カテゴリー「科学」の89件の記事

2008年7月18日 (金)

こういう会合には、ブルース・スターリングでも呼ばんとなあ

Scientists: Humans and machines will merge in future (CNN.com)
http://edition.cnn.com/2008/TECH/07/15/bio.tech/index.html

LONDON, England (CNN) -- A group of experts from around the world will hold a first of its kind conference Thursday on global catastrophic risks.
They will discuss what should be done to prevent these risks from becoming realities that could lead to the end of human life on Earth as we know it.
Speakers at the four-day event at Oxford University in Britain will talk about topics including nuclear terrorism and what to do if a large asteroid were to be on a collision course with our planet.
On the final day of the Global Catastrophic Risk Conference, experts will focus on what could be the unintended consequences of new technologies, such as superintelligent machines that, if ill-conceived, might cause the demise of Homo sapiens.
"Any entity which is radically smarter than human beings would also be very powerful," said Dr. Nick Bostrom, director of Oxford's Future of Humanity Institute, host of the symposium. "If we get something wrong, you could imagine the consequences would involve the extinction of the human species."

(中略)

"Nanotechnology will not just be used to reprogram but to transcend biology and go beyond its limitations by merging with non-biological systems," Kurzweil said. "If we rebuild biological systems with nanotechnology, we can go beyond its limits."
The final revolution leading to the advent of Singularity will be the creation of artificial intelligence, or superintelligence, which, according to Kurzweil, could be capable of solving many of our biggest threats, like environmental destruction, poverty and disease.
"A more intelligent process will inherently outcompete one that is less intelligent, making intelligence the most powerful force in the universe," Kurzweil writes.
Yet the invention of so many high-powered technologies and the possibility of merging these new technologies with humans may pose both peril and promise for the future of mankind.
"I think there are grave dangers," Kurzweil said. "Technology has always been a double-edged sword."

 今日、オクスフォード大学に諸分野の専門家が集まって、global catastrophic risks について話し合うカンファレンスを持っていたらしいのだが、その global catastrophic risks ってのが、SFファンの関心事そのものである。核テロが起こったらどうなるかとか、小惑星が地球にぶつかってきたらどうなるかとか、人類の知性をはるかに凌ぐ能力を持った機械知性が現れたらどうなるかとか、べつに珍しくもなんともない話なんじゃないかなあ、SFファンにとっては。この種のカンファレンスは初だと記事は伝えているが、ほんとにそうなの? SFファンってのは、寄るとさわるとこんな話ばかりしているし、SFファンには本職の学者も多いのである。おんなじようなもんなんじゃないの?

 人類はいずれみずからを改造して機械と融合してゆくだろうなんてことを、いまさらのように言われてもねえ。しかもそれを“リスク”だと言われてもねえ。おれはそんなこと、リンゴが木から落ちるくらいあたりまえのことだと思ってたけどなあ。眼鏡や入れ歯となにがちがうというのだろう? それとも、“カタギの人”たちは、この期に及んで、人類と機械が今後融合してゆかないとでも、まだ思っているとでもいうのだろうか? そんなアホな。おれの貧しい見識に照らしてさえひとつだけ確かなのは、“人類というものは、できるようになったことは必ずやる”ということである。

 そういうわけで、この記事、SFファンにとってはちっとも面白くないのだが、Dr. Ray Kurzweil の言葉にだけは、「それは、きっとそうだろう」と頷けるものがある。グレッグ・ベアが、かつて似たようなことを言ってたよね。Kurzweil 博士曰く、"This will happen faster than people realize."

 そう、それはいままでも、常にそうだった。



| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年7月14日 (月)

『理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性』(高橋昌一郎/講談社現代新書)

 九年前に読んだ同じ著者の『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』が“アタリ”だったもんだから、今回のコレは、けっこう期待して読んだ。結論から言うと、やっぱり“アタリ”だな、これも。

 アロウの不可能性定理ハイゼンベルクの不確定性原理ゲーデルの不完全性定理と、社会科学、物理学、論理学が生んだ“これはそもそも無理ですから”という、三つの知の到達点を軸に議論を展開してゆく。いろんな分野の学者はもとより、会社員や運動選手といったパンピーも登場するソクラテス式の対話をフォーマットに議論が展開されてゆくので、難解な話になってもとても読みやすい。なんとなく、筒井康隆「マグロマル」の哲学版みたいだ。しばしば話に割り込んでは、カントに立ち返ろうとする“カント主義者”ってのは、「マグロマル」で言えば、さしずめ「ワシ、メシクテクル」ばかり繰り返しているガドガド人の役回りといったところだ。

 はっきり言って、本書で取り上げられている議論の多くは、思弁的なSFを好む人なら基礎教養として持っているような話ばかりである。つまり、逆に言うと、思弁的なSFを楽しみたい読者には、お薦めの良書だということだ。不可能性定理、不確定性原理、不完全性定理などに加えて、囚人のジレンマナッシュ均衡ラプラスの悪魔EPRパラドックスシュレーディンガーの猫パラダイム論チューリング・マシンなどなど、現代SF(とくにハードSF)を読むうえで必須のポピュラーなネタを、網羅的にわかりやすく簡潔に解説してくれている。すれっからしのSFファンにとっても、知識を整理したり、「こういう説明のしかたもあるのか」と改めて考え直したりするのには持ってこいの本だ。グレッグ・イーガンテッド・チャンがいまひとつわからない、楽しめないというSF初心者の方は、必読である。現代SFでポピュラーなネタをこれほどてんこ盛りに羅列して、シンプルに解説してくれている本はそうそうありません。理科系の人なら学生時代にどこかで触れるようなネタが多いだろうが、文科系の人にはてっとり早いお勉強に持ってこいである。

 「不可能性・不確定性・不完全性」と題していながらも、やっぱり著者の専門だから、ゲーデルの不完全性定理にはいちばん力が入っている。旧著『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』について、おれは「理論そのものを過度に単純化してわかった気にさせるくらいであれば、いっそ雰囲気だけをうまく伝えるほうがましであるというスタンスが明確だ」と評したが、本書では、ゲーデルの証明そのものにかなり深く突っ込んでいる。専門的な数学的記述を使わずに、ふつうの日本語で不完全性定理をこれほどわかりやすく説明した解説には、おれは初めてめぐりあった。むろん、これで不完全性定理を完全に理解したと思い込んではならないだろうが、少なくとも、どういうことをどういう方法で言おうとしているのかは、わかった気になれる。おれがもし、「不完全性定理ってなに?」と問われて説明しなくちゃならないような羽目に陥ったときには、本書の説明方法をパクらせてもらおうと思う。

