カテゴリー「映画・テレビ」の337件の記事

2012年1月31日 (火)

いろんなところにスジ者が……

 奈良先端科学技術大学院大学が開発した「ワンクリック見積&データ品質診断ツール」の名は「Magi」である。まさか、これを見て、「ああ、研究者の中に敬虔なキリスト教徒がおるのだろうなあ」と思う人は、ウチのブログの読者には、まずいないと思う。きっと、二十代後半くらいの“エヴァンゲリオン、どストライク世代”の研究者がネーミングしたんだろうねえ、と推測するのがふつう(?)である。このシステムは協調フィルタリングを使っているので、「ああ、メルキオールとバルタザールとカスパーとが協調するってネタなのね」くらいの推測は誰でもするであろう(どこの「誰でも」だよ、それは)。

 はたまた、楽天技術研究所が開発したレコメンドエンジンの名は、「5ten(ごうてん)」だったり、「0-HO(れいせんほう)」だったりする( http://el.jibun.atmarkit.co.jp/rakuten/2009/11/post-7414.html )んだが、これは相当好みが渋い。エヴァンゲリオン世代よりは、ずっと歳を食っている感じだ。まあ、若いやつにも『海底軍艦』のファンはおるだろうけど、どういうネーミングセンスだ、これは。

 まあ、なんにせよ、世の中、いたるところに“スジ者”が潜んでいるということはたしかなようだ。


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2011年8月 6日 (土)

脱力系企業テーマソングの傑作

 有名な社歌といえば、「日本ブレイク工業社歌」にとどめを刺すだろう。本格的な特撮ヒーローテーマソング風のビートとシャウトは、一世を風靡したものだ。その後、会社のほうはえらいことになったみたいだが、この社歌だけは、いまだに日本でいちばん有名な社歌だろうと思う。

 その後、日本ブレイク工業社歌ほどにおれの心を掴んだ社歌はなかったが(そもそも、社歌なんてほとんど聴かんわい、ふつー)、このところ、おれのハマっている社歌(?)がある。厳密には社歌というよりは「テーマソング」なのだが、たぶん関西の人しか知らないと思うので、ご紹介しよう。日光ホームという会社の「テーマソング」である。

 このCMは少し古いものなのだが、最近またこの歌を使った最新版「クルーザー航海編」が流れており、その脱力感に一段と磨きがかかっているのにおれは驚嘆した。同社のウェブサイトにある「日光ホームテーマソング」のフルバージョンをじっくり聴くにいたっては、心底、仰天した。

 ズレている。なにかがズレている。だが、そのズレかたは、これ以上巧くてもいけないし、これ以上下手でもいけない、綱渡り的な絶妙なズレかたなのだ。まさかこれ、女性社員が唄ってるんじゃないよねえ? だとしたら、ズレかたが天才的すぎる。ベッツィ&クリスとかシモンズとかあみんとかやなわらばーとか由紀さおり・安田祥子とかには、真似しようとしてもけっして真似のできない、超絶技巧の歌唱である。

 歌唱ばかりではない。曲もすごい。なんだこれは。ヨドバシカメラのテーマソングは、おそらく著作権やらなにやらややこしいことを気にしなくてすむように非常に有名なあの歌の替え歌なわけだが、日光ホームも同じ手法(?)を用いていて、これはもう、エジソンが世界で初めて“録音”したあの曲に大いにインスパイアされているとしか言いようがない。それでいて、なぜかオリジナリティー溢れる印象を受ける。受けないって? まあ、気にするな。

 これはCD出すべきだよなあ。


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2011年7月28日 (木)

パーソナルデジタルテレビ12V型 BTV-1200(BLUEDOT)

 ふだんメインにしているテレビは、まあ、たいてい誰でもいちばんに大きなテレビに地デジ化するわけだが、たとえばキッチンで料理をしているときなどに背中で音だけ聴いているテレビ、朝、歯を磨きながら肩越しにふり返り天気予報だけを観るようなテレビなどについては、「さあて、ここのテレビはどうすべえかなあ。なけりゃないでいいんだが、やっぱりないとどうも勘が狂うし、寂しいような気もする。こんなところにでかいテレビは置けんしなあ。どうすべえ、どうすべえ……」と悩むわけだ。おれも悩んだ。

