなくて、DNAにはなにかの理由で電流が流れなければならないのではないか――と、想像しちゃうわけだ。「4種類の塩基の並び順によって、電気が流れる速さが変わる」ってのも、なんだか意味深な匂いがするじゃんか。それにもなにか機能と結びついた必然としての意味があるのだろうか? わくわく。

 なにかの理由とは、どういう理由かって? そんなこと、おれにわかるもんかよ。それを調べるのは学者さんにお任せする。

 あなたはどっちだろう? “問答無用でこういう性質があるから、こういうふうに使えるのではないか?”という方向に考えるタイプか、“そもそも、なぜこういう性質を持っているのだろう?”という方向に考えるタイプか? なんとなく前者のほうがお金になりそうな気もするが、あんまりそっち方向ばっかりに偏ってほしくないなあ。まあ、今回、DNAに電流が通ることが初めて実験的に立証されたのだというのなら、なぜ電流が通るのかをとんでもなく斬新な方向から考えはじめる人が出てくるのかもしれないよね。わくわく。



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2007年6月 7日 (木)

やっぱり、ROTRING はいい!

Rotring02 まずマルチペンが登場する。彼は気がくるっていた。

 ……じゃなくて。

 いや、先日、ひさびさにまともなペンを買ったんだが、これがもう、太さといい長さといい重量バランスといい、ぴたりと指に吸いついてきて絶妙な書き心地。握ってるだけで快感なので、なにも書く用事がなくても知らずしらず弄んでしまうほどだ。「ROTRING エクステンションインプット」――お値段相当の優れものである。やっぱり、こういうメカニカルなペンは ROTRING にかぎるねえ。STAEDTLER も好きだけど、おれにはちょっとお洒落すぎるんだな。質実剛健、道具としてのレゾン・デートルを徹底追及した合理性と信頼性が醸し出す無骨な美に、おれはむしろエレガンスを感じる。まあ、G-SHOCK とかが好きな人は、たいてい ROTRING も好きなんではあるまいか。おれの偏見も多少あるかもしれんが、ドイツの文房具って、なんでこんなにいいんでしょうね。

 それはともかく、この「ROTRING エクステンションインプット」、黒ボールペン、蛍光オレンジボールペン、0.5mm シャープペンシル、PDAスタイラスが一本になってるんだが、おれが最もよく使うのは、スタイラスとしてなのである。PDAを使うから、近年、この手のマルチペンばっかり使っているんだけども、こいつのスタイラスとしての使い心地は群を抜いている(まあ、スタイラスとして考えると、お値段も群を抜いているが……)。もう、ほかのスタイラスは使えん。こいつとは長いつきあいになりそうだ。

Rotring01 長いつきあいといえば、中学生のときに買った「ROTRING メカニカルシャープペンシル600」ときたら、いまだに現役で快適に使える。これも無骨な六角柱の軸と重量感がいいのだよなあ。ほとんどモデルチェンジしてないのがすごい(おれの持ってるのはグリップも金属でヤスリ状になっていて、どんなに汗をかいても滑らないのだ)。あのですね、かれこれ三十年ですぜ。いろいろ浮気もしてきたが、ときどきこいつが無性に使いたくなる。むかし、「結局、ここに還ってくる」ってウィスキーのCMコピー(ホワイトホースだよな)があったけど、まさにそんな感じ。基本的には製図用のシャープペンシルだから、日本語の文字を大量に書くのには向かないのだが、絶対確実に安定的に動作すると絶大な信頼を寄せているので、試験とかを受けなくちゃならないときには、お守りのようにして持ってゆくことにしている(まず、本番では使わないのだが……)。

 かようにドイツ文具を愛する者として、ひとつ日本の文房具界の慣例表記に文句を言いたい。「ロットリング」「ステッドラー」などという表記が定着してしまっているのだが、そんなもん、英語読みしちゃったんでは、トホホな語感になってしまう。「アインスタイン」なんて物理学者がいたら、なんか頭悪そうじゃないか。いまからでも、「ロートリンク」か「ロートリング」、「シュテットラー」か「シュテートラー」くらいにならんもんかな。おれは口で言うときには、頑なに「ロートリンク」「シュテットラー」にしてるんだけどな。




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2007年6月 5日 (火)

十五年前の冷めたピザ?

ニール・スティーブンソン、セカンドライフをクールと言う (On Off and Beyond)
http://www.chikawatanabe.com/blog/2007/06/post.html

ま、Neal Stephenson的には、もうメタバースなんて飽き飽きしちゃってたのかもしれませんね。

 だろうなあ。ヴァーチャルワールドの話となると、たんびたんび引き合いに出されるのが、正直もう、うざいんでしょうな。以前、"Google Earth general manager John Hanke has said that Google Earth was partly inspired by Snow Crash's metaverse." なんてことが書いてあった記事もあったし。作家的には、とっくのむかしに自分の頭の中にあるものに、たまたま“外の現実”が似てきたからといって、「それがなにか?」みたいな感じなのかもね。考えてみれば、『スノウ・クラッシュ』から十五年だよ、十五年。殺人事件だって時効になるくらい経ってるわけだ。

 「おめでとうございます、白川先生。導電性ポリマーの発見と開発の業績に対して、ノーベル賞が授与されるそうです」
 「は? いつの話だっけ?」

 ……みたいな感じかも。

 まあ、作家のキャラにもよるだろう。たとえば、近い将来、軌道エレベータを初めて造った人がアーサー・C・クラークにパーティーで出会って(チャールズ・シェフィールドはもう故人だが、クラークならそのころまで生きていたとて不思議ではない)、「ボボボボクは子供のころにあなたの小説を読んで……」と興奮して話しはじめたとしたら、クラークなら子供のように一緒に興奮して相手を質問攻めにし、自分の小説を照れも衒いもなく自慢するような気がする。しませんか?



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2007年5月31日 (木)

“井の中の蛙”は絶滅危惧種か?

