カテゴリー「学問・資格」の12件の記事

2009年7月12日 (日)

呆れるほどわかりたいもんだなあ

 夏休みを目前にして、予備校やら家庭教師派遣会社やらのテレビCMが増えてきたが、東進ハイスクールの先生が「でも、絶対わからせますから。ホントに、呆れるほどわかるほどわからせますから」と宣言するCMには、大爆笑してしまった。

 いや、べつにおれはこの先生を揶揄しているのではない。むしろ、予備校の先生としては、きわめて正しい態度だと思う。大人がこういうのを見ると、言葉の綾というものだと話半分に捉えてあたりまえだが、不安でいっぱいの自信もない受験生にとっては、とても頼もしい先生に見えるだろう。「これだけ大口を叩くからには、わからせる自信があるにちがいない。“嘘つき”と言われるかもしれないリスクをこの先生も負いながら大口を叩いている。これだけコミットしてくれるのなら、おれも死にもの狂いでついていってみようか」と思う生徒もいるだろう。医者が不安そうにしていると患者も不安になるわけで、“病気を治す・克服する”という明確な目標を前にした場合、やはり、医者は(本音では不安でも)自信たっぷりな態度を演じなくてはならない。演じることが、プラグマティックに患者のためになる。

 してみると、医者と予備校の講師というのは、とてもよく似ている。実際に病気と闘うのは患者だし、実際に入試を受けるのは生徒なのであって、医者や講師はどれだけ親身になってくれようが、しょせん当事者になることはできない“サポートの専門家”なのである。生きる気がない患者や勉強する気がない生徒を助けろといっても、それは無理な話だ。ブラック・ジャックだってそんなことはやっとられん(まあ、彼はお人よしだと自嘲しつつも、患者を生きる気にさせるところまでしばしばサポートしてしまうわけだが……)。

 で、おれがなぜ爆笑したのかというと、「呆れるほどわからせる」というフレーズが、滑稽さと真剣さがないまぜになった、じつに秀逸なコピーだったからだ。ふつう、「わかる」という動詞を修飾する言葉としてはまず使わないよな、これは。「昨夜焼きいもを腹いっぱい食ったら、呆れるほど屁が出る」みたいなことは、ふつうに言いますけどねえ。なにかが「呆れるほどわかる」状態などというものがもしあるのだとすれば、それはぜひ一度は体験してみたいものだという気になるじゃないか。

 もちろん、おれは生まれてこのかた、いまだかつて一度も、なにかが呆れるほどわかったことなどない。これからも、たぶん死ぬまで一度もないだろう。そもそも、自分が多少は詳しいことであっても、なにかを知れば知るほど、わからないことが増えてゆくのがふつうである。なにかが“わかる”と、それまでは“わからないということさえわからなかった”ことが、ようやく“わからない”という領域に新たに浮かび上がってくる。知識が増えると、増えたぶんよりはるかに多く、未知が増える。つまるところ、わからないことが増えるということこそが、なにかがわかるということなのだとすら、おれはこの歳になってようやくしみじみ思っている。まあ、そんなこたあ、そこそこ生きてきた大人ならみんな思っているだろうし、この先生だって百も承知なのだ。そこをあえて「呆れるほどわからせる」と演じてみせるこの先生には、たしかにプロとしての気概を感じる。

 それこそ孔子じゃないが、森羅万象の真理が朝に「呆れるほど」わかったら、おれもべつにその夕方に死んだってかまわない。もっとも、呆れるほどわかってみると、「これをぜひ人にもわからせたい」という新たな欲が出てくるものなのかもしれんが……。

 「そ、そうか……。つまり、“42”だったのか!」



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2009年6月11日 (木)

詐欺から身を守るための二つの呪文

 (1)AとBに相関関係があるからといって、因果関係があるとは言えない。
 (2)AとBが無相関であるからといって、それらが常に独立であるとは言えない。

 べつにそれほど高度な数学や論理学を万人に教える必要はないと思うが、このふたつを高校卒業までにちゃんと納得させておけば、日本の詐欺の被害者は相当減るんじゃないかと思う。幼稚な詐欺のほとんどは、ごくごく基本的な集合と統計の知識で防御できる。というか、ある意味、悪魔はしばしば聖書を引用すると言われるように、報道から推察するに、稚拙な詐欺の多くが集合と統計の詐術に属する。