 アナログ停波が迫ってくると、けっこうでかいテレビがどんどん安くなってくる。テレビのコストパフォーマンスというものが、仮に「画面の面積/価格」であったとするなら、まあ、32型くらいがいちばんコストパフォーマンスがいいわけだ。だけどね、32型なんてこのスペースには置きたくない、置けないということも多々あろう。なんで地デジ対応テレビはでかいテレビばかりなのだ? おれは、ここにちょうど置ける大きさのテレビが欲しいのだ、せいぜい二万円くらいで――という人も、けっして少なくないと思うのである。

 でもって、そこそこ小さい地デジのテレビはないのかと電器店に行くと、なるほど、小さいのはある。だが、よく見ると、映像が粗い。それは、本来ケータイで観るべきワンセグを、無理やり少し大きめの画面に映しているだけの代物なのだった。ええい、ワンセグじゃない。おれんちは家の中ではワンセグの映りがきわめて悪い。おれが欲しいのは、一応ちゃんとした、いわゆる“フルセグ”の地デジ対応テレビで、しかもそこそこ小さく、そして、安いやつだ。ちゃんとアンテナ線を接続して観るやつだ。そういうのはないのか?

 と、いろいろ探した結果、行き着いたのがこいつである。9型のもあるが、二、三メートル離れて観ることを考えると12型がよかろうとこいつにした。案外ありそうでない、微妙なニッチに嵌ってる製品なんだよね、こいつは。大きすぎず小さすぎないフルセグの安いテレビ。大きめのデジタルフォトフレームで地デジを観るような感じなのだ。

 で、実際にわが家の所定の位置に設置してみると、おおお、いいじゃんか。文句ない。スピーカーは背面から音を出す方式なので、音はいまいちだが、音にこだわる人はアクティブスピーカーでも外付けすればいい。おれんちの使いかただと、内蔵スピーカーだけでまったく大丈夫。髭を剃りながら、ちらちらとニュースが観られればそれでいいのだ。

 おれは置いて使っているが、付属のVESA変換プレートを使えば、VESA対応のモニタ用アームなどに取り付けられるから、ベッドから自由に動けないお年寄りなどにもいいかもしれない。くれぐれも誤解のないようにしつこく書いておくと、こいつは小さいけどワンセグじゃないので、ちゃんと同軸ケーブルにF端子のついたアンテナ線を引きまわしてきて接続しなけりゃならない。だけど、それだけのことはあって、むろん、この大きさでちゃんとハイビジョンだ。

 機種にこだわらなきゃ32型が四万円代で買えるご時世に、12型で二万円前後というのは、なんだか損したような気もしないでもないんだが、おれが家事をしながらちらちら観る場所に置きたいサブのテレビは、でかいとかえって困るのである。テレビってやつは、大が小を兼ねない。“適大適所”なんである。どうしてそういうことを日本のメーカは理解してくれないかなあ。日本の家電メーカで商品企画をしている人たちは、みなよほどでかい家に住んでいるんだろうか。

 というわけで、いい商品を見つけたので、おれ的にはめでたしめでたしである。逆に、これほどの画質のテレビ放送がこれほど“小さい”画面に映っているのが、とてつもなく贅沢なことであるように思えてくる。「画面面積:価格」 のコストパフォーマンスはたしかに悪いが、いい買いものだった。


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2011年3月27日 (日)

『探偵!ナイトスクープ』スタジオ収録観覧

Knight_scoop_sticker

 おれには妹の娘である姪が二人いるのだが、この下のほうの今年高校を卒業したばかりの姪というのが、とにかくむかしから、おっそろしく、くじ運がいい。なんでもかんでも、面白いように当ててくる。めちゃくちゃにくじ運が悪い(“くじ運がない”といったニュートラルなものではない。積極的に“悪い”のだ)伯父のおれから、くじ運を全部吸い取って生まれてきたんじゃないかと思うほどの驚異の姪である。

 その姪がこのたび当てたのは、なんと、『探偵!ナイトスクープ』のスタジオ観覧。一組二名で参加できるということで、おれがこの番組のファンであることを知っている姪が、行けるのなら一緒に行ってほしいと誘ってくれた。持つべきものはくじ運のよい姪である。行かいでか。午後半休を取って、いそいそと姪と待ち合わせ、朝日放送へ向かった。移転前の朝日放送(ってのは、あの“大阪タワー”で知られたやつね)には、むかししばしば仕事で行っていた時期があったのだが、移転後に訪れるのは初めてである。おやまあ、ずいぶんと小洒落た雰囲気になりましたねえ。