 さっき、『しょこたん☆かばー』を聴いていたら、いつものようにバカなフレーズをなんの気なしに口ずさんでしまった。

   ♪セマンティックあげるよ~ セマンティックあげるよ~

 シンタクスに縛られて息苦しい思いをしている人を励ます歌であるにちがいない。

 だが、待てよ。これはイカにもタコにも、この世界のどこかですでに唄われていそうなフレーズである。さっそく検索してみると、やっぱり唄っているやつが複数いた。

 これはいかん(なにがいかんのだかはよくわからないのだが)。もうちょっとヒネらなくてはいかん。

 そこでおれは、パソコンが危険に晒されて不安を抱いている人を励ます歌をすぐに思いついた。

   ♪シマンテックあげるよ~ シマンテックあげるよ~

 人によっては、即座に「要らん」というかもしれないが、おれは自宅ではシマンテックのセキュリティーソフトを使っている。まあ、とびきりいいとも思えないが、とびきり悪いとも思えない。どのみち、なにかを入れなくては、怖くてネットになど繋げたものではない。

 それはともかく、こっちの歌は、すでにどこかで唄われているような気がもっとして、検索してみたら、やっぱり唄っているやつがいた。世の中には、よくよく脳を無駄遣いしているやつがいるものだ。

 先日世間の広さを知ったばかりだというのに、またも世間の広さを思い知った。ダジャラーには厳しい時代である。というか、そもそも、なぜこんなバカなことをいちいち検索してみているのか、自分でもよくわからん。べつに、自分が独立に思いついたことをすでに誰かが思いついていたとて法に触れるわけでもないんだが、そこに手段が存在してしまっているからには、強迫的に検索せずにはいられないのである。せっかくのバカな思いつきを誰かがすでに書いていると、親近感を覚えると同時に、なんだかくやしい。

 つまるところ、おれたちは、“井の中の蛙”にはなりたくてもなれない時代に生きているのだろう。ウェブで情報を発信する個人がこれだけ増えてくると、ウェブは“井の中の蛙”を早期に圧殺する作用をますます強めてゆくのではあるまいか。それはとてもいいことのようにも思えるのだが、人間、若いころは、多かれ少なかれ井の中の蛙であることが必要な時期もあるのではないかとも、また思えないこともないのだよなあ。

 いやなに、駄洒落がカブるとかそういうレベルの話じゃなくて、もっと革新的な(と本人は思っている)アイディアとか高邁な(と本人は思っている)思想とかについても、ウェブの“井の中の蛙圧殺効果”は同じように働いてしまうだろう。そんなふうに、あまりにも手軽に「それはすでにあるよ」という答えが得られてしまうのは、絶対的にいいことなのだろうか? 車輪を再発明する無駄を(そのときはそうだと知らずに)幾度か体験するプロセスは、人間の成長に、あたかも微量養素のようなカタチで不可欠であるという気がしてならないのだわ。

 そう考えると、いわゆる“高速道路論”(梅田望夫 < 羽生善治)に指摘されている現象についても、高速道路が敷かれてしまったせいで取りこぼしてしまいがちな大切ななにかがあるように思える。たぶん、その“なにか”こそが、家庭や学校で教えなくてはならないことなのかもしれない。



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2007年5月24日 (木)

ADSLルータの足元に注意

 どうも連休前ごろから、インターネットへの接続がときどき切れてしまうようになり、日を追ってひどくなってくるものだから、おっかしいなあといろいろとパソコン側の設定をし直したり、ADSLルータをリセットして設定し直したりと、けっこうな時間をトラブルシューティングに費やしていたのだが、どう考えてもパソコン側ではない。ADSLルータだけを立ち上げてじっと観察していると、PPPoE接続が確立されたと思ったら、しばらくすると切れてしまい、また接続にトライし、また繋がり、また切れ……といったことをえんえんとADSLルータが勝手に繰り返している。

 昨日、原因がほぼ特定できた。ADSLルータを冷ましてやると、接続が長持ちする傾向がある。要するに、ルータが熱暴走していたのか。そろそろ寿命なのかなあ……と、いったんはルータをあきらめかけたんだが、もしかすると、ルータを置いている“台”が問題なのではなかろうかと気づいたのだった。ホームセンターで買ってきた腰ほどの高さの樹脂製収納箱の上にADSLルータを置いているのだが、よく考えると、この収納箱を買ってから初めて、気温が上昇してゆく季節を迎えているのである。昨年の夏は、いまとは材質の異なる台の上にルータを置いていたのだ。おそらく、トラブルの原因はこいつだ。樹脂製収納箱の上面とADSLルータのあいだに熱がこもるのだな。

 というわけで、応急処置として、ADSLルータ(ウチのは横型の平たいやつだ)の下面に適当な“足”になるものを挟んで、本体を空中に浮かせてやると、ほぼ正常に動作するようになった。えらいもんだな。急に春らしくなったころにトラブルが発生しはじめたことに最初から気づいていれば、無駄な時間を費やさずに、連休中にももっと快適にネットが使えたものを。

 それにしても、手で触れて「これはいくらなんでも熱い」と思えるほどに熱くなっているわけでもないのに、ADSLルータってのは存外にデリケートなもんなんだなあ。ウェブを漁ってみると、ルータが熱暴走したという報告はずいぶんある。そのうち、放熱のよい適当な台を調達することにしよう。



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2007年5月15日 (火)

『沈黙のフライバイ』(野尻抱介/ハヤカワ文庫JA)

 もう九年ほども前のことだ。おれも連載を持っていたウェブ雑誌の〈SFオンライン〉で表題作「沈黙のフライバイ」のダウンロード販売がはじまったとき、おれは「おお、時代が変わってゆくのをおれはいま目の当たりにしている」と興奮したものである。当時はまだ“SF冬の時代”といった感覚的な表現が既成事実であるかのようにまかり通っていたころであって(じつのところおれは、あの時代は、表現形質に顕れてこない“SFの中立進化”が深く静かに進行していたのだろうと思っている)、そこへ直球ど真ん中の地味なファースト・コンタクトSFがウェブマガジンのダウンロード販売といった場から飛び出してきたのだから、快哉を叫んだ人も少なくなかった。

 ま、年寄りの回想はほどほどにしよう。いや、もっとむかしを回想しようか。アポロ11号が月に着陸したころ、もう宇宙旅行(“旅行”と呼ぶには、まだあまりにも過酷だが)は現実のものなのだから、SF作家は飯の食い上げだなどという議論が一部にあったと聞く。アポロ11号はおれたちの世代にとっては人生がひっくり返るようなリアルタイムの衝撃的な体験なのだが、さすがにそのころはSFをめぐる議論のことなんて、晩稲のおれは知らない。

