カテゴリー「ラジオ・ポッドキャスト」の9件の記事

2011年8月21日 (日)

FM/AMハンディーポータブルラジオ レッド ICF-51/R(SONY)

 ひさびさに“単機能のラジオ放送電波受信機”を買った。

 なにしろ、いまはポッドキャストやら radiko やら、いろんな方法でラジオ放送を聴くことができるので、この機械を単に「ラジオ」とは呼びにくい。ラジオ放送の電波を受信する機能というものは、なにかほかの機械の“副次的な一機能”として搭載されていることが多く、若い人の中には“単機能のラジオ放送電波受信機”を見たことがない者すらいると聞く。そんなアホなとは思うが、そうなのかもしれん。ある知人は、おのが息子に「お母さん、“テープレコーダー”ってなに?」と訊かれて愕然としたという。

 いやなに、この製品がとくにすげーというわけでもないんだが、こうなったからには、関西にだっていつまた大地震が襲ってこないともかぎらない。テキトーな値段でそこそこの性能の“電波ラジオ”を買っておくかと、テキトーに買ったのである。

 でもって、実物を手にしてみると、なにやらものすごい懐かしさが湧き上がってきて、われながら当惑した。すげー、デジタルなところがひとつもない。スイッチ類、ダイヤル類、すべてアナログ。昭和の薫りがぷんぷんする機械だ。

 なにしろ、ちゃちい。ちゃちいんだが、小さくて軽い。一般的なコンパクトデジタルカメラくらいの大きさで、ほとんどがプラスチックでできている。ブランドこそソニーだが、MADE IN CHINA である。おれが小学五年生のときに初めて買ってもらったNECのラジオは、このラジオの倍くらいの大きさがあったなあ。でも、大きさがちがうだけで、機械としてのインタフェースは、小学生のおれの愛用ラジオとほとんど変わっていない。

 ところがどっこい、こんなおもちゃっぽい筐体なのに、感度と音は存外にいい。これはさすがに、おれの子供のころのラジオをはるかに凌いでいる。災害用を念頭に置いて買ったが、この音質なら普段使いにベッドサイドに置いておいてもまったく問題ない。こういう“枯れた”機械も、やっぱり二十一世紀ともなると、枯れた機械なりに洗練はされてるのよなあ。

 ひとことで言うと、「うまい棒」みたいなラジオだね。駄菓子の域を出ない作りではあるが、がっつりとした食べ応えはちゃんとある。そして、なにより安い。

 寝苦しい夜に、暗闇の中で、こういう素朴なラジオで深夜放送を聴いていると、ああ、ラジオってのは、まだまだ絶対に滅びない、いや、むしろこれからもけっこうしぶとく、いろんなカタチで生き残るにちがいないと思う。

 おれはラジオが大好きだ。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月29日 (月)

未来から来た工作員?

 先日の『小島慶子 キラ☆キラ』で、映画評論家の町山智浩氏がアメリカで上映中の Fair Game という映画を紹介していた。(映画公式サイトはこちら

 この原作本は、元CIAの女性秘密工作員が書いたもので、CIAの検閲によって「むかしの日本の終戦直後の教科書みたい」((C)町山智浩)なありさまになっており、あちこち黒塗りだらけというすさまじいものらしい。裏返すと、「書いてもいい」とCIAが許してくれた部分だけが堂々と出版されているわけで、CIA公認の暴露本と考えてもよいのだ。

 面白そうなので、先日 kindle を買ったのをよいことに、さっそく原作の kindle 版を買ってみた。安いなあ。個人の消費者にとっては、円高万々歳である。

 紙版は墨塗り教科書みたいだということだが、電子書籍はどうなのかとパラパラ見てみると、こんな感じ―― 

[Text has been redacted here.] but I thought if it didn't pan out, I could find something on Capitol Hill or in the Peace Corps.  In the meantime, I found a job as a management trainee with a [Text has been redacted here.]  Washington department store [Text has been redacted here.].

