カテゴリー「SF」の121件の記事

2012年4月 8日 (日)

ノンアルコールビール補完計画

 酒飲みのおれは、ノンアルコールビールなどというものの存在意義がいまひとつよくわからなかったのだが、先日、たまたまアサヒのドライゼロというのを飲んでみて、「なるほど、これは悪くない。酒とは異なる、なにかさわやかな飲みものだ」と、いささか認識を改めた。

 で、ときどきドライゼロを買うのだが、さっき冷蔵庫に一本残っていたドライゼロの缶がふと目に入ったとき、おれの中にひとつの根源的な問いが生まれた。

 「こいつはたしかにうまい。しかし、こいつには、なにかが足りない……」

 しばし考えたおれは、答えに到達し、膝を叩いた。

 「……そうだ、アルコールだ!」

 そこでおれは愛用の焼酎カップを取り出した。こいつは、カップの中がふたつに分かれていて、焼酎6:お湯4のお湯割りが簡単に作れるスグレモノである。

 おれはまず、ノンアルコールのドライゼロをカップに注ぎ、そこに芋焼酎を注ぎ足した。芋焼酎6:ノンアルコールビール4というベスト(?)な比率だ。

 ここに、ノンアルコールビールの大きな欠点であるところの「アルコールが入っていない」ということをみごとに焼酎がカバーしてくれる理想的(??)なカクテルが誕生したのである。なんと名づけたものだろう? ま、テキトーに「ノンアルビルチュー」とでも呼んでおこう。

 このノンアルビルチュー、どんな味かというと、ほんのり芋の香りのするビール(あたりまえだ)といった感じだ。なにやら、おれは非常に遠回りなことをしているような気もしないではない。それはたとえば、最新のお掃除ロボットが発売されるというので商品発表会へ出かけてみたら、竹箒を持ったASIMOがレレレのおじさんのように床を掃いていたのを見たかのような徒労感にも通じる感慨なのだが、なあに、人間、なにごともまずやってみることが大切だ。

 ま、とにもかくにも、これから、いろいろな酒をノンアルコールビールで割ってみるという楽しみができたわい。かつて、バービカンという最初のノンアルコールビールが出たときに試しに飲んでみたところ、そのあまりのまずさに驚愕したものだが、昨今のノンアルコールビールは、なかなかバカにできない味なのである。ノンアルコールビールという、ちゃんと飲める飲料の一ジャンルを確立しつつある。であれば、ノンアルコールビールでさまざまなドリンクを割ってみるというのは、やってみる価値のあることだ。

 さしあたり、ノンアルコールビールで芋焼酎を割るというのはやってみたが、次は、ノンアルコールビールでレッドアイを作ってみたい。つまり、ノンアルコールビールのトマトジュース割りである。それだけではアルコールがまったくないので、ノンアルコールビールのトマトジュース割りに芋焼酎でも足してみるか? ともかく、人類にはまだまだ未知の酒の飲みかたが残されている。

 ちなみに、ビールのトマトジュース割りであるレッドアイなるカクテルは、どうやらカナダ発祥らしいのだが、吉行淳之介が非常に好んでいた飲みかたである。彼はこれを「アンネカクテル」などと呼び(作ってみればわかる)顰蹙を買っていたそうであるが、おれは吉行淳之介にいいものを教えてもらったと、いまだに感謝している。レッドアイは、ビールの苦味を消し、トマトジュースの青臭さを消す。つまり、ビールもトマトジュースも苦手な人でも、レッドアイなら飲めるという奇妙なカクテルなのである。

 これに類することって、きっといろいろあるんだろうなと思いつつ、おれはいつもレッドアイを飲んでいる。SFは嫌いだし、純文学も嫌いだけど、神林長平や円城塔は好きだとか、そういう人がいそうな気もするんだねー。

Dryzerochu_2


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2012年2月11日 (土)

