最近やたらむかついているのが、硫化水素による自殺である。そりゃまあ、自殺するのは、この際、個人の自由であるとしよう。するなとは言わん。おれは牧師じゃない。ここでは、専らその方法のみを問題とする。
気体の硫化水素を発生させて自殺しようとする場合、当然、本人はそれがたいへんな毒ガスであることを知っているわけである。つまり、不特定多数の無辜の市民が、ことによると巻き込まれて、死んだり障害を抱えたりすることになると知ったうえでそのような毒ガスを発生させ、おのれの目的のみを果たそうとしているわけだ。手前の都合だけしか考えていない。同じ死ぬにしても、もう少し他人に迷惑のかからん方法がありそうなものだ。まあ、人が死ぬということは、どんな死にかたであろうが自動的に他人になにがしかの迷惑がかかるものなのであるが(かからない方法があればどんなにいいだろう)、よりによって、他人も巻き込まれて死ぬことを織り込んで、自分勝手に死ぬことはなかろう。これは、未必の故意による殺人あるいは傷害である。“死ぬ”というおのれの目的のためであれば、関係のない人がどうなろうとかまわんという思想がベースにある。要するに、自爆テロといささかも変わらん。
しかし、自暴自棄で死ぬ気になっている人間に対して、「それは人としてどうか」などと難詰したところで詮ないことである。本人は、自分が死ねさえすれば、人がどうなろうと知ったことではないという心境なのだろう。その自分勝手さに腹が立つというのは、大方の人が共有する心境なのではなかろうか。だが、おれたちがいくら腹を立てようと、硫化水素で死にたいやつは、自分勝手に死ぬのである。
となると、そうした死にかたを抑止する(死ぬのを抑止するのではない)方法としては、まず、死後に罰するという方法が考えられる。たとえば、未必の故意による殺人あるいは傷害を見込んで硫化水素で自殺した者には、死後、遺体、いや、死体を全裸で河原に晒しものにしてカラスやらについばませるに任せ、往来の人々は暇潰しに石を投げたり棒でつついたりチンポコを切り取って犬に食わせたりオマンコにアイスキャンディーの棒を突っ込んだりしてもよいことにし、葬儀も出させず、本人についての一切の記録を抹消し、そんなやつは最初からこの世にいなかったことにするくらいの死後刑罰を科すといった方向もあろうが(“市中引き回しのうえ獄門”みたいなもんだ)、他人が死んでもかまわぬという心持ちで自分が死にたいと思っているくらいのやつになら、自分の死後の扱いがどのようになろうがまったく意に介さぬというやつも少なからずあろうから、死後にひどい扱いをしてやるという刑罰がどの程度危険な自殺に対する抑止力になるかは疑問である。
むろん、自殺などしないに越したことはないが、ここでは、他人を巻き込んでもかまわんと考えて自殺する身勝手なやつはけっしていなくなりはしない、いや、ことによるとどんどん増えてくるやもしれぬとして、冷徹に考えることとしよう。
じゃあ、そうした自殺そのものが阻止・抑止できないのであれば、どうしたらよいのか? 本人が死のうとすることは避けられぬとした場合、最優先で考えるべきことは、無関係の人々が巻き添えになるのを防ぐことである。
とすると、硫化水素で死にたがっている人々に、せめて他人を巻き込まぬよう、“安全に死んでもらう”方法を提供するしかあるまい。つまり、ガスが漏れたりせず、自殺志望者だけが安全に死ねるような設備を提供するという方法が考えられる。いわば、個人用の公衆ガス室だ。自殺志望者のみが確実に死ね、換気や通報の機能によって、無関係の人にはまったく危害を加えない公共の施設を用意してはどうか?
ここまで書くと、似たものがすでに実在するのにお気づきになるだろう。そう、“赤ちゃんポスト”である。あれは、望まぬ赤ん坊を産んでしまった人々に対して、嬰児を殺害するくらいであれば、このポストに“投函”して命を救ってくださいというものだ。だったら、どうしても硫化水素で自殺したい人に対しては、「無関係の人を巻き添えにして殺したり障害を負わせたりするくらいなら、どうぞこの設備であなただけが安全に死んでください」というコンセプトの公共施設があってもいいのではなかろうか。これを“自殺ボックス”とでも名づけよう。赤ちゃんポストも自殺ボックスも、望まずして命を危険に晒される人々を救うためのものである。なにか問題でもあるだろうか?
いまの日本は、自分の力でなんとか生きていけないような、能力のない人間、不運な人間、弱い人間、不健康な人間、老いた人間は、とっとと死んでくれたほうが国のためであるという国策を推し進めている国家である。だったら、おれの提案する自殺ボックスを実現するのに、なんの不都合もあるまい? おれの論理になにかおかしなところがあるか、福田さん? 硫化水素で自殺しようとしている四十代のニートが、日本のGDPを引き上げているIT企業の有能な社長を巻き添えにして殺すかもしれないのだぞ。介護疲れで年金もろくろくもらえない六十代の老いた夫が認知症の妻と一緒に硫化水素で死のうとして、なんの仕事もしていないが有能であることになっている天下り官僚を巻き添えに殺してしまうかもしれないのだぞ。そんなことがあってはならない。日本政府としては、早急に自殺ボックスを設置すべきではないかとおれは思うのだがどうか。
多少英文学を齧った方であれば、このエントリーのタイトルだけでおれの真意を察してくださることと思うが、おれの提案は、聖職者であったジョナサン・スウィフトにのそれに比べれば、ずっと“控えめな提案”として日本政府に嬉々として受け容れられるだろうと思うんだがどうだろう?