カテゴリー「ニュースネタの戯言」の489件の記事

2009年7月14日 (火)

生きている首

マンホールの隙間にスズメ 「どうしてこうなった」? (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/07/08044813.html

マンホールのすきまに入り込んでしまい、頭だけチョコンと飛び出たスズメ。そんな不思議な画像が2009年7月初めからネットで話題になっている。「かわいい」「どうしてこうなったのか不思議だ」といったコメントが寄せられている。

 過去のパターンだと、こういうのは「ど根性スズメ」などと呼ばれ、これでもかこれでもかと町興しに利用され、あげくの果てはクローンまで作られるという展開になりそうなのだが、まあ、世田谷区がことさら町興しなどする必要ないか。

 それにしても、なにがどうなったらこういうふうになるのだろう? 下水溝に迷い込んでしまったスズメが外へと通じる小さな穴を見つけ、そこから必死で脱出しようとしたところ、嵌まり込んでしまい、前にもうしろにも動けなくなってしまった……ということじゃないかなあ。鳥が尻のほうからみずから狭い穴に入ってゆくってのは、ちょっと考えにくいしねえ。



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2009年7月13日 (月)

チェックメイト!

都議選 民主が圧勝第1党、自公は過半数割れ (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0712/TKY200907120254.html

 東京都議会議員選挙(定数127)が12日投開票され、民主党が改選前の34議席から54議席に躍進し、自民党に代わって初の都議会第1党になった。自民は公明党と合わせた勝敗ラインの過半数(64議席)を維持できず、議長選の汚職事件をめぐる「黒い霧解散」で38議席だった65年都議選に近い惨敗。自公の敗北で与党内では衆院解散の先送り論が広がり、「麻生降ろし」が強まりそうだ。民主党は13日にも内閣不信任決議案と首相問責決議案を提出する構えだ。首相が与党の抵抗を押し切って解散に踏み切れるか、問責決議案の提出時に山場を迎えそうだ。石原慎太郎知事の都政運営にも大きく影響しそうだ。投票率は54.49%で、前回の43.99%を10.50ポイント上回った。
 「東京からの政権交代」を目指して前回の51人を上回る過去最多の58人を公認した民主党は現有34議席を上回り、第1党を確実にした。

 この石原伸晃・都連会長の写真はすばらしいなあ。「崩れ落ちる兵士」といった趣だ。「樫山晃生撮影」とある。名前を覚えておくとしよう。おれは石原伸晃はそう嫌いじゃない。自民党を中から変えたがっている一人だろうとは思う。このタイミングでこのような立場に立たされた不運な彼の複雑な心境がこの一枚の写真からひしひしと伝わってくる。惻隠の情すら覚える。だが、自民党は変われなかった。

 『自公の敗北で与党内では衆院解散の先送り論が広がり、「麻生降ろし」が強まりそうだ』とあるが、解散先送りや麻生おろしで多少なりとも支持が増えるとでも自民党がまだ本気で思っているのだとしたら、それは決定的に総選挙での惨敗を意味するだろう。むしろ、解散先送りの声も麻生おろしの声も起こらず、真正面から政策で勝負しようという声が自民党内から湧き起こり、うねりとなって多数派を占めるようなことがあれば(まずないない)、多少は総選挙での勝算があろうというものだ。ここで自民党内から、人事院に大鉈をふるう決意や、消費税を上げることに国民の理解を求める真摯な議論が出てくるものならば、腐っても鯛、さすが政権与党と見直す気にもなろうというものだが……。いまの自民党は、全然正攻法の勉強をしないくせに、偏差値がどうの試験のヤマはどうのと、その場の受験テクニックだけで入試にさえ合格できれば一生安泰とでも思っているアホ学生のようである。あの大学に受かりさえすれば、文学部でも理学部でも法学部でも経済学部でもそのほかでもとにかくなんでもいいと言っている、なにがしたいのかさっぱりわからんダメ学生のようである。

 もう盤面は“詰まって”いるんだから、解散を先送りにしようが麻生おろしをしようが、結果はたいして変わらん。というか、そのどっちをやっても、国民に見離されるばかりだ。その点、さすが小泉純一郎は、親バカではあるが、やはり腹が据わっている。自民党が下野することもあり得るし、だとしても議会制民主主義なんだからべつにあたりまえだと思っている。また取り返せばよかろうと、あたりまえに思っている。これは自民党の中では、ものすごく変わったマインドセットだと思う。変人だよねえ。国民からするとあたりまえの感覚なのだが、自民党の中で“自民党だって当然下野し得る”ということを、現実的なオプションとして常に念頭に置いている人がいったいどのくらいいるものであろうか? 目の前にドラえもんが現れるくらいにあり得ないことだと、何十年にもわたって刷り込まれてきている連中が大勢いるとおれは思う。おれは、そういう人々は、次の総選挙後に発狂するか、ショックのあまり頓死するんじゃないかと思っている。

 おれは選挙権を得てから二十六年半、ひどい風邪で身体を起こせなかった一回を除いて、すべての地方選挙、国政選挙に欠かさず票を投じてきた。自民党から共産党まで、選挙の性質をその都度考えて、いろいろな政党のいろいろな候補者に票を投じてきた(おれをよく知る人は当然だとお思いになるだろうが、もちろん公明党にだけは一度も入れたことがない。おれは宗教を必要としないし、宗教が嫌いである。よって、幸福実現党も自動的に選択肢から外す)。その多くは“死に票”になったが、おれは後悔はしていない。おれはおれの意思をその都度表明した。「おまえは何党支持なのだ?」と非難されようと、おれはおれがその都度いろいろな党のいろいろな候補者に票を投じてきたことに、恬として恥じるところはない。

 おれは十三年弱、ウェブで日記を書いているが、いままでに一度も選挙前に自分の“今回の支持政党”を表明したことはない。なんか、選挙運動みたいになるのが厭だったからだ。だが、今回、初めてその禁を破る。おれは次回の総選挙では、小選挙区も比例も、民主党に入れるつもりだ。おれは民主党の支持者なのではない。ただ、自民党を一度“ほんとうに”完膚なきまでに下野させないと、今後の日本のためによくないと考えるからだ。これまでおれが野党に入れた票は、「政権を取ってくれ」という意味ではなく、「しっかり自民党をチェックしてくれ」という意味で入れてきた。だが、今回はちがう。民主党に政権を取らせたい。というか、自民党を下野させ、官僚の中の腐った連中とのしがらみを一度断ち切りたい。そして、民主党に、官僚の癌を掃除してもらいたい。ほんとうに国を憂えている優秀な官僚たちが、ほんとうに動けるようにしてもらいたい。それから、消費税を上げる議論を真剣にしてもらいたい。「この時期に議論すらすべきではない」などとふざけたことを言ってる場合か。そもそも、議会制民主主義下において、「議論すらすべきではない」などというアホなことを代表が口にすべきではない。核武装だろうが天皇制廃止だろうが、議論すらすべきでないことなど存在しないのが民主主義国家というものだ。ともかく、増税は避けて通れないことだ。ほんとうにちゃんと使われるのなら、おれは二十パーセントくらいでもしんどいけど払うよ。おれが民主党に期待するのは、それだけだ。

 ある意味、民主党は自民党によく似ているからこそ、おれは今回あなたたちに賭けてみる気になった。自民党と官僚の癌たちは、お互いに依存していて、お互いをがんじがらめにしている。千日手だ。涼宮ハルヒの夏休みのように、ちょっとずつちがうだけで同じことを延々と繰り返している。それを断ち切ることで起こる変化に賭けてみるしかない。かといって、社民党やら共産党やらに国を預ける気になりますか、あなた? ないない。共産党はまだ、政権のチェック機関としての調査能力やツッコミ能力には端倪すべからざるものがあるから、一定の議席を与えておくことは長期的に国益に資するが(それにしても、そろそろ党名変えたらどうよ、共産党?)、社民党なんてあってもなくても同じである。旧・社会党のしがらみを断ち切って、民主党と合併したら? おれはあんたたちの北朝鮮問題に関する禊がすんでいるとは全然思っていない。公明党? まあ、節操のない政党だから、ピンチになったらどことでも野合するだろう。民主党の集票マシンとして利用する目も、いずれはあるかもしれない。集票マシンとしては、一定の存在価値はあるしな。トップが右向けと言えば都合よく全員に右を向かせることができる便利な政党だ。幸福実現党とやらも、集票マシンとしての使いみちはそのうち出てくるかもしれん。

 やれやれ、ちりめんじゃこにタコが入っているかどうかに一喜一憂するアホ日記であるべく心がけているのだが、このところ、マジで国を憂えてしまっているな。おれの身の丈に合わない。こんなの、読んでて面白くないだろう。

 ああ、それにしても、総選挙が楽しみだなあ! おれはいままでこんなに選挙が楽しみだったことはない。選挙権というもののありがたみを、いま都こんぶのように噛み締めているところだ。



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2009年7月11日 (土)

準児童ポルノ

 おおお、な、なんといういやらしい画像だろう。こっそりあなただけにお教えしておこう。消されないうちにダウンロードすることをお勧めする。いい歳をした豊満な大人の女性が、性器を剥き出しにした全裸の二人の児童を戯れさせ、いやらしい笑みを浮かべならがそれを眺めている。この女性はそういう趣味なのだろうか。コーフンする。劣情を催す。これで二、三発は抜けそうだ。

 あ、しまった。リンクを張ってしまった。おれはもしかすると近いうちに逮捕されてしまうかもしれない。もし長期間更新が途絶えたら、おれはブタ箱にぶちこまれていると思ってください。しばしのあいだ、さようなら、みなさん。



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2009年7月 8日 (水)

残酷な数字のテーゼ

アニメ映画「ヱヴァンゲリヲン」 信じられない低視聴率のナゾ (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/07/07044828.html

日本テレビ系で放送されたアニメ映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」の視聴率が12.7%(関東地区)という予想外の低さになった。高視聴率を予想する向きもあっただけに、「何かの間違いだろう」といった見方も出ていた。その真相は?

(中略)

アニメに詳しいジャーナリストは、アニメファンのここ数年の傾向として録画してから見るという人が増え、「Gガイド・テレビ王国」のランキングでもランキングの上位にアニメが登場する事が増えたと、分析している。また、「ヱヴァンゲリヲン」の場合、小さい子供やお年寄りには馴染みが薄く、ファンは学生や社会人中心。放送時間には外出している場合が多いため、ジブリの「千と千尋の神隠し」のような視聴率にならないのは当然だ、と話している。
ビデオリサーチの視聴率には録画が含まれていない。そのため、リアルタイムにテレビを見る数だけでは正確さに欠ける、などの議論が繰り返されてきた。ビデオリサーチは07年7月2日、現状の視聴率調査に加え「Gガイド・テレビ王国」が行っているようなパソコンによるテレビ視聴を、11年7月を目途に調査に加える方針を明らかにした。また、録画された番組が実際に視聴されたかどうかを認識する技術の開発を進めるという。

 わはははは、旧来の“視聴率”というものがこれほどわかりやすく崩壊すると、なかなかに痛快なものがあるな。おれも録画しながら観たが、リアルタイムで観たわけではない。つまり、CMがうっとうしいので、おれは観ようと思えばリアルタイムで観られるものでも、わざと十分から十五分ほど遅れて“追いかけ再生”で観はじめ、CMを跳ばして観ているうちに徐々にリアルタイムに追いつき、終わるころにはほぼリアルタイムで終わるような観かたをするのが常だ。ハードディスクレコーダのなにが便利と言って、こういう“追いかけ視聴”ができるようになったところが革命的だった。同時に「旧来のテレビCMは死んだ」と思ったね。

 エヴァの視聴率が低かったって? そりゃそうだろう。たとえば、サザエさん一家が茶の間に集まって、みなで『千と千尋の神隠し』をリアルタイムで観ている図は自然に想像できるが、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を観ているところなど想像もつかん。


  波平 「なんじゃ、『序』にはアスカは出んのか?」
  フネ 「お父さん、いい歳をしてなんですか」
  波平 「そういう母さんだって、冬月萌え~じゃないか」
  マスオ 「ぼくはレイ派ですから」
  タラ 「ぼくはペンペンでちゅ~」
  サザエ 「あら、ミサトの冷蔵庫に入ってるビールの銘柄がテレビ版とはビミョーにちがうわ」
  ワカメ 「ホントだぁ」
  カツオ 「それにしても、こんなすごい技術がある時代なのに、どうしてシンジはカセットテープなんか聴いてるんだろう?」
  マスオ 「そのあたりの狙いは、大人になればわかるよ、カツオ君」
  フネ 「ほらほら、シトが来ましたよ」
  波平 「ヤシマ作戦はいつ観ても興奮するのう」
  マスオ 「そうだ、明日、みんなで『破』を観に行きませんか、お父さん?」
  波平 「そりゃあいい」
  カツオ 「わーい、明日はみんなでヱヴァンゲリヲンだ!」
  タラ 「ヱヴァンゲリヲンでちゅ~」
  サザエ 「あたしみたいなおばさんが映画館でどんな顔したらいいのかわからないわ」
  カツオ 「笑えばいいと思うよ」
  一同 「あはははははははははははははははははははは」


 き、気色悪ぅ~。あり得ねー。もし、あり得たとしても、おれはこういう家庭では育ちたくねー。《エヴァンゲリオン》とか『ブレードランナー』とかいうものは、夜中に独りで自分専用のテレビかパソコンかポータブルDVDプレイヤーで観るもんだ。そういえば、『ブレードランナー』だって、劇場公開時にはぱっとしなかったのに、ビデオが出てから急速に人気が出たんだよね。独りで“浸る”のに向いた作品ってのは、あきらかにあるのだ。一家団欒の茶の間で、家族がみな同じ番組をリアルタイムで観るなどという昭和的な風景をいつまでも想定モデルにしていたのでは、意味のある視聴率調査はできない。

 ま、近い将来、面白い技術を駆使した視聴率調査方法が出てくるんだろうね。顔認識技術を用いたデジタルサイネージの視認効果測定方法みたいなものが、視聴率調査世帯のテレビに実装されるようになるかもしれん。

 テレビに内蔵された抽斗のようなものがぱかっと開いて、中からクッキーが出てくる。視聴者がそのクッキーを食うと、練り込まれたマイクロマシンが長期的に体内に定着してRFIDタグとして働き、AV機器が個々人を識別して……。そ、それはちょっとディック的すぎるか。



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2009年7月 6日 (月)

こりゃ、いまの日本には絶対作れないものだよなあ

米連邦政府,IT支出情報の開示コーナー「IT Dashboard」と専用YouTubeチャンネルを開設 (ITpro)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20090701/332965/

 米連邦政府の最高情報責任者(CIO)であるVivek Kundra氏は米国時間2009年6月30日,政府の支出情報公開サイト「USASpending.org」内に,IT支出情報の開示コーナー「IT Dashboard」(ベータ版)を新設したと発表した。またビデオ共有サイト「YouTube」内に専用チャンネル「USAspending」も設けた。
 IT Dashboardでは,国防総省(DOD)や国土安全保障省(DHS),保健社会福祉省(HHS)といった組織におけるIT支出状況や投資プロジェクトの件数などをグラフ形式で示す。全体的な状況に加え,組織ごとの支出や進ちょくも確認できる。更新情報のRSSフィード配信も行う。
 グラフなどは,各組織から連邦政府の行政管理予算局(OMB)に提出されたデータから生成する。7000件以上あるIT投資プロジェクトの概要を掲載するほか,800件弱の主要プロジェクトについてはより詳細なデータを公開している。

 ううううむ。わしゃ、この IT Dashboard を見て、orz とくずおれたよ。すげー。

 こういうものを作るITの技術力がすごいと言っているのでは、もちろんない。この程度のものを作れる技術者なら、日本にもうようよおる。そこいらへんにいっぱいおる。作れる技術力なら、日本だってアメリカに勝るとも劣らん。だが、作らせることができるリーダーシップとコラボレーションの体制に関しては、彼我の差はまるで大人と子供、いや、大人と赤ん坊だ。作れる技術は十二分にあるのに、作らせるほうがボンクラなので、日本にはせいぜいこの程度のおもちゃしか作れない。な、情けねー。「そんなことはない」という政治家やお役人方、じゃあ、作ってみろよ。賭けてもいいが、絶対に作れないから。どんなに優秀なIT技術者を大量に雇っても、金を湯水のように注ぎ込んでも、絶対に作れないから。その理由は、あんたがたがいちばんよく知っているはずだ。

 このオバマ政権の IT Dashboard の開発に携わった技術者を全員日本にヘッドハントしてきて日本の“電子政府の総合窓口”とやらを作らせたとしても、現状と似たり寄ったりのろくでもないものしかできないと断言できる。つまるところ、問題の本質はじつに簡単なことなのだ。つまり、ITの力を引き出せるかどうかは、コンピュータ技術の問題でもなければ、ソフトウェア開発技術の問題でもないということである。

 それにしても、こういうもんをちゃちゃっと作らせることができる(“作ることができる”ではない)アメリカ合衆国という国は、虚心坦懐にすごいと思うね。

 よく、日本人は個人プレイよりもチームプレイが得意だとか、アメリカ人は一人ひとりが自分勝手だから集団行動が苦手だとか、根拠のない(事実に基かない)印象だけでほざく人がおるが、おれはその手の思い込みは笑止千万だと思う。アメリカ人は、互いに異質でバラバラのやつらが、まとまればまとまるほど賢く強くなってゆき、日本人は、個々人は優れている均質なやつらが、集まれば集まるほどアホになり弱くなってゆく。

 チームプレイが得意な国で年金が消えたりするかよ。党利党益、省利省益しか考えていない政治家と役人が馴れ合って国民不在の政治と行政を自分たちだけのために回し、そんでもって、それだけコケにされても、ろくろく選挙にも行かない国民が大勢いる日本人の、どこがチームプレイが得意なものか。あの、大多数はどう見ても能天気な阿呆としか思えないアメリカ人どもが、なぜ世界の頂点に立っているのかを、もう一度、虚心坦懐に見つめ直すべきだ。やつらは、いまのおれたちにはないものをたしかに持っている。それは“多様性というのは善である”という、たしかなマインドセットだ。そりゃあ連中だって、多様性の善を否定するようなことをしてきた。しかし、やつらは、それを自浄する能力を持っている。これは手強い。多様性の善は、生物界に於いて、三十八億年以上の実績を以て証明されてきた強力な戦略だからだ。これを国家存続のための哲学とした国は、絶対に侮れん。

 日本は、このままで行けば、数十年後には、中国の“ヤマト自治区”になっているか、アメリカの五十一番めの州になっているか(まあ、いまだってそうだという見解もある)のどっちかだとおれはマジで思うのだが、どっちかを取れと究極の選択を迫られたら、おれは日本をアメリカの五十一番めの州にしたい。むろん、独立国であることが、いちばんいいに決まっているのだが……。

 おれは思うのだが、日本人というのは、ステレオタイプな日本人像とはまったく異なり、組織やシステムの不備や怠慢を、個人個人の優れた能力と自己犠牲で切りまわしてきた、世界にも稀に見る“個人プレイ”が得意な民族なのではあるまいか? “和を以て尊しとなす”という言葉を、誰よりもはきちがえてきたのは、当の日本人なのではないかと、最近切に思うのだ。

 いまこそ日本人は、ほんとうのチームプレイ、多様性を善とするチームプレイというものを学びはじめなくてはならないのではなかろうか? その最良の教師は(反面教師も含めて)、やっぱりおれはアメリカ合衆国だと思うのだ。はっきり言って、やつらは、いまの日本人よりも、はるかにチームプレイが得意である。そうじゃないと言うあなた、たとえば、在日朝鮮人の二世や三世や、中国残留孤児の二世や三世が、能力さえあれば、近いうちにこの国で議員や大臣や首相になれると思うか? アメリカ合衆国という国の連中は、それに近いことを、すでに実際にやってのけているのだ。



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2009年6月29日 (月)

謙虚になれ、爺いども!

小中学生のケータイ所持禁止 石川県条例案に異論 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/06/26043914.html

子どもには携帯電話を持たせないように保護者への努力義務を課す――。石川県議会に提出された条例案に異論が出ている。取り上げても、抜け道がいくらでもある、という指摘や、下校後の塾通いや防犯対策を考えると必要だ、という意見だ。実際、明確なルールを決めた上で携帯電話の持ち込みを認めている学校もある。

(中略)

一方、デジタル・メディアが教育上与える好ましくない影響についての調査を行っている、NPO法人青少年メディア研究会の理事長・下田博次さんは、今回の石川県の条例案について「条例で(携帯電話所持禁止に)踏み込むという姿勢を示したことがよかった。実効性は別だが、地方自治体が(小中学生の携帯電話利用への)危機感を持っている証明だと思う」と指摘する。

「携帯電話を持っているからネットいじめ、出会い系サイトの問題が成立しているのが現状です。これらは当然、携帯電話を持っていなければ、成立しない問題。こうした事件が携帯電話の普及とあいまって増していることを考えれば、私は、携帯電話がどんなに優れた機器であろうとも、大人が管理、指導できないものを子どもには渡さない方がいいのではと考えます」

 いろいろと議論をする中で、大人が世の中に追いついてゆこうと試行錯誤や努力をするのはじつによいことだ。思考停止をせずに、もっとああでもないこうでもないと、おれたちは考えてゆかねばならない。

 しかし、このNPO法人青少年メディア研究会の理事長とやらの見解にはずっこけた。「私は、携帯電話がどんなに優れた機器であろうとも、大人が管理、指導できないものを子どもには渡さない方がいいのではと考えます」だって? なにを言っているのかわかっているのか? 要するに、これは大人が「おれたちのわからんものを若いやつに持たせてはいかん」と言っているわけである。アホか。典型的なロートルの発想である。いつの世も、上の世代が理解できない新しいものがほんとうに世の中を変えてきたのだ。あんたも若いころは、「大人はわかってくれない」と思っていたことはないのか? それを忘れたのか? 手塚治虫だってビートルズだって筒井康隆だって、最初から大人たちは褒め称えていたのか?

 この理事長さんは、野口悠紀雄の言をとくと聴くがよい──

野口 それは、GPTの種類によるのですね。「電力の場合にはイギリスに不利な技術変化だったけれど、ITは逆で、日本に不利な技術変化だ」というのが、この本の主張です。
 例えば、ITは1980年代以降のものですから、その頃すでに企業の中堅になっていた世代の人たちが、いま企業において決定権を持っているわけですね。その人たちは、新しい技術に適応力を持っておらず、ITが得意なのは若い人です。だから、もし会社の中でITを活用するようなことになったら、下克上が起こる。
 そういう人たちがITの導入に積極的な考えを持つとは考えられません。これは、日本型企業のひとつの特徴である年功序列制が、新しい技術の導入に抑制的に働くことを意味します。

 そう、つまり、この理事長のものの考えかたは、“自分たちにわからないものを若いやつが自在に駆使するのは危険だし、面白くない”といった、結果的に組織や企業や国家の総体としての競争力を下げる方向に働く考えかたなのである。つまり、凡百のロートル経営者と同じ“すでに自分は終わっているくせに既得権にだけはしがみつこうとする”卑しい発想にすぎない。これこそ、日本がITをハコモノとしてしか捉えず、国を、社会を豊かにするためにITの真の力を引き出せない大きな理由のひとつだ。小学生や中学生には、ITの理論や仕組みはまだよくわかっていないかもしれない(が、興味さえ持てば、MITの講義だって無料で視聴できる仕組みはすでに開放されている。いま小学生の子らだって、やる気と興味さえあれば、数年後には、それらを直接利用し理解できるようになれる)。しかし彼らは、その“活かしかた”においては、下手な企業をはるかに凌ぐ。野村総研“産消逆転”などと言われて、国や企業は恥ずかしくないのか? ガートナー「大きな変革が足元で起きていることを認識してほしい」などと言われて、国や企業は危機感を覚えないのか?

 もたもたしている大企業のロートルをよそに、優れた中小企業の経営者たちは、あたかも小・中・高校生たちのようにITを利活用しはじめている。投資額では大企業に遠く及ばなくとも、その利活用の知恵は大企業をはるかに凌ぐケースも少なくない。「ややこしいことは専門家に任せておけばよいが、こんなに使えるものを本業の経営に使わんでどうする? おれは技術者になるつもりはないが、経営者としてこの強力な武器を活かすために学ばねばならんことがあるなら、いくらでも学んでやる!」という、経営者としてじつに正しい気概が彼らにはある。それはあたかも、難病に立ち向かう決意をした個人が、「おれは医者じゃないし、なるつもりもないが、この病気を克服するためなら、おれの病気や治療法を当事者として患者なりに理解する努力をせねばならん」と、医学的な知識を身につけようとしているかのようである。

 おれはなにも爺さんたちに十六進数で寝言を言えとか、TCP/IP のヘッダの構成くらい暗記しておけとか、Perl や PHP や Python や Ruby でばりばりコードを書けとか言っているわけではない。新しく出てきたものが“使える”ものであれば、それを自分の本業(たとえば、経営)に“活かす”ためのリテラシーくらいは、いくつになっても謙虚に身に着けようとせよ、とくに自分より年下の者に学べと言いたいだけである。

 その自分たちの怠慢を棚に上げて、「おれたちにわからんものを若いやつが使いこなすのはけしからん」などというくだらない考えを、さも教育的に重要なことであるかのように吹聴するロートルどもの気が知れん。おれはこのような年寄りにだけは、絶対になりたくない。

 なんのことはない、ケータイがどうしたこうしたという問題は、子供の問題ではないのだ。大人の側の怠慢の問題である。

 将来もし、魔法がおのれの本業や社会全体に大きな影響を及ぼす重要な技術として台頭してきたならば、おれは魔法を子供のころから使いこなしている若いやつ(“マジカル・ネイティブ”?)に教えを乞うだろう。『はじめての魔法』とか『図解でわかる魔法』とかいった本を買ってきて読むだろう。〈日経魔法ストラテジー〉を定期購読するだろう。「魔法 is beautiful」「404 魔法 NOT FOUND」といったブログのRSSを受けるだろう。自分が魔法に習熟できなくとも、その利活用のしかたについては、年の甲に頼って、あんまりない知恵を精一杯出そうとするだろう。

 まちがっても、「おれのわからん魔法を若いやつが使いこなすのはけしからん」などとほざく爺いにだけはなりたくない。



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2009年6月27日 (土)

♪寂~しさに負けた~、いいえっ、タヌキに負けた~

寂しさに負けた…タヌキの置物何度も盗む 容疑者を逮捕 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0625/NGY200906250001.html

 陶器のタヌキの置物を盗んだとして、愛知県警豊橋署は25日、同県豊橋市多米町、無職木村修武容疑者(52)を窃盗の疑いで逮捕した、と発表した。木村容疑者は独り暮らしで、「寂しさから盗んだ。ここ1年で、10体のタヌキの置物を盗んだ」と話しているという。
 同署によると、木村容疑者は24日午後11時10分ごろ、同市内の会社員男性(41)方で、庭にあった全長約60センチの陶器のタヌキの置物(1万円相当)を盗んだ疑いがある。木村容疑者はこの置物を盗んだ後、さらにタヌキの置物もう1体を盗もうと戻ってきたところを、男性に見つかり、110番通報で駆けつけた同署員が逮捕した。
 木村容疑者が、なぜタヌキの置物を狙っていたのかは不明で、同署員は「(木村容疑者は)タヌキマニアなのかもしれないが、よくわからない」と話している。

 まあ、先日の「ヘビの散歩」のおっさんだってそうだけど、はっきり言って、どこか“病んでる”よなあ、この人たち。だが、病んでいるがゆえに、そりゃ犯罪はいかんけれども、どうもその、そこはかとない惻隠の情というか、けっして人ごとではないなにかを感じて、妙にいとおしくなってしまうことも事実である。いやそりゃ、犯罪者ですよ。でも、悪い人じゃないような気がしちゃうんだよねー。

 これが仏像かなにかなら、オーガナイズされた組織犯罪の匂いみたいなものがして、とたんに関心が失せるのだが、タヌキの置物ってとこがしょぼくていいじゃないすか。“業”のようなものを感じる。おれもいつの日にか、カエルの置物の連続窃盗犯として逮捕されるところまで壊れてしまうようなことがないとは言えない。

 もしそういうふうにおれが壊れてしまったら、おれの友人・知人の方々にはお願いがある。「まさか、あんな真面目そうな人がこんなことを……」みたいな薄っぺらなことは、けっして言わないでほしい。え? べつに頼まれんでも言いませんかそうですか。でもまあともかく、「ああ、とうとうやりおったですか。そのうち、なんかやるんやないかと思うてました」くらいのことを言って、マスコミを喜ばせてあげてほしい。え? べつに頼まれんでも、そういうふうに言いますって? いやあ、嬉しいね、そりゃ。さすがおれの友人・知人だけのことはある。いつ壊れても安心だ。じゃあ、頼みましたよ。

 ここまで壊れたかないけどねえ……。



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2009年6月25日 (木)

採用条件:地頭のよいバカ

文科相「平日の就活禁止を」新ルールづくりへ持論披露 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0624/TKY200906240374.html

 「就活」に新しいルールを――。塩谷文部科学相は24日の参院行政監視委員会で、学生の就職活動が長期化、早期化して学業に影響が出ていると指摘されていることに関連し、「少なくとも平日は、企業も就活(就職活動)の会合をしてはいけないとか、それぐらいのルールを最低限つくってもらいたいと思っています」と述べた。
 山下芳生議員(共産)が「学生は大学3年の早い時期から負担を強いられている」として就職活動のルールづくりを求めたのに答えた。
 塩谷文科相は「かつては就職協定があり、今は(日本経団連の)倫理憲章のもとにやっているが、現実には守られていない」と指摘。「要は授業のある日は(企業が就活中の学生を集める会合を)やっちゃいけないとか、それぐらいのルール」が必要だと語り、山下議員も「なかなか具体的な検討内容を披瀝(ひれき)していただいた」と評価した。
 就活に関する新しいルールづくりは、何度も議論にはなるものの、企業側が難色を示すなど状況は変わらないまま。ただ、今回の大臣の持論披露には、当の文科省内でも「ちょっと現実的ではない」と受け止められている。(青池学)

 塩谷文科相の持論はたしかにいまの状況に照らすと現実的ではないとは思うが、“学生は勉強せえ”というあたりまえのことをあたりまえに言っている点で評価できる。あたりまえのことをあたりまえに言うことは、存外に大事なことだ。

 少し前にあちこちで話題になった「三角錐の体積が計算できない技術系新入社員---深刻な若手の学力低下」という記事をいま一度併せて読むと、いったい企業側はなにを求めているのかよくわからなくなる。おれがわからなくなるのだから、就職活動中の学生諸君はなおさらわからないだろう。企業側は、自分たちが大学でろくろく勉強させずに採った学生の基礎学力がないと言って嘆く。矛盾しとらんか?