未来人たちがそんなにお人よしだとは思えない

 クライオニクスcryonics 人体冷凍保存)ってやつがありますわな。自分が死んだあとにも遺体を冷凍保存しておいて、遠い未来の科学技術で復活させてもらおうというやつだ。現代の医学では治療できない病気に冒された人を冷凍保存しておいて、未来の進んだ医学で治療してもらおうという試みも含む。『ブラック・ジャック』にもそんな話がありましたよね。「未来への贈り物」だっけか。

 このクライオニクス、アメリカなどでは歴とした商売にもなっている。お金持ちは遺体をまるごと冷凍保存するわけだが、貧乏人(?)のためには、脳だけ冷凍保存するコースなどがあったりする。なにしろ未来のことだ。脳だけでも保存してあれば、記憶や人格を再構成して、なんらかの媒体にロードして“走らせる”ことが可能になっているにちがいない――と、ナイーヴに信じることができる人たちが、こういう会社と契約するのだろう。有名どころでは、SF評論家・作家のチャールズ・プラットが、不思議なことに、クライオニクスに本気で取り組んだりしている。

 でもなあ、おれにはこんなもの、とんでもなく愚かなファンタジーだとしか思えない。

 だって、考えてもみてほしい。いまから、千年か、五千年か、二万四千年かのちの世の人たちが、二十世紀や二十一世紀に交わされた商取引契約に則って、なにが哀しゅうて、むかしの人間を蘇らせにゃならんのだ? たとえそういう技術が確立していたとしても、勝手に未来に先送りされた厄介な問題を、未来の人たちがわざわざ律儀に解決せねばならん義理などあるものか。

 そう考えると、いまクライオニクスの会社と契約して、いつか復活させてもらえるかもしれないと未来に希望を託している人たちの“遺体”など、当の未来人たちにとっては、使用済み核燃料みたいなものである。

 未来人たちは言うだろう。おまえらのファンタジーを勝手に未来に押しつけるな、と。こんなものを保存するために、貴重なエネルギーを使ってきたのか、と。おまえらのせいでこんなとんでもない未来になっているというのに、未来の超技術で生き返らせてもらおうなどと虫のいいことを考えていたやつらの“遺体”が、こんなにたくさん冷凍保存されているとは、バカバカしいことおびただしい、と。

 そこで、彼らは気づくのだ。

 待てよ……使用済み核燃料とちがって、これはこれで、貴重な蛋白源だ、と。


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2012年1月31日 (火)

いろんなところにスジ者が……

 奈良先端科学技術大学院大学が開発した「ワンクリック見積&データ品質診断ツール」の名は「Magi」である。まさか、これを見て、「ああ、研究者の中に敬虔なキリスト教徒がおるのだろうなあ」と思う人は、ウチのブログの読者には、まずいないと思う。きっと、二十代後半くらいの“エヴァンゲリオン、どストライク世代”の研究者がネーミングしたんだろうねえ、と推測するのがふつう(?)である。このシステムは協調フィルタリングを使っているので、「ああ、メルキオールとバルタザールとカスパーとが協調するってネタなのね」くらいの推測は誰でもするであろう(どこの「誰でも」だよ、それは)。

 はたまた、楽天技術研究所が開発したレコメンドエンジンの名は、「5ten(ごうてん)」だったり、「0-HO(れいせんほう)」だったりする( http://el.jibun.atmarkit.co.jp/rakuten/2009/11/post-7414.html )んだが、これは相当好みが渋い。エヴァンゲリオン世代よりは、ずっと歳を食っている感じだ。まあ、若いやつにも『海底軍艦』のファンはおるだろうけど、どういうネーミングセンスだ、これは。

 まあ、なんにせよ、世の中、いたるところに“スジ者”が潜んでいるということはたしかなようだ。


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2010年7月15日 (木)

『特撮リボルテック SERIES No.009 ジャイアントロボ』(海洋堂)

 しばらく我慢していた特撮リボルテックであるが、これはさすがに所有せずにはおられん。なにしろ、ジャイアントロボってのは、元々が特撮リボルテックのためにデザインしたのではないかと思うほどの造形だ。ああ、四十代も後半になってこのようなものが手にできるとは、なんといういい時代になったものか。ま゛っ!

