カテゴリー「住まい・インテリア」の5件の記事

2011年8月12日 (金)

前年同月から36パーセント減の節電に成功

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 8月分(7月14日~8月11日)の電気使用量が、前年同月を100とした場合、64ですんだ。どっしぇー。4,416円ちがうってのはでかい。

 先日書いたように、やっぱり冷蔵庫を変えたのがいちばん影響しているとは思うが、ほかに去年と変わっているのは、地デジ化によりテレビが二台新しくなったことか。一台は以前よりでかくなり、一台は以前より小さくなった。差し引き、けっこう消費電力は下がったのだろうな。あとはまあ、エアコンの設定温度をほとんどの場合は28度にして、扇風機を併用し空気をかき回すという、おなじみの使いかたに徹しているだけだ。

 無理すれば、夏場は前年同月比で四割減くらいの節電もできそうだが、がんばりすぎて身体を壊したのでは元も子もない。無理なく、三割減くらいの線をキープしよう。それにしても、扇風機って電気食わないもんだな。

 煙草はやめたわ、節電は大幅にできるわで、どんどん金が貯まっていっても不思議はないのだが、そういう実感はない。そりゃそうだ。むしろ昨年から今年にかけて、否応なしに家電製品を買わなければならないことが多く、出費が多い。節電で元を取るのはこれからである。


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2011年7月15日 (金)

前年同月から16パーセント減の節電に成功

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 7月分(6月14日~7月13日)の電気使用量が、前年同月を100とした場合、84ですんだ。やればできる。

 しかし、だ。じつのところ、おれが家にいる夜の時間帯にせっせと節電したところで、あまり意味はなかろう。だがまあ、今回の原発事故は、日本の原子力行政下であればいつか必ず起こると確信してはいたものの(おれの生きてるあいだに起こってほしくはなかったが。惜しい、もうちょっとだったのに)、やはり実際に起こってみると、改めておれに水をぶっかけてくれた。

 たとえ電気があり余っていようが、野放図に使うよりはセーブするほうがいいに決まっている。電気にかぎらない。なんだってそうだ。おれの子供のころには、そういう価値観があった。それが、いつしか「ふんだんにあるものは野放図に使ってもよい」という価値観に、まだ日本がそれほど豊かではなかったころを知っているおれたち自身ですら、徐々に毒されていったのだ。猛省せねばならない。

 とはいうものの、この節電に、おれはそれほど血の滲むような努力をしたわけではない。タイミングがいいのか悪いのか、十数年使った冷蔵庫がとうとうぶっ壊れた(ガリガリ君が融けるようになったのを発端に、冷凍食品まで融けはじめた)ものだから、しぶしぶ新しい冷蔵庫を買った。

 まあ、十数年前の冷蔵庫と消費電力を比べてみるとびっくりだ。少なくともスペックの上では、新しい冷蔵庫の消費電力は、古い冷蔵庫の四割減なのである。十数年ぶんの技術の進歩はすごい。おまけに、外寸は以前の冷蔵庫よりもずっと小さいものを買ったのに、庫内はそれほど狭くなったように感じない。

 ふつうの家庭でも絶対に電源を切らない家電製品は、ほかならぬ冷蔵庫なのである。冷蔵庫の電力消費を抑えれば、ほとんど苦労を感じずに効果的な節電ができる。とはいえ、温度設定を高くしすぎて食べものを腐らせたりして健康を害しては元も子もない。もし、あなたの冷蔵庫がおれの古い冷蔵庫と同じように相当年季が入っているのであれば、最新の冷蔵庫の消費電力をチェックしてみてはいかがだろう? さほど大きさが変わらないのに、いまの冷蔵庫は怖ろしいほど電気を食わないことに気づくだろう。壊れるまで待たずに、いっそ買い換えたほうが、節電にも家計の助けにもなるやもしれない。二、三年で元が取れるケースも少なくなかろう。

 また、買ったときには家族が多かったのだが、子供が大学へ行ったり就職したり結婚したりで、家族の人数が減っている場合は、より小さい冷蔵庫に買い換えるのもひとつの選択だと思う。ひどい風邪などで買いものに行けないといった事態を想定すると、ある程度の冷凍食品は常備しておくべきだが、災害のときには冷凍食品は必ずしも非常食にはならない。大量に冷凍しておいても、電気が止まってしまっては、一度に悪くなってしまう。ほんとうにそんなにたくさん食品を冷凍・冷蔵しておく必要があるかどうかを、家族の人数と生活パターンを鑑み、いま一度考え直してみてはいかがだろうか? 案外、食いもしないものを腐るまで保存しておくために無駄な電気を使っているかもしれない。