 実際には、アポロの月着陸くらいで宇宙SFは滅びなかった。あたりまえだ。むしろ、みなが日常的にGPSを使い、スペースシャトルが飛んでも驚きもせず、日本人宇宙飛行士が珍しくもなく、誰もがふと Google Earth で自分の家を探してみたりするような時代になったからこそ、野尻抱介のストレートな宇宙SFは、われわれの夢をかき立てる。

 なぜか野尻抱介の宇宙SFを読むと、子供のころに段ボール紙やら竹ひごやらなにやらで作ったロケットの延長線上に、気負いも衒いもなく、素直に宇宙が広がっているような気になる。ひょいと手を伸ばせば届きそうなところに宇宙があるような気にさせられてしまうのだ。いや、実際そうなんだよ。それはそうなんだが、まあ、たいていの人は、ひょいと背伸びをすれば宇宙に手が届くとはふだん思っていない。

 まあ、騙されたと思って本書を読んでごらんなさい。表題作「沈黙のフライバイ」はもちろん、「轍の先にあるもの」「片道切符」「ゆりかごから墓場まで」「大風呂敷と蜘蛛の糸」と、どの収録短篇を読んでも、明日にでも自分が宇宙に行けそうな気分にさせられてしまう。これは野尻抱介が実際の宇宙開発技術によく通じていて、どこまでがいますぐにでも(リソースさえあれば)実現できて、どこからが想像の翼の力を借りねばならない領域なのかを知悉しているからこそできる藝当なのだ。つまり、野尻抱介は、「ほら、こんなふうにすれば、もうあなたは宇宙にいて、そこではこんなことが……」と、活字を使っておもしろ実験をしてくれる宇宙のでんじろう先生なのである。

 日曜大工が好きなお父さん、凝った料理が好きなお母さん、そしてもちろん、すべての子供たち、若者たちにお薦め。宇宙はすぐそこにある。いや、〈いま・ここ〉は、最初から宇宙の一部なのだ。



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2007年5月 7日 (月)

タフソーラーの G-SHOCK に餌をやっていなかった

 なんとね。連休中は吸血鬼のような生活をしていたものだから、腕時計のバッテリーが上がってしまった。おれが愛用しているのは G-SHOCK で、太陽電池搭載の電波時計だから、基本的にな~んにもしなくても、常に秒までぴったり合っている。ところがどっこい、あんまり光に当てないと、待機モードに入ってしまい、表示が消える。それでも内部ではちゃんと時を刻んでいて、光で充電してやると、すぐに表示が甦る。

 だがなんと、今度ばかりは、待機モードで使うエネルギーもすっかり使い切ってしまった。ふつうの人間がふつうに着けてふつうに生活していれば、こんなことはまずない。この連休は、よっ        ぽど光に当てなかったのだなあ。キカイダー01だって、ここまでのピンチに陥ったことはないだろう。ふだんパソコンの上か横に置いて置時計代わりに見ているのだから、蛍光灯にはひとりでに当たっているはずだが、部屋が暗すぎたか……。

 あわてて至近距離で読書灯に当てておいたところ、しばらくすると表示が甦った。が、時刻はでたらめである。工場出荷状態に戻ってしまったのだろう。時刻を合わせるには、電波時計の機能が使えるところまでエネルギーを充填してやらねばならない。直射日光に当ててやればかなり速く充電できるのだけれど、あいにく今日は天気が悪かった。だもんで、蛍光灯にずっと当てているんだが、まだ電波の受信機能が甦らない。なんてことだ。

 太陽電池式の時計の最大の弱点は、いったん電池が切れると、光に当てる以外に充電する方法がないということなのだった。「ああ、だからソーラーはダメなんだ」などと思わないでくださいよ。これほど光に当てないおれが異常なのであって、まあ、ふつうに暮らしているふつうの人であれば、エネルギーを切らしてしまうようなことはまずない。こんなに便利な腕時計はないのだ。最近は、ソーラー電波時計もずいぶん安くなって、選り好みをしなければ、腕時計で一万円を切るものがあるし、置時計なら二千円くらいからある――と、アマゾンに時計ショップができたのをいいことに、ちょっとあざとく商売をしてみたり。

 あ、吸血鬼みたいな生活が好きな人は、ゴールデンウィークと年末年始には気をつけたほうがいいすよ。



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2007年5月 6日 (日)

ジェットコースターの失敗学

コースター脱輪、女性死亡19人けが 大阪・万博公園 (asahi.com)
http://www.asahi.com/special/070505/OSK200705050005.html

 5日午後0時50分ごろ、大阪府吹田市千里万博公園の遊園地「エキスポランド」で、ジェットコースター「風神雷神(ふうじんらいじん)2」(6両編成)が脱線し、2両目にいた女性客が車両とレール左側の手すりに挟まれて死亡、他の乗客19人が重軽傷を負った。大阪府警は、車軸の一部が折れて車輪が脱落し、車両が左側に傾いたとみて、業務上過失致死傷の疑いで吹田署に捜査本部を設置し、6日にもエキスポランド社(山田三郎社長)など数カ所を家宅捜索する方針。

 ひええ、おっとろしー。オーソドックスな「ダイダラザウルス」のほうは、子供のころから何度か乗ったことがあるけど、あの新型の立ち乗りジェットコースターが事故を起こしたとは、想像するだに背筋が寒くなる。

 こういう事故に共通した原因は、ふたつに大別されるだろう。ひとつには、国や自治体が定めた基準そのものが甘く、実態に合っていない。もうひとつは、基準が適切でも、それが形骸化しており、きちんとチェックしているかをチェックするシステムがない。おれはジェットコースターのプロじゃないから、今回の事故(あるいは、事件)の原因がなんなのかはよくわからない。それを調べるのは警察の仕事だろう。

 ただ、この手の事故を激減させるための、きわめて効果的な安全管理上の方策は知っている。じつに簡単なことなのである。不二家の工場で働いていたパートのおばさんたちの証言がヒントだ。自分たちが作ったお菓子を「自分たちは絶対買わない」と言ってたよね、あのおばさんたちは。

 そう、保守担当作業者やその責任者を、自分が保守しているジェットコースターに毎日乗せることである。できれば、遊園地の経営者にも月に一回くらいは乗ってもらいたいものだ。経営者が老齢でジェットコースターなんかには乗れないというのなら、その子や孫に自主的に乗らせる。