 というわけで、ユニコーンの携帯通信機は単なるアンテナペンだったのではないかという疑念を振り払いつつも、特撮リボルテックを買うたびに執り行なう怪しい深夜の儀式“ひとり撮影会”の産物をご覧にいれよう。

Giant_robo_01 やはり、発進ポーズから。

Giant_robo_02 ミサイルロケットのポーズ。

Giant_robo_03 まあ、指先(ちゅうか、ミサイル先)まで、じつに藝が細かい。

Giant_robo_04 デザイン上、どうしても可動域が狭くならざるを得なかった大魔神に比べて、ジャイアントロボはじつによく動く。メガトンパンチだっ!

Giant_robo_05 夢の競演。設定では、ジャイアントロボ(三十メートル)は大魔神(十五尺)よりもずっと大きい。だからこその夢の競演である。

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Giant_robo_08 怒りの鎮まったロボ。



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2010年5月 3日 (月)

『特撮リボルテック SERIES No.002 大魔神』(海洋堂)

 このあいだエイリアンを買ったばかりで、いかん、これにハマると冥府魔道だぞ、せめて月に一個にしておこう、月に一個にしておこうと堅く誓ったわけだが、エイリアン買ったのは四月だし、今月は五月だし、いいよね。

 というわけで、性懲りもなく買ってしまった大魔神である。やっぱり、大魔神は海洋堂にとっても守護神的な存在だしねえ。高山良策の力強い造形は、いまだに輝きを失わない。残念ながら、高田美和藤村志保のフィギュアは付いていないが、悪代官(というか元家老)の大館左馬之助のフィギュアは付いている。悪者どもを踏み潰し、刺し殺す、勧善懲悪のカタルシスを味わうことができる。

 さすがに元のデザインがデザインだから、首や手足の可動域の広さはエイリアンにはずっと劣るが、正義の怒りを全身に滲ませた風格がたまらない。こんなもんが三千円もせずに手に入るとは、いい時代になったもんである。

Daimajin01

Daimajin02 なんか、どう見ても緒形拳に似ているんだよなあ。

Daimajin03

Daimajin04 大魔神の大きさは、設定では十五尺(約四・五メートル)。この絶妙な“小ささ”が生々しい怖さを煽る。

Daimajin05 こんなのに掴まれたら、悪者だって小便ちびるよ。

Daimajin06 この力強い腕の感じが、造形だけからひしひしと伝わってくる。

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Daimajin08 穏やかな武神像の顔にも差し替えられる。

Daimajin09 さあ、やっぱりこれは基本だからやっておこう。
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Daimajin15 “まいっちんぐ大魔神”をやらせてみた。スカート(?)の素材は柔らかいので、こうやってめくることができる。さすがに、マチコ先生ほどの可動性(笑)はないが。

 大魔神子もやらせてみたいなあと思ったんだが、やっぱり無理(^_^;)。



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2010年4月25日 (日)

『特撮リボルテック SERIES No.001 ALIEN(エイリアン)』(海洋堂)

 海洋堂《空想科学フィギュア大全集 特撮リボルテック》シリーズの第一弾。こんなものを発売するとは、これを鬼畜の所業と呼ばずしてなんと呼ぼう。嬉しいやら迷惑やらやっぱり嬉しいやら、どうしてくれよう……。

 単にウェブページを見ただけであればポチッとやってしまわなかったかもしれないが、『きかせられないラジオ』(NBC長崎放送)のポッドキャスト「造形集団・海洋堂の世界!①」をうっかり聴いてしまったがために(まあ、毎週聴いているわけだが)、「ああ、もうあかん……」とくずおれるようにクリックしてはならないものをクリックしてしまったのだった。だってあなた、この番組やってるNBCのオタクオヤジアナウンサー二人がこれまた鬼畜で、「カチカチカチカチッ、カチカチカチカチッ……」などと、心地よいリボルバージョイントの音を聴かせながら、ほうら、欲しいだろう、欲しいだろう、欲しければおねだりしてごらん、ほうら、欲しくてたまらないとお言い、ふっふっふ、身体は正直だなとでも言わんばかりに誘惑するものだから、おれの正直な右手はおれの理性を吹きとばし、欲望のままにぬめぬめと光る淫靡な大人のおもちゃに手を伸ばし、ポチっとしちゃったんです。ああっ、許してあなた(って誰やねん、おまえ?)。