 冷蔵庫は壊れたからしかたなく買ったのだが、今年以降の夏用に節電目的で新たに買ったのは、扇風機である。エアコンの設定温度は、よほどのことがないかぎり、ほとんど二十八度にし、扇風機で部屋の空気を掻きまわす。部屋の数だけ温度計を買って、エアコンの設定温度を信用するのではなく、実際の効果として室温が何度になっているかに常に気を配り、冷えすぎていたらエアコンを切る。なあに、エアコンが各家庭に入りはじめたころなど、みな「電気がもったいない」ではなく「電気代がもったいない」と言って、エアコンを最後の秘密兵器のようにして使っていたではないか。

 それにしても、扇風機がまた、やたら品薄で、ヨドバシカメラで三千円ちょっとで買った(「お一人様一台限り」として売っていた)ものを、あとでアマゾンのマーケットプレイスで見たら、一万二千円ほどで出品されていた。なんだかなあ……。

 よく考えたら、扇風機なんてものを自分の金で買ったのは初めてだ。子供のころは、もちろん親が買っていたわけだからねえ。大人になって就職してからは、エアコンしか買ったことがない。よって、自分の金で扇風機を買うという体験はちょっと新鮮だった。最後に自分の部屋で扇風機を使ったのは、もう三十年くらいむかしだろうか。モーターで羽根を回して風を送るという枯れた技術ですら、この三十年にはやはりかなり進んでいるのだ。例の羽根のない扇風機なんて革新的な商品でなくとも、オーソドックスな扇風機でも、やっぱりかなり洗練されている。新しく買った扇風機は羽根が五枚もあり、音もおれが子供のころよりははるかに静かなのに風量があり、おまけにリモコンまで付いている。扇風機もハイテク(?)になっているのだ。

 おれは、「ほうら、節電なんてたいへんだろう。原発がないとたいへんなことになるのだぞ~。こわいぞ~、おそろしいぞ~、みんな貧乏になって、熱中症で死んでゆくぞ~、冬には凍え死ぬぞ~」などという、電力会社の誇大広告に騙されるつもりはない。あくまで、無理なく減らせるぶんを粛々と減らすことで、自分のいままでの生活を反省しているだけだ。

 だいたい、電力会社が消費者に節電をお願いするとはなにごとか!? 電力会社は社会に安定的に電力を供給する義務がある。その義務の履行と引き換えに、特権的な報酬を得ているのではないか。その電力会社が、すんません、電気が足らないので節電してくださいなどと消費者にお願いするとは、無能のきわみである。おまえらが原子力で電気を起こしていようが、魔法で電気を起こしていようが、そんなことはおれたち消費者の知ったことではない。ただ、原子力などというとてつもなく高くつく方法で発電をしておきながら、事故が起こったらそれを消費者に負担しろ(あるいは、国が税金で負担しろ)というのは、ちょっと虫がよすぎるのではないか? おまえら、ほかのもっと安い方法を考えてきたのか? むしろ、安い方法が出てきそうになったら、これはいかんと潰してきたのではないのか?

 そこいらへんのふつうの人が、なにやら地球全体のことを考えているかのように「電気がもったいない」などとええカッコするのはやめようや。むかしおれたちが親に怒られたように、素直に「電気代がもったいない」と考えて節電すればいいだけのことだ。まずは、そこからはじめよう。使わなくてすむものを、無理して使うことはない。また、使わなければならないものを、無理して我慢することもない。

 


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2008年2月18日 (月)

火災警報器の恐怖

Alarm 土曜日に業者が火災警報器を取り付けに来た。消防法の改正によって新築住宅では二〇〇六年六月から設置が義務付けられているが、既存の住宅に関しても、多くの市町村では二〇一一年六月からは設置が義務になるようだ。だもんだから、おれんちは市営住宅だから、タダで取り付けにきてくれるわけなのである。「既存の住宅でも、いま取り付けないと罰せられる」などとほざいて“消防署のほう”から来た詐欺師が火災警報器を売りつける例があるそうなので、そこいらは各自で注意してください。

