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2011年8月の7件の記事

2011年8月30日 (火)

奪った命はどこへゆく?

 「命を奪う」という表現がある。べつになにがどうまちがっているわけでもなく、じつに頻繁に使われているし、おれも使う。だが、ちょびっと頭の隅でいつも気になっていることがある。

 たとえば、「財布を奪う」などの場合、財布は奪った者の手に移るわけである。だが、「命を奪う」場合、奪われる者は財布と同じように命を失うのだが、奪ったほうの手に命が移るわけではない。命はただ消えてなくなるだけである。これを果たして、「奪う」と能動的に表現してしまっていいものなのだろうか――と、いつも悩むのだ。もしかしたら、命などは、「奪われる」ことだけが可能であって、「奪う」ことはできないのではなかろうか?

 幸福なんかもそうだ。「あの男が私たちの幸福を奪ったのよ」と言う場合、私たちが幸福を失ったことは事実かもしれないが、じゃあ、私たちの占有を離脱した当該の幸福を「あの男」が横領することによって、「あの男」がそのぶんの幸福を享受しているのかというと、たぶんそんなことはない。

 もしかしてもしかすると、むかしは「命を奪う」「幸福を奪う」といった場合には、このような能動表現はなかったのではなかろうか? 「命を奪われる」「幸福を奪われる」などと受動的な表現のみが使われているうちに、能動表現のほうがあとから生まれたなんてことはあるまいか?

 むろん、いつものように、これはズボラなおれの想像にすぎない。気になる方は、ご自分で調べてみていただきたい。どこかの国語学者の方などが、とうのむかしに研究なさっていることなのかもしれない。

 同じ「奪う」でも、奪った者の手元に残らないようなものを奪うほうが、より罪深いと言えよう。財布は返すことができるが、命や幸福は、奪った者にも返すことができないからだ。


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2011年8月27日 (土)

放射線被曝健康法(※個人の感想です。効果には個人差があります)

「低線量の放射線被曝は、むしろ健康によい」という説がある。おれは専門家じゃないから、これを肯定したり否定したりする研究をする能力はないが、素人でも素朴に不思議に思うのは、「むしろ健康によい」のであれば、これを金にしようとする人が出現しないはずがないということである。「低線量なら、浴びてもさしつかえない」というんじゃなくて、積極的に健康を増進する効果があると言っているわけだろう? だったら、なぜ商売にしないのだろう?

 たしかに、ラジウム泉やらラドン泉やらといった、ある種の温泉などは、低線量の被曝による健康増進効果を期待して商売にしているわけだ。でも、温泉なんて、わざわざこちらから湯治に出かけてゆかねばならない。大きく儲けるには、誰もが手軽にいつでもどこでも低線量被曝の恩恵に浴すことができるような、流通可能な商品を開発したほうがいいのではないか。おお、ビッグビジネスの予感!

 そこで提案である。福島あたりの学校の校庭の隅っこに積んである、汚染された土やら砂やらがあるじゃないか。あれをですな、「低線量の放射線被曝は、むしろ健康によい」説を唱えている学者先生たちに監修してもらって、健康によい程度の分量を割り出し、食品に加工して販売するのである。ただそれだけでは売れないから、そこはそれ、こうした学者先生方の力をお借りして、特定保健用食品の認可を取る。「むしろ健康によい」程度の放射性物質を含んだ食品は、「条件付き特定保健用食品」としてなら認可される可能性は充分あるのではなかろうか?

 むろん、これを実現するには、産業廃棄物関連の法律をはじめ、いくつかの法律を改正しなくちゃならないだろうけれども、放射能汚染された瓦礫の山が健康食品の原料として宝の山に化けるのであれば、骨を折ってくださる議員さんはたくさんいるはずだ。

 特保が取れたら、有名人にCMに出てもらうのもいいだろう。「いやあ、うまい! カイワレはこれくらい汚染されているのが、むしろ健康にいいんですよ!」と、お遍路さん姿の菅直人ににっこりと言ってもらえれば売り上げ倍増である。あるいは、スポーティーな自転車を駆って躍動感たっぷりに現れた元科学技術庁長官/元原子力委員会委員長谷垣禎一が、ペットボトルを咥えて天を仰ぎ、喉仏をダイナミックに上下させながらごくごくと特保のスポーツドリンク「プルト君」を飲み干すというCMも、運動不足の中年層にアピールしそうだ。

 なにも食品や飲料ばかりが銭儲けの種ではない。旅行会社は、“放射線浴”を楽しめるツアーをなぜ組まない? もちろん、件の学者先生方にお願いして、「むしろ健康によい程度に汚染されたエリア」をピックアップしていただき、ツアーにもご同行いただこう。「◯◯先生監修! むしろ健康によい程度に被曝できるマイルドホットスポットめぐり」なんてのはどうだろう?