 なにやら朝比奈みくるが書いたかのような独特の味わいが捨て難い。紙では出せない電子書籍の味とでも申しましょうか。丸谷才一「年の残り」のようでもあり、筒井康隆「弁天さま」のようでもある(そうかぁ?)。まあ、電子書籍でも■■■■■■■■■■■■■■とでもすれば、それなりに紙の黒塗りの真似はできるだろうけどなあ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月28日 (日)

トイレのコオロギ

 むかーしむかし、おれが子供のころ、トイレには花子さんもいなければ、それはそれはきれいな女神様もいなかった。汲み取り式だったアパートの一階のトイレには、べつのものがいたのだ。

 カマドウマである。いや、「カマドウマ」などというのは、あとから図鑑で知った“よそゆき”の呼称であって、関西の人間はみな、日常的にはアレを「便所コオロギ」と呼び慣わしていた。そう呼ばれるほど、汲み取り式の便所の周辺には、決まって見かけたものだった。

 それにしても、カマドウマのほうにしてみれば、いい迷惑である。公式に呼ばれたとしても、馬でもないのに「竈馬」と呼ばれ、俗に呼ばれたとしても、コオロギでもないのに「便所コオロギ」と呼ばれる。常に、自分はなにかの“パチもん”であるかのように呼ばれるのだ。

 まあ、たしかに昆虫のくせに翅が全然ないところが、ゴキブリの幼虫のでかいやつのような印象を与え、遭遇するとかなり不気味ではあるが、人間に実害がさほどあるわけでもない。なのに、まるで害虫であるかのように、駆除の対象になったりする。じつに気の毒なやつらではある。

 カマドウマを自宅のトイレ付近に見かけたような世代は、たぶん都市部なら四十代以上、田舎なら三十代以上くらいじゃないかと思うが、植村花菜がカマドウマをトイレで見たことがあるかどうかはさだかでない。でも、彼女もベタベタの関西だし、年齢的にはギリギリ「便所コオロギ」って言いかたが通じるんじゃないかなあ。

 植村花菜が『大竹まこと ゴールデンラジオ』にゲスト出演したとき、「最近、いちばん嬉しかったことはなんだったか?」と問われて、『探偵!ナイトスクープ』に出られたこと」と答えていたのは、じつに微笑ましかった。「ああ、このコは、ほんまに関西のコぉや」と、ポッドキャストで聴きながら大笑いしそうになった。

 ひょっとしたら、植村花菜は、紅白歌合戦に出られることよりも、『探偵!ナイトスクープ』に出られたことのほうが、じつは内心嬉しいんじゃないかと思ったりする。きっと、彼女のお婆ちゃんも、生きていたらそう思うんじゃなかろうか。


| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年4月25日 (日)

『特撮リボルテック SERIES No.001 ALIEN(エイリアン)』(海洋堂)

 海洋堂《空想科学フィギュア大全集 特撮リボルテック》シリーズの第一弾。こんなものを発売するとは、これを鬼畜の所業と呼ばずしてなんと呼ぼう。嬉しいやら迷惑やらやっぱり嬉しいやら、どうしてくれよう……。

 単にウェブページを見ただけであればポチッとやってしまわなかったかもしれないが、『きかせられないラジオ』(NBC長崎放送)のポッドキャスト「造形集団・海洋堂の世界!①」をうっかり聴いてしまったがために(まあ、毎週聴いているわけだが)、「ああ、もうあかん……」とくずおれるようにクリックしてはならないものをクリックしてしまったのだった。だってあなた、この番組やってるNBCのオタクオヤジアナウンサー二人がこれまた鬼畜で、「カチカチカチカチッ、カチカチカチカチッ……」などと、心地よいリボルバージョイントの音を聴かせながら、ほうら、欲しいだろう、欲しいだろう、欲しければおねだりしてごらん、ほうら、欲しくてたまらないとお言い、ふっふっふ、身体は正直だなとでも言わんばかりに誘惑するものだから、おれの正直な右手はおれの理性を吹きとばし、欲望のままにぬめぬめと光る淫靡な大人のおもちゃに手を伸ばし、ポチっとしちゃったんです。ああっ、許してあなた(って誰やねん、おまえ?)。