 ホント、ただそれだけのことで、こんな事故は簡単に防げただろうと思うんだが、どうだろう? 国や自治体が決めた基準なんぞは、顧客視点からはレベルが低すぎると考えて相手にせず、自分たちが作った、より厳しい基準やルールに則って経営する遊園地というものがあったとすれば、おれはその会社の株を買いたいと思うね。もっとも、生活するのに精一杯で、株買う金なんてないけどね。そんな遊園地があったら、投資家のみなさんは、株買ってやっておくれよ。



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2007年4月26日 (木)

『ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない)』(渡辺千賀/朝日新書)

 「ヒューマン2.0」なんて、なにやらミュータントもののSFにそのまま使えそうなタイトルだが、そういう本じゃなくて、シリコンバレー在住のキャリアウーマンが、シリコンバレーなる天国のようでもあり地獄のようでもある奇跡的な異界に棲息する人々の生態を、赤裸々に面白おかしく真面目に紹介している好著。ほとんど軽いブログのようなノリで書かれているから、息抜き、暇潰しにつるつる読める。

 “シリコンバレー”と聞くと、おれなどは、石を投げるとまずスーパーエンジニアに当たり、そこで跳ねた石がノーベル賞を受賞した科学者に当たり、そこで跳ねた石が海千山千のスーパービジネスマンに当たって落ちるかと思うと投資家の口の中に飛び込んで金になって戻ってくる――みたいなイメージを漠然と抱くわけだが、本書を読むと、その軽いノリの中から、アメリカが生んだこの特殊な空間の“息吹”が生々しく伝わってくる。意外とセコくてショボくてあくせくしているが、スゴいところはとてつもなくスゴいという、等身大の“シリコンバレー人間交差点”である。こういう切り口でシリコンバレーを語り、ひいてはワークスタイル変革の最先端に迫るというアプローチは、ありそうでなかったんじゃなかろうか。テクノロジーにまったく関心がない人でも読めるし、また、読んで面白いと思う。『渡る世間はギークばかり』とかなんとかいうタイトルにして、本書をベースにテレビドラマでも作ったら、けっこうウケるにちがいない。

 それにしても、“不自由なくらいに自由”ということもあるのだなあと妙に考えさせられた。若い人たちがこういうのを読んで、「おおお、ここにはおれが求めているものがある。よし、おれもいっちょ、シリコンバレーで一旗挙げてやるか!」と燃えるのは大いにけっこうなことだと思うのだけれども、はっきり言って、おれみたいにあんまり社交的でないおじさんは、読むと疲れます。こんなに宙ぶらりんで慌しい思いをしなければならないくらいなら、地位も名誉もお金も要りません、ウチ帰ってSF読んで屁ぇこいて寝ます。

 とはいえ、ウチ帰って屁ぇこいて寝る人ばかりでは技術もビジネスも進歩しないので、若い人にはやっぱりこういう環境に憧れてほしいと思うぞ。仮におれが天才級の技術者であったとしても、こんなに振幅の大きな生きかたは、話を聞くだけで疲れるけどな。しんどい。基本的に、おれはなにをするにも、エネルギーというかガッツというか、そういうなにかしらが決定的に欠けている。先天的疾患じゃないかと思うくらい、野心というやつがない。もう二十年若かったとしても、シリコンバレーにはまるで向いていなさそうだ。やっぱり、「肉食ってるやつらにはかなわんわ」というのが率直な感想なのでありました。納豆ばかり食っているおれなどとは、ベースのところのエネルギー準位がまるでちがう。

 というわけで、「自分は技術の天才だ」と思う方、または「家族を砦にアウトドアライフを楽しんで、庭でトマトを育てながら技術に関わる仕事をしたい」という方は、是非一度シリコンバレーで働いてみてください。

 ……というのが著者からのお勧めである。お、おれはけっこうです。ウチで本読んで屁ぇこいて寝たいです。

 若い人は信じないかもしれないが、そのむかし、おれたちの二、三年上の世代からおれたちの数年あとくらいまでの世代を、当時の世間は“新人類”と呼んだものだけど、なんのなんの、このシリコンバレーの“ヒューマン2.0”に比べれば、おれたちなんぞ、ほとんど旧人類の亜種、せいぜい“ヒューマン2.0β”か、よくても“ヒューマン2.0 RC”くらいだろう。

 こういう愉快な本は、十代、二十代の人が読んで、ぜひ現実的オプションとして憧れてほしいもんだ。おれには、こういう生きかたは眩しすぎる。晩飯のコンビニ弁当買うときに、四百九十円のにするか五百二十円のにするか悩んだ末、思い切って五百八十円のゴージャスなのを買ってしまった日には、なにやら分不相応なことをした罪悪感のようなものを覚えて落ち着かない……といった生きかたが、おれには身の丈に合ってます、ハイ。



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2007年4月25日 (水)

グラッチェ、グラッチェ

 MSN video でやってる ZDNet Whiteboards ってコーナーがけっこうお気に入り。旬なテクノロジーのキーワードを、それなりの講師が一口知識的にホワイトボードを使って一般視聴者向けに解説するという番組。ネタそのものには深く突っ込むわけでもなく、平易な用語解説に留まるのだが、ホワイトボードにキーワードを書き殴りながらやたら表情豊かに解説するガイジンさんたちが、おれにはみんなケーシー高峰に見えてしまって、微妙に面白い。まあ、そういう邪な楽しみかたをしている人はあんまりいないだろうが、それにしてもアメリカ人ってのは、こういうカタチのプレゼンがおしなべてうまいよねえ。やっぱり、子供のころからの訓練がちがうのだろうな。

 Carbon Nanotubes のお題では、ちゃんと軌道エレベータのことまで触れているのはえらい。ただ、「geosynchronous orbit が高度六万二千マイル」とか言ってるが、いくらなんでもそりゃ高すぎる。二万六千マイルのまちがいだろう。まあ、こういうツッコミができる隙があるところも、生身の人間がプレゼンしている感じがひしひしとあってご愛嬌である。

 基本テクノロジカルタームの「三分間クッキング」、英語の勉強とプレゼンの勉強がついでにできるので、文科系の学生さんにはとくにお薦め。こんなのがいくらでもタダで観られるんだから、ホント、いまの学生さんはいいよなあ。



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2007年4月12日 (木)

“特定”できることを“推定”しなければ崩壊する制度なのか、それは?