 いやいやいやいや、誤解してもらっては困る。おれはなにも、「むしろ健康にいい」と世のため人のためを思って無知蒙昧なおれたちを啓発してくださる先生方を茶化しているのではないのだ。ちょっとでも健康によさそうなものがあれば片っ端から商売にするビジネスマンたちが、なぜもっと商売気を出さないのか、いささか義憤すら覚えているのである。

 え? 実現したら、利用してくれるかって? いや、おれはべつにそのあの、そういうむしろ健康によいものを進んで飲み食いするほどには健康に気を遣ってないから、いいよいいよ、いいってば。どうせ独り身だ。日光浴もあんまり好きでないくらいなので、放射線浴も遠慮したい。バカだなあ、遠慮しないで、むしろ健康によいのにって、いやいやいやいや、だからおれなんかはいいから、もっとこう、健康に気を遣っている、妻も子もある人たちに薦めてあげて。


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2011年8月21日 (日)

FM/AMハンディーポータブルラジオ レッド ICF-51/R(SONY)

 ひさびさに“単機能のラジオ放送電波受信機”を買った。

 なにしろ、いまはポッドキャストやら radiko やら、いろんな方法でラジオ放送を聴くことができるので、この機械を単に「ラジオ」とは呼びにくい。ラジオ放送の電波を受信する機能というものは、なにかほかの機械の“副次的な一機能”として搭載されていることが多く、若い人の中には“単機能のラジオ放送電波受信機”を見たことがない者すらいると聞く。そんなアホなとは思うが、そうなのかもしれん。ある知人は、おのが息子に「お母さん、“テープレコーダー”ってなに?」と訊かれて愕然としたという。

 いやなに、この製品がとくにすげーというわけでもないんだが、こうなったからには、関西にだっていつまた大地震が襲ってこないともかぎらない。テキトーな値段でそこそこの性能の“電波ラジオ”を買っておくかと、テキトーに買ったのである。

 でもって、実物を手にしてみると、なにやらものすごい懐かしさが湧き上がってきて、われながら当惑した。すげー、デジタルなところがひとつもない。スイッチ類、ダイヤル類、すべてアナログ。昭和の薫りがぷんぷんする機械だ。

 なにしろ、ちゃちい。ちゃちいんだが、小さくて軽い。一般的なコンパクトデジタルカメラくらいの大きさで、ほとんどがプラスチックでできている。ブランドこそソニーだが、MADE IN CHINA である。おれが小学五年生のときに初めて買ってもらったNECのラジオは、このラジオの倍くらいの大きさがあったなあ。でも、大きさがちがうだけで、機械としてのインタフェースは、小学生のおれの愛用ラジオとほとんど変わっていない。

 ところがどっこい、こんなおもちゃっぽい筐体なのに、感度と音は存外にいい。これはさすがに、おれの子供のころのラジオをはるかに凌いでいる。災害用を念頭に置いて買ったが、この音質なら普段使いにベッドサイドに置いておいてもまったく問題ない。こういう“枯れた”機械も、やっぱり二十一世紀ともなると、枯れた機械なりに洗練はされてるのよなあ。

 ひとことで言うと、「うまい棒」みたいなラジオだね。駄菓子の域を出ない作りではあるが、がっつりとした食べ応えはちゃんとある。そして、なにより安い。

 寝苦しい夜に、暗闇の中で、こういう素朴なラジオで深夜放送を聴いていると、ああ、ラジオってのは、まだまだ絶対に滅びない、いや、むしろこれからもけっこうしぶとく、いろんなカタチで生き残るにちがいないと思う。

 おれはラジオが大好きだ。



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2011年8月17日 (水)

斑猫との再会

Hammyou01_2

 こいつはいったいなにか、おわかりになるだろうか? いまの若い人なら、実物を見たことがある人はもはや少数派だろう。知らない人には大きさすら見当もつかないかもしれない。およそ二、三センチの小さな昆虫だ。

 「斑猫」である。なに、読めませんか? いかんなあ、筒井康隆はちゃんと読んでおかなくちゃ。「ハンミョウ」だ。おれも今日、山でひさびさに見たのである。

 ふと、子供のころに住んでいたあたりに無性に行きたくなり(と言っても、地下鉄で数駅だが)、ただただそのあたりを散歩して、四十年以上の時の流れを感じてきた。むかしハンミョウがたくさんいた山道をおれは知っており、そのそばの寺に行ってみると、なんと、こいつがいたのだ。人間、五十も近くなると、「むかし、このへんにはこんな虫がいたなあ」などと懐かしく思い出す場所は、たいてい見る影もなく様変わりしているものだが、またこのへんでハンミョウにめぐりあえるとは、うれしいかぎりだ。

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 できるだけ寄って撮りたいのはやまやまなんだが、ハンミョウというやつは、ものすごく振動に敏感である。人間の足音を感じるや否や、ふわっと飛んで、一、二メートル先に、ふわっと止まる。そのさまから、「ミチオシエ」という別名があるくらいだ。

 だものだから、愛機 RICOH R10 必殺の1cmマクロも、ハンミョウ相手では役に立たない。一センチまで迫るどころか、息を殺してじわじわ間を詰めても、一メートルくらいまで寄るのが精一杯だ。