 実物を手にして驚嘆したのは、やはり、よくこのクオリティーで三千円を切ったなということである。手足の昆虫じみた感じといい、頭部の半透明感といい、思わず「ほんものそっくり」などとわけのわからないことをつぶやいてしまったくらいだ。ハリーハウゼンがこれを手にしていたら、コマ撮りしてシンドバッドと闘わせたにちがいない。

 あまりに感嘆したので、おなじみの愛機 RICHO R10 最大の武器であるマクロ撮影を駆使して、夜中にひとり撮影会を開催してしまった。いい歳をしたおっさんが、深夜ににたにたしながら大人のおもちゃをいじくりまわして写真を撮っているというのは、けっしてさわやかな感動を呼ぶ光景ではないが、藝術を愛でる気持ちに子供もおっさんもあるか。

 というわけで、今週は、つい先日、海洋堂からデビューしたばかりの新人、エイリアンクンのスレンダーなセクシーボディーをお届けしよう。どこに顔があるのはかわかりにくいシャイな頭のぬめっとした半透明感はボクらのハートをわしづかみだッ!


Alien_01 蛍光灯と豆電球を併用して、ちょっと赤っぽい光沢を演出してみた。

Alien_02 尾には針金が入っていて、自在にポージングできる。

Alien_03

Alien_04 orz...

Alien_05 たまらない腰つき。

Alien_06 尾の先までカッコいい。

Alien_07 開閉する口からは、おなじみインナーマウスが出てくる。

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Alien_09 腕の造形がこれまたすんばらしい! リボルバージョイントのところは大目に見ろ。なにせ、こいつのおかげでカチカチ動くんだから。

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Alien_11 ちょっと露出を高めにして、メタリックな感じに。

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Alien_14 手に乗せると、これくらいの大きさ。

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Alien_18 これこれ、この感じがたまらん!

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Alien_21 卵も付いてる。

Alien_22 幼生(フェイスハガー)。

Alien_23 フェイスハガーの裏が、なんというかその、あの、とてつもなく卑猥。べつに濡らして撮ったわけではない。こういう素材なのだ。

Alien_24 こんなパッケージに入っている。高級感のある本のようで、そのまま本棚にも収納できる。



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2010年1月13日 (水)

木材都市

 先日の『探偵!ナイトスクープ』(1月8日)に、工務店を経営するおっちゃんが、廃材を用いて一辺の長さが通常の九倍という巨大なジェンガを作ったので、ゲームしにきてほしいというバカバカしくもすばらしい依頼があった。ゲームを進めて積み上げてゆくと、三メートルを超えるのである。こんなものが、最後にはガラガラと頭上から崩れ落ちてくるのだ。危ない危ない。

 まあ、愛すべきアホなおっさんはさておくとして、おれはあの巨大ジェンガを観ながら、ふと考えた。そもそもジェンガというのは、あの木製のブロックの造形が不完全で、寸法に誤差があるからこそ成立する遊びなのではなかろうか? そもそも誤差がなければ、抜きやすいブロックや抜きにくいブロックが不規則に存在するはずがない。

 たとえば、あの直方体のブロックがすべて寸分違わず同じ寸法、同じ重量で、同じ表面摩擦係数を持っているという、完璧なモノリスみたいなものであったとしたら、ほとんど重量のバランスを計算することのみが勝敗を分ける、きわめて味気ないゲームになるのではなかろうか。ジェンガが金属やプラスティックではなく、木材で作られているというのは、あのゲームの成立に不可欠なことなのだろう。木材はどんなに精密に加工しても、ふたつと同じものはできまい。木目というものがあるからには、抜き出す方向によっても表面の摩擦係数はさまざまに異なるだろう。おまけに、湿度のちがいで膨れたり縮んだりする。遊んでいるうちに摩耗する。最初に積み上げるときに、まったく同じ組み合わせになることもきわめて少なかろう。単純だが、じつに奥の深い玩具と言えよう。

