カテゴリー「グルメ・クッキング」の54件の記事

2012年4月 8日 (日)

ノンアルコールビール補完計画

 酒飲みのおれは、ノンアルコールビールなどというものの存在意義がいまひとつよくわからなかったのだが、先日、たまたまアサヒのドライゼロというのを飲んでみて、「なるほど、これは悪くない。酒とは異なる、なにかさわやかな飲みものだ」と、いささか認識を改めた。

 で、ときどきドライゼロを買うのだが、さっき冷蔵庫に一本残っていたドライゼロの缶がふと目に入ったとき、おれの中にひとつの根源的な問いが生まれた。

 「こいつはたしかにうまい。しかし、こいつには、なにかが足りない……」

 しばし考えたおれは、答えに到達し、膝を叩いた。

 「……そうだ、アルコールだ!」

 そこでおれは愛用の焼酎カップを取り出した。こいつは、カップの中がふたつに分かれていて、焼酎6:お湯4のお湯割りが簡単に作れるスグレモノである。

 おれはまず、ノンアルコールのドライゼロをカップに注ぎ、そこに芋焼酎を注ぎ足した。芋焼酎6:ノンアルコールビール4というベスト(?)な比率だ。

 ここに、ノンアルコールビールの大きな欠点であるところの「アルコールが入っていない」ということをみごとに焼酎がカバーしてくれる理想的(??)なカクテルが誕生したのである。なんと名づけたものだろう? ま、テキトーに「ノンアルビルチュー」とでも呼んでおこう。

 このノンアルビルチュー、どんな味かというと、ほんのり芋の香りのするビール(あたりまえだ)といった感じだ。なにやら、おれは非常に遠回りなことをしているような気もしないではない。それはたとえば、最新のお掃除ロボットが発売されるというので商品発表会へ出かけてみたら、竹箒を持ったASIMOがレレレのおじさんのように床を掃いていたのを見たかのような徒労感にも通じる感慨なのだが、なあに、人間、なにごともまずやってみることが大切だ。

 ま、とにもかくにも、これから、いろいろな酒をノンアルコールビールで割ってみるという楽しみができたわい。かつて、バービカンという最初のノンアルコールビールが出たときに試しに飲んでみたところ、そのあまりのまずさに驚愕したものだが、昨今のノンアルコールビールは、なかなかバカにできない味なのである。ノンアルコールビールという、ちゃんと飲める飲料の一ジャンルを確立しつつある。であれば、ノンアルコールビールでさまざまなドリンクを割ってみるというのは、やってみる価値のあることだ。

 さしあたり、ノンアルコールビールで芋焼酎を割るというのはやってみたが、次は、ノンアルコールビールでレッドアイを作ってみたい。つまり、ノンアルコールビールのトマトジュース割りである。それだけではアルコールがまったくないので、ノンアルコールビールのトマトジュース割りに芋焼酎でも足してみるか? ともかく、人類にはまだまだ未知の酒の飲みかたが残されている。

 ちなみに、ビールのトマトジュース割りであるレッドアイなるカクテルは、どうやらカナダ発祥らしいのだが、吉行淳之介が非常に好んでいた飲みかたである。彼はこれを「アンネカクテル」などと呼び(作ってみればわかる)顰蹙を買っていたそうであるが、おれは吉行淳之介にいいものを教えてもらったと、いまだに感謝している。レッドアイは、ビールの苦味を消し、トマトジュースの青臭さを消す。つまり、ビールもトマトジュースも苦手な人でも、レッドアイなら飲めるという奇妙なカクテルなのである。

 これに類することって、きっといろいろあるんだろうなと思いつつ、おれはいつもレッドアイを飲んでいる。SFは嫌いだし、純文学も嫌いだけど、神林長平や円城塔は好きだとか、そういう人がいそうな気もするんだねー。

Dryzerochu_2


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2011年4月10日 (日)

さあ、おれたち年寄りは、汚染されたものをできるだけ食うようにしよう

 おれは一九六二年生まれの四十八歳だが、だいたいおれくらいの歳の人間というのは、いま日本に起こっていることを、それほど意外なことだとは思っていないはずだ。七十年代くらいには、人類は二、三十年のうちには絶対滅びると思っていたんじゃないか? それこそその、東西陣営の核戦争がなかったとしても、地震とか公害とか原発事故とかその他諸々なんらかの要因で、自分たちのいまの社会、いまの文明がぐちゃぐちゃになるはずだと思って育ってきているはずだ。