 実物を手にして驚嘆したのは、やはり、よくこのクオリティーで三千円を切ったなということである。手足の昆虫じみた感じといい、頭部の半透明感といい、思わず「ほんものそっくり」などとわけのわからないことをつぶやいてしまったくらいだ。ハリーハウゼンがこれを手にしていたら、コマ撮りしてシンドバッドと闘わせたにちがいない。

 あまりに感嘆したので、おなじみの愛機 RICHO R10 最大の武器であるマクロ撮影を駆使して、夜中にひとり撮影会を開催してしまった。いい歳をしたおっさんが、深夜ににたにたしながら大人のおもちゃをいじくりまわして写真を撮っているというのは、けっしてさわやかな感動を呼ぶ光景ではないが、藝術を愛でる気持ちに子供もおっさんもあるか。

 というわけで、今週は、つい先日、海洋堂からデビューしたばかりの新人、エイリアンクンのスレンダーなセクシーボディーをお届けしよう。どこに顔があるのはかわかりにくいシャイな頭のぬめっとした半透明感はボクらのハートをわしづかみだッ!


Alien_01 蛍光灯と豆電球を併用して、ちょっと赤っぽい光沢を演出してみた。

Alien_02 尾には針金が入っていて、自在にポージングできる。

Alien_03

Alien_04 orz...

Alien_05 たまらない腰つき。

Alien_06 尾の先までカッコいい。

Alien_07 開閉する口からは、おなじみインナーマウスが出てくる。

Alien_08

Alien_09 腕の造形がこれまたすんばらしい! リボルバージョイントのところは大目に見ろ。なにせ、こいつのおかげでカチカチ動くんだから。

Alien_10

Alien_11 ちょっと露出を高めにして、メタリックな感じに。

Alien_12

Alien_13

Alien_14 手に乗せると、これくらいの大きさ。

Alien_15

Alien_16

Alien_17

Alien_18 これこれ、この感じがたまらん!

Alien_19

Alien_20

Alien_21 卵も付いてる。

Alien_22 幼生(フェイスハガー)。

Alien_23 フェイスハガーの裏が、なんというかその、あの、とてつもなく卑猥。べつに濡らして撮ったわけではない。こういう素材なのだ。

Alien_24 こんなパッケージに入っている。高級感のある本のようで、そのまま本棚にも収納できる。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月 8日 (木)

いま、ラジオが熱い

I'd sit alone and watch your light
My only friend through teenage nights
And everything I had to know
I heard it on my radio
―― Radio Gaga, QUEEN

 おれは中学生のころ、松下のクーガ7で手当たり次第にラジオを聴いていたものである。KBS京都の番組表なんぞ、諳んじているほどだった。「ぞうさんのハレハレジョッキー」とか「サンマルコからボンジョルノ」とか(こんなもん、京都の人しかわからん)に葉書を出しては、採用されると狂喜したものだった。

 そうしたラジオへの思い入れが、ここ一、二年、にわかに復活してきた。インターネットのおかげであるし、ポッドキャストという新たな配信方式のおかげである。Radio, someone still loves you.

 ラジオってのは、ネットととても親和性があるよね。twitter なんかだと、聴きながらつぶやけるし。だいたい、地上波テレビがつまらなすぎるのだ。ラジオのほうがずっと過激で面白い。

 おれがポッドキャストで聴いているラジオを挙げてみよう。

大竹まこと ゴールデンラジオ (文化放送)
高木美保 Close to You (文化放送)
JUNK 爆笑問題カーボーイ (TBSラジオ)
きかせられないラジオ (NBC長崎放送)
ON THE WAYジャーナル~高野孟のラジオ万華鏡 (Japan FM Network)
MAKING SENSE DIGEST (J-WAVE)
小島慶子 キラ☆キラ (TBSラジオ)
里田まいの産地直送!カントリー娘。 (STVラジオ)
細川茂樹の家電ソムリエ (九州朝日放送)

 こんなに聴ききれるのかって? リアルタイムでは聴ききれないよ。でも、ポッドキャストなんだから、いくら遅れて聴いてもかまわないわけで、そういう意味では充分聴けますな。●はほぼ配信されると同時に聴いているが、▼は聴ければ聴くくらいの感じだ。TBSの優良番組「アクセス」が終わってしまったのは残念だ。「アクセス」はポッドキャストも配信していたし、リアルタイムではストリーミング放送もやっていた先駆的な番組だったのにな。