 え? 集合とか統計とかは学校教育では軽んじられているんですか? そうかなあ、はっきり言って、高校出てからいちばん実生活に役立った数学は、集合と統計だと感じるんだけどなあ……。



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2008年10月 9日 (木)

たまたま日本で生まれた人がノーベル化学賞も受賞

南部さんは日本人?米国人? 人材流動化で意見百出 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/1008/TKY200810080230.html

 「南部さんを日本人とカウントしないわけにはいかないが……」。素粒子物理学などの基礎研究を支援する文部科学省は、内部資料としてノーベル賞の受賞者数を国別に毎年集計している。これまでは受賞者の国籍で数えてきた。
 南部さんは注釈付きで日本の受賞者にする方向だが、関係者からは「そもそも国別に数える意味があるのか」という声も聞かれる。「外国人が日本の研究拠点での業績でノーベル賞を受けたら、日本の受賞にカウントするのだろうか」ともらす関係者もいる。
 下村さんは日本国籍のままだが、60年に渡米。そこでの研究が、今回の受賞につながった。
 政府は最近、魅力的な研究環境を整え、逆に世界から日本に人材を集める「頭脳循環」へと持ち込む姿勢を強める。塩谷文科相は8日、「大いに世界に出ていくと同時に、世界の頭脳が日本に集まる環境作りをぜひやりたい。4人もの受賞は、世界の拠点のひとつになりうる証明と思う」と話した。
 文科省は昨年、外国人比率を高める「世界トップレベル研究拠点」を全国に5カ所選出し、事務部門も含めて英語を公用語にした。そのひとつの東京大数物連携宇宙研究機構は、米カリフォルニア大教授だった素粒子論の世界的リーダー、村山斉さん(44)を機構長に引き抜いた。
 「同じ研究環境があれば欧米にこだわる必要はない。米国からは、日本の素粒子物理学が非常に華々しく見えた。かつてとは違う」と話す。
 米国に研究拠点を移して73年にノーベル物理学賞を受けた江崎玲於奈さんは「今の日本は、当時より飛躍的に研究基盤が発達している割に、外国人研究者が根付いていない。二重国籍を許すなど差別のない住みやすい日本を作るため、国内のみんながしっかり取り組まなくてはだめだ」と話した。

ノーベル化学賞に下村脩さん 蛍光たんぱく質を発見 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/1008/TKY200810080238.html

 スウェーデンの王立科学アカデミーは8日、今年のノーベル化学賞を米ウッズホール海洋生物学研究所・元上席研究員の下村脩(おさむ)さん(80)と米国の研究者2氏の計3人に贈ると発表した。下村さんは、オワンクラゲの発光の仕組みを解明する過程で、緑色蛍光たんぱく質(GFP)を分離し、その構造を解明した。GFPは、生命科学の研究で、細胞内で動く分子にくっつけて追跡する便利な「道具」として世界中の研究者に使われている。

Glowing jellyfish earns Nobel Prize (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/TECH/science/10/08/nobel.chemistry/index.html

(CNN) -- Research into the mysterious green glow of a jellyfish earned three scientists this year's Nobel Prize for Chemistry, the Nobel Foundation announced Wednesday.
Osamu Shimomura of the Marine Biological Laboratory in Woods Hole, Massachusetts; Martin Chalfie of Columbia University; and Roger Tsien of the University of California at San Diego won for the discovery and development of the green fluorescent protein GFP.

(中略)

Osamu Shimomura, a Japanese citizen, was the first to isolate GFP from the crystal jellyfish, discovering that the protein glowed bright green under ultraviolet light.
American scientist Martin Chalfie demonstrated GFP's value as a luminous genetic tag in nature. One of Chalfie's first experiments, the foundation said, involved using GFP to color individual cells in a transparent roundworm.
Roger Tsien, also an American, extended the color palette beyond green. Researchers can now give various proteins and cells different colors, enabling them to follow different biological processes at the same time, the foundation said.

