カテゴリー「犯罪」の83件の記事

2010年11月11日 (木)

尖閣映像を漏らした主任航海士は、正しく懲戒免職にしてあげなくてはいけない

ビデオ流出 「逮捕しないで」海保に電話やメール相次ぐ (asahi.com)

http://www.asahi.com/national/update/1110/OSK201011100082.html

 ビデオ映像の流出問題をめぐり、第5管区海上保安本部には10日、午後2時までに約300件の電話やメールが届いた。神戸海上保安部にも同日午後7時までに約120件の電話と約240通のメールがあったという。

 5管と神戸海保の関係者によると、「(流出への関与を告白した海上保安官は)間違ったことはしていない」「逮捕はしないでほしい」「(流出行為の)犯人捜しをやめてほしい」といった保安官を激励する内容がほとんどで、批判や抗議は少ないという。

 おれもいままでこのブログで、自分のことを棚にあげてずいぶんと世の嘆かわしきことどもについてぼやいてきたが、これはもう、近来稀に見る嘆かわしさである。というか、このところ起きたどんな事件よりも、「日本という国は、ほんとうにやばいのではないか」と背筋が寒くなった報道である。

 「間違ったことはしていない」――って、しとるわい! 海上保安官は国家公務員じゃ! 職務上知り得た秘密を勝手に公開していいはずがなかろう。明々白々たる国家公務員法違反だ。それは、阿呆な政府が最初から公開すべきものを秘密にしたということとは、まったく関係がない大罪である。これがどれくらい度し難い犯罪かというと、国民が選挙で選んだ人々よりも、たかが試験に受かっただけの公僕風情のほうが、より本質的に“正義”を行う能力があるし、そうしてもよいのだと勘ちがいしている点において、民主主義をその根幹から否定する大罪である

 「逮捕はしないでほしい」――って、アホか、犯罪者なのだから、逮捕されてもしかたがない。ましてや当該の犯罪者は、国家公務員の職務上の権限で知り得た、ほかのどんな秘密をさらに公開するかわかったものではない状況である。それはあなたの個人情報であるかもしれないし、国益を著しく損じる防衛上の機密かもしれん。“おれの正義”がなにものにも優先するという思想の持ち主であることは容易に推測されるからには、一刻も早く身柄を拘束すべきだ。

 「犯人捜しをやめてほしい」――めでたいやつだ。将来、おれがあんたの大事な人を殺したり、財産を奪ったりしたときにも、同じように警察に嘆願してもらいたいものである。

 そりゃあ、国家公務員が、そのときどきの阿呆な政府のやることに不満を抱くこともあろう。だが、それは国家公務員という職業に当然伴なう不満である。それが厭なら、国家公務員になどならねばいいだけの話だ。国家公務員として禄を食み、その名誉に浴して生きてきたのであれば、その不満を抱えつつも、公僕としてあるべき行動を取るのが当然のことである。

 おれがもし、なにかのまちがいで国家公務員であって、今回のいわゆる“尖閣映像”を入手できる立場にあったとしたら、おれはきっと以下のように行動する。

  (1)実名と職業・立場をあきらかにし YouTube に投稿する。

  (2)投稿した旨を Twitter でツイートする。

  (3)映像の情報が充分にゆきわたり、まず隠蔽が不可能な状態になったことを確認してから、職場への辞表を投函する。

  (4)最寄の警察署に出頭し自首、自分のしたことをつぶさに包み隠さず報告し、捜査の手間を省く。

  (5)予定どおり辞表は受理されず、自分が懲戒免職になることを従容として受け止め、懲戒免職してくれたことに「ありがとうございました」と頭を下げる。

 これが、おのれの信ずる義によって法を冒そうとする国家公務員の正しい行動だろう。国家公務員の身分であることで得られるおいしいとこ取りをしつつ、正義の味方ごっこをしようとするのは、ただ意地汚いだけであり、義士の行動ではない。国家公務員が義憤によってその身分にあるまじきことを行なおうとする場合は、叛逆者、国賊のそしりをあまんじて、否、すすんで受けてこそ、その行動には価値があると言えよう。