 『ゲーデル 不完全性定理』(林晋、八杉満利子訳・解説/岩波文庫)にも述べられているように、ゲーデルの不完全性定理は、フィールズ賞受賞者の小平邦彦をして、「ゲーデルの定理を勉強したが、自分には難しかった。何とか判ったつもりだが、自信は無い」といった意味のことを語らせるほどのものなのである。おれもいろいろな一般向け啓蒙書や解説書を読んだが、数学的操作にかろうじてついてゆける程度であって、その意味するところがほんとうに心からわかったとはとても思えない。だもんで、新書一冊読んだくらいで不完全性定理を理解したと思い込むのは笑止千万であろうとは思うのだが、それでも本書は、じつにうまくゲーデルの証明の要諦を、日常言語で説明することに成功している。これは旧著『ゲーデルの哲学』を超えた成果だと思う。

 不完全性定理というと、なにやらすぐに“人間の知性の限界”といった話に過度に援用されてしまったりするのだが、じつのところ、上述の『ゲーデル 不完全性定理』や、存命中のゲーデルと会見した唯一のSF作家にして数学者、ルーディ・ラッカーInfinity And The Mind: The Science And Philosophy Of The Infinite によると、ゲーデル自身は、紛れもないプラトン主義者なのである。つまり、形式主義的数学を超えた次元で、数学的実体なるものがどこかに確固として存在しており、人間の知性にはそれを直覚する能力があると信じていたわけだ。不完全性定理を、過度にアナロジカルに、人文系の学問に援用したりすることの危険は、充分に認識しておくべきだろう。

 おれ自身、いつかは、この人類の知性のひとつの到達点を、心の底から“理解した”と言える日を迎えたいと思う。だが、哀しいかな、おれの頭脳では、いまひとつ心から“わかった”気がしないのである。老後には、こいつを徹底的に勉強したいと思う。死ぬまでには、わかりたいものである。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 2日 (水)

躍動する奔放な死体

Donors sign up to have bodies dissected, displayed (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/TECH/science/06/30/body.worlds/index.html

 おわわわ、こういうのは小林泰三さんとかがいかにも好きそうだなあ。

 死体の体液や脂肪をプラスティックで置き換える plastination という技術でもって、死体がそのまま展示物になるわけである。ただただフツーに埋葬されたり火葬されたりするよりは、死後、自分の遺体を人々の教育や啓発に役立てたいと、この死体展示会のために“ドナー登録”をする人が、北米で八百人、全世界で八千六百人もいるそうなのである。英語の苦手な方は、写真だけでも見てほしいが、いや、なかなかこれはすごいものですぜ。なんか、映画の『AKIRA』みたいだ。

 おれはあんまり人様の鑑賞に堪えるような身体をしているとは思えないが、その思想には共感できるものがあるな。おれはいかなる生気論的な立場も取らないので、死んでしまったら、遺体、というか、死体は、放っておけば腐ってゆくばかりの、ただの有機物の塊だと思っている。どうせなら、そういうものを役立てる方法があるなら、なんらかのカタチで役立てたいとも思っている。

 医者の卵のために献体するという手もあるが、多くの人の目に触れるという点では、自分の遺体の利用法としては、こういう“展示”という方法も、オプションのひとつに入れておいてもいいだろう。人体というのは美しいものだなあと見学者あるいは見物人を感嘆させることはできないだろうが、煙草を吸ってるとこんなふうになりますよ、酒を飲みすぎるとこんなふうになりますよという見本くらいにはなれるかもしれない。

 虎でなくても、死して身体を遺すテクノロジーがあることはあるわけだ。



| | コメント (14) | トラックバック (0)

2008年6月24日 (火)

「水と空気だけで発電し続けます」はないだろう

日経BPが永久機関の話にだまされちゃ困るだろう (Life is beautiful)
http://satoshi.blogs.com/life/2008/06/bp.html

 日経エレクトロニクスの愛読者として日経BPにはいろいろとお世話になっている私だが、今回のは完全なミスなので日経BPのためにも指摘しておきたい。こんな詐欺のような話は頭から無視すべきなのは明々白々。こんなくだらない話を記事にした記者には厳重注意を与えるべき。日経BPとしてこれ以上の権威失墜を避けるためにも、ここから先の報道は控えた方が良いだろう。できることならば、「なぜこの手の永久機関が不可能なのか」を丁寧に解説して、不幸にも誤解してしまった読者を救済すべき。

 これはじつにもっともな指摘である。アントニオ猪木ならともかく、天下の日経BPがこういう胡散臭い発表の片棒を担ぐかのような報道をするのはまずい。永久機関ではないと言っているにせよ(あたりまえだ、言っていたらそれこそトンデモだ)、中島聡氏の指摘するように、この会社も日経BPも、非常にミスリーディングなもの言いをしている。犯意があると疑われてもしかたのない発表のしかただ。

 おれとしては、“ニセ科学”の匂いがしたもんで、SFファン的野次馬根性で上記の中島氏の指摘や当該記事を興味深く眺めたのだけれども、どうもこれは“ニセ科学”というよりは、単なる“誇大広告”のようだ。それに日経BPが不注意にも乗せられてしまったということだろう。日経BPは善意の第三者(?)といった好意的な解釈もできようが、一企業の発表を内容も吟味せずウラも取らずにそのまま記事にしてしまうというあたりが、日経BPというブランドを背負っている記者としてはあまりに不注意だ。『探偵!ナイトスクープ』だって、それくらいのことはするぞ。『探偵!ナイトスクープ』がこんなネタをそのまま咀嚼もせずに取り上げたら、上岡龍太郎前局長なら怒って席を蹴って帰るよな。



| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月 5日 (木)

『DVD&図解 見てわかるDNAのしくみ』(工藤光子・中村桂子/ブルーバックス 講談社)

