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2010年2月の6件の記事

2010年2月24日 (水)

困ったときはお互いさま

 We Are the World 25 for Haiti [iTunes Store: http://itunes.apple.com/jp/album/we-are-world-25-for-haiti/id355808800 ]、いいんじゃないすかー。むかしの U.S.A. for Africa 版と改めて聴き比べてみても遜色ない。というか、この曲は、おそらくこれからもこういうことがあるたびに、そのときそのときのアーティストたちに唄われ、弱った人たちの助けになってゆく名曲だろう。これだけのアーティストが集結した楽曲が、映像付きで四百五十円なんて、お得にもほどがある。チャリティーなんて柄でもないとこっ恥ずかしく思う人だって、掛け値なしに楽曲だけに金を出すつもりで買ったんさい、買ったんさい。買わんと損だ、これは。

 むかしシンディー・ローパーが唄ったパートを、今度はセリーヌ・ディオンが唄っているのを聴いて(観て)、おれはぞぞぞぞぞと感激に鳥肌が立った。もう、これだけで四百五十円払った値打ちがあるわいな。

 故・マイケル・ジャクソンジャネットと共に出演。故