 IPサイマルキャストラジオの「radiko」の実験放送がはじまったのも嬉しい。おれの住んでいるところは京都市内ではあるが、在阪局のABC(朝日放送)やMBS(毎日放送)でも、非常に受信状態が悪い。それらがクリアな音質で聴けるのはありがたい。APIが公開されているわけでもないのに、続々と radiko 関連のソフトやサービスを個人で開発している人たちがいて、おれも少しずつ試したりしている。それらについては、この記事が詳しい。

ラジオ聞きながら交流 「radiko」関連サービス、個人開発者が続々
  http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/19/news070.html

 radikoは、リアルタイムでの放送を前提としているわけだから、タイマー予約録音までできてしまうのはちょっと問題かもしれないが、便利なものは便利なので、おれも使いはじめている。音声ファイル形式を変換すれば、iPodでも持ち歩けるはずだが、面倒くさいのでそこまではまだやっていない。

 ラジオがなぜネットと親和性が高いのか? そりゃ、マクルーハンがかつて分類したように、ラジオはホットメディアだからだ。つまり、受け手から関与してゆく度合いが高い。なんかそんなことをむかし書いたような気がするなとふりかえってみると、そうだそうだ、おれは「ラジオってのは、マクルーハン的にはいわゆるホットなメディアだから、ネットと親和性が高いような気がするんだよね」と十年以上前に書いているではないか。それがようやく実サービスによって証明されはじめている。

 あ、こんなことも一九九七年に書いているぞ。『マクルーハンが“ホットな”のメディアの例としてラジオを挙げたように、ラジオには聞き手が能動的に関与してしまうなにかがある。ぼけーと観ているテレビとは、そのあたりの“巻き込まれ度”とでもいうものがちがうのである。おれがパソコン通信をはじめたころ(昨日、NIFTY-Serveから「満6年おめでとう」のメールが来てたな)、「あ、これはラジオだ」と直感的に思った。マイナーだが常連投稿者の付いているローカル局の番組の雰囲気にそっくりだ』

 おれの直感は正しかったのだなあと、しみじみ感じる今日このごろなのであった。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月27日 (火)

京都をポケットに入れて持ち歩く

 「NipponArchives 京都二十四節気」って、ビデオポッドキャスト(iTunes Store URL)に感嘆。壇れいのナレーションもいいが、なにより映像がすばらしい。上質の環境ビデオのようである。こんなの、タダで観ていいのかい?

 おれはかろうじて京都市内に住んでいるが、こんな景色はめったに見ないなあ。こんなのは、日本語版だけじゃなく、英語で世界に発信すればいいのに。せっかくのポッドキャストなんだからさ。




| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年8月26日 (水)

聴きたかったなあ、細田幹事長の話

 おれはポッドキャストで愛聴している『大竹まこと ゴールデンラジオ』(文化放送)だが、このところなにやら寂しい。ポッドキャストで配信されているのは「オープニング」「大竹メインディッシュ」「大竹紳士交遊録」の三コーナーだが、その名のとおり“メインディッシュ”のコーナーが、このところ配信されず“歯抜け”になっていることが多い。

 理由はあきらかで、政治家が来てしゃべる日の「大竹メインディッシュ」は、公示から投票日までのあいだ、リアルタイムで電波に乗せて放送できるというのに、ポッドキャストでは配信できないからだろう。というか、ポッドキャストで配信していいとも悪いとも公職選挙法には書いてないわけだから、やってみたってよさそうなもんだが、大事を取って誰も最初に氷を割ろうとしない。そもそも五十九年もむかしにできた法律に、そんなことが想定されているはずがない。なんでこんなのをずっと放っておくんだろうね? そういえば、先日、社民党の保坂展人が、テレビ出演を機に公職選挙法を改めて調べていて、そのあまりにもシュールな規定に驚いていたっけな。政治家だって、なんとなく慣習的にこれはやってもいい、これはいけないといった経験則を踏襲しているだけの人が多いようで、いまこの時代に改めて条文を読むと、あまりの奇ッ怪さに仰天するようだ。