 うう~む。こ、これはすごい。もっと早く買っておけばよかった。

 ブルーバックスはブルーバックスなんであるが、本のほうはDVDのダイジェストみたいなもので、まず、いきなりDVDを観るのがいいと思う。それから本に目を通せばいい。これで千六百八十円は安い。ミニサイズのDVDが三枚付いていて(これは“付録”ではない。こっちがメインである)、最初多少DVDが取り出しにくいものの、それだけDVDをがっちり保護する厚紙を綴じ込んだ作りで、ふつうの新書となんら変わることなく、そのまんま安心して本棚に収納できる。

 おれもいままでいろんな科学書や科学雑誌や科学番組で、DNAのいろんな図解やアニメやCGを観てきたが、これほどの躍動感に打たれたものは初めてだ。DVDを観て呆然としてから、本書の「メーキング編」を読んで合点がいった。タイトルに「図解」とあるが、これはそんじょそこらの“説明のための映像”ではない。むしろ、“映像による動く模型”とでも呼ぶのがふさわしい。著者(というか、製作者というか)らは、さまざまな論文を確認し、針金のモールや紙粘土と格闘しつつ、納得のゆく“動くDNA”の手応えを得るために、手で触れられるDNAや酵素の模型を構築しながら、このCG作品をものにしたのだ。「表現すると見えてくるものがあるということをこれまで以上に強く確信」したという。さもありなん。これは、『超時空要塞マクロス』『マクロスF』などでおなじみのメカニックデザイナー&監督・河森正治の方法論そのままである。河森は、絵ならなんでもできてしまうからといって、どう見ても動きそうにない、飛びそうにないメカをデザインすることを潔しとしない。手を動かして、手で触れられる模型を作りながら、映像のためのメカをデザインしてゆく。そうした作業の中から、動きに説得力と躍動感がある、あのバルキリーなどが生み出されたわけである。「SFは絵だねえ」という野田昌宏宇宙大元帥のお言葉もあるが、二十一世紀的には、もはや「SFは模型だねえ」というのが妥当なのかもしれない。最終的なアウトプットが絵や文章の作品であっても、実際に模型を作ったうえで描く・書くくらいのこだわりが、圧倒的な説得力を生むのかもしれない。

 腰巻で福岡伸一も絶賛しているが、いわゆる“岡崎フラグメント”の生成の繰り返しによってラギング鎖側のDNAが複製されてゆくようすなど、いままで観たことのないダイナミックな映像である。ああ、こんなのが高校生のころにあったなら、おれは道を踏み誤って(あるいは、道を踏み誤り損ねて)いたかもしれないなあ。

 先日、郵便受けにどこかの教会の信者勧誘用小冊子が入っていた。おれを知る人はご存じのように、おれは宗教心のカケラもない人間であるが、どんな手を使っておるのかなあと興味本位に読んでみると、もはや使い古された“眼のような精妙な器官が進化などでできたはずがない。誰かが設計したのだ。ダーウィンだって困っていた”という例の論を中心に話を展開していたので、「けっ」と苦笑してゴミ箱に放り込んだ。えーと、この進化論への反論(?)そのものをご存じない方は、『イリーガル・エイリアン』(ロバート・J・ソウヤー)でもお読みください。

 きっと、この教会の人がこのDNAのDVDを観たら、「ほら、こんな精妙な仕組みがひとりでにできあがったはずがない。神秘を感じるでしょう?」などと勧誘してくるにちがいないが、残念でした、おれはこういうものに“神秘”などカケラも感じない。むしろ、“神秘”などというわけのわからないものが関与していないことにこそ、“驚異”を感じる。妙な言いかたかもしれないが、そこに“謎”はあっても“神秘”など介入する余地もないほどの“ミもフタもない精妙さ”があることに、一種の神秘を感じないでもないけどな。もっとも、おれはそれを“神秘”などとは呼ばないが……。そう、それは、ただただ純粋な“驚異”であり、“感動”であるだけである。

 こんなにお手軽ですごいものが出ているのだから、高校・大学の先生方は、ぜひ活用してほしいね。授業や講義で使えなくても、せめて推薦図書くらいには入れておいてほしい。何十人か何百人かに一人の学生が、“生命の驚異”(“神秘”じゃないよ、しつこいけど)に打たれて道を踏み外して(あるいは、道を見つけて)くれるなら、千六百八十円など安いものだろう。

 こりゃ、現代のSFファンは必読(ちゅうか、必見)の作品でしょう。やっぱり映像のインパクトはすごいわ。わかった気になっていただけのことを呆然と再発見し、「おれは浅はかだった」と打ちひしがれちゃいましたね。



| | コメント (5) | トラックバック (0)

2008年6月 1日 (日)

♪惑星Eから~追放さ~れた~

Monkeys control robots with their minds (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/TECH/science/05/29/monkey.robots/index.html

(CNN) -- Scientists have trained a group of monkeys to feed themselves marshmallows using a robot arm controlled by sensors implanted in their brains, a feat that could one day help paralyzed people operate prosthetic limbs on their own, according to a study out Thursday.
Lead researcher Andrew Schwartz of the University of Pittsburgh said he believes it won't be long before the technology is tested in humans, although he predicts it will be longer before the devices are used in actual patients with disabilities.
"I think we'll be doing this on an experimental basis in two years," said Schwartz, professor of neurobiology at the university's School of Medicine.
The results were appeared in the journal Nature's online edition on Thursday. The arm is controlled by a network of tiny electrodes called a brain-machine interface, implanted into the motor cortex of the monkeys' brains -- the region that controls movement.
It picks up the signals of brain cells as they generate commands to move and converts those into directional signals for the robotic arm, which the monkeys eventually used as a surrogate for their own.