 だもんだから、おれたちの世代は、いまのこの状況を、なんとなく懐かしいものだとすら思っている。自分たちが、子供のころから、さんざん想像してきたことが、ただ単に現実になっているだけなのだ。「ああ、やっぱり、キターーーーーーーー!」みたいな感じなんである。

 だから、おれたちはいいんだよ、べつに。覚悟のうえのことだから。おれ個人は反原発派で、徐々に脱原発ができればいいなあとは思ってきたが、結局、おれには社会を変える力などなかった。おれ自身も、原発で発電した電気の恩恵をさんざん受けてきた。だからいいさ。今回の原発事故で生じたデメリットは、極力、おれたちが引き受けよう。

 そうだなあ、いま三十代以上くらいの人は、原発推進派だろうが反対派だろうが、こういう事態を招いた社会を作ってきた張本人なんだから、これからはできるだけ若い人たちにデメリットを押しつけないようにしようじゃないか。さんざん、原発のメリットを享受してきたんだろう?

 だから、おれはこれから死ぬまで、できるだけ放射能に汚染されたものを食おうと思う。おれがそういうものを進んで食うことで、いまの社会を作るのに責任のなかった若い人たちの口に、放射能汚染された食いものが入るのを、ほんの少しでも阻止できるかもしれないじゃないか。

 われらの同世代よ! さあ、いまこそ、おれたちが責任を取るべきときだ。放射能汚染されたおそれのある食いものは、できるだけおれたちが食おう。おれたちはどうせ、あと二、三十年しか生きん。どうせ日本人の二人に一人は癌になり、三人に一人は癌で死ぬのだ。それが少々早まろうが、なんの問題があろうか? 若いやつらには、できるだけきれいなものを食わせてやろうぜ。

 おやおやおやぁ? なんかこのカレー、パンチが足らんぜ! セシウム137が足らんのじゃないか? おっ、この刺身はキレがあるぞ。ストロンチウム90が利いてるよね! さあ、もっと持ってこい。いまの日本の社会を作ってきた、おれたち四十代以上が、みんな責任持って食ってやるぜ! 爺い、婆あどもを、地獄に道連れだ! どわははははははははははははははは。

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2009年12月 7日 (月)

おいしそうな屁

 先日、「誕生日くらいは、贅沢してみるか」と、会社のそばでケンタッキー・フライドチキンを買って電車に乗って帰宅したのだが、なんだかものすごく悪いことをしているかのような気になった。

 帰りの時間帯の通勤電車というものは、たいてい腹を空かせた人が乗っているわけである。その電車の中で、あのケンタッキー・フライドチキンの匂いをぷんぷんさせるというのは、まことに心苦しい。フライドチキンを持っているおれ自身にしてからが、「いまここで包みを開けて食ってやろうか」と思うほどの蠱惑的な匂いがする。同じ車両に乗り合わせた客の中には、気が狂いそうになっている人もいるのではないか――などと、いろいろあらぬ想像をしてしまう。

 おれのほうが腹を空かせた乗客であり、そこへ誰かがケンタッキー・フライドチキンの匂いをぷんぷんさせながら乗ってきたとしたら、これはじつにもう、とてもたいへんはなはだ迷惑である。実際、そのような体験をしたことは何度もある。自分がフライドチキンを持っている側にまわると、じつのこの、まことにその、も、申しわけないっ!

 これがいかに迷惑かというと、電車の中ですかしっ屁をかますのと同じくらいに迷惑であろうと思うのである。屁をひるのも、フライドチキンを持ち込むのも、同程度の罪なのではないか。

 たとえば、だ。非常に特異な体質な人がいて、その人の屁は揚げたてのフライドチキンそっくりの匂いであるとしよう。この人が電車の中ですかしっ屁をかますと、あたりになんともいえないおいしそうな匂いが漂う。これは迷惑にちがいない。いっそ、ふつうの屁のほうが、よっぽど罪がない。

 ケンタッキー・フライドチキンも、持ち帰りの客には、もう少し密閉度の高い包装をしてくれてもよさそうなものだが、ケンタッキー・フライドチキンにしてみれば、客がぷんぷん匂いをさせながら家まで帰ってくれるほうがありがたいのであろう。

 あのとき同じ車両に乗り合わせた方々、まことに申しわけありませんでした。今後もこういうことがときどきあるとは思うのでありますが、そのときは、あのおいしそうな匂いは誰かの屁なのだと思ってやりすごしていただきたい。



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2009年12月 3日 (木)

総員対ショック・対閃光防御!