 企業側のぶっちゃけた本音を想像するに、「十八、九歳の時点の瞬間風速でそこそこの大学に入れたという“そこそこの地頭のよさ”だけを一応証明してくれれば、大学の役目などそこで終わっている。大学でなにを学ぶかなど知ったことではない。というか、あんまり余計なことを教えないで、できるだけ白紙のままでこっちに渡してくれ」ということなのではなかろうか? つまり、“できるだけ地頭のよいバカが欲しい”というのが企業側の(もしかすると、企業側自身も気づいていない深層の)本音なのかもしれん。

 このような企業側の明示的メッセージと暗示的メタメッセージとの乖離は、学生たちをいわゆる“ダブルバインド”の状況に置く。学生たちは、“私はじつは「やればデキる子」なのですが(その証拠にそこそこの大学には入れたのです)、大学では毒にも薬にもならないことをちゃんと勉強するふりをして着々と単位を取っているくらいに世渡りは上手です。もちろん、卒業後はどんな色にでも簡単に染まってみせる、要するにあなたがたの脅威にはけっしてならないアホです”というケッタイなアピールをしながら就職戦線を戦わなくてはならない。

 大学生にろくろく勉強をさせないように行動しながら、採用した新人の基礎学力がないといって嘆くのは、ちょっと学生に酷じゃないの? 企業側はここらで本音で勝負したほうがいいと思う。「まぐれだろうがなんだろうが、そこそこの大学に入れたという一事を以て、少なくとも地頭は悪くないと認定する。だから、大学生時代はできるだけ余計なことは学ばないでくれ。なあに、こっちが内定さえ出しゃ、大学の教師なんぞ簡単に折れて卒業させてくれるよ。キミは義務教育修了程度の四則演算と日本語の読み書きができりゃいい。その代わり、ウチの会社に入ってから、ちゃんと“教育”してあげるからウチに来てくれ」──要するに、こう言いたいのだろう? ぶっちゃけた話。

 「へえ、企業ってそうなんだ? じゃあ、大学なんて要するに“入れれば勝ち”なんだね? よーし、大学入って、思いきり遊んで、立派な“地頭のよいバカ”になっていい会社に入るぞお」などと目から鱗が落ちた学生が仮にいたとしたら、そういう人は「優秀なエンジニアは「入社時のスキルを問わない会社」には就職してはいけない」という、これまた一時話題になったブログエントリーも読んでおいたほうがよい。べつにこれって、もはや“SIer”にかぎった話じゃないからね。定式化すると、“○○を以て競争力とし、○○で食っているはずの企業が「入社時の○○を問わない」と新卒を募集しているのはあきらかにおかしい。なにか裏がある”ということだ。

 なんの道によらず、大学でちゃんと勉強してきた人は、「入社時の○○を問わない」企業じゃなくて、「入社時の○○を大いに問う」企業に入ったほうが、なにかと面白いだろうと思うよ。せっかく○○をしっかり勉強してきたのに、入社してみたらいきなりド素人と横並びで、「大学教育? 専攻? なにそれ? 食えるの?」みたいな扱いをされたら、「だ、大学って……なんだったの?」と、ヤワなやつは五月病になっちまうよなあ。でも、基本的に“地頭のよいバカ”を欲しがっている企業ってのは、どこも似たり寄ったりだろうと思いますよ。

 純プラグマティックに考えると、大学時代の勉強は“趣味”と割り切って思いきりやって(趣味だからこそ、損得考えずに打ち込めるのだ)、就職活動では適当に“地頭のよいバカ”を演じて適当なところに潜り込む──ってのが、今風の処世術かもしれん。そのうち、デジタルネイティブのキミらがほんとうに面白いと思えるなにかにめぐり会うかもよ。会わないかもしれないけど。



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2009年6月23日 (火)

女々しいぞ、松浪健四郎!

宮崎・東国原知事「総裁候補」発言 自民党内からは厳しい声も (FNNニュース)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00157738.html

宮崎・東国原知事「総裁候補」発言 麻生首相「これは去就の問題」 (FNNニュース)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00157749.html

自民党の古賀選対委員長から次期衆院選出馬の要請を受けた宮崎県の東国原知事が、「自分を総裁候補にする覚悟があるなら」と応じたことについて、麻生首相は23日午後6時すぎ、官邸で記者団に対し、「(事前に首相の了解を得て、古賀選対委員長は東国原知事と会談した?)東国原知事さんに会いにいくという話は知っていました。(麻生首相への挑戦ともとれるが?)知事を辞めて、それなりにいろんなことをやる。これは去就の問題ですから、そんなおちょくったような気持ちで言っているとは思いません」と述べた。
東国原知事の発言について、大阪府の橋下知事は「本当に言ったんですか? 古賀委員長に。いや~、度胸ありますね。とてもじゃないですけど、考えられない、すごい」と述べた。
自民党内からは、さまざまな声が聞かれた。
自民党の丸川珠代議員は「さすがですね。東さんの切り返しが素晴らしいと思います。それは東さんならではですね。組織をまとめていくっていうのと大統領って、また違う資質だと思うので、やってみないとわかりませんね」と述べた。
自民党の松浪健四郎議員は「『東国原君、顔洗ってくれ』と言いたい。それに、東国原知事に依存しなければいけないほどに、自民党が落ちてんのかと思うと、情けないね」と述べた。

 顔洗うのはあんたのほうだよ、松浪健四郎。自分が所属している党の選挙対策責任者が頭を下げて頼みにいった相手に、上から目線でなにをほざくか! 無礼にもほどがある。民間企業なら、こういう状況で自分の組織が頼みにいった相手を、公の場で悪く言うことなど考えられない。「なんであんなやつに頼みにいったのだ」と、あくまで内部で批判し合うのが常識である。組織というものは、対外的には“ひとつ”のものとしてふるまわなくてはならないのだ。いかに、おのれが自分の所属組織の行動に批判的であったとしてもである。そういうあたりまえのことを理解する能力を、組織の“自浄能力”という。

 松浪健四郎、あんたが、「顔洗ってこい」というべき正しい相手は、古賀選対委員長である。そんな世間ではあたりまえのこともわからずに、ただただ大きな組織にぬくぬくと属しているだけの優越感からか、自分たちが頭を下げにいった県知事に対して無礼な言を吐くとは、女々しいにもほどがあるぞ。おれはフェミニストだから“女々しい”という言葉はあまり使いたくないのだが、おれの怒りをあんたに伝えるにはこの言葉が最も適当であろうと判断する。“女々しい”という言葉が政治的に不適切だというのなら、“男の腐ったような”とでも言おうか。そんなことをうじうじ言っているんなら、古賀選対委員長にコップの水でもかけにゆけばよかろう。あるいは、そんなに自民党がいやなら、とっとと離党して、他党に入るなり新党を立ち上げるなりしろ。

 丸川珠代議員にしても橋下徹知事にしても、東国原知事の強烈な毒を含んだ発言の意図がわかっているから、天晴れ、よく言ったと、ウケながら褒めているのである。麻生首相もなにを頓珍漢なことを言うておるか。東国原知事はべつに自民党を「おちょくって」いるわけではない。「なめて」すらいない。「おまえはもう死んでいる」と言っているだけのことだ。

 東国原知事は、「都合のよいときにだけ人気者を担ぎ出せば国民なんぞいくらでも騙せる程度にまだ考えているとは、おまえらの頭の中は二十世紀のままで止まってるんじゃねーの? おまえらの人寄せパンダに使われて捨てられてたまるか。どれ、おまえらの腹のくくり具合を試してやろうじゃないか。けけけ、絶句してやがる。そりゃそうだろ。どうせできねえだろうし、できねえからこその自民党なんだ。おい、古賀、顔洗って出直してこい」と、自民党に引導を渡しただけのことである。そんなこともわからんとは、松浪健四郎、そのでかい頭に詰まっているのは筋肉か?

 大阪府第19区の有権者は、いや、全国民は、次の総選挙ではよく考えてもらいたい。もっとも、大阪府第19区の有権者はもうよくわかっていて、この人は小選挙区では“すでに死んで”おり、首の皮一枚で比例区にぶら下がっている程度なんだから、あとは比例で落としてやればよいだけのことだ。こんなのをいつまでも国会議員にしていたのでは、全国民にとってもよくないし、自民党にとってもよくない。

 案外、この事件は、あとから振り返ってみると、自民党の“終わりのはじまり”の決定的引鉄を引いた事件として語り継がれることになるかもしれんな。中央集権体制が弱体化し、地方分権へと移行してゆく時代の象徴として、「2009年 宮崎の屈辱」などと、教科書に載ることになるかもしれん。



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蛇足

カミツキガメ飼育容疑で逮捕 ヘビの散歩から発覚 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0622/TKY200906220312.html

 特定外来生物のカミツキガメなどを無許可で飼ったとして、群馬県警は22日、沼田市の男(50)を外来生物法違反容疑などで逮捕した。
 「公園で大きなヘビを放して散歩させている」との相談があり飼い主宅を捜索したところ、甲羅が最大で31センチのカミツキガメ5匹とワニガメ1匹、ニシキヘビらしい死骸(しがい)が見つかった。
 男は「500円玉程度の大きさのカメを5年かけて育てた。ヘビやカメが好きだった」と話したという。県警幹部は「ヘビでアシがつくなんて」とあきれていた。

 素朴な疑問として、「ヘビの散歩」ってのは日本語として正しいのだろうか? じゃあどう言うのだと問われると、たしかに困る。さ、散行

 このおっさんがどのくらいの「大きなヘビ」を「散歩」させていたのかはよくわからないが、五メートルくらいのヘビの首にリードをつけ、コンビニのレジ袋とスコップを持って「散歩」させている五十男の姿をビジュアルに思い浮かべると、なかなかシュールに愉快だ。五百円玉くらいのカミツキガメを三十一センチにまで育てたこのおっさん、けっして悪い人ではなさそうな気もするんだが、違法は違法だからねえ。

 自分の愛するものを、必ずしもそこいらへんのふつうの人が愛してくれるとはかぎらないという教訓を、このおっさんは五十年も生きてきて得ることがなかったのだろうか? SFファンを五年もやれば、そういう常識は身につくんだがな。べつにSFファンにかぎらず、特定分野のオタクは、とても他人事とは思えないだろうとは思うけどねえ。同好の士諸君は、公園で青背を散歩させたりしないように。それが元で、自宅で飼っているサンリオSF文庫が見つかってしまったりするぞ。

 「お母ちゃ~ん、ヘンなおじさんが大きなヘビを散歩させてる。怖い」
 「怖くないよ、お嬢ちゃん。ほら……、伏せっ、伏せっ」
 「ずっと伏せてると思うけど……」
 「そんなことはない、こいつは調子のいいときはもっと伏せるんだ」
 「ほかになにかできるの?」
 「できるとも! ほら、お手っ、お手っ!」
 「…………」

 それにしても、「ヘビでアシがつくなんて」って、この県警幹部、役人にしてはそこそこやりますな。“座布団一枚”“中笑”“アンテナ二本”くらいはあげよう。



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2009年6月19日 (金)

今年はチャンスだ、森口博子!

 ウチのブログにやってくる人が用いた「検索フレーズランキング」に、「森口博子 歌唱力」ってのが急にランクインしてきて見るみる二位にまで上がってしまい、いったいなにが起こっているのだろうと思っていたのだが、そうか、こういうことだったか。

森口博子デビュー曲「ニコ動」トップ ガンダム30周年大盛り上がり (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/06/18043437.html

「機動戦士ガンダム」がテレビ放送開始から今年で30周年を迎える。記念グッズが販売され、東京、大阪、名古屋で大規模なイベントが予定されている。そうした中で、投稿動画サイト「ニコニコ動画」では森口博子さんの24年前のデビュー曲の閲覧数がトップになり、東京・お台場で作られている全長18メートルの「実物大ガンダム」をめぐってデマが駆け巡るなど大盛り上がりをみせている。

(中略)

一方、投稿動画サイト「ニコニコ動画」で09年6月15日の週からデイリーランキングのトップになっているのはタレントの森口博子さんの歌。これまで20万回近く閲覧され、コメントも2万5000も付いている。森口さんのデビュー曲は「機動戦士Zガンダム」のオープニング曲「水の星へ愛をこめて」。24年前のことになる。また、91年に公開されたアニメ映画「機動戦士ガンダムF91」では、「ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~」を歌っている。
「ニコニコ動画」に「森口博子 - ガンダム関連2曲」と題してこの2曲のライブがアップされたのは09年5月30日。「曲を聴いて泣いてしまった」「初めて聞いたがいいねぇ」「マジでもっと歌ってくれ、絶対もったいない」というコメントが付いている。森口さんが「ガンダム」の曲を歌っていることを知らなかった人や、思い出の曲と思っていた人が書いたものらしい。

 森口博子を“発見”する若い人がにわかに出てきているようで、まことに喜ばしいことである。一昨年におれも激賞していた『もうひとつの未来 ~ starry spirits ~』(これもガンダムソングだ)のオリコンチャート上位ランクイン以来、森口博子の運気はじわじわ上向いているようで、今年あたり、アイドル時代を凌ぐどでかいヒットが出そうな気がな~んとなくする。絶好のチャンスだ。ここで一発、いい新曲に恵まれてほしいね。

 なんか最近、「あ、この曲いいな」と思ったら、たいていアニメに使われている曲だったりするのである。いいポップスを見つけたかったらアニメを観ることだ。

 先日、「餃子の王将」に入ったら、BGMに「Lacrimosa」Kalafina)が流れていて面食らった。で、それが終わるや否や、しょこたん「涙の種、笑顔の花」が流れ出したので、カウンター席から落ちそうになった。こ、ここは「餃子の王将」ですかっ! ほかの客をざっと見わたすと、どう見ても、これらがアニメの曲だという認識がありそうな客はひとりもいなかった。まあ、ほかの客も、スーツ姿で王将で食ってるおれを見て、「あ、あのおっさんはこの曲がアニメの曲だとわかっている」などとは夢にも思わないだろうが……。案外、あのとき王将にいた客は、ガテン系の風貌の人も家族連れもおばはんも爺さんも、み~んな心の中で、「ファントムハイヴ家の執事たる者、これくらいの曲がわからなくてどうします?」と思っていたりしてな。ちょ、ちょっと不気味だが、人は見かけによらないものだからな。ホントにそうだったとしても、べつに不思議ではない。い、いや、餃子焼いてる兄ちゃんも、「王将の従業員たる者、これくらい……(以下略)」と思っていたのかもしれない。

 だもんだから(なにが?)、アニメ作ってる人たち、いまこそ森口博子を起用して、十年後にはスタンダードになっているような曲を唄わせなさい! 若い人たちが森口を再発見しているんだから、チャンスです。本人は、アニソン歌手みたいに言われることに抵抗があった時期もあったそうなのだが、いまの森口はふっ切れてますよ。誇りを持って、アニソン唄ってくれます。だからこそ、アニソンの枠を超えて万人にアピールするポテンシャルを持っている。曲です、曲。彼女にいい曲を唄わせてちょーだい! そしたら、今年は大晦日に森口博子が観られる。

 はっ。

 なにを熱くなって事務所みたいに宣伝しているのだ?

 いやまあ、歌唱力がどうのこうのと聞いたふうなことを並べてはいるものの、はっきり言って、森口博子はおれのどストライクだというだけのことです、ハイ。ただのミーハーです、ハイ。



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2009年6月18日 (木)

それが手前の哲学ならば、堂々と言えよ!

「外見で不合格」4人に計850万円 神奈川県教委和解 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0617/TKY200906170324.html

 神奈川県平塚市の旧県立神田高校(現・平塚湘風高校)の受験生が、選考基準にない「茶髪」や「スカートの長さ」など外見や服装で不合格にされた問題で、県教育委員会は17日、不合格とされた22人のうち4人について、慰謝料を含め計856万円を支払うとする和解案を合意した、と発表した。19日開会の県議会に和解案を提出する。
 県教委によると、05、06、08年度の同校入試で、当時の校長の指示により、髪の色やピアスの跡、スカートの長さなどを教員が出願時や受験日にチェック。合格圏内に入っていた22人が不合格とされた。県教委が公表している選考基準では、調査書と面接、学力検査を点数化するだけで、外見や服装は選考基準になっていなかった。

 こりゃまあ、県教育委員会の判断はきわめて妥当であると思うね。

 つまるところ、なにが問題なのかと言えば、校長の陰湿な“小役人根性”だけが問題なのである。「茶髪」や「スカートの長さ」も選考基準になるというのなら、そう明示すればいいだけの話だ。そう明示するのなら、それはそれで学校の教育思想の表明なのだから、べつになんの問題もない。たとえば、「アーサー・C・クラークを読んでるやつはダメ、筒井康隆を読んでるやつはダメ」と、それが選考基準になると明示すれば、べつにな~んの問題もない。それがその学校の教育哲学なのであれば、その学校に入りたいやつは、その学校の哲学に合わせるのがあたりまえである。「そんな学校はこっちからお断りだ」と受験しないのも、単に“ご縁がなかっただけ”ですむのである。

 極端な話、「わが校には障害者は入れない。障害を持つ者にはろくな人間はいないというのがわが校の哲学である。障害者に教育など与えるべきではないというのがわが校の方針である。ゆえに、身体あるいは精神に障害のある者は問答無用で落とす」と明言している学校があるとすれば、それはそれでべつに非難されるいわれのない立派な教育方針である。そう明示されているのなら、障害者は最初からその学校を受験したりするという無駄な努力をしなくてすむ。

 この学校の校長が厭らしいところは、とにかく“なにがなんでも言質を取られないように”しつつ、ちゃっかり己の勝手な哲学を公的な意思であるかのように紛れ込ませている点である。これすなわち、“小役人根性”と言う。

 「うちの学校は、茶髪は落とす。スカート丈の長いやつも落とす」と堂々と明示しておけばよいだけの話。どうしてもその学校に入りたいという子なら、ちゃんと明示しておけば、それなりの外見で受験しにくるだろうよ。そういう選択の自由を隠然と奪うのはフェアじゃない。茶髪はダメと明示しているのに、いけしゃあしゃあと茶髪で受けにくるやつがいれば、どんなにテストの成績がよかろうが、堂々と落とせばよいだけのことである。

 この校長の厭らしい小役人根性が発揮されているのは、「わが校は外見でも落とす。文句あるか」とはっきり言う度胸もないくせに、隠然と外見で落としている点に尽きる。つまり、自分はとことん安全なところにいながら、権力だけは行使する──つまり、それを世間はずばり“小役人根性”と呼ぶ──という厭らしさなのである。要するに、「なんで茶髪はダメなの?」という受験生に、堂々と反駁するだけの一貫した哲学がないのだ。哲学がないやつに、なにを教育できると言うのだ、このあさましい小役人めが。結局、可愛いのは自分だけか。

 いわゆる優等生の諸君、こんな学校、受けたいと思いますかね? キミが優秀であればあるほど、この程度の学校を受けるのは、キミらしくないと思いませんか? やめとけやめとけ、もっと“”高い”ところを狙え。



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2009年6月17日 (水)

「ケータリングのピザ」って十回言って……じゃあ、コレは?

長電話「ケータイひじ」にご注意 米医学誌に論文 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/0605/TKY200906050105.html

 【ワシントン=勝田敏彦】携帯電話の長時間使用で、手や腕のしびれや痛みを訴える人が増えている。ひじを鋭角に曲げ続けていると起きる症状で、全米有数の医療機関の一つクリーブランド・クリニック(オハイオ州)のチームが、注意を呼びかける論文を同クリニックの学術誌に発表した。
 論文によると、「肘部管(ちゅうぶかん)症候群」または俗に「携帯電話ひじ」と呼ばれる症状で、ひじの内側を走る神経(尺骨神経)が圧迫されるのが原因。


More talking, more problems: 'Cell phone elbow' damages nerves (CNN.com)
http://www.cnn.com/2009/HEALTH/06/02/cell.phone.elbow/

(CNN) -- If your pinkie and ring fingers tingle or feel numb, you might not want to pick up that cell phone to call the doctor.
Orthopedic specialists are reporting cases of "cell phone elbow," in which patients damage an essential nerve in their arm by bending their elbows too tightly for too long.
When cell phone users hold the phone to their ears, they stretch a nerve that extends underneath the funny bone and controls the smallest fingers. When talkers chat for a long time in that position, it "chokes the blood supply to the nerves. It makes the nerves short-circuit. The next thing you know, there's tingling in the ring and small finger," said Dr. Peter J. Evans, the director of the Hand and Upper Extremity Center at the Cleveland Clinic in Cleveland, Ohio.
When that happens, the advice is simple: Switch hands -- before it gets worse.

 ……ってあのなあ、ごくごく素朴な疑問として、おまえら、どんだけ電話しとんねん!? なにをそんなに話すことがある?

 ひょっとしたら、ソフトバンクの「でか!ストラップ」のアイディアは、この問題に対する解決策を、論文に先んじて提示しているのかもしれないぞ。あのストラップが十キロくらいあったら、長電話を防止できるばかりではなく、いい筋トレにもなる。ケータイひじなどというものになる前に、疲れて通話を継続できなくなるからね。

 「論文は、携帯電話を持つ手を左右でときどき替えたり、ハンズフリー装置を使ったりすることを勧めている」って、いやだからそもそもそれ以前に勧めるべきことがあるでしょうが!



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2009年6月15日 (月)

これって便利なの?

画面にタッチで写真撮影 富士フイルムが新デジカメ (MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/release/electric/090611/elc0906111718000-n1.htm

 富士フイルムは、液晶画面で一番ピント合わせたいところにタッチするだけで撮影できるコンパクトデジタルカメラ「ファインピックスZ300」を20日発売する。
 画面の手前の花など、ピントを合わせたいポイントを指で触れるだけで撮影できる「タッチショット」機能を世界で初めて搭載。シャッターを半押ししながらピント合わせをするわずらわしさがなくなった。料理などを接写するときに最適な発光量に調整し、自然な明るさで撮影できる「スーパーiフラッシュ」も備えている。
 有効画素数は1000万画素で、市場想定価格は4万円前後。

 はあ? 記事を読んだだけではどういう機能なのか、いまひとつよくわからんな。「シャッターを半押ししながらピント合わせをするわずらわしさがなくなった」って言うけどさ、カメラをしっかり把持している左手をわざわざ離して、液晶画面にタッチするほうがよっぽどわずらわしいようにおれは思うのだが……。それに、右手だけで把持しているカメラの液晶画面に左手でタッチしたりしたら、手ブレを起こさないのだろうか? そこいらへんはちゃんと工夫をされているのかもしれないが、記事を読めば読むほど、このカメラでどこがどう便利になったのか、さっぱりわからん。

 「シャッターを半押ししながらピント合わせをする」ってのは、わずらわしいどころか、左右いずれの手もできるだけ動かさなくてすむ、充分に練られた“枯れた”ユーザインタフェースだとおれは思うんだがなあ。記事を読むかぎりでは、全然便利そうに見えないところが不可思議である。ピントを合わせるときに、左手をいちいちカメラから離して液晶画面に触れ、ピントが合ったところで、もう一度両手でしっかりとカメラを両手で把持して写せということなのだろうか? よっぽど右手がしっかりした人でもないかぎり、かえって写しにくいように思うんだけどなあ。

 まあ、どっかで実機を見たら、試してみよう。おれは買う気はないけどね。これもコンデジのコモディティー化の一方向なのかもしれないが、カメラ本来の機能を使いやすくする方向へじゃなくて、おせっかいにもほどがある“見せびらかし”インタフェースを派手にする方向へ進んでいっているような気がしてならない。

 リコーには、こういうおもちゃじみたプレゼンテーションになどには目もくれずに、ひたすら“人が頭と手を使って自分の道具として操れる手応えのあるカメラ”の路線を突き進んでほしい。ユーザに“上達する喜び”というものを与えてくれる道具にこそ、ほんとうの愛着が湧くというものだ。



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2009年6月12日 (金)

北陸地方、午後はくもりのちおたまじゃくし、ところにより雷魚となるでしょう

「ファフロッキーズ」じゃありませんから (山本弘のSF秘密基地BLOG)
http://hirorin.otaden.jp/e42900.html

 スペルはFafrotskiesである。「Falls From The Skies」(空からの落下物)の略。 命名者は有名な超常現象研究家のアイヴァン・T・サンダースンだ。彼はオーパーツ(OOPARTS = Out Of Place Artifacts)という言葉も発明している。こういう変な略し方が好きなのかもしれない。
 このスペルをよく見てほしい。もしかしたら「ts」は「ツ」ではなく「ス」と発音する可能性もある。つまり「ファフロツキーズ」もしくは「ファフロスキーズ」である。
 でも、「ファフロッキーズ」にはならんだろう、どう見ても。

 なりませんよねえ、というか、するべきではないですね、どう見ても。なんか、今回の石川県おたまじゃくし事件(?)関連の報道でもって、マスコミまで「ファフロッキーズ」などという表記をにわかに広めはじめているみたいなので、気味の悪い表記が定着しないように、微力ながら妥当な表記の普及に協力させていただこう。“エンターティナー”みたいに、「どう考えてもこれはちゃうやろ」という表記でも、一度定着してしまうとしぶとく生き残りますからなあ。

 カタギの人があんまり使わん言葉だからといって、マスコミもマスコミだ。記事に書いたり放送したりする前に、どうして調べない? そりゃまあ語源がバスク語かなんかだったらともかく、英語だぜ? 二十年前ならこういうのを調べるのはひと苦労だったろうが、いまは中学生がケータイでだって調べられる二十一世紀だぜ。

 取材中に「こういうのは“ファフロッキーズ”と言う」という情報を得たら、「はあそうですか、そういうのは“ファフロッキーズ”ですか」などと、そのまま書くんかい!? どういう綴りだろう何語だろうなんかの略なんだろうか調べて裏を取らなくては──くらいのことは、べつに報道人じゃなくたって思うぞ、ふつう。それともあんたらナニか、そこいらへんの眼鏡かけた小太りのおっさんの写真を誰かが「金正日の三男です」と言うたら、「はあそうですか、これが金正日の三男ですか」などと、そのまま報じるんかい!? あ、報じますね。すんません。

 というわけで、お知り合いが「ファフロッキーズ」と言ったり書いたりしていたら、「fafrotskies なんだから、“ファフロツキーズ”あたりが妥当なんじゃない? ロシアの革命家に“トロッキー”なんてのがいたら気色悪いでしょ」とでも説得し、どう見ても気味の悪い表記の蔓延を防ごう。



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2009年6月 9日 (火)

草食う男

Japan's 'herbivore men' -- less interested in sex, money (CNN.com)
http://edition.cnn.com/2009/WORLD/asiapcf/06/05/japan.herbivore.men/index.html

TOKYO, Japan (CNN) -- They are young, earn little and spend little, and take a keen interest in fashion and personal appearance -- meet the "herbivore men" of Japan.
Author and pop culture columnist Maki Fukasawa coined the term in 2006 in a series of articles on marketing to a younger generation of Japanese men. She used it to describe some men who she said were changing the country's ideas about just what is -- and isn't -- masculine.
"In Japan, sex is translated as 'relationship in flesh,'" she said, "so I named those boys 'herbivorous boys' since they are not interested in flesh."
Typically, "herbivore men" are in their 20s and 30s, and believe that friendship without sex can exist between men and women, Fukasawa said.
The term has become a buzzword in Japan. Many people in Tokyo's Harajuku neighborhood were familiar with "herbivore men" -- and had opinions about them.