 おお、すげえなあ。だけど、こういうのを見ると、おれくらいの世代の人は、このサルに“ラー”と名前を付けたくなるにちがいない。

 将来的に、こういう技術の恩恵に身体障害者が与ることができるようになると、健常者以上に器用で力持ちになる可能性すらある。おれたちが子供のころに空想してたようなものが、もはやすぐそこまで来ているのだなあ。もうすぐ、生得的に持っているものを人工物が超える時代がやってくるにちがいない。そういう技術とどうつきあってゆけばよいのかも、そろそろ考えておかなくてはならないよなあ。むかしはこういう手術をするのには、600万ドルくらいかかったもんだ。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月21日 (水)

「光あれ」

ミサイル監視衛星も保有可能に 宇宙基本法が成立 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0521/TKY200805210132.html

 最初に聞いたときから思っていたんだが、それにしても「宇宙基本法」とは、どえらく大きく出たネーミングだなあ。

 きっと、「第一章 普遍定数 : 第一条 プランク定数、第二条 光速度、第三条 万有引力定数……」といった調子で、この宇宙のスペックがえんえんと“定めて”ある法律なのだろう。宇宙を作ってゆくときには、この法律に基いて設計せねばならないのだ。

 問題は財源だが、なんでも、空間税、時間税、質量(エネルギー)税などなどが裏でこっそりかかっていて、宇宙特定財源に充てられているという噂だ。どこの噂だ?



| | コメント (7) | トラックバック (0)

2008年5月19日 (月)

半回転の味

Kandzume01Kandzume02Kandzume03 おれは焼酎党だが、まあ、たまにはウィスキーもいいかと思って、ひさしぶりにコンビニでウィスキーを買ったわけだ。オーソドックスにもほどがあるサントリー・オールドだけどな。で、そのオールドに、缶詰のおまけが付いてたのよさ。「さんまのしょうが煮」だ。おれはサンマも好きだから、これは都合がいい。

 で、家でそのおまけの箱をよく見てみたら、裏に「おいしい水割りのつくりかた」というのが書いてあった。おれはウィスキーを飲むときは、お湯割りかロックなので、水割りにすることはほとんどない。つきあい酒のときくらいのものだ。むかし筒井康隆も書いていたが、“水割り”というのはいかにもまずそうな呼称ではないか。

 それはともかく、まあ、家では水割りを飲まないおれではあるが、後学のために、「おいしい水割りのつくりかた」とやらを知っておいても損はなかろうと、一読して仰天した。こういうのである――

1.氷をたっぷり入れます。
2.ウイスキーを注ぎます。(2フィンガー)
3.水を足さずに13回転半かきまぜます。
4.氷を足します。
5.ミネラルウォーターをウイスキーの2.5倍注ぎ、3回転半かきまぜます。

 誰もが不可解に思うであろうが、この「13回転半」とか「3回転半」とかに、なにか意味があるんだろうか? 約十回転とか約三回転とかならまだわかるんだが、ここまで厳密に書いてあるからには、“半回転”かきまぜかたを誤っただけで味が変わってしまうほど、ウィスキーというのはデリケートなものであるらしい。そんな畏れ多い酒をコンビニで売っているというのもどうかと思うが、それにしてもなあ……。この「13回転半」とかは、たぶん“おまじない”みたいなもんなんだろう。「13回転半」ということになっていると知っている者同士で、コミュニティー感覚を醸成するための、符牒のようなものなのかもしれん。納豆は何回かきまぜたらいいかなんてのにも、諸説ありますからなあ。

 おれが思うに、食いもの・飲みもののレシピや作法とか、オーディオとか、武道・格闘技とかには、どう考えても“おまじない”としか思えない俗説が多々存在するようである。むろん、科学的に考えても納得のゆくことも少なくないけれども、“おまじない”的なものも同様に語り継がれているようだ。なんなんだろうね、あれは? なにもかも理屈で説明できるのは凡庸な段階であって、“真髄”とか“奥義”とかの世界になると、なにかしら神秘的なものを盛り込みたくなるということなのかな? こういうところにも、ニセ科学への入口が開いている。

 いやまあ、おれが浅学菲才であるばかりに、この「13回転半」に秘められたきわめて合理的・科学的な意味を読み取ることができないだけかもしれないということもあり得る。非科学的と一蹴するわけにもいかんかもしれない。

 そうそう、おいしい水割りを作ろうとする場合、ミネラルウォーターの瓶に、あらかじめ「ありがとう」と書いた紙を貼っておくのは、基本中の基本である。ゆめ、疑うことなかれ。



| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年5月10日 (土)

天然ウナギイヌ

爬虫類+鳥類+哺乳類=カモノハシ? (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/0509/TKY200805090094.html

 オーストラリアに生息する哺乳(ほにゅう)類のカモノハシは、アヒルのようなくちばしをもち、卵を産むが、体は毛で覆われ、母乳で子どもを育てる。この「世界で最も奇妙な哺乳類」のゲノム(全遺伝情報)を英米豪や日本の理化学研究所の研究員らでつくる国際チームが調べたところ、遺伝子も哺乳類、爬虫(はちゅう)類、鳥類の「パッチワーク」のようになっていたことがわかった。8日付の英科学誌ネイチャー(電子版)に発表した。
 約100人の研究チームが、カモノハシのメスの約1万8500個の遺伝子を調べたところ、オスのつめにある毒はヘビなどの爬虫類と同じたんぱく質だった▽性の決定にかかわる遺伝子は鳥類に似ている▽哺乳類の特徴である母乳をつくる遺伝子がある、といった特徴があった。研究チームの欧州生命情報学研究所のユアン・バーニー氏は「カモノハシは見た目と同じく、遺伝子も奇妙に混ざっていた」とコメントしている。
 進化の過程で、哺乳類が鳥類、爬虫類と共通の祖先から分かれたのは3億1500万年ほど前。カモノハシは約1億7千万年前にヒトと共通の祖先から分かれたが、鳥類、爬虫類の特徴を持ち続けたと考えられる。英オックスフォード大のクリス・ポンティング氏は「カモノハシのゲノムは、ヒトなどの哺乳類がどのように誕生したのかを探るうえでのミッシング・リンク(鎖の環(わ)の欠けている部分)だ」と指摘している。(香取啓介)

 結局、研究者も言っているように“見たまーんま”だったんだなあ。なんか、安心したと同時に、生物の驚異に改めて感じ入ったよ。よくこんな中途半端なやつがいままで生きてこられているもんだが、そこがやっぱり、オーストラリアやニュージーランドあたりの面白いところだよなあ。