 今回情報を漏洩した主任航海士はきちんと逮捕し、懲戒免職にすべきである。こうした思想の持ち主を、二度と国家公務員にしてはならない。かえすがえすも残念なのは、この主任航海士が、みずからの職を賭して最初から堂々と実名で犯罪を行わなかったことである。おれはやはり、田母神俊雄元航空幕僚長を批判したのとまったく同じ考えかたで、この主任航海士を批判せざるを得ない――「しかし、田母神氏もあんまり褒められたもんじゃない。そんなふうに思いつつ面従腹背を続け空自のトップにまで昇りつめるというのは、サムライとして潔くないのではないか? 退職金が欲しかったからだとしか思われない。あなたがほんとうのサムライならば、とっとと自衛隊を辞めて、そのような言論活動を以て、世間に自分の思想をぶつけるのが本筋であったはずだ。退職ギリギリになって、鬱憤を晴らすかのように開き直るのは、サムライらしくない。あんたも卑しい」

 でもまあ、いつかどこかで、罪を償って社会復帰したこの元主任航海士に会うようなことがあれば、おれはひとこと言ってやりたいな――「あのときは、よくやってくれた」




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2010年9月30日 (木)

エースをねらえ!

♪法廷(コート)では 誰もがまぬけ まぬけだけ
 私の証拠も 私の筋書きも
 みんな鵜呑みにしている

 きらめく嘘が走る プロパティが変わる
 記者クラブの 家畜に餌やり
 私は飛ぼう 黒い正義になって

 リーク 捏造 保身 ベストをつくせ
 エース エース エース エースをねらえ

 法廷(コート)では いつでもアホが だまされる
 私の地位も 私の力も
 みんなわかってくれてる

 なぞめく話が漏れる 記者どもが群れる
 この国は 私が守る
 私は飛ぼう 愚民ども操って

 リーク 捏造 保身 ベストをつくせ
 エース エース エース エースをねらえ

 きらめく嘘が走る プロパティが変わる
 記者クラブの 家畜に餌やり
 私は飛ぼう 黒い正義になって

 リーク 捏造 保身 ベストをつくせ
 エース エース エース エースをねらえ


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2009年11月16日 (月)

逃げる夢をしばらく見ない

 イギリス人英会話講師の死体を遺棄して指名手配され、先ごろ捕まった市橋達也容疑者関連のニュースを多く目にするせいか、近ごろまたおれの中の不思議な感情を意識せざるを得なくなっている。もしかすると、おれに限ったことではなく、万人の中にある感情なのかもしれないが……。

 あのですね、あなた、“逃亡者願望”みたいなものないですか? “願望”というと語弊があるな。なんちゅうかその、自分はいつかどこかで逃亡者だったことがあり、そのときのことがなにか懐かしく思い出されるといった、自分の知らない過去だか未来だかの記憶だ。ときどき夢にも見たりする。自分がなぜ逃げているのか、追っているのは誰なのか、そういったことはまったくわからないのだが、とにかくそれは空想とかではなくて“記憶”だといった感じだ。もしかするとおれは、なにかとても悪いことをしでかして追われているのかもしれず、あるいは、おれひとりがまともなので、まともでない世間全体に追われているのかもしれない……そういう夢である。そんな夢を見たときは、けっして不快じゃなく、なにかとても懐かしい感じに触れたようで、癒される感じすらあるのだよな。どうです、そんな感じないすか?

 こういう“感じ”は、かなり普遍的なものなんじゃないかとすら、おれは思う。筒井康隆「走る取的」を初めて読んだときに、「ああ、おれ以外にもこういう“感じ”を持っている人がいたのだ」と驚愕すると同時に、心底怖くなった。話そのものが怖いというのではない(まあ、かなり怖いが)。あの話はむしろ“懐かしい”。“あの感じ”を余すところなく言語で表現し得ている生身の作家が同時代に実在することに怖くなったのだった。