 CNNが日本の“草食系男子(草食男子)”について報じている。見出しを含め、最初のほうでは 'herbivore men' と訳しているのは、さすがネイティブ感覚だ。ここは、多くの日本人は、herbivorous men とやってしまうところだろうと思う。いきなりそういうふうに言われると、英語ネイティブは、「ヴェジタリアンの男?」と思いかねない。herbivorous だの carnivorous だのというのは、第一義的には食性のことを言っているのであって、日本語ほど「草食=おとなしい・攻撃的でない」というイメージが説明抜きで伝わるわけではないってことだ。具体的に sheep とかを挙げると、日本で言っているイメージに近いところが伝わるとは思うが、herbivorous では、ぶっちゃけ、獰猛なカバだって草食ってるわけだよ。"In Japan, sex is translated as 'relationship in flesh,'" she said, "so I named those boys 'herbivorous boys' since they are not interested in flesh."などといちいち説明しなくちゃ英語ネイティブには真意は伝わらないと(おそらくは英語ネイティブの)記者が判断して書いているということなのである。

 またこれは、“名詞A+名詞B”で複合語を造る場合と、“名詞Aの形容詞形+名詞B”で表現する場合とでは、相当意味がちがってしまいかねないというよい例だろう。“草食動物的な属性を備えた男”“草ばっかり食っている男”とは似て非なるものである。smoking area は、アクセントの置きかた次第で「もくもく煙を上げているあたり」になったり「喫煙コーナー」になったりする。ここいらへんのいわく言い難い感覚ってのが、三十四年以上英語やってても、いまだに瞬時に“頭で考えてしまう”ところで、“識域下から反射で出てくる”ってところまではいかない部分なのよなあ。このへんがガイジンの限界かもなあと痛感する。ま、連中にとってのガイジンが英語が下手で文句あるかと腹をくくることも大事である。誰もがサイデンステッカードナルド・キーンになれるわけではない。が、デイヴ・スペクターくらいにはなりたいよな。

 CNNの記事のニクいところは、「この記事の文脈では“草食”ってのはこういう意味で使っていますよ」ということが読者に伝わったであろうあたりから、herbivorous という形容詞を“日本人がこの文脈で使っている意味で”使いはじめるあたりだ。伊達にCNNの記者やってるわけじゃないよね、この人は。

 断っておくが、おれはネイティブ至上主義派ではない。むしろ、英語が母語でない国で編み出された“ネイティブでないからこその表現”にも感心したり親しみを感じたりするほうだ。だけどまあ、ネイティブならではの“キレ”ってのにも憧れることはたしかなのである。たぶん、おれが「アホちゃうか!」と反射的に言うときの“キレ”に憧れてる日本語学習者も世界のどこかにいるんだろう。「日本語を三十年勉強しているが、こういう“アホちゃうか”はワタシには咄嗟に言えない。まだまだ修行が足りん」などと嘆いているガイジンだって、どっかにいるかもしれん。まあ、それはお互いさまだよ。



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2009年5月31日 (日)

月面二足歩行ロボットの意味

「一体何の意味があるのか」 「月面2足歩行ロボット」に批判 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/05/29042101.html

政府が策定を進めている「宇宙基本計画」が、思わぬブーイングに見舞われている。この計画自体は、情報収集衛星を増強したり、有人での月探査を目指したりする意欲的なものなのだが、「二足歩行ロボットでの月探査」という項目に、批判が続々と集まっているのだ。
「お金をかけて何がしたいかわからない」
日本の宇宙開発についての基本方針を定めた「宇宙基本法」が2008年8月に施行され、これに基づいた国家戦略「宇宙基本計画」の策定が進められている。麻生首相が本部長を務める「宇宙開発戦略本部」が案をまとめ、09年4月28日から5月18日にかけてパブリップコメント(パブコメ)が募集された。
各地から寄せられたパブコメでやり玉に挙がっているのが、「月面2足歩行ロボット」。これは3月6日に行われた専門調査会の場で、専門調査委員のひとりである元宇宙飛行士の毛利衛氏が提案したもの。毛利氏が提出した資料では、国家目標として「日の丸人型ロボット月面歩行計画」をかかげ、「有人・無人の議論を超えた第3の道」「日本独特な有人宇宙開発の提案」などどうたっている。
計画案では、2020年頃に日本独自でロボットを活用した月の無人探査、25~30年頃に宇宙飛行士とロボットが連携した有人月探査を目指しており、「2足歩行ロボット」も、その中の案として出てきたものだ。計画案には458人から1510件のパブコメが寄せられたのだが、そのうち約80件が「2足歩行ロボット」に集中。その中には、
「月や火星・金星への探査計画に、人は遅れ(原文ママ)なくとも耐環境型の自立ロボットを帯同させることも日本独特の研究といえます」
と、好意的なものもあるが、ほとんどが批判的なものだ。

 SFファンの方々なら、「そもそもなぜ人間型のロボットを作る必要があるのか」という問題をあーでもないこーでもないと考えたことがあるかと思うが、これは存外に難しい問題ではあるのよなあ。

 上の引用で好意的なパブコメを寄せている人の意見は、残念ながら、かなり頓珍漢である。探査計画で閉じてしまうのであれば、二足歩行ロボットを送る意味などない。将来、月や火星に人類が居住する(金星はまあ無理でしょう)というところまでをスコープに入れれば、そこで初めて二足歩行ロボットを送る意味が出てくる。つまり、短期的な作業効率だけを考えれば、地球と環境が著しく異なるところでわざわざロボットに二足歩行などさせる意味はなく、むしろクモ型とかヘビ型とかそのほかとかのほうが合理的だが、“そこに将来人類が住む”というところまで長期的に本気で考えれば、二足歩行ロボットから取れるデータは、将来、大いに役に立つ。要するに、どれくらいの時間的なスパンが視野に入っているかで、見解が変わってきて当然なのである。「なんの役に立つのか」と言っている人も正しいし、「役に立つ」と言っている人も正しいのだ。「二足歩行ロボットでの月探査」って表現がまずいのだろうな。ここは正直に、「人類の月面居住を視野に入れた二足歩行ロボットによるデータ収集」とまで言ってしまえば、また印象は変わってくると思う。

 おそらく毛利氏はそんなことはよくご承知で、そのうえであえて、“日本人を象徴的に鼓舞する短期的計画”として、これを提案してらっしゃるのだろうと推測する。おれが思うに、毛利氏は科学者としては政治やらなにやらに過剰適応してらっしゃるように見えるもんで、腹の中では、「そりゃ、将来、月や火星にはトーゼン人間は住むでしょ」と思いつつも、そこまで言うと荒唐無稽と思われちゃうだろうから(全然荒唐無稽じゃありません)、とりあえず、アドバルーン的な短期的スコープしかないかのように見えるものを出してらっしゃるのだろう。まあ、政府に毛利氏の提案の真意が理解できるかどうかは別として、政治家や官僚にはわかりやすい“国威発揚”的なものに見せておけば、当座はオーケーかな……といったふうに、毛利氏は考えていらっしゃるのではなかろうか。

 その“世俗に合わせすぎ”なところがまずいのだと、おれは思う。「わしらが、わしらの子や孫や曾孫が、いつまでも全員地球に住んでいられるとでもお思いか?」と、はっきり言っちゃえばいいんじゃなかろうか。言わないから、「何がしたいかわからない」と言われちゃうのだ。まあそりゃ、毛利氏のそういう“世俗に合わせすぎ”なところも、無理はないと理解はできるんだけどなあ。いまの日本政府や官僚に、“人類は遅かれ早かれ宇宙に進出せざるを得ない”という認識と哲学と覚悟があるのかどうかとなると、こりゃ、おれもかなり悲観的である。毛利氏は、政治家や官僚の思惑を超えたところまで、深く考えたうえで、こういうアドバルーンを上げてるんだと、おれは想像するんだよ。

 おれたちはいつまでも全員が地球に住んではいられないのだ──という、考えてみればあたりまえのことを、政治家たちはちゃんと打ち出すべきだと思うね。宇宙への進出は、今世紀では、もはやSFマターじゃなくて、政治マターなのだ。今世紀というスパンで考えれば、軌道エレベータスペースコロニーは、必ず建造されるだろう。というか、せざるを得なくなるだろう。

 二十世紀のSFが夢見てきたことが、年金やら消費税やらエコロジーやらと同じ次元で、おれたち(の子や孫や曾孫)の日常生活に関わるリアルな問題になってくるのが、これからの百年なのだ。オバマ大統領の勝利演説じゃないが、おれたちの世界が百年前にどうだったかを振り返ってみれば、百年後にどうなるか、どうであってほしいかもリアルなこととして想像できるはずだ。西暦二一〇〇、月に人が住んでいないとでも思いますかね、あなたは? おれは、オバマ大統領にはそこまでの視野があるだろうと思っている。politician としては目先の問題に翻弄されているだろうが、彼の statesman としてのヴィジョンには、百年後のアメリカ、百年後の世界が、当然のこととして入っているように思われるのだ。

 まあ、いま現在の日本政府や官僚が、「宇宙基本計画」とやらで、そこまで考えているとはとても思えないのも事実なんだよなあ。連中は、せいぜい、次の総選挙くらいのことまでしか考えてないんじゃないの? 毛利氏の提案は、いまの日本政府には上等すぎるんじゃなかろうか? そういう意味では、毛利氏の提案にブーイングが集中するというのは、わからないでもないんだよねえ。地球上に飢えた人々がいる状態で、宇宙開発もへったくれもあるかというのは、たしかにわからないでもない見解だ。カート・ヴォネガットもそういう姿勢だったよね。おれは、クラークも好きだけど、ヴォネガットも好きなのだ。

 ともあれ、今世紀には、わが国の閣僚や事務次官は、小松左京必読ということにしないか?



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2009年5月21日 (木)

進んだかどうかわからないが、変わっていることはたしかなのよな

 ソ連かぜが流行したのは一九七七年だが、この三十二年で大きく変わったことを、思い当たる範囲で列挙してみる。インフルエンザを以前より流行させ得ると思われる変化に「+」以前より流行を抑える方向に働くと考えられる変化に「-」をつけてみた。「+」の要素もあれば「-」の要素もあるといった変化は「±」である。


 ■小学生のころから、大多数が塾に通うようになった。 (+)
 ■学校が週休二日になった。 (-)
 ■週休二日の職場が増えた。 (-)
 ■公衆電話が激減した。 (-)
 ■自動ドアが増えた。 (-)
 ■花粉症が国民的疾患になった。 (±)
 ■リモコンで操作する家電製品が激増した。 (±)
 ■一家に一台だったテレビが、一人に一台(以上)になった。 (-)
 ■大きなイベント会場が増えた。 (+)
 ■カラオケ店が増えた。 (+)
 ■コンビニが増えた。 (+)
 ■ATMが増えた。 (+)
 ■マンガ喫茶、ネットカフェなどが出現し、増えた。 (+)
 ■パソコンゲーム、テレビゲームが一般的娯楽になった。 (±)
 ■携帯ゲーム機が普及した。 (+)
 ■自動改札が増えた。 (-)
 ■ICカード、ケータイ、ETCなどによる電子決済が普及した。 (-)
 ■指紋認証、静脈認証などによる接触型セキュリティデバイスの導入が広まった。 (+)
 ■海外へ行くことが、一般大衆にとっても珍しいことではなくなった。 (+)
 ■独身者、独居老人が増えた。 (-)
 ■路チューしてるカップルが増えた。 (+)
 ■インターネットが普及した。 (-)


 さてさて、こんなことを列挙してみたとて、これといって役に立つわけでもないのだが、意識してみるというのは意味のあることではないかと思う。時代の流れというやつはうまくしたもので、以前あったものがなくなったことによってリスクが減る側面もあれば、以前になかったものが増えることによってリスクが高まる側面もある。

 おれのような、子供のいない独り者でもとくに痛感するのは、おれたちが小中学生、高校生だったころと比べると、現代の小中学生、高校生の生活様式はまるでちがっているということなのである。いろいろな対策を立てている“ゼーレの老人たち”には、じつは現代の子供や若者の生活がよくわかっていないかもしれない。厚生労働省は、文部科学省との連繋を密にし、現代の子供や若者たちの実態を最もよく知っている現場の先生たちの意見や疑問を吸い上げて活かすくらいのスタンスでいてほしいものである。逆に、現場の先生たちは、お上の言うことだからと鵜呑みにせず、自分たちの見識を臨機応変に感染症予防に活かしてほしいと思う。なんといっても、“いま・ここ”の子供たち、若者たちの生活をいちばんよく知っているのはあなたがたなのだし、その知識・見識は、机の前で“一般的”対策を考えている事務方たちの盲点になっていることなのかもしれないのだから。



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2009年5月19日 (火)

効率のよいインフルエンザの広めかた

 正直なところ、新型インフルエンザに罹るより、裁判員に感染するほうがおれは厭だな。

 新型インフルエンザは薬飲んで数日ウチで寝てりゃたいてい治るが、裁判員に罹ったら、運がよくて三日くらい、運が悪けりゃ数日も、慣れない裁判所に出かけてゆかねばならない。

 マジな話、裁判員や裁判官の中に新型インフルエンザの罹患者がいた場合、九人全員に感染するなんてこともありそうだ。同じメンツが、至近距離で、長時間、口角泡を飛ばして議論するんだろう? 延期したほうがよくない?



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なんでみんながみんなマスクしてるの?

 電車の中や駅でえらく大勢の人がマスクをしているので、ちょっとびっくり。インフルエンザに罹っている人や、その疑いのある人がマスクをするのはわかるが、いまのところそういう人はまだ少数派であって、なんでまたこんなにも大勢の人がマスクをしているのか、理解に苦しむ。おまじないみたいなもんか。

 インフルエンザウイルスの大きさは、だいたい100ナノメートルでこぼこだ。煙草の煙の粒子はでかいやつで1マイクロメートルくらいだそうだ。あなたが煙草の煙のでかいやつだとしたら、インフルエンザウイルスはだいたい十六、七センチの球だということになる。そこいらのコンビニやら薬局やらで手ごろな値段で売ってる“キャシャーンマスク”をしていれば、傍らで煙草を吸われても、まったく臭いもなにも感じませんか? そんなことあるか。予防という意味では、そこらの安いマスクなど、気休めにすぎない。そもそも、いくら立体的な成型をされているからといって、あんなものをナノメートル単位の隙間で顔面に密着させることなど不可能である。すでにインフルエンザに罹っている人がマスクをするのは、飛沫感染の確率を下げるという意味で大きな意味があるけれども、そのへんの手ごろなマスクでインフルエンザウイルスを漉し取ろうなどと考えるのは、サッカーゴールでビー玉を止めようとしているようなものである。本格的な医療用マスク(SARSのときに取り合いになったN95とかね)ででもないかぎり、あくまで気休めだ。まあ、電車の中とかの空気を直接吸い込みたくないという心理はわかるけどもねえ。

 猫も杓子もマスクをしている不気味な光景を見ていたら、ふとケッタイな考えが浮かんだ。サングラスをかけていればいくらかは防げるという感染症が流行ったら面白いだろうな、と。駅のホームで電車を待っているあなたがふとあたりを見まわすと、み~んながサングラスをかけているのである。想像するだに、かなり不気味な光景だ。

 若い女性だけに感染し、下半身裸でTフロントを履いていれば防げる怖ろしい病気とかが蔓延しないかなあ。



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2009年5月18日 (月)

抗ウイルス薬がインフルエンザを広めるかも?

 高校生の姪が、六月に韓国へ修学旅行に行く予定だったのだが、新型インフルエンザ発生のために修学旅行が延期になると同時に国内へと行き先が変わったそうだ。まあ、妥当な措置であろう。

 もっとも、新型インフルエンザといっても、いまのところ得られている情報では、罹った場合の怖ろしさは、ふつうの季節性インフルエンザとさほど変わらず、先進国在住のふだん健康な成人がさほど怖れるほどのものではないようだ。持病のある人、衰弱している人、老人、幼児、乳児などにとっては、たしかに脅威だが、それはべつにいままでのインフルエンザも同じである。もはや国内で人から人への感染が確認されている現段階に至っては、いっぺんに多数が発症して医療機関への負担が短期間に急激に増えないようにすることが最優先事項だろう。どんな対策を採っても、しょせん時間稼ぎにしかすぎないのだが、その時間稼ぎこそが最重要なのだ。各個人でできることはしよう。不要不急の移動を控える、大勢の人が集まるところへの不要不急の外出を控える、頻繁に手洗いをする程度のことしかない。

 マスコミはタミフルやリレンザなどのいわゆる“抗ウイルス薬”のストックや流通体制のことばかりを心配しているが、それはいかがなものかと思う。マスコミはもっと、タミフルやリレンザの作用機序をわかりやすく説明し、啓発を図るべきだと思う。

 おれはべつに学者じゃないから、医学の門外漢であることにかけては、そのへんの人に劣らぬ素人であるが、小難しい説明を根気よく読んで調べてゆくことは、多少は得意である。そんなおれ程度でも気にかかっているのは、多くの人が、“タミフルやリレンザは、インフルエンザウイルスの特効薬であって、ウイルスを死滅(というのは、そもそもあれが生物であるかどうか意見の分かれるところなので語弊があるが)させる薬”だと誤解しているという点である。

 タミフルやリレンザがどうして効くのか──というのは、素人のおれが各種情報から少なくとも理解している範囲ではこうだ。インフルエンザウイルスは、その殻(エンベロープ)の表面に、ヘマグルチニンという“細胞に取りつくための物質”を持っている。そいつで以て細胞にくっついたウイルスは、細胞内部に侵入し、細胞そのものが自己複製する仕組みの一部を乗っ取って、ウイルスを複製させる。工場に忍び込んだ犯罪者が、工場の設備を使って勝手にヘンなものを作るようなものだ。複製された新しいウイルスは、その感染した細胞から飛び出してゆくのだが、その際、そのままでは、最初に細胞にくっつくヘマグルチニンによって、また同じ細胞にくっついてしまう。ところがどっこい、そこはうまくしたもので、飛び出してゆこうとする新しいウイルスが、すでに感染している同じ細胞に再びくっついてしまった部分をぶった切る酵素をちゃんとウイルスは持っている。それがノイラミニダーゼというものである。こいつが働くから、複製されたウイルスは、感染した細胞を離れて、ほかの細胞をどんどん冒すべく、旅立ってゆけるのだ。すでにお気づきの方もあろうが、インフルエンザウイルスの型を示しているとかとかいうのは、くっつき物質・ヘマグルチニンと、ぶった切り酵素・ノイラミニダーゼの頭文字である。

 タミフルやリレンザは、新しく複製されたウイルスが感染細胞から飛び出してゆく際に、元の感染細胞に再びくっつくことを妨げるノイラミニダーゼの働きを阻害する薬(ノイラミニダーゼ阻害薬)である。だもんだから、タミフルやリレンザが働くと、インフルエンザウイルスは、感染細胞の中でせっかくコピーをいっぱい作っても、それを飛び出させることができなくなるわけだ。だから、これらの薬の効果があるのは、せいぜい四十八時間以内だとされるのである。すでに多くの細胞が感染してしまっている段階でこれらの薬を投与しても、インフルエンザの症状を緩和することはできない。あくまでインフルエンザウイルスの増殖プロセスを妨げる薬であって、インフルエンザウイルスの毒性を抑える薬ではないからである。

 だもんだから、タミフルやリレンザを早めに飲んでよくなったからといって、早々に人の集まるところへ出てゆくのはよくないと考えられる。自分の症状は悪化しなかったかもしれないが、他人にウイルスを移してしまう可能性はまだまだあるわけである。

 タミフルやリレンザは両刃の剣だ。早期にインフルエンザウイルスの増殖を抑え、症状の悪化を防ぐという点ではこれらの抗ウイルス薬は人類への福音だが、ウイルスを持っていて発症までしてしまった人を早期に動き回れるようにしてしまうという点では、感染を広める働きをしてしまいかねないとも言える。

 過去のアジアかぜ、香港かぜ、ソ連かぜなどのときには、そもそも抗ウイルス薬などは存在していなかったわけだから、今回の新型インフルエンザは、抗ウイルス薬の壮大な実験の機会とも言えよう。死者は減らすが感染は増やすかもしれないわけである。

 まあ、これからは国内でも新型が蔓延してゆくことになるのだろうが、抗ウイルス薬で早めに症状を抑えられた人も、ほかの人のために、多めに休んだほうがよいと思いますよ。「おれはタミフルのおかげでもう大丈夫だ。こんな不景気なときにおちおち何日も休んでられるか」という考えが、今回のインフルエンザを広める最大の要因になりそうな気がする。

 インフルエンザに罹ったときくらい、腹をくくって、ゆっくり休みましょうよ。



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2009年5月13日 (水)

相対性理論が過小評価されてるとは思えないんだがなあ

第1回CDショップ大賞 相対性理論「シフォン主義」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/update/0512/TKY200905120304.html

 全国のCDショップの店員が、売りたい、聞かせたい邦楽アルバムを選ぶ「第1回CDショップ大賞」が12日発表され、大賞に4人組ポップバンド、相対性理論の「シフォン主義」(みらいrecords)が選ばれた。準大賞には大橋トリオ「THIS IS MUSIC」(パッチワークスレーベル)、Perfume「GAME」(徳間ジャパン)の2作品、ほかに7作品を入賞に選んだ。
 昨年発足した「全日本CDショップ店員組合」が、大手やインディーズを問わず、過小評価されている音楽作品に光を当てたい、と企画した。いわば書店員が選ぶ「本屋大賞」のCD版。
 08年発売の邦楽のオリジナル作品を対象に、148人の店員が3票ずつ投じ、1次投票で29作品を選出、さらに2次投票で上位10作を選んだ。
 大賞の相対性理論は、80年代のテイストが漂うポップなサウンドとシュールな歌詞、淡々とした女性ボーカルが持ち味。ライブの他に、人前に出ることはほとんどなく、インターネットや口コミで話題になっていた。

 こんなのがはじまっていたとは知らなんだ。「本屋大賞」のCD版ねえ。

 おれもこのブログで激賞した相対性理論が賞を取るのは喜ばしいことだが、「全国のCDショップの店員が、売りたい、聞かせたい邦楽アルバムを選ぶ」「過小評価されている音楽作品に光を当てたい」ってところに、ちょっと違和感を覚えた。過小評価どころか、『ハイファイ新書』『シフォン主義』も、iTunes Store では、かなりのあいだ「トップアルバム」の一位と二位に輝いていたと思うんだが……。すでに大ブレークしてるんじゃないの? おれなんぞは、ネットのほうに軸足があるから、「ほとんど社会現象になりつつあるのではないか」などと思っていたくらいだ。べつにケチをつけるわけじゃないんだが、過小評価されているものに光を当てたいという主旨であれば、充分売れているとしか思えない相対性理論じゃなく、もっと売れてない名盤に光を当ててあげてはどうかと思う。

 まあ、あくまで「08年発売の邦楽のオリジナル作品」が対象ということだから、今年一月の『ハイファイ新書』の大ブレークに目をつぶれば、『シフォン主義』は賞の主旨にマッチしていると言えないこともないかなあ。おれは『ハイファイ新書』を iTunes Store で試聴して仰天し、その場で『ハイファイ新書』と『シフォン主義』をぽちぽちっと衝動的確信買いして、ヘヴィーローテーションで聴きまくっているうちにどうしても盤(いた)も手元に置いておきたくなり、アマゾンで二枚ともぽちぽちっとやった。都合二回ずつ買っているわけだが(なにも、いつもこんなアホなことをしているわけではない。それくらい気に入ったのだ)、一回もCDショップには行ってない。そういう時代なんだよねえ。売れてるものを買うのに、なにをわざわざCDショップにゆく必要があるか。

 まさかとは思うが、来年の今ごろ発表されるであろう「第2回CDショップ大賞」が、『ハイファイ新書』になったりはしないよね? 万が一、そうなりそうになったら、ちょっと賞の主旨を考え直したほうがよいと思う。



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2009年5月12日 (火)

退化してるよね、あきらかに

117億投じる「国営マンガ喫茶」 なぜ「お台場」に建設なのか (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/05/11040891.html

15兆円規模にものぼる補正予算の審議がヤマ場を迎えるなか、その内訳について、野党から批判の声があがっている。特に問題視されたのが、117億円の予算が付けられている「国立メディア芸術総合センター(仮称)」なる施設。お台場が有力な建設予定地とされているのだが、「アキバ文化」に詳しいジャーナリストからは、「秋葉原や『アニメのまち』杉並区などを無視する形のうえ、いきなり『ハコモノ』を作っても上手くいかないのでは」と、疑問の声があがっている。

 おれはマンガもアニメも嫌いじゃないし、どっちかというと好きなほうだが、これを「国営マンガ喫茶」と呼ぶのはいささか言いすぎだと思う。マンガ喫茶に失礼である。そこいらのマンガ喫茶ほど流行るとは到底思えない。少なくとも、マンガ喫茶なら、採算が取れているから営業が続けられるわけだしな。こんなものは、「マンガのグリンピア」になるのが目に見えている。なんで、いまさらハコモノなのだ?

 ここでタイムマシンに乗って、ITpro のニ〇〇一年一月の記事「中央省庁再編はアニメやCGなどコンテンツ産業に吉と出るか」を読んでみていただきたい。ああ、あったあったと思い出す人も多かろう。あの『BLOOD THE LAST VAMPIRE』は、この「通商産業省平成10年度補正予算先導的コンテンツ市場環境整備事業」から製作費の一部が出ており、エンドロールにもちゃんと出ていた。少なくとも、十年ほど前には国も少しはましな方向性を打ち出してはいたと思う。

 とはいえ、やがて「先導的コンテンツ」やら「マルチメディアコンテンツ」やらなにやらという曖昧な言葉は、いつのまにか「デジタルコンテンツ」に矮小化されてしまい、どこ行ったかわからなくなってしまった。かつての「ニューメディア」(死語)を思わせる。

 それでも、むかしは、ソフトに金を出そう、人を育てるのに金を出そうという、まともな方向性はあったわけだ。それを“輸出産業”としてしか見ていない役人と、アーティストのメンタリティーとのあいだに、絶望的な距離があったであろうことは想像に難くないにせよだ。この十年で、政治家や役人も少しは学習というものをしたであろうに。

 それが、平成二十一年にもなって、この「マンガのグリンピア」ですからなあ。はらほろひれはれと言わずしてなんと言おう。

 こんなもん作ってる金があったら、オタクにばらまけ! オタク給付金である。まあ、オタクといってもさまざまなオタクがあるから、経済効果の大きそうな何分野かに絞って試験をし、みごとオタクと認定された人には、百万円くらいどーんと給付する。オタクは購買力が高い。なぜかというと、金持ちのオタクは金に糸目をつけずオタクなものを買うし、貧乏人のオタクは金に糸目をつけながらでも、やっぱりオタクなものを買う。衣食住など彼らの眼中にはない。なんとか生きていられればいいのである。すぐにウンコになって出てしまううまいものなど食うくらいであれば、彼らは小説を買うマンガを買うアニメのDVDを買うフィギュアを買うコスチュームを買う。一万あれば一万買うし、十万あれば十万買うし、百万あれば百万買う。これはものすごい経済効果である。また、そうした冥府魔道をゆく呪われた人々の中から、結果的にさらなる経済効果を生む“なにかしら”を創造してしまうやつも出てくるにちがいない。

 あー、なんかちょっと話が逸れたような気もするが、一万二千円やそこらもらったところですぐに貯金してしまうような人々に金を配るくらいなら、オタクに集中的に配ったほうが絶対景気浮揚に効果があるぞ。

 だから、麻生首相はおれに百万円振り込むように。なんなら一千万でも一億でもいいぞ。一億入ったとしても、衣食住がごとき些末事の水準はほとんど変えぬままで、どばどばっと有効に使ってさしあげるぞ。もっとも、おれひとりでは一億円ぶんも本は読めんしCDは聴けんしDVDは観られんから、それだけあったら、自分の好きな作家を拉致してきて、一年でも二年でも高級ホテルに缶詰にし、傑作を書かせる。ホテルでの生活費は全部おれ持ちだ。なんと有意義な金の使いみちであろうか。



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2009年5月 5日 (火)

逮捕せんか~!