 三月だというのにやたら寒い中を三十分ほど外で待たされ、ようやくスタジオへ。ををををを。見慣れたセットがきっちり組んである。テレビ画面に映る部分だけでなく、映らない部分にもこだわったすばらしいセットだった。テレビなんて、映るときにはどうせ二次元なのに、空間的奥行きが持たせてあるのだ。いわゆる“描き割り”といった感じではない。

 『探偵!ナイトスクープ』の収録は、いわゆる“二本撮り”である。二週ぶんを一度に撮る。だもんだから、姪と「ゲストは誰だろう? ラッキーだったら、すごい豪華ゲストが東京から来るかもしれんぞ」と事前にいろいろ推理していたのだが、妹と上のほうの姪は、「キダ・タローや、キダ・タロー」と、おれたちをおちょくっていた。いやまあ、そりゃ、ものすごい豪華ゲストが映画の宣伝かなにかでやってくる可能性はないとは言えんくらいの淡い期待であって、キダ・タローならキダ・タローで、最高顧問だから、べつにいいではないか。おれにとっては大学の大先輩であるし、ある意味、キダ・タロー最高顧問出演の回を観てこそ、ナイトスクープファン冥利に尽きるというものである。でも、安めぐみとか戸田恵梨香とか上野樹里とか本仮屋ユイカとか来ねーかなとかすかに思いつつ、わくわくと係員の誘導に従い席に着く。

 あわわわわわ。やっぱり、この姪はなにか持っている。おれたちは、左翼・中央・右翼とあるスタジオのブロックの中央の最前列のど真ん中になった。いわゆる“かぶりつき”である。なんという席順運! これ以上の席は望めないという最上席だ。出演者席はほんの数メートル先! 中央カメラのモニタがはっきり見えるほど。将来、この姪のダンナになるやつは、たいして努力もせずに、あれよあれよという間に巨万の富を築くにちがいないと確信した。

 間寛平の弟子という若者と二名の若いADによる、かなり寒いがゆえに微笑ましい稚拙な前説で、ある程度会場が温まったところへ、出演者登場。あの、オープニングの出演者たちが入場してくるところはこうやって撮影されているのだなと納得。テレビを観ていると、きっとあれはなにやらでかいホールみたいなところにちがいないと錯覚するのだが、実際には、三百名がぎゅうぎゅう詰めで入る程度のスタジオである。大学の大教室のほうがよほど広い。

 姪と顔を見合わせる。一本めの顧問は桂ざこばだ。なんというベタベタな、いつものナイトスクープ! いやまあ、それはそれでいいですとも。「せめて田丸麻紀」とちらっと思ったけどね、ちらっと。

 いよいよ収録という段になったとき、西田敏行探偵局長が改まった表情で立ち上がり、観客に呼びかけた。すでに一部メディアで報道されているとおり、福島県出身の西田は、観客と出演者に、今回の大災害の犠牲者のために、一分間の黙祷を呼びかけた。出演者は起立し、観客は着席したまま、静かな一分間が過ぎた。

 会場、しんみりとした雰囲気。では、ここからは雰囲気を戻していつものナイトスクープにと言う西田に、ざこば師匠が「……戻りまっか?」とひとこと。その絶妙の間に会場大爆笑、ほんとうに雰囲気を戻してしまった。さすがはざこば、タダモンではない。

 収録内容については、いずれ放映されることだから、細かくは書くまい。おれが長年知りたかったことがわかったので、それを書いておこう。

 テレビ番組によっては、ずいぶんと長く回して、実際に放送で使う部分はほんの一部といった撮りかたをするものもあるようだが、『探偵!ナイトスクープ』の場合、ほとんどが収録されたまま流れていると考えて差し支えない。放送では、一ネタが終わって、探偵のトークの途中で「♪ナーイトスクーーープ」というジングルが流れたあとCMに入るわけだが、収録ではそのあと、次のネタまでに担当探偵によるちょっとした雑談が続く。そして、すぐに次の依頼読みに移る。これはホントに、時間的インターバルは、ほとんど実放送どおりなのである。

