カテゴリー「パソコン・インターネット」の141件の記事

2012年1月31日 (火)

いろんなところにスジ者が……

 奈良先端科学技術大学院大学が開発した「ワンクリック見積&データ品質診断ツール」の名は「Magi」である。まさか、これを見て、「ああ、研究者の中に敬虔なキリスト教徒がおるのだろうなあ」と思う人は、ウチのブログの読者には、まずいないと思う。きっと、二十代後半くらいの“エヴァンゲリオン、どストライク世代”の研究者がネーミングしたんだろうねえ、と推測するのがふつう(?)である。このシステムは協調フィルタリングを使っているので、「ああ、メルキオールとバルタザールとカスパーとが協調するってネタなのね」くらいの推測は誰でもするであろう(どこの「誰でも」だよ、それは)。

 はたまた、楽天技術研究所が開発したレコメンドエンジンの名は、「5ten(ごうてん)」だったり、「0-HO(れいせんほう)」だったりする( http://el.jibun.atmarkit.co.jp/rakuten/2009/11/post-7414.html )んだが、これは相当好みが渋い。エヴァンゲリオン世代よりは、ずっと歳を食っている感じだ。まあ、若いやつにも『海底軍艦』のファンはおるだろうけど、どういうネーミングセンスだ、これは。

 まあ、なんにせよ、世の中、いたるところに“スジ者”が潜んでいるということはたしかなようだ。


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2011年10月30日 (日)

イタコ読書を体験しよう

 すべての本を電子書籍で読むというところまでは、まだ環境は整っていないし、紙の本を読まなくなるのは寂しいのだけれども、amazon と Kindle のおかげで、少なくとも洋書・洋雑誌・洋新聞に関しては、ほとんど電子媒体で読めるようにはなった。

 Kindle で買った本(まあ、最近だと、スティーブ・ジョブズの伝記とかだ)を、おれは Kindle 端末が使えるほどに空間的余裕がある場所では、Kindle 端末で読む。電子インクのディスプレイは画面そのものが光らないので、長時間の読書でも老眼に負担をかけない。だが、満員電車などで、Kindle でさえ持ちにくい、あるいは、鞄の中から取り出しにくい条件下であれば、おれは同じ本を Android 端末(GALAXY S)で読む。Kindle for Android がインストールしてあるから、Kindle 端末でどこまで読んだかはちゃんとシンクロされていて、なんの面倒もなく、スマートフォンで続きが読める。

 帰宅して、パソコンを立ち上げ、そうだそうだ本の続きを読もう――というときには、パソコンにインストールしてある Kindle for PC を立ち上げると、最後に使った端末が Kindle であろうが、Android 端末であろうが、すんなりと続きのページが出てくる。要するに、一度 Kindle で買った本は、プラットフォームがなんであろうが、同じものをいつでも、どこからでも呼び出せるわけだ。これはまあ、たまにしかやらないが、Kindle for PC の画面をHDMI経由でテレビに出力して、寝る前にベッドの枕元にあるテレビで本を読むことすらある。ワイヤレスマウスの電波が届く距離にパソコンがあれば問題ない。

 こういう本の読みかたに徐々に慣れてくると、ああ、これはなにかに似ているなあと誰もが思うはずである。そう、イタコである。本の中身は霊界にいて、老婆のイタコだろうが、中年女性のイタコだろうが、若い女性のイタコだろうが、少女のイタコだろうが、その時々に都合のよいイタコが身近にいてくれれば、いつでも本を呼び出せるわけだ。

 おそらく、おれの生きているあいだに、こうした“イタコ読書”は、完全に一般的なものになるだろう。ふらりと入った喫茶店のテーブルがディスプレイになっていて、指紋とかICカードとかでちょちょいと認証すれば、今朝、電車の中でスマートフォンで読んでいた本の続きが即座に表示されるようになるのだろう。風呂の中で、備え付けの防水端末にちょちょいと音声で命じれば、昼間喫茶店で読んだ本の続きを、音声で読み上げてくれるようになるのだろう。

 つまり、クラウドという霊界にいる“あなたが読んでいる本”は、あなたのまわりにあるさまざまな“イタコ”端末に、自在に呼び出せるようになるだろう。レシピ本ばかりではなく、小説やマンガに出てきたレシピですら、簡単に冷蔵庫や電子レンジのディスプレイに呼び出せるようになるだろう。