 と、日本中の人が大声でツッコんでいるのが聞こえるようだ。

愛知県警・守山署副署長が飲酒運転容疑 任意で取り調べ (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0505/NGY200905050001.html

 愛知県警は5日、守山署の小川直哉副署長(54)が同日未明、名古屋市守山区内で酒気帯び運転をしたとして、道交法違反容疑で任意で取り調べていると発表した。小川副署長は豊田署交通課長、県警交通安全教育推進室長を経て現職。県警によると、「何でこんなことをしてしまったかわからない。申し訳ない」と話しているという。
 監察官室の発表によると、小川副署長は同日午前2時ごろ、同区内の飲食店から自家用の乗用車を運転して署の駐車場に戻ってきたところ、署員が酒のにおいに気づき、飲酒運転がわかった。呼気中のアルコール濃度は、道交法の違反点数がより重い基準値(0.25ミリグラム/リットル)を超えていたという。
 小川副署長は4日午後6時半から5日午前0時まで、知人らと署の近くの飲食店で酒を飲み、徒歩で官舎に戻った後、1人で署の駐車場から車で再び飲食店に出かけて戻ってきたところだった。飲酒運転したのは、署と2軒目の飲食店の往復約3キロ。1軒目で焼酎の水割り3杯とビール2本を飲んだと話しているという。
 加藤僚首席監察官は「飲酒運転の絶無を期しているなか、警察幹部が飲酒運転をしたことについてはまことに申し訳なく思う。事実に基づき厳正に対処する」とのコメントを出した。

 昨今の警察の基準では、こういうのは現行犯逮捕して、ひと晩拘留し、尿検査したうえで家宅捜索するべきだろう。署員が目の前で見てて、呼気検査で違法な数値が出たんだろう? な~にが「任意で取り調べ」だ、ふざけるんじゃない。逮捕していないから、マスコミも“小川直哉容疑者”と呼ぶことができない。うまくしたもんだ。

 加藤僚首席監察官とやらは、「警察幹部が飲酒運転をしたこと」だけじゃなく、やたら身内に甘い警察の体質に関しても「まことに申し訳なく思う」べきだ。



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2009年4月30日 (木)

ブタをたっぷり食おうと思ってたのに

 そろそろ豚肉の値段が下がるにちがいない、この連休はブタを腹いっぱい食ってやろうと思っていたんだが、アテが外れた。いま近所のスーパーに買い出しに行ってみると、豚肉はいつもと変わらぬ値段で平然と売られていた。なんということだ。正しい知識がちゃんと広まってしまっているらしい。嘆かわしくも喜ばしい。

 先日、妹と電話で話したときには、妹宅周辺の店ではたしかに豚肉が値下がりしているという情報を得ていたのだが、地域差があるのか、単なる安売りだったのか? おれの住んでいるあたりは年寄りばっかりなので、いくら大丈夫だと報道されていても気味悪がる人も少なくないのではないかと推測していたのに、そうでもないようだ。あるいは、もはや人から人へ広く感染する段階になってしまっているので、乏しい情報で豚肉を食うのがなんとなく気味悪いなどと思っている段階を過ぎたのかもしれん。世間は意外と冷静なので、ちょっと安心した。

 あ、待てよ。ひょっとして、近所の年寄りたちは、まだ新型インフルエンザが発生したこと自体を知らないのかもしれないぞ。あ、あり得る……。もう少ししたら、ウチの近所でも豚肉の値が下がるかもな。下がったらいつもより多めに買い込んで腹いっぱい食ってやろう。



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2009年4月29日 (水)

パンデミックあげるよ

 去年の正月に「パンデミックあげるよ」などとほざいていたら、ほんとにこんな事態になってしまった。

 現時点での情報ではウイルスの毒性のほどはよくわからないが、先進諸国では感染者の死者はまだないようだから、人から人へ感染しているうちに、もっと高い毒性や抗ウイルス薬に対する耐性を獲得する方向へ変異しないかぎり、少なくとも現状では、やたら怖れるほどのことでもないようだ。とはいえ、まだメキシコでの多数の死者が国情によるものなのかウイルスの毒性によるものなのかもはっきりとは発表されていないような状況だから、大事を取るには越したことはないだろう。状況は依然として、怖がりすぎてもいけないが、侮りすぎてもいけないというところのようだ。

 とかいいながら、替え歌ができちゃったものはしようがないので、書かずにはいられない。ことによると、おれがこのインフルエンザに罹ってくたばるかもしれないのだが、そのときはこの歌を出棺のクラクションといっしょに唄って笑いものにしてやってください。それでは、不謹慎を承知で行ってみよう、『パンデミックあげるよ』──


♪おいでトラベラー サーモグラフィー
 君のだるさ 隠さないで
 帰宅したくて 寒気がしてきて
 誰かじつは ゾクゾクしてる

 元気なフリして すり抜けちゃ
 病気の謎など 解けないよ
 もっとクールに もっと正直に
 生きてほしい
 ※パンデミックあげるよ
 パンデミックあげるよ
 ホントの勇気 見せないのなら
 パンデミックあげるよ
 パンデミックあげるよ
 苦しい胸に ごろごろ絡んだ
 痰をあげるよ※
 いつかワンダフル きっとタミフル
 人のジャングル 迷いこんで
 感染するかも 発症するかも
 とてもみんな ビクビクしてる
 思ったとおりに 叫ばれちゃ
 飛沫はここまで 届いちゃう
 もっとおだやかに もっと慎ましく
 生きてごらん
 パンデミックあげるよ
 パンデミックあげるよ
 ホントの唾液 受けてくれたら
 パンデミックあげるよ
 パンデミックあげるよ
 空しいマスク やさしく通して
 熱をあげるよ
   (※くり返し)




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2009年4月28日 (火)

もしおれがすでに狂っていたとしたらごめんなさい

 酒を飲んでいると、ふとわれに返ることがある。酔って“われに返る”というのも妙だが、正直、ほんとにそういう感じなのだ。ここ一、二か月を酔って冷静にふりかえってみると、冗談としか思えないようなことばかりが立て続けに起こる。ごちゃごちゃ言うからややこしくなるので、端的に箇条書きにしてみたとしようや──

  ・国が金をくれはじめた。
  ・政府が勝手に金を刷って配れば景気がよくなると、いろんな人が言っている。
  ・言っていたやつの一人は、置き引きで書類送検された。
  ・大臣がへべれけになって会見した。
  ・誰でもやってるようなことで最大野党代表の秘書がいきなり逮捕された。
  ・隣国がミサイルを撃ってくると大騒ぎした。
  ・二十四年前に川に投げ込まれて以来行方不明だったおじさんが戻ってきた。
  ・アイドルが酔って脱いで騒いで逮捕され家宅捜索された。ミサイルと同じくらい騒いだ。
  ・怖い病気が世界的に流行しそうになっているらしい。

 なんだか、怖ろしく支離滅裂で現実感がない。上の箇条書きを、「二〇〇九年のようすだよ」と、タイムマシンで二十年前のおれに見せてやったら、過去のおれはきっとのたうちまわって大爆笑することだろう。まるで、ドタバタ時代の筒井康隆ワールドにいるかのようだ。明日、「巨大なナスが降ってきて国会議事堂を押し潰した」というニュースを聞いたとしても、おれはたぶん「へー」と言ってそのまま屁ぇこいて寝そうで、その鈍磨した感覚がなにやら妙にわれながら怖ろしい。ひょっとすると、おれは知らないうちに気が狂ってしまっているのではなかろうか?

 そうだ。こんなときこそ、おれたちは“ちりめんじゃこの中に入っている小さなタコ”を探さねばならない。見つからないかもしれないが、少なくとも、タコを探しているあいだは正気に戻れると思うのだ。あまりにシンプルすぎて、ともすると忘れそうになるが、ちりめんじゃこの中に入っている小さなタコを探すことでのみ、人間は正気を保てるのだという、静かで、しかし深い確信がおれにはある。



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2009年4月27日 (月)

栄養のあるものをちゃんと食って、体力を温存しておこう

豚インフル「国際的な緊急事態」 警告レベルは維持 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0426/TKY200904260130.html

 【ジュネーブ=国末憲人、ワシントン=勝田敏彦】メキシコと米国での豚インフルエンザ感染を受け、世界保健機関(WHO)は25日開いた緊急委員会で、「国際的に懸念される緊急事態」だと認定し、各国に警戒を呼びかけた。ただし、感染警告レベルを引き上げる決定は先送りした。一方、米ニューヨーク市やニュージーランドなどでも新たに感染を疑わせる例が報じられ、事態は地理的に飛び火する様相を呈しつつある。
 WHOの発表によると、緊急委員会は、現状は疑問点がなお多いとしながらも、感染症阻止のための国際法上の枠組み「国際保健規則」に基づく「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」だとの点で一致。WHOのチャン事務局長はそれを受けて今回の状況を緊急事態と認定するとともに「インフルエンザ様疾患や重い肺炎が、通常みられないような形で発生していないか、すべての国は監視を強化して欲しい」と要請した。
 だが緊急委員会は、現在の警告レベルを引き上げる議論については「さらに情報が必要だ」と、決定を保留した。警告レベルは6段階分類で、現在は、下から3番目の「人から人への感染がないか、極めて限定的」なフェーズ3。これを「人から人への感染が明らか」というフェーズ4に引き上げるかが問題だった。

(中略)

 また、米疾病対策センター(CDC)が25日、感染者を新たに3人確認し、米国内での感染確認は計11人になった。ニューヨーク市東部クイーンズ地区の私立高校で生徒約100人がインフルエンザに似た症状を訴え、そのうち8人が、検査でA型インフルエンザの陽性反応が出て、豚インフルエンザに感染した疑いがあることもわかった。
 ニューヨーク・タイムズ紙によると、生徒の一部は最近、メキシコに旅行していたとの情報がある。検出されたウイルスは、既知のヒト型と違うタイプだという。
 ただし、米国での感染または疑いがある例はいずれも比較的、症状は軽い。豚と接触した形跡はなく「人から人」感染が起きた可能性が高い。

 ついに来たか。いや、まだ確たる情報は少ないが、WHOが警告レベルを上げようが下げようが、それは多分に政治的要素を含んだ問題であって、われわれ一般市民は、すでに人から人への感染が起きていることを想定して行動すべきだろう。現にそう疑わざるを得ない情報も出ている。しかし、こんなもん、個々人ではどうしようもない。せいぜい、人ごみには極力出ないようにし、万一感染しても命にかかわらないように、体力を激しく消耗するような行為を控える程度のことしかできない。このグローバル時代、飛行機で世界中を人間が行き来している。よほどうまくやらなければ、水際で止めることは難しかろう。止められるに越したことはないが、おれはそれほど日本の防疫体制を信用していない。不必要に怖がらず、不必要に侮らない、腹をくくった冷静な態度が一般市民にも求められよう。

 それにしても、なんという厭らしいタイミングだ。日本はこれからゴールデンウィークなのである。さすがにメキシコ旅行を予定していた人は、よほどの豪傑でないかぎりキャンセルするだろうが(そりゃあ、かねてから予定を立てて指折り楽しみにしていた人の気持ちはわかるが、ここは涙を呑んで、日本のためにキャンセルする勇気と分別を持ってほしい)、アメリカやニュージーランドくらいであれば、まあ、大丈夫だろうと行く人も多いにちがいない。日本政府だってアホではない。それなりの準備はしてきているはずだが、ゴールデンウィークにもろに当たるという想定はしていたのだろうか? まあ、どの国へいつ行こうが自由だが、ことのなりゆきがある程度見えるまでは、不要不急の海外旅行は控えたほうが身のため、というか、いろんな人のためだと思うね。

 おれはどのみち海外旅行はおろか国内旅行すら予定していないが、しばらくは、極力、人ごみの中には出ないようにしようと思う。アジアかぜ(1957年)、香港かぜ(1968年)、ソ連かぜ(1977年)の時代とは、地球規模での人間のトラフィックが全然ちがう。大阪には国際線の空港がある。京都なんてすぐ隣だ。世界的な観光地がある。京都在住で大阪に仕事に通っているおれには、遠くの話ではない。洒落にならない。明日、いや、今日は会社に行かなくちゃならないのだ。

 ゴールデンウィークは極力外に出ないようにして、もしものときのために体力を温存するようにするぞ。感染したって、死ななきゃいいのだ。もっとも、そのようなゴールデンウィークを過ごすのは、おれの場合、今年にかぎったこっちゃなく、ほぼ毎年のことなのだがな。いやまあ、他人におれのような連休スタイルを強要するつもりはないが、今年ばかりは、大事を取ったほうがいいと思いますよ。ゴールデンウィークは、栄養のある食いものをたっぷり買い込み家に閉じこもって、読書とDVDとネット三昧ってのはどうですか? それはそれで楽しいすよ。豚とかたっぷり食ってさ。ちゃんと熱を通して調理すれば、豚食ったからって感染するなんてことはまずありません。



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2009年4月25日 (土)

おれはすげー犯罪者であるかのような気がしてきた……

 いやあ、しかし怖ろしいよなあ。公然わいせつの疑いで家宅捜索などという世にも珍しい話をごく最近聞いた。疑いもなにも、草なぎ(「なぎ」は弓へんに剪)クンの場合は、現行犯なんだろう?

 仮におれがなにかをしでかして、XXXXの疑いで家宅捜索された場合、おおよそあらゆる罪に結びつけられそうな証拠物件が押収されることであろう。てゆーか、こんなブログを読んでるあなたの家もそうでしょう、きっと。



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2009年4月24日 (金)

鳩山大臣、なにもそこまで言わんでも

草なぎ容疑者を鳩山総務相「最低の人間」 地デジめぐり (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0423/TKY200904230109.html

 「地上デジタル放送推進メインキャラクター」を務める草なぎ(弓へんに剪)容疑者の逮捕に、地デジ担当の鳩山総務相は23日昼、国会内で記者団に「事実だとすればめちゃくちゃな怒りを感じる。だいたい総務省は何でそんなのをイメージキャラクターに選んだんだということにもなる。最低の人間としか思えない」と憤ったうえで、「地デジ関係の色々なものは全部取り換える」と述べた。草なぎ容疑者が写ったポスターなどは回収を指示する考えで、イメージキャラクターの差し替えも含め検討する。

 いやいや、スターにはなりたくないもんだね。ひどい言われようだ。酔って脱いで騒いだ程度のことで、一国の大臣に「最低の人間」呼ばわりされるんだから、たいへんな商売だ。江頭2:50だったら、スポーツ紙に面白おかしく書かれておしまいだろう。一般紙なら三面記事だ。ちょっと叩きすぎじゃないの?

 おれも四十六年以上生きてりゃ、酒で失敗したことも何度かあるわさ。酔っ払いに甘い日本の風潮を、よろしくないことだとも思っているし、自戒もしている。だけどなあ、つい昨日まで、総務省のために宣伝にこれ努めていたタレントではないか。そもそも、あんたらが選んだんだろう? “身体検査”とやらをちゃんとしなかったことを恥じるという気持ちはないのか。お怒りはごもっともであるが、大臣が自分たちが選んだ一タレントにここまで言うのはいかがなものか。友だちの友だちはテロリストなのに、軽犯罪にはやたら厳しいんだな。草なぎ(「なぎ」は弓へんに剪)だって、腰痛の薬や風邪薬を飲んでいたせいで酒がやたら回ってしまったのかもしれないではないか。

 法治国家の法務大臣として責務を厳粛に背負って死刑を粛々を執行した件(あれは朝日新聞が阿呆である)とか、かんぽの宿の件とかでは、おれは鳩山邦夫という人を高く評価している。が、どうも、この人、言うことやることにえらくムラがある。隙が多い。アルカイダの件とか、中央郵便局の件とかでは、「なに頓珍漢なこと言うとんねん、このおっさん?」と首を傾げたものだ。あんまりムラが大きいと、よい業績のほうも、「たまたまの思いつきか、まぐれじゃないのか」と思われてしまうぞ。そのうち、でかい地雷を踏まなければいいがな。

 とはいえ、鳩山大臣のようにボロクソに言う気にこそなれないが、稲垣クンの事件のときに自分たちが社会的にどういう存在であるかということを、草なぎ(「なぎ」は弓へんに剪)も思い知っていたはずだ。自分の酒量もよくわからない二十代前半の若僧ならともかく、ちょっと言いわけできない歳ではあるよね。まあ、人殺したわけでもなし、大麻吸ってたわけでもなし、ちょっと笑える情けない犯罪であった点が、救いっちゃ救いですが。

 以後、気をつけよう、草なぎ(「なぎ」は弓へんに剪)。授業料は高いけどね。数か月の謹慎ということになりましょうが、復帰第一弾の仕事は対談で決まりだ。いまから、中川昭一氏のスケジュールを押さえておくように。ま、五、六年経ちゃ、これをネタに笑いを取れるくらいになるわさ。



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2009年4月23日 (木)

おれを裁判員に選んだって知~らないぞ、知らないぞ

 裁判員制度の開始まで一か月を切ったということで、またもやにわかにいよいよ是非の論議が盛り上がっているみたいだが、是非もへったくれも、もうやることになっちゃったんだから、どうしようもないわな。さいわい、おれのところにはまだ赤紙(?)は来てない。というか、来ても言っちゃダメなんだっけ。来てないと言うのはいいんだろ?

 「私は法律の知識なんかないし、裁判員なんかにさせられても……」といったコメントをする人がけっこう多いのだが、そりゃ、みんなそうだわさ。法律にめちゃめちゃ詳しかったら、弁護士やら検事やらになってるよ。国がパンピーの常識と良識で判断しろと言っているのだから、法律の知識に乏しいことをこちとらが負い目に思う必要などない。無知な私のせいで罪もない人が重罰を課せられたらどうしよう──などと思うところが、よくも悪くも真面目な日本人だなあと思う。ふつう、無能なやつを採用したり抜擢したりしてろくな結果にならなかった場合、無能なやつが悪いのではなくて、そいつを採用したり抜擢したりしたほうが悪いのである。おれを裁判員などにしてしまった場合、どんなことになろうと、それはおれを選んだやつが悪い──と、割り切って考えられないのが、お人よしの日本人のいいところでもあるし、悪いところでもあるのだよなあ。だけど、裁判員に選ばれちゃった人は、「おれが他人の人生を、ことによると、生死を左右するのだ」などと、根を詰めて悩みすぎると、心身症になっちゃうよ。ある意味、おれたちは、ごくふつうに生きていても、その一挙手一投足が、他人の人生を左右しているのだ。考えすぎると、「生まれてすみません」状態になってしまう。「生まれてすみません」よりは、「生きてるだけで丸儲け」((C)明石家さんま)と思って生きてるほうが、人生なんぼかましだと思うよ。

 「経営陣がボンクラだから、おれたちがしっかりしなきゃ、お客さんに迷惑がかかる。おれたちが会社を支えているのだ」などと、自分に給料以上の使命感を課して身体壊しちゃう人とか、極端な場合は、過労死しちゃう人とかが少なからず出るのも、愛すべき日本人のいいところでもあり、悪いところでもあるよね。「当座はおれしかいないが、そんなもん、いざとなりゃ、べつにおれの代わりなんていくらでもいる」くらいに考えて、死なない程度に働くのがしあわせなんじゃなかろうか。なにしろ、経営陣の代わりだっていくらでもいるし、仮にあなたの勤め先が潰れたって、代わりはいくらでも出てくるのだ。あなたが公務員だってそうである。だけど、息子・娘としてのあなた、夫・妻としてのあなた、父親・母親としてのあなたの代わりはどこにもいない。優先順位の付けかたはおのずとあきらかであろう。

 おっと、裁判員制度の話からちょっと逸れたな。であるからして、おれは裁判員になんぞなりたくもないが、選ばれちまったら、それはそれでいたしかたないと思っている。選ばれちまったら、「おれが正義だ」くらいの心持ちで臨むつもりだ。たまたまおれの正義に合致する立法主旨の法律があればけっこうなことだし、おれの正義に反する法律があるのだとしたら、それは法律のほうがまちがっているのだと裁判員たるおれは思ってよいのだ。文句あるか。

 それはそうと、ミステリ作家の方々にとっては、この裁判員制度、けっこうおいしいかもしれないよね。裁判員全員が共謀する『裁判員制度殺人事件』なんてのは、誰でも思いつきそうだから早いもん勝ちだ。生まれてこのかた小さな村から一度も出たことのない老婆が裁判員に選ばれ町に出てゆくのだが、彼女にはじつはとてつもない推理の才能があって、本職の法律家をも唸らせる冴えた論理で裁判員たちをことごとく納得させ、誰も想像だにしなかった真相を暴く──な~んて話も出てきそうだ。じつは、偶然にも真犯人は裁判員の中にいた──なんてのも面白そうだな。人間の心理を手玉に取る才能に恵まれているやつが裁判員の中にいて、どう考えても無実の人間を、そいつの弁舌と手練手管で死刑に追い込む“触媒殺人”なんてのもアリかもしれない。う~む、アガサ・クリスティは偉大だねえ。

 なに? 不謹慎だ? だーかーらー、なにもあなたが全宇宙を背負うことなどありませんって。あなたがどんなにいいかげんでもボンクラでも一般常識程度の法律を知らなくても、それは選んだやつが悪いんだから。



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2009年4月17日 (金)

その“鈍器”が見たい

女子高生が鈍器で殴られ、かばん奪われる 堺市の路上 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0417/OSK200904160059.html

 16日午後10時25分ごろ、堺市南区桃山台4丁の路上で、自転車で帰宅途中の高校2年の女子生徒(17)から「強盗被害に遭った」と110番通報があった。南堺署によると、前から歩いてきた男に鈍器のようなもので後頭部を数回殴られ、現金約7千円入りのかばんを奪われたという。生徒は軽いけがを負わされた。同署は強盗致傷容疑で逃げた男の行方を追っている。
 同署によると、男は25~30歳、身長約170センチ、黒色っぽい半袖Tシャツと白色っぽい長ズボン姿で、眼鏡をかけていた。硬い物が入ったスーパーの袋のようなものをすれ違いざまに振り回して殴りつけたという。

 出たな、謎の凶器“鈍器のようなもの”

 そもそも“鈍器”ってだけで十二分に曖昧な凶器なのに、さらに“のようなもの”がつくわけだから、読んでるほうにはさっぱりイメージが湧かない。「鈍器」というのは、広辞苑によれば、「鋭くないが重みのある刃物。また、刃のついていない棒状の道具」とある。そもそもがずいぶん曖昧な定義である。刃が鋭くない、あるいは、刃がついていないというところに意味領域のコアがあるようだから、言い換えれば、切ることよりも叩くことのダメージを目的としたなにものかということなのだろう。たとえば、靴下に砂を詰めたものなどは、充分に“鈍器”なわけだ。日本刀で峰打ちされた場合、それはやはり、殴られた痕を調べるかぎりは、“鈍器のようなもの”で殴られたということになるのだろうな。

 かねてより、あちこちで指摘されているのを見るのだが、はたして“鈍器”に“のようなもの”をつける意味があるのだろうか? 「鈍器のようなもので殴られた」というのは、「刃物のようなもので切られた」と言っている以上に曖昧な表現ではなかろうか。“切れる”からには、それは一般的に刃物と呼ばれるものそのものでなくとも、それに準ずる鋭利な部分を備えた凶器なのだろうなと妥当に推測できるが、“鈍器のようなもので殴られる”場合、凶器は、明確に切ることに特化した道具ででもないかぎり、およそすべての物体が候補になってしまう。というか、切ることに特化した道具をあえて殴ることに使った場合でも、候補になってしまう。広辞苑だって、立派な鈍器である。

 「鈍器のようで鈍器でないもの、ってあるのですか?」と、マジメにQ&Aサイトで尋ねている人がいて、それに続くやりとりのあまりの面白さに大爆笑してしまった。いやあ、たしかにこれはもっともな質問だと思うな。マスコミはいったいどういう理由で「鈍器のようなもの」を使い続けているのだろう?

 鈍器のようで鈍器でないものなあ……やっぱり、それは日本刀の峰打ちなんじゃないか? 実際、峰打ちだろうが、あれだけの重量の鉄の棒で殴られたら、死ぬことだって少なくなかろう。

 ♪鈍器のようで、鈍器でない、ベンベン!



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2009年4月15日 (水)

オリジナルプロモーションビデオ?

窓口で「おっぱい1枚」といえますか 綾瀬主演映画チケットに「珍騒動」 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/04/14039438.html

綾瀬はるかさん(23)主演の映画「おっぱいバレー」が2009年4月18日から全国公開されるが、前売りチケットを買う際、「『おっぱい』と口にするのが恥ずかしい」という声が配給会社にたくさん寄せられた。このため、「OPV(オーピーブイ)」という言葉で買えるよう全国の映画館に手配したが、ネットでは「OPVの方が、よっぽど恥ずかしい」というカキコミが出ている。

 前売りでなくとも、シネコンとかで複数の映画のチケットを同じ窓口で売ってる場合、当日券でも結局「おっぱい一枚」と言わざるを得ないような気もするのだが……。

 根本的な問題として、これだけあちこちで宣伝されていて、みんながべつに成人映画でもなんでもないことをよく知っているわけだから、「おっぱい一枚」と言うのがなぜそんなに恥ずかしいのだろうか? べつに「女教師昼下がりの禁断縄地獄バレー 昇天レシーヴ秘密の特訓、一枚」と言えというわけでもあるまいに(えーと、そんな映画はありません、いまテキトーに考えた。念のため)。

 まあ、おれくらいのおっさんともなれば、「おっぱい一枚」くらいはべつに恥ずかしくもなんともないのだがなあ。会社帰りに劇場へスーツ姿ですっ飛んでいって、「クレヨンしんちゃん、大人一枚」と言ったときのほうが、よっぽど照れくさかったかもしれん。去年なんか、キンポコ、一枚」と言って買う人はいなかったのだろうか?

 マルコヴィッチの穴、一枚」みたいなのは、気をつけたほうがいいかもしれん。人間、言いまちがえてはいかん言いまちがえてはいかんと緊張すればするほど、その“言いまちがえてはいかんほう”を言ってしまったりするものだからな。

 それにしても、「OPV」はあんまりだ。誰がそんなこと言って買うんだよ。たしかにそう言うほうがよっぽど恥ずかしいわい。べつに、同じ映画館でほかにバレーボールの映画が上映されているとも考えにくいのだから、ちょっと恥ずかしい人でも、「バレー、一枚」とか「綾瀬はるかの、一枚」とかあたりで切り抜けると思うんだがなあ。恥ずかしい人は、縁なし眼鏡に白衣とかで劇場に行って、「乳房(にゅうぼう)、一枚」などと言ってみてはどうか? 洒落のわかる窓口の人なら、「はい、にゅうぼう一枚」と笑いながらチケットを売ってくれるだろうが、まずたいていの場合は、「は? おっぱいですか?」と問い返されるのがオチだと思う。



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2009年4月13日 (月)

♪Radio, someone still loves you!

