カテゴリー「ギャンブル」の3件の記事

2012年2月11日 (土)

未来人たちがそんなにお人よしだとは思えない

 クライオニクスcryonics 人体冷凍保存)ってやつがありますわな。自分が死んだあとにも遺体を冷凍保存しておいて、遠い未来の科学技術で復活させてもらおうというやつだ。現代の医学では治療できない病気に冒された人を冷凍保存しておいて、未来の進んだ医学で治療してもらおうという試みも含む。『ブラック・ジャック』にもそんな話がありましたよね。「未来への贈り物」だっけか。

 このクライオニクス、アメリカなどでは歴とした商売にもなっている。お金持ちは遺体をまるごと冷凍保存するわけだが、貧乏人(?)のためには、脳だけ冷凍保存するコースなどがあったりする。なにしろ未来のことだ。脳だけでも保存してあれば、記憶や人格を再構成して、なんらかの媒体にロードして“走らせる”ことが可能になっているにちがいない――と、ナイーヴに信じることができる人たちが、こういう会社と契約するのだろう。有名どころでは、SF評論家・作家のチャールズ・プラットが、不思議なことに、クライオニクスに本気で取り組んだりしている。

 でもなあ、おれにはこんなもの、とんでもなく愚かなファンタジーだとしか思えない。

 だって、考えてもみてほしい。いまから、千年か、五千年か、二万四千年かのちの世の人たちが、二十世紀や二十一世紀に交わされた商取引契約に則って、なにが哀しゅうて、むかしの人間を蘇らせにゃならんのだ? たとえそういう技術が確立していたとしても、勝手に未来に先送りされた厄介な問題を、未来の人たちがわざわざ律儀に解決せねばならん義理などあるものか。

 そう考えると、いまクライオニクスの会社と契約して、いつか復活させてもらえるかもしれないと未来に希望を託している人たちの“遺体”など、当の未来人たちにとっては、使用済み核燃料みたいなものである。

 未来人たちは言うだろう。おまえらのファンタジーを勝手に未来に押しつけるな、と。こんなものを保存するために、貴重なエネルギーを使ってきたのか、と。おまえらのせいでこんなとんでもない未来になっているというのに、未来の超技術で生き返らせてもらおうなどと虫のいいことを考えていたやつらの“遺体”が、こんなにたくさん冷凍保存されているとは、バカバカしいことおびただしい、と。

 そこで、彼らは気づくのだ。

 待てよ……使用済み核燃料とちがって、これはこれで、貴重な蛋白源だ、と。


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2009年1月 7日 (水)

酸っぱいブドウの防衛機制

 あ、そういえば、宝くじの当選番号を見ていなかったな――と、ウェブで確認した。おれは夏と冬だけ、気が向けば十枚ずつ宝くじを買う。まあ、宝くじなんぞ、まず当たるようなものではない。が、買わなければ絶対に当たらないというのも、また事実なのである。

 おっ。

 「4等 10万円 各組共通 165598番」とな!

Takarakuji いま、おれの目の前に、なぜか「165600番」のくじがある。

 あるのである。

 に、二番ちがいかよ……。

 おれは「けったくそ悪い」という言葉の真の意味を九年半ほど前に知ったはずだが、あれは甘かった。今度こそ、その真の真の意味を知った気がする。


ああ、けったくそ悪い!


 それにしても、くじ運が悪い(「くじ運がない」のではない)にもほどがある。きっと、同じ売り場でおれの前に連番の封筒を買った人が、いまごろ十万円のあぶく銭を手にしているのにちがいない。けっ。あぶく銭は身に着かんぞ。全部ガシャポンとUFOキャッチャーでスッてしまえ!

 そうだ。おれはくじ運が悪いのではないかもしれない。九年半前もそうだったが、おれはただ単に“十万円”と相性が悪いだけなのだ。そうにちがいない。たかが“十万円”と相性が悪いだけであれば、むしろさいわいだ。ひょっとすると、五百万円や一億円や三億円とは、とてもとてもとても相性がいいのかもしれないではないか。十万円と相性が悪ければ悪いほど、三億円とは相性がいいという大自然の隠された法則があるかもしれないではないか。いやある、きっとそういう法則がある。そりゃもうエネルギー保存則ほど強固に、断固としてある。

 ……などと固く信じて、宝くじを百枚も二百枚も買うようなことをしはじめると、バカバカしいことおびただしい。おれは頑として、多くても年に六千円しか買わないのだ。ま、宝くじなどというものは、こうやって楽しむものでありましょう。“けったくそ悪さを楽しむ”というのが、たぶん正しいのだ。三千円でこれだけけったくそ悪くなれれば上等と言えよう。これほどのけったくそ悪さは、ふつうなかなか三千円では買えんぞ。まいったか。



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2006年6月21日 (水)

年配者向けパチンコ台の提案

 おれはパチンコを全然しないんだけども、テレビCMを観たり、パチンコ屋の前を通りがかって広告を見たりしているかぎりで知るところによれば、近年いろんなドラマやら映画やらマンガやらなにやらがパチンコ台になっていて、いったいこの台はなにがどうなれば楽しいのやらなどと、妙に想像をかき立てられたりする。『冬のソナタ』なんて、いったいどういうふうにゲームにしているのだろう?

 それはともかく、その手のパチンコ台の微妙に懐かしいラインナップは、どう考えたって、三十代後半から四十代後半くらいを、つまり、おれたちを狙っている。この層のパチンコ人口は多いのだろうか、少ないのだろうか。多いからそのニーズに応えて企画ものを繰り出してくるとも考えられるし、パチンコ離れが進んでいる層だから、それを食い止めるために懐かし台を次々出してくるとも考えられる。

 おれが思うに、働き盛りばかり狙わずに、もっと上の、時間ができる世代を狙うのもアリなのではなかろうか。

 パチンコ《若大将》とか、パチンコ《渡り鳥》とか、パチンコ《社長漫遊記》とか、パチンコ『愛と死をみつめて』とか、パチンコ『君の名は』とか、いくらでもできそうな気がする。

 いまなら、パチンコ『奥の細道』なんかどうだろう? えんぴつでなぞるのが面倒くさい人は、右手でダイヤルをひねって固定しておくだけで、芭蕉の足跡を辿ることができるという、まことにわびさびに溢れた台なのである。おのが人生を振り返り、充実した余生をじっくり味わうのに持ってこいかも。



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