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2011年7月の7件の記事

2011年7月28日 (木)

パーソナルデジタルテレビ12V型 BTV-1200(BLUEDOT)

 ふだんメインにしているテレビは、まあ、たいてい誰でもいちばんに大きなテレビに地デジ化するわけだが、たとえばキッチンで料理をしているときなどに背中で音だけ聴いているテレビ、朝、歯を磨きながら肩越しにふり返り天気予報だけを観るようなテレビなどについては、「さあて、ここのテレビはどうすべえかなあ。なけりゃないでいいんだが、やっぱりないとどうも勘が狂うし、寂しいような気もする。こんなところにでかいテレビは置けんしなあ。どうすべえ、どうすべえ……」と悩むわけだ。おれも悩んだ。

 アナログ停波が迫ってくると、けっこうでかいテレビがどんどん安くなってくる。テレビのコストパフォーマンスというものが、仮に「画面の面積/価格」であったとするなら、まあ、32型くらいがいちばんコストパフォーマンスがいいわけだ。だけどね、32型なんてこのスペースには置きたくない、置けないということも多々あろう。なんで地デジ対応テレビはでかいテレビばかりなのだ? おれは、ここにちょうど置ける大きさのテレビが欲しいのだ、せいぜい二万円くらいで――という人も、けっして少なくないと思うのである。

 でもって、そこそこ小さい地デジのテレビはないのかと電器店に行くと、なるほど、小さいのはある。だが、よく見ると、映像が粗い。それは、本来ケータイで観るべきワンセグを、無理やり少し大きめの画面に映しているだけの代物なのだった。ええい、ワンセグじゃない。おれんちは家の中ではワンセグの映りがきわめて悪い。おれが欲しいのは、一応ちゃんとした、いわゆる“フルセグ”の地デジ対応テレビで、しかもそこそこ小さく、そして、安いやつだ。ちゃんとアンテナ線を接続して観るやつだ。そういうのはないのか?

 と、いろいろ探した結果、行き着いたのがこいつである。9型のもあるが、二、三メートル離れて観ることを考えると12型がよかろうとこいつにした。案外ありそうでない、微妙なニッチに嵌ってる製品なんだよね、こいつは。大きすぎず小さすぎないフルセグの安いテレビ。大きめのデジタルフォトフレームで地デジを観るような感じなのだ。

 で、実際にわが家の所定の位置に設置してみると、おおお、いいじゃんか。文句ない。スピーカーは背面から音を出す方式なので、音はいまいちだが、音にこだわる人はアクティブスピーカーでも外付けすればいい。おれんちの使いかただと、内蔵スピーカーだけでまったく大丈夫。髭を剃りながら、ちらちらとニュースが観られればそれでいいのだ。

 おれは置いて使っているが、付属のVESA変換プレートを使えば、VESA対応のモニタ用アームなどに取り付けられるから、ベッドから自由に動けないお年寄りなどにもいいかもしれない。くれぐれも誤解のないようにしつこく書いておくと、こいつは小さいけどワンセグじゃないので、ちゃんと同軸ケーブルにF端子のついたアンテナ線を引きまわしてきて接続しなけりゃならない。だけど、それだけのことはあって、むろん、この大きさでちゃんとハイビジョンだ。

 機種にこだわらなきゃ32型が四万円代で買えるご時世に、12型で二万円前後というのは、なんだか損したような気もしないでもないんだが、おれが家事をしながらちらちら観る場所に置きたいサブのテレビは、でかいとかえって困るのである。テレビってやつは、大が小を兼ねない。“適大適所”なんである。どうしてそういうことを日本のメーカは理解してくれないかなあ。日本の家電メーカで商品企画をしている人たちは、みなよほどでかい家に住んでいるんだろうか。

 というわけで、いい商品を見つけたので、おれ的にはめでたしめでたしである。逆に、これほどの画質のテレビ放送がこれほど“小さい”画面に映っているのが、とてつもなく贅沢なことであるように思えてくる。「画面面積:価格」 のコストパフォーマンスはたしかに悪いが、いい買いものだった。


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2011年7月21日 (木)