 VTRを出演者や観客はどのように観ているのか――というのも、長年の疑問だったのだが、これもじつにシンプルであっけない。VTRが映し出されるモニタは全部で七つあり、そのうち四つは観客用、三つは出演者用である。観客用のモニタ四つのうち二つは特大モニタで、地上三メートルくらいのところに観客に向けて右翼と左翼にひとつずつ、少し小さいモニタは地上一・五メートルくらいのところに右翼・左翼ひとつずつが用意されている。よって、VTRを観るときは、かぶりつきの席はむしろ観にくく、右か左かどちらかを向いて観なくてはならない。出演者たちは、二、三メートル離れた三つのモニタを、正面下方に見下ろすカタチで観ているのだ。VTRがはじまると、会場は暗転し、真っ暗な中に、モニタの光に照らされた出演者たちが、VTRの内容に反応して泣いたり笑ったりしているさまが、ぼんやりと浮かび上がっているという状態である。局長や顧問は、できるだけ積極的に音声でリアクションを取るようにしているようだ。

 秘書の松尾依里佳が、リアルで観ると、テレビよりはるかに美しいのに仰天した。テレビでは主に上半身ばかりが映るので、ちょっと横に幅があるガッチリした体型に見えるのであるが、実際に全身を一度に視野に収めると、存外にほっそりしていて惚れぼれするような美脚であり、品がいいのに庶民的という、ナイトスクープの秘書に持ってこいの雰囲気を常時放射しているのだった。こりゃ惚れる。

 あの“エンド五秒ギャグ”はどう撮っているのか――というのも、おれの疑問だったのだが、これもじつにオーソドックスというか、バカ正直というか、一本撮り終えたあとに、ほんとうに放映どおりのタイミングで、あのギャグを撮っているのであった。真相とは常に単純なものだなあ。

 一本めの収録が終わり、少し休憩。また寒い前説。で、出演者入場!

 おれは苦笑している姪と顔を見合わせて苦笑した。

 二本めの顧問は、最高顧問、キダ・タロー先生である。いやべつにがっかりしていませんから。していませんとも。名誉なことです。ビッグなアーティストを目の当たりにできて、関西人冥利に尽きる。ビッグですともー、顔のサイズも! 松尾依里佳の倍くらいある。

 二本めの収録が終わり、西田局長と松尾秘書が、観客席に笑顔をふりまきながら、おれたちの目前、五十センチくらいのところを通りすぎていった。松尾依里佳、脚きれーだなー、エロいなー。姪が、「あの秘書の人、脚きれいやったなー。お父さんやったら、食い入るように脚ばっかり見はるわ、絶対」って、おい、義理の弟よ、娘にフェチを見破られているぞ。まあ、おれもそうだけどな。

 収録後、観客が案内に従って、徐々に退場。収録前に松尾秘書から、義援金の募金のお願いがあり、今回は特別に、速やかに東京へ帰らなくてはならない出演者も残れるかぎり残って、観客に募金のお願いをしてくれるのだという。

 姪は石田靖のファンで、握手してもらって言葉を交わしたとずっと興奮していた。おれも募金して数人の探偵と握手し、「ラジオ、ポッドキャストで聴いてますよ」と、カンニング竹山探偵と言葉を交わした。あとで姪と意見の一致を見たのは、「寛平ちゃんの手、がっちりしててすごかったな」ということである。世界一周マラソンを成し遂げた鉄人と握手ができたのは、おれにとっても姪にとっても、なにやらとてつもないエネルギーがもらえるかのような、貴重な体験であった。姪は、世界一周どころか東京マラソンで死にかけた松村邦洋探偵に「赤い眼鏡がよく似合うね」と言われて照れていた。おお、松村、さすが見る目あるね、だろ? わが姪ながら、似合うだろ? いいんだよ、こいつの眼鏡、ちょっと萌えるだろ。命あってのものまねだね、まったく。

