カテゴリー「学問・資格」の8件の記事

2008年6月24日 (火)

天文学者になればよかった

 なんか、このところ、『サイエンスZERO』(NHK)と『溜池Nowはミッドタウンにお引っ越ししました』(GyaO)で、立て続けに国立天文台の渡部潤一准教授を観たぞ。ということはナニだ、渡部准教授は、短いあいだに立て続けに安めぐみ中川翔子に会っているわけである。う、羨ましい。ついでに言うと、スピードワゴン小沢と、バカリズムにも会っているわけだが、そっちはあんまり羨ましくないかも。

 いいなあ、天文学者などという、地味も地味、地味ここに極まれりといった仕事にこのような役得があろうとは、いったい誰が想像するであろうか。そうと知っておれば、おれも天文学を志したかもしれぬ。動機が不純だ。

 いやいやしかし、『サイエンスZERO』や『溜池Nowはミッドタウンにお引っ越ししました』を観た全国の青少年の中には不純な動機で天文学者になろうと思っているやつがすでに何人かいて、勉強しはじめたところがホントに面白くなってしまい、そのうちホントに学者になって大発見をしたりするかもしれない。で、その学者がまたそのころのアイドルに立て続けに会い、それをメディアで観たそのころの青少年にまたまた不純な動機を植え付け、将来の大発見のきっかけを作るかもしれない。いや、広報ってのは大事だよ、ホント。



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2008年6月 1日 (日)

しっかりしてくれ、大学

大学入学式に父母出席 これは「過保護なのか」論争 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/05/31020864.html

学生の数を上回る父母が出席した東京大学の2008年入学式で、特別栄誉教授の安藤忠雄さんが「子離れしろ」と発言した。メディアでも取り上げられ、「これは過保護なのか」がネットで議論になっている。

 そりゃ、過保護だよ。過干渉というべきか。入学式ならほんの少しは気持ちもわからんでもないが、入試にまで親がついてくるとなると、失笑を禁じ得ない。幼稚園、小学校の“お受験”じゃあるまいし、親がついてきた時点で、そんな受験生は不合格にしてしまえ。

 話には聞いていたが、事態はおれの想像を上まわってるみたいだなあ。東大にかぎった現象でもないらしいのが情けない。もはや、大学の入学式に親が出てくるのがあたりまえという時代になりつつあるのだろう。

 私立大学だったら、学生もその親も“顧客”だから、のこのこ入学式についてゆきたいという親が増えてきたら、つっぱねるわけにもいかなくなってくるのが資本主義というものでありましょうが、国公立大学こそ、「親のための場所などない。どうしてもわが子の晴れ姿が見たいなら、慎ましく門の外で待っておれ」と毅然とした態度を示すべきだろう。安藤忠雄、よく言った。

 大学も大学、親も親なら、学生も学生だ。十八にもなれば(十九、二十歳だってざらにいるだろう)、親がついてゆきたいなどと言おうものなら、恥ずかしいからやめてくれ、大学にも迷惑だと思うもんなんじゃないだろうか? 「思うもんなんじゃないだろうか?」と言ったところで、事実、そうじゃないんだから詮ないことではありますが……。

 まあ、若者がどんどん減ってゆくわけだから、そのうち企業だって、新卒学生様、その親御様のご要望をもったいなくもありがたくも尊重させていただかざるを得なくなり、入社式にのこのこついてくる親のための席を用意するようになってくるかもしれんな。このままゆくと、その可能性は高いと見た。学生様や親御様の不興を買うと、優秀(だが過保護な)学生様が来てくれなくなるからだ。

 大学も学生も親もそれぞれに情けないと思うが、いちばん情けないのは、やっぱり大学である。学生と親は自分たちの閉じた世界でおままごとをしておれば、まったりと時間の止まった Win-Win の関係(?)が維持できて心地よいのかもしれんが、そのディストピアを“外の価値観”でガツンとやって破壊するのが、教育機関としての大学のあるべきスタンスだと思う。ぬるい親の侵攻も撃退できずに、“大学の自治”などちゃんちゃらおかしい。



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2008年5月27日 (火)

ズルはアホよりタチが悪い

コピペしたリポート、ばれちゃうぞ 検出ソフト開発 (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0525/TKY200805250186.html

