放射能をどう“うまく塗り広げる”かが問題だ
「水拭きは雑菌を塗り広げているだけ」みたいな事実を述べて脅す除菌用アルコールの宣伝があるが、まさに放射性物質ってのは、“塗り広げる”しかない。それそのものを消滅させる手段を、まだ人類は手にしていないのだから。手にするには、ご存じのように、二十九万六千光年の旅をしなければならないのだ。“除染”というのは、要するに、できるだけ人間に害のないように、うまく放射性物質を塗り広げることを言う。
そう考えれば、いまの日本にとっては、特定の狭い地域だけが放射能に汚染されているよりも、放射性物質が日本中にまんべんなく塗り広げられたほうが、みなが問題をわがこととして捉えるようになってよいと思う。原発の恩恵を受けてきたおれたち爺さん・婆さんはともかく、なんの罪もない子供たちにはまことに申しわけないけれども。
放射性セシウムに汚染された牛肉の話でやたら日本中が騒いでいるが、なにをいまさらである。それ自体はたいした問題ではない。いや、たいした問題なのだが、ほかにも同等のたいした問題がうようよ存在しているのは当然なので、とくにそれだけを取り上げているのが不可思議でしかたがないだけである。よもや、牛肉だけが汚染されているなどとおめでたいことを考えている人が多数派だとはとても思えない。
放射性物質が塗り広げられてゆくのを避けることはできない。いかに子供たちや若者に害のないように放射性物質を塗り広げるかを、人生の折り返し地点を過ぎているであろうおれたちは考えねばならないのだ。消し去ってしまうことはできないのだから、どこかをきれいにすれば、どこかが汚染されるのだ。若い人たちに近づきそうな放射性物質は、おれたちのほうへ塗り広げるような方策をいろいろ考えなきゃならん。
もはや、放射性物質にまったく汚染されていないものを食おうなどと贅沢なことを考えてはならない。いかにきれいなものを若い人に食わせ、いかに汚染されたものをおれたち年寄りが率先して食うか ―― そういう社会システムを構築してゆかねばならないのだ。汚染されているかいないかというフリップフロップ(二者択一)な考えではもうダメだ。どの程度汚染されているのかという考えかたと、日本人はこれからずっとつきあってゆかねばならないのだ。
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コメント
国産牛食べ放題ですね!
大歓迎だ(^^;)
子供にはやらん。
「これは、国産牛といって子供が食べると……略」
もともと国産牛なんてほとんど口にしない貧乏家庭なので、牛に関しては関係ない。
牛はアメリカかオーストラリア。
鳥も調べたら、まとめ買いしているのはブラジル産。
豚だけが国産だった。これもアメリカ産にスイッチ。
野菜は中国、ベトナム、オランダ。
魚はノルウェー、カナダ。
なんと国際色豊かな食卓。
いろいろ間違ってる気がしますが。
投稿: 修理屋あ | 2011年7月21日 (木) 08時45分
>修理屋アさん
なんか、私とよく似た食生活ですねえ。私も牛はアメリカとオーストラリアばっかりです。先日、珍しく和牛で一人焼肉をやったら、そのあとに放射能汚染牛がうようよ出てきました。まあ、いいですけどね。
野菜はわりと国内のが多いかなあ。中国もちょくちょく。ブロッコリーにはエクアドルってのもありますね。
投稿: 冬樹蛉 | 2011年7月27日 (水) 20時28分