カテゴリー「音楽」の88件の記事

2011年8月 6日 (土)

脱力系企業テーマソングの傑作

 有名な社歌といえば、「日本ブレイク工業社歌」にとどめを刺すだろう。本格的な特撮ヒーローテーマソング風のビートとシャウトは、一世を風靡したものだ。その後、会社のほうはえらいことになったみたいだが、この社歌だけは、いまだに日本でいちばん有名な社歌だろうと思う。

 その後、日本ブレイク工業社歌ほどにおれの心を掴んだ社歌はなかったが(そもそも、社歌なんてほとんど聴かんわい、ふつー)、このところ、おれのハマっている社歌(?)がある。厳密には社歌というよりは「テーマソング」なのだが、たぶん関西の人しか知らないと思うので、ご紹介しよう。日光ホームという会社の「テーマソング」である。

 このCMは少し古いものなのだが、最近またこの歌を使った最新版「クルーザー航海編」が流れており、その脱力感に一段と磨きがかかっているのにおれは驚嘆した。同社のウェブサイトにある「日光ホームテーマソング」のフルバージョンをじっくり聴くにいたっては、心底、仰天した。

 ズレている。なにかがズレている。だが、そのズレかたは、これ以上巧くてもいけないし、これ以上下手でもいけない、綱渡り的な絶妙なズレかたなのだ。まさかこれ、女性社員が唄ってるんじゃないよねえ? だとしたら、ズレかたが天才的すぎる。ベッツィ&クリスとかシモンズとかあみんとかやなわらばーとか由紀さおり・安田祥子とかには、真似しようとしてもけっして真似のできない、超絶技巧の歌唱である。

 歌唱ばかりではない。曲もすごい。なんだこれは。ヨドバシカメラのテーマソングは、おそらく著作権やらなにやらややこしいことを気にしなくてすむように非常に有名なあの歌の替え歌なわけだが、日光ホームも同じ手法(?)を用いていて、これはもう、エジソンが世界で初めて“録音”したあの曲に大いにインスパイアされているとしか言いようがない。それでいて、なぜかオリジナリティー溢れる印象を受ける。受けないって? まあ、気にするな。

 これはCD出すべきだよなあ。


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2011年3月28日 (月)

阪神淡路大震災を乗り越えた名曲

 この曲はさあ、健全な関西人(?)なら、週に一度、二十年以上にわたって耳にしてきている“強靭な日常”を象徴する曲なんだよ。どんな大災害があろうと、おれたち関西人は、この曲が流れているかぎり、いつものあの日常を思い出せるんだよ!

 この曲が流れ続けるかぎり、おれたちは、複雑に入り組んだ現代社会に鋭いメスを入れ、さまざまな謎や疑問を徹底的に究明するんだ!

 だから……だから、東北の人たちもがんばってくれ!

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2011年2月11日 (金)

次に「バレンタイン・キッス」が流行るのは……

 昨日、といっても、ほんの数時間前なのだが、近所のお好み焼き屋でお好み焼きを食っていると、BGMに渡り廊下走り隊7「バレンタイン・キッス」が流れはじめた。

 おれはけっこう焼酎も入っていたので、バイトの兄ちゃんをちょっとからかってやろうと、「懐かしいなあ。これ、国生さゆりが唄ってたの知ってる?」と訊いてみたが、案の定、引き攣った笑顔で首を傾げていた。そりゃあそうだろう。まるで二次元アイドルを無理やり三次元映像で観ているかのような渡辺麻友と、魔王・杉田かおるとやりあう国生さゆりおばさんとが、同列に思えるはずがない。けけけけけ。

 それはともかく、この「バレンタイン・キッス」は、なかなかの名曲だと思う。渡り廊下走り隊7のPVを観ていて、つくづくそう思う。古びてない。というか、古びてないのは道理であって、これは元々“わざと古びたふりをしている”曲なんだから、かえって古びないのは当然なのだ。

 国生さゆりがこれを唄っていたころ、年齢のわりに洋楽懐メロがけっこう好きだったおれは、「ああ、これはシェリー・フェブレーだよな」と思って聴いていた。曲想が、「ジョニー・エンジェル」みたいな、ああいう50~60年代のアメリカンポップスのラブソングによくあった感じにそっくりだ。そういうのを、80年代にあえてあざとくなぞってみせているのだろうと、製作者側の意図が伝わってきて当時にやにやしていた。