 おれが前から不思議でしようがないのは、有名なカモノハシの生体電流感知能力である。あのクチバシにある感覚器で、餌になる小動物のきわめて微弱な筋電位による電場の変動を感知し、視覚がまったく役に立たない水中の泥の中でも獲物を捕えられるのだという。この進化の迷い子は、そのような能力を、遺伝的にはいったいどこから持ってきたのだろう? カモノハシになってから獲得したのか? 以前からゲノムに持っていたコードを、なんらかの形でカスタマイズして使いまわしているのか? 魚類には電場を感知する能力を持っているものは少なくないし、鳥類には磁場に敏感なものがいる。もっと下等な細菌にも、走磁性を持つものがあったよな。

 おれはなんの証拠もなく勝手に面白い方向に想像しているだけなのだが、カモノハシの電場感覚器は、ひょっとすると鳥類の磁場感覚器と遺伝的な起源を同じくしているのではなかろうか? なーんとなく、そんな気がしませんか? 「あ、DNAのこのへんのコーディングは、ちょっといじれば水中で電場センサーとして使えるやん!」などとカモノハシが考えたわけじゃもちろんないだろうが、突然変異と自然淘汰が結果的にそのようなカスタマイズを促したのやもしれない。鳥類は“それ”を地上での磁場センサーとして進化させ、カモノハシは“それ”を水中での電場センサーとして進化させた……んだとして、その“それ”が特定されたら、さぞや面白かろう。

 いやまあ、おれの言ってることは、あくまでワイルドな想像だけに頼った与太にすぎないから、こういうところをこそ分子遺伝学や分子進化学が科学的に解明してくれて、おれたち素人の酒の肴を増やしてくれるのを楽しみにしているのだ。

 それにしても、おれたち“ふつうの哺乳類”は、どうして電場や磁場に対する感覚を捨てちゃった(とも言い切れないけれども)んだろうねえ? 方向音痴のおれとしては、たいへんもったいないと思う。もっとも、そんな感覚を人間が持ったままでいたとしたら、エレクトロニクスの進歩は大幅に遅れたんじゃないかな? いや、あるいは、もっと速く進んだろうか? みんなが生まれつきファラデーやフレミングなのだ。

 まあ、いまのおれたちに、なにかの弾みで、突如、電場感覚や磁場感覚がよみがえったとしたら、“うるさくて”とても生活していられないにちがいないだろうけどねえ。



| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月27日 (日)

「ひので」と『サイエンスZERO』

 今回の『サイエンスZERO』(NHK)、お題は「ここまで見えた 知られざる太陽」。一昨年秋に打ち上げられた太陽観測衛星「ひので」からのデータが着々と予想以上の成果を挙げているようすを紹介していた。思えば、二〇〇六年、「ひので」が送ってきたばかりのデータを紹介していたこの番組も、ナビゲータは二人とも変わってしまっている。彼らの記憶に小杉健郎の名はないかもしれないが、こうしてまた同じ番組で「ひので」の成果が紹介されるのであるから、お星様になった科学者もさぞやお喜びであろう。

 それにしても、今回は、内容の興味深さもさることながら、音楽が妙に懐かしかったぞ。吉川洋一郎『地球大紀行』からやら羽田健太郎『さよならジュピター』からやら、選曲したのはおれと同世代の人じゃないかな?



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月20日 (日)

片面にバターを塗ったトーストは、とても高いところから落とすと「マーフィーの法則」に従うか?

 ふと思い出したのだが、むかし、「マーフィーの法則」ってのが流行りましたなあ。中でもおれが好きだったのは、「トーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」(あるいは、「トーストは必ずバターを塗った面を下にして着地する」と言い習わされている)といったやつだ。まあ、“法則”というほど再現性があるかどうかは別として、悪い結果になったときのほうが、人間、印象に残るものだから、まるで法則のように見えるということなのだろう。そこいらへんの道路にはいつもタクシーが走っているのを見かけるようになーんとなくふだんは思っているのだが、いざタクシーを捕まえたいときにかぎって見つからないように思えるといった“印象のマジック”なのだな。

 で、トーストだ。なんでも、人間の身長くらいのところから片面にバターを塗ったトーストを落とすと、バター面を下にして落ちる確率は1/2を上まわると、物理的なファクターをいろいろ考慮して計算で導いた人がいるそうなんだが(ご苦労さまです)、実際のところ、どうなのかねえ? 人間の身長くらいの高さから落とすのなら、たしかに半回転して落ちる確率のほうが高そうな気はするんだが、それはバター面を上にして手に持っていることが多いという前提があってのことだ。トーストの耳を地表からの鉛直線に重なるようにして(つまり、トーストを縦にして)落とした場合、人間の身長くらい(実際には、胸から腹にかけての高さくらいが多いだろう)のところから落とすのなら、バター面が上になる確率も下になる確率も、ほとんど変わらんだろうと思う。

 ここまでは前振りである。では、すごく高いところから、片面にバター(マーガリンでもいいよ)を塗ったトーストを落としたとしたら、バター面を下に着地する確率はどうなるだろう――と、ぼーっとしているときにうっかり考えてしまったわけなのである。こういうことは、トイレでウンコきばってるときとか、風呂で鼻歌唄ってるときとかに、だしぬけに思いつくことが多い。

 そうだなあ、まあ、ざっくり一万メートルくらいのところから落とすとしようか。落としかたは、公平を期するために、やはり地面からの鉛直線にトーストの耳を揃え、“縦”に落とすことにしよう。

 最初、トーストはまっすぐ落ちてゆくだろう。が、バターを塗った面と塗っていない面とでは、空気の流れかたが多少ちがうはずである。非バター面では、トーストの表面に細かな凸凹があるため、空気の流れはうまくトースト表面近くを流れてゆくだろう。空気の小さな渦があちこちにできるだろうから、全体的に見ると、かえって空気はトースト表面に吸いつくようにスムーズに流れるはずだ。

 一方、バター面はつるつるしている。よって、空気の流れはトースト表面から少し離れ、そこに不規則に大きな渦ができたりするだろう。よって、バター面側は、トースト表面近くを空気が流れている非バター面に比べると、わずかに気圧が下がるのではなかろうか。となると、トーストは最初まっすぐ地面に向かって縦に落ちてゆくが、そのうちバター面側にカーブしはじめるだろう。