 おれは最近こういう“自分が逃亡者である”という設定(?)の夢をしばらく見ていない。それがなんだかもの足りない感じすらする。自分が過去のいつかどこかで追われていた記憶、あるいは、未来のいつかどこかで必ず追われることになるといった確信のようなものは、おれの中に否定し難くずっとあって、折に触れてそれを“思い出す”ことで、おれは癒されたいと思っているのかもしれない。

 市橋はむろん卑劣な犯罪者であって、それを認める気などまったくないのだが、彼の二年七か月にも及ぶ逃亡生活に、なんだかわけのわからない“羨望”のようなものを感じたりしないだろうか? おれの中にはたしかにそういう感情があるのが、じっくり内省するとわかる。そしてそれは、おれだけが持っている不条理な感情なのではなく、あなたの中にもある、なにやら不可思議な過去あるいは未来の“おもいで”なのではないかという気がしてならないのである。

 むかし、はたまた、これから、なにものかに追われている自分が、おれはひどく懐かしい。

 そうそう、初めて「走る取的」を読んだとき――取的に駅の便所に追いつめられている“自分”を感じたとき、おれは、芥川龍之介「トロッコ」をなぜかとてもよく似た話として連想した。つまり、ああいう奇妙な“懐かしさ”のことを言っているのよ、おれは。うまく表現できないけどさ。誰しも、取的に追われたこと、暗くなってゆく線路の上をひとり必死で走ったことがあるはずなのだ。そして、これからもあるはずなのだ。



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2009年8月19日 (水)

離散コカイン変換

90 percent of U.S. bills carry traces of cocaine (CNN.com)
http://www.cnn.com/2009/HEALTH/08/14/cocaine.traces.money/index.html

(CNN) -- The term "dirty money" is for real.
In the course of its average 20 months in circulation, U.S. currency gets whisked into ATMs, clutched, touched and traded perhaps thousands of times at coffee shops, convenience stores and newsstands. And every touch to every bill brings specks of dirt, food, germs or even drug residue.
Research presented this weekend reinforced previous findings that 90 percent of paper money circulating in U.S. cities contains traces of cocaine.
"When I was a young kid, my mom told me the dirtiest thing in the world is money," said the researcher, Yuegang Zuo, professor of chemistry and biochemistry at the University of Massachusetts Dartmouth. "Mom is always right."
Scientists say the amount of cocaine found on bills is not enough to cause health risks.
Money can be contaminated with cocaine during drug deals or if a user snorts with a bill. But not all bills are involved in drug use; they can get contaminated inside currency-counting machines at the bank.
"When the machine gets contaminated, it transfers the cocaine to the other bank notes," Zuo said. These bills have fewer remnants of cocaine. Some of the dollars in his experiment had .006 micrograms, which is several thousands of times smaller than a single grain of sand.


米国内の紙幣、9割にコカイン付着 米大が調査 (asahi.com)
http://www.asahi.com/international/update/0819/TKY200908190048.html

【ワシントン=勝田敏彦】米国内で流通している紙幣の90%近くに麻薬のコカインがわずかに付着していることが、米マサチューセッツ大ダートマス校の調査でわかった。2年前の調査に比べて約20ポイント上昇しており、薬物汚染が依然、深刻であることが背景にあるとみられる。ワシントンで20日まで開かれている米化学会で発表した。
 研究グループは米国、カナダ、ブラジル、中国、日本の5カ国計30都市で使われている紙幣を調査。米国とカナダ計261枚の調査では、大都市を中心に85~90%にコカイン付着が見つかった。今回、日本と中国の紙幣からも初めて見つかり、日本では16枚の調査で12%、中国では112枚の調査で20%だった。
 コカインは、密売や吸引の際に紙幣に付着したあと、金融機関で束ねられるときなどに他の札にも広がっているらしい。グループは、調査結果がコカインなど禁止薬物に対する市民の意識向上につながることを期待している。


 When I was a young kid, my mom told me the dirtiest thing in the world is money なあ……。おれもまったく同じことを、子供のころに母親からも婆さんからも言われたよ。お金を触ったら必ず手を洗えと厳しく言われたな。