 しかしまあ、これがなかなかたいそうだ。いや、取り付けは数分ですむんだが、“各部屋にひとつ”取り付けなければならないのである。おれんちは狭い。3DKと風呂とトイレだ。さすがにトイレには付けなくてもいいみたいだけど、ダイニングキッチンには熱感知式のものをひとつ、ほかの三部屋には煙感知式のものをひとつずつ取り付けなくてはならない。ぶっちゃけた話、すべての部屋の床にできるだけ速くタッチしてまわるというゲームをやったとしたら、おれんちは数秒でゲームが終わる。家の中のどこにいても、ケータイが鳴ったらわかる程度の面積しかない。それでも、やっぱり各部屋に火災警報器を取り付けなくてはならないのである。四個の火災警報器のうち、最も離れているもの同士でも、おそらく直線距離にして五メートルくらいだろう。まさに、鶏を割くに牛刀を以てす、という感じである。

 たとえば、台所でおれが目玉焼きを作ろうとしているときに、フライパンの油に火が移って、それがカーテンにでも燃え移ったとしよう。おそらく、ダイニングキッチンの感熱式の警報器が鳴り出すだろう。で、たぶん、十数秒もしないうちに、ほかの三つの部屋の煙感知式の警報器も、すべて鳴り出すにちがいない。おれんちは、ちょっとしたボヤでも出そうものなら、四つの火災警報器(と、たぶん揮発性の気体に反応するガス漏れ警報器)がいっせいに鳴り出すことになるだろう。あまりのけたたましさに、かえってパニックになってしまいそうだ。

 半径数メートルくらいの円内にある五つの警報器がいっせいに大音量で鳴り出すことを想像すると、これは怖いぞ。そんなとんでもない状況を招かないためにも、火の元には気をつけなくてはいかんなあと、改めて思ったことであった。そうか、日本のウサギ小屋住宅の各部屋に火災警報器を取り付けろというのは、そういう立法主旨があったのか。



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2007年5月10日 (木)

難民以上、難民未満

Japanese find sleep, shelter in cyber cafes (CNN.com)
http://www.cnn.com/2007/TECH/internet/05/08/japan.cyberhome.reut/index.html

"They are different from the real homeless because they belong to the working poor, so they do have some money, whereas the ones on the street have no money at all," he added.
There is no official data on the cyber cafe homeless. Japan's Welfare Ministry plans a wider study on the phenomenon, according to a newspaper report, but in the meantime, it is hard to gauge the scope of the problem or its social impact.
Anecdotal evidence suggests that many are freeters in their mid-to-late-twenties, who stay in a net cafe for a couple of months before settling for a more permanent housing solution.

 CNNが、いわゆる「ネットカフェ難民」について取り上げている。面白いのは、と言うといささか語弊があるけれども、refugee なんて言葉は使っていない点だ。こりゃ当然で、refugee には「祖国を追われている」、つまり、「いまは(望まずして)外国にいる」という状況が前提としてコアにある。cyber cafe homeless というのは、適切な訳だと思う。要するに、ホームレスの一種にすぎないとそっけなく表現しているところに、教えられるものがある。「難民」なんて上等な(?)ものではないとも言えるし、自分の国の中でこういう目にあっているのは難民以上に悲惨だとも言える。

 「援助交際」なども、英語圏のメディアにかかれば prostituting の一種にすぎないということになる。ミもフタもない。逆に言うと、事実ミもフタもないことなのに、一見穿ったような口あたりのよい表現でその本質を覆い隠してしまうという“ごまかし”が、流行語には多かれ少なかれある。外国からの視点ってのは、そういう“悪い慣れ”に気づかせてくれることがあって有益だよな。

 もし、CNNがおれの生活を報道するとしたら、「多少広いネットカフェのような空間に寝泊りしている」などと表現されてしまうかもしれない。いや、それを言っちゃ、ミもフタもないけど、んむむ、反論はできんな……。おれは快適だけどね。



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2006年9月19日 (火)

リセッシュのSF的利用法

 リセッシュという消臭剤のCMで、ものすごいことを言っていた――「リセッシュが空間にもできるようになりました」

 これはすごい。物理学を根底から覆す大発明である。そもそも空間に臭いがあったというのも驚きだが、その空間を消臭できるというのだから、アインシュタインもびっくりだ。

 元から空間にある臭いを部分的に消せるということは、空間をマーキングできるということだ。すなわち、リセッシュは、空間に絶対座標の楔を打ち込むことができるのだ。将来、ワープ航法やタイムマシンが実用化される際には、きわめて役立つ技術になるにちがいない。リセッシュでマーキングした空間を原点として座標を組み立てれば、相対性などという世迷い言の呪縛から人類は解放される。絶対空間・絶対時間が、シュッとひと噴き、手軽に作れるのである。

 そうかあ、空間にもできるようになったかあ!



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