ラジオの電リク今や昔…メールに押され電話窓口次々廃止 (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/update/0411/OSK200904110015.html

 関西のラジオ番組でこの春、リスナー向けの電話窓口が相次いで廃止された。メールやファクスでのアクセスに押され、電話利用が減っていた事情もあって、番組改編や経費削減の波にのまれた。かつて隆盛を誇った音楽番組の電話リクエストも消えつつある。年配のファンからは、一時代の終わりを惜しむ声が絶えない。
 朝日放送(ABC、大阪市福島区)の看板番組「おはようパーソナリティ道上洋三です」(平日早朝)が、リスナー投稿用の電話窓口を廃止したのは今月3日。オペレーター10人が電話応対し、聞き取った内容をアシスタントディレクター(AD)が選んでプロデューサーに伝えていたが、メールなどに比べて手間がかかる、との理由だった。
 同局では、ほかの2番組の電話窓口も同時期にやめた。編成制作部の担当者は「ここ数年、通信手段の選択肢が増えて投稿数が伸びる半面、スタッフの数は減るばかり。番組進行の効率を考えた」。3月末に窓口廃止を告知した際、「寂しい」などの声が10件ほど寄せられたという。
 毎朝のように電話してきた高齢男性から「長い間いろんなこと言うて悪かったなあ。話を聞いてもらうのが楽しみやった」と言われ、涙が出た――。そんな話を電話窓口終了後、オペレーターの送別会で聞かされたという道上洋三・エグゼクティブ・アナウンサー(66)は「電話は多くの人の力を積み重ねてリスナーの思いを受け止めてきた」と振り返る。「かかった人の数だけ思いが詰め込まれ、マイクの前に届いていた。その思いを今後は少ない人間で感じていかなければならない」

(中略)

 そんな電リクも東京では健在だ。ニッポン放送(千代田区)は今月5日、「デジタルにはない臨場感がある」として、日曜朝の音楽番組で、長年途絶えていた電リクを復活させた。初回は電話が殺到したという。文化放送(港区)の編成部担当者は「電話はリスナーの生の声を聞ける重要なツール。ニーズはなくならない」。同局は音楽番組やトーク番組など複数の番組で電話窓口を維持している。(宮崎園子)

 うーむ。時代の流れと不況の波が重なった結果、いま、こういうことになったんだろうなあ。

 おれはラジオに葉書を書いていたころはあるが、電話をしたことはないもんだから、リスナーとオペレーターのコミュニケーションというのがどういうものなのかはいまひとつ実感を伴ってはわからないのだけれども、「長い間いろんなこと言うて悪かったなあ。話を聞いてもらうのが楽しみやった」というのは、ちょっと泣かせる話だよね。

 以前、職場で、電話通販でお茶を売っている会社のシステムを担当していたSEから聞いた話だが、お年寄りの客には、ほんとうにオペレーターとただただ話がしたくて電話をかけてくる人が少なからずいて、通販会社としては痛し痒しなのだという。ラジオの電話リクエスト窓口にかけてくる人にも、きっとそんな寂しいお年寄りがいて、孫のようなオペレーターに「いろんなこと言うて」やるのがじつは楽しみだったりしたんだろうな。

 電波のラジオというものを最近すっかり聴かなくなってしまい、ラジオは専らポッドキャストで配信されているものばかりを聴いているおれではあるが(そういう意味では、以前よりずっとラジオを聴くようになったくらいだ)、かつてのラジオ少年としては、たしかにまた一時代が終わったようで、そこはかとない寂しさを感じますなあ。その一時代を終わらせしめるほうの勢力に、おのれが紛れもなく加担しているとしてもだ。

 そうそう、ラジオといえば、前から気になっていたのだ。おれの小中学生、高校生のころは、ラジオに投稿するときの変名を、アナウンサーも番組パーソナリティーもリスナーたちも、みな「ペンネーム」と言っていたものであるが、いつのまにか、アレを「ラジオネーム」などと呼ぶのが一般的になってしまっている。おれがラジオを全然聴いていない時期に変化があったようなんだが、どうして変わったんだろうね? おれはどうも人間が古いのか、いまだに「ラジオネーム」って言葉にちょっと引っかかりを感じる。「ペンネーム」じゃいけない理由でも生じたんだろうか? べつに文筆活動じゃないからとかいう理由なんだろうか? そうかあ? そりゃ、一見さんならともかく、これには原稿料を出すべきだと思わせるような力作をしょっちゅうラジオに投稿している、投稿の鬼みたいな人とかもいるしなあ。

 かといって、テレビで匿名希望で変名を使っている葉書が読まれているときに、「テレビネーム」なんて言葉を使っているのは聞いたことないんだよな。げに不思議な言葉、「ラジオネーム」。



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2009年4月 5日 (日)

日本沈没、さよならジュピター

 北朝鮮がロケット(ミサイル?)を打ち上げたと政府が誤報を流してしまったことに関して、やたらマスコミが「こんなことで国民を守れるのか」といった論調で批判的な報道をしているが、そりゃあちょっと政府がかわいそうだよ。日本の政府や防衛省に国土や国民が守れるわけがないことは周知の事実でしょうが。というか、おれたちが、おれたちの一票を以て、そういう政府や防衛体制を作ってきたのだから、今回のことで政府を非難するのは、天に唾しているようなものだ。おれたちは、自国の国土や国民を、自国の力で物理的な脅威から守ることから目を背け、放棄してきたのだから、こういうことに直面してにわかに政府を非難するのはいかがなものかと思う。自国の力で自国を守れなくてもいいという覚悟を前提にしておれたちはやってきているはずであって、マスコミもそういう世論をいままで作ってきたはずだ。いまさら、どの口が「政府は国民を守れるのか」などとほざくか。守れねーよ、そんなもん。守れなくていいという道をおれたち自身が選んできたんだから、秋田にだろうが東京にだろうが、なにが落ちてこようと、それはおれたちの覚悟の中に織り込みずみのできごとのはずだ。

 今回のことが自然現象なのだと考えてみればよい。地球には元々成層圏に達するほどの巨木が生えていて、その巨木はときどき梢のあたりから種子を弾けさせる。それはどこに落ちるのかわからないし、種子にはけっこうな質量があるので、種子が“着弾”した場合、相当の被害が出る。また、その種子は、場合によっては、放射性物質すら含んでいる可能性がある。そんな木が地球のあちこちに生えているとしようや。先進国は、そのような巨木を切り倒したり、若木のうちに制御したりする技術を持っているが、どの国でもそんなことができるわけではない。

 そうした条件下で、「ウチは種子が飛んできたら、アメリカが撃墜してくれることになってますから」と、自然現象に対する備えをほとんど行わずに、ひたすら経済成長に注力するという道を選んできたのがおれたちだ。おれはそれを悪いと言っているのではない。そういう道をみずからの意志で選んできたのなら、種子が飛んできたときには、みずからの哲学相応の覚悟があって然るべきであると言っているのだ。従容として“着弾”を受け容れるべきである。種子が飛んでくるときになって、「政府はなにをしている」などと非難するのは、あまりにも潔さに欠けるのではなかろうか。もし、種子が京都府南部に落ちてくるがどうしようもないということがわかったのだとすれば、おれはそれを“日本人の総意”として受け容れる覚悟だ。自国を自然現象から守るということすらできないリーダーたちを選んできた、おれの不見識な一票の報いとして受け容れよう。

 ないものねだりをしてはいけない。おれたちがおれたちの票で作ってきたこの日本の政府には、巨木が種子を飛ばしてこようが、北朝鮮がミサイルを撃ってこようが、小惑星が東京めざして落ちてこようが、ブラックホールが太陽に迫ってこようが、そういう事態に対処する能力がもとよりあろうはずがない。いまの政府や防衛省は、さまざまな制約の下で、まだよくやっているほうだ。これで非難されるのなら、いっそ「なにもしないほうがいい」のかもしれない。

 要するに、投票場へゆくということは、自分の家に向けてミサイルが飛んできた場合に、国家にどう対処してほしいかという意志を表明しにゆく行為なのであるということを、今回のことは日本人に教育してくれているありがたい機会であると思うのよな、おれは。投票に行かないやつは、ミサイルが飛んでこようが、ブラックホールが迫ってこようが、文句を言うなということだ。どんなに平和的な思想を持って、どんなに呑気に暮らしていたって、サメが襲ってくることだってあるのさ。



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2009年4月 4日 (土)

命あっての物種だね

松村邦洋さん退院、「マラソン、やせたら再挑戦」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/showbiz/news_entertainment/TKY200904030264.html

 今年3月の東京マラソンの出場中に倒れ、一時は心肺停止状態になったタレントの松村邦洋さん(41)が3日退院し、都内で会見を開いた。後遺症もなく、近く仕事に復帰するという。心筋梗塞(こうそく)と診断されたことを明かし、「芸能界の寿命より本当の寿命が大事」と語りながら、体重を落とすことを誓った。
 松村さんの体重は約100キロ。「マラソンはしたいが、皆に迷惑をかけた。65~70キロになったら再挑戦を考えたい」と語っている。

 いやあ、いいんじゃないの。「芸能界の寿命より本当の寿命が大事」ってのは名言ですなあ。明石家さんま「生きてるだけで丸儲け」と言っている。さんまの名言は、おれの座右の銘でもある。そうだよ、べつにおれは、“デブキャラ”としての松村が好きなわけじゃない。松村ほどの藝があれば、デブだろうがヤセだろうがやってゆけると思うよ。

 それにしても、65~70キロとは大きく出たな。おれがいま60~61キロなんだぜ。おれの人生最高記録が70キロだ。そこまで落とした松村の姿は想像もできないが、案外イケメンだったりしてな。わからんぞ~。彦麻呂だって、かつてはイケメンアイドルだったわけだからな。“逆彦麻呂”を狙うのも、マーケティング的にはアリかもしれん。



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2009年3月31日 (火)

あくまで人工衛星ですから

 北朝鮮の“人工衛星打ち上げ”なんだが、なにやらマスコミまでもが平気で“迎撃”という言葉を使っているのが気にかかる。あくまで連中は、人工衛星を打ち上げると言っているわけであるから、わが国としては“迎撃”はまずかろう。北朝鮮が人工衛星を打ち上げるのであれば、わが国も人工衛星を打ち上げる。それがたまたま北朝鮮のロケットに当たってしまったとしても、それはじつに不幸な事故である。いやあ、遺憾なことでしたなあですむのである(すまんか?)。

 まあ、個人的には、わが国の人工衛星打ち上げロケットが、ああら不思議、まったくもって万にひとつの偶然で、北朝鮮の人工衛星打ち上げロケットに衝突し、木っ端微塵にしてくれればいいなあとは思うのだが、まあ、こればっかりは運だからわからない。アメリカにはどうもその気はなさそうだが、できればアメリカにも人工衛星を打ち上げてもらいたいと思う。北朝鮮の人工衛星打ち上げロケットがアラスカのあたりまで飛んでゆけば、アメリカもかなり本気になって人工衛星を打ち上げることだろう。サラ・ペイリンの庭先に落ちそうだとなれば、これはもう、アメリカとしても、たまたま北朝鮮のロケットに当たるかもしれない人工衛星を打ち上げるしかなかろう。

 いやあ、みんな人工衛星打ち上げるのが好きだねえ。



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2009年3月30日 (月)

政府紙幣の使いみち?

小泉政権ブレーンの高橋洋一教授 脱衣所で窃盗容疑 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0330/TKY200903300341.html

 温泉施設の脱衣所のロッカーから高級時計などを盗んだとして、警視庁は、元財務官僚の高橋洋一・東洋大教授(53)=東京都板橋区=を窃盗の疑いで30日に書類送検した。高橋教授は、小泉政権のブレーンとして郵政民営化などを進めた。
 練馬署によると、高橋教授は24日午後8時ごろ、練馬区の温泉施設「豊島園庭の湯」の脱衣所で、同区の会社員男性(67)が使っていたロッカーから現金約5万円入りの財布や、イタリア製の高級腕時計(数十万円相当)などを盗んだ疑いがある。男性は鍵をかけ忘れていたという。
 高橋教授は「いい時計で、どんな人が持っているのか興味があった。申し訳ない」と謝罪しているという。
 浴室から上がった男性が時計などが無いことに気づき、同署に通報。署員が防犯カメラの映像を確認したところ、映っていた男に似た高橋教授が午後11時ごろに施設から出てきた。事情を聴くと男性の時計などを持っており、容疑も認めたという。
 高橋教授は昨年4月から東洋大学経済学部に在籍。「さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白」などの著書がある。
 東洋大は「事実関係を確認中だが、教育に携わる者として許し難いことである。今後、厳正な処分を行う」などとするコメントを出した。

 数百万円、数千万円というならともかく、数十万円相当の腕時計なら、著書もあって講演を依頼されテレビにも出るような大学教授に買えんことはないと思うんだけどなあ。べつに生活に困っているわけでもないのに、二百円、三百円のものをわざわざ万引きして捕まる病んだ主婦みたいなもんなのかもなあ。

 さては、政府紙幣を発行しろと言っていたのは、腕時計が欲しかったからか……と、ツッコんでいる人が、いまごろ日本中にいっぱいいるにちがいない。

 それにしても、地位も名もある人が、なんともちんけな犯罪で書類送検されるもんだ。わが国が世界に誇る最高の腕時計なら、一万五千円で買えるのに。



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2009年3月26日 (木)

♪あっと、ひっとり~

 WBCで日本が二連覇したもんだから、昨日からテレビはどこを観てもWBC関係の報道で埋め尽くされている。まあ、野球に疎いおれでもめでたいことだとは思うし、多少なりとも景気浮揚効果があればいいなあと思う。

 で、WBCを嘗めまわすように回想している報道に、飲食店やらでテレビを観ている人々が、九回裏に「あとひとり!」コールをやっているシーンがあった。おれはあれを観て、ものすごく違和感を覚えたのよな。みんな、

「あ、ひりー! あ、ひりー!」

 と叫んでいる。これがおれには気色悪い。たぶん、関東で撮ってるんだろう。関西の場合、これは絶対にちがう。そもそも関西の場合、あれはコールではない。である。おれの子供のころは少なくともそうだった。草野球ですらそうだった。

♪あっと、っとり~♪あっと、っとり~

 と、みんなで唄うものではないのか、これは? 関西人(とくに、大阪人)が数を数えるときには、ひとりでにフシがついてしまうという現象をバラエティー番組などが面白おかしく取り上げていたりするが、アレと同じだ。「♪あっと、ひっとり~」も、むかしからそうなのだ。

 もしかしたら、最近はちがうのだろうかと YouTube を探してみて愕然とした。なんと、阪神タイガースのファンまでもが、関東風の発音をしているのだ。唄っていない。なんたることだ!

 阪神ファンまでもが関東の影響を受けてしまっているのかなあ。な、嘆かわしい。こ、これは絶対、

♪あっと、っとり~♪あっと、っとり~

 と、唄わなくてはならない。なあ、そうだろう、年配の関西人たちよ?



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2009年3月13日 (金)

カーネル・サンダース怒る

「呪い」火付け役、救出喜ぶ 探偵!ナイトスクープ (asahi.com)
http://www.asahi.com/showbiz/tv_radio/OSK200903110069.html

 阪神の成績低迷は、道頓堀川に投げ込まれたカーネル・サンダース像の呪いである――こんな「伝説」が広まったきっかけは、朝日放送の人気番組「探偵!ナイトスクープ」だった。関係者は感慨深げに「救出」の報を喜んだ。
 88年3月にスタートした同番組は、初回の放送で、「道頓堀に沈んだカーネル・サンダースを救え!」としてこのネタを取り上げた。街で広まりつつあった「呪い」伝説を追い、像を探し当てて呪いを解こうとした。翌4月にもこのネタを2回放送。計3回のうち2回でダイバーを川にもぐらせ、1メートル四方ずつ移動しながら数十メートルにわたり川底を調べたが、見つからなかった。
 当時のプロデューサーの松本修さん(59)は「しらみつぶしに捜した。それでも見つからず、放送後は都市伝説として定着した」と振り返る。
 以後、サンダース像は「阪神色」を増し、貸し出されてファンの集いに出かけたり、阪神甲子園球場のケンタッキーフライドチキンの店で法被を着たりしてきた。
 「探偵!ナイトスクープ」は今月15日、午後7時からのゴールデンタイムに初めて、2時間の特別番組として放送される。松本さんは「祝福してくれているとしか思えないタイミング。それと、大阪に元気を出せ、がんばれと言っているのではないか。優勝祈願をする阪神ファンはこれから、広田神社(兵庫県西宮市)とともにカーネル参りをしたらいい」と話す。(市原研吾)

 昨日に引き続き、関西では“カーネル・サンダース発見”のニュース一色といった感があるが(首都圏などの“地方在住”の人には信じられんかもしれんが、事実そうなのだ)、あの『探偵!ナイトスクープ』が見つけられなかったものが、なぜ、いまになって見つかったのか、じつに不思議だ。

 そこでおれは考えた。じつは、カーネル・サンダースは、いったん海まで流され、大洋に出たにちがいない。そして、大阪が帰りやすい環境になるまで待っていたのだろう。いまの大阪が帰りやすい環境かどうかはよくわからないのだが、まあ、とりあえず、さしあたり、黒字にはなった。真弓も監督になった。永田町も霞ヶ関もこれ以上堕ちんくらいにぼろぼろになり、相対的に大阪は帰りやすい環境になったと言えるかもしれん。それを見極めたカーネル・サンダースは、大海原から帰ってきた。もちろん、遡上して卵を産むためにである。きっと、そこを不運にも捉えられてしまったのだ。

 おれは思うのだが、カーネル・サンダースは、このままそっと川へ帰してやってはどうだろう? 帰してやっても、きっと、いつの日か、むかしの高田美和なり、むかしの藤村志保なりの、圧制に虐げられた美しい村娘が清い涙を流して祈るとき、カーネル・サンダースは必ず道頓堀川から現れ、憤怒の形相もすさまじく巨大化して動き出し、悪い政治家や役人どもを踏み潰してまわるのだ。



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2009年3月11日 (水)

24

カーネル:24年ぶり「救出」 阪神優勝で道頓堀川に (毎日.jp)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090311k0000m040097000c.html

 10日夕、大阪・ミナミの道頓堀川(大阪市中央区道頓堀2)の川底で、市の遊歩道整備工事の関連作業で潜っていたダイバーが、ケンタッキー・フライド・チキンのカーネル・サンダース人形の「上半身」(体長約1メートル)を見つけた。85年10月にプロ野球の阪神タイガースがリーグ優勝した際、興奮したファンらが川に投げ込んだまま行方不明となっていた人形とみられる。
 当時、21年ぶりの優勝に酔ったファンが、主砲・ランディ・バース選手に似ていたことから、当時の道頓堀店前に置いてあった人形を胴上げし、今回の発見現場の東約200メートルの戎(えびす)橋から勢い余って川に落とした。その後、ダイバーが捜索したが見つからずにいた。阪神は86年以降は日本一になれず、ファンの間で「カーネル・サンダースの呪い」と言われた。
 人形は午後4時ごろ、河川工事で不発弾調査中のダイバーが見つけた。台船のクレーンで引き揚げると、作業員からは「死体やないか」との声があがったが、すぐに阪神ファンの現場監督らが「カーネルや」と叫んだ。通行人らも「オーッ」とどよめいたという。
 人形は汚泥で激しく汚れている。河川管理者の大阪市が保管し、日本ケンタッキー・フライド・チキン社と取り扱いを協議する。11日朝も川底での作業が続くため「下半身」が見つかれば大阪市が保管する。【田中龍士】

 年配のSFファンは、たぶん十人に九人くらいは同じ連想をしていることかと思うが、やっぱりおれもそう思った。チャールトン・ヘストンもびっくりである。人類が地球を支配しているうちに見つかってよかったことだ。

 それにしても、あのころ「かっとばせ~、ま~ゆ~み!」と応援されていた人が、いまは監督である。二十四年ってのは、長いようで短いようでやっぱり長いねえ。バースはもうこのニュースを知っただろうか。

 そういえば、新井素子「阪神が、勝ってしまった。」なんてSF短篇を書いてましたなあ。阪神が優勝するなんて、それこそ当時は“SF”だったのだった。一九八六年にハレー彗星がやってきたもんだから、次に優勝するのは二〇六一年だなどという法則(?)がまことしやかにささやかれたものであった。

 いやしかし、なんというか、このカーネル・サンダースの穏やかな笑顔を見よ。当初はあるいは“呪い”があったのかもしれんが、長い歳月のうちに自分を川へ投げ込んだ阪神ファンへの怨念も解け、なにやら生きながら五穀を断って即身仏となられた高僧のようなお姿である。ハナ肇だってこれほどの威厳はなかった。

 じつにめでたい。なんだか知らんがめでたい。どうも平成になってからろくなことがないから、この吉事を寿ぎ、改元でもしてはどうか? 雉やら鳥やら亀やらは元号にあるが(なぜか亀は不当に多い)、虎というのは一度もないはずだから、今年を白虎元年とでもしてはどうであろうか。

 それにしても、五十六元帥なのに、三十六大佐というのが解せぬ。二十ちがうとそんなにちがうのか? なに? 三十六ってなんのことだって?

 そんなこと、いちいち言わしなや。三ダースやがな、三ダース。



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2009年3月 9日 (月)

きちがい博士

女優の「キチガイ」発言で謝罪 「放送禁止用語」とは何か (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/03/08037204.html

生放送の「笑っていいとも!」でゲストの女優が「キチガイ」と話したことに、番組アナウンサーが謝罪する事態があった。一般的に「放送禁止用語」とみられており、テレビ局でも不適切だと判断した。ただ、ネット上ではこの言葉がダメと初めて知ったとの声もみられるほか、識者からは「なぜ本人じゃなくアナが謝罪するのか」との疑問も出ている。
差別意識なしの日常的な誇張表現
バラエティ番組では、放送禁止用語が飛び出ると、「ピー」といった音などで発言が消されるのをよく目にする。しかし、こと生放送では、そうはいかない。
フジテレビ系で2009年3月4日に放送された長寿番組の「笑っていいとも!」。 この日のテレフォンショッキングでは、宝塚出身女優の毬谷友子さん(48)がゲストに呼ばれた。禁止用語が飛び出したのは、毬谷さんが5月からの舞台に備え4オクターブも出す発声練習の様子を披露したときだった。 「もう今、うちがキチガイみたいな…」
毬谷さんは、まずいと思ったのか、すぐに口を手でふさいで顔を下に。司会のタモリさんも、「ハハハ、そう、ハハハ。発声練習しているの」と話をそらした。ところが、さらに、タモリさんや会場から「若い!」と声が上がると、毬谷さんは「キチガイです」と言って、慌てて口に手を当てた。そして、コーナーが終わると、CMをはさんで、番組の加藤綾子アナが「不適切な発言がありました」として頭を下げた。
「キチガイ」は、新聞では、各社が独自に差別語や不快用語にしている。言い換えは、たいてい「精神障害者」だ。民放連やNHKによると、テレビでも、共通の「放送禁止用語」になっているわけではない。各局で独自に基準などを決めており、フジでは、この場面で「キチガイ」が不適切だったわけだ。

 まあ、世の中には“文脈”というものがまったくわからん人もおるから、放送局としては過敏にならざるを得ないのだろうが、あんまり出しゃばって過敏なのもどうかと思うねえ。

 おれは毬谷友子という女優に、まさにその“キチガイじみた”オーラを持つがゆえに、えも言われぬ魅力を感じているので、毬谷友子が自虐的に“キチガイ”と言うのだとしたら、それはかなり面白い状況だと思うんだよね。おれはそのシーンを観てないけども。いいよね、毬谷友子の、狂気を孕んだ妖しい雰囲気。

 だけどなあ、この場合、「精神障害者」などと言い換えたほうが、よっぽど病に冒されている人をバカにしているようなニュアンスが出てしまうと思うんだよなあ。そう思わんか?

 SFのほうだと、おれがいつも不思議に思うのは、「マッド・サイエンティスト」はよくて「きちがい博士(はかせ)」はダメ(らしい)ということである。なんちゅうか、「きちがい博士」という表現でしか伝えられないなにかがあるんだよね。「きちがい博士」という言葉が持つ、なにやらレトロな雰囲気がとてもいいんだよなあ。

 たとえば、とくに名を秘す某小林泰三という作家などは、会話ではなにやら一種の“愛”を込めて「きちがい博士」という言葉を平気で使うのだが、さすがに活字媒体で書いているのを見たことはない。彼が「きちがい博士」と口にするとき、そこには、そこはかとない“愛”があるのがおれにはわかるんだなあ。だけど、その感じが万人に共有されるものかどうかとなると、それは疑わしい。

 だけど、なんだかなあ……。「マッド・サイエンティスト」より「きちがい博士」のほうが親しみが持てるという感覚、ここを読んでるような人には、わかるよね? わかってね。



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2009年3月 4日 (水)

国策捜査だとしたら、こいつは面白くなってきたぞ

小沢代表「全く問題ない」…捜査次第で進退に発展も (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0303/TKY200903030284.html

 西松建設側の政治献金問題に絡んで公設第1秘書が逮捕された民主党の小沢代表は3日、「全く問題はない」と同党幹部に伝えた。党執行部は「国策捜査だ」と反発しているが、党内には総選挙への悪影響を危ぶむ声が広がっている。捜査の展開次第では、小沢氏の進退に発展する可能性も出てきた。
 小沢氏は3日、公設秘書が逮捕されるのに先立って党本部で鳩山由紀夫幹事長、菅直人代表代行ら幹部と会談し、「すべて合法にやっている。全く心配はいらない」などと語ったという。秘書の逮捕後も、鳩山氏は記者団に「全く問題ないとのことだったので当然、私たちは信頼している。いずれ代表自らが説明される」と述べた。小沢氏の進退については「この問題で今すぐにという判断にはならない」と否定した。
 小沢氏は4日朝の党役員会で、経緯などについて説明。その後、党本部で記者会見する。
 党執行部は当面、捜査の推移と小沢氏本人の説明を見守る構えだ。しかし、説明が理解を得られず、政治責任を追及され続ければ総選挙への打撃は計り知れない。小沢氏と距離を置く議員を中心に「党内政局だ」(中堅)として、「ポスト小沢」を想定する声も党内には出始めている。

 国策捜査なんだかどうかはよくわからないが、もしそうなのだとしたら、自民党と官僚の持ちつ持たれつのアンシャンレジームはなりふりかまわず最後のカードを切ってきたということであって、よほど切羽詰まっているのだと解釈することもできる。

 どのみち、民主党が聖人君子ばっかりだとは最初から誰も思ってないわけで、それどころか、「元自民党がいっぱいいるじゃーねーか」と思っている人のほうが多そうだ。国策捜査だとしたら、下手すると逆効果になりそうな気がするがなあ。“叩けば埃が出る小沢”というイメージは、そのまま自民党そのもののイメージであるからだ。

 それでも、これだけ民主党が自民党に肉迫してきているのは、ひとえに自民党そのものが自壊していっているからであって、民主党の実力ではない。小泉元首相は、ここへ来てようやくかつての公約を果たしつつあると言えるであろう。

 おれは、これがほんとうに既得権にしがみつく連中の陰謀であったり、国策捜査であったりするほうが、ずっと愉快だと思っているのだ。これでもし小沢代表が退くことがあれば、いっぺん政権交代させにゃならんとは思っているものの“小沢アレルギー”のみを理由に民主党を積極的に支持するのには腰が引けている人たちが、憑きものが落ちたようにいっせいに積極的な民主党支持にまわるということだって考えられる。ここまで自民党がメタメタになった段階で民主党に失点が出ても、それはちっとも自民党のプラス評価には繋がらないだろうと思う。

 この好機に、民主党は、いっそクリーンで堅実なイメージの岡田克也をいま一度トップに据えたほうが、さらにダメ押しで支持率が上がるのではなかろうか、というか、不支持率が下がるのではなかろうか? いまのぐちゃぐちゃな自民党よりは、多少頼りないくらいの若い力のほうがずっとイメージがよい。そうすれば、今回の国策捜査(?)の糸を引いた連中は、「そ、そんなアホな……」と、藪をつついて蛇を出した予期せぬバックファイアに仰天し、Orzと崩折れることであろう。いや、そうなると、ドラマとしては、と~っても面白いなあと思うだけ。けけけけけ。

 おれはとくに民主党支持ではないが、自民党不支持である。よって、上記の提案は、なかば本気でしている。岡田代表を再び据えて、これはまあ無理かもしれないが、欲を言えば世耕弘成を自民党から引き抜いて選挙参謀にしろ。世耕氏も、いまの自民党では、自分の才能が空回りするだけで有効に活かせず“はらほろひれはれ感”を強く抱いているのではなかろうか。「それを言っちゃあ、おしめーよ」ってさ。民主党にまわったほうが、ずっと才能と経験が活きると思うんだがなあ。なあ、世耕さん、“民主党のゲッベルス”として、日本を変えてみる気はないか? そんな努力のし甲斐のないところで埋もれてないでさあ。



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2009年2月25日 (水)

もはや怖いものなどなにもないでしょう

日米首脳会談が終了 有識者と昼食会 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0225/TKY200902240382.html

 麻生首相とオバマ米大統領との初めての首脳会談は24日正午前(日本時間25日午前2時前)に終了した。会談は予定の1時間を超えて、約80分間行われた。共同記者会見など、両首脳がそろって会談内容を記者団に説明する場面はなかった。

 ソムリエは連れて行かなかったみたいだな。

 「共同記者会見など、両首脳がそろって会談内容を記者団に説明する場面はなかった」ってのは、じつに残念だなあ。ここはやはり記者会見を開いて、べろんべろんに酔ったふりをした麻生首相にドン引きしている記者団に向かって、「……な~んちゃって!」くらいのことをやってくれれば、世界もちょっとは日本人のユーモアセンスを見直してくれるんじゃないかと思うんだが……。というか、これ以上支持率が下がりようがない首相ってのは、なにやっても怖くないわけであって、ある意味、最強なんじゃなかろうか。そういう、誰にでも望めば得られるわけではない立場をせめて最大限に利用してほしいと思う今日このごろである。「外交で失地回復を狙う麻生首相」みたいなことをマスコミが言っていたりするが、失地回復ったって、もはや失うべき土地はまったくなく、海にぷかぷか浮いているかのごとき麻生政権である。

 ま、とにかく一刻も早く選挙やってよ。



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2009年2月24日 (火)

とりあえず、ありがたくも、今日、おれは生きている

「死に対する畏敬」米でも評価 「おくりびと」栄冠 (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/update/0223/TKY200902230280.html