 コンピュータにチェスをさせるなどというゲームに飽きた人類は、将来、人工知能を搭載したロボット同士を、ジェンガで対戦させてその知能を競わせるんじゃなかろうか。

  「ココヲヌケバカテルナ」
  「ハッハッハ。ケイサンドオリニユクトオモッタラ、オオマチガイダ」

 みたいなことをロボットたちが言い交わしながらジェンガに興じる光景というのは、さぞや味わい深いものだと思うぞ。



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2010年1月 8日 (金)

2nd Priority?

 このところ、にわかに下地島の風景がやたらテレビに映るようになった。なにやら、とても懐かしい気がする。

 と、思ってしまうからである。

 最近のニュースをこういうふうに見ている人は……まあ、この日記を読んでいるような人には、そこそこたくさんいるにちがいないと思うのだがどうか。



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2009年5月31日 (日)

月面二足歩行ロボットの意味

「一体何の意味があるのか」 「月面2足歩行ロボット」に批判 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/05/29042101.html

政府が策定を進めている「宇宙基本計画」が、思わぬブーイングに見舞われている。この計画自体は、情報収集衛星を増強したり、有人での月探査を目指したりする意欲的なものなのだが、「二足歩行ロボットでの月探査」という項目に、批判が続々と集まっているのだ。
「お金をかけて何がしたいかわからない」
日本の宇宙開発についての基本方針を定めた「宇宙基本法」が2008年8月に施行され、これに基づいた国家戦略「宇宙基本計画」の策定が進められている。麻生首相が本部長を務める「宇宙開発戦略本部」が案をまとめ、09年4月28日から5月18日にかけてパブリップコメント(パブコメ)が募集された。
各地から寄せられたパブコメでやり玉に挙がっているのが、「月面2足歩行ロボット」。これは3月6日に行われた専門調査会の場で、専門調査委員のひとりである元宇宙飛行士の毛利衛氏が提案したもの。毛利氏が提出した資料では、国家目標として「日の丸人型ロボット月面歩行計画」をかかげ、「有人・無人の議論を超えた第3の道」「日本独特な有人宇宙開発の提案」などどうたっている。
計画案では、2020年頃に日本独自でロボットを活用した月の無人探査、25~30年頃に宇宙飛行士とロボットが連携した有人月探査を目指しており、「2足歩行ロボット」も、その中の案として出てきたものだ。計画案には458人から1510件のパブコメが寄せられたのだが、そのうち約80件が「2足歩行ロボット」に集中。その中には、
「月や火星・金星への探査計画に、人は遅れ(原文ママ)なくとも耐環境型の自立ロボットを帯同させることも日本独特の研究といえます」
と、好意的なものもあるが、ほとんどが批判的なものだ。

 SFファンの方々なら、「そもそもなぜ人間型のロボットを作る必要があるのか」という問題をあーでもないこーでもないと考えたことがあるかと思うが、これは存外に難しい問題ではあるのよなあ。

 上の引用で好意的なパブコメを寄せている人の意見は、残念ながら、かなり頓珍漢である。探査計画で閉じてしまうのであれば、二足歩行ロボットを送る意味などない。将来、月や火星に人類が居住する(金星はまあ無理でしょう)というところまでをスコープに入れれば、そこで初めて二足歩行ロボットを送る意味が出てくる。つまり、短期的な作業効率だけを考えれば、地球と環境が著しく異なるところでわざわざロボットに二足歩行などさせる意味はなく、むしろクモ型とかヘビ型とかそのほかとかのほうが合理的だが、“そこに将来人類が住む”というところまで長期的に本気で考えれば、二足歩行ロボットから取れるデータは、将来、大いに役に立つ。要するに、どれくらいの時間的なスパンが視野に入っているかで、見解が変わってきて当然なのである。「なんの役に立つのか」と言っている人も正しいし、「役に立つ」と言っている人も正しいのだ。「二足歩行ロボットでの月探査」って表現がまずいのだろうな。ここは正直に、「人類の月面居住を視野に入れた二足歩行ロボットによるデータ収集」とまで言ってしまえば、また印象は変わってくると思う。

