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2012年7月の5件の記事

2012年7月31日 (火)

火を噴くガメラ?

 ケンタッキーフライドチキンの期間限定新商品「ファイヤーウィング」ってやつを買ってみた。まだ食ってないので味はわからない。あとで食う、あとで。

 そんなことより(をい)、上記商品のテレビCMで紹介しているAR(拡張現実)っぽいおもちゃを、チキンも食わずにさっそく試してみた。CMってのは、こんなやつだ。

 スマートフォンでKFCの公式アプリ(iPhone用とAndroid用がちゃんとある)をダウンロードして起動し、上のCMでお父さん役の男がこれ見よがしに指に装着している紙の指輪(この辛いチキンに付いてくる)の表面のパターンをカメラに認識させる。アプリが指輪を認識すると、カメラの映像の中に、ゴォオオオオオオという音と共に炎が現れるという寸法である。

Fire_wing1

 なにぶんにも独り者だもんで、おれが火を噴いているところを誰もスマホで見てくれないから、自分の手が火を噴いているのを寂しくキャプチャーしてみた。

 ほんの数年前には、ARなんてものをIT関係者でもないSFファンでもないそこいらへんの人に説明するにはずいぶん手間がかかったもので、「ほれ、『電脳コイル』みたいなやつ」と言っても、もちろん相手はそんなもの観ていないから余計に話がややこしくなり苦労した。それがどうだ。いまや、新聞やらカタログやら英語の教科書やらカーナビやらなにやら、あっちゃこっちゃARだらけである。とうとう、揚げかしわ食うときまでARだ。

Fire_wing2

 独りでやっててもあんまり面白くないんで、すぐ飽きる。が、家族持ちの方々には、ぜひ試してほしいことを思いついた。

 お父さんがこの指輪を着けて立ち小便をしているところを、横から奥さんやお子さんがスマートフォンで見たら、さぞやワイルドな画になるにちがいない。父親の威厳というものを家族に示すよい機会と言えよう。ぜひ、やってみていただきたい。

 また、この指輪はサイズの調節ができるように段階的に切れ込みが入っており、指よりも相当太いものにも巻けるようになっているから、両手が空いたお父さん自身も、お父さん自身が火を噴いているところを見られるはずだ。ワイルドだろぉ?



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2012年7月 4日 (水)

「政治生命を賭ける」やつと「土下座をする」やつは、問答無用で落とそう

 「政治生命を賭けて」などという言葉をやたら使う木っ端政治家がなぜかよくテレビに出てくるのだが、こういう言葉を平気で使うこと自体が、「私は視野狭窄でございます」と大声で喧伝しているようなものだと、なぜわからないのだろう?

 「命を賭けて」という言葉がある程度の重みを持つのは、そういう言葉を聞くほうにも、「命は大切な、とても重いものだ」という認識が共有されているからである。そんな重いものだからこそ、それを守るために超法規的措置が取られたとしても、みな、そこそこ納得するのだ。

 ところが、“政治生命”などというものは、当事者以外の人間にとっては屁のような、どうでもいいものである。そんなものを、さも普遍的に大切なものであるかのように恩着せがましく賭けて見せられたところで、「だからどうした?」と思うのが大多数のふつうの人だ。つまり、「政治生命を賭けて」などという言葉を使う人間は、そんなあたりまえのふつうの人の感覚を欠いている、あるいは、最初からそんなものは持ち合わせていないのである。

 テレビ画面の中で「政治生命を賭けてどーたらこーたら」とニューハーフのブタみたいな顔の政治家がほざいていると(最近知ったのだが、どうやらこの男はいまの首相らしい)、おれはいつも「勝手に賭けてろ、アホンダラ」とツッコむ。

 百歩譲って、“政治生命”なるものの大切さ(?)がそこいらへんの国民にも多少なりとも共有されているとしよう。だとしても、その大切なものは、政治家が自分で造り出したものではない。選挙権という、誰もが平等にちょっとずつ持っている“政治生命”が、政治家にまとめて預託されているにすぎない。いわば、政治家にとって、その“政治生命力”のすべては、人様からの大切な“預かりもの”なわけである。

 そうやって政治生命をかき集めたときに言っていたことをケロリと忘れて、または、憶えているがいけしゃあしゃあと忘れたふりをして、人から預かった政治生命を勝手にヘンなものに賭けないでほしい。おまえの政治生命はおまえのものじゃないのだ、野田(あ、言うてもた)。

 人様の政治生命をかき集めるときだけは、たとえば片山さつきのように土下座をしてみせたりする人もいる。これも失礼きわまりない話で、政治家が絶対にやってはならないことだ。土下座をするということは、「有権者なんてものは、土下座のひとつもして見せれば簡単に情にほだされて騙されるやつらなのだ、けけけけけ」と考えていることの証であり、これ以上に有権者を見下した行為はない。「おまえらみたいな阿呆が、私よりも劣るくだらない政治家にばかり票を投じているからろくな世の中にならないのだ。少しでも周りの阿呆よりもましな半馬鹿は、私に票を投じてみやがれ!」と、有権者を面罵するほうが、はるかに誠実である。

 というわけで、早晩、選挙があるだろうが、軽々に「政治生命を賭ける」阿呆と、軽々に土下座をする傲慢で狡賢いやつには、絶対に議席を与えてはならない。この二種だけは、なにも考えずに、自動的に除外してよろしかろう。



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2012年7月 2日 (月)