(中略)

Shimomura was born in Kyoto, Japan, and received a Ph.D. in organic chemistry in 1960 from Nagoya University. He is now professor emeritus at the Marine Biological Laboratory and Boston University Medical School.
Chalfie grew up in Chicago, Illinois, and received his Ph.D. in neurobiology from Harvard University in 1977. He is now a professor of biological sciences at Columbia University in New York.
Tsien was born in New York and received a Ph.D. in physiology from Cambridge University in 1977. He is a professor at UC-San Diego.

「化学賞は意外」「クラゲ85万匹採取」下村さん語る (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/1008/TKY200810080259.html

 ——米国に居続けたのは?
 「昔は研究費が米国の方が段違いによかった。日本は貧乏で、サラリーだってこちらの8分の1。それに、日本にいると雑音が多くて研究に専念できない。一度、助教授として名古屋大に帰ったんだけど、納得できる研究ができなかったので米国に戻った」
 ——何が納得できなかったんですか?
 「規模が違う。僕は十何年かけて85万匹のオワンクラゲを採取した。100トンは超すでしょう。何十人もの人を雇いました。家族も手伝ってくれた。ノーベル賞はその副産物なんです」
 ——週末に海辺に行ったりされたのですか?
 「いやいや、夏に1カ月か2カ月滞在して、朝から晩までクラゲを採った」
 ——国籍は日本のままなんですね。
 「何でわざわざアメリカ人に変わる必要があるの? 日本人でもアメリカに住める。研究費を取るにも差別はなかったし、ほとんど不便は感じない」

 今年は物理学賞に引き続き、化学賞も日本で生まれた人が受賞することになった。めでたいことである。利根川進氏が医学生理学賞を受賞したときもそうだったが、前エントリーで述べたようなことをあちこちで話題にしている人がいて、これはじつによいことだと思うのである。

 たしかに、湯川秀樹氏や朝永振一郎氏が受賞したころには、単に日本で生まれた人が受賞したというだけで戦後の暗い世相に明るい光を投げかける大事件だったにちがいないが、もはや日本は、頭脳流出の問題を国家戦略的パースペクティヴで真剣に考えるべき段階に来ている。アメリカで業績を上げた日本人がノーベル賞を取ったからといって、手放しで喜んでいる場合ではないのだ。

 とくに選挙前には、政治家どもなど世論でいくらでも意のままに操作することができる。もっともっと頭脳流出を嘆く世論を盛り上げ、びくびくしている政治家どもから言質を引き出すようにしなくてはならない。食料自給率が四割を切り、天然資源もろくにないような国が一流国家として世界に伍してゆくには、頭脳以外の資源はあるまい。いまこそ、市井の人々が政治家どもを操るときだ。

 日本の新聞に、「京都大学のキルゴア・トラウト教授がノーベル経済学賞を受賞」といった見出しが躍る日を、おれは楽しみにしている。



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2008年10月 8日 (水)

たまたま日本で生まれた人々がノーベル物理学賞を受賞

ノーベル物理学賞、素粒子研究の日本人3氏に (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/1007/TKY200810070297.html

 スウェーデン王立科学アカデミーは7日、今年のノーベル物理学賞を、素粒子物理学の理論づくりに貢献した米シカゴ大名誉教授で大阪市立大名誉教授の南部陽一郎氏(87)と、新たな基本粒子の存在を共同で提唱した高エネルギー加速器研究機構(茨城県つくば市)名誉教授の小林誠氏(64)と京都大名誉教授で京都産業大理学部教授の益川敏英氏(68)の日本人計3人に贈ると発表した。日本人が一つの賞で同時受賞するのは初めて。

 おおお、ひさびさにめでたいニュースだ。日本人がノーベル賞を取るたびに、いままでの受賞者をちゃんと憶えているか指折り名前を挙げてゆくのがおれの習慣なのだが、記憶力が衰えてきているうえ、今回のようにいっぺんに三人も増えると、そろそろ憶えきれなくなってくるのではなかろうか。子供のころは、湯川朝永川端だけですんだのになあ。

 とはいえ、ちょっとフクザツな想いを抱くのは、利根川進氏と南部陽一郎氏は、生まれ育ちが日本であるというだけで、世界から見れば、彼らは“アメリカの学者”だと考えるのが妥当だろうということである。南部氏にいたっては帰化しているんだから、国籍もアメリカだ。