 おそらく毛利氏はそんなことはよくご承知で、そのうえであえて、“日本人を象徴的に鼓舞する短期的計画”として、これを提案してらっしゃるのだろうと推測する。おれが思うに、毛利氏は科学者としては政治やらなにやらに過剰適応してらっしゃるように見えるもんで、腹の中では、「そりゃ、将来、月や火星にはトーゼン人間は住むでしょ」と思いつつも、そこまで言うと荒唐無稽と思われちゃうだろうから(全然荒唐無稽じゃありません)、とりあえず、アドバルーン的な短期的スコープしかないかのように見えるものを出してらっしゃるのだろう。まあ、政府に毛利氏の提案の真意が理解できるかどうかは別として、政治家や官僚にはわかりやすい“国威発揚”的なものに見せておけば、当座はオーケーかな……といったふうに、毛利氏は考えていらっしゃるのではなかろうか。

 その“世俗に合わせすぎ”なところがまずいのだと、おれは思う。「わしらが、わしらの子や孫や曾孫が、いつまでも全員地球に住んでいられるとでもお思いか?」と、はっきり言っちゃえばいいんじゃなかろうか。言わないから、「何がしたいかわからない」と言われちゃうのだ。まあそりゃ、毛利氏のそういう“世俗に合わせすぎ”なところも、無理はないと理解はできるんだけどなあ。いまの日本政府や官僚に、“人類は遅かれ早かれ宇宙に進出せざるを得ない”という認識と哲学と覚悟があるのかどうかとなると、こりゃ、おれもかなり悲観的である。毛利氏は、政治家や官僚の思惑を超えたところまで、深く考えたうえで、こういうアドバルーンを上げてるんだと、おれは想像するんだよ。

 おれたちはいつまでも全員が地球に住んではいられないのだ──という、考えてみればあたりまえのことを、政治家たちはちゃんと打ち出すべきだと思うね。宇宙への進出は、今世紀では、もはやSFマターじゃなくて、政治マターなのだ。今世紀というスパンで考えれば、軌道エレベータスペースコロニーは、必ず建造されるだろう。というか、せざるを得なくなるだろう。

 二十世紀のSFが夢見てきたことが、年金やら消費税やらエコロジーやらと同じ次元で、おれたち(の子や孫や曾孫)の日常生活に関わるリアルな問題になってくるのが、これからの百年なのだ。オバマ大統領の勝利演説じゃないが、おれたちの世界が百年前にどうだったかを振り返ってみれば、百年後にどうなるか、どうであってほしいかもリアルなこととして想像できるはずだ。西暦二一〇〇、月に人が住んでいないとでも思いますかね、あなたは? おれは、オバマ大統領にはそこまでの視野があるだろうと思っている。politician としては目先の問題に翻弄されているだろうが、彼の statesman としてのヴィジョンには、百年後のアメリカ、百年後の世界が、当然のこととして入っているように思われるのだ。

 まあ、いま現在の日本政府や官僚が、「宇宙基本計画」とやらで、そこまで考えているとはとても思えないのも事実なんだよなあ。連中は、せいぜい、次の総選挙くらいのことまでしか考えてないんじゃないの? 毛利氏の提案は、いまの日本政府には上等すぎるんじゃなかろうか? そういう意味では、毛利氏の提案にブーイングが集中するというのは、わからないでもないんだよねえ。地球上に飢えた人々がいる状態で、宇宙開発もへったくれもあるかというのは、たしかにわからないでもない見解だ。カート・ヴォネガットもそういう姿勢だったよね。おれは、クラークも好きだけど、ヴォネガットも好きなのだ。

 ともあれ、今世紀には、わが国の閣僚や事務次官は、小松左京必読ということにしないか?