 サークルKサンクス『波動砲巻』なる巻き寿司が売られていたので、よせばいいのに晩飯のメインにと買ってみた。

Hadouhou_roll01
 まあ、今回の映画とのタイアップ商品は“とにかく細長ければヤマト、黒ければブラックホールと看做す”というルール(?)らしい。さて、中身はいったいどこがどう波動砲なのか?

Hadouhou_roll02_2

Hadouhou_roll03 「ケチャップでお好みの波動砲をお描き下さい」と、わけのわからない調理法(?)が書いてある。「お好みの波動砲」て、なんやねんそれは?

Hadouhou_roll04 これをどう波動砲と看做せばよいのだろう? 右半分の巻き寿司がヤマトで、左半分のタマゴが波動砲のビームだということか? なるほど、ひたすら念ずればそのように見えてこないでもない……おおお、そっくりだ! これが波動砲に見えないなどという人の貧困な想像力を憐れまずにはいられない。

Hadouhou_roll05 具は百二十パーセント充填されているとは言い難いが、ツナマヨにカニかまというのは、どう転んでもまずくはならない鉄板ネタである。

Hadouhou_roll06 ぺらぺらのタマゴ焼きの下には、こんなこともあろうかと、チキンカツ巻きが三つ横たわっている。

 もう、商品自体がネタだということはよくわかっているのだが、かくも無理のある造形にもかかわらず、これがなかなかうまいのだから癪に障る。まあ、最近のコンビニ弁当は、まずいものを探すのに苦労するほど進化しちゃったからねえ。むかしはほんとにまずかったんだよ。



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2009年9月13日 (日)

関西の食品偽装

・イカしか入っていないタコ焼き
・好きなように焼かせてくれないお好み焼き
・二十枚くらいしか入ってない千枚漬
・一銭でも洋食でもない一銭洋食

 おれは京都に住んでいるから、近所のスーパーでもふつうに売っているわけだが、「一銭洋食」というのはいまもって不可思議な命名である。貨幣価値が変わるのはいたしかたないが、あれは誰がどう見たって和食だと思うのだが……。まあ、むかしはただひとえにソースがかかっているだけで“洋食”というイメージがあったんだろうけどなあ。いまで言うなら、「百円フランス料理」とでもいった語感だったのだろうなあ。クレープみたいなもんか。でも、クレープは百円では食えんわなあ。クレープなんて、一、二度しか買い食い(って言葉は、いまもあるのか?)したことないけど、三、四百円はするだろう。

 むかしの人は、クレープを買い食いするようなハイカラな(ひぃい、死語)な感じで一銭洋食を食っていたのだろうと想像すると、まあ、JAROでもツッコミようのない名称も、許せるような気もするけどなあ。いやまあ、たま~~にしか食わないけど、あれはあれでおれは好きですよ、一銭洋食。



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2009年8月24日 (月)

カツオのたたきとマヨネーズの邂逅

 平日は鶏と羊ばかり食っているものだから、土日はできるだけ魚と野菜を食うようにしている。ものぐさなおれにぴったりなのがカツオのたたきで、なにしろ切るだけだし、リーズナブルな値段で腹一杯食える。今年の夏は月に七、八本は食ってるなあ。焼酎にも合うし。

 で、今日も今日とてカツオのたたきを食った。添付されているようなタレはなんとなく量も味ももの足りないので、おれはたいていゆずぽんとチューブ入りの生姜を使う。それでも、これほどしょっちゅうカツオのたたきを食っていると、それにもそろそろ飽きてきて、ちょっとちがう食いかたをしてみようと、冷蔵庫の中を見わたしていて、ふと思いついた。

 これだ。マヨネーズだ。これは絶対合うにちがいないぞ――と、おれの勘が主張した。酸味が合うはずだ。フランス料理なら、魚にマヨネーズっぽいソースをかけるようなものなどざらにあるではないか。焼きイカやアタリメにあれほど合うマヨネーズがカツオに合わないわけがあるか。

 おれは、一応の保険にと、いつもどおりのゆずぽんもちゃんと用意したうえで、実験用に低コレステロールのマヨネーズを小皿に絞り出し、カツオのたたきに対峙した。

 ひと切れめは、いつものゆずぽん。うまい。ふた切れめをマヨネーズにびちゃっと叩きつけると、おれは期待に打ちふるえながら口に運んだ。

 う、うめえ~~~!

 おれの勘は正しかった。これはすごい。なんでいままでやってみようと思わなかったのだろう?