離婚後300日以内に生まれた子救済へ 法務省 (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0406/TKY200704050418.html

 「離婚後300日以内に生まれた子は前の夫の子」と推定する民法772条の規定の見直しを巡り、法務省は、前夫との離婚後に懐胎したとする医師の証明書があれば、離婚後300日以内に生まれた子でも現夫の籍に入れられるようにする民事局長通達を4月末までに出す方針を固めた。

反発呼ぶ、法相の「貞操義務」発言 民法規定見直し巡り (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0409/TKY200704090284.html

 「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」と推定する民法の見直しで特例新法を目指す与党プロジェクトチーム(PT)の動きをめぐり、長勢法相が6日の会見で述べた「貞操義務なり、性道徳なりという問題は考えなければならない」との言葉が、市民団体や議員の間で反発を呼んでいる。
 家族法の研究者らは9日、通達での対応を表明している法務省に対し、救済範囲が広い特例新法の制定を求める要望書を提出。会見した早大院の棚村政行教授は「(特例法が)貞操義務や性道徳を乱すとの議論がしかるべき立場の人から出ている。『子どもの救済』という議論の本質が違う方向にいき危機感を覚える」と批判した。

「300日問題」今国会の提出見送りか 立法不要論強く (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0411/TKY200704100389.html

 「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」とする民法772条の規定を見直す与党プロジェクトチーム(PT)の議員立法について、自民党の政調幹部が10日、「時間をかけて議論せざるを得ない」と今国会での法案提出の見送りを示唆した。法務省の通達があれば立法は不要との意見が党内で強まった事態を受けたものだ。だが、与党PT案が救済対象とする「離婚前の懐胎」は、通達案では対象外。このケースで子供の出生届が受理されない夫婦は複雑な思いで見守っている。
 同日の自民党法務部会でも、与党PT案について「婚姻制度が崩れる」などの反対論が続出した。一方、公明党はなお、議員立法での救済をめざす構えを崩していない。

 なんなんだ、この不可解な迷走は? おれには民法772条を見直そうという話になんの問題があるのか、さっぱりわからないよ。

 だいたい、仮に“一妻多夫”の状態で暮らしていて子供ができたとしても、どの夫の子かを充分な信頼度で特定できる技術基盤がすでにあるというのに、「嫡出の推定」などという規定がいまだに生きていること自体が不可解である。間接証拠を直接証拠より重視する刑法なんてものがあったら奇ッ怪なことおびただしいが、民法だとまだこんな時代遅れな“推定”が力を持っているんだなあ。「嫡出の推定」なんて、もはやする必要などない。知りたきゃ、DNA鑑定すればいいだけの話。

 貞操義務がどうのいった意見も、これまたさっぱりわからない。そもそも、あんなもん“義務”なのか? 法律のどこに書いてある? 離婚訴訟だのなんだのになったときに、夫婦は相互に貞操義務を負うという前提がきわめて支配的な法解釈になっているだけじゃないか。おれに言わせれば、あれは義務でも権利でもなく、自主規制である。その“貞操自主規制”を、夫婦のどちらか、あるいは、両方がないがしろにする心理状態になっているということは、すなわち婚姻関係の実質的破綻を意味するはずだ。離婚訴訟において有責配偶者からの離婚請求でも認められる事案が増え、法曹界が実質婚を重視してゆく趨勢にあるのであれば、夫婦相互の貞操をいつまでも“義務”と解釈していたのでは、矛盾が生じてこないか? “望むらくは遵守されるべき自主規制である”と捉えたほうが、ずっと自然だとおれは考える。

 長勢法務大臣がなにを言いたいのかおれにはいまひとつよくわからないのだが、もしかしたら、「民法772条の縛りを外したが最後、世の女どもは、わしの女房も含めて、男をとっかえひっかえスッポンスッポンやりたい放題、手当たり次第にバコバコ子供を産みおるにちがいないから、法律で縛っておかねばならん」とでも言いたいのだろうか? もし、民法772条の縛りが取れたとたんに、あんたとこの奥さんが若いツバメを何人も抱え込んでやりたい放題やりまくりはじめたら、それは法律がどうこうという以前に、あんたとこの婚姻関係が実質的にはとうに破綻しておったということを示すにすぎない。そういう個人的な懸念(?)を、世間の女性一般に敷衍してもらっては困るな。

 「婚姻制度が崩れる」などの反対論? なんだ、それ? 意味がわからん。法律の縛りが外れたら崩れるような婚姻関係、婚姻制度であれば、そんなものは崩れさせればよろしい。破綻している会社は、粉飾決算をして存続させるより、正しく潰れたほうがずっと社会のためだというのと同じだ。おれはほとんど確信しているのだが、民法772条なんてものがまるごとなくなったとしても、多くの破綻していない夫婦は、相互の信頼関係に基いた“貞操自主規制”を“そこそこ”尊重してゆくだろう。まあ、少々自主規制が緩んだとしても、社会が男に対して容認してきている程度の不貞を女も享受できるようになったというだけのことで、釣り合いが取れていいんじゃないの? そのほうが緊張感があっていいと思うね、おれは。実質婚を安定的に維持するほうが、形式婚を惰性で続けるよりもずっと意識的努力を強いられるにちがいない。そうなりゃ、それこそ、ほんとうに望まれる形でのホワイトカラー・エグゼンプション導入の議論に本格的に火が点くかもよ。なにしろ、伊達や酔狂じゃなく家庭に目を向けにゃならなくなるから、効率的に付加価値の高い仕事をして家族との時間を増やしたいなんてことを本気で考える人が増えてくるかもね。



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2007年4月 3日 (火)

驚異のAI変換

 パソコンで「すてがのぐらふぃー」と打ち込んで変換したら、こんなのが出た――

「捨て画の具らフィー」

 なんじゃこりゃ、と、一瞬思ったが、ちょっと待て。「捨て画の具らフィー」というのは、なーんとなく、「ステガノグラフィー」の意味するところをビミョーに的確に表現してないか? 「画」というのがメッセージを埋め込むための画像で、「具」というのはきっと秘匿したいメッセージなのである。画像のほうの表現内容はどうでもいいのだから、「捨て画」なのだ。

 いやあ、最近の日本語入力システムはすごいなあ。



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2007年3月 9日 (金)

ほんとの客はだあれ?