 それにしても、きゅ、九割!? 一読、おれは驚きマンモスだったが、ちょっと考えてみると、それほど不思議でもない数字かもなあ。

 たとえば誰かが、テレビドラマでやってるように、紙幣を丸めてストローのようにし、鼻からコカインを吸引したとする。そいつは、ことが終わると、紙幣を財布に戻す。紙幣の少なくとも片面にはコカインが付着しているだろうから、その紙幣と“濃厚接触”している紙幣にもいくらかはコカインが移り、汚染紙幣は二枚になる。これを第一日めとしようか。紙幣は一日に一回、持ち主を変えると仮定しよう。

 すると、汚染紙幣は毎日倍に増えてゆく。一枚あたりに付着するコカインはどんどん減ってゆくだろうけれども、それでも三十日めには、汚染紙幣は一気に十億枚を超える計算になる。都市部などで、仮に第一日めに百人が丸めた紙幣でコカインを吸っていたとしたら、汚染紙幣は一千億枚。これが全部十ドル紙幣だったとしたら、一兆ドルぶんの汚染紙幣ができあがる。つまり、日本の年間一般会計予算を超える額の汚染紙幣が、最初の百枚からわずかひと月で作りだされ、流通することになるわけである。これはまあ単純すぎる概算だが、ざっくりこのようなことが起きていると考えても、そう大きく外れてはいないだろう。

 実際には、CNNの記事にあるように、金融機関の紙幣計算機で大量に汚染されるようだが、だとしたら、下手すると、上の概算よりもずっと効率よく汚染紙幣が生まれているのかもしれない。検出する技術の精度が上がれば、事実上、ほとんどすべてのドル紙幣には多かれ少なかれコカインが付いているなんてことにならないともかぎらない。なんだかなあ。酒井法子宅に残っていた覚醒剤の分量くらいのコカインなら、ちょっとした小金持ちがドル建て箪笥預金(?)をきれいに洗って、その水を煮詰めれば取れちゃうかもね。


 「おい、ジェイク! ちょっと来い」
 「へい、なんでしょう、兄貴」
 「おれの持っているコカインをいっぺんに百倍ほどにも増やす方法を思いついた。ちゃんと新聞に書いてある」
 「さっすがインテリの兄貴、新聞なんて読めるんですね。ホセのやつなんか、英語のろくに読めないのに」
 「英語“も”だ」
 「で、どうすればいいんでやんしょ?」
 「おまえいますぐ、できるだけ治安の悪そうな町に行ってな……」
 「へい」
 「これを一ドル札に両替してこい」



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2009年7月11日 (土)

準児童ポルノ

 おおお、な、なんといういやらしい画像だろう。こっそりあなただけにお教えしておこう。消されないうちにダウンロードすることをお勧めする。いい歳をした豊満な大人の女性が、性器を剥き出しにした全裸の二人の児童を戯れさせ、いやらしい笑みを浮かべならがそれを眺めている。この女性はそういう趣味なのだろうか。コーフンする。劣情を催す。これで二、三発は抜けそうだ。

 あ、しまった。リンクを張ってしまった。おれはもしかすると近いうちに逮捕されてしまうかもしれない。もし長期間更新が途絶えたら、おれはブタ箱にぶちこまれていると思ってください。しばしのあいだ、さようなら、みなさん。



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2009年6月27日 (土)

♪寂~しさに負けた~、いいえっ、タヌキに負けた~

寂しさに負けた…タヌキの置物何度も盗む 容疑者を逮捕 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0625/NGY200906250001.html

 陶器のタヌキの置物を盗んだとして、愛知県警豊橋署は25日、同県豊橋市多米町、無職木村修武容疑者(52)を窃盗の疑いで逮捕した、と発表した。木村容疑者は独り暮らしで、「寂しさから盗んだ。ここ1年で、10体のタヌキの置物を盗んだ」と話しているという。
 同署によると、木村容疑者は24日午後11時10分ごろ、同市内の会社員男性(41)方で、庭にあった全長約60センチの陶器のタヌキの置物(1万円相当)を盗んだ疑いがある。木村容疑者はこの置物を盗んだ後、さらにタヌキの置物もう1体を盗もうと戻ってきたところを、男性に見つかり、110番通報で駆けつけた同署員が逮捕した。
 木村容疑者が、なぜタヌキの置物を狙っていたのかは不明で、同署員は「(木村容疑者は)タヌキマニアなのかもしれないが、よくわからない」と話している。

