今年から煙草とひとまず別れて、愛人にすることにした
四日の朝に吸った煙草を最後に、休煙期間に入っている。というか、早い話が、禁煙を試みている。なんか“禁煙”という言葉を使うと、まるで喫煙が悪いことででもあるかのような感じになってしまうので、さしあたり“休煙”と言うことにしているのだ。
不思議なことに、三日も煙草を吸わないと、自分の吐く息が煙草臭いことがよくわかる。しばらくは煙草を吸わなくても、自分の体内から出てくる煙草の香りで楽しめそうだ。
これで一週間くらい経ったころに一本吸ってみることにしよう。それはもう、めちゃめちゃうまいにちがいない。頭がクラクラクラ~と痺れるような“あの感覚”を、じっくりと味わえるにちがいない。
で、その次には、二週間くらい我慢してみる。二週間吸わなかったところへ一本吸ってみろ、そりゃもう、ガツーンとくるにちがいない。そのガツーンは、しょっちゅう吸っていたのでは絶対に味わえない類のガツーンなのだ。
これを繰り返してゆくと、禁煙をせずに、煙草を吸う本数を劇的に減らすことができるはずだ。禁断症状を積極的に楽しむのである。こういう楽しみかたは、麻薬や覚醒剤にはなかなかできまい。煙草程度だからこそ楽しめるのである。
おれがちょっと怖れているのは、一週間、二週間と休煙したあとに吸った煙草が、「うえ、まずい」と思えてしまうことなのである。そうなると、もはや煙草を吸っている意味がない。こんなふうにはなりたくないのだ。煙草を味わう能力は維持したまま、ほんのたま~にしか吸わないようにしたいのである。
最終的には、一箱五千円くらいの煙草を一年ほどかけてじっくり味わうってのが理想だなあ。とびきりいい酒を買うと、そんな感じじゃないか。
おれは二十四歳から煙草を吸いはじめたので、やがて四十八歳を迎える予定の今年、煙草を吸っていなかった人生と煙草を吸っていた人生とがちょうど釣り合うくらいのタイミングなのだ。ここらで煙草とのつきあいかたを変えてみたい。四六時中義務のようにしてつきあうカミさんみたいな関係じゃなく、たま~に思いきりじっくり燃え上がる愛人みたいな関係を、煙草とのあいだに築いてゆきたいのである。
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