 汗だくになりながら、しばしハンミョウと格闘。振動を感知されないよう、一メートル前後から望遠で極力寄る。

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 前翅がじつに美しい。ピンぼけしているかのように見えるんだが、これは、捕まえて手の中で間近で見たとしても、このように見える。ゼリーで覆われているかのように奥行きのある不思議な感じだ。

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2011年8月12日 (金)

前年同月から36パーセント減の節電に成功

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 8月分(7月14日~8月11日)の電気使用量が、前年同月を100とした場合、64ですんだ。どっしぇー。4,416円ちがうってのはでかい。

 先日書いたように、やっぱり冷蔵庫を変えたのがいちばん影響しているとは思うが、ほかに去年と変わっているのは、地デジ化によりテレビが二台新しくなったことか。一台は以前よりでかくなり、一台は以前より小さくなった。差し引き、けっこう消費電力は下がったのだろうな。あとはまあ、エアコンの設定温度をほとんどの場合は28度にして、扇風機を併用し空気をかき回すという、おなじみの使いかたに徹しているだけだ。

 無理すれば、夏場は前年同月比で四割減くらいの節電もできそうだが、がんばりすぎて身体を壊したのでは元も子もない。無理なく、三割減くらいの線をキープしよう。それにしても、扇風機って電気食わないもんだな。

 煙草はやめたわ、節電は大幅にできるわで、どんどん金が貯まっていっても不思議はないのだが、そういう実感はない。そりゃそうだ。むしろ昨年から今年にかけて、否応なしに家電製品を買わなければならないことが多く、出費が多い。節電で元を取るのはこれからである。


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2011年8月 6日 (土)

脱力系企業テーマソングの傑作

 有名な社歌といえば、「日本ブレイク工業社歌」にとどめを刺すだろう。本格的な特撮ヒーローテーマソング風のビートとシャウトは、一世を風靡したものだ。その後、会社のほうはえらいことになったみたいだが、この社歌だけは、いまだに日本でいちばん有名な社歌だろうと思う。

 その後、日本ブレイク工業社歌ほどにおれの心を掴んだ社歌はなかったが(そもそも、社歌なんてほとんど聴かんわい、ふつー)、このところ、おれのハマっている社歌(?)がある。厳密には社歌というよりは「テーマソング」なのだが、たぶん関西の人しか知らないと思うので、ご紹介しよう。日光ホームという会社の「テーマソング」である。

 このCMは少し古いものなのだが、最近またこの歌を使った最新版「クルーザー航海編」が流れており、その脱力感に一段と磨きがかかっているのにおれは驚嘆した。同社のウェブサイトにある「日光ホームテーマソング」のフルバージョンをじっくり聴くにいたっては、心底、仰天した。

 ズレている。なにかがズレている。だが、そのズレかたは、これ以上巧くてもいけないし、これ以上下手でもいけない、綱渡り的な絶妙なズレかたなのだ。まさかこれ、女性社員が唄ってるんじゃないよねえ? だとしたら、ズレかたが天才的すぎる。ベッツィ&クリスとかシモンズとかあみんとかやなわらばーとか由紀さおり・安田祥子とかには、真似しようとしてもけっして真似のできない、超絶技巧の歌唱である。

 歌唱ばかりではない。曲もすごい。なんだこれは。ヨドバシカメラのテーマソングは、おそらく著作権やらなにやらややこしいことを気にしなくてすむように非常に有名なあの歌の替え歌なわけだが、日光ホームも同じ手法(?)を用いていて、これはもう、エジソンが世界で初めて“録音”したあの曲に大いにインスパイアされているとしか言いようがない。それでいて、なぜかオリジナリティー溢れる印象を受ける。受けないって? まあ、気にするな。

 これはCD出すべきだよなあ。


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2011年8月 2日 (火)

今月の言葉

えにっき 8月6日(土)はれ まいじ0.11まいくろしーべると

 おかあさんが「がいがーかうんたー」というきかいをかってくれた。つかいかたがとてもむずかしいけど、おかあさんが「これから生きてゆくのにひつようなことだから、ちゃんとおぼえなさい」とこわいかおでいうので、なんとかじぶんではかれるようになった。よーし、あしたもはかるぞ。

 8月7日(日)くもり まいじ……あれ? まいじ……おかしいな、ふりきれちゃった。こわれてるのかな? ぼくがこわしちゃったのかな? おかあさんにおこられるから、0.12まいくろしーべるとくらいとかいておこう。くにのえらい人たちも、つごうがわるくなったら、きじゅんちをかってにどんどんひき上げるんだそうだ。

 こうやってどんどんひき上げてゆけば、そのうちみんなのからだがなれてしまって、まいじ10しーべるとくらいでもへいきになるとおもう。ぼくがおとなになるまでには、まいじ100しーべるとくらいでもへいきになるように、なつやすみにはおもてでいっぱいあそんで、からだをきたえるんだ。



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