 まあ、先日の「ヘビの散歩」のおっさんだってそうだけど、はっきり言って、どこか“病んでる”よなあ、この人たち。だが、病んでいるがゆえに、そりゃ犯罪はいかんけれども、どうもその、そこはかとない惻隠の情というか、けっして人ごとではないなにかを感じて、妙にいとおしくなってしまうことも事実である。いやそりゃ、犯罪者ですよ。でも、悪い人じゃないような気がしちゃうんだよねー。

 これが仏像かなにかなら、オーガナイズされた組織犯罪の匂いみたいなものがして、とたんに関心が失せるのだが、タヌキの置物ってとこがしょぼくていいじゃないすか。“業”のようなものを感じる。おれもいつの日にか、カエルの置物の連続窃盗犯として逮捕されるところまで壊れてしまうようなことがないとは言えない。

 もしそういうふうにおれが壊れてしまったら、おれの友人・知人の方々にはお願いがある。「まさか、あんな真面目そうな人がこんなことを……」みたいな薄っぺらなことは、けっして言わないでほしい。え? べつに頼まれんでも言いませんかそうですか。でもまあともかく、「ああ、とうとうやりおったですか。そのうち、なんかやるんやないかと思うてました」くらいのことを言って、マスコミを喜ばせてあげてほしい。え? べつに頼まれんでも、そういうふうに言いますって? いやあ、嬉しいね、そりゃ。さすがおれの友人・知人だけのことはある。いつ壊れても安心だ。じゃあ、頼みましたよ。

 ここまで壊れたかないけどねえ……。



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2009年5月 5日 (火)

逮捕せんか~!

 と、日本中の人が大声でツッコんでいるのが聞こえるようだ。

愛知県警・守山署副署長が飲酒運転容疑 任意で取り調べ (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0505/NGY200905050001.html

 愛知県警は5日、守山署の小川直哉副署長(54)が同日未明、名古屋市守山区内で酒気帯び運転をしたとして、道交法違反容疑で任意で取り調べていると発表した。小川副署長は豊田署交通課長、県警交通安全教育推進室長を経て現職。県警によると、「何でこんなことをしてしまったかわからない。申し訳ない」と話しているという。
 監察官室の発表によると、小川副署長は同日午前2時ごろ、同区内の飲食店から自家用の乗用車を運転して署の駐車場に戻ってきたところ、署員が酒のにおいに気づき、飲酒運転がわかった。呼気中のアルコール濃度は、道交法の違反点数がより重い基準値(0.25ミリグラム/リットル)を超えていたという。
 小川副署長は4日午後6時半から5日午前0時まで、知人らと署の近くの飲食店で酒を飲み、徒歩で官舎に戻った後、1人で署の駐車場から車で再び飲食店に出かけて戻ってきたところだった。飲酒運転したのは、署と2軒目の飲食店の往復約3キロ。1軒目で焼酎の水割り3杯とビール2本を飲んだと話しているという。
 加藤僚首席監察官は「飲酒運転の絶無を期しているなか、警察幹部が飲酒運転をしたことについてはまことに申し訳なく思う。事実に基づき厳正に対処する」とのコメントを出した。

 昨今の警察の基準では、こういうのは現行犯逮捕して、ひと晩拘留し、尿検査したうえで家宅捜索するべきだろう。署員が目の前で見てて、呼気検査で違法な数値が出たんだろう? な~にが「任意で取り調べ」だ、ふざけるんじゃない。逮捕していないから、マスコミも“小川直哉容疑者”と呼ぶことができない。うまくしたもんだ。

 加藤僚首席監察官とやらは、「警察幹部が飲酒運転をしたこと」だけじゃなく、やたら身内に甘い警察の体質に関しても「まことに申し訳なく思う」べきだ。



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2009年4月25日 (土)

おれはすげー犯罪者であるかのような気がしてきた……

 いやあ、しかし怖ろしいよなあ。公然わいせつの疑いで家宅捜索などという世にも珍しい話をごく最近聞いた。疑いもなにも、草なぎ(「なぎ」は弓へんに剪)クンの場合は、現行犯なんだろう?