放射能をどう“うまく塗り広げる”かが問題だ

 「水拭きは雑菌を塗り広げているだけ」みたいな事実を述べて脅す除菌用アルコールの宣伝があるが、まさに放射性物質ってのは、“塗り広げる”しかない。それそのものを消滅させる手段を、まだ人類は手にしていないのだから。手にするには、ご存じのように、二十九万六千光年の旅をしなければならないのだ。“除染”というのは、要するに、できるだけ人間に害のないように、うまく放射性物質を塗り広げることを言う。

 そう考えれば、いまの日本にとっては、特定の狭い地域だけが放射能に汚染されているよりも、放射性物質が日本中にまんべんなく塗り広げられたほうが、みなが問題をわがこととして捉えるようになってよいと思う。原発の恩恵を受けてきたおれたち爺さん・婆さんはともかく、なんの罪もない子供たちにはまことに申しわけないけれども。

 放射性セシウムに汚染された牛肉の話でやたら日本中が騒いでいるが、なにをいまさらである。それ自体はたいした問題ではない。いや、たいした問題なのだが、ほかにも同等のたいした問題がうようよ存在しているのは当然なので、とくにそれだけを取り上げているのが不可思議でしかたがないだけである。よもや、牛肉だけが汚染されているなどとおめでたいことを考えている人が多数派だとはとても思えない。

 放射性物質が塗り広げられてゆくのを避けることはできない。いかに子供たちや若者に害のないように放射性物質を塗り広げるかを、人生の折り返し地点を過ぎているであろうおれたちは考えねばならないのだ。消し去ってしまうことはできないのだから、どこかをきれいにすれば、どこかが汚染されるのだ。若い人たちに近づきそうな放射性物質は、おれたちのほうへ塗り広げるような方策をいろいろ考えなきゃならん。

 もはや、放射性物質にまったく汚染されていないものを食おうなどと贅沢なことを考えてはならない。いかにきれいなものを若い人に食わせ、いかに汚染されたものをおれたち年寄りが率先して食うか ―― そういう社会システムを構築してゆかねばならないのだ。汚染されているかいないかというフリップフロップ(二者択一)な考えではもうダメだ。どの程度汚染されているのかという考えかたと、日本人はこれからずっとつきあってゆかねばならないのだ。


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2011年7月18日 (月)

一縷の望み

A_ray_of_hope


 これはなかなかラッキーな構図を捕まえられた。題して「A Ray of Hope」。ぜひ、大きな画像を全画面表示でご覧いただきたい。

 「短期的に希望を持つな、長期的に絶望するな」 ―― 日野啓三


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2011年7月15日 (金)

前年同月から16パーセント減の節電に成功

Setsuden_2

 7月分(6月14日~7月13日)の電気使用量が、前年同月を100とした場合、84ですんだ。やればできる。

 しかし、だ。じつのところ、おれが家にいる夜の時間帯にせっせと節電したところで、あまり意味はなかろう。だがまあ、今回の原発事故は、日本の原子力行政下であればいつか必ず起こると確信してはいたものの(おれの生きてるあいだに起こってほしくはなかったが。惜しい、もうちょっとだったのに)、やはり実際に起こってみると、改めておれに水をぶっかけてくれた。

 たとえ電気があり余っていようが、野放図に使うよりはセーブするほうがいいに決まっている。電気にかぎらない。なんだってそうだ。おれの子供のころには、そういう価値観があった。それが、いつしか「ふんだんにあるものは野放図に使ってもよい」という価値観に、まだ日本がそれほど豊かではなかったころを知っているおれたち自身ですら、徐々に毒されていったのだ。猛省せねばならない。

 とはいうものの、この節電に、おれはそれほど血の滲むような努力をしたわけではない。タイミングがいいのか悪いのか、十数年使った冷蔵庫がとうとうぶっ壊れた(ガリガリ君が融けるようになったのを発端に、冷凍食品まで融けはじめた)ものだから、しぶしぶ新しい冷蔵庫を買った。

 まあ、十数年前の冷蔵庫と消費電力を比べてみるとびっくりだ。少なくともスペックの上では、新しい冷蔵庫の消費電力は、古い冷蔵庫の四割減なのである。十数年ぶんの技術の進歩はすごい。おまけに、外寸は以前の冷蔵庫よりもずっと小さいものを買ったのに、庫内はそれほど狭くなったように感じない。

