政府は英語禁止令を発令せよ!
昨日のエントリー「もう小学生から英語を教える必要はなくなった」にどえらいアクセスがあって仰天している。みんなけっこう英語教育に興味あるんだなあ。
で、SFファンの常としてですな、まず逆を考えてみるという条件反射が発動した。みんな、たとえば、いまの政府が“英語禁止令”を出したとすれば、素直に従いますかい? 従わねーよなー、絶対。もしそんなおふれが出たとすれば、「これはきっと、アホ国民どもにニューヨーク・タイムズやらガーディアンやらを読まれては困るという政府と官僚と記者クラブメディアの陰謀にちがいない」と疑って、みんなこっそり必死で英語を勉強しはじめるはずだ。
だから、日本国民に国際競争力をつけさせようと政府が思うのであれば、政府はなにはともあれ“英語禁止令”を出すべきなのである。そうすれば、「これはいよいよ、英語ができなければほんとうにヤバいにちがいない。いまの日本政府や日本のアホマスコミの言うことしかわからないなんてのは、とんでもなく怖ろしいことだ」と、多くの日本国民が目覚め、海外メディアから直接英語で情報を取りたがるようになるにちがいない。
日本人の英語力を底上げするには、これが最良のアイディアだとおれは思うのだがどうか。政府は“英語禁止令”を出せ。ほれ、あなたの子供のころを思い出してみるがよい。「子供がこんなもの読んじゃだめだ」と言われたものほど、隠れて必死で読んだものじゃないか? 大人が読んじゃだめだと言うものを読もうとする子供がいなくなったら、それこそ亡国の兆候である。
だから、ここを読んでいる子供たちよ、英語なんか勉強しちゃダメだぞ。海外の新聞なんか、絶対読めるようになっちゃいけない。そのほうが君たちにとっては、ずっとしあわせなんだ。ゆめ、疑うことなかれ。いひひひひひひひひひ。
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コメント
>日本国民に国際競争力をつけさせようと政府が思うのであれば、政府はなにはともあれ“英語禁止令”を出すべきなのである。
って、現状は既にそれに近い状態なんじゃないかなぁ。
日本の学校での英語教育とか見ても、大学入試とか見ても、
まあ、いろんな試みや熱心なところも一部にはあるけど、
全体としては「実用的に英語が使えない英語教師たちの既得権保護のため、実用的な英語教育は禁止」
みたいな感じだし。特に大学の教師たちの既得権保護のためにね。
もちろん、そのおかげで、目が覚めて英語を自分で必死に学んだ人たちとか、
そういう英語が使えるようになった少数派の人たちは非常においしい思いをしてるわけなんだけどね。
だって、日本人の英語の平均レベルが低いから、できる人たちにはチャンスがいっぱいころがってる。
あと、公教育の英語教育レベルを低く保つことで、教育費にたくさん自腹を切れる金持ちと
貧乏人との格差がどんどん広がっていると思う。金持ちウハウハで貧乏人絶望の状況かな。
でもさ、それが多くの日本人の望むところでもあるんだよね。
「なんで日本人なのに学校で英語なんか勉強しないといけないんだよ」とか言って、
公教育での英語の拡充に反対する人たちって多いからね。
そうやって、出来る人たちと出来ない人たちの格差や金持ちと貧乏人の格差を広げるのが、
英語教育拡充に反対を叫ぶ多くの人たちの本音なんだよね。きっと。
投稿: 矢野健太 | 2011年2月 2日 (水) 09時17分
>矢野健太さん
>あと、公教育の英語教育レベルを低く保つことで、教育費にたくさん
>自腹を切れる金持ちと
>貧乏人との格差がどんどん広がっていると思う。金持ちウハウハで貧
>乏人絶望の状況かな。
ところが、意外とそうでもないみたいなんですよ。テクノロジーは、貧乏人にも安く勉強できる機会をいくらでも与えてくれるようになりました。発展途上国の若者は、MITのOpenCourseWare ( http://ocw.mit.edu/index.htm )とかでバリバリ勉強していますよ。
むしろ、金持ちのボンクラぼんぼんが置いてゆかれるリスクが高くなっているのではないでしょうか?
投稿: 冬樹蛉 | 2011年2月 3日 (木) 02時02分
冬樹蛉さん、
ご丁寧にご返答ありがとうございます。
>むしろ、金持ちのボンクラぼんぼんが置いてゆかれるリスクが高くなっているのではないでしょうか?
そうですね。私もそうなってくれるといいなとは思いますし、実際に或る程度はそういう面があると思います。
しかし同時に、貧乏人が割を喰う面もあるのではないかとも思うんです。
《貧乏だけど優秀で意欲がある》人たちは、新しいテクノロジーを使ってのし上がれます。結構なことです。
きっと《豊かだけどやる気が無い》人たちを置いてきぼりにして行くことでしょう。(どんどん頑張れ!)
しかし、彼らといえども、日本のように公教育での英語教育に力を入れていない環境だと、
《豊かでかつ優秀で意欲がある》人たちとの差がむしろ広がっていくのではないだろうか、とも思うんです。
なぜなら、経済的に豊かな人たちが選べる教育機会は(一般の公教育と違い)どんどん進歩しているからです。
英語教育に力を入れる私立の学校を選んだり、十代のうちから海外生活の経験をしたり、できますからね。
まあ、それはいいんです。貧乏でも優秀で意欲があれば或る程度は何とかなるのが新しいテクノロジー普及の恩恵というものです。
問題は、特に優秀でもなければ意欲に満ち溢れているわけでもない普通の人たちです。
多くの人たちは公的な学校教育でなんとか或る程度のレベルにまで持っていってもらってるのが現実です。
そういう人たちを拾い上げるという役割を公教育が十分に果たさないと、貧富の差が結構ダイレクトに結果に現れてきてしまうのではないかな、という気も致します。
まあ、これもまた、大して心配するほどのことでもないのかも知れません。
結局、「優秀・意欲旺盛・豊か」のどれかに当てはまる人たちだけが伸びていけばいいのかも知れません。それ以外の人たちのことを心配しても仕方ないのかも・・
投稿: 矢野健太 | 2011年2月 3日 (木) 03時39分
>矢野健太さん
私は、教育には常にパラドックスがつきまとうと思っています。
たとえば、権力者たちが、自分たちに都合のよい人材を作り出そうと教育しようとしても、それは完全にはうまくはゆかないのです。なぜなら、彼らにとって使える優秀な人材を作り出そうとすればするほど、その中から、必ず「ほんとうのこと」に興味を持つ人材が現れてしまうからです。そういう興味を持たない人材は、真に優秀な人材ではあり得ないからです。
私は、教育がどんなに荒廃しようとも、そのパラドックスを信じています。
投稿: 冬樹蛉 | 2011年2月 4日 (金) 03時20分