 仮におれがなにかをしでかして、XXXXの疑いで家宅捜索された場合、おおよそあらゆる罪に結びつけられそうな証拠物件が押収されることであろう。てゆーか、こんなブログを読んでるあなたの家もそうでしょう、きっと。



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2009年4月23日 (木)

おれを裁判員に選んだって知~らないぞ、知らないぞ

 裁判員制度の開始まで一か月を切ったということで、またもやにわかにいよいよ是非の論議が盛り上がっているみたいだが、是非もへったくれも、もうやることになっちゃったんだから、どうしようもないわな。さいわい、おれのところにはまだ赤紙(?)は来てない。というか、来ても言っちゃダメなんだっけ。来てないと言うのはいいんだろ?

 「私は法律の知識なんかないし、裁判員なんかにさせられても……」といったコメントをする人がけっこう多いのだが、そりゃ、みんなそうだわさ。法律にめちゃめちゃ詳しかったら、弁護士やら検事やらになってるよ。国がパンピーの常識と良識で判断しろと言っているのだから、法律の知識に乏しいことをこちとらが負い目に思う必要などない。無知な私のせいで罪もない人が重罰を課せられたらどうしよう──などと思うところが、よくも悪くも真面目な日本人だなあと思う。ふつう、無能なやつを採用したり抜擢したりしてろくな結果にならなかった場合、無能なやつが悪いのではなくて、そいつを採用したり抜擢したりしたほうが悪いのである。おれを裁判員などにしてしまった場合、どんなことになろうと、それはおれを選んだやつが悪い──と、割り切って考えられないのが、お人よしの日本人のいいところでもあるし、悪いところでもあるのだよなあ。だけど、裁判員に選ばれちゃった人は、「おれが他人の人生を、ことによると、生死を左右するのだ」などと、根を詰めて悩みすぎると、心身症になっちゃうよ。ある意味、おれたちは、ごくふつうに生きていても、その一挙手一投足が、他人の人生を左右しているのだ。考えすぎると、「生まれてすみません」状態になってしまう。「生まれてすみません」よりは、「生きてるだけで丸儲け」((C)明石家さんま)と思って生きてるほうが、人生なんぼかましだと思うよ。

 「経営陣がボンクラだから、おれたちがしっかりしなきゃ、お客さんに迷惑がかかる。おれたちが会社を支えているのだ」などと、自分に給料以上の使命感を課して身体壊しちゃう人とか、極端な場合は、過労死しちゃう人とかが少なからず出るのも、愛すべき日本人のいいところでもあり、悪いところでもあるよね。「当座はおれしかいないが、そんなもん、いざとなりゃ、べつにおれの代わりなんていくらでもいる」くらいに考えて、死なない程度に働くのがしあわせなんじゃなかろうか。なにしろ、経営陣の代わりだっていくらでもいるし、仮にあなたの勤め先が潰れたって、代わりはいくらでも出てくるのだ。あなたが公務員だってそうである。だけど、息子・娘としてのあなた、夫・妻としてのあなた、父親・母親としてのあなたの代わりはどこにもいない。優先順位の付けかたはおのずとあきらかであろう。

 おっと、裁判員制度の話からちょっと逸れたな。であるからして、おれは裁判員になんぞなりたくもないが、選ばれちまったら、それはそれでいたしかたないと思っている。選ばれちまったら、「おれが正義だ」くらいの心持ちで臨むつもりだ。たまたまおれの正義に合致する立法主旨の法律があればけっこうなことだし、おれの正義に反する法律があるのだとしたら、それは法律のほうがまちがっているのだと裁判員たるおれは思ってよいのだ。文句あるか。