 もっとも、マヨネーズが合わない食いものなどというものにあんまりお目にかかったことがないのも事実だ。大量に食うのはもちろん身体によくないが、マヨネーズは万能調味料である。なにをかけて食ったらいいかわからないものには、マヨネーズをかければまず問題ない。

 それにしても、カツオのたたきとの相性は常軌を逸している。尋常でない。マヨネーズとは、カツオのたたきのために発明された調味料であると言われたらおれは信じてしまいそうだ。手術台の上のミシンと蝙蝠傘の出会いのように美しい。

 こんな奇跡的な取り合わせを、世界で最初に試してみたのがおれだなどということがあるはずがない。きっとやってるやつがうようよいるはずだ――と、「カツオのたたき マヨネーズ」で検索してみると、ほうら、みんなやっている! なんと、『美味しんぼ』のネタになったことがあるのか! 知らんかったなあ。

 おれはかなり人生を損していたようだ。次回から、カツオのたたきにはマヨネーズがメイン、ゆずぽんはサブだな。次回は、マヨネーズにワサビを混ぜてみよう。



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2009年6月 8日 (月)

トコロテンの流派

 かなり暑くなってきたせいかさっぱりしたデザートが欲しくなり、ひさびさにトコロテンを食った。えーと、漢字検定などを受けようと思っている人は“心太”と書きたくなるとは思うが、多くの人に読めない字を書いても詮ないことであるというのがおれの考えかただから(内心ではちょっと嘆かわしいとも思っていたりする)、おれはふつうはカタカナ表記する。逆に言うと、カメラの絞りのように、文字遣いで想定読者層を広げたり狭めたりする(という意思を表明する)。

 それ自体には味らしき味はないのに、なんかうまいよね、トコロテン。黒糖蜜派と、二杯酢派三杯酢派があるみたいだが、おれは二杯酢派である。おれが子供のころは黒糖蜜が添付されたものしか京都では売ってなかったように記憶していて、それはそれなりに嫌いではなかったが、二杯酢トコロテンの味を知ってからは、すっかり二杯酢派に鞍替えしている。トコロテンに“甘み”って要らないようにおれは思うので、三杯酢は試したことがないが、みりんはたぶん邪魔だろうと思う。

 水を切ったトコロテンって、ぱっと見がちょっと脳みそみたいな感じだよね。これは純然たる想像なのだが、手塚治虫『三つ目がとおる』で、写楽保介「脳みそトコロテン装置」(言わずと知れた、脳みそをトコロテンにする装置である。まんまやがな)というやつを作っていたけれども、あれはひょっとすると、手塚治虫もトコロテンを食うときに「なんだか脳みそみたいだな」と思ったから生まれたのかもしれない。

 いまもって不思議に思っているのは、脳みそトコロテン装置で脳みそをトコロテンにされてしまった学生たちは、死にはしなかったんだよなあ。アホになっただけである。たぶんあれは、前頭葉だけをトコロテンにする装置だったのではないかと推測するのだが、人間、はたして前頭葉だけが一瞬にしてトコロテンになったとしたら、死にはせずちゃんとアホになれるものなのだろうか? こればっかりは実験するわけにはいかんしなあ。

 最近、よく知っているはずの小説のタイトルとか、芸能人の名前とかが、咄嗟に出てこないことがよくある。英語では出てくるのに、定訳の日本語がなかなか出てこないとかね。そろそろおれの前頭葉も、ところどころトコロテンになってきているのかもしれん。

 全部トコロテンになったころに、知り合いを招待してパーティーを開こう。テーブルの中央には頭蓋を取り去ったおれがちょこんと座っていて、招待客には、おれのトコロテン脳みそをつついて舌鼓を打ってもらう。できれば、おれの脳みそは二杯酢でお楽しみいただきたい。それくらいは、主催者側の好みを押しつけてもいいだろう。



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2009年4月30日 (木)

たいやきのジョー

 なにやらあちこちで流行っていて、本舗やら元祖やらそのほかやらいろんな流派(?)があるらしい「白いたいやき」の店がいつのまにか近所にできていた。うちの近所にできたのは、カタカナ表記の「白いタイヤキ えびす堂」ってやつだ。

Whitetaiyaki01 まあ、ものはためしと、白いタイヤキの黒あんチョコレートを食ってみた。上に乗ってるほうが、オーソドックスな黒あん、下の白っぽいほうがチョコレート。

Whitetaiyaki02 たしかに白い。立て! 立つんだ、ジョー!