 すると、カーブしはじめたことによって、非バター面は空気の抵抗をもろに受けるようになり、落下運動そのものにブレーキがかかりはじめ、トーストは一気に非バター面を下にしてバター面側に「し」の字を描くように運動し、わずかに上昇すらするかもしれん。飛行機が失速したような状態だ。

 こうなると、トーストの両側の圧力差が急になくなり、そこからはまたまっすぐ落ちはじめ、充分速度を得るとトーストの両側にまた圧力差が生じて、カーブして失速する――ということを繰り返しながら落ちてゆくだろう。つまりトーストは、ちょうど木の葉がひらひらと舞い落ちるように、右へ左へと振動しながら落ちてゆくのではなかろうか。

 その過程全体を見ると、トーストが失速するときにはバター面側にカーブして失速するのだから、トーストのバター面が上を向いている時間の総計は、非バター面が上を向いている時間の総計を上まわるはずである。よって、当然、確率的には、着地時にはバター面が上を向いている確率のほうが高くなるはずだ。

 というわけで、充分に高いところから片面にバターを塗ったトーストを落とすと、バターを塗った面を上にして着地する確率のほうがずっと高くなるとおれは思うのだが、実際にはどうなるでしょうね? 『トリビアの泉』の特番かなにかで、百回くらい実験してデータを取ってくれないものかねえ? これは、空気はあるが無重量状態の場所でブーメランを投げるくらい興味深い実験なのではないかと思うがどうか。



| | コメント (8) | トラックバック (0)

2008年4月16日 (水)

生きた、書いた、死んだ

米国で著名ブロガー死亡相次ぐ 日本でも「ドクターストップ」発生 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/04/10018844.html

「ドクターストップ」がかかった著名ブロガーが国内にもいた。自身のブログのページビューが年間950万ほどにまで成長した経済学者の池田信夫さんは、
「プレッシャーはありますよ。月間100万アクセスを超えた辺りから、寝られない日が続き、医者にブログをやめろと言われて…。もう、どうしようもないコメントやスパムとかノイズが凄く飛んでくるんですよ。私はこういったものについて気にしない方なんですが、さすがにストレスになってきています」
と明かす。池田さんは、ストレスを抱えながらも、雑誌に掲載されるよりも社会的に影響力のある情報をいち早く掲載できるメリットがあるとして、ブログの運営は続けていく意向だ。

 うわあ、たいへんだなあ。まあ、池田氏は、アメリカの専業ブロガーとはちがって、学者としての情報発信に貴重な媒体だと意義を感じて運営なさっているんだろうから、ただただスクープを競ってブログで食っている人たちとはまたストレスの質がちがうだろうとは思うが、それでもたいへんだろうなあ。

 その点、ウチなんかは気楽なもんである。年間100万アクセスなんてのは夢の夢だ。せいぜい多いときで月間3万くらいだから、浮き沈みを考えると、ざっくり年間30万くらいか。楽しみでやっているものがストレスになってはたまらん。なんであれ、仕事にしちゃうとたいへんなのだ。

 ま、「人生の意味」を検索してやってくる人に、それは「42」だと答えているようでは、まちがったって年間100万アクセスにはならんと思うから、その点では安心だ。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 8日 (火)

約74日

 イリジウム192の半減期。人の噂よりは長期間放射線を出すようだ。

 というか、ふだんイリジウムを取り扱っている人たちも、きっと最初に「え~と、半減期はだいたい人の噂くらい」と覚えたのにちがいないぞ。

放射性物質盗まれる 防犯カメラに不審者 市原の検査会社 (東京新聞 TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008040802001924.html

 七日午前七時ごろ、千葉県市原市五井の検査会社「非破壊検査」(大阪市)京葉事業部の保管庫で、放射性同位元素イリジウム192を密封した容器(被害額約百三十万円)が無くなっているのを出勤してきた男性社員(66)が見つけた。
 非破壊検査によると同社は五、六の両日は休みだったが、五日未明、保管庫内の防犯カメラに容器を持ち出す不審な人物が写っており、市原署が窃盗事件として調べている。



| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年4月 6日 (日)

常識が覆った応急心肺蘇生法

Revised CPR method helps save Arizonans (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/HEALTH/conditions/03/31/moh.cpr/index.html

In a bold departure from standard practice, paramedics in most Arizona cities do not follow the guidance of the American Heart Association. Instead, they follow a protocol that was developed at the University of Arizona's Sarver Heart Center, largely by Dr. Gordon Ewy.
Even after cardiac arrest, Ewy said, there's enough oxygen in the body to feed the brain and keep a person alive for several minutes. But that air helps only if someone compresses the heart to circulate blood. In traditional CPR, rescuers alternate 30 chest compressions with two long "rescue breaths." Paramedics are trained to start by checking the airway, and insert a breathing tube at the start of resuscitation. These extra steps, said Ewy, waste precious time.
In Arizona, paramedics skip the breathing step when they begin to treat a cardiac arrest. They simply alternate two minutes of pumping on the chest -- 200 compressions -- with a single shock from a defibrillator.
Epinephrine, a powerful stimulant that jump-starts the body's vital systems, is given as soon as possible. Paramedics insert a breathing tube only if several cycles of shock and compressions fail to re-start the heart.
Ewy said the Arizona study, along with studies on bystander interventions in Japan and his own animal research, show that resuscitation without additional breathing is superior.
"In my mind, the evidence is overwhelming right now," he said.