 シェリー・フェブレーの「ジョニー・エンジェル」は1962年(おれが生まれた年だ)、国生さゆりの「バレンタイン・キッス」は1986年である。二十四年後だ。そして、1986に24を足してみると……2010! いろんな人が「バレンタイン・キッス」をカバーしてきたが、これほどヒットするのは渡り廊下走り隊7を待たなければならなかったのである。ここにはなんらかの隠れた法則が働いているのではあるまいか。

 そこで、おれの仮説だ。「バレンタイン・キッス」は、今後も、ほぼ四半世紀毎にリバイバル・スマッシュヒットとなるであろう。次に当たるのは、西暦2034~35年ころにちがいない。そのころの十代のアイドルがまたこれを唄い、「ああ、そういえば、わしらの若いころに渡り廊下走り隊7ってのがあって……」と懐かしがるおっさん・おばはんたちが、またおれと同じようなことを書くのだろうな。

 歴史はぶり返す。


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2010年5月11日 (火)

『オタマトーン(ブラック)』(キューブ)

 賢明なる読者諸氏に於かれては、最近おれはおもちゃばっかり衝動買いしているかのように思っていらっしゃるかもしれないが、そのとおりである。

 とはいえ、これはおもちゃというよりは、歴とした明和電機ブランドの楽器だ。楽器なんて買ったのは何年ぶりだろう。YAMAHAのポータトーン買って以来(最近、全然弾いてないけど)だなあ。カエラーとしては、このような楽器が流行っているのはまことに喜ばしいことである。

 どんな楽器なのかは、明和電機のオタマトーンサイトでの解説や各種動画配信サイトで超絶演奏技巧やら腰砕け演奏技巧を披露している方々をご覧いただくとして、とりあえず、写真をば。

Otamatone01 これがオタマトーンだ! カラーバリエーションは、音符と同じで黒と白がある。

Otamatone02 なんともとぼけた顔(というか、胴?)には、ほのぼのと癒される。

 で、ここ二、三日、さっそく弾いてみているんだけど、人を食った外見のわりに、なかなか難しい。フレットレス楽器なので、音感が相当ものを言う。「かえるの合唱」とかはすぐマスターできるんだが。お約束の Smoke on the Water のイントロもわりと簡単だ(そりゃまあ、単音だからねこの楽器は)。口をパクパクさせて“ワウ”を利かせれば、まぬけな中にも不思議なカッコよさが出ないでもない。

 まあ、とにかく慣れないと難しいね。完璧に音程が取れるようになるには、まだしばらくかかりそうだ。おれくらいの年齢だと、ボケ防止に持ってこいの楽器かもしれない。



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2010年2月24日 (水)

困ったときはお互いさま

 We Are the World 25 for Haiti [iTunes Store: http://itunes.apple.com/jp/album/we-are-world-25-for-haiti/id355808800 ]、いいんじゃないすかー。むかしの U.S.A. for Africa 版と改めて聴き比べてみても遜色ない。というか、この曲は、おそらくこれからもこういうことがあるたびに、そのときそのときのアーティストたちに唄われ、弱った人たちの助けになってゆく名曲だろう。これだけのアーティストが集結した楽曲が、映像付きで四百五十円なんて、お得にもほどがある。チャリティーなんて柄でもないとこっ恥ずかしく思う人だって、掛け値なしに楽曲だけに金を出すつもりで買ったんさい、買ったんさい。買わんと損だ、これは。

 むかしシンディー・ローパーが唄ったパートを、今度はセリーヌ・ディオンが唄っているのを聴いて(観て)、おれはぞぞぞぞぞと感激に鳥肌が立った。もう、これだけで四百五十円払った値打ちがあるわいな。

 故・マイケル・ジャクソンジャネットと共に出演。故人・現役、ポップス、バラード、ヒップ・ホップ入り乱れての二十一世紀の We Are the World に仕上がっている。

 それにしても、おれは最近の音楽にはいまひとつ疎いんで全然知らんのだが、かつてのレイ・チャールズそっくりの声とそっくりの歌いかたで同じパートを唄っている黒人歌手は誰?