 姪と二人きりでデートするのは初めてなので、帰りには、未成年女子同士では行きにくいであろう焼き鳥屋に連れていってやった。店内はおっさん・おばはんばっかりで、姪は興味津々といった風情で店内を見まわしていた。さすがに酒を飲ますわけにはいかないので(じつは、姪は家では発泡酒をガブガブ飲んでいる)、ソフトドリンクで焼き鳥の盛り合わせを食わせた。あと二年くらいしたら、堂々と酒を飲みに行こうぜ、わが姪よ。

 JR京橋駅で京阪に乗り換えようとすると、むかしコブクロも唄っていたというあのスペースに、黒山の人だかりができている。おや、並みのシンガーソングライター程度では、この人だかりはないなと思って近寄ってみると、ZANGEというストリートパフォーマーが、なかなかにすごい藝を披露している。姪はこういうのを観るのが初めてらしく、興奮したようすでデジカメを構えて動画を撮影していた。

 『探偵!ナイトスクープ』の収録を観られたうえに、ハイクオリティーの大道芸人まで観られてラッキーだったなあと、京阪中書島駅で姪と別れる。

 この姪は、阪神淡路大震災のときには、生まれてはいたが、その記憶はまったくないという。だが、やはりなにか記憶が残っているのか、揺れはじめると、なにやら説明できないものすごい怖さが襲ってくるのだそうだ。かもしれんなあ。あれを赤ん坊のときに体験しているのだから、無理もあるまい。

 これからの日本は、けっこうシビアな状況になるだろうが、次におまえとデートするときには、サシで酒を飲みたいもんだな、くじ運がめちゃくちゃにいい、わが姪よ。


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2011年2月19日 (土)

滑稽なまでの能力の欠如

 さっきの『探偵!ナイトスクープ』「立ち幅跳びができない妻」に驚愕した。なんと、いくらがんばって跳ぼうとしても5センチしか跳べない主婦が登場。5センチて……。ふつう、なにげなく前に倒れていって、ぴょんと跳んでも20センチや30センチは跳んで“しまう”と思うんだが、なんとも不思議な人だ。わざと跳べない演技をするにしたって、これほどの運動音痴のふりは難しいにちがいない。なにかこう、ロボットに、まったくプログラミングされていない動作を無理やりさせているかのような感じなのである。

 その運動音痴ぶりがあまりに滑稽なので大爆笑しながら観ていたのだが、それがなにやら徐々に戯画のように見えてきて、しまいにはうすら寒い恐怖を覚えた。人間というものは、本能でなにかができるということがほとんどなくなってしまっていて、適切な学習をし損ねると、信じ難いばかりに能力を欠くことがあるのだということを、まざまざと見せつけられたからだ。以前にも、「7+6」とかに考え込んでしまうほど、一桁の足し算すら指を使わないとできない人が複数登場したことがあったが、あのときの恐怖がよみがえった。

 なぜ怖いかって? だって、考えてもみてほしい。この人たちは、立ち幅跳びができないとか一桁の足し算が暗算でできないとか、客観的に測定ができる、たいへんわかりやすい能力の欠如を抱えているぶん、まだましなのかもしれないのだ。もしかすると、5センチしか跳べない人を見て笑っているおれも、ふつうの人なら当然身につけているはずの能力を、滑稽なばかりに欠いているのかもしれないではないか。その欠如が浮き彫りになる状況に、たまたま遭遇しないだけで。

 たとえばおれはすごい方向音痴だが、その方向音痴具合を立ち幅跳びに換算(?)して可視化すると、必死で跳んで5センチ以下なんてことになるのかもしれないじゃないか。

 おれが自分でも「ほとんど障害と呼べるレベルかもしれんなあ」と自覚するのは、人の感情を読み取る能力の欠如である。立ち幅跳びに換算すると、跳んで2センチみたいな感じ。いや、おれは自分で言うのもなんだが、おれの頭の中だけであれば、かなり繊細な世界を生きているつもりなんだが、おれ以外の人がなにを感じているかなんてのは、想像の埒外だ。「おれだったらこう感じるんだが、だからといって他人もそうだと推測する根拠はなにもない。ゆえに、わからんもんはわからん」というのが、おれの中の他人の感情というものの扱いだ。それでも、長年生きているうちに、なんとかかんとか生活に支障を来たさない程度には推測できるようになったが、こりゃもう、わからんもんはわからん。