つまりは、「連呼行為」は禁止だけれど、例外規定として走行中の自動車の車中では許されていると書いてあり、逆に「政策を訴える」などの演説などは停車中にのみ認められていたのだ。
「選挙運動のために使用される自動車の上において」「選挙運動をすることが出来ない」というのは、日本語として成立していないようにも思えるがどういうことだろうか。一方で、連呼は禁止のはずだったが、公職選挙法をみるとOKになっている。これは、法律が時代錯誤的かつナンセンスな選挙運動を枠づけているのと同じだ。
私が知らなかっただけではなく、番組に出演した政治家全員が「ホントなのそれ?」と首を傾げた。私たちは、公選法が「連呼を禁止している」と錯覚して、連呼をしないように心がけてきたのであった。
 こんなに時代錯誤でメチャクチャな法律を変えることが出来ない国会とは情けない限り。

 まったく情けないかぎりだと思うが、国会議員たち(とくに、とても長いあいだ与党であった政党の議員たち)が、ほかならぬ自分たちの活動を規定する法律を六十年近くもほったらかしにしてきたのは、いまこのネット時代になってみると、自業自得と言えば言える。

 先日、『大竹まこと ゴールデンラジオ』に自民党の細田幹事長が出演したらしいことは、ポッドキャストで配信されてきた「オープニング」を聴いてわかっていて、これはぜひ、落ち目の政党の大番頭の主張を聴いてみたいものだと期待したのだが、細田幹事長が熱弁をふるっているはずの肝心の「大竹メインディッシュ」は、公職選挙法に鑑み(?)配信されてこないのである。その滑稽な事態そのものが、大時代な公職選挙法を放置してきた自民党への天罰のように思われ、はなはだ痛快であった。空中に消えてゆくリアルタイムのラジオ放送じゃなく、いつでもどこでも聴けるポッドキャストで通勤時間に歩きながら政治の話を聴くような人々にこそ、自民党はいまいちばん話を聴いてほしいはずだと思うんだが、残念でしたー。そりゃ、あんたたちが長年の怠慢のしっぺ返しを受けているだけだよ。

 えっと、細田幹事長、ポッドキャストって、そもそもなにかご存じ? そのむかし、イラン革命を起こした大きな力のひとつと技術史に語り継がれる、ホメイニ師によるカセットテープの“配信”を、いまはインターネット上で誰もが電磁的音声データで手軽に行う方法が確立しているのですわ。細田幹事長、あなたが出演した文化放送は、とくに積極的にポッドキャストで番組を全世界に配信している。こういう話は自民党のご老体たちにはちんぷんかんぷんかな? 民主党の若手にしたほうが、ずっと通じるかもね。

 いやあ、しかし聴きたかったなあ、細田幹事長の話。選挙が終わってからでいいから配信してくれよ、文化放送さん。そのとき聴くと、またいっそう味わいのあるお話かもしれないし。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月13日 (月)

♪Radio, someone still loves you!

ラジオの電リク今や昔…メールに押され電話窓口次々廃止 (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/update/0411/OSK200904110015.html

 関西のラジオ番組でこの春、リスナー向けの電話窓口が相次いで廃止された。メールやファクスでのアクセスに押され、電話利用が減っていた事情もあって、番組改編や経費削減の波にのまれた。かつて隆盛を誇った音楽番組の電話リクエストも消えつつある。年配のファンからは、一時代の終わりを惜しむ声が絶えない。
 朝日放送(ABC、大阪市福島区)の看板番組「おはようパーソナリティ道上洋三です」(平日早朝)が、リスナー投稿用の電話窓口を廃止したのは今月3日。オペレーター10人が電話応対し、聞き取った内容をアシスタントディレクター(AD)が選んでプロデューサーに伝えていたが、メールなどに比べて手間がかかる、との理由だった。
 同局では、ほかの2番組の電話窓口も同時期にやめた。編成制作部の担当者は「ここ数年、通信手段の選択肢が増えて投稿数が伸びる半面、スタッフの数は減るばかり。番組進行の効率を考えた」。3月末に窓口廃止を告知した際、「寂しい」などの声が10件ほど寄せられたという。
 毎朝のように電話してきた高齢男性から「長い間いろんなこと言うて悪かったなあ。話を聞いてもらうのが楽しみやった」と言われ、涙が出た――。そんな話を電話窓口終了後、オペレーターの送別会で聞かされたという道上洋三・エグゼクティブ・アナウンサー(66)は「電話は多くの人の力を積み重ねてリスナーの思いを受け止めてきた」と振り返る。「かかった人の数だけ思いが詰め込まれ、マイクの前に届いていた。その思いを今後は少ない人間で感じていかなければならない」