心停止、とにかく胸押して 救急医ら調査、指針見直しへ (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0404/TKY200804040161.html

 心停止状態で倒れている成人を助けるには、胸を押し続けて圧迫するだけでも、人工呼吸を加えた方法と同じ蘇生効果があることが、日本の二つのグループの調査でわかった。調査を受けて米心臓協会(AHA)は、この「圧迫」を蘇生法として市民に勧める見解を発表。日本でも指針が見直される見通しだ。
 心臓発作などで倒れた場合、命を大きく左右するのは早期の心肺蘇生。蘇生法は、胸の真ん中を押す「胸骨圧迫」と人工呼吸を交互に行うのが原則で、海外でも同じ。ただ、第一発見者の多くはたまたま居合わせた人。他人に口をあわせる人工呼吸に抵抗感があるのが課題だった。
 ところが京都大の石見拓・助教や大阪府の救急医らの調査で、人工呼吸を省いても効果が変わらないことがわかった。調査対象は、98~03年に心臓病で心停止して倒れたが、近くに人がいた大阪府民の事例約4900件。倒れて1年後に、後遺症なく社会復帰できた率を調べた。

 先日、上のCNNの記事を読んで、90へぇくらいを叩いていたんだが、American Heart Association (AHA) のガイドライン見直しを受けて、日本のメディアも報道したようだ。CNNの記事にある“studies on bystander interventions in Japan”というのが、おそらく朝日の記事にある「京都大の石見拓・助教や大阪府の救急医らの調査」なんだろう。

 要するに、急に心停止した場合には、血中には脳を数分間生かせるだけの酸素は溶けているのだから、人工呼吸に貴重な時間を費やすより、即、胸の圧迫に入って、とにかく血液を循環させることに集中したほうが、緊急の際には予後がよくなるということのようだ。言われてみれば、なるほどそうしたほうがよさそうだと素人にでも思えるんだが、なにしろ実験をするわけにはいかない分野だけに、こうした統計的な調査が威力を発揮する。

 何十万、何百万人に一人といった珍しい病気に関してならいざ知らず、心臓発作などといった、ごくありふれた症状に対する応急処置についてすら、二十一世紀になって常識が覆るんだから、まこと医学というのは奥が深い。ひょっとしたら、実際に医療の現場にいる人たち個々人には、「教科書や研修ではこう習ったが、どうも長年の経験に照らすと、ひょっとしたらこっちのほうがいいんじゃなかろうか?」と思っていることが、あれこれあるんじゃなかろうか? とはいえ、なにしろ人の命がかかっていることであるから、常識とされている手順を無視して、「こっちのほうがいいんじゃなかろうか?」と思っていることを軽々に実行するわけにはいかないのだ。下手すると、人体実験になってしまう。そのあたりが、ロゴスとプラクティスとが不可分である医学という分野の難しいところだよねえ。ジェンナーなんか、いまなら確実に訴えられますわな。おれたちが子供のころ偉人伝なんかで読まされた“自分の息子で実験した”という話はウソらしいが、自分の息子だろうが他人の子だろうが、結果オーライだったからまだよかったものの、やってることは人体実験そのものですからねえ。

 たぶん、ちょこっと未来の人たちは、いまのおれたちが中世の医術を語るような感覚で、「二十世紀には、道端で心停止して倒れた人に人工呼吸してたんだって。信じられねー」などと言うようになるのだろう。まあ、医学ってのは、もちろん科学としての理屈も大事だが、得られた経験則をすぐにでも利用して、結果として多くの人が助かりゃオーケーって面もある。それこそお釈迦様の毒矢の喩えじゃないけれども、ごちゃごちゃ議論している暇があったら、とっとと矢を抜くべき局面というのがあるだろう。

 CNNの記事は、こう続く――

Crystal Sorenson, a Glendale firefighter and medic for more than 20 years, experienced a vivid example last summer with the case of 48-year-old Daniel Lane. As she pounded his chest, Lane kept grabbing her wrist, struggling to look up. Each time she paused to deliver a defibrillator shock, "he'd let go and drop down, passing out."
A similar story inspired Ewy, who told CNN about a recording of a 911 call he heard several years ago, on which dispatchers guided a woman through CPR on her husband while she waited for paramedics to arrive.

 (これに似た話に、ユーイ博士ははっとしたのだった。彼はCNNに数年前に聴いた911の録音について語ってくれた。ある女性に、救急配車係たちが救急隊が到着するまでのあいだに心肺蘇生法の指導をしている録音である)

"After a while, she came back to the phone and said, 'Why is it every time I press on his chest, he opens his eyes, and every time I stop and breathe for him, he goes back to sleep?' " Ewy paused and gave a rueful laugh. "This woman in 10 minutes learned more about cerebral perfusion [getting blood flow to the brain] than we had in 15 or 20 years of CPR research."

 (「しばらくして彼女は電話口に戻ってきて言ったのです。“夫の胸を圧すたびに彼は目を開け、人工呼吸のために圧すのをやめるたびに意識を失うのはどうしてなの?”」 ユーイ博士は少し間をおいて、悔しそうに笑った。「この女性は、脳灌流(脳への血流確保)について、われわれが心肺蘇生法の研究で十五年、二十年とかけて学んできた以上のことを、十分間で学んだのです」)

 夫を救いたいと必死で応急処置をする妻が、その修羅場で発見したことについて、このように言える謙虚な研究者というのも、またすごいと思う。この rueful laugh は、「これにもっと早く気づいて人々に知らしめていれば、もっともっと多くの人を救えたものを、わしゃ大学のドクターでございと、いったいいままでなにをしとったんだろう……」という心持ちの laugh なのだろう。



| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年4月 5日 (土)

責任者、吸い込んだろか

謎の深海生物「オオグチボヤ」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/komimi/TKY200803260301.html

 生態がほとんど知られていない深海生物「オオグチボヤ」が富山県魚津市の魚津水族館で、展示された。今後、水温2度以下で飼育・展示して、観察を続ける。
 このオオグチボヤは、体長約7センチ。地元の漁師が3月19日、同市青島沖の水深450メートルに仕掛けた刺し網にかかったポリ袋に付着していたのを見つけて、同館に持ち込んだ。
 オオグチボヤは、ホヤの一種。雌雄同体のゼリー状で、大きな口をあけたような姿。米国・モントレー湾やチリ沖、相模湾、富山湾、佐渡沖などで発見されているが、群生地が確認されているのは富山湾だけとされている。生きた状態での捕獲が難しく、謎の多い生物といわれる。

 「オオグチボヤ」という文字を見たとたん、どこかのマッドサイエンティストが京唄子人生幸朗の遺伝子を組み込んで造り出した世にも禍々しい怪生物の姿がおれの脳裡をよぎったのだった。

 「ポリ袋に付着していたのを見つけて」って言うけどさ、ほとんどポリ袋じゃん、こいつ。さすが漁師さん、よく見逃さなかったもんだなあ。なんの道によらず、プロフェッショナルというのはすごい。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月20日 (木)

映画『楽園の泉』?