 受賞の瞬間、滝田洋二郎監督は足早に壇上に上がり、「サンキュー、オール・アカデミー」と英語であいさつした――。第81回アカデミー賞で「おくりびと」が外国語映画賞を受賞した。英語題は「旅立ち」を意味する「ディパーチャーズ」。海外36カ国・地域で公開が決まっている。滝田監督はスピーチを「アイル・ビー・バック」と締めくくった。
 主人公を演じた本木雅弘さんが、旅先で葬儀の光景をヒントに十数年前から温めてきた企画。07年に山形県庄内地方などで撮影し、本木さんの上司を山崎努さん、妻を広末涼子さんが演じた。
 本木さんは、納棺師の青木新門氏の著書「納棺夫日記」を読み込み、現役納棺師の特訓を受けた。「ご遺体」を丁寧に清める湯灌(ゆかん)の儀。旅立ちの衣装への着替えでは、故人の肌が見えぬよう細心の注意を払い、化粧を施して生前の面ざしをよみがえらせる。流れるような所作の美しさ。ひつぎに納めるまでの動きの隅々に、命に対する厳粛な思いがにじむ。

 おれはまだこの映画観てないんだけど、こういう日本の文化に流れる精神性がアメリカ人にも伝わっているらしいのが、なんだか喜ばしい。おれは宗教というものがまったくわからない人間だし、セレモニーというものが大嫌いな人間ではあるのだが、いったい全体、何教なんだか表面的にはさっぱりわからないような日本のあれこれの儀式の底に流れる、ある種の“思いやり”のようなものにだけは、素直に共感できるのである。だからといって、冠婚葬祭が好きなわけじゃないけどな。ほら、葬式って、悲しいけど、なんだか清々しい側面があるじゃないか。自分もいつか必ずこんなふうに灰になるのだということをしみじみ実感すると、なんだか安らぎを覚えないか? おれは葬式が嫌いだが、葬式が終わったあとの、あのなんとも言いようのない穏やかな心持ちは、ちょっと好きなんだな。

 この日記でも何度か話題にしたブログ『特殊清掃「戦う男たち」』は、ショッキングな内容と哲学的な語り口が相まって、かなり人口に膾炙した有名ブログだと思うんだが、同じ会社のエンゼルケア事業部ってところで、湯灌から納棺までやってる女性の『遺体屋の仕事』ってブログも、地味ながらいろいろ考えさせられるいいブログですぞ。まさに、“おくりびと”の日常なんである。まあ、『おくりびと』のアカデミー賞受賞を機会に、知らない方はぜひ読んでみてください。

 常々思うんだが、人の生き死にに関わる仕事ってのは、それだけでもうすごいなあと頭の下がる思いがするのである。おれたちは、人が生まれるところにも死ぬところにも、まあ、ふつうはそんなに多々遭遇するものではない。そういうものを目にするのが日常になっている人々ってのは、たぶん、自分が生きている実感ってものも、おれたちとはかなりちがうのではなかろうかと思うのである。人の生き死にというものをしょっちゅう目にするというのは、はたしていいことなのか悪いことなのかよくわからないが、少なくとも「人は死ぬものだ。じつにあっけなく死ぬものだ」ということは、咲いた桜が散ることくらいに、あたりまえのこととして常に意識しておかねばならんなあと思ったりするのだ。

 そう、ひょっとしてひょっとすると、これがおれの最後のエントリーなのかもしれないわけで、そう思うと、生きてバカをやっていることが、なんともいとおしく、かけがえのないことのように思えてくる。げに、「生きてるだけで丸儲け」なのだよなあ。



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2009年2月17日 (火)

酔務大臣

中川財務相:陳謝、「機内で風邪薬、酒も…相乗効果で」 (毎日.jp)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090216k0000e010067000c.html

 中川昭一財務相は16日午後、国会内で記者団に対し、ローマで行われた先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)終了後の記者会見で、時折、ろれつの回らない口調でやりとりしたことについて、「風邪薬を(ローマに向かう)飛行機の中で飲んだ。それが多めになってしまったことが原因。酒も飛行機で飲み、その相乗効果で誤解を招いたのは事実で申し訳ない」と陳謝した。同時に「会見前には飲んでいない」と強調した。
 自らの進退問題については「それは首相が判断することだ」と語った。
 この問題で、河村建夫官房長官は16日朝、中川氏から電話で事情を聴取し、「自己管理に努めるように」と注意した。河村氏は同日午前の記者会見で「極めて遺憾だ。風邪薬、体調、疲れなどが一体となって出た結果だと思う」と述べた。
 中川氏は先月の衆院本会議で行った財政演説で26カ所を読み間違え、議事録を訂正。この際も「飲酒が原因ではないか」と指摘されたが、政府高官は「腰痛の薬が原因だろう」と説明していた。【清水憲司、坂口裕彦】

 いやあ、おれもあの記者会見をテレビで観たけど、あれはすごいわ。ウケを狙ったネタかと思った。酒とか風邪薬とか言ってるけど、酒だとしたら、G7の最中にぐびぐびやってでもいないかぎり、あそこまでにはならんのじゃなかろうか。平均的な人より酒は強いんだろう? また、風邪薬って、常識のある人が“多めに”飲んだりするか、ふつう? 「ああ、この風邪はとくにひどいから、二錠って書いてあるけど、四錠飲もう」なんてことを、まともな教育を受けた人がしますか、ふつう?

 ただちに麻生首相のやるべきことは、閣僚全員の尿検査だと思うぞ。最近、流行ってるからな。もっとも、最近の首相の言動を見るに、麻生さん自身がヘンなクスリでもやってんじゃないかってしばしば思うけどな。



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2009年2月14日 (土)

己を知り己だけを知らば、己を知ることついに能わず

「管理職は自社製品10万円購入を」 パナソニック通達 (asahi.com)
http://www.asahi.com/business/update/0213/OSK200902130060.html

 パナソニックがグループの管理職社員約1万人に対し、自社製品を総額10万円以上、購入するよう通達を出した。景気低迷のなか、業績の足しにするだけでなく、管理職に危機意識を高めてもらう狙いがある。
 購入の目標期限は、ボーナス商戦を挟んだ7月まで。対象製品は限っておらず、地域販売店でも量販店でも購入できる。同社は4日に09年3月期の連結業績予想を下方修正し、純損益が3800億円の赤字に陥ると発表。通達はその後、出された。
 パナソニックは業績が落ち込んだ01~02年度にも自社製品の購入を強化したことがある。日頃は「バイ・パナソニック運動」として社員に自社製品の購入を啓発しているが、今回は通達というさらに強めた形式をとった。
 他の電機メーカーでは、富士通が1月、社員向けに携帯電話やパソコンの自社製品を買うよう呼びかけた。シャープは「日頃から自社製品を購入するようにしている」ため、目標は定めていない。三洋電機は経営が悪化した05年に役員から一般社員まで、200万~20万円の購入キャンペーンを実施したことがある。(大宮司聡)

 まあ、たいへんな状況だからこういうことを言い出す経営陣の気持ちはわからないでもないわな。だけど、「業績の足しにする」と正直に吐露するのはいいのだが、「管理職に危機意識を高めてもらう」などというキレイごとは、全然筋ちがいだと思う。

 管理職に危機意識を高めてもらうためには、むしろ「同じカテゴリーの製品で自社製品を買うのは一台までにしろ」と通達すべきだ。つまり、テレビを二台以上買うなら、二台めからは他社製品を買えと言うべきであろう。同じ会社の、ましてや自社製品ばかり使っていると、視野が狭くなり、顧客視点も失われてくる。他社の製品やサービスが自社のそれに比べていかに優れているか、あるいは劣っているかを身を以て知るには、自分自身がまず客になることである。

 自社の製品やサービスが好きで誇りを持って提供しているので、自分が買う場合も、誰に言われることもなく、すべて自社製品にしているという社員だって少なからずいるかもしれないし、一般社員ならそれでいいかもしれないが、管理職ともなれば、自社の製品が買いたくてしかたがないのだが、あえて意識的に他社の顧客になって他社の製品やサービスを体感してみるくらいのことをおのれに課す必要があるのではないか。だいたい管理職くらいになると、自社の文化にどっぷり浸かってしまい、自社が存外に世間に比べて優れている点や、異常なほどに世間常識からズレている点などが、だんだん見えなくなってくるものである。その危険をちゃんと認識し、みずからに他社の製品やサービスを広く知り、体験することを課している人は、やっぱりどっかちがう。

 手塚眞が幼少のみぎり、父親の会社が制作した番組の裏番組ばかり観ていたところ、母親に「お父さんの番組を観なさい」と叱られたそうなのだが、手塚治虫「子供には観たいものを観せなさい」と逆に妻を戒めたという。どんなに功なり名遂げても、常に若手を同じ土俵上のライバルとして対等に見ていた手塚治虫らしいエピソードだと思う。彼はおそらくそのとき、わが子を顧客視点の体現者として見ていたにちがいない。そして、自分の息子の関心をさらう裏番組の制作者に対して、クリエータとして敬意を払うと同時に、ギラギラどろどろとしたライバル心をかきたてていたのだろう。

 正直、パナソニックほどの顧客視点を大事にしてきた会社が、なりふりかまわずこのような“内向き視点”のことを言い出すほどに、経済はたいへんな状況になってきているのだなあと、なんだか気が滅入った。「彼を知らずして己を知れば、一勝一負す」などと孫子に言うが、おれはそれはおかしいと思う。勝率高すぎるやろ。彼を知らずして己を知るなどということは、そもそもできっこない。

 おれが経営者だったら、「こういうときこそ、他社製品を買え。社員一人ひとりが他社の製品やサービスを体験し、よいところは取り入れろ。悪いところがあれば、そここそが攻めどころだ」と、顧客から見ればもっともで頼もしくカッコいい通達を出してみたいものだ。で、業績の数字にちらと目をやり、小さな声で「……ま、一台めは自社製品にしなさい」と付け足すかもしれないが……。



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2009年2月 6日 (金)

緊急紙幣¥-4・¥-10

 ――などというバカなフレーズがどこからともなく頭をよぎったわけだが、若い人にはさっぱりわからないと思う(知りたいというもの好きな人はここへ)。

高橋洋一 東洋大学教授 「危機打開へ政府紙幣発行も検討せよ」 (ダイヤモンド・オンライン)
http://diamond.jp/series/policywatch2009sp02/10004/

 政策提言集団、ポリシーウォッチによる緊急討論会「2009年の政治経済の行方」の模様を引き続き動画にてお伝えする。第4回は、元内閣参事官で、現在は東洋大学教授の高橋洋一氏。景気回復のためには、「量的緩和」「政府紙幣」「埋蔵金」の3つのプログラムが有効だと主張する。

「政府紙幣は円天、マリファナのようなもの」津島氏と伊吹氏が批判 (MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090205/stt0902052034006-n1.htm

 与党の一部から景気対策の一環として政府紙幣の発行を求める声が出ていることについて、自民党津島派の津島雄二会長は5日の派閥総会で「政府が『円天』をやるようなばかな話だ。政府が紙幣を印刷してばらまくなど究極の国債だ」と述べ、健康寝具販売会社「エル・アンド・ジー」(L&G)の詐欺事件になぞらえて批判した。伊吹派の伊吹文明会長も同日の派閥総会で「人間は疲れると酒で紛らわせ、もっとひどいとマリフアナを吸ってみることになる。政府紙幣はそれと同じだ」と一蹴(いっしゅう)した。

 「円天とどこがちがうのだ」と、最初に政府紙幣発行論を聞いたときにおれも思ったが、さらに突っ込むと、「それを言うなら、日銀券も円天とどこがちがうのだ」という根源的な話になってしまいそうだ。ジンバブエの状況なんかを見てると、一国の通貨というのは、ほんとに記号にすぎないんだなあとしみじみ思ってしまう。

 はてさて、政府紙幣発行という事態にいたった場合、それが凶と出るか吉と出るか、確固たる理論的根拠を示して説明できるほどおれは経済学に明るくないので、この構想がホントにいいのか悪いのかは、いまいちよくわからないというのが本音だ。ただ、インフレ、ハイパーインフレを招かないような歯止めをどこかに組み込んでおくとするなら、いよいよという未曾有(「みぞう」と読む)の危機的事態に至ったときに抜く伝家の宝刀として、政府は鼻で笑って一蹴せずに、ちゃんと検討はしておく必要はあるのではないかと思う。短期的なカンフル剤としての効果は、あるいは、あるやもしれぬではないか。

 今回の経済・金融危機、専門家たちですらあまりにもバラバラの見解を述べているが、彼らの知識・見識がむちゃくちゃであるからそうなっているというわけでもなさそうだ。おれのような素人には、それぞれに説得力があるように聞こえる。つまるところ、彼ら専門家の意見がバラバラになるのは、「現状がどのくらい深刻であるのか」という認識の差と、「どのくらいのスパンで復興(いや、ホント、災害だよ、これは)を考えているのか」という二点のズレによるものであるようにおれには聞こえる(まあ、ほんとうに“スカタン”を言っている人だって中にはいるかもしれんけど)。現状認識を揃え、同じ復興ロードマップで議論すれば、一見まったく反対のことを言っている識者も、ベースでは同じようなことを考えているなんてこともありそうに思うのだ。

 五十年、百年先の国家を憂う視点もわからなくはないが、さしあたり、“人命救助”を最優先に、大きな副作用も織り込んだうえで、専門家たちには、共通の危機感と共通の復興期間を想定して徹底的に議論してもらいたい。まあ、それを想定するのが難しいんでしょうけどねえ……。それでも、「今月は首をくくらずにすんだ。来月はどうかわからない」「今日は屋根のあるところで寝られた。明日はどうかわからない」という人たちは、どういう政策が取られるにせよ、何か月も検討だけし続けてもらっても困るのだ。

 百年に一度と言われるような事態なら、少々あとで「まちがっていた」と言われるような action に出ても、それはしかたがないよ。誰にも正解はわからないのだ。むしろ、「あいつらは、あのときいったいなにをしていたのだ?」と後の世で非難されるのは inaction のほうだろう。

 いやしかし……『日本沈没』のそのときには、「なにもしないほうがいい」という考えかたも、たしかにないではない。



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2009年2月 5日 (木)

♪転売は、六千倍の、胸騒ぎ~ (♪六千倍、六千倍)

 たとえば、地方のさびれた駅前にある駄菓子屋と見まがうような店構えの小さな古本屋の百円ワゴンから買った老舎『猫城記』(サンリオSF文庫)の美本が、どこかのSFコンベンションとかで六十万円で売れるもんなら、おれも売ってみたいよ。

 いま、『猫城記』の世間相場は一万円そこそこみたいだけどな(それでも、あんな薄い文庫本が一万円とはすごい)。おれがもともと持ってるやつを売る気は毛頭ないが(よっぽど食うに困ったら売るかもしれん。話自体は全然面白くなかったもんだから、ほとんど憶えていない)、あまりものをよく知らない古本屋の百円ワゴンにほんとうに『猫城記』を見つけたとしたら、狂喜して百円で買って、もののよくわかった古本屋にすぐに一万円で転売するね、おれなら。美本なら、それくらいで買ってくれそうだ。そもそも、サンリオSF文庫の老舎を百円で売ってるほうが古本屋としてどうかしているんだが、万一、そんなのに遭遇したら、これはおいしいよなあ。どこかにそういう古本屋ないかなあ。

 えーと、なんの話だっけ?



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2009年2月 4日 (水)

♪七つの海の底深く 科学の夢がのびてゆく

グーグル、3D海洋探査ができる地図サービス「Google Ocean」を開発中 (毎日.jp)
http://mainichi.jp/life/electronics/cnet/archive/2008/05/01/20372453.html

 「Google Earth」と「Google Sky」の次にやってくるのは、海面下の世界を表示する地図サービス「Google Ocean」となりそうである。
 Googleは、海洋学の専門家から成るアドバイザリーグループを組織し、2007年12月には、世界中の専門機関からの研究者を、カリフォルニア州マウンテンビューの本社に呼び集めた。そこで、3Dの海洋学的な地図作成計画が話し合われたことを、この件に詳しい情報筋は明らかにしている。
 この新ツールは、現在のところGoogle Oceanと呼ばれており、今後は名称の変更もあり得るが、他の3Dのオンラインマッピングアプリケーションに類似したサービスになると、この情報筋は伝えている。(Google Oceanによって)水深測量とも呼ばれる水中の地形の閲覧、特定のスポットおよび魅力的なポイントの探索、ズームやパノラマ表示によるデジタル環境ナビゲーションなどが可能になるだろう(しかしながら、この新ツールを、フランスのMagic Instinct Softwareが、海洋データのビジュアライゼーションにGoogle Earthを活用して進めている”Google Ocean”プロジェクトと混同することがないようにしてほしい)。

「タマネギをむくように街の変化を表示」Google Earth最新版 (INTERNET Watch)
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2009/02/03/22312.html

 続いて紹介したのは、海中を探索できる「Ocean機能」。バーチ氏は、海洋科学者のシルビア・アール氏に「現状のGoogle Earthは、地球と言ってはいるが、『Google 土』にとどまっている。地球の表面の3分の2は海なのに、Google Earthには海の情報が何もない」と指摘されたエピソードを紹介。「これまで地形を表示できたが、3分の1をカバーしているに過ぎなかった。Googleも海のことはよく知らなかった」と思い知らされたことが、開発のきっかけになったことを明かした。
 今回、海底の地形や海面を表現できるようにしたほか、「ナショナルジオグラフィック」の写真や解説、クイズなど海に関するコンテンツも用意した。なお、ナショナルジオグラフィックについては日本語コンテンツも用意しているが、多くは英語のままだという。ただし、テキスト情報だけでなく、BBCのコンテンツではYouTubeに掲載している動画も参照できるようになっており、英語がわからなくても海中の様子などを楽しめるとしている。

 「ををを、すげーな、今度公開された Google Ocean。おっ、マリアナ海溝の底になにか見えるぞ……。表札だ! ちゃんと“冬樹”と読めるな。あっ、こっちにはホテルに入ろうとするカップルが――」
 「プライバシーの侵害だ」

 いやしかし、楽しいこと考えるねえ。ぜひ実現してほしいな。Google の財力なら、その気になれば、原子力潜水艦だろうが深海探査艇だろうが自前で持てそうだから、光学的な写真でなくとも、音響的な世界海底地図くらいなら作れちゃいそうだけどなあ。

 その次は、地中かな? Google Earth って名前はもう使っちゃってるから、将来、そういうサービスをはじめるときは、Google Pellucidar ってのはどうだ? 家に居ながらにして地底旅行(?)ができるのはいつの日か。

 いやいや、地球ばかりが対象ではつまらない。Google Earth の要領で人体内を旅することができる Google Fantastic Voyage ってのもいいぞ。白血球に襲われそうになったところでマウスのスクロールボタンを思いきり回して“引いて”ゆくと、ミクロの世界からものすごいスピードで視野が広がり、たちまち宇宙空間から地球を見ている映像になる……なーんてのは、じつに気持ちがいいだろうな。



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2009年2月 3日 (火)

“値頃感”の挑戦

しょうゆなどサイズ小さめに 適量・割安で販売増狙う (asahi.com)
http://www.asahi.com/shopping/news/TKY200902010102.html

 しょうゆやドレッシングなどの分野で、従来より容量の少ない製品を発売する動きが食品メーカーに広がっている。少子高齢化などを背景に家族の人数が減り、賞味期限内に使い切れない例が増えていることに対応する。量を減らして価格を抑え、買い物客に値頃感をアピールする狙いもあるようだ。
 キッコーマンは17日から、「特選丸大豆しょうゆ」の750ミリリットルサイズを発売する。これまでの売れ筋は1リットルだったが、1世帯あたりの月平均のしょうゆの購入量は90年の985ミリリットルから07年は662ミリリットルまで減少。昨年春の値上げも影響し、1リットルの売れ行きは微減傾向が続いていた。
 希望小売価格(税抜き)は1リットルが479円なのに対し、750ミリリットルは380円。「適量で、価格が安い。販売増につながれば」(広報)と期待する。
 キユーピーも13日出荷分から順次、ドレッシング11品目を200ミリリットルから170ミリリットルに減量する。こちらも狙いは同じで、減量は58年に発売して以来、初めてという。日清オイリオグループも3月2日から、1千グラムしかなかった「日清ベジフルーツオイル」の600グラムサイズを出す。(本田靖明)

 うう~む。これはどうなのかなあ? まるで、先日のエントリー「百億のシャンプーと千億の塩」に合わせたような話だが、メーカーの思惑は図に当たるのかどうか……。要するに、おれ風に言えば“公転周期が短くなる”わけだよな。

 「適量で、価格が安い。販売増につながれば」などと広報の人は言っているそうだが、言ってる本人だって奇妙だとは気づいているにちがいない。あくまで「値頃感」だからね。どうも、おれの感覚では、“どのみちしょっちゅう使うもので、ある程度日持ちするものであれば、でかい容器でまとめて買うほうが安上がり”だとしか思えないんだけどね。たいていの主婦(主夫)はそういう感覚を持っていると思う。

 「1リットルが479円なのに対し、750ミリリットルは380円」なのだったら、3リットルだったら前者は1,437円、後者は1,520円である。“適量に見える”という心理的効果が、83円のバリアを打ち破って合理性に勝利するかどうか、これは見ものだなあ。おれなら1リットルのほうを買いますけどね。メーカーがどんな大きさの容器で売ろうが、おれの側の醤油消費量は、べつにそう大きく変動したりするわけでもないのだからねえ。



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2009年1月22日 (木)

口が巧いからといって、必ずしも不誠実であるわけではない

 二十日、バラク・オバマ氏が第四十四代アメリカ合衆国大統領に就任した。

Obama's inaugural speech (CNN.com)
http://www.cnn.com/2009/POLITICS/01/20/obama.politics/index.html

This is the meaning of our liberty and our creed -- why men and women and children of every race and every faith can join in celebration across this magnificent Mall, and why a man whose father less than 60 years ago might not have been served at a local restaurant can now stand before you to take a most sacred oath.

Obama's oath and inaugural address

 あいかわらず、みごとな演説である。おれたち外国人が聴いても、なにやら力づけられる。911のことにはひとことも直接には言及せずに、“the firefighter's courage to storm a stairway filled with smoke”の一節だけに語らせてしまうとは、怖るべき言葉の力だ。どこかの国では、総理大臣が漢字が読めたといっては“どよめいて”いる国会があったりするんだがなあ……。

 とはいえ、あんまり自国の政治家の情けなさばかりを責めては天に唾していることになる。つまるところ、民主主義の下では、おれたちはおれたちの身の丈相応の政治家しか持てないわけなのだから……。賢しらになにを言ったところで、いま議事堂にいる連中はおれたち自身の知性を映しているにすぎないのは事実である。それが厭で恥ずかしいと思うなら、みんなちゃんと投票に行くことだ

 おれはアメリカ合衆国という国家の身勝手さにほとんど憎悪に近いものを抱いている。しかし同時に、たとえ建前であったとしても、“多様性の力”をこそ奉じるこの国に、強い羨望を抱いていることも、また事実なのだ。おれは日本人として、アメリカに憧れ、アメリカを憎んで育った。それはちょうど近親憎悪のような感情である。この若き黒人大統領が、アメリカを、世界をどこへつれてゆくのか、楽しみでもあり怖ろしくもある。

 いやそれにしても、翻ってわが国の政界を見るに、こんなにわかりやすく、力強い言葉で語る人がほとんどいないのに愕然とする。なんなんだろうね、これは? わが日本人が、知能に於いて連中に劣っているなどとはとても思えない。その優れた知能を無駄なところに使っているような気がしてならないのだ。文化的なハンデなんだろうかね? 「巧言令色鮮なし仁」なんて儒教的なバックグラウンドがあるからだろうか? いやまあ、よしんば孔子さまのおっしゃることが事実であったとしてもだよ、“口先が巧くて愛想のいいやつは誠実ではない”という命題は、“寡黙で口下手はなやつは誠実である”ということを意味しない。だけど、なんだか知らんが、“寡黙で口下手はなやつほど誠実である”かのように自動的に曲解しているような気がするんだな、わが国の文化は。これは言うまでもなく、論理学に於ける形式的誤謬“前件否定”に該当する立論である。世の中には、誠実であるからこそ、それを他人にわかってもらえるように表現しようと、努力して弁舌や文筆を磨く人だっていっぱいいるのだ。口が巧くて誠実であれば、それに越したことはない。なに言ってるのかさっぱりわかんない政治家さんたちを、あなた、口下手だからって誠実だと思いますか?

