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2011年4月の4件の記事

2011年4月24日 (日)

自然現象がしれっと起こってるだけのことを、たいそうに

 大震災の一発めの大きな地震から一か月(まだ、あと何発も来るかもしれんからね)、今回の震災で思ったことをいろいろな人々が、メディアで口にしはじめている。

 面白いのは――という言葉遣いはちょっとどうかとも思うので、そうだなあ、興味深いのは、少なからぬ人たちが、津波で壊滅した現場などを見て、「超自然的な力」とか「人知を超えたなにか」とか「大きなものの意志」とか、とにかくなにやらわからんけど、そんなふうな“神”の力のようなものを感じた、あるいは、そういうものがあるのではないかと改めて考えたといった感想を述べていることである。

 これがじつにおれには不可解だ。おれはそのように感じる能力をまったく欠いている。いかにものすごいことが起ころうとも、この宇宙の物理法則を超えたことが起こっているわけがなく、超自然など感じようがない。むしろ、自然現象は、おれたちの現時点での知識や能力など一顧だにせず、いかにただただ自然現象として起こるかという、その清々しいばかりの“ミもフタもなさ”に、おれは改めて感嘆する。そこに超自然的なものなどが介在する余地など微塵もない。人類が高潔に質素に生きようが、我欲にまみれて退廃的に生きようが、物理法則が変わるわけではない。聖人であろうが極悪人であろうが、鋼鉄のハンマーで頭を砕いたら死ぬのである。それは神の鉄槌でもなんでもなく、物理法則どおりのことがミもフタもなく起こったにすぎない。

 だもんだから、おれは大きな自然災害が起こると、神やら超自然やらといったものはいっさい頭に浮かばず、「ああ、おれたち人類にはまだまだ解き明かすべきことがある」と、ただただ思うだけだ。

 これからも、おれたちには大きな試練が待っている。地球は、人類が環境破壊などしなくとも、いずれは膨れ上がった太陽に呑み込まれる。地球が消えたあと、宇宙に散った人類があちこちで生き延びたとしても、いずれはこの宇宙そのものに終わりが来る。そのとき、既存の都合のよい宇宙に移住する技術、あるいは、自分たちの生存に適した新しい宇宙を作り出してそこに移り住む技術を人類は手にしているだろうか?

 いずれにせよ、遠未来にほぼ確実に起こるそうしたことどもであれ、べつに超自然的なことが起こるわけではない。地震や津波のように、ただただ物理法則に忠実な出来事が、おれたちの都合とはまったく無関係に、しれっと起こるだけのことなのだ。

 「神も仏もあるものか」という言葉がある。おれ自身は、いまだかつてこの言葉を使ったことがない。そりゃそうだ。それはおれにとって、はじめからごくごくあたりまえの事実の描写であり、いまさら恨みがましく口にするようなことではないからである。勝手に神や仏を発明しておいて、それがないらしいと実感したからといって恨み言を垂れるなど、まったくもって阿呆の所業である。最初からそんなもんがあると考えるほうがどうかしている。

 神がどうした超自然がどうしたと世迷言をほざいているうちは、おれたちは何度も何度も自然災害に叩きのめされるだろう。おれたちの能力で充分防げる災害にすら、何度もひどいめに会うことだろう。

 ミもフタもなく襲ってくる物理法則の脅威に対して、こちらもミもフタもなく、ひたすら理詰めに準備をする。これ以外の方法で、災害の被害を食い止めたり、被害を最小化したりすることはできない。「そのうち神風が吹く」などと心の隅でであれ考えているようなお気楽な民族は、早晩滅ぶにちがいない。

 「科学は万能ではない」という言いかたはまちがっている。「みずからが万能ではないと知っていることこそが、その最大の強みである思想・方法論が科学」なのだ。科学は、おれたち人類が手にしている、二番めに優れた思想・方法論だ。いちばんだと言い出したとたん、それは科学ではなくなる。

 十数メートルの津波が目の前に迫ってきているとしよう。そんな状況で、十数メートルの「数」ってのは正確にはどれくらいなのかとか、センチで表現すると国民が不安がるから気をつけようとか、仮に海底に引きずり込まれたとしても直ちに健康に影響はない、二分間くらいは大丈夫だとか、まるで、ムラ社会でのルールをなんとかすれば、それは物理法則にも影響を及ぼすとでも考えているかのような阿呆どもは、圧倒的な物理的な力で叩き潰されてしまえ。え? その力は何ニュートンですか、場合によっては、基準値を引き上げて対応しますって?

 アホんだら、これくらいの力じゃ~~~~~~!


 ぐしゃっ



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2011年4月23日 (土)

放射能に汚染された穢い福島県人どもの利用を拒絶している、お客様思いの優良なお店を募集!

 えーと、なんでも世間には、福島県の人々の利用を断るホテルやら旅館やら飲食店やらそのほかやらがあるのだそうだ。

 えらい! じつに、えらい! 商売人の鑑と言えよう。多くのお客様の不安を払拭するために、そのようなことをしているのであろうな。

 ただ、せっかくそのようなお客様思いのことをしているのであれば、ちゃんとアナウンスしないと意味がないじゃないか。「うわぁ、もしかしたら、この旅館、福島県人を泊めてるんじゃないか。厭だなあ」という疑いを持っているかもしれないお客様に安心して泊まっていただかなくてはなるまい。わかってもらわなきゃ、せっかくの配慮も効果がないぞ。

 だから、そういう配慮をしている優良宿泊施設などは、ちゃんと表玄関とかウェブサイトとかに、でかでかとメッセージを掲げて、お客様に安心していただかなくては、お客様第一の経営とは言えない。「当ホテル(当旅館)は、放射能に汚染された穢い福島県人どもは一匹たりとも宿泊させておりません。安心してご利用ください」と、世間にアピールしなくてどうする? え? お宅は、まだそういう張り紙をしていないんですか? 商売人としての才覚を疑いますなあ。そんなボンクラはやめれば?