 「電子書籍がどうとか言ってるけど、いまひとつメリットを感じないなあ。紙のほうが読みやすいよ」とおっしゃる方は、もしかしたら、たったひとつのプラットフォームで電子書籍を読んでらっしゃるのではなかろうか。だとしたら、紙とたいして変わらない読書体験しか得られないと思う。おれの言う“イタコ読書”が体験できるようなハードとソフトとサービスとの組み合わせを選んで、試してみていただきたい。電子書籍による読書体験の本質は、端末の機能やソフトの使い勝手などにあるのではない。“イタコ読書”という、人類がかつて味わったことのない読書体験にこそあるのだと、実感なさることと思う。

 そして、その“イタコ読書”こそが二十一世紀のあたりまえの読書体験になるであろうと見抜いており、その環境をこそ構築しようとしているのが、amazon にほかならないのだ。“テキストを読む喜び”と、“書物という工芸品を所有する喜び”とは、もはや分けて考えなくてはならない。


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2011年5月29日 (日)

スマートフォンでチラシをチェックする今日このごろ

 以前、「いわゆる五大紙なんぞは、あってもなくても同じだ。というより、あんなものを読んでいたのではアホが移る」と、日本の新聞をやめた話を書いた。やっぱり、日本の大新聞なんぞ読まなくてもなんの差し支えもない(というか、ヘンな洗脳をされなくてよい)。とくに要らないのは、日本の新聞の“オピニオン”である。事実だけ伝えてくれりゃよい。おまえら記者クラブ媒体の横並びのつまらん意見など要らん。だいたい、意見じゃないじゃん、それ。談合の申し合わせ事項じゃん。ネットとラジオと週刊誌のほうが、よほどおれの脳にはためになる。

 で、日本の新聞をやめてとてもハッピーなんだが、日常生活上、やや不便なことがある。チラシが入らないのだ。ピザ屋のチラシとかは独立して入るんだが、専ら新聞に折り込んでいるチラシは入手できない。

 しかし、さすが二十一世紀、うまくしたもので、チラシポータルサービスの「Shufoo!(シュフー)」ってのがある。ネットでチラシが見られるわけである。以前はウェブブラウザで利用していたんだが、最近、Androidのアプリもできたので、便利なことこの上ない。

 Shufoo! のように、ネットでチラシを見ることには、紙のチラシを凌ぐメリットがあるのだなあと、利用しはじめてすぐに気づき、感動した。

 おれの職場のそばにはダイエーがある。おれは会社の帰りによく立ち寄り、買いものをする。だが、おれはその地域に住んでいないので、むろんそんなところのダイエーの紙のチラシは新聞を取っていたとしても入手できない。だが、Shufoo! であれば、そのエリアのチラシを簡単に閲覧できるのだ。「お気に入り」に登録しておけば、“職場の最寄りのスーパーのチラシ”が手軽に参照できる。これはおそらくサザエさんも想像し得なかった二十一世紀にちがいない。

 だもんだから、日本の新聞を取らないことのデメリットは、もはやまったくなくなってしまったのだった。

 だからもう、キミら、滅びてもいいぜ、記者クラブ談合大新聞。なにやら電子版とかをカタチだけ出しはじめてるところもあるけど、なにその値段? バカなの? 死ぬの? 朝日新聞日本語版の電子版の購読料よりも安い値段で、おれは The New York TimesShanghai Daily 二紙の Kindle 版を定期購読しているぜ。てゆーーーーかーーー、朝日新聞の英語版 Kindle 版は、月額9ドル99セントじゃねーかよ。なにそれ? 日本語ってそんなに値打ちのある言語なの? 日本語しか読めない人からぼったくってやろうって腹なの?

 まあ、日本のアホ新聞の話はともかくとして、Shufoo! は便利だなあ。新聞の折り込みチラシの訴求エリアを超えて情報提供ができるチラシってのは画期的だと思うね。つまり、ローカル性というのは、必ずしも人が住んでいるエリアが対象なのではないのだ。現代のローカル性は、その人の行動範囲すべてを包含してこそのローカル性なのである。“職場のそばのスーパーのチラシを見られる”というのは、存外にすごいIT革命だとおれは思っている。

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2010年11月29日 (月)

未来から来た工作員?