 インターネット上の公開情報を引き写しただけの「コピー・アンド・ペースト(コピペ)」でないかをチェックするパソコンソフトを、金沢工業大学教授が開発した。コピペは学生のリポートなどで横行しているとされ、先生らには朗報になりそうだ。
 金沢工大知的財産科学研究センター長の杉光一成教授が今年2月に特許出願した。来年にも市販する予定という。
 電子データで提出された文章をソフトに入力すると、翻訳ソフトに使われている「形態素解析」という技術で、文章を文節や単語に分解。それぞれの文節や単語をネット検索し、類似した文章がネット上で見つかれば、URLを表示して知らせる。複数のリポートを比べて、学生同士が写し合っていないかチェックすることもできる。
 杉光さんは一昨年、学生に課したリポートを読んでいて、学生2人の表現が似ていることに気付いた。共通する文章をネット検索したところ、あるブログからの引き写しとわかった。同僚もコピペに悩んでいると知り、昨夏、開発に着手した。
 杉光さんは「先生が不正を見抜く技術を持てば、学生には大きな抑止力になるはず。安易にコピペできなくなれば自分で文章を考えるから、学生のためにもなる」といっている。(山口智久)

 ほおお、こりゃいいや。前から、こういう学生の意地汚い根性にむかついていたのだ。稲葉振一郎さんにとっても朗報であろう。

 なにがむかつくと言ってだな、要領だけいいのがむかつく。要領がいいことはたしかに少なからぬ局面で大事なことであるが、要領だけいいのがむかつくのである。勉強してないのなら、堂々と悪い点を取るという潔さはないのか。また、勉強してもダメだったのなら、少なくともその科目においては自分には才能がないのだと受け容れる潔さはないのか。自分が得られるもの以上のものを要領よく得ようとする、そのこすからい根性がよろしくない。吐き気を催す。

 たしかに世の中には、なにをやらせても人並み以上という才人もたまにはおるが、自分がそうなのかそうでないのかくらいは、まともな人間であれば人生の早いうちに自覚するはずである。誰にでも得手不得手はある。なんに於いても、的確に現状を把握しないことには、立てるべき戦略、次に打つべき戦術など、策定のしようもない。等身大の自分以上のものを、分不相応にも得ることにだけに血道を上げる人生など、くだらないことおびただしい。おれはアホは許すが、ズルは許さん。英語には deserve といういい言葉がある。おのれに見合わないものを受け取って嬉しいか? 嬉しいなどというやつは、その程度の人間なのだ。全世界が賞賛しようとも、自分にとって納得がいかなければ、そんなものには価値がないと考えるのがサムライである。

 大学の先生に於かれては、ぜひこのようなソフトを活用なさり、要領だけよければいいのだと思っているような根性の腐った学生どもをどんどん落第させていただきたい。そういう性根の腐ったやつらが、カタチさえ踏んでおけば本来の目的などどうでもよいと考えるような、腐った小役人になり下がる(というか、当然のようになる)のにちがいない。日本の将来のためにも、そういうズルいやつらを叩き潰しておかねばならない。自分が怠け者だアホだと自覚したやつは強い。そこから進歩する無限の可能性を秘めている。だが、ズルはどこまでいってもズルのままである。一生ズルだ。そんなやつらを栄えさせてはならない。叩き潰しておくのは、大学の重要な使命だと思うぞ。



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2008年3月 9日 (日)

山中伸弥教授がカッコよかった『サイエンスZERO』

 このところいろいろとバタバタしているので周回遅れで録画を観ている『サイエンスZERO』、今回のお題は「夢の万能細胞に挑む」。人間の皮膚から万能細胞「iPS細胞(induced pluripotent stem cell)」を造り出した時の人、京都大学再生医科学研究所の山中伸弥教授がゲストだというので興味津々。このあたりが痩せても枯れても腐ってもNHKだ。

 山中教授はおれと同い年なのである。SFギョーカイで囁かれる“魔の1962年生まれ”だ。遅かれ早かれ、ノーベル医学・生理学賞を取るにちがいない。いやまったく、おれは生まれて四十五年間もぼけーっといったいなにをしておったんだろうねと思わされますなあ。

 まあ、あくまでテレビで観た感想ではあるが、実直を絵に描いたような人ですな、この先生は。すごい科学者というと、なんとなくエキセントリックな天才肌の人をステロタイプとして連想してしまうのだが、山中教授はそんな感じではない。やるべきことをこつこつこつこつこつこつこつとやってきたからこそ、人のやれない仕事にたどり着いたという感じだ。

 山中教授の態度や雰囲気は、昨日もネタにした『生物と無生物のあいだ』がとくに共感を込めて讃えている、大発見の一歩手前でそのジャンプ台を地道に作った陰の英雄とも言うべき報われなかった偉大な科学者たち――DNAこそが遺伝子の本体であることを地道に解き明かしたオズワルド・エイブリーや、X線結晶学を武器にDNAの二重螺旋構造解明に繋がる写真を撮影していた夭逝のロザリンド・フランクリンなどなど――を連想させる。華々しい天才という感じがしないのだ。きっと山中教授自身も、「おれは生物学に巨大な足跡を記した大天才である」などとは、微塵も思ってらっしゃらないことであろう。ただ、地道な探求を通じて養われた prepared mind に来るべくして来るアイディアが降ってきて、自分以外の誰に訪れても不思議はなかったかもしれぬ僥倖がやってきた程度にしか考えてらっしゃらないのではなかろうか。むろん、そのような僥倖を掴める状態に自分を持ってゆき、それを維持できることが、客観的に見ると、とんでもなく非凡な才能なのである。