〈週刊文春〉の話題で持ちきり

「あ、そうそう、〈週刊文春〉読んだ?」

「読んだ読んだ。まったく、あれはひどいなあ」

「ああ、あれか、おれも読んだよ。ちょっと叩きすぎだよね」

「むかしの話なのにねー」

「一度は好きになった相手だろうに。あの言いぐさはないわ」

「でも、ゆきずりの関係だったんだろ?」

「いや、しばらくつきあってたそうだよ」

「いやいや、すごく長いつきあいだろう」

「あの手紙、ホンモノなのかなあ?」

「手紙? メールだろ」

「なんであんなに叩かれるんだろう。そりゃまあ、それほど美形じゃないにしても、よく見ると愛嬌があるんだけどなあ。おれは好きだよ、美脚だし」

「愛嬌あるかあ? ガマガエルみたいで怖いけどなあ。美脚なのか、あの人??」

「誰が見ても、きりっとした美形だと思うけどなあ。たしかに脚はまだまだ逞しいし、尻なんかきゅっと上がってて、さすが鍛えた感じだよね」

「よく一億なんてポンと出せたなあ」

「え? 四億じゃなかったっけ?」

「おれは二十五万って聞いたけど」

「博多に移籍しちゃうんだろ? ほら、若田部のとこ。ちょっとかわいそうだなあ」

「ええっ、ホークスから声がかかってたのか? 若田部はもう現役じゃないだろ」

「おれは離党するって聞いたけどなあ」

「でもまあ、なんだかんだ言っても、ヘタレでもがんばってるとこがいいよね」

「そうだな、ヘタレだけどがんばってるな」

「たしかに、あのヘタレでもなんとかなってると思うと、気が楽になるな」



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2012年7月 1日 (日)

ラブソングの刺青

知事 「市の教育委員会が先日から調査を進めておりましたが、やはり出てきてしまいました。刺青をしている教職員が十名ほどおります」

市長 「なんとな……。いるんじゃなかろうかとは思っていたが、やっぱりいたか。そいつらは、たとえば、どんな刺青をしているのだ?」

知事 「ある者などは、古いラブソングの歌詞を彫っております。“君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで”などと」

市長 「……不思議だ。その歌、どこかで聴いたような気がする」

知事 「……わかりました。われわれの遺伝子提供者たちのカールチューンが呼び覚まされているのです」

市長 「なに!?」

知事 「五十万周期の時を超えて」



市長 「大阪市長から市教育委員会へ、大阪市長から市教育委員会へ。これより貴会を援護する」

教育委員会 「――援護!?」

知事 「プロトカルチャーの文化を失うわけにはまいりません」

桂三枝 「プロトカルチャーの文楽は? 守らんと続かん藝もありますさかい」


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今月の言葉

決められない 停まらない

 おれは脱原発をちゃんとゴールに据えたうえで、危険性が少しでも低い原発から博打を打って再稼働するのには賛成なのだが、民主党政府ときたら、これからのエネルギー政策についてなにも決めないままに、ど素人の政治屋どもが密室で相談すれば物理法則が都合よく変えられるとでも言わんばかりに、むちゃくちゃな手順で再稼働を勝手に決めて、ものごとを進めようとしている。じつに不真面目で不誠実である。彼らが正真正銘のアホばかりであるのなら、そりゃまあしかたがないが、どうやらアホではないらしい。ただただ、ひたすら、不誠実なのだ。アホは困ったことだが許さなきゃしようがないが、不誠実なのは許せない。

 政府のあいつらがむちゃくちゃな手順で再稼働をゴリ押しするもんだから、まともに再稼働して脱原発へ向かえと言っているおれたちは甚だ迷惑に思っている。あんな再稼働のしかたをしても百害あって一利ない。「危険だが、動かすしかない。代替エネルギーが確保できるようになるまでは、原子力発電とつきあってゆくしかなく、それは退くも地獄、進むも地獄の修羅の道であり、いままでの日本国民が選択してきた愚かな政策のツケである。いま日本で生きている中年以上の人間は、子供や若者たちをできるだけ守るために、生活の不便をかこち、早死にする食いものを彼らの代わりに食って罪滅ぼしをせねばならない」という、あたりまえのことがなぜ言えないのだ?

 民主党政府がこの体たらくであることには怒りすら覚えるが、じゃあ、自民党が政権にいたときにこの原発事故が起こっていたら少しはましだったかといえば、まったくそんなことはないとおれは思っている。それは、河野太郎が長年冷飯を食わされ続け、これからも彼が自民党内で出世するようなことはまずないだろう(世間へのカムフラージュとしてテキトーにエラそうな役職に据える程度の知恵はいまの自民党にもあるが、それはあくまでカタチだけのことで、河野太郎は自民党にいるかぎり、一生、なにもできない)ことからもあきらかだ。

 民主党はまだ政権に就いて日が浅いから、隠そう隠そうとすることがみな表沙汰になってしまってバカを晒す。それはある意味、国民にとっては非常によいことなのである。「あいつらアホや」ということが、国民にもバレバレになるのは、民主党のいちばんよいところだ。これが自民党だったら、長年そうであったように、けっこううまく隠しおおせてしまうだろうから、たいへんタチが悪い。

 そういう意味では、もし自民党政権のときに今回の原発事故が起こっていたら、おれたちはいまごろ、とても、とても心安らかに暮らしていたにちがいない。外国語を解する人以外は。



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