 先日の『小島慶子 キラ☆キラ』で、映画評論家の町山智浩氏がアメリカで上映中の Fair Game という映画を紹介していた。(映画公式サイトはこちら

 この原作本は、元CIAの女性秘密工作員が書いたもので、CIAの検閲によって「むかしの日本の終戦直後の教科書みたい」((C)町山智浩)なありさまになっており、あちこち黒塗りだらけというすさまじいものらしい。裏返すと、「書いてもいい」とCIAが許してくれた部分だけが堂々と出版されているわけで、CIA公認の暴露本と考えてもよいのだ。

 面白そうなので、先日 kindle を買ったのをよいことに、さっそく原作の kindle 版を買ってみた。安いなあ。個人の消費者にとっては、円高万々歳である。

 紙版は墨塗り教科書みたいだということだが、電子書籍はどうなのかとパラパラ見てみると、こんな感じ―― 

[Text has been redacted here.] but I thought if it didn't pan out, I could find something on Capitol Hill or in the Peace Corps.  In the meantime, I found a job as a management trainee with a [Text has been redacted here.]  Washington department store [Text has been redacted here.].

 なにやら朝比奈みくるが書いたかのような独特の味わいが捨て難い。紙では出せない電子書籍の味とでも申しましょうか。丸谷才一「年の残り」のようでもあり、筒井康隆「弁天さま」のようでもある(そうかぁ?)。まあ、電子書籍でも■■■■■■■■■■■■■■とでもすれば、それなりに紙の黒塗りの真似はできるだろうけどなあ。


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2010年11月14日 (日)

朝日新聞名古屋本社の神田大介記者、M-1出れば?

「内部告発はマスコミ使って」 朝日記者ツイートに異論続々 (J-CASTニュース)

http://www.j-cast.com/2010/11/12080758.html

 尖閣ビデオのネット流出に危機感を持ったという朝日新聞の記者が、ツイッターで、内部告発のマスコミ利用を呼びかけている。「ネットを使うと足が付いてしまう」と主張する一方で、マスコミはネタ元保護にノウハウがある、などのメリットを挙げている。しかし、ネット上では、異論が相次いでいる。

 いやもう、このところ、どんなお笑い番組以上に、この記事には大爆笑してしまったよ。朝日新聞の記者ってのは、どこまでおめでたいんだろうね。お坊ちゃんとしか、言いようがないよね。いわゆる“記者クラブメディア”が、国民にそこまで信用されているとでも思っているんだろうか? 先日、古舘伊知郎が、尖閣映像がまずネットに流れたことに「くやしい」とか言ってたときにも、おれはテレビを観ながら、転げまわってケタケタ笑っていたんだが、古舘にしろこの記者にしろ、なんなんだよ、この“上から目線”はよ?

 あのなー、あんたらのメディアのほうが、もはや凋落しつつあるのだよ。そんなこともわからんのか? あんたらのメディアのいまのエライさんたちは、官房機密費もらって、ジャーナリストのふりして、ずっと政府の犬として情報操作してた人たちなんじゃないの? なにをいまさら、バカなことを言ってるんだ、神田大介さん。そんな、まるでジャーナリストみたいな問題意識があるんなら、とっとと朝日新聞なんか辞めて、フリーとして活動しなさいよ。

 百歩譲って、どうしても新聞にタレ込むとしたら、おれなら、ちゃんとしたジャーナリズムを叩き込まれている The New York Times とか、アメリカの新聞にタレ込むよ。常識だろ、そんなの、神田さん。日本の大新聞にタレ込んでも、そんなの、政府にタレ込んでるのと一緒だよ、神田さん。握り潰されちゃうよ。


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2010年6月10日 (木)

パワースポットとはなにか?

 最近なにやら“パワースポット”とやらが流行っているようだ。このブログをよく読んでくださる方々はご存じのように、おれは霊的ななんたらみたいなものは一切信じないから、そういう意味でのパワースポットなんてあるもんかと思っているけれども、発生確率が低いできごとが、ほかの場所よりも高い確率で起こる地点というのは、たしかにあるはずだ。いろいろな好条件(悪条件)が運良く(運悪く)重なっている場所では、むしろ、なんの変哲もないそこいらの地点とはちがったことどもが高い確率で起きるにちがいない。もっとも、そういうスポットにただただ行ったからといって、パワーがもらえるなどとはまったく考えていない。

 もしパワースポットなるものになんらかの力があるとしたら、その力はそのスポットの絶対座標によってもたらされるものではあり得ない。これは物理的事実だ。この宇宙に絶対座標なんてものはないのであって、いくら「将門の井戸」がすごいと言っても、地球も太陽系もこの銀河系もなにもかもが、いまとまったくちがう姿になってしまった状態で、「このポイントは、むかーしむかし将門の井戸があったパワースポットでございます」などとは、どんな超バスガイドにも言いようがない。