 寡黙で口下手はなやつほど誠実なんだったら、おれの友人連中なんかは、ほとんど不誠実なろくでなしばかりということになってしまうではないか。いやそりゃ、おれ自身はろくでなしであることは否定しないが……。



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2009年1月20日 (火)

もっとほかにどよめくことはないのか

麻生首相「みぞう」 どよめく委員会 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0120/TKY200901200167.html

 「われわれは今……、未曽有(みぞう)のいわゆる危機といわれる」。麻生首相が20日の参院予算委員会で、かつて「みぞうゆう」と読み間違えた漢字を正しく発音した。委員会室では歓声があがり、どよめく一幕があった。
 石井一氏(民主)の定額給付金に関する質問への答弁で飛び出した。首相は一瞬、間をおいて発言したが、盟友の鳩山総務相も笑顔をみせた。
 首相は昨年11月、母校の学習院大で開かれた日中青少年友好交流年の閉幕式で、中国・四川大地震について、「みぞうゆうの自然災害というものを乗り越えて……」とあいさつ。それ以来、公開の場で「未曽有」の表現は控えていた。

 こ、こんなことでどよめいている国会っていったい……。もっと重要なことでどよめいてほしいもんだ。いやまあ、一種のお笑い番組だと思えば、気持ちはわからんでもないけどな。「首相は一瞬、間をおいて発言したが」ってのは、きっとウケを狙ってタメたんだな。ちゃんとウケたらしいので、麻生首相も「♪なんだか今日イケそうな気がする~~~」と思ったことであろう。

 まあ、新聞を読まないと豪語しているわが首相にも、多少はマスコミや国民の声は聞こえているらしい。それに、多少の学習能力はあるということは判明した。めでたいことだ。

 なにはともあれ、国を動かしているいい大人たちが、こういうことでどよめいている国ってのは、まあ、ある意味、とても平和なのでありましょう。少なくとも、明日、永田町や霞ヶ関にクラスター爆弾やら白燐弾やらが飛んでくることはないだろうし。でも、あさってはわからんけどな。

 さあ、次は“頻繁”だ。



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2009年1月 8日 (木)

なるほど、新聞社はSIerであったか……

新聞記者は会社官僚制の中で埋没 だから新しいニーズを掬えない (連載「新聞崩壊」第9回/新聞研究者・林香里さんに聞く) (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/01/07032978.html

 トヨタのニュースであれば「トヨタを取材する」正当性(大義名分)の元に取材ができるし、麻生内閣も「支持率が落ちた」となれば、それだけで正当性ができて、すぐに取材ができる。記者クラブもある。ですが、まったく新しいニーズというのは、会社の中では「何故それが大事か」を、まず説明しないといけない。新聞社自体が大きな官僚機構ですから。そうなると、初動にすごいエネルギーが必要になります。多くの記者は、「認められないネタは、やらない方がいい」と、危ない橋を渡らなくなってしまう。外から見ていると、そういう悪循環のシステムができあがってしまったように思えますね。記者一人一人の責任や能力の問題というよりは、記者が巨大システムの中で埋没してしまって自分の意志をもてなくなっている。みんな忙しくて、目先のことに囚われてしまっている。いまはある意味で日本全体がそんな状態かもしれません。でも、記者という仕事は、必ず心のどこかに「余白」を残しておかないと、他人の痛みを感じ取ることができないのではないでしょうか。記者が会社員と違うのは、そういう種類の感受性を要求される仕事だということもあると思います。

(中略)

 どの世界にも最低限の知識やスキルは必要ですが、新聞社の場合、ジェネラリストが多すぎるのではないでしょうか。記者さんと仲良くなって「一緒に問題考えようよ」って思っても、2-3年経つとすぐに異動してしまう。もちろん、定期的にローテーションする人がいてもいいとは思うんですけど、情報を扱う企業としては、専門性にも配慮した方がいいですよね。「いまの時代、どんな読み物にもしっかりとした専門性がないと、なんかつまんないですよね。

 なーるほど、そうか。要するに、新聞業界の抱えている問題というのは、ソフトウェア業界(とくに、いわゆる「SIer」)の抱えている問題とまったく同じであったわけかあ……。林香里氏の見識によって、こういうパースペクティブを得られたのは、個人的にはちょっと得した気分である。

 林氏には、ぜひJISAIPAJIPDECの偉いさんを相手に対談でもしていただきたい。偉いさんたちには林氏の言っていることが全然ピンと来ないのに、林氏には「ブルータス、おまえもか!」と、畑ちがいの業界のことが手に取るようにビンビン理解できるかもしれない。

 そのうち、新聞業界でも、『優秀な記者は「入社時のスキルを問わない会社」には就職してはいけない』『優秀なエンジニアは「入社時のスキルを問わない会社」には就職してはいけない』参照)なんてことを、遠慮なく書く人が現れるかもな。というか、すでに誰かが書いてるかもなあ。

 『ですが、まったく新しいニーズというのは、会社の中では「何故それが大事か」を、まず説明しないといけない。新聞社自体が大きな官僚機構ですから。そうなると、初動にすごいエネルギーが必要になります。多くの記者は、「認められないネタは、やらない方がいい」と、危ない橋を渡らなくなってしまう』か……。鋭いねえ。この人、会社勤めをしたことはないはずなんだが、さすが研究者、外から観察しているがゆえの岡目八目というのはたしかにある。まあ、大学にだって、同じようなことはあるのかもしれないけどね。このご指摘、中堅規模以上の会社員であれば、どの業界の方でも、ぶんぶん音を立てて首を縦に振ることだろう。鋭い経営者にさえ理解させれば、「よし、行け!」と、いっせいにベクトルが揃う優れた中小企業のほうが、中途半端に大きい会社よりも、激動のいまの時代には、フットワークが軽くてずっと有利なのかもしれないよ。

 『でも、記者という仕事は、必ず心のどこかに「余白」を残しておかないと、他人の痛みを感じ取ることができないのではないでしょうか』――なるほど、「他人の痛み」を「顧客のニーズ」「社会のニーズ」と読み替えれば、これはまさに Google の二〇パーセントルールのことを言っているのだな。まあ、ふつうの会社じゃ、ニ〇パーセントは到底無理だ。せいぜい五パーセントだろう。

 だが、このなけなしの五パーセントがあるかないかは、決定的に大きな差となる。社員に“余白”をまったく持たせないような使いかたをしている会社は、今日の飯はさしあたり食えても、明日、あさってになにをしたらよいのかがさっぱりわからなくなるからだ。ひたすら、モグラ叩きのように、今日、今日、今日、今日、今日の飯の種だけに忙殺される。それはすなわち、放送禁止用語ではあるが、会社ごと日雇い人夫になっているのと同じなのである。



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2009年1月 5日 (月)

ああ、ローゼン閣下、こんなチャンスをふいにするとは……

得意の漢字で「安心」アピール…首相が年頭会見で書き初め (YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090104-OYT1T00346.htm

 麻生首相は4日の年頭記者会見で、得意の筆を使ったパフォーマンスを披露、新年の思いを訴えた。
 首相は記者会見の冒頭、「安心して暮らせる日本、活力のある日本という思いを、年始めの字に込めたい」と語ると、演壇脇のイーゼルに立て掛けられた縦約45センチ、横約53センチの色紙に、毛筆で「安心活力」と大書した。首相は日頃から、礼状などを毛筆でしたためる習慣があり、官邸関係者によると、年頭の記者会見での“書き初め”は、「極めて異例」だという。

 テレビのニュースで麻生首相が筆を取ったとき、おれはわくわくした。きっと日本中の人がおれとまったく同じことを考えてわくわくしたにちがいない。そして、日本中のあちこちで同じことを書いている人がいるにちがいないが、やっぱり書く。「安心 活力」などという陳腐なことを書くくらいなら、麻生首相はなにがなんでもこう書くべきだったのだ――


踏襲
未曾有


 会見場の記者たちはどよめき、全国のお茶の間ではみな餅を噴き出し、のたうちまわって笑ったことだろう。これをやれば、“満点大笑い”まちがいなしだったのに。きっと、「おおお、こんなにユーモアのセンスがあって、自分自身を客観的に見ることができる人だったのか。おれたちとはちがうなあ」と、少なからぬ国民は感嘆し、内閣支持率だって、ちょっとくらいは持ち直したかもしれん。

 これ、あまりにも“おいしい”シチュエーションだよねえ。おれがもし麻生さんの立場だったら、あまりのおいしさに我慢し切れず、絶対やっちまってると思う。

 あると思います。



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2008年12月28日 (日)

「クルトガ」を買ってみた

 年末年始は映画などを撮りまくることになるから、DVDの収納ケースを買っておこうと、おとといの仕事納めの帰りに文房具のディスカウントショップに寄ったところ、「クルトガ」三菱鉛筆)が目に入った。

 今年のヒット商品としてあちこちのメディアで紹介されていたから存在を知ってはいたので、文房具屋に行くたびに、「あ、そういえば、アレはあるかな」とついでに探してみてはいたのだが、いままで実物があったためしがない。ヒット商品というだけあって品薄なのだろう。わざわざ取り寄せてまで欲しいというものでもないので、そのうちおれがふだん行く文房具屋にも出まわってくるだろうと、さほど気にも留めずにいたのである。それがごくふつうに売られていたものだから、ものは試しとこの機に買ってみた。

 字を書いている際に、芯を紙に着けたり離したりたびに少しずつ芯が回転する機構になっているため、芯が偏減りせず、字の太さが変わらないというのが主なウリだ。まあ、おれはほとんどシャープペンシルを使わないので、実用に関するニーズが薄い消費者なのであるが、そういう画期的な機構とはいかなるものか、書き味を体験してみずばなるまいとは思っていたのだ。

 さっそく適当に文字を書いてみると、な~るほど、たしかに文字の太さが変わらない。とくに、再生紙のメモ用紙などに書くときに、滑らかさを感じる。紙の繊維が粗い場合、偏減りした芯はよく引っかかる。円錐状に芯が減るクルトガには、それがないのだ。これは面白いなあ。

 むかし、たしか片岡義男だったかと記憶しているが、芯を出し入れするたびに芯が三分の一周ずつ回転する機構のボールペンをエッセイで絶賛していた。ボールペンにも偏減りというのはあるのである。だが、ボールペンの偏減りが気になるような人は、作家のように“マイ・ボールペン”でよっぽど字を大量に書く人であって(しかも、パソコン派でない手書き派の文筆業者の中でも、ボールペン派の人は万年筆派や鉛筆派よりも少ないのではなかろうか)、わかる人にはわかるという、ヘビーユーザに向けたこだわりの設計にすぎない。芯を回転させるというアイディアが一般ユーザの利用シーンで真に活きるのは、シャープペンシルだったのだ。

 このクルトガ、ニクいのは、芯が回っているということがちゃんとわかるようにしてある点である。ウリの機構を内蔵した部分の軸がスケルトンになっていて、芯を把持しているギアがたしかに回っているのが目で見てわかる。おれは、これもヒットに繋がった大きな要因だと思うな。せっかく“ほかのシャープペンシルがやっていない芸当”をやっているわけだから、それをユーザに実感させるようにするのも大切な“機能”と言えよう。要するに、手打ちうどんの店で、麺を打っているところを見せるようなものである。食う人が食えば手打ちかどうかなんてことはすぐわかるのだから、なにも作業場を店頭に設置してショーケースのように見せなくても、できあがってくる麺の質は変わらない。実用上はなんの問題もない。だが、麺を打つところを見せることで、手打ちうどんであることがどんな客にも一目瞭然にわかり、しかも、いかにもうまそうに見える。こういう“見せる化”ってのは、コンシューマー向け商品では大事ですなあ。

 ああ、そうだ。このクルトガ、論述式の試験なんかには持ってこいかもな。制限時間内にシャープペンシルで大量の文字を書かされる利用シーンの最たるものだろう。次にそういうのを受けるときには、試してみるとしよう。



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2008年12月21日 (日)

こんな人でも、自分の居場所がわからない

「居場所みつけるのに苦労」 小林さんノーベル賞祝賀会 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/1220/TKY200812200162.html

 小林誠・高エネルギー加速器研究機構名誉教授のノーベル物理学賞受賞を祝う会が20日、東京都内で開かれた。同機構や日本学術振興会が中心となって呼びかけ、小柴昌俊・東京大特別栄誉教授や塩谷文部科学相ら約200人が集まった。
 小林さんは「授賞式を終えたが、いまだに、これが我が身に起こっていることだと信じられない。急に人前に引き出されて、居場所をみつけるのに苦労している」とあいさつ。「数カ月前までの自分と何も変わらないのに、周りだけが変わってしまった」と感想を語った。

 さすがノーベル賞受賞者だけあって、渋いことをおっしゃるね。「居場所をみつけるのに苦労している」――まさに。そう、それは、十代、二十代の若い人から、四十代、五十代のおっさん・おばはんまで、みーんな思っていることなんだよ。まあ、ノーベル賞を取った人でもこんなふうに思っているんだから、十代や二十代の人が自分の居場所がわからなくても、そんなのあたりまえなんですよ。

 みんながそういう場所を見つけられればいいなあと、おれは思う。そういう場所がなければ、創っちゃえよ、若い人たちは。



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2008年12月19日 (金)

茶番は茶番で面白いが、それどころではない人もたくさんいるんですがね

雇用対策4法案が参院委可決 野党が強行、与党は抗議 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/1218/TKY200812180301.html

 民主、社民、国民新の野党3党が提出した雇用対策4法案の採決が18日、参院厚生労働委員会で強行され、民主、社民両党の賛成多数で可決された。3野党は今国会で成立させるため、民主党の小沢代表と麻生首相の党首会談を申し入れたが、与党は拒否した。4法案は19日の参院本会議で可決されるが、与党が衆院採決に応じないため、成立はしない。
 採用内定取り消し規制、派遣労働者等解雇防止緊急措置、住まいと仕事の確保、有期労働契約遵守(じゅんしゅ)の4法案。ねじれ国会で参院での野党提出法案の採決強行は、6月の後期高齢者医療制度廃止法案に次いで2度目。
 4法案は、雇用情勢の悪化を受け、3野党が15日に国会に提出した。18日一日で趣旨説明から審議、採決まで行う異例の委員会運営。「野党のパフォーマンス」と反発する与党は採決を棄権した。共産党も採決を棄権、小池晃政策委員長は「与野党で議論できる環境を壊している」と批判した。

 いやまあ、この光景、テレビでも観たけど、自民党の議員が「強行採決だ!」などと抗議している光景には、大爆笑してしまった。こういう光景に爆笑してしまうほどに、おれたちは異常な一党支配というものに慣らされて育ってきてしまったのだな。

 「野党のパフォーマンス」だなどと、いまさら自民党がどの口で言うか。茶番だ。おれも野党の法案が通る可能性などないとは思う。目くそ鼻くそだ。ただ、次に選挙をやれば、目くそと鼻くそにも優劣がつくことになる。

 近い将来、なんかの折に“自民党の牛歩”などという世にも珍しい光景を目にすることができるかもしれんなあ。観てみたいなあ。まあ、公明党なんてのは、そのときそのときの強いほうに着く無節操な数合わせのための宗教集票マシーンにすぎないので、そのころは民主党に擦り寄っているかもしれんがな。おれが公明党を支持することなど金輪際ないとは思うが、せっかくの集票マシーンだから、効果的に利用できると判断したときには利用だけはするかもしれん。

 まあ、政治家さんたちは、目くそ鼻くそのパフォーマンスを繰り広げているが、屋根のあるところで年を越せないかもしれない人もたくさんいるわけである。石地蔵に笠でも掛けに行こうかと思っている人もたくさんいるだろう。野坂昭如のほうの「マッチ売りの少女」だって、この平成の世に冗談抜きで出現するかもしれない年の暮れだ。与党も野党もぐだぐだ政局ごっこをするのは後まわしにして、とにかく目の前の人に刺さった毒矢を早く抜け! 理屈はあとでいい、緊急避難だ。



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2008年12月18日 (木)

たとえあなたが忘れても、おれたちは忘れない

ピーター・フォークさん、「アルツハイマー」と家族が申し立て (MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/world/america/081217/amr0812171122008-n1.htm

 【ロサンゼルス=松尾理也】米テレビドラマ「刑事コロンボ」シリーズで知られる俳優、ピーター・フォークさん(81)がアルツハイマー病のため周囲を認識できない状態に陥っているとして、家族がこのほど、法的な保護を求める申し立てをロサンゼルス郡地裁に行った。ロイター通信が報じた。
 申立書によると、フォークさんは家族の顔の識別も困難な状態で、「容易に財産をだまし取られかねない」ため、家族を法的な後見人に指定するとともに、フォークさんが勝手に契約などを結べないようにするなど保護下に置くよう求めた。
 申し立ての是非をめぐる審理は来月に開かれる。
 フォークさんは、1968年から中断をはさみながら2003年まで製作が続けられた「刑事コロンボ」で主役を演じ、日本でも人気を博した。
 昨年まで映画出演を続けていたが、今年初めには、自宅近くのビバリーヒルズの路上で徘徊しているのがみつかり、警察に通報される騒ぎとなっていた。

「刑事コロンボ」主演のフォーク氏、アルツハイマー病に (asahi.com)
http://www.asahi.com/showbiz/tv_radio/TKY200812170312.html

 【ロサンゼルス=堀内隆】テレビシリーズ「刑事コロンボ」で知られる米俳優のピーター・フォーク氏(81)がアルツハイマー病にかかっていることがわかった。AP通信が16日報じた。娘のキャサリンさんがこの日、フォーク氏の後見人となることをロサンゼルス郡地裁に申し立て、その申請書面の中で父の病を明らかにした。
 フォーク氏はさえないいでたちのロサンゼルス市警警部補が鋭い推理で難事件を解決していく「刑事コロンボ」が当たり役で、同シリーズでエミー賞を4度受賞した。

 ほお、朝日の記事を書いてる人は、たぶんほんとにファンだな。ちゃんと「警部補」って書いてるし。NHKの最初の訳を踏襲(「ふしゅう」ではない)して、コロンボの役職のテレビ的定訳は「警部」ということになっているが、アメリカの警察の lieutenant だから、正しくは「警部補」なのだ。むろん、三谷幸喜もちゃんと知っているから、最初は『警部補 古畑任三郎』だったわけである。

 小池朝雄が亡くなったときにも、なんだかとても寂しかったけれども、とうとうピーター・フォーク本人がこういう病に冒されることになるとはなあ。頭脳明晰なコロンボ役のイメージが強いだけに、アルツハイマー病とは、じつに運命の皮肉を感じる。まあ、もう八十一歳でらっしゃるのだから、アルツハイマーにならなくとも、ふつうにボケても不思議ではない。

 コロンボファンはおそらくみんな、どうしても『刑事コロンボ』の名作のひとつ「忘れられたスター」(二見書房のノベライゼーションでは「忘れられた女」と改題)を連想しちゃうでしょうなあ。あれは、ミステリとしてはともかく、ドラマとしては「別れのワイン」にも匹敵する渋い作品だ。

 残念なことに、そのうちフォーク氏も、自分が頭脳明晰で人間味溢れるヒーローを演じていた映像を観ても、自分だとわからなくなってしまうのかもしれない。哀しいなあ。でもまあ、こうやって護ってくれる娘さんがいるのだから、しあわせなお年寄りではあろう。

 いや、ひょっとしたら、フォーク氏の役者人生に於いて、『刑事コロンボ』は最も時間と労力を傾注した特別なものなのだから、やはり最後の最後まで、かすかにであっても、彼の記憶に留まり続けるのかもしれない。

 Yes. Yes, it might.




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2008年12月17日 (水)

いまいち魂に響いてこない「月華-tsukihana-」

ゴスロリ姫、北出菜奈が世界初の藁人形入りCDを発売 (Yahoo! ニュース)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081216-00000727-bark-musi

“ゴスロリ・ファッションのカリスマ”の異名を取る北出菜奈が、2009年2月4日にリリースするニュー・シングル「月華-tsukihana-」のジャケットやアーティスト写真では艶やかな和服姿を披露。また新たな魅力をみせている。
「月華-tsukihana-」は、2008年10月より放送されているテレビ・アニメ「地獄少女 三鼎」のオープニング・テーマとしてすでにお馴染みの人も多いはず。
そんな「月華-tsukihana-」のCDは、なんと世界初の藁人形の“おまけ”付き。「菜奈姫本舗公認守護藁人形」と命名されたこの藁人形の背中には、北出菜奈のロゴが刻印されている。 藁人形は、アニメ「地獄少女 三鼎」の中で非常に重要な役割をしているアイテムで、「地獄少女」のオフィシャル・グッズとして発売された藁人形も、即完売の大人アイテムとなっている。

 「世界初の藁人形入りCD」ってあのな、そりゃ世界初だろうよ。藁人形を呪いのアイテムとして使う文化圏って、そんなに広くないと思うんだが……。まあ、新聞のプレゼント企画でDVDと藁人形を賞品にした鳥居みゆきという先人はいるけどな。

 たしかに、『地獄少女 三鼎』は、地獄流しにされるほうよりも、するほうの醜さに焦点を当てた、捻った作りが気に入ってはいるんだよね。ファーストシーズンでも二籠でも、そういう問題提起的なエピソードはいくつかあったのだけれども、三鼎はとくに「なんでこんな人が流される? なんでこいつが流す?」みたいな違和感こそをメインに攻めてきて、第一、第二シーズンの再評価をも迫る卓袱台返しのコンセプトに大いに期待しているのだけれども、北出菜奈のテーマソングは、いまいちおれには馴染まないのだよなあ。嫌いじゃないんだけど、SNoW「逆さまの蝶」「NightmaRe」が、『地獄少女』という作品に誂えたような傑作すぎて、「月華-tsukihana-」が見劣り(というか、聴き劣り)するんだなあ。

 北出菜奈の「月華-tsukihana-」は、ファッションとしての『地獄少女』という感じがして、『地獄少女』という作品の世界あっての“アニソン”という感じがしちゃうんだが、SNoW の「逆さまの蝶」や「NightmaRe」は、むしろアニメの世界のほうを牽引して引き立てているほどの独立した作品である。声に籠もったメッセージのパワーがちがうというか、サウンドとメッセージの厚みがちがうというか……。なんで SNoW みたいな人がもっと売れないかね? いやまあ、こんな人がバカ売れしても、それはそれでウソですけどね。でも、もっとずっと評価されてもいい人だと、おれは思うんだがどうよ?



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2008年12月14日 (日)

『かんなぎ (1)~(6)』(武梨えり/REX COMICS)

     

 テレビアニメが回を重ねるごとにおれのツボにハマってくるものだから、原作でもあんな好き放題の悪ふざけをやっておるのか確認したくなり、既刊六巻を一気読みしてみた。まだ完結してない(のだが、なにやら作者体調不良のため長期休載に入ったとのこと)。

 うう~む。アニメのほうが遊びが多いが、基本的には、非常に原作に忠実であることがわかった。面白いじゃん。妾はこういうのは好きじゃ。妾は雑誌でほとんどマンガを読まぬ単行本一気買いタイプのマンガ読者なものじゃから、このような奇ッ怪なコメディーがアニメ化されるほどまでに人気を博しておったとは、神ならぬ身の知る由もなかったのじゃ。土曜のど夜中にだしぬけに威勢のいいアイドル歌謡がはじまったので、ななななにごとかとテレビを“二度見”したところ、「シリーズ構成:倉田英之」というクレジットが出たもんだから、あ、これはひょっとして妾が観なければならぬ作品かもしれぬと毎回観ているうちにハマってしまった。

 それにしても、この武梨えりという人、おれは全然知らなんだのだが、不思議な雰囲気を醸し出すマンガ家ですなあ。線が清潔で目に心地よいのもいいが、なんとも言えぬ“昭和の薫り”がぷんぷんしてくるのはどういうわけだ? この人、二十代なんだよね? なんでじゃーーー!? いやまあ、もちろん、ディテールには平成のサブカルが横溢しているのだけれども、基本、これって『ど根性ガエル』みたいなもんだよね? カエルがシャツに貼りついてしゃべりだすのと、木彫りの像に神様が降りてきて動き出すのと、べつにそう変わらん。ちょっと諸星大二郎テイスト入ってるのもいい。《栞と紙魚子》(あるいは《妖怪ハンター》)風の『ど根性ガエル』だと考えれば、なるほど納得はゆく。

 まあ、主人公のナギに性経験があったと解釈できる描写に、妙な方向に過剰な感情移入をしている一部のファンが怒り狂っているらしく、それが休載と相俟ってさまざまな憶測を呼んでいると報道されているのだが、妾にはそういう妙なファン心理はとんと理解できぬ。そもそも土着の神様なんてものは、洋の東西を問わず、ふつうバッコンバッコンやりまくっておるものじゃ。ちょっとキリスト教に毒されすぎておるのではないか? 女性として顕現した神様が処女だなどと思うておるほうがどうかしておる。むしろ、バッコンバッコンやりまくっておるからこその神様じゃ。

 なんでも、出版社の発表によれば、武梨えりは緊急に手術が必要であったほどの病状とのことで、そりゃたいへんだ。テレビアニメ化でにわかに脚光を浴びて、過度なプレッシャーがかかったのかもしれんなあ。命あっての物種だ。ふつーにマンガ作品として楽しんでいる読者は続きを楽しみにしているわけだから、ここはひとつ、じっくりゆっくり養生してから、ぼちぼち頑張ってもらいたい。ま、七巻が出るころには、アマゾンからお知らせメールが来るにちがいないのだ。それがいつになろうともね。「続きはいつ出るんだろう?」とまったりと年単位で待つのには、とくにSFファンという人種は慣れているのである。「あ、知らないうちに続きが出てた」なんてのを半年も一年も経ってから発見することも少なくないしね。

 まあ、武梨えり氏に於かれては、本が読めるほどに回復したら、若い人はたぶん知らないだろうと思うので、小松左京「歌う女」という短篇を探し出して読むことをお薦めしたい。どんな分野であれ、すべてのクリエーターにとってのほんとうのファンというのは、「あの人が歌うまでいつまでも待ちます」と言ってくれるファンなのだ。そういうファンをこそ、クリエーターは絶対に大事にしなくてはいけないと思う。たとえ、そうした結果、世俗的成功がついてこなくてもだ。そんなものがついてこなくても、クリエーターとしてのほんとうの足跡が残せるのは、そういうファンの心の中にだけである。

 武梨えりさん、お大事に。



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2008年12月11日 (木)

歴史に残る日本語のレクチャー

 The Nobel Foundation のサイトにそろそろアップされているかなと見てみたら、ありましたなあ、益川敏英氏の Nobel Lecture"The lecture was delivered in Japanese." とわざわざ書いてある。専門的な内容はおれにはかすかにしかわからんが、しっかり三十七分観ちゃいましたね。いやあ、益川先生、英語が苦手なだけじゃなくて、日本語のレクチャーも苦手みたいなのである。原稿があるのに、あれだけつっかえるか、ふつー。しかも、内容はご自分以上に詳しいやつなど、そうそういないはずのことなのに。ほんとにこの先生、いいキャラしてますなあ。

 それはともかく、ある意味これは、日本語という言語にとって、いい宣伝だと思うのよな。このレクチャーは、おそらくフォーマットは変われど、人類が滅びるまでいろんな形で保存されることだろう。そこに日本語のレクチャーを残したというのは、歴史的快挙であろう。もっとも、レクチャーの音声を聴いているよりも、英語のPDFファイルを読んだほうがわかりやすいけれども……。ここまで頑として日本語でやるというのは、たいしたものだと思う。

 ああ、ノーベル賞を取るような学者でも英語が苦手なんだ、英語なんてやらなくても内容さえあればいいんだなどと若い人たちが誤解しないといいのだが……。“英語なんてやらなくても内容さえあればいいんだ”などと早とちりして、中学生とかが英語を学習しなくなったりすると、これはわが国の国益を著しく損ねる。それは逆に考えるべきだろう。ノーベル賞級の業績を挙げないと、世界は日本語には耳を傾けてくれないのだ。ノーベル賞を取る自信のある中学生以外は、そこそこ英語を勉強しなさい。もはや英語は、できるから得するようなものではなくて、できないと損するようなものなのだから。日本人としては、いささか癪に障るけどな。事実、そうなんだからしようがない。くそ~。いつの日か、おまえらに「あめんぼあかいな あいうえお……」と暗唱させてやるからな。いつかどこかの並行世界でな。

 そうそう、世界が日本語に振り向いてくれる分野がひとつだけある。海外のおたくたちは、日本語でアニソンを唄う。病膏肓に入るガイジンどもは、それがきっかけでマンガを“原書”で読みまくり、ほんとうに日本語をマスターしてしまったりする。英語も苦手で、ノーベル賞も取れない人たちは、「おれの母国語は、涼宮ハルヒがしゃべっている言語だ」とガイジンどもに胸を張ろう。ある特定のガイジンたちにかぎり、はは~とひれ伏してくれると思うぞ。

 ま、そういう道に進まない人は、やっぱり安全保障として英語やったほうがいいでありましょう。とくにIT関係とかは……。プロプラの時代にIT業界に入った人は英語音痴の人がめちゃめちゃ多いけど、インターネット普及以後の若い技術者はたいてい英語できるし、そもそも、できないと技術の勉強に支障来たすもんねえ。オープンソース系とかは完全にアウトでしょう。日本語のドキュメントもろくろくないことが多いしねえ。まあ、これからのデジタルネイティブの人たちは、英語ごときに怖れをなして、英語のドキュメントはこの世に存在しないかのごとき哀れなふるまいはしないよねえ――って、なんか私怨入ってないか、今日のエントリー。



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2008年12月 3日 (水)

背に腹は代えられぬ進化

カメの甲羅、起源はろっ骨? 中国で最古の化石 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/1201/TKY200812010059.html

 【広州=小林哲】中国貴州省の2億2千万年前の地層から、腹側だけが甲羅で覆われた原始的なカメの化石が見つかった。全身が甲羅で覆われる進化の途上にある個体とみられ、甲羅の起源は硬くなった皮膚ではなく、発達した肋骨(ろっこつ)とする説を裏付ける有力な証拠となる。中国とカナダ、米国の研究チームが英科学誌ネイチャーに発表した。
 化石は全長約40センチ。欧州で見つかった最古のカメ化石より1千万年ほど古い。腹側の甲羅は、現代のカメと似た構造を持っているが、背中には、甲羅ができる前段階とみられる発達した肋骨などがあった。口には歯があり、背中側からみるとまるでトカゲのようだった。
 甲羅の起源には、皮膚が硬くなり骨と融合してできたとする説もあった。今回の化石の背中にはそれを裏付ける痕跡がなく、肋骨や背骨が発達して背中を覆ったとするもう一方の説が有力になった。
 化石のあった場所は、地層から海域だったことがわかっている。カナダ自然博物館の呉肖春研究員は「カメの祖先は海で進化し、泳ぐ際に下から襲われるのを防ぐため、まず腹側から甲羅が発達した」とみている。
 化石は、ラテン語で甲羅に半分覆われた歯のあるカメという意味の「オドントチェリス・セミテスタセア」と名付けられた。

 いいですなあ、「腹側だけが甲羅で覆われた原始的なカメ」かあ。なんかこう、不思議な萌え要素がある。こちらのツボを突いてくる。ぬいぐるみがあったら、かなり欲しいよな。新井素子だったら自作しそうだ。

 「カメの祖先は海で進化し、泳ぐ際に下から襲われるのを防ぐため、まず腹側から甲羅が発達した」というのは、まあ、ちょっと聞くと納得できる話ではある。つまり、最初のころは浅くしか潜れなかったんだろうな。だものだから、上から獰猛な敵が来る可能性は低く、まず腹側に盾ができた。徐々に深く潜れるようになると、上から襲われる可能性も無視できないものになり、背中側にも盾を発達させていった、という考えかたなのだろう。

 だけど、待てよ。いまのカメは、背中側の甲羅のほうが、ずっと丈夫そうではないか。それはなぜなんだろう? また、腹側にしか甲羅のない原始的なカメだって、爬虫類であるからには、海面に出て呼吸する必要がむかしからあったろう。空からの敵も大きな脅威であったはずだ。あ、そうか――2億2千万年前あたりなら、まだ翼竜も出現していない。海上に脅威になるほどの昆虫が飛んでいたとも考えにくい。空からの攻撃を想定する(って、進化に意志があるように言うのは不適切だが)必要がなかったのだ。とすると、原始的なカメは、上記記事の想像図にあるように、浅く潜って生活するということすらしていなかった可能性も残る。ことによると、荒削りな泳ぎかたで、水面に浮かんでいたのかもしれない。また、カメが背中側にも甲羅を発達させなければならなくなった主たる理由は、海中深く潜るようになったからではなく、ほんとうに翼竜が出現したからだったのかもしれない。まだまだ想像を膨らませる余地はあるなあ。

 たとえば、主に浅く潜って生活するカメの祖先は腹側から甲羅を発達させ、たまたまかなり深く潜れる能力を身につけていた別のカメの祖先は、背中側から甲羅を発達させた。あるとき両者が出会って共生をはじめ、そのうち身体を融合させていった――なーんてのは、いくらなんでもありそうにないか……。



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2008年11月28日 (金)

これはやっぱり詐欺は詐欺だよなあ

「10万振り込んで」…詐欺じゃなくて息子の無心 長崎 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1126/SEB200811260017.html

 長崎県南島原市の女性(69)に、県外に住む息子を名乗る男性から「滞納した10万円を払わないと逮捕されるかも。口座に振り込んで」という電話が入った。
 女性は不審に思い、長崎署に相談。助言に従って息子(34)に電話で確認したところ、本人が金に困って、振り込め詐欺に便乗したうそをついたと認めたという。
 実害がなかったとは言え、振り込め詐欺被害急増を反映した騒動に、平井隆副署長は「まさか本人までが」と苦笑い。「正直に事情を話してお金を借りれば良いのに」

 こりゃもう、マンガとしか言いようがないわなあ……。

  「あ、おれおれ。テツヤ。じつは、滞納した5億円を払わないと逮捕されるかも。口座に振り込んで」
  「コラ! テツヤ、何ばあんたしようとかいな、あんた。はようあんた、警察へ行ってこんね、あんた」

 ピザやらハンバーガーやらばっか食べおるて、どげん贅沢しよるとか。自炊せんね、自炊。

 ♪今も聞こえる あのおふくろの声~



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2008年11月26日 (水)

文字どおり

火が出る消防車? トヨタが923台リコール (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1126/TKY200811260283.html

 エンジンを温めるヒーターから発火のおそれがあるとして、トヨタは26日、消防車「ダイナ200」923台(88年10月~99年4月製造)のリコール(回収・無償修理)を国土交通省に届け出た。
 問題があったのは、寒い日でもすぐにエンジンがかかるようにするためのヒーター。駐車時に一般のコンセントプラグにコードをつないで温める仕組みだ。ヒーターの端子につけるキャップの耐熱性が不足し、長く使うと劣化し、発熱や発火のおそれがあるという。昨年12月に山梨県内で、焦げて異臭がする事案があった。火災やけが人の報告は現段階ではないという。
 トヨタはダイレクトメールなどで所有者に通知し、27日から交換を始める。

 いやまあ、笑いごっちゃないけど、やっぱり笑っちゃうよね。以前あった「米国製の放射線防護エプロンに使われていた鉛から放射線が検出され、輸入業者が自主回収」した事件に匹敵するおかしさがある。

 これがホントの fire engine だ。英語のほうが断然面白いよ、このニュースは。



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2008年11月23日 (日)

これで納得できるほうがおかしいよなあ

小泉容疑者、2つの事件への関与を認める 元次官宅襲撃 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1123/TKY200811230175.html

 元厚生事務次官宅が相次いで襲撃され計3人が死傷した事件で、「事務次官を殺した」と22日夜、警視庁に出頭したさいたま市北区東大成町2丁目、無職小泉毅(たけし)容疑者(46)を、同庁は銃刀法違反容疑で23日未明に逮捕したと発表した。二つの襲撃について関与を認めているという。同庁は同日、東京都中野区の吉原健二さん(76)の妻靖子さん(72)に対する殺人未遂容疑で小泉容疑者の自宅アパートなどを家宅捜索や検証した。
 同庁と埼玉県警は、サバイバルナイフなどに付着した血液のDNA鑑定などを進め、物証が整って容疑が固まれば、靖子さんに対する殺人未遂か、さいたま市の山口剛彦さん(66)、妻美知子さん(61)に対する殺人のいずれかの容疑で再逮捕する方針だ。
 元次官宅襲撃について小泉容疑者は調べの中で「以前、保健所でペットを殺されたことに腹が立った」などと話したという。父親によると、小泉容疑者が小学生の時に、家に来る茶色い野良犬を飼うようになったが、自宅で営んでいた駄菓子屋の客や周囲の人によくほえるため、保健所に処分してもらった。小泉容疑者には相談しなかったという。

「事実なら理不尽」被害者の知人、元次官襲撃動機に怒り (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1123/TKY200811230164.html

 小泉容疑者は元厚生事務次官宅を相次いで襲った動機について、子どものころに飼っていたペットが保健所に処分されたことをあげた。思いも寄らない内容に、被害者を知る人たちは「理由は別にあるのでは」「むなしい」と言った。
 殺害された山口剛彦さんが厚生省で官房長だったとき、厚生事務次官だった多田宏さん(69)は、容疑者逮捕の知らせに安心できなかった。「ずっと前にペットを処分されたことが殺害の理由だと言っているようだが、そんなことで人を殺せるわけがない。理由は別のところにあるのではないか。捜査が進まないと、家族も私も、不安な気持ちのままだ」と話した。

 なんだかなー、じつに不可解な話ではあるよね。わけわからんよ。

 先日、テレビのニュースを観ていたら、誰かが「犯人は年金行政に不満のある者ではないか」みたいなことをほざいたので、おれはのたうちまわって大爆笑してしまいましたわさ。公務員を除く日本国民に、年金行政に不満のないやつなんかいるものか。誰でもいちばんに考えるような単純なこと、だからこそ、どこかの誰かのミスリーディングかもしれないようなことを、さも重要なニュースであるかのようにほざいてどうする、マスコミよ?

 仮におれが“年金テロ”を行なうとしたら、とっくに“逃げ切った”爺さんたちを襲うよりも、“ちょっと前から現職に至るまでの事務次官どもと、その形式上の上司であった政治家ども”を襲うことだろう。そのほうが、現職の政治家や国家公務員の連中に、「国の禄を食んで権力と厚遇を与えられるということには、当然、このような逆恨みを受けるリスクも織り込まれているのだ」というあたりまえのことを改めて認識させる刺激になるであろうし、逆に言うと、それが怖いような人は政治家や国家公務員になるべきではないとおれは思うからである。世の中、どんな歪んだ怨みを持つやつがいるかはわからない。ましてや、正当な怨みとなればなおさらだ。べつに、命に危険が及ぶやもしれぬ公職は、自衛官だけではないのだ。

 むろん、このようなテロはけっして許されるべきことではない。だが、職と厚遇にくっついてくるリスクは、やはり、エリートとしては覚悟すべきだろう。それが真のエリートというものだ。テロはいかんという話と、エリート(と、その周辺にいて恩恵を受ける人々)はテロも覚悟しておかねばならんという心構えの話とは、別問題である。「無関係の奥さんを襲ったのは許せん」という論調もあるようだが、それはちょっとちがうだろうとおれは思うね。許せんことは許せんのだが、あくまで覚悟の問題としては、坂本竜馬に添うなら、やはり奥さんもおりょうくらいの覚悟は当然持っているとおれは推測する。え? おれ? おれはそんな覚悟などとても持てないから、逆立ちしても政治家や公務員にはなれません、ハイ。というか、たとえ能力的になれたとしても、そういう覚悟がなければなってはいかんと思う。

 それにしても、この“自称犯人”、胡散臭いことおびただしいよなあ。おれはこいつが現れたとき、いちばんに、オウム真理教の村井をマスコミの目の前で殺害した、あの徐という男のことを連想した。あいつはたしかに実行犯にはちがいないが、あいつを操っていたやつがどこかにいることは、(法的に証明できないとはしても)誰もが確信しているだろう。今回の小泉というやつも、徐と同じ臭いがしますなあ。きっと、どこかでかんらからからと哄笑しているやつがいるのにちがいない。それは、殺害された元事務次官に、この期に及んでおかしなことを口走られては困るような誰かなのかもしれん。大勢の人がそう思っていることではあろうが、まあ、おれの言っていることは、あくまでファンタジー((C)北芝健)ですから、どこかでかんらからからと哄笑している人は、ヘンな鉄砲玉をおれみたいな善良な雑魚に差し向けないように。



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2008年11月14日 (金)

実際に、メーテルそのものなんて女性がおったら気色悪いわけだが……

ミス銀河鉄道999が決定 原作者も認定したメーテルは… (asahi.com)
http://www.asahi.com/showbiz/manga/TKY200811130087.html

 松本零士さんのマンガ「銀河鉄道999」に登場するミステリアスな女性キャラクター、メーテル。実在するとしたら、どんな女性なのか…。アニメ専門チャンネル「アニマックス」では、「私こそはメーテル」という女性を自薦・他薦で募集する「ミス銀河鉄道999~あなたの選ぶメーテル~」コンテストを催し、女優の藤岡麻美さん(26)が選ばれたと発表した。藤岡さんは、女性アイドルグループ「チェキッ娘」のメンバーとして活動したほか、テレビドラマや舞台でも活躍している。
 コンテストは同チャンネルでアニメの銀河鉄道999を放映することを記念して催され、9月の応募期間には216名の応募があった。同社での一次審査、WEBサイトでの一般投票などを経て、原作者の松本零士さんを交えた最終審査会で、藤岡さんはメーテルの絵が入った直筆サインが贈られ、告知のCMに登場する。

 う~む、び、ビミョーだなあ。このコがメーテルかあ? まあ、そう言われればそのように見えんこともないし、あえて強く異を唱える根拠もないのであるが、なんか雰囲気ちがうよなあ。もうちょっとこの、“しゅっとした”感じで、華奢だけどめっぽう強くて、魔性の女のようであり少女のようであり母のようでもある……って、まあ、現実にそんな女性はそうそうおらんからこそ、架空のキャラなんでしょうけれども。真行寺君枝がもっと若かったら、おれは投票したかもしれんが……。

 藤岡麻美ってコを知らなかったので調べてみると、あらら、このコもチェキッ娘だったのか。といっても、関西の人間は、ほとんどチェキッ娘を知らんと思う。おれがなぜ知っているかというと、いまやアニメ(カバー)歌手として押しも押されぬ下川みくにや、おなじみ“ガケっぷちアイドル”でプロ雀士のくまきりあさ美(旧・熊切あさ美)がいたユニットとして、あとから歴史として知ったわけだ。

 チェキッ娘ってのは“平成のおニャン子クラブ”というコンセプトだったわりには、結果的に、あまりに影が薄い。だが、好きな人はなにやら妙に好きらしい。円谷プロになぞらえれば(なぜ、そこになぞらえる?)、『キャプテンウルトラ』とか『怪奇大作戦』みたいなものだろう。

 つまるところ、おニャン子クラブとAKB48を繋ぐ中途半端な時期のあだ花が、チェキッ娘だったってことなんだろう。それでも、いまになっても、出身者の名前をそこかしこでちらほらと目にするというのは、たいしたもんだと思う。ま、多少、時代が味方してくれない時期にデビューしても、実力と執念のある人は残るということか。いやまあ、なにを隠そう、おれは下川みくに、大好きだけどね。

 次は、“ミス・クイーン・エメラルダス”とかやりませんか? ちょっと、すぐ思い当たる人はいないけどなあ。



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2008年11月13日 (木)

田母神氏に退職金は支払うべきだよ

「田母神前空幕長に退職金自主返納求める」防衛相、意見を表明 (MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081107/plc0811070010001-n1.htm

 浜田靖一防衛相は6日の参院外交防衛委員会で、政府見解と異なる歴史認識を含む論文を公表し航空幕僚長を更迭された田(た)母(も)神(がみ)俊雄元空将(60)=3日付で定年退職=に対し、退職金の自主返納を求める考えを示した。田母神氏には5000万円前後の退職金が支払われるとみられることから、与党から「多額の退職金をこのまま渡していいのか」(北側一雄公明党幹事長)などと支払い停止を求める声が上がっていた。浜田氏もこうした公明党など与党の意向に配慮して、自主返納を求める意見を表明した格好だ。
 公務員の退職金は国家公務員退職手当法で本人が辞退しない限り支払われることが決まっている。だが、浜田氏は委員会で「今回の事案の重大性を考えれば、自主返納という本人の判断を待ちたい」と語った。
 公務員の退職金は懲戒免職となった場合、支払われない。また、在職中に懲戒処分を受けた場合に減額されるケースがある。
 防衛省関係者によると、田母神氏は定年退職の発令に先立ち、同省に「懲戒処分に当たるのかどうか徹底的に議論したい」と申し入れ、懲戒処分の是非を決めるため処分対象者の意見を聞く「審理」の場で、論文の記述内容などについて争う姿勢をみせていた。

 先日から問題になっている田母神論文問題だが、浜田防衛相はなにを寝ぼけたことを言っているのか。あんたがたが懲戒処分にしなかったんだから、面従腹背だろうがなんだろうが、ちゃんと勤め上げた田母神氏には退職金を支払うべきである。退職金返納を云々されるのは、任命権者のほうだ。自民党も公明党もアホか。おまえら文民がボンクラだから、こうやって増長した制服どもにナメられるのである。

 おれは田母神氏の論文とやらを全文読んでいないが、報道されているとおりの内容だとしたら、なにをいまさらたわごとをほざいているのかと思う。しかし、彼は彼で、歪んでいようがなんだろうが、彼の信ずるところを言論で表明しているだけのことである。

 聞けば、彼が以前からそのような思想を持っていることは周知の事実であるそうではないか。だとすれば、それが彼の立場でどういう意味を持つのかということをちゃんと認識し、然るべき処分をしなかった文民どもがボンクラなだけだ。おれは田母神氏の思想にはまったく共感できないが、彼が退職金を受け取ることにはなんの異論もない。日本は法治国家だからな。

 しかし、田母神氏もあんまり褒められたもんじゃない。そんなふうに思いつつ面従腹背を続け空自のトップにまで昇りつめるというのは、サムライとして潔くないのではないか? 退職金が欲しかったからだとしか思われない。あなたがほんとうのサムライならば、とっとと自衛隊を辞めて、そのような言論活動を以て、世間に自分の思想をぶつけるのが本筋であったはずだ。退職ギリギリになって、鬱憤を晴らすかのように開き直るのは、サムライらしくない。あんたも卑しい。

 それにしても、文民がナメられているからこそ、こういうことになるのだ。しっかりしろ、自公! あんたら、最高司令官として命を投げ出す覚悟があるのか? 文民だからこそ、そういう覚悟は持つべきだ。でないと、ああいう“自分たちこそが国を愛し守っている”と勘ちがいしている増長した連中にナメられるばかりだぞ。



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2008年11月11日 (火)

流行語大賞候補に“金髪豚野郎”のライバル登場

「村山談話をフシュウ?」、首相誤読 議事録は「踏襲」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/1110/TKY200811100225.html

 麻生首相が国会で、戦争責任に関する過去の政府談話を「ふしゅう」する、という答弁を重ねている。参院事務局は「受け継ぐ」という意味の「踏襲(とうしゅう)」のことだと判断して議事録に載せているが、誤読続きに「秘書官が首相に指摘するべきだ」との声も出ている。
 首相は7日の参院本会議で田母神(たもがみ)俊雄・前空幕長の懸賞論文問題に絡んで歴史認識を問われ、アジア諸国へのおわびと反省を表明した95年の村山首相談話を「ふしゅう」すると答弁。10月15日の参院予算委員会でも、慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた93年の河野官房長官談話を「ふしゅう」する、と答えた。
 参院事務局によると、首相は外相だった昨年も、河野談話を「ふしゅう」と答弁。外務省に問い合わせて「踏襲」の意味だと確認したことがあるため、10月15日の答弁は議事録に「踏襲」と載せた。7日の答弁も内閣総務官室に確認すると「踏襲」だと即答があり、10日配布の議事録速報版で「踏襲」と直した。(藤田直央)

 それはたぶんアレじゃないの、アキバ票を獲得したいがために、“ガイシュツ”みたいな感じで、意図的に“2ちゃんねる用語”を使ったつもりだったんじゃないの?

 もし、ガチでまちがっているんなら、たぶんマンガばっかり読んでるからかもしれん。いや、もちろん、現代の教養人たる者、マンガちゃんと読まなくちゃいかんが、ばっかりはいかんと思うのよな、おれは。



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2008年11月10日 (月)

いちいち社会に認めてもらおうと思うな

人間の女性には興味がない!? 「キャラクターと結婚認めて」署名活動 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/11/08029977.html

アニメやゲームの「二次元キャラクター」との結婚を法的に認めて欲しい――。そんな署名活動がネットで始まっている。好きなキャラクターを「オレの嫁」と表現するファンがいるが、それどころか今度は実際に結婚してしまおうというものだ。もちろん実際の結婚とは別物だが、「法律ができたとしてもキャラの作者が結婚を許可するのか」などという問題や、「オレの嫁に手出すんじゃねーぞ」といった「奪い合い」がネット上で激しくなるのでは、といった話題で盛り上がっている。
「まともに話してくれそうな女の子と言ったら二次元」
この署名活動はオンライン署名サイト「署名TV」で2008年10月22日から始まった。企画者は100万人の署名を集めて、日本政府に認めさせたいとしている。書名を呼び掛ける文には、
「もはや、僕たちは三次元 (人間の女性)には興味がない」
と書かれている。しかし二次元の世界の住人になるのは無理なため、
「せめて二次元キャラとの結婚を法的に認めてもらうことはできないでしょうか?」
となっている。この法案が実現したらならば、企画者は人気アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」に登場するキャラ「朝比奈みくる」と結婚する予定なのだそうだ。

 うう~む。いやまあ、おれもまんざら二次元は嫌いじゃないし、二次元の女性にリアルな性的欲望を感じることもないではないのだが、二次元キャラと“結婚”したいと言っている連中がなにを考えているのか、まったく理解できないよ。

 そもそも自分の性向があんまり社会的じゃない場合(“反社会的”というのとはちがうのだ)、べつに社会から認めてもらう必要なんてないじゃないか。密かに楽しめばよいだけ、あるいは、迫害されても堂々とわが道をゆけばよいだけの話である。たとえば、しゃもじが好きで好きでたまらず、中でも、この特定のしゃもじがないとおれは生きてゆけない――からといって、しゃもじとの結婚を社会に認めさせる必要などないのではなかろうか?

 だいたい、“結婚”ってのは社会的な行為だ。あんまり社会と関わりたくない人、自分の社会的な位置づけなどまったく気にならない人たちは、三次元の異性あるいは同性とであっても、結婚などというまどろこしい手続きを取る必要などない。ただ、一緒に暮らしはじめればよいだけの話である。“結婚”したいなどと言っている時点で、たまたま社会的でないおのれの性向を社会に認めてもらいたいと思っているわけで、潔くない。甘ったれている。「おれはしゃもじが好きなんだ~!」と叫んで、狭量な社会からヘンな目で見られることを甘んじて受け容れればよいだけの話である。

 二次元キャラとの結婚を認めてほしいなどと運動をするのは、時間の無駄以外のなにものでもあるまい。勝手に結婚して、恬としていればよろしい。なにをわざわざ社会などという狭量なものに“認めて”もらう必要があるか。たまたまメジャーではない性向を持ってしまった自分の運命に対する覚悟が足りん。

 「おれは大多数の人とは異なる性向を持っている。それがおれなのだから、おれがおれであるためには、性向を偽ることなどできん。また、大多数の人に理解してもらおうなどとも思わん。なぜなら、おれもまた、大多数の人が理解できないし、したいとも思わんのだから。しかし、おれは、おれがおれであるためのこの性向に、なんら恥じるところなどないし、それがゆえに被る不利益があるとすれば、従容として受けよう。おれがおれであるために」と、堂々と誇り高くマイノリティーの道を突き進んでもらいたいね、こういう人たちには。がんばれ。というか、ヘンな方向にがんばるな。

 社会全般に認めてもらおうなどと甘えるな。それは媚びだ。キミを認めてくれる“社会”を、小さくはあっても、キミが探し、それがなければキミが作ってゆけばよいだけの話だ。キミのための名言を挙げておこう――

 I don't want to belong to any club that will accept me as a member. (ぼくを入れてくれるようなクラブには入りたくない)

―― Woddy Allen < Groucho Marx



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2008年11月 6日 (木)

もう、“未来”じゃない

Obama: 'This is your victory' (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/POLITICS/11/04/election.president/index.html

(CNN) -- Barack Obama told supporters that "change has come to America" as he claimed victory in a historic presidential election.
"The road ahead will be long. Our climb will be steep. We may not get there in one year or even one term, but America -- I have never been more hopeful than I am tonight that we will get there. I promise you -- we as a people will get there," Obama said in Chicago, Illinois, before an estimated crowd of up to 240,000 people.
With Obama's projected win, he will become the first African-American to win the White House.

 そう、おれたちの子供のころから、SFに出てくる未来社会では、アメリカ大統領は往々にして黒人だったものだった。逆に言うと、三十年、四十年前には、黒人がアメリカ大統領になるなどということは、ロボットが二足歩行をしたり、誰もが個人用の無線通信機を持ち歩いていたりといったことと同列の“SFの世界のできごと”だったのである。アメリカ大統領を黒人に設定するだけで、「ああ、なるほどこれは遠い未来のことにちがいない」という説得力を持たせられたわけだ。これからは、ただアメリカ大統領を黒人にするだけでは、“未来感”が出なくなっちゃいますな。

 オバマ候補が勝つであろうことは、選挙戦終盤にはもはやかなり確かではあったけれども、今日こうしてオバマ次期大統領の演説を、彼に勝利をもたらした最強の武器とも言えるインターネットを通じて映像と共に聴いていると(八年前には、こんなことも手軽にはできなかった)、なにやら不思議な感慨を覚える。それはちょうど、小学一年生のおれが、親に目医者に連れていってもらって帰ってくると、重そうな宇宙服を着た人が月面をぴょんぴょん跳ねているのを白黒テレビの中に観たときの感慨に似ている。アポロだけに月並みな想像ではあるが、もしもタイムマシンがあったら、目を丸くしてテレビにかじりつきアポロ11号の快挙を観ている六歳のおれに、「黒人がアメリカ大統領になるのは、おまえが四十五歳のときだ」と教えにいってやりたい気持ちでいっぱいだ。

 そう、たしかに、単にアフリカ系アメリカ人が大統領になることが決まったというだけにすぎない。政治手腕は、それこそ、肌の色などには関係ない。その関係ないはずのことでさまざまな悲劇を生んできたホモ・サピエンスの歴史を思うと、よその国のことながら、ホモ・サピエンス全体が、ほんの、ほんのちょっぴりだけ、進化の梯子を登ったような気がするのは、おれだけだろうか? それが幻想であったとしても、今夜ひと晩くらいは、“SFがまたひとつ現実になった”ことを素直に喜んで酒を飲みたいおれなのであった。

 いや、それにしても、オバマさんって人は、演説がうまいねえ。数分も聴いていると、「ああ、アメリカ人に生まれてよかった」としみじみ思えてくる……って、おまえは千駄ヶ谷の病院で生まれたんだよ。

Transcript: 'This is your victory,' says Obama (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/POLITICS/11/04/obama.transcript/index.html

If there is anyone out there who still doubts that America is a place where all things are possible, who still wonders if the dream of our founders is alive in our time, who still questions the power of our democracy, tonight is your answer.

 今夜は、ビリー・ホリデイ「奇妙な果実」U2「Pride (In the Name of Love)」「MLK」でも聴いて寝るとするか。

Billie Holiday - Strange Fruit

Rare U2 Pride In The Name Of Love Live 1984

U2 - MLK (Live From Tempe, Arizona)



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2008年11月 5日 (水)

ブラッドベリ効果?

 “ブラッドリー効果”なんて言葉を、おれは今回のアメリカ大統領選で初めて知ったが、なるほどそういうものがあるのであれば、「私はSFファンです」という人が世論調査で大勢いたとしても、鵜呑みにしてはならんということなのだな。回答者は、SF差別主義者であると見られることを怖れて、とりあえずSFファンだと答えたのかもしれん。

 志賀直哉至上主義者とかなら、べつにSF差別主義者と見られても屁とも思わんだろうし、むしろ誇りに思うくらいかもしれんが、現代の純文学愛好家には、SF差別主義者と見られたのでは心外であると思う人は少なくないにちがいない。「私はSFファンです(と言ってもウソではあるまい。レイ・ブラッドベリとかJ・G・バラードとかクリストファー・プリーストとかはたしかに読んだことあるし。じつはバリントン・J・ベイリーとヨコジュンと田中啓文が大好きなのはひた隠しにしてるけど)」というふうに解釈しなければならないのかもしれない。

 SFファンに向けてのベスト企画とかはよくあるけれど、考えてみれば、不特定多数に向けて「あなたはSFファンですか?」などと単刀直入に訊いたアンケート企画は見たことがない。もしそういうことをやれば、ブラッドリー効果は顕れるものなのであろうか?



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2008年11月 1日 (土)

で、それらは中国製の醤油からはどのくらい検出されるのかね?

 従来の減塩醤油は、醤油に含まれる塩分が少ないというだけのものでしたが、このたび当社が発売する新製品は、摂取しすぎた塩分を人体から排出させるという画期的なものです。商品名は、そのものずばりでわかりやすく親しみやすい「取る塩しょうゆ」といたしました。

 ……といったベタなネタはともかく。

「日本製しょうゆに有害物質」 中国当局、日本側に通報 (NIKKEI NET)
http://www.nikkei.co.jp/kaigai/asia/20081031D2M3102C31.html

 中国国家品質監督検査検疫総局は31日、日本から輸入したしょうゆとわさびから有害物質のトルエンと酢酸エチルが検出された、と在中国日本大使館を通じ、日本側に通報した。1日には舛添要一厚生労働相が訪中する予定で、中国製食品をめぐる健康問題が日本で相次ぐ中、今回の通報には日本側をけん制する意味合いもあるとみられる。
 ヤマサ醤油(千葉県銚子市)とキッコーマンが生産したしょうゆのほか、万城食品(静岡県三島市)製造のわさびペーストから、トルエンが最大で0.0053PPM、酢酸エチルが最大で0.5370PPM検出された。輸入業者が既に対象製品を廃棄処分にしたという。

トルエンしょうゆ3社公表 メーカー「該当商品名なし」 (朝日新聞社)
http://www.asahi.com/national/update/1101/TKY200810310329.html

 【北京=峯村健司】中国に輸入された日本製しょうゆなどからトルエンと酢酸エチルが検出された問題で、北京の日本大使館は10月31日、中国国家品質監督検査検疫総局から通報を受けた製造元の会社と製品名を公表した。
 ヤマサ醤油の「NH小包日式醤油」、キッコーマンの「公務小醤油」、万城食品の「NH小包わさびペースト」の3品で、トルエンが0.0053~0.00064ppm、酢酸エチルが0.537~0.0796ppmそれぞれ検出されたという。
    ◇
 キッコーマンは31日、「『公務小醤油』という名前の商品はない。ただ(発表された検出量は)微量であり、人の健康に影響を及ぼすものではない」(広報)とのコメントを出した。
 業界団体の日本醤油協会と日本醤油技術センターも同日、ホームページ上で見解を発表し、トルエンについては「しょうゆの原料の麦に天然成分としてもともと含まれており、検出濃度は日本の水道水の管理目標値より十分に低い」、酢酸エチルについては「醸造中に生成される物質で、醸造酒などに一般に含まれる量に比べ、十分に低い」とした。

 なーんか、大阪弁で言うと“無理から言うてきとる”のがありありだなあ。当の中国人ですら、日本にいる親戚や知り合いに日本製の粉ミルクを送ってもらっているというありさまに、中国当局もメンツが立たないのだろう。「日本の食品からも、しかも、あろうことか日本を象徴すると言っても過言ではない“醤油”からも、有害物質が出たぞ。出たのだぞ。やーいやーい」という形だけでも作っておきたいんだろな。

 そのうち、「日本製の醤油をコップ一杯飲んだら気分が悪くなり、嘔吐や下痢、発熱などの症状が出た」とか、「日本製の醤油から、世にも恐ろしいDHMOが検出された」とか言ってきそうだ。冗談抜きでやりかねん。



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2008年10月31日 (金)

Qちゃんは引退するわ、99ちゃんは倒産するわ

九十九電機が民事再生法申請 負債110億円 (asahi.com)
http://www.asahi.com/business/update/1030/TKY200810300415.html

 東京・秋葉原を中心にパソコン専門店を展開する九十九(つくも)電機(東京都千代田区)は30日、民事再生法の適用を東京地裁に申請した。負債総額は110億円。大阪、名古屋、札幌を含む13店の営業は続ける。
 九十九電機は47年の創業。78年に秋葉原に初のパソコン専門店を開き、中古パソコンの買い取りなども進めていた。大手家電量販店とは一線を画して海外製の安い輸入パソコンなどを販売し、自作パソコンでも支持を集めた。シンジケートローン(協調融資)の償還などで資金繰りが悪化したという。07年8月期の売上高は約320億円。債権者は約950人。

 あららら、こんなことになっていたとは……。なにを隠そう、おれがいまこれを書いているパソコンは、ツクモのウェブ通販で買ったものだ。

 ケータイでニュースを知り、潰れちゃったのかあと残念に思っていたら、深夜にこんなサブジェクトのメ