 そういえば、十年以上前にこんな文章を書いていたのを思い出した。『楽園の泉』を映画化するとしたら、このカットはぜひ実現してほしいんだよなあ!

 クラークの訃報を聞いたときに、なぜかヴァニーヴァー・モーガンの最期が脳裡に浮かんでしまった。あの、アラームが虚しく鳴っているシーンね。

 なんか、意外な人が『楽園の泉』に言及しているんで、ちょっとびっくりした。名作というのは、こういうものなのですなあ。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

アーサー・C・クラーク死去

Sir Arthur C. Clarke (1917-2008) (SFWA)
http://www.sfwa.org/news/2008/aclarke.htm

Obituary: Sir Arthur C Clarke (BBC NEWS)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/2358011.stm

SF作家のアーサー・C・クラーク氏が死去 (asahi.com)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0319/TKY200803190065.html

Author Arthur C. Clarke dies (CNN.com)
http://edition.cnn.com/2008/SHOWBIZ/books/03/18/obit.clarke/index.html

Arthur C. Clarke, 90, Science Fiction Writer, Dies (The New York Times)
http://www.nytimes.com/2008/03/19/books/19clarke.html

Space Odyssey author dies (Al Jazeera English)
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/A2827CF5-BB28-4FF1-BE69-75A67ACFD1AA.htm

Clarke sur orbite (Le Monde.fr)
http://passouline.blog.lemonde.fr/2008/03/19/clarke-sur-orbite/

Weltraum-Visionär Clarke gestorben (ZEIT online)
http://www.zeit.de/online/2008/13/clarke-2001

 いつかはこの日が来るだろうとSFファンはみな頭ではわかっていたはずだ。「次はクラーク」などと失礼にも冗談のネタにしたりすることはしばしばあったが、なぜか心情的には“この人は死なない”と確信していたからこそ、そのような冗談も気安く口にされたのだろうと思う。とはいえ、アーサー・C・クラークの肉体はその機能を停止した。それは事実なのである。世界の“ミスターSF”“SF作家の代名詞”は、ついにおれたちを後にした。これからは、クラークのいない世界で暮らさねばならないのだ。残酷な現実ではあるが、クラークなら、それを受け止めて進め、とおれたちに言うにちがいない。

 クラークにはさまざまな思い入れがあるが、故人となった偉大なヴィジョナリーを偲んで、あえて個人的な感慨を述べることを許していただきたい。おれがクラーク作品の最高傑作として挙げるなら、やはり『楽園の泉』『宇宙のランデヴー』である。だが、どの作品が“好きか”と言われると、おれはあえて『遥かなる地球の歌』を挙げる。なんかね、好きなんだよ、この作品。

 おれが The Songs of Distant Earth をペーパーバックで読んだのは、大学生のころだ。ちょうど、2010: Odyssey Twoを読んでから、映画化されたのを観にいって、「いやあ、ブンガク的なSFもいいけど、やっぱクラークは最高だなあ」と思っていたころに、The Songs of Distant Earth を読んだわけで、そりゃもう、クラクラ来ましたよ。どうしてこんなにカクカクした“科学的事象”を描写するだけで、読む者に poetic な感動を与えるのか、クラークはおれが思っている以上に名文家であり、おれが思っている以上に偉大な文学者なのではないかと、その文章の秘密を分析していたころだ。もうね、The Songs of Distant Earth にはノックアウトされちゃいましたね。科学と詩情というものは両立し得るのだという感動だ。よもや、後にその邦訳文庫版の解説を自分が書く運命が待っているとは、想像だにしていなかった学生時代のいい思い出である。

 クラークの作品は、最先端の科学理論や工学技術を面白おかしく組み合わせては、鬼面人を驚かすものでは断じてない。むしろ彼は、ともすると陳腐とすら映りかねないアイディアも、それが合理的であれば、意に介さず重ねて使うタイプの作家である。科学的アイディアのけれん味でクラークを凌ぐSF作家の名を挙げるのは容易だろう。
 それでもなお、アーサー・C・クラークの“SF作家の代名詞”たる評価が毫も揺らぐことがないのは、本来科学の持っていた素朴な驚異や感動をみずからの血肉と化している点において、彼の右に出る者はそうはいないからだ。彼にとって科学とは、電波望遠鏡や電子顕微鏡といった取捨選択可能なツールなのではなく、驚異に見開いたり感動に涙したりできる、生身の目そのものなのである。だからこそ、それ自体は無味乾燥な科学的ディテールを彼が淡々と語るとき、あたかも高僧の口から出た念仏が仏像と化すがごとく、それらはそのまま詩となり歌となってわれわれの心を打つ。このあたりが文科系の読者にも広く愛される理由なのであろう。われわれは、絶対音感を持ったメロディ音痴が譜面どおりに弾いてみせる科学論文が読みたいのではない。宇宙が暗く冷たいことを知っている科学の詩人が奏でる、“遥かなる地球の歌”に聴き惚れたいのである。
――『遥かなる地球の歌』(ハヤカワ文庫SF)解説:冬樹蛉

 クラークの偉大なところは、おれのような文科系の読者に感動を与えただけではない。理学・工学系の読者には、実際に「いつかこういうものを実現してみたい」というヴィジョンを与えたのである。そりゃもうね、実際に“作る側”に回った人々が、いかにクラークの影響を受けているかということを、おれはSFギョーカイの片隅を汚すようになって、つくづく思い知った。SF作家にしてからが、野尻抱介林譲治小林泰三小川一水といった人々は、クラークがいなかったら、いまここにいないのではないかと思う。

 きっと、これからの千年、二千年のあいだに、人類は、もっと遠くへゆくだろう。ずっと、遠くへゆくだろう。そして、見知らぬ惑星の上に立った人々が、こんな会話を繰り返すにちがいない――

 「こんなところに自分が立っているだなんて……なんだか信じられない気持ちだ」
 「その気持ちを誰にいちばん伝えたいですか?」
 「……アーサー・C・クラーク。あなたがいたからこそ、いまボクが、ここにいるんだ」



| | コメント (6) | トラックバック (1)