 つまり、パワースポットなるものは、相対的にしか定義できないスポットである。だから、パワースポットにパワーがあるとすれば、そのパワーは“そのスポット以外のすべての存在によってもたらされる力”であると言える。まあ、仏教に言う“縁起”みたいな考えかただ。

 となると、あなたの隣家のネコが子を産んだり、アマゾンでチョウが羽ばたいたりするだけで、それまでパワースポットであった場所がたちまちパワーを失うことも充分にあり得るということになる。つまり、パワースポットというのは、時々刻々とあちこちで生まれ、あちこちで消え去っているのだ。ひょっとしたら、あなたの部屋が、いま、とてつもないパワースポットである可能性だってあるのだ。次の瞬間には、なんのパワーもない部屋になっていることだろうが……。

 もっとも、AR(Augmented Reality)技術を用いた社会インフラがもっともっと発達すると、情報密度がとくに高いスポットというのは、今後ほんとうにあちこちに出現することになるはずだ。そこにいるだけで、いいことにも悪いことにも遭遇する確率がうんと高まる、文字どおりのパワースポットだ。特定のアプリケーションがメタ現実を展開している空間に関しては、すでにそういうスポットは現実に(というか、拡張現実に)存在している。

 いまから、数年から十年のあいだに、パワースポットブームは、そういう拡張現実空間にふたたび巻き起こることになるのだろう。



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2010年4月29日 (木)

カヲル君、わかる、わかるぞ!

 『新世紀エヴァンゲリオン』渚カヲル役の声優、石田彰が、あろうことか、『ロケみつ』に、というか、稲垣早希のブログ旅にハマっているということを、ウェブラジオで熱く、熱く語っているらしいとツイッターで知って聴いてみた。いやあ、石田さん、いやさ、同志・石田よ、あなたはおれとまったく同じハマりかたをしている。よくぞ語ってくれた。その調子で稲垣早希を関東にも広めていただきたい。なんか、これ聴いてたら、おれ、石田彰のファンになってしまったよ。

 というかさ、宮村優子が出たんだから、石田彰も出るべきだよ、カヲル君! 『ロケみつ』の中の人、ここに熱烈な、エヴァ出演者がおるぞ! 「奇跡のような番組」とまで絶賛しておるぞ~!



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2010年4月 8日 (木)

いま、ラジオが熱い

I'd sit alone and watch your light
My only friend through teenage nights
And everything I had to know
I heard it on my radio
―― Radio Gaga, QUEEN

 おれは中学生のころ、松下のクーガ7で手当たり次第にラジオを聴いていたものである。KBS京都の番組表なんぞ、諳んじているほどだった。「ぞうさんのハレハレジョッキー」とか「サンマルコからボンジョルノ」とか(こんなもん、京都の人しかわからん)に葉書を出しては、採用されると狂喜したものだった。

 そうしたラジオへの思い入れが、ここ一、二年、にわかに復活してきた。インターネットのおかげであるし、ポッドキャストという新たな配信方式のおかげである。Radio, someone still loves you.

 ラジオってのは、ネットととても親和性があるよね。twitter なんかだと、聴きながらつぶやけるし。だいたい、地上波テレビがつまらなすぎるのだ。ラジオのほうがずっと過激で面白い。

 おれがポッドキャストで聴いているラジオを挙げてみよう。

大竹まこと ゴールデンラジオ (文化放送)
高木美保 Close to You (文化放送)
JUNK 爆笑問題カーボーイ (TBSラジオ)
きかせられないラジオ (NBC長崎放送)
ON THE WAYジャーナル~高野孟のラジオ万華鏡 (Japan FM Network)
MAKING SENSE DIGEST (J-WAVE)
小島慶子 キラ☆キラ (TBSラジオ)
里田まいの産地直送!カントリー娘。 (STVラジオ)
細川茂樹の家電ソムリエ (九州朝日放送)

 こんなに聴ききれるのかって? リアルタイムでは聴ききれないよ。でも、ポッドキャストなんだから、いくら遅れて聴いてもかまわないわけで、そういう意味では充分聴けますな。●はほぼ配信されると同時に聴いているが、▼は聴ければ聴くくらいの感じだ。TBSの優良番組「アクセス」が終わってしまったのは残念だ。「アクセス」はポッドキャストも配信していたし、リアルタイムではストリーミング放送もやっていた先駆的な番組だったのにな。