 ふつうの家庭でも絶対に電源を切らない家電製品は、ほかならぬ冷蔵庫なのである。冷蔵庫の電力消費を抑えれば、ほとんど苦労を感じずに効果的な節電ができる。とはいえ、温度設定を高くしすぎて食べものを腐らせたりして健康を害しては元も子もない。もし、あなたの冷蔵庫がおれの古い冷蔵庫と同じように相当年季が入っているのであれば、最新の冷蔵庫の消費電力をチェックしてみてはいかがだろう? さほど大きさが変わらないのに、いまの冷蔵庫は怖ろしいほど電気を食わないことに気づくだろう。壊れるまで待たずに、いっそ買い換えたほうが、節電にも家計の助けにもなるやもしれない。二、三年で元が取れるケースも少なくなかろう。

 また、買ったときには家族が多かったのだが、子供が大学へ行ったり就職したり結婚したりで、家族の人数が減っている場合は、より小さい冷蔵庫に買い換えるのもひとつの選択だと思う。ひどい風邪などで買いものに行けないといった事態を想定すると、ある程度の冷凍食品は常備しておくべきだが、災害のときには冷凍食品は必ずしも非常食にはならない。大量に冷凍しておいても、電気が止まってしまっては、一度に悪くなってしまう。ほんとうにそんなにたくさん食品を冷凍・冷蔵しておく必要があるかどうかを、家族の人数と生活パターンを鑑み、いま一度考え直してみてはいかがだろうか? 案外、食いもしないものを腐るまで保存しておくために無駄な電気を使っているかもしれない。

 冷蔵庫は壊れたからしかたなく買ったのだが、今年以降の夏用に節電目的で新たに買ったのは、扇風機である。エアコンの設定温度は、よほどのことがないかぎり、ほとんど二十八度にし、扇風機で部屋の空気を掻きまわす。部屋の数だけ温度計を買って、エアコンの設定温度を信用するのではなく、実際の効果として室温が何度になっているかに常に気を配り、冷えすぎていたらエアコンを切る。なあに、エアコンが各家庭に入りはじめたころなど、みな「電気がもったいない」ではなく「電気代がもったいない」と言って、エアコンを最後の秘密兵器のようにして使っていたではないか。

 それにしても、扇風機がまた、やたら品薄で、ヨドバシカメラで三千円ちょっとで買った(「お一人様一台限り」として売っていた)ものを、あとでアマゾンのマーケットプレイスで見たら、一万二千円ほどで出品されていた。なんだかなあ……。

 よく考えたら、扇風機なんてものを自分の金で買ったのは初めてだ。子供のころは、もちろん親が買っていたわけだからねえ。大人になって就職してからは、エアコンしか買ったことがない。よって、自分の金で扇風機を買うという体験はちょっと新鮮だった。最後に自分の部屋で扇風機を使ったのは、もう三十年くらいむかしだろうか。モーターで羽根を回して風を送るという枯れた技術ですら、この三十年にはやはりかなり進んでいるのだ。例の羽根のない扇風機なんて革新的な商品でなくとも、オーソドックスな扇風機でも、やっぱりかなり洗練されている。新しく買った扇風機は羽根が五枚もあり、音もおれが子供のころよりははるかに静かなのに風量があり、おまけにリモコンまで付いている。扇風機もハイテク(?)になっているのだ。

 おれは、「ほうら、節電なんてたいへんだろう。原発がないとたいへんなことになるのだぞ~。こわいぞ~、おそろしいぞ~、みんな貧乏になって、熱中症で死んでゆくぞ~、冬には凍え死ぬぞ~」などという、電力会社の誇大広告に騙されるつもりはない。あくまで、無理なく減らせるぶんを粛々と減らすことで、自分のいままでの生活を反省しているだけだ。

 だいたい、電力会社が消費者に節電をお願いするとはなにごとか!? 電力会社は社会に安定的に電力を供給する義務がある。その義務の履行と引き換えに、特権的な報酬を得ているのではないか。その電力会社が、すんません、電気が足らないので節電してくださいなどと消費者にお願いするとは、無能のきわみである。おまえらが原子力で電気を起こしていようが、魔法で電気を起こしていようが、そんなことはおれたち消費者の知ったことではない。ただ、原子力などというとてつもなく高くつく方法で発電をしておきながら、事故が起こったらそれを消費者に負担しろ(あるいは、国が税金で負担しろ)というのは、ちょっと虫がよすぎるのではないか? おまえら、ほかのもっと安い方法を考えてきたのか? むしろ、安い方法が出てきそうになったら、これはいかんと潰してきたのではないのか?