 これはいけない。そこでおれは、それがホテルであれ旅館であれ飲食店であれなんであれ、放射能に汚染された穢い福島県人どもの利用を拒絶している優良なお店を、ここで積極的に宣伝してさしあげたいと思っている。なあに、遠慮しなくてもよい。ひとつになろう、日本。おれは非力だけど、そのような優良店舗を世間に広く知らしめることによって、少しでも復興にお力添えしたいと思っている。

 なので、放射能に汚染された穢い福島県人どもを拒絶している優良なお店の情報があれば、ぜひおれにお寄せいただきたい。できれば、拒絶している映像とか音声とか、その他、晒しものにすると面白い動かぬ証拠を添えていただければありがたい。このブログに、「放射能に汚染された穢い福島県人どもお断りの優良ホテル・旅館・飲食店ほかのリスト」として、おれの目の黒いうちは、半永久的に掲載させていただくつもりである。

 ただし、いったん掲載しても、そのホテル・旅館・飲食店等から、「いや、うちは福島県の方だけをお断りするほどには手間をかけてお客様のことは考えておりません。どなたにも、わけへだてなくご利用いただいているふつうの店で、とくに優良な店ではありません」と自己申告があれば、おれもそんなふつうの店を宣伝するのもアホらしいので、リストから外させていただくのを原則とする。もっとも、どう考えても、放射能に汚染された穢い福島県人どもをちゃんと断っていると判断できる証拠がある場合には、なあに、遠慮しなくてもいい、ずっと掲載して、勝手に宣伝させていただくことにする。

 もちろん、自薦もオーケーである。「ウチは、放射能に汚染された穢い福島県人どもには、一匹たりとも足を踏み入れさせていない、安全な店です。商売人の鑑です」と自負してらっしゃるお店は、ぜひ貴店の情報をお寄せいただきたい。非力ながら、精一杯宣伝させていただく。

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2011年4月10日 (日)

さあ、おれたち年寄りは、汚染されたものをできるだけ食うようにしよう

 おれは一九六二年生まれの四十八歳だが、だいたいおれくらいの歳の人間というのは、いま日本に起こっていることを、それほど意外なことだとは思っていないはずだ。七十年代くらいには、人類は二、三十年のうちには絶対滅びると思っていたんじゃないか? それこそその、東西陣営の核戦争がなかったとしても、地震とか公害とか原発事故とかその他諸々なんらかの要因で、自分たちのいまの社会、いまの文明がぐちゃぐちゃになるはずだと思って育ってきているはずだ。

 だもんだから、おれたちの世代は、いまのこの状況を、なんとなく懐かしいものだとすら思っている。自分たちが、子供のころから、さんざん想像してきたことが、ただ単に現実になっているだけなのだ。「ああ、やっぱり、キターーーーーーーー!」みたいな感じなんである。

 だから、おれたちはいいんだよ、べつに。覚悟のうえのことだから。おれ個人は反原発派で、徐々に脱原発ができればいいなあとは思ってきたが、結局、おれには社会を変える力などなかった。おれ自身も、原発で発電した電気の恩恵をさんざん受けてきた。だからいいさ。今回の原発事故で生じたデメリットは、極力、おれたちが引き受けよう。

 そうだなあ、いま三十代以上くらいの人は、原発推進派だろうが反対派だろうが、こういう事態を招いた社会を作ってきた張本人なんだから、これからはできるだけ若い人たちにデメリットを押しつけないようにしようじゃないか。さんざん、原発のメリットを享受してきたんだろう?

 だから、おれはこれから死ぬまで、できるだけ放射能に汚染されたものを食おうと思う。おれがそういうものを進んで食うことで、いまの社会を作るのに責任のなかった若い人たちの口に、放射能汚染された食いものが入るのを、ほんの少しでも阻止できるかもしれないじゃないか。

 われらの同世代よ! さあ、いまこそ、おれたちが責任を取るべきときだ。放射能汚染されたおそれのある食いものは、できるだけおれたちが食おう。おれたちはどうせ、あと二、三十年しか生きん。どうせ日本人の二人に一人は癌になり、三人に一人は癌で死ぬのだ。それが少々早まろうが、なんの問題があろうか? 若いやつらには、できるだけきれいなものを食わせてやろうぜ。

 おやおやおやぁ? なんかこのカレー、パンチが足らんぜ! セシウム137が足らんのじゃないか? おっ、この刺身はキレがあるぞ。ストロンチウム90が利いてるよね! さあ、もっと持ってこい。いまの日本の社会を作ってきた、おれたち四十代以上が、みんな責任持って食ってやるぜ! 爺い、婆あどもを、地獄に道連れだ! どわははははははははははははははは。

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2011年4月 1日 (金)

今月の言葉

ああ言えば溶融

 上祐ってのもあったけどな。

 それにしても、おれたちが子供のころに思い描いたさまざまな二十一世紀のうち、ろくでもないものばかりが着実に実現してゆくなあ。


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