 それはそうと、ミステリ作家の方々にとっては、この裁判員制度、けっこうおいしいかもしれないよね。裁判員全員が共謀する『裁判員制度殺人事件』なんてのは、誰でも思いつきそうだから早いもん勝ちだ。生まれてこのかた小さな村から一度も出たことのない老婆が裁判員に選ばれ町に出てゆくのだが、彼女にはじつはとてつもない推理の才能があって、本職の法律家をも唸らせる冴えた論理で裁判員たちをことごとく納得させ、誰も想像だにしなかった真相を暴く──な~んて話も出てきそうだ。じつは、偶然にも真犯人は裁判員の中にいた──なんてのも面白そうだな。人間の心理を手玉に取る才能に恵まれているやつが裁判員の中にいて、どう考えても無実の人間を、そいつの弁舌と手練手管で死刑に追い込む“触媒殺人”なんてのもアリかもしれない。う~む、アガサ・クリスティは偉大だねえ。

 なに? 不謹慎だ? だーかーらー、なにもあなたが全宇宙を背負うことなどありませんって。あなたがどんなにいいかげんでもボンクラでも一般常識程度の法律を知らなくても、それは選んだやつが悪いんだから。



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2009年4月17日 (金)

その“鈍器”が見たい

女子高生が鈍器で殴られ、かばん奪われる 堺市の路上 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0417/OSK200904160059.html

 16日午後10時25分ごろ、堺市南区桃山台4丁の路上で、自転車で帰宅途中の高校2年の女子生徒(17)から「強盗被害に遭った」と110番通報があった。南堺署によると、前から歩いてきた男に鈍器のようなもので後頭部を数回殴られ、現金約7千円入りのかばんを奪われたという。生徒は軽いけがを負わされた。同署は強盗致傷容疑で逃げた男の行方を追っている。
 同署によると、男は25~30歳、身長約170センチ、黒色っぽい半袖Tシャツと白色っぽい長ズボン姿で、眼鏡をかけていた。硬い物が入ったスーパーの袋のようなものをすれ違いざまに振り回して殴りつけたという。

 出たな、謎の凶器“鈍器のようなもの”

 そもそも“鈍器”ってだけで十二分に曖昧な凶器なのに、さらに“のようなもの”がつくわけだから、読んでるほうにはさっぱりイメージが湧かない。「鈍器」というのは、広辞苑によれば、「鋭くないが重みのある刃物。また、刃のついていない棒状の道具」とある。そもそもがずいぶん曖昧な定義である。刃が鋭くない、あるいは、刃がついていないというところに意味領域のコアがあるようだから、言い換えれば、切ることよりも叩くことのダメージを目的としたなにものかということなのだろう。たとえば、靴下に砂を詰めたものなどは、充分に“鈍器”なわけだ。日本刀で峰打ちされた場合、それはやはり、殴られた痕を調べるかぎりは、“鈍器のようなもの”で殴られたということになるのだろうな。

 かねてより、あちこちで指摘されているのを見るのだが、はたして“鈍器”に“のようなもの”をつける意味があるのだろうか? 「鈍器のようなもので殴られた」というのは、「刃物のようなもので切られた」と言っている以上に曖昧な表現ではなかろうか。“切れる”からには、それは一般的に刃物と呼ばれるものそのものでなくとも、それに準ずる鋭利な部分を備えた凶器なのだろうなと妥当に推測できるが、“鈍器のようなもので殴られる”場合、凶器は、明確に切ることに特化した道具ででもないかぎり、およそすべての物体が候補になってしまう。というか、切ることに特化した道具をあえて殴ることに使った場合でも、候補になってしまう。広辞苑だって、立派な鈍器である。

 「鈍器のようで鈍器でないもの、ってあるのですか?」と、マジメにQ&Aサイトで尋ねている人がいて、それに続くやりとりのあまりの面白さに大爆笑してしまった。いやあ、たしかにこれはもっともな質問だと思うな。マスコミはいったいどういう理由で「鈍器のようなもの」を使い続けているのだろう?

 鈍器のようで鈍器でないものなあ……やっぱり、それは日本刀の峰打ちなんじゃないか? 実際、峰打ちだろうが、あれだけの重量の鉄の棒で殴られたら、死ぬことだって少なくなかろう。

 ♪鈍器のようで、鈍器でない、ベンベン!



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