 「人の役に立ちたい」という元臨床医としての使命感を保ち続けて、(多くの場合はあまり報われることのない)基礎研究を地道に続けていらした姿にも頭が下がる。モーツァルトよりベートーヴェンが好きな人は、たちまち山中教授のファンになってしまいそうだ。いやあ、この先生がノーベル賞を取る日が楽しみだなあ。



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2006年11月25日 (土)

学力なるものを向上して、いまの時代、なんの得がある?

一億総学力低下時代 (内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2006/11/22_1104.php

 おれの考えと通底する部分があるのだが、さすがは現場の方だけあって、醒めた明晰な論理を展開していらっしゃる。まったくそのとおりだと思う。

 これが最大多数の最大幸福だというのなら、おれは嬉々として不幸になりたいね。



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2006年7月20日 (木)

これではよくないのだ

 洞口依子のブログで紹介されていたので、晩飯食ったあとで受験してみた。四度落ちたのであきらめた。バカ田大学にすら入れないとは情けない。おれも耄碌したものだ。くそー、この学生証、見てると欲しくなってくるよな。洞口氏は一発で合格したというのだから、やっぱりこの人はすごい。



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2006年5月20日 (土)

「『フェミニズム』ってなんですか?」

 『内田樹の研究室』ブログ「エビちゃん的クライシス」(2006年05月20日)を読んで、内田氏が驚いているということにおれが驚いた。おれも最初のころはこういう現象にいちいち驚いていたのだが、最近は「そういうものなのだ」と思うようにしているからである。

 この「[間歇日記]世界Aの始末書」を長らく読んでくださっている方であれば、あの「月をなめるな」や、「『ヨクネン』って何のことですか」、あるいは「水をなめるな」といった話をご記憶であろう。有名女子大で「現代思想・現代文化論」を学ぶ学生が「『フェミニズム』ってなんですか?」という根源的な問い(?)をあっけらかんと発するという事態は、内田氏が憂えているような、フェミニズムのもたらした最良の知的資産の継承云々といった限定的な問題ではないにちがいない。これは「月をなめるな」と同次元の現象だろう。そういう意味では、内田氏の心配は杞憂だと思われる。“その程度の現象はあちこちで常態になっているのだから、ことさらそのことだけを心配するには及ばない”というのを“杞憂”と呼ぶのが日本語として正しいかどうかを度外視すればだが……。

 これがなにかの危機なのかどうかすら、おれは最近よくわからなくなっている。いいことなのか、悪いことなのかすらわからないのだ。ただただ、個人的には“寂しいこと”だとは感じる。その寂しさは、たとえば、むかしは“ヒット曲”と呼ばれていた歌謡曲を誰もが口ずさんでいたのに、いまでは何百万枚売れようが知らない人はまったく知らないのがあたりまえになっているのを痛感するときに感じる寂しさに少し似ている。

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2005年11月 8日 (火)

ちょっとスタンフォードまで

 「スタンフォード大、iTunes経由で講義などを配信」という記事を読んで、さっそく「Stanford on iTunes」にアクセスしてみた。

 なんのことはない、要するに、スタンフォード大学が講義やらなにやらをポッドキャストしているわけである。こいつはいいや。英語の訓練に持ってこいだ。しかも、タダ。タダですぞ。iTunes 経由だからデータはACC形式なんだが、Music Store とはちがってコピーガードのない m4a ファイルだから、iTunes の標準機能で簡単に mp3 に変換できる(ちょっと面倒だけど)し、コピーもし放題だ。つまり、iPod 以外のデジタルプレイヤーでも、持ち運んで聴くことができるわけである。これ、ほんとにタダかい? よっ、スタンフォード大学、太っ腹。

 「ポッドキャスティングとは、猥談を世界に向けて放送することの謂ではないのか」とおれは密かに思っているほど、実際、巷のポッドキャスティングにはやたらエロ話が多いけれども、スタンフォード大学にはさすがにエロ話はなさそうだ。聴いてみると、先生が学生に質問してたり、板書してるチョークの音まで入っていたりして、なかなかリアルな講義(意味不明)である。

 いやあ、それにしても、家に居ながらにして、咥え煙草でキンタマの裏を掻きながらスタンフォード大学の講義が聴けるとは、とんでもない時代になったもんじゃのう、婆さんや。SFだなあ。

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