 そこいらへんのふつうの人が、なにやら地球全体のことを考えているかのように「電気がもったいない」などとええカッコするのはやめようや。むかしおれたちが親に怒られたように、素直に「電気代がもったいない」と考えて節電すればいいだけのことだ。まずは、そこからはじめよう。使わなくてすむものを、無理して使うことはない。また、使わなければならないものを、無理して我慢することもない。

 


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2011年7月 5日 (火)

なにを「ご理解いただきたい」のか?

 五十年近くこの国で生きてきておれが学んだことのひとつに、「理解」という言葉を主にどのように用いるかで、日本人はおおまかに二種類に分類できるということがある。

 たとえば、「ご理解いただきたい」と口にする場合、日本人の多数派は、「私はこんなにがんばっていて、私にもいろいろ事情があるのだから、事実関係は二の次にして、私の立場に身を置き、あたかも私になったかのように、私の気持ちをわかって私を許してほしい」という意味で言っている。とくに日本の政治家は、十中八九、こういう意味で「理解」を使う。

 だが、日本人の少数派(おれ自身はこちらに属するようだ)が「ご理解いただきたい」と言う場合、「2足す2は4であり、三角形の内角の和は180度であり、エネルギーは質量と光速の自乗との積で表され、虚数単位と円周率の積を指数としネイピア数を底とした冪乗に1を足すと0に等しくなる云々……という事実を把握してほしい」という意味である。

 この二種類の人々はいずれも、「理解」という言葉を自分たちが使っている意味以外で使う人種がいるなどとは夢にも思っていないのが常である。だから、「ここはぜひご理解いただきたい」「だって、2足す2は4じゃないですか」などといった不毛な会話(?)がえんえんと繰り広げられたりするのである。これはもう、ほとんど異星人同士の会話であって、互いに理解(?)し合えることなどまずない。おれは、この根本的な世界把握の様式の相違が、日本人が本来持つ能力の発揮を、大いに妨げていると思っている。

 おれ個人は、「私の気持ちをわかってほしい」などという意味で「理解」という言葉を使うのは、努めて廃していったほうがよいと思う。それは「理解」などではなく、むしろ「情解」とでも呼ぶほうが適当なのではあるまいか? ほかにもっといい言葉があるかもしれないけど。

 「日本人同士なのだから日本語が通じるのはあたりまえだ」といった思い込みをまず疑おう。「“理解”という言葉は、こういう意味で使おう」という共通の了解にまず立脚しよう。子供たちには、「それは君の気持ちや希望や推測なのか、それとも検証された事実なのか」をきちんと分けて認識するように叩き込もう。

 「理解」すら、みなが同じようには理解していないのだ。


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2011年7月 3日 (日)

When Doves Fly

When_doves_fly_2

 こりゃ、われながら、ちょっといい感じの写真が撮れたなあ。

 川の堤防を歩いていると、向こう岸の河原に鳩がいっぱい群れていたので、コンデジを望遠にしながら向けると、やつらがいっせいに飛び立った。

 「これはチャンス!」とばかりに、おれは液晶モニタを見るのをあっさり諦め、カメラを胸元に構えて被写体を肉眼で確認しながら、鳩の速度に合わせて身体を回転させ、当てずっぽうで流し撮りをした。フォーカスは指先の操作のタイミングと機械頼りだ。

 どうしても被写界深度が深いコンデジはこういう流し撮りには向かず、スピード感があんまり出ないのがふつうだけれども、条件次第ではこの程度には撮れるもんなんだなあ。ラッキー!


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今月の言葉

主力扇風機

 よく考えたら、齢四十八歳にして、おととい生まれて初めて自分の金で扇風機を買った。エアコンは何度か買ったことがあるんだが、じつに不思議な気持ちだ。

 エアコンの設定温度を二十八度にして(あるいは、エアコンを点けずに)、扇風機という機械をひっさしぶりに使っていると、なにやらとても懐かしい気分だ。

 プロペラを回して風を送る――なんて枯れた、確実な技術だろう。おれが子供のころに使っていたやつに比べると、横から見るとやたら薄っぺらかったり、羽根が五枚もあったり、ワイヤレスのリモコンが付いていたりと、細かいところではずいぶん洗練されているような気もするんだが、やっぱり「ワレワレハウチュウジンダ」がちゃんとできる。すばらしい。 


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