2年以内の実用化目指す ロボットに話しかけてブログにエントリ、NECが新システム (@IT)
http://www.atmarkit.co.jp/news/200703/05/nec.html

 NECは3月5日、ロボットに話しかけることでブログを編集、公開できる「マルチメディアブログ創作システム」を開発したと発表した。話しかけられた言葉を解析し、内容に応じて検索したイラスト、映像、音楽などを追加、マルチメディア対応のブログエントリを作成する。NECは同システムを2年以内に実用化するとしている。
 同システムはNECの研究試作ロボット「PaPeRo」(パペロ)に搭載。ロボットに話しかけることでブログを作成できるようにした。自然な言葉で発声されたメッセージをテキストに変換する語彙(ごい)連続音声認識技術と、テキストから重要度を分析してキーワードを抽出し、Web上のマルチメディアコンテンツを検索する自然言語文検索技術を組み合わせた。
 NECは同システムを使うことで「ロボットに向かって話すだけで魅力的なマルチメディアブログを簡易に創作することができ、ブログによる情報発信をより便利に快適に行えるようになる」としている。同システムはロボットに搭載したが、別のデバイスに載せることも可能という。

 うーん、なんだかなあ。いやまあ、現存の技術を組み合わせて「こんなこともできる」という試みとしてはこういうのもアリだろうけど、ふたつの点で大いにひっかかる。

 「ロボットに向かって話すだけで魅力的なマルチメディアブログを簡易に創作することができ」というのだが、マルチメディアだったらそれだけで魅力的だとでも言うのだろうか? それとも、ただただ口から言葉を垂れ流すだけで、それが魅力的な創作になるって意味なのだろうか? そんなおそるべき才能の持ち主がそこいらにうようよいるとでも言うのか? なんだか、言ってることがさっぱりわからん。

 「ブログによる情報発信をより便利に快適に行えるようになる」ってところも、なんだか珍妙な気がする。発信者だけ快適にしてどうする。そりゃ、ブロガーの立場で考えれば、快適に発信できるに越したことはないとおれも思うけれども、ブログの“利用者”で最も数が多いのは、“読者”に決まっている。どこの誰とも知らない人がロボットにくっちゃべったことを基に大部分を機械が自動的に作ったようなブログなど、おれが読者ならあんまり読みたくないがなあ。たとえば中川翔子のブログなどの場合、中川翔子本人が発信しているということそれ自体に意味があるのであって、残念なことにたいていの人はしょこたんじゃないのである。

 NECにとっては、ブログで情報発信する人たちのほうが自分たちの“客”なのはわかるが、最終消費者はブログを読む人であるという、あまりにもあたりまえのことが抜け落ちているような気がする。もののみごとに、ブログの提供者都合のもの言いしかしていないあたりに、なんだかとても奇妙なものを感じる。まあ、NECにしてみれば、ブログの読者のほうは、“客の客”にすぎないというわけなんだろうな。でも、客の客こそが真の客というケースも少なからずあるわけで、いわゆる Consumer-Generated Media (CGM) に企業が企業の論理で手をつける場合、まさにそこいらが難しいのだろうな。ここでNECは、このシステムの実用化や展開を、単なるBtoCのビジネスモデルでしか捉えていないかのように見える。こういうのはBthroughCtoCとでもいった捉えかたをしなきゃ、たぶんダメじゃないかな。



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2007年3月 2日 (金)

『BPS バトルプログラマーシラセ』を観る

 『BPS バトルプログラマーシラセ』ってのを GyaO でやってたので、面白いハッキング・テクニックでも出てくるのだろうか、IT業界の隅っこに身を置く者としては後学のため観ておかずばなるまいと自分に言い聞かせてついうっかり全五話を観てしまったわけなのだが、わははははは、なにかの勉強になるかもしれんなどと意地汚いことを考えたおれがバカだった。よく言えばハッカー・ファンタジー、ふつうに言えばロリ萌えハッカーもの、悪く言えばコンピュータ好きのSFファンが酒飲みながらひと晩じゅうダベっているようなことをまかりまちがってアニメにしてしまったものという感じ。いや、貶しているように聞こえるかもしれないが、おれはこういうバカ話は大好きである。こんなとんでもないものを、二○○三年ころにUHF局でやったりしてたんだねえ。神をも畏れぬ所業である。

 大ネタは単なるぶっとびバカ話なのだが、マニアックな小ネタのくすぐりがひたすら(一部の人にはたぶん)楽しい。ほんの四年前の作品でありながら、すでにして懐かしい感じがしてしまうというのは、この業界、いかに変転が激しいかということですなあ。IT業界人の方には、まったく仕事に役立たないこと請け合い。まあ、主人公の超人ハッカー・白瀬にかなり近いかもといった人は、たまに(しばしば?)いますわな。ハッカーものの怪作として語り継がれるだろうってのが、妥当な評価だろな。



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2007年2月24日 (土)

SETI@home がついに見つけた

SETI Finally Finds Something (Slashdot)
http://science.slashdot.org/article.pl?sid=07/02/21/2326240

 ――って見出しを、RSSリーダがパソコン画面の隅に知らせてきたので、「ええっ!?」と思って即クリックしたら……そ、そういうことか。まあ、たしかに“見つけた”にはちがいない。

 上記エントリからリンクされている詳しい記事 Missing laptop found in ET hunt によれば、ミネソタ在住のプログラマの奥さんがノートパソコンを盗まれたのだが、奥さんのパソコンでも SETI@home の解析用クライアントソフトを走らせていたのが幸いし、パソコンを取り戻すことに成功したということだ。

 この geek なダンナは、バークレイの SETI@home 総本山のデータベースをモニタして、奥さんの SETI@home アカウントで解析済みのワークユニットを自動的に送信してくる IP アドレスを掴みミネアポリス市警に通報、市警はプロバイダに協力させて盗品パソコンの“リアルな”所在を掴んだという顚末。ダンナの執念もたいしたもんだが、動いてくれた市警がえらいな。それとも、こういう捜査はアメリカならふつうにやってくれるんだろうか? そのへんの事情がいまいちわからん。日本なら、駆け込み先によって大きな差が出そうな気がするよなあ。地方警察がサイバー捜査なんたらというような専門部署を持っているところなら、捜査権限なしで掴める証拠を揃えてそこに直接通報すれば、広域性のある組織犯罪である可能性も考慮して動いてくれるのかもしれないが、多くの一般ユーザは、このプログラマのダンナみたいには証拠を揃えられないし、そもそも適切な駆け込み先がわからないはずだ。そのへんの交番で相談しても、「IP アドレスってなに?」と言われて、自転車の盗難と同じように扱われちゃうのがオチだろう。