 先進国である(はずの)日本の国民としては、単に遺伝的に日本人である人の受賞よりも、日本の大学や研究機関でノーベル賞に繋がる業績の主な部分を築いた人の受賞をより喜び、より誇るべきなのではあるまいか? いや、おれはべつに利根川氏や南部氏の個人としての偉大な業績にケチをつけるつもりはないのだ。ただ、喜びかたとして、“日本人だからどうこう”という時代では、もはやないのではないかと思うのである。まあ、おれとて、“世界で活躍する日本人”と言われる人々を見るにつけ、なにしろ同じ言語が通じるのだから親近感を覚えるのは事実だけれども、彼ら・彼女らの多くが“なぜ日本にいながら世界的に活躍できなかったのか?”という想いが反作用のように心中に生じ、フクザツな気持ちになってしまうのだ。

 そこで、日本人の意識が次の段階に進むステップとしての目標を想定しておきたい。それは、日本の大学や研究機関でノーベル賞に繋がる業績の主な部分を築いた“外国人”の受賞を国を挙げて喜ぶということである。冷静に考えると、世界から“あの人だからこそできた”と見られるよりも、“あの国でだからこそできた”と見られるほうが、日本人一般にとってはずっと誇らしいはずのことではないかと思うのだがどうか。「あの国で研究がしたい」と世界中の研究者から思われるようになることのほうが、たまたま日本に生まれ育った人がノーベル賞を取ることよりも、国家としてずっと重要だと思いませんか?



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2008年6月24日 (火)

天文学者になればよかった

 なんか、このところ、『サイエンスZERO』(NHK)と『溜池Nowはミッドタウンにお引っ越ししました』(GyaO)で、立て続けに国立天文台の渡部潤一准教授を観たぞ。ということはナニだ、渡部准教授は、短いあいだに立て続けに安めぐみ中川翔子に会っているわけである。う、羨ましい。ついでに言うと、スピードワゴン小沢と、バカリズムにも会っているわけだが、そっちはあんまり羨ましくないかも。

 いいなあ、天文学者などという、地味も地味、地味ここに極まれりといった仕事にこのような役得があろうとは、いったい誰が想像するであろうか。そうと知っておれば、おれも天文学を志したかもしれぬ。動機が不純だ。

 いやいやしかし、『サイエンスZERO』や『溜池Nowはミッドタウンにお引っ越ししました』を観た全国の青少年の中には不純な動機で天文学者になろうと思っているやつがすでに何人かいて、勉強しはじめたところがホントに面白くなってしまい、そのうちホントに学者になって大発見をしたりするかもしれない。で、その学者がまたそのころのアイドルに立て続けに会い、それをメディアで観たそのころの青少年にまたまた不純な動機を植え付け、将来の大発見のきっかけを作るかもしれない。いや、広報ってのは大事だよ、ホント。



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2008年6月 1日 (日)

しっかりしてくれ、大学

大学入学式に父母出席 これは「過保護なのか」論争 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/05/31020864.html

学生の数を上回る父母が出席した東京大学の2008年入学式で、特別栄誉教授の安藤忠雄さんが「子離れしろ」と発言した。メディアでも取り上げられ、「これは過保護なのか」がネットで議論になっている。

 そりゃ、過保護だよ。過干渉というべきか。入学式ならほんの少しは気持ちもわからんでもないが、入試にまで親がついてくるとなると、失笑を禁じ得ない。幼稚園、小学校の“お受験”じゃあるまいし、親がついてきた時点で、そんな受験生は不合格にしてしまえ。

 話には聞いていたが、事態はおれの想像を上まわってるみたいだなあ。東大にかぎった現象でもないらしいのが情けない。もはや、大学の入学式に親が出てくるのがあたりまえという時代になりつつあるのだろう。

 私立大学だったら、学生もその親も“顧客”だから、のこのこ入学式についてゆきたいという親が増えてきたら、つっぱねるわけにもいかなくなってくるのが資本主義というものでありましょうが、国公立大学こそ、「親のための場所などない。どうしてもわが子の晴れ姿が見たいなら、慎ましく門の外で待っておれ」と毅然とした態度を示すべきだろう。安藤忠雄、よく言った。