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2009年3月 9日 (月)

きちがい博士

女優の「キチガイ」発言で謝罪 「放送禁止用語」とは何か (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/03/08037204.html

生放送の「笑っていいとも!」でゲストの女優が「キチガイ」と話したことに、番組アナウンサーが謝罪する事態があった。一般的に「放送禁止用語」とみられており、テレビ局でも不適切だと判断した。ただ、ネット上ではこの言葉がダメと初めて知ったとの声もみられるほか、識者からは「なぜ本人じゃなくアナが謝罪するのか」との疑問も出ている。
差別意識なしの日常的な誇張表現
バラエティ番組では、放送禁止用語が飛び出ると、「ピー」といった音などで発言が消されるのをよく目にする。しかし、こと生放送では、そうはいかない。
フジテレビ系で2009年3月4日に放送された長寿番組の「笑っていいとも!」。 この日のテレフォンショッキングでは、宝塚出身女優の毬谷友子さん(48)がゲストに呼ばれた。禁止用語が飛び出したのは、毬谷さんが5月からの舞台に備え4オクターブも出す発声練習の様子を披露したときだった。 「もう今、うちがキチガイみたいな…」
毬谷さんは、まずいと思ったのか、すぐに口を手でふさいで顔を下に。司会のタモリさんも、「ハハハ、そう、ハハハ。発声練習しているの」と話をそらした。ところが、さらに、タモリさんや会場から「若い!」と声が上がると、毬谷さんは「キチガイです」と言って、慌てて口に手を当てた。そして、コーナーが終わると、CMをはさんで、番組の加藤綾子アナが「不適切な発言がありました」として頭を下げた。
「キチガイ」は、新聞では、各社が独自に差別語や不快用語にしている。言い換えは、たいてい「精神障害者」だ。民放連やNHKによると、テレビでも、共通の「放送禁止用語」になっているわけではない。各局で独自に基準などを決めており、フジでは、この場面で「キチガイ」が不適切だったわけだ。

 まあ、世の中には“文脈”というものがまったくわからん人もおるから、放送局としては過敏にならざるを得ないのだろうが、あんまり出しゃばって過敏なのもどうかと思うねえ。

 おれは毬谷友子という女優に、まさにその“キチガイじみた”オーラを持つがゆえに、えも言われぬ魅力を感じているので、毬谷友子が自虐的に“キチガイ”と言うのだとしたら、それはかなり面白い状況だと思うんだよね。おれはそのシーンを観てないけども。いいよね、毬谷友子の、狂気を孕んだ妖しい雰囲気。

 だけどなあ、この場合、「精神障害者」などと言い換えたほうが、よっぽど病に冒されている人をバカにしているようなニュアンスが出てしまうと思うんだよなあ。そう思わんか?

 SFのほうだと、おれがいつも不思議に思うのは、「マッド・サイエンティスト」はよくて「きちがい博士(はかせ)」はダメ(らしい)ということである。なんちゅうか、「きちがい博士」という表現でしか伝えられないなにかがあるんだよね。「きちがい博士」という言葉が持つ、なにやらレトロな雰囲気がとてもいいんだよなあ。

 たとえば、とくに名を秘す某小林泰三という作家などは、会話ではなにやら一種の“愛”を込めて「きちがい博士」という言葉を平気で使うのだが、さすがに活字媒体で書いているのを見たことはない。彼が「きちがい博士」と口にするとき、そこには、そこはかとない“愛”があるのがおれにはわかるんだなあ。だけど、その感じが万人に共有されるものかどうかとなると、それは疑わしい。

 だけど、なんだかなあ……。「マッド・サイエンティスト」より「きちがい博士」のほうが親しみが持てるという感覚、ここを読んでるような人には、わかるよね? わかってね。



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