 理屈のうえではあたりまえとはいえ、SETI@home にこんな“利用法”があったとはね。SETI@home のサイトでも、ちゃっかり Yet another reason to run SETI@home (SETI@home する理由がまたひとつ)などと報じている。

 だけど、それこそ理屈のうえでは、決まったサーバと自動的にデータのやりとりをする常駐ソフトがパソコンに入っていれば、SETI@home でなくたって、今回のような奪還劇は可能なはずだ。シマンテックでもマカフィーでもマイクロソフト(笑)でも、正規ユーザのアカウントで張られたセッションの生アクセスログを、きちんと本人確認した正規ユーザの求めに応じて提供するといったサービスをはじめてくれれば、奥さんのパソコンを取り戻してやれるダンナの数はいくらか増えるだろうが、まあ、そんなサービスを公式にメニューに入れたって、いまはペイせんでしょうなあ。

 しかし、そのうち、アプリケーションのアカウントと通信インフラ利用のためのアカウントが分離している機器であれば、こうしたサービスの利用価値と需要は大きくなってくるはずだ。高機能化したケータイと IP ネットワークが統合されてくる過程で、利用シーンによっては切実な需要が出てくるかもしれん。いわゆるユビキタス社会とやらになってくると、サービスレイヤー間でアクセス情報・利用情報を照合して“通常では考えにくい利用シーン”を自動的に検知し、それを正規ユーザの正常利用ではない可能性が高い状況の発生として、とくに挙動をマークするなどといったインテリジェントなユーザ保護サービス(あるいは、捜査手法)が出てくるかもしれないなあ。もっとも、そこまでやるなら、情報機器すべてに生体認証機能を搭載したほうが、社会全体でのコストは安く上がるかもしれないが……。

 パソコンが戻ってきた奥さんによれば、「geek はダンナにするにはいい」のだそうだが、otaku はどうだろうなあ? フツー人が geek を配偶者にするとなにかと便利かもしれないが、otaku の場合は夫婦揃って otaku じゃないと、あんまり旨みはないような気がする。



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2007年2月12日 (月)

『ITロードマップ〈2007年版〉情報通信技術は5年後こう変わる!』(野村総合研究所技術調査部/東洋経済新報社)

 野村総合研究所が現時点の調査をベースに、二○一○年あたりまでのITの進歩を推測したレポート。五年後というのが妥当なところで、この業界、十年後まではなかなか読めない。いまの状況を十年前におれが予測できていたかというと、方向性はだいたい合っていたとは虚心坦懐に思うものの、個別の技術の出現や普及までは、とてもじゃないが予見し得ていたとは思えない。ヒト・カネ・モノ・情報を潤沢に持ったシンクタンクといえども、現時点では本書くらいの予測が精一杯だろう。そもそも、この種の予測は、あとで振り返ってみたときの“ハズレかた”こそが面白いわけなのである。あとで楽しむためにも、いま、これくらいの予測を眺めておくのも悪くはない。

 とはいえ、ITに疎い方以外には、あまりお薦めできない。そういう方々にはそういう方々向けの本がある。本書で取り上げられている個々の要素技術にさっぱり馴染みのない方が読んでも、無味乾燥でさっぱり面白くないと思う。バラバラには頭に入っているものが、野村総研的ロードマップの中に整理されているところが、IT関係者には面白いし、参考になるといった感じだ。セマンティックウェブやサーバの自律運用技術などについては、領域限定的な人工知能技術の実用化をかなりロングショットで期待しているようなところがあり、ここいらについては、おれのサラリーマン仕事とは別に、SFファン的にも興味津々である。

 IT業界人必読、SFギョーカイ人は専門分野によっては必読といったところか。野村総研が予測できる程度のことも考慮に入れていないSF作家ってのは、ちょっと論外だと思うぞ。



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2007年1月23日 (火)

『ウェブ人間論』(梅田望夫・平野啓一郎/新潮新書)

 『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』梅田望夫が、芥川賞作家・平野啓一郎と、ウェブの進化が社会を、人間をどう変えてゆくのかについて語り合う対談。柳の下の泥鰌っぽいタイトルはあざといが、これがなかなかどうして面白い。論として図式的に整理した『ウェブ進化論』とちがい、なにしろ対談だから、あちこちにルースエンドが毛羽立っていて、ウェブをめぐってものを考えるのに格好の肴になる。

 いやもう、やっぱりSFファンとしては、爆笑したのはここですね――

梅田 でも今のインターネットを支えてる若者たちは、結構みんな『スター・ウォーズ』好きだと思いますよ。会話の中で、よく「ダークサイドに堕ちる」「堕ちちゃいけない」なんていう言葉を使っていますしね。会社でもライトセーバーを振り回していたり(笑)。
平野 さっきも言いましたけど、同じSFと言っても、『ブレードランナー』とかよりも、確かに圧倒的に壮大な話ですしね、宇宙の果てまでの話だから。『マトリックス』も壮大なようで、意外と小さな世界ですし。
梅田 この間も「はてな」の取締役会で、「梅田さんは最近ブログの更新がない」って吊るし上げに遭ったんです。「本が売れたからじゃないか」と詰問されて、それで僕は、「正直言ってブログを更新する何かいいアイデアが出た時に、更新しようかなって一瞬思うけど、次の本まで取っとこうかなって思ったりするんだよ、だってブログだけで届くものより、リアルの世界ってやっぱりすごいよ」って、あまり深く考えずに口にした瞬間に、「ダークサイドに堕ちてますよ!!」と一斉に言われちゃったんです。そして、「梅田さんはロングテールの頭へ行っちゃったんですね」と。彼らにとってはロングテールの頭っていうのはダークサイドなわけです。そして、ロングテールのテールのほうが正しい。それはもう全部言葉の遊びなんだけど、どこかでそう信じているところもあるんじゃないかと思うんです。

 うんうん、言う言う。「ダークサイドに堕ちる」ね。SFファンは、かなりむかしからふつうに言ってるんじゃなかろうか。もっとも、SFファンになっている時点ですでにダークサイドに堕ちているような気もしないではないのだがいやまあそれはともかく。

 Google の人々もはてなの人々も、とにかく『スター・ウォーズ』が大好きで、梅田氏ははてなの取締役になるにあたって“通過儀礼”として『スター・ウォーズ』のDVDを全部観ることを求められたそうなんだが、うーむ、そういう人たちなわけね。『スター・ウォーズ』経営?