 大学も大学、親も親なら、学生も学生だ。十八にもなれば(十九、二十歳だってざらにいるだろう)、親がついてゆきたいなどと言おうものなら、恥ずかしいからやめてくれ、大学にも迷惑だと思うもんなんじゃないだろうか? 「思うもんなんじゃないだろうか?」と言ったところで、事実、そうじゃないんだから詮ないことではありますが……。

 まあ、若者がどんどん減ってゆくわけだから、そのうち企業だって、新卒学生様、その親御様のご要望をもったいなくもありがたくも尊重させていただかざるを得なくなり、入社式にのこのこついてくる親のための席を用意するようになってくるかもしれんな。このままゆくと、その可能性は高いと見た。学生様や親御様の不興を買うと、優秀(だが過保護な)学生様が来てくれなくなるからだ。

 大学も学生も親もそれぞれに情けないと思うが、いちばん情けないのは、やっぱり大学である。学生と親は自分たちの閉じた世界でおままごとをしておれば、まったりと時間の止まった Win-Win の関係(?)が維持できて心地よいのかもしれんが、そのディストピアを“外の価値観”でガツンとやって破壊するのが、教育機関としての大学のあるべきスタンスだと思う。ぬるい親の侵攻も撃退できずに、“大学の自治”などちゃんちゃらおかしい。



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2008年5月27日 (火)

ズルはアホよりタチが悪い

コピペしたリポート、ばれちゃうぞ 検出ソフト開発 (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0525/TKY200805250186.html

 インターネット上の公開情報を引き写しただけの「コピー・アンド・ペースト(コピペ)」でないかをチェックするパソコンソフトを、金沢工業大学教授が開発した。コピペは学生のリポートなどで横行しているとされ、先生らには朗報になりそうだ。
 金沢工大知的財産科学研究センター長の杉光一成教授が今年2月に特許出願した。来年にも市販する予定という。
 電子データで提出された文章をソフトに入力すると、翻訳ソフトに使われている「形態素解析」という技術で、文章を文節や単語に分解。それぞれの文節や単語をネット検索し、類似した文章がネット上で見つかれば、URLを表示して知らせる。複数のリポートを比べて、学生同士が写し合っていないかチェックすることもできる。
 杉光さんは一昨年、学生に課したリポートを読んでいて、学生2人の表現が似ていることに気付いた。共通する文章をネット検索したところ、あるブログからの引き写しとわかった。同僚もコピペに悩んでいると知り、昨夏、開発に着手した。
 杉光さんは「先生が不正を見抜く技術を持てば、学生には大きな抑止力になるはず。安易にコピペできなくなれば自分で文章を考えるから、学生のためにもなる」といっている。(山口智久)

 ほおお、こりゃいいや。前から、こういう学生の意地汚い根性にむかついていたのだ。稲葉振一郎さんにとっても朗報であろう。

 なにがむかつくと言ってだな、要領だけいいのがむかつく。要領がいいことはたしかに少なからぬ局面で大事なことであるが、要領だけいいのがむかつくのである。勉強してないのなら、堂々と悪い点を取るという潔さはないのか。また、勉強してもダメだったのなら、少なくともその科目においては自分には才能がないのだと受け容れる潔さはないのか。自分が得られるもの以上のものを要領よく得ようとする、そのこすからい根性がよろしくない。吐き気を催す。

 たしかに世の中には、なにをやらせても人並み以上という才人もたまにはおるが、自分がそうなのかそうでないのかくらいは、まともな人間であれば人生の早いうちに自覚するはずである。誰にでも得手不得手はある。なんに於いても、的確に現状を把握しないことには、立てるべき戦略、次に打つべき戦術など、策定のしようもない。等身大の自分以上のものを、分不相応にも得ることにだけに血道を上げる人生など、くだらないことおびただしい。おれはアホは許すが、ズルは許さん。英語には deserve といういい言葉がある。おのれに見合わないものを受け取って嬉しいか? 嬉しいなどというやつは、その程度の人間なのだ。全世界が賞賛しようとも、自分にとって納得がいかなければ、そんなものには価値がないと考えるのがサムライである。

