おれは団地住まいであるから、「犬や猫を飼育している家庭は……」といった貼り紙をよくそこいらへんのあちこち(なんちゅう大ざっぱな表現)で見かけるのである。昨日も近所のスーパーに買いものに行ったら目に入った。
しかし待てよ。「飼育」って言葉がなんとなくひっかかる。「飼う」ほうはいいのだが、「育てる」あるいは「育む」のほうがひっかかる。たとえば、仔犬を拾ってきて成犬になるまでのあいだは「飼育」だろうが、そこから先ははたして「育て」ていることになるのだろうか? 歳を取らせているのも育てているうちに入るとすればそうだろうが、なんか気色悪いなあ。「カブトムシの飼育」なんて具合に、ふつうにあちこちで使われている言葉だが、改めて考えると、非常にすわりが悪い。
じゃあ、「飼育」でなかったらどう言うべきなのか。「扶養」かなあ? いや、「養う」ほうはいいのだが、犬を「扶け」るというのが気色悪い。なんだか、犬が生きることに自覚的に生きているかのような印象を受ける。「扶養」はさすがに対象が人間でないと使えんだろう。「飼育」のほうは、少々特殊な状況を想定すれば、対象が人間でも使えるな。アレは「育て」ているわけではないような気もするが、まあ、ある種の価値観に照らせば、対象が「育っ」てゆくと考えることに違和感はなく、むしろ快感がある。をい。
それはさておき、はて、どう言うのが本来は適切なのかとおれはしばらく悩んだ末、そういえば「飼養」という言葉があったと思い当たった。「愛玩動物飼養管理士」という資格があったな。山口もえが二級を持っているとかいう民間資格である。どうやら「飼養」というのは、家畜やらなにやらにお役所などがよく使う言葉のようだ。非論理と不合理と不条理の塊のくせに、こういうところでは妙に論理的なのは、さすがお役所である。うむ、これだな、この言葉が論理的にいちばんしっくりくる。
よし、これからは、文字で書くときには、「カブトムシの飼養」などと表現することにしよう。日常生活で「しよう」なんて口で言っても、たいていは怪訝な顔をされたり、女性には張り倒されたりすることだろうから、やっぱり口頭では「飼育」を使い続けるだろうけどねえ。
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