 おれは『スター・ウォーズ』は嫌いじゃないにしても、SFとしてはそんなに好きじゃない。というか、あれはSFっちゅうよりは、筒井康隆をはじめ、いろんな人がもはや常識として指摘しているように、ユング的原型に満ち溢れた神話ですわな。いわゆる正統派SFみたいに前頭葉に訴えるものじゃなくて、誰もが深いところに持っている、抗い難い根源的なものに訴えるものだ。そういうところにおれは反射的に警戒してしまう。要するに、ポルノみたいなもんではないか。うわ、『スター・ウォーズ』ファンが刺しに来そうだな。でもまあ、『スター・ウォーズ』ファンというのは、そういうところもわかったうえで愛でているのであろうから、心配せんでもいいかもしれん。いや、おれは『スター・ウォーズ』もポルノも嫌いじゃないですよ。あの音楽が鳴り出すだけで、無条件に心が“勃つ”よね。

 なんの話だかわからなくなってきたが、そういう無邪気な連中が世界を動かしていることに、すれっからしの中年おやじとしてはいささかの危うさも覚えないではないが、やっぱり痛快さのほうが先に立つね。イケイケドンドンって感じだ。梅田氏もたぶんそんなふうに感じながら、才能ある若い人たちを眩しく見ているんだろう。

 『ウェブ進化論』にいまいちピンと来なかった人には、むしろこちらのほうがお薦め。対談形式だからつるつる読めるし、あっちこっちに話が転がってゆくぶん、いろいろな刺激に溢れている。こういうのを読んでいると、おれはおれがおれの生まれたころに生まれたことがとてもラッキーに思えてくる。ものすごく面白い時代に生まれ合わせたもんだよ。明日どうなるかわからんってのは、このうえなく贅沢で面白いことだと思うんだがどうか? それとも、三百年も同じような社会が続いていたころに生まれたかったかい?



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2006年12月11日 (月)

『グーグル・アマゾン化する社会』(森健/光文社新書)

 “グーグル”だとか“アマゾン”だとかでIT関連本だと思って手に取ってもみない人がいたとしたら、ちょっともったいない。第1章のタイトル「多様化が引き起こす一極集中現象」というのが、この本の趣旨を端的に表わしている。“多様化”が“一極集中”を引き起こすとはそもそも矛盾した表現なのではないのか、それはどういう意味なのか……と、この章題を見てピンと来ない人は、この本を読む価値があると思う。ウェブを支える技術にではなく、ウェブ上での言説のやり取りや世論(に見えるもの)の形成プロセスなどに充分関心があり、そうしたことどもに関わる“事件”をウォッチしてきている人には、この章題が言わんとしていることがなんとなく直覚できるはずで、そういう読者にとっては、「こういう見かたもアリかな」くらいの本だろう。ひとつのパースペクティブから整理してくれているのはたしかだから、「とくにウェブが生活の一部になっているわけではない一般の人に説明するとしたら、こういうことになるのかもしれないが、なんかちがう」という違和感を抱えながらも、無駄な読書にはならないはずだ。梅田望夫の言う“あちら側”“こちら側”のコンテキストで説明するときには、どうしてもある種の違和感がつきまとうものだなあ。

 おれが思うに、本書で指摘されているような、ウェブというインフラがもたらした多様化(の表出)が逆説的に一極集中を招いている現象は、たしかに観察される。現時点に於いては、充分念頭に置いておくに足る優れた指摘であると思う。だが、現在は、まだまだ過渡期なのだろう。“Web 2.0 的”なインフラに根ざす現象というのは、“あちら側”で生活している人々のスコープにはたしかな実体のあるものとして入っている日常にすぎないが、世間一般的には、まだことさら話題にしなくてはならないくらいに新奇な話である。本書は、ウェブが社会インフラとなっている社会への一種の“警告”と誤解されかねない側面があり、また事実そのようにも読めるのだけれど、おれに言わせれば、まだまだウェブと社会学をリンクして論じるには、ウェブの充分な利用者の母集団が小さすぎる。たとえば、RSSの利用者ですら、まだ多く見積もって二割程度にしかなっていないのだ。

 おれは、母集団が充分に大きくなれば、この本が懸念しているような“多様化による一極集中”は、ずっと緩和されるのではないかと思っている。いまはまだ、充分に多様ではないのではなかろうか? “言語による情報収集や意見交換”というものに関する国民性というのも、おそらく無視できない要素としてあるだろう。どうもおれには、本書で指摘されているような“一極集中”の現象は、ウェブの利用者の母集団が充分に大きくないことと、異質な他者との言語によるコミュニケーションが未熟な日本社会の現状とがあいまって、一時的に観察されているにすぎない現象のような気がしてならないのだ。けっして、定性的にどうこうと、“いま”断じられるような状況ではない。ボーダーレスなウェブを論じている割には、どうも視点が日本というローカルな部分に留まっているところがあり、そのあたりがこの本の読みやすさでもあり欠点でもある。

 とはいえ、現時点での一面の説得力ある説明ではあるから、ジャーナリストの仕事として充分に優れていると思う。少なくとも、政治家やマーケターは必読でしょう。



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2006年12月 3日 (日)

手首を鍛える大人のトレーニング

Wii発売狂騒曲 転売目当てに行列 ブローカーの姿も (asahi.com)
http://www.asahi.com/business/update/1202/031.html

 2日朝、任天堂の新型ゲーム機「Wii(ウィー)」を求め、全国各地に行列ができた。もっとも、並んだのはゲームファンだけではなく、転売目的と見られる集団も目立った。人気ゲーム機発売のたびに目にする行列の中身は、ちょっと変わってきたようだ。

 転売目的のブローカーの頭を、あのコントローラーでどついてまわるゲームを発売したら売れると思うのだがどうか。

 それにしても、「Wii」ってのはヘンテコな名前だ。英語圏のメディアの報道を見ると、以前から口を揃えて“ヘンテコな名前”だと言っている。そう言わせるところが狙いなのかもしれないけど、たしかに英語的には、まずあり得ない綴りだよなあ。まあ、英語に合