Whitetaiyaki03 ラップをかけて、二個分で一分間、電子レンジで温めた。なんとなく、見た目ももちっとした感じかも。

Whitetaiyaki04 チョコレート。これがけっこううまい。皮の部分は、ふつうのたいやきと「雪見だいふく」の中間といった食感。たしかにもちもちしている。香ばしさというものがほとんどないので、もの足りないといえばもの足りないが、ある意味、中身の味がストレートに引き立つ。中になにを入れてもそれなりに食えそうな気がする。つまるところ、皮は食感だけを楽しむものと割り切ることで、中に入れるもののヴァリエーションを広げられるのだな。

Whitetaiyaki05 ぷにぷに。皮には甘みがないうえ、中身にもいやらしい甘みがなく、さっぱりしている。ふつうのたいやきは、二個も食ったら量よりも甘みで腹いっぱいになってしまうが、これはそんなことはない。なんなら四つくらい食えそうだ。そうか、満腹感を与えずにたくさん食わせようというわけだな。

 ま、とびきりうまいってもんでもないが、ふつうのたいやきとはまったくちがった面白い食感がなかなかいける。話の種に食ってみて損はないって程度かな。



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2009年3月27日 (金)

これって、ウチだけなのだろうか?

Frying_pan どの家にも、「これって、よその家もやってるのかなあ?」という疑念を抱いている風習(?)のひとつやふたつやみっつやよっつあるものであろうが、ふとおれはこれが気になった。フライパンのしまいかたである。レジ袋に入れて口をこんなふうに結ぶ。こ、これって、よそんちもやってるもんなんだろうか? レジ袋なんてものが登場してからのことだから、それほど代々伝わっているものではなく、おそらく祖母か母がやりはじめたのだろうが、「なるほど、これは具合がよい。あつらえたかのようだ。合理的である」と、いつのまにかおれにまで伝わっている。

 だもんだから、レジ袋がなくなると、困るのよな。



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2009年2月 3日 (火)

“値頃感”の挑戦

しょうゆなどサイズ小さめに 適量・割安で販売増狙う (asahi.com)
http://www.asahi.com/shopping/news/TKY200902010102.html

 しょうゆやドレッシングなどの分野で、従来より容量の少ない製品を発売する動きが食品メーカーに広がっている。少子高齢化などを背景に家族の人数が減り、賞味期限内に使い切れない例が増えていることに対応する。量を減らして価格を抑え、買い物客に値頃感をアピールする狙いもあるようだ。
 キッコーマンは17日から、「特選丸大豆しょうゆ」の750ミリリットルサイズを発売する。これまでの売れ筋は1リットルだったが、1世帯あたりの月平均のしょうゆの購入量は90年の985ミリリットルから07年は662ミリリットルまで減少。昨年春の値上げも影響し、1リットルの売れ行きは微減傾向が続いていた。
 希望小売価格(税抜き)は1リットルが479円なのに対し、750ミリリットルは380円。「適量で、価格が安い。販売増につながれば」(広報)と期待する。
 キユーピーも13日出荷分から順次、ドレッシング11品目を200ミリリットルから170ミリリットルに減量する。こちらも狙いは同じで、減量は58年に発売して以来、初めてという。日清オイリオグループも3月2日から、1千グラムしかなかった「日清ベジフルーツオイル」の600グラムサイズを出す。(本田靖明)

 うう~む。これはどうなのかなあ? まるで、先日のエントリー「百億のシャンプーと千億の塩」に合わせたような話だが、メーカーの思惑は図に当たるのかどうか……。要するに、おれ風に言えば“公転周期が短くなる”わけだよな。

 「適量で、価格が安い。販売増につながれば」などと広報の人は言っているそうだが、言ってる本人だって奇妙だとは気づいているにちがいない。あくまで「値頃感」だからね。どうも、おれの感覚では、“どのみちしょっちゅう使うもので、ある程度日持ちするものであれば、でかい容器でまとめて買うほうが安上がり”だとしか思えないんだけどね。たいていの主婦(主夫)はそういう感覚を持っていると思う。

 「1リットルが479円なのに対し、750ミリリットルは380円」なのだったら、3リットルだったら前者は1,437円、後者は1,520円である。“適量に見える”という心理的効果が、83円のバリアを打ち破って合理性に勝利するかどうか、これは見ものだなあ。おれなら1リットルのほうを買いますけどね。メーカーがどんな大きさの容器で売ろうが、おれの側の醤油消費量は、べつにそう大きく変動したりするわけでもないのだからねえ。



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