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2011年1月 9日 (日)

去年やめたもの三つ

 去年は、いろいろと悪いものを三つもやめることができた。流行りの“断捨離”が実践できた。

 まず、煙草をやめた身体に悪いものを“断”ったわけだ。値上がりするのは前からわかっていたから、徐々に量を減らすようにしていたのだが、実際に値上がりした十月にすっぱりとやめた。最後に煙草を吸ったのは十月三日である。

 次に、日本の新聞をやめた頭に悪いものを“捨”てたわけだ。日本に存在する新聞がことごとく頭に悪いと言うつもりはないが、いわゆる五大紙なんぞは、あってもなくても同じだ。というより、あんなものを読んでいたのではアホが移る

 さらに、紙の新聞をやめた環境に悪いものから“離”れたわけだ。日本の新聞をやめるにあたって、背中を押してくれたのは、amazon の電子書籍リーダーの kindle だ。海外の新聞や雑誌の電子版が紙版よりもはるかに安く定期購読できるので、便利なこと、この上ない。惚れちゃったね。

 いずれ kindle についてはじっくり書きたいとは思うが、二か月半ほど使ってみて見えた本質を端的に述べるならば、kindle というのは、電子書籍リーダーというハードウェアを売ると見せかけて、“クラウド読書環境”を販売しているのだということである。日本のメディアは、やれ iPad だ、やれ Android タブレットだなどと、ハードウェアとしての電子書籍リーダーばかりを比較してつまらない記事を書いていることが多いのだが、そんなものは電子書籍の本質ではない。

 kindle を所有して、いじってみて、たちまち覚えるのは、「ああ、これ“一冊”を持って歩けば、巨大な“書店”を持って歩いているのと同じなのだ」という奇妙な全能感である。欲しい洋書は、kindle 版が出てさえいれば、一分もしないうちに手元に“所有”できる。そのための通信費は、事実上無料だ。kindle は早い話が“電話”を内蔵しており、3G回線の国際ローミング費用は米アマゾンがほぼ負担してくれる。太っ腹にもほどがあるんだが、これを彼らは太っ腹とはおそらく考えていないのだろう。“読者”が負担すべき費用ではないと当然のように考えているのだろう。つまり、アマゾンは、あくまで“本屋”としての本分を、いかにテクノロジーが進もうとも、ただただ全うしようとしているだけなのである。

 以前、地方の人に聞いた話だが、地方の小さな書店では、全国紙に広告が出ているような本でも、東京の出版社から取り寄せることを拒む店があるという。なぜなら、取り寄せるために東京に電話するだけで儲けが吹っ飛んでしまうからだ。「東京に電話するのにいくらかかると思ってるんですか?」と言われるのだという。

 kindle の3G回線使用料が、日本で amazon.com から kindle 端末を買った場合でも無料であり、キャリアとの契約などまったく不要だと知ったときにまず連想したのは、上記の“お取り寄せ”の話だった。そうだ、これは無料であるべきだし、そのあたりまえのことができるアマゾンはすごいと思った。そりゃそうだろう。地方の書店で東京の出版社から本を取り寄せてもらったら、本の定価に電話代を上乗せして取られたなんて人がいるだろうか? いないいない。取り寄せを断られた人は、たくさんいるだろうけどね。「本を調達するのがわれわれの仕事なので、調達にかかる費用はわれわれが負担しよう。読者は、あくまで本に対してお金を払ってくれればよい」と、アマゾンは態度で示しているのだ。

 これはじつはものすごいことだ。こういうものすごいことができるほど、“本屋であること”に徹しているアマゾンに、旧態依然たる日本の出版社や取り次ぎや書店が、いまのままでかなうとはとても思えない。ましてや、「いい端末を作れば、電子書籍は売れる」などと考えている“おもちゃ”メーカーは、笑止千万である。

 電子書籍リーダーは、リーダーなのではない。それ自体が、電子書籍流通のビジネスモデルを体現した“携帯書店”にほかならないのだ。ハードウェアとしてのリーダーを比較してもなんの意味もない。携帯書店としての、顧客にとっての利便性を比較しなければ、電子書籍リーダーの比較にはならないのである。

 いまのところ最も優れた携帯書店は、kindle という名の書店だとおれは思う。少なくとも、英語の読める人にとってはそうである。アマゾンは、どこまでも本屋であることを極めようとしているからこそ、ハードウェアを売ろうが、クラウド環境を提供しようが、全然ブレないのだ。日本のハードウェアメーカーやサービスプロバイダに求められているのは、この怖ろしいまでにカスタマーセントリックなブレない視点であり、ブレないスタンスなのだ。「おまえは何屋だ?」と問われて、「本屋だ」と答え続けられることは、とてつもなくすごいことなのだ。

 日本には、こんな出版社や書店が出現するだろうか? しないのだとすれば、それは日本語文化圏にとっては、とても不幸なことだろう。


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コメント

確かに。アマゾンが本屋としてのビジネスをネット上で進化させる延長にキンドルがあるのは了解です。いやぁ、米国語が母国語なのがうらやましい。自分は、英語を読むのは仕事上だけなので、日本の書籍から離れられないので、ぜひ、同じモデルを日本でもがんばって欲しい、というかそう変わるだろうけれど、このタイムラグが残念。昔はよかった面は多々あっても、今がもっとよいのが事実ですよね。。。

投稿: 猛牛軍団 | 2011年1月 9日 (日) 22時19分

ipadのときに同じようなことを説明しても理解してもらえなかったのですが、ipadが(大量の)音楽を持ち歩けるもの、という認識に対して、
kindleが書店を持ち歩けるもの、と認識している人はわりと多くて、紙の本というハードウェアのだんなる代替じゃないってことはわかりやすいみたいですね。
もっともメーカさんや、”上”の人達は相変わらずわかっていないようですが。

投稿: 修理屋ア | 2011年1月12日 (水) 09時53分

紙の新聞を止めると、残飯処理や窓拭きがちょっと不便なので、考えてしまいますね昔みたいに食品を包むことはほぼなくなりましたが。

投稿: 小林泰三 | 2011年1月15日 (土) 10時26分

>猛牛軍団さん

 いや、私の母国語は関西弁ですよ。ただまあ、関西弁でしか表現できないこと、英語でしか表現できないことがあるというのを、実感できるのはしあわせなことだとは思いますが。


>修理屋アさん
>もっともメーカさんや、”上”の人達は相変わらずわかっていないようですが

 ユーザ体験のない人は提供側にまわるべきではないというのが私の哲学です。本をろくろく読んだことがない人間が、作家になりたがるようなもんでしょう?


>小林泰三さん

 「新聞はなくならない。なくなったら、弁当包むのに困る」といったことをおっしゃったのは小松左京御大でありますが、たしかに、その点にだけは、まだ紙の新聞に未練がありますね。

 要するに、日本の新聞に書いてあることは要らないけど、あの紙だけはそこそこ欲しいというのが本音です。絨毯に水をこぼしたときとかに必要ですよね。

 私はべつに日本の新聞社の“意見”など、まったく必要としない。そんなものは、幼稚で右顧左眄ばかりしている日本の記者クラブ新聞よりも、海外の新聞のオピニオンを読んでいたほうが、よっぽど知的にためになります。私が欲しいのは、日本の新聞社の意見じゃなく、ただただ、通信社が報じるような“事実の描写”だけなのです。それだったら、ウェブやケータイで充分ですから、日本の紙新聞など、わざわざ金を払って購読するに値しないと判断しました。

投稿: 冬樹蛉 | 2011年1月20日 (木) 02時18分

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