 大学の先生に於かれては、ぜひこのようなソフトを活用なさり、要領だけよければいいのだと思っているような根性の腐った学生どもをどんどん落第させていただきたい。そういう性根の腐ったやつらが、カタチさえ踏んでおけば本来の目的などどうでもよいと考えるような、腐った小役人になり下がる(というか、当然のようになる)のにちがいない。日本の将来のためにも、そういうズルいやつらを叩き潰しておかねばならない。自分が怠け者だアホだと自覚したやつは強い。そこから進歩する無限の可能性を秘めている。だが、ズルはどこまでいってもズルのままである。一生ズルだ。そんなやつらを栄えさせてはならない。叩き潰しておくのは、大学の重要な使命だと思うぞ。



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2008年3月 9日 (日)

山中伸弥教授がカッコよかった『サイエンスZERO』

 このところいろいろとバタバタしているので周回遅れで録画を観ている『サイエンスZERO』、今回のお題は「夢の万能細胞に挑む」。人間の皮膚から万能細胞「iPS細胞(induced pluripotent stem cell)」を造り出した時の人、京都大学再生医科学研究所の山中伸弥教授がゲストだというので興味津々。このあたりが痩せても枯れても腐ってもNHKだ。

 山中教授はおれと同い年なのである。SFギョーカイで囁かれる“魔の1962年生まれ”だ。遅かれ早かれ、ノーベル医学・生理学賞を取るにちがいない。いやまったく、おれは生まれて四十五年間もぼけーっといったいなにをしておったんだろうねと思わされますなあ。

 まあ、あくまでテレビで観た感想ではあるが、実直を絵に描いたような人ですな、この先生は。すごい科学者というと、なんとなくエキセントリックな天才肌の人をステロタイプとして連想してしまうのだが、山中教授はそんな感じではない。やるべきことをこつこつこつこつこつこつこつとやってきたからこそ、人のやれない仕事にたどり着いたという感じだ。

 山中教授の態度や雰囲気は、昨日もネタにした『生物と無生物のあいだ』がとくに共感を込めて讃えている、大発見の一歩手前でそのジャンプ台を地道に作った陰の英雄とも言うべき報われなかった偉大な科学者たち――DNAこそが遺伝子の本体であることを地道に解き明かしたオズワルド・エイブリーや、X線結晶学を武器にDNAの二重螺旋構造解明に繋がる写真を撮影していた夭逝のロザリンド・フランクリンなどなど――を連想させる。華々しい天才という感じがしないのだ。きっと山中教授自身も、「おれは生物学に巨大な足跡を記した大天才である」などとは、微塵も思ってらっしゃらないことであろう。ただ、地道な探求を通じて養われた prepared mind に来るべくして来るアイディアが降ってきて、自分以外の誰に訪れても不思議はなかったかもしれぬ僥倖がやってきた程度にしか考えてらっしゃらないのではなかろうか。むろん、そのような僥倖を掴める状態に自分を持ってゆき、それを維持できることが、客観的に見ると、とんでもなく非凡な才能なのである。

 「人の役に立ちたい」という元臨床医としての使命感を保ち続けて、(多くの場合はあまり報われることのない)基礎研究を地道に続けていらした姿にも頭が下がる。モーツァルトよりベートーヴェンが好きな人は、たちまち山中教授のファンになってしまいそうだ。いやあ、この先生がノーベル賞を取る日が楽しみだなあ。



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2006年11月25日 (土)

学力なるものを向上して、いまの時代、なんの得がある?

一億総学力低下時代 (内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2006/11/22_1104.php

 おれの考えと通底する部分があるのだが、さすがは現場の方だけあって、醒めた明晰な論理を展開していらっしゃる。まったくそのとおりだと思う。

 これが最大多数の最大幸福だというのなら、おれは嬉々として不幸になりたいね。



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2006年7月20日 (木)

これではよくないのだ

 洞口依子のブログで紹介されていたので、晩飯食ったあとで受験してみた。四度落ちたのであきらめた。バカ田大学にすら入れないとは情けない。おれも耄碌したものだ。くそー、この学生証、見てると欲しくなってくるよな。洞口氏は一発で合格したというのだから、やっぱりこの人はすごい。



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