(中略)

 そんな電リクも東京では健在だ。ニッポン放送(千代田区)は今月5日、「デジタルにはない臨場感がある」として、日曜朝の音楽番組で、長年途絶えていた電リクを復活させた。初回は電話が殺到したという。文化放送(港区)の編成部担当者は「電話はリスナーの生の声を聞ける重要なツール。ニーズはなくならない」。同局は音楽番組やトーク番組など複数の番組で電話窓口を維持している。(宮崎園子)

 うーむ。時代の流れと不況の波が重なった結果、いま、こういうことになったんだろうなあ。

 おれはラジオに葉書を書いていたころはあるが、電話をしたことはないもんだから、リスナーとオペレーターのコミュニケーションというのがどういうものなのかはいまひとつ実感を伴ってはわからないのだけれども、「長い間いろんなこと言うて悪かったなあ。話を聞いてもらうのが楽しみやった」というのは、ちょっと泣かせる話だよね。

 以前、職場で、電話通販でお茶を売っている会社のシステムを担当していたSEから聞いた話だが、お年寄りの客には、ほんとうにオペレーターとただただ話がしたくて電話をかけてくる人が少なからずいて、通販会社としては痛し痒しなのだという。ラジオの電話リクエスト窓口にかけてくる人にも、きっとそんな寂しいお年寄りがいて、孫のようなオペレーターに「いろんなこと言うて」やるのがじつは楽しみだったりしたんだろうな。

 電波のラジオというものを最近すっかり聴かなくなってしまい、ラジオは専らポッドキャストで配信されているものばかりを聴いているおれではあるが(そういう意味では、以前よりずっとラジオを聴くようになったくらいだ)、かつてのラジオ少年としては、たしかにまた一時代が終わったようで、そこはかとない寂しさを感じますなあ。その一時代を終わらせしめるほうの勢力に、おのれが紛れもなく加担しているとしてもだ。

 そうそう、ラジオといえば、前から気になっていたのだ。おれの小中学生、高校生のころは、ラジオに投稿するときの変名を、アナウンサーも番組パーソナリティーもリスナーたちも、みな「ペンネーム」と言っていたものであるが、いつのまにか、アレを「ラジオネーム」などと呼ぶのが一般的になってしまっている。おれがラジオを全然聴いていない時期に変化があったようなんだが、どうして変わったんだろうね? おれはどうも人間が古いのか、いまだに「ラジオネーム」って言葉にちょっと引っかかりを感じる。「ペンネーム」じゃいけない理由でも生じたんだろうか? べつに文筆活動じゃないからとかいう理由なんだろうか? そうかあ? そりゃ、一見さんならともかく、これには原稿料を出すべきだと思わせるような力作をしょっちゅうラジオに投稿している、投稿の鬼みたいな人とかもいるしなあ。

 かといって、テレビで匿名希望で変名を使っている葉書が読まれているときに、「テレビネーム」なんて言葉を使っているのは聞いたことないんだよな。げに不思議な言葉、「ラジオネーム」。



| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009年3月 8日 (日)

爆笑問題・田中に捧ぐ

222222 『JUNK 爆笑問題カーボーイ』(TBS RADIO)を聴いてる人にしかわからんネタだとは思うが……。いやまあ、京都では当然受信できないから、おれはポッドキャストしか聴いてないんだけどね。




| | コメント (0) | トラックバック (0)