 とくに、たいていの人が持っているらしいのにおれの中にはまったくない心の動きとか、おれにとってはものすごく大事ななにかなのに、たいていの人は感知すらしていないとしか思えないものというのがたしかにあって、こういうのが絡むシチュエーションは要注意だ。「おれがこう感じるから、きっとこの人もこう感じてくれるだろう」という推測が裏目に出ることがしばしばある。「自分がしてほしいように相手にもしてあげよう」とか「自分がしてほしくないことは、相手もしてほしくないはずだ」とかいった緩やかな前提がないと、思いやりとかなんとかはそもそも成立しないんだが、「おれはこういうふうに扱われると心地よいのに、なんとこの人は不愉快なのかぁ」などと愕然とすることが人生で何度もあると、おれが異常なのかおれは正常で世間の大部分の人が異常なのかを考えてもしかたがなく、「まあ、とにかく、おれは多数派ではけっしてない。おれにはなにかが滑稽なほどに欠けているのか、世間の人が滑稽なまでに余計なものを抱えて生きているのかなのだ。そういうものだ」と用心深くなる。

 結局のところ、明示的に表現されない感情を勝手に推測してこちらが行動するのは、おこがましいおせっかいであると結論せざるを得ない。よって、日本語で“思いやり”と呼ばれているものをこちらが勝手に発動する場合には、「おこがましいおせっかいを他人に押しつける独善的で支配欲に満ちた極悪非道の人非人」くらいに思われてもかまわないくらいの覚悟を持たねばならないと考えている。

 え? そんなことをいちいち言葉にしてうだうだ考えている時点で、おまえは“日本人として5センチも跳べてない”んだよって?

 そ、そうかもしれん。が、それが日本人なんだったら、おれはもっと跳びたいとは全然思えないんだよなあ。


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2010年12月 8日 (水)

10時のニュース/きよしこの夜

 ……以上、番組の前半では、予定を大幅に変更して、市川海老蔵さんの緊急記者会見のもようをお送りいたしました。引き続いて、天気予報です。

 ……以上、お天気でした。さて、各地のニュースと外電です。今日、午前十一時ころ、尖閣諸島沖にて、中国の漁船が海上保安庁の巡視船三隻を誤って砲撃、撃沈しました。政府は、「個別の事案についてコメントは差し控えたいが、まことに悲しい事故ではある」とコメント、事故は現地警察と海事によって粛々と処理されました。

 今日、午後二時ころ、ロシアのメドベージェフ大統領が専用機で突如札幌に飛来、「わが国にも、こういうにぎやかなところがあったのか」と薄野で約二時間豪遊して飛び去りました。 

 先日来世間を騒がせていた暴露系サイトの代表がロンドンで逮捕されました。

 今日、午後五時ころ、北朝鮮から飛来したと思われる飛翔体が長崎市の浦上天主堂付近に着弾、訪れていた観光客ら、約三百人が死傷しました。政府は「事前に通告は受けていない。現地警察は、法と証拠に基いて適切に事故として処理していると信じる」とコメント、現地警察は事故として処理しました。

 今日も平和な一日でしたね。以上、10時のニュースでした。おやすみなさい。


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2010年11月29日 (月)

未来から来た工作員?

 先日の『小島慶子 キラ☆キラ』で、映画評論家の町山智浩氏がアメリカで上映中の Fair Game という映画を紹介していた。(映画公式サイトはこちら

 この原作本は、元CIAの女性秘密工作員が書いたもので、CIAの検閲によって「むかしの日本の終戦直後の教科書みたい」((C)町山智浩)なありさまになっており、あちこち黒塗りだらけというすさまじいものらしい。裏返すと、「書いてもいい」とCIAが許してくれた部分だけが堂々と出版されているわけで、CIA公認の暴露本と考えてもよいのだ。

 面白そうなので、先日 kindle を買ったのをよいことに、さっそく原作の kindle 版を買ってみた。安いなあ。個人の消費者にとっては、円高万々歳である。

 紙版は墨塗り教科書みたいだということだが、電子書籍はどうなのかとパラパラ見てみると、こんな感じ―― 

[Text has been redacted here.] but I thought if it didn't pan out, I could find something on Capitol Hill or in the Peace Corps.  In the meantime, I found a job as a management trainee with a [Text has been redacted here.]  Washington department store [Text has been redacted here.].