 IPサイマルキャストラジオの「radiko」の実験放送がはじまったのも嬉しい。おれの住んでいるところは京都市内ではあるが、在阪局のABC(朝日放送)やMBS(毎日放送)でも、非常に受信状態が悪い。それらがクリアな音質で聴けるのはありがたい。APIが公開されているわけでもないのに、続々と radiko 関連のソフトやサービスを個人で開発している人たちがいて、おれも少しずつ試したりしている。それらについては、この記事が詳しい。

ラジオ聞きながら交流 「radiko」関連サービス、個人開発者が続々
  http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/19/news070.html

 radikoは、リアルタイムでの放送を前提としているわけだから、タイマー予約録音までできてしまうのはちょっと問題かもしれないが、便利なものは便利なので、おれも使いはじめている。音声ファイル形式を変換すれば、iPodでも持ち歩けるはずだが、面倒くさいのでそこまではまだやっていない。

 ラジオがなぜネットと親和性が高いのか? そりゃ、マクルーハンがかつて分類したように、ラジオはホットメディアだからだ。つまり、受け手から関与してゆく度合いが高い。なんかそんなことをむかし書いたような気がするなとふりかえってみると、そうだそうだ、おれは「ラジオってのは、マクルーハン的にはいわゆるホットなメディアだから、ネットと親和性が高いような気がするんだよね」と十年以上前に書いているではないか。それがようやく実サービスによって証明されはじめている。

 あ、こんなことも一九九七年に書いているぞ。『マクルーハンが“ホットな”のメディアの例としてラジオを挙げたように、ラジオには聞き手が能動的に関与してしまうなにかがある。ぼけーと観ているテレビとは、そのあたりの“巻き込まれ度”とでもいうものがちがうのである。おれがパソコン通信をはじめたころ(昨日、NIFTY-Serveから「満6年おめでとう」のメールが来てたな)、「あ、これはラジオだ」と直感的に思った。マイナーだが常連投稿者の付いているローカル局の番組の雰囲気にそっくりだ』

 おれの直感は正しかったのだなあと、しみじみ感じる今日このごろなのであった。



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2010年3月18日 (木)

大声で世界中につぶやいてる

 うわあ、なんてことだ。二週間もブログを書いてない。これというのも、以前にも書いたようにtwitter のせいである。大むかしにパソコン通信のチャットにハマったときの感触が甦ってくる、あの似たようなドライブ感にハマってしまっている。

 とはいえ、まあ、ほぼ twitter の特性も掴んだことだし、やっぱりまとまったことをちゃんと書くのはブログでなきゃ苦しいので、そろそろこちらにも戻りたいと思う。なんであれ、ハマりはじめはガーーッと行っちゃうタイプなもんで。

 「なんだ、冬樹の野郎は、最近ブログもろくに書きやがらねえ」とお怒りの向きには、twitter での“つぶやき”を勝手にブログ形式にまとめてくれるサービス twilog に、おれのとりとめもないつぶやきが記録されているので、面白いかどうかはともかく、そっちもお読みいただけるとありがたい。 というか、ぜひ twitter もはじめてご覧になってはいかが?



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2009年11月 3日 (火)

ホットメディア?

 「パブロン50」って風邪薬のCMに感心した。体温計で体温を測ったところ、体温が表示されているディスプレイに風邪薬の広告が流れだすのである。「これは近い将来、実現しちゃうかもなあ」と、想像を膨らませてしまった。

 体温計までもが情報家電になってしまっているわけだ。当然、体温計はIPアドレスを持っており、ネットワークのノードとして認識される。むろん、測った体温はホームサーバに送られ、履歴が管理される。居間のディスプレイをちょちょいと操作すると、グラフなんかも簡単に出せるから、快方に向かっているのかどうかなど一目瞭然だ。

 一方で、使用者の体温が平熱より高いと、その情報は広告配信用のレコメンダーシステムに送られ、風邪薬の広告が体温計のディスプレイに表示されるという寸法である。システムはあくまで体温計を端末として認識しているだけだから、個人を識別できるデータを扱っているわけではない。個人情報を扱わなくても、体温計はデジタルサイネージ機器として機能する。

 う~む、これって、ほんとに近い将来、実現しちゃうんじゃないか? 現時点でも、ハイエンドな体組成計は、パソコンにデータを転送できる機能を備えている。体組成計そのものにIPアドレスを持たせるのも、時間の問題ではあるまいか。

 このCMを作った人は洒落でやってるんだろうと思うが、存外に近未来を予測しちゃってるんじゃないかな。



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