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2010年2月13日 (土)

聖火は人をふり返らせる

 バンクーバーオリンピックがはじまった。おれは、見ているぶんには、どっちかと言うと冬季オリンピックのほうが好きだ。なんとなくセンチになる。それはおそらく、ある程度もののわかるようになったちびまる子ちゃん前後の年齢で、札幌オリンピックで盛り上がった日本を体験したからだろうと思う。なにもかもが右肩上がりで、これからどんどん未来が拓けてゆくのだぞといった空気がそこかしこに漲っていた。『虹と雪のバラード』という名曲の存在も大きい。いまだに冬季オリンピックを迎えるたび、反射的にこの曲が頭の中に流れ出す。

 ああ、七十年代はよかったなあと爺いめいたことを言うつもりはない。あのころの、なんであれ、放っておいてもとにかく“成長”してゆくのがあたりまえなのだといった空気が、いま思えば、微笑ましいほどにナイーブだったのだろう。そりゃ無理もない。戦争が終わってから、まだ二十七年しか経っていなかったのだ。あのころのほうが、むしろ異常、と言って語弊があれば、特殊だったのだ。

 「あのころの元気に比べて、いまの日本の体たらくは……」などと、むかしと比べてどうこう言うようになったら、それは老化のはじまりである。なんだかんだあっても、やっぱり三十八年のあいだに、日本は、じわじわじわじわと少しずつでも、試行錯誤をしながら変化してきたではないか。あのころに戻りたいかと問われれば、おれはまっぴらごめんである。あのころは、大人たちがみんな同じほうを向いていて、元気だけど窮屈だったろうと思う。おれは、ほんとうに戦後が終わったのは去年だと思っている。

 いま札幌オリンピックの映像を観ると、現代の選手たちの技術に慣れた目には、とても見劣りがする(むろん、当時は最高水準だったのだ)。三十八年というのは、けっこうな時間だ。その時間で、これほど明白に進歩しているものがたしかにあるというのを目の当たりにすると、人間というものに対する“長期的”な希望のようなものが、吹雪の向こうにほの見える。もちろん、選手たちの身体能力や技巧を支える科学技術の発達によるところも大きいだろうが、四十年あれば、人間が“身体”を使う能力ですら、全体的に底が上がってゆくという事実は、素朴に驚異的である。

 まだまだ日本人にも、人類にも、頭脳にであれ身体にであれ、抑圧されていたり開発されていなかったりする潜在力が眠っているにちがいない。そんな“すでに持っている”能力の発現を阻害している要因を、ひとつひとつ、根気よく叩き潰してゆくことが、個々のちっぽけですばらしい人間にできること、やるべきことなのだろう。




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2009年12月23日 (水)

夢を見る能力と子どもたちに託す想い

 今夜はこれにしよう。Sesame Street が生んだ名曲のひとつだと思う。

 この映像に出てくるメンバーは、おれが中学生くらいのころのセサミストリートの住人である。白人も黒人もプエルトリコ系も健常者も障碍者も、いったいどこの生物なのか不明の化けもの(失礼)も、みんな仲良くクリスマスを祝うという Sesame Street の世界は、率直に言って夢物語ではあるのだが、その夢物語を子供向け番組の中できちんと掲げるという点に、おれはやっぱりアメリカ人というのはすごいやつらだと思った。現に連中は、じわじわじわじわと、少しずつではあるが、その夢物語に近づいていっているのはたしかだ。

 おれはいまでも憶えているのだが、クリスマスの喧騒も一段落、みなが家に帰って家族とクリスマスを過ごそうという静かなときになって、ミスター・フーパーのドラッグストアの前を通りがかったボブが、店じまいをしているミスター・フーパーに声をかけ、しばし話をしたあとに、彼らは家に帰ってゆく互いにお祝いの言葉をかける。ミスター・フーパーはボブに「Merry Christmas!」と。ボブはユダヤ人のミスター・フーパーに「Happy Hanukkah!」と。

 これはすげえと、当時中学生のおれでさえ思ったね。連中は、こういう夢物語をきちんと描いて子供たちに向けて発信しているのだ。いろんな大人の事情があって、世の中は見てのとおりではあるんだが、キミたちが大人になるころには、このセサミストリートみたいな国にしてくれ――と、子供たちに夢を託しているのだ。なんだかんだ言っても、この国にはまだまだかなわないと、おれは素朴に思ったものだった。

 アフリカ系アメリカ人が大統領になった現在ですら、いまだこの夢物語は実現しているとは言い難い。だが、連中のことだ。いつの日か、セサミストリートにはイスラム教徒の住人が登場し、むかしボブがミスター・フーパーに「Happy Hanukkah!」と言ったように、その時代のボブがたどたどしいアラビア語でなんか言うんだろう。アメリカには、そういう国になってほしいと思う。そして、わが日本も。

 ミスター・フーパー(ウィル・リー)はとっくに亡き人なんだが、彼もきっと草葉の陰で、いまセサミを観ている子供たちに、そういう国にしてくれよと夢を託しているんだろうと思う。

 おれは、アメリカのこういうところは、大いに見習うべきだと思うんだよなあ。



 

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2009年12月22日 (火)

これを超える「サンタが街にやってくる」は、ちょっとないと思う

 今夜は、これにしよう。定番中の定番、Santa Claus Is Comin' to Town だ。星の数ほどの歌手がこれを唄ってきたことだろうが、おれはいまだに The Carpenters のがいちばん好きだ。

 まずは、一九七四年『宇宙戦艦ヤマト』が放映された年だぜ)のシングル盤。音質は悪いが、この音質で聴いても、カレンの艶と温もりのある声に聴き惚れてしまう。

 そんでもってまた、世の中にはよくよく凝り性の人がいて、七四年の映像に八四年(カレンが亡くなった翌年)のリミックス音源(アルバム An Old-Fashioned Christmas に収録)を組み合わせてうまく編集しているんだな。おそれいりました。こっちのほうがそりゃ音はいいし、サックスのソロパートはメロディー自体も変わってずっとよくなっている。

 カーペンターズのクリスマスアルバムといえば、七八年の Christmas Portrait が決定盤だろうが、このアルバムに入っている Santa Claus Is Comin' to Town は、アップテンポのまったく異なるアレンジのバージョンで、当時、いそいそと買ってきて聴いたおれは、それだけが気に食わなかったことをよく憶えている。YouTube のコメントを読んでいると、やっぱりそう思っていた人は海外にも少なからずいたことが窺える。そりゃそうだよな。アルバムのコンセプトに合わないという判断だったようだが、この七四年のかっこいいシングル盤を世間はすでに聴いていたのだもの。

 いやあ、しかし、かえすがえすもカレンの声はもったいない。もっと長生きしてくれていたら、年輪を重ねたもっとすごい声を聴かせてくれたろうに……。



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2009年12月21日 (月)

クリスマスはそんなに好きじゃないが、クリスマス曲は好きなんである

 さて、今週はもうクリスマスだな。人の褌で相撲を取るみたいでなんなんだが、今週は、おれのお薦めクリスマスソングをいくつか、まったりと紹介してゆくことにするか。

 このコはすげーよなあ。少年時代のマイケル・ジャクソンを彷彿とさせる。まわりの大人たちはわかってるんだろうから、ちゃんと Ben を唄わせている。もし、このコが自分で選曲しているのだとしたら、そら怖ろしい。子供としての声質が自分でわかっているということだからだ。

 十年後に、このコのクリスマスアルバムが聴きたいな。サラ・ブライトマンは難しいかもしれんが、ヘイリー・ウェステンラくらいには絶対なっていることだろう。前歯がないので、th がうまく発音できてないところもまた可愛い。



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2009年11月18日 (水)

この季節に聴きたくなる曲

 本格的に寒くなってきたよねえ。

 人は自分の生まれた季節がいちばん好きだと一説には言うようだが、たしかにおれに関しては、まったく当たっている。おれは、これから冬になってゆく十一月の末ころが、一年のうちでいちばん好きだ。

 この季節には、これが聴きたくなるんだよねえ。うーん、名曲だ!

 そして、あれよあれよというまに年末を迎えるのだ。おれは近年の日本人によるクリスマスソングでは、これがいちばん好きかもしれない。地味だけど、いい曲だ。なんで、もっと知名度が上がらないのかな。



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