 なにやら朝比奈みくるが書いたかのような独特の味わいが捨て難い。紙では出せない電子書籍の味とでも申しましょうか。丸谷才一「年の残り」のようでもあり、筒井康隆「弁天さま」のようでもある(そうかぁ?)。まあ、電子書籍でも■■■■■■■■■■■■■■とでもすれば、それなりに紙の黒塗りの真似はできるだろうけどなあ。


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2010年10月 3日 (日)

『さそり』(監督:ジョー・マ/主演:水野美紀)

 

「八代目さそりは、水野美紀が演るってことはずいぶん前から話題になってるが、これも期待したいねー。いやあ、おれ、水野美紀は好きだからね。彼女のクールな美貌と引き締まった肉体とアクションは端倪すべからざるものがある。水野さそりのDVDが出たら買っちゃうだろうね、たぶん」と言っていたとおり、買いましたよ、観ましたよ、水野さそり。

 梶さそりの四作に通底していたサヨク臭は、当然のことながら、香港映画にはない。そういう意味では、たかが女囚ごときが国家と闘っているという悲壮感と痛快感はこの香港映画にはないわけである。それはそれでよろしかろう。むしろ、国家などというちっぽけなもの以上のものと闘っているという感じが出ている。

 この監督と脚本家は、ちゃんと梶さそりをじっくり観ていて、梶さそりに対する敬意を表現しているんだなあと思わせるところがあるんだよね。「香港映画のさそりなんて、さそりじゃねー」と思っていたんだけど、このリスペクトを感じた時点で、「いいじゃん、さそりとして認めてやろう」という気になった。

 梶さそりの殺しは、匕首をどてっ腹にぶちこんで相手の目を見ながらぐりぐりえぐるという、あくまで“昭和の女の殺し”なんだが、水野さそりは当然ちがう。日本刀を振り回して、自分を陥れた悪人どもを、バッサバッサと斬り倒すのである。 伝統的なさそりは真っ黒なさそりなんだが、水野さそりは、深紅やパープルのさそりだ。『BLOOD+』みたい。とにかくカッチョいい。

 獄中でさそりをいたぶる、お局様的な先輩女囚には、伝統的に白石加代子を代表に、えげつないばかりの個性派女優がキャスティングされてきたわけだが、この香港さそりでは、その役回りを夏目ナナが引き受けている。いいねえ。すごい存在感だ。水野美紀は少林寺拳法の心得があるし、いろいろアクションドラマの経験もあるが、夏目ナナはまったくの素人なのに頑張っている。いいねえ、夏目ナナ。

 いいだろう。梶さそりのファンとしても、これは「さそり」と認めよう。おれは、多岐川裕美夏樹陽子岡本夏生のさそりは観たが、それらは“さそりもどき”であって、さそりとは認めない。だが、水野美紀のさそりは、平成さそりとして評価する。いいね。

 これを観ると、日本の芸能界は、水野美紀を使い損ねているんじゃないかと思いますなあ。『恋人はスナイパー』とかはよかったけど、そのほかはとてももったいない使いかたをしてるんじゃないの?  志穂美悦子の後継者は、紛れもなく水野美紀だ。


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2010年8月14日 (土)

京都買います?

 夏休みで天気もよかったので、ふと気まぐれに平等院へ行ってみる気になった。八月になってから『怪奇大作戦』を全話(もちろん、第24話は除く)観直し“おさらい”してみて、「京都買います」の映像美に改めて感嘆したので、近場のロケ地を訪れたくなったのかもしれない。ラストシーンの祇王寺とかへ行くのは、京都の南の端に住んでる者にとっては、けっこうたいへんだからね。休みに外に出てみようと思っただけでも、超出不精のおれにとってはきわめて珍しいことなのだ。

Byodoin01 京阪電車宇治駅から平等院までの道には、いろいろなお店がある。宇治だから、圧倒的にお茶屋さんが多いが。

Byodoin02 SFファンなら、なにやら妙に敬意を抱いてしまう名前のお茶屋さん。

Byodoin03 ここも通販で全国的にも人気。お茶を使ったお菓子がいろいろある。

Byodoin04 十円玉の“表”でおなじみ、平等院鳳凰堂。正面右から。

Byodoin05 屋根に付いてる鳳凰は、手塚治虫『火の鳥 〈鳳凰編〉』でおなじみ(そういう連想しかできんのか)。拝観料六百円には、敷地内の博物館「鳳翔館」への入館料も含まれているが、鳳凰堂の中に入るには別途三百円が必要(決まった時間に五十人ずつガイドに連れられて入る)。写真撮影禁止の「鳳翔館」の中には、鳳凰堂の屋根にある鳳凰のレプリカなどが展示されている。『火の鳥 〈鳳凰編〉』で茜丸が作る“駄作”の鬼瓦もある(笑)。

Byodoin06 『怪奇大作戦』の「京都買います」で、仏像を愛する女・美弥子斎藤チヤ子)が古びた木製のベンチに腰掛けて鳳凰堂を愛でているところに、SRIの牧史郎岸田森)が背後から歩み寄って声をかけるシーンと、ほぼ同じアングルから撮ってみたのだが、撮ってみて気づいたのは、「京都買います」のこのシーンは、かなり高いアングルから撮っているということだ。高いところから撮ると、美弥子と鳳凰堂のあいだに池がきれいに写るのである。おれの身長くらいの高さで撮ったのでは、このアングルでは池は写らない。また、美弥子がいる陸地の形も池の面積も、植木や柵の杭のありさまも、『怪奇大作戦』撮影当時とは変わっている。そもそも、ここにはベンチなどないのだが、これはまあ、撮影のために臨時に置いたとも考えられる。また、この写真の左に見切れている樹は「京都買います」の当該シーンにはないが、けっこうな古木だからこれは当時もあったろう。たぶん、ギリギリ樹が写らないようにこの写真よりもちょっと右に回りこんだところにカメラを置いたのだろう。

Byodoin07 ちょっとしたハプニング(?)。ほんものの鳥が、二羽の鳳凰のあいだに留まった。ぴったりど真ん中に留まっているということは、この鳥、鳳凰に気を遣っているのか? 面白い写真が撮れそうなので、おれもしぶとく待ち、シャッターチャンスを狙う。

Byodoin08 やっぱり、どう見てもこいつ、鳳凰を仲間だと思っているらしい。

Byodoin09 反対側にまわり込んでも、まだなにやら鳳凰に話しかけて(?)いる。「そんなに肩肘張るなや」とでも言っているのだろうか。

 おれは個人的にはべつに平等院がそれほど好きではない。近場だから、『怪奇大作戦』のロケ地だから、出かけてみただけた。十数年ぶりだろうか。平等院ってのは、なんかこう、なに不自由ない貴族が、死だけは誰にも平等に訪れるという厳然たる事実を不条理に感じて(おれはこんなに金持ちで、こんなに現世の権勢を誇っているのに!)、金にあかせて極楽浄土を模してみただけの意地汚い建築物のように見えてしかたがない(いやまあ、専門家の方々はいろいろご意見もあるのだろうが、おれは素人だから)。その意地汚さの中で、あの鳳凰だけは、なぜか人類共通の憧れの象徴のように、美しく、雄々しく翼を広げている。きっと、そうした人間の意地汚さと鳳凰の美しさの対比こそが、手塚治虫の創作意欲を刺激したのだろうなあなどと想像するのは楽しい。



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2010年8月 4日 (水)

死神の子守唄

♪十人の首相が旅をした 十人の首相が旅をした
 総辞職して 一人めが死んだ

 九人の首相が旅をした 九人の首相が旅をした
 龍に追われて 二人めが死んだ

 八人の首相が旅をした 八人の首相が旅をした
 山が動いて 三人めが死んだ

 七人の首相が旅をした 七人の首相が旅をした
 血管が詰まって 四人めが死んだ

 六人の首相が旅をした 六人の首相が旅をした
 失言続きで 五人めが死んだ

 五人の首相が旅をした 五人の首相が旅をした
 子供を遺して 六人めが死んだ

 四人の首相が旅をした 四人の首相が旅をした
 腹を壊して 七人めが死んだ

 三人の首相が旅をした 三人の首相が旅をした
 あなたとはちがって 八人めが死んだ

 二人の首相が旅をした 二人の首相が旅をした
 漢字が読めずに 九人めが死んだ

 残った首相が旅をした 残った首相が旅をした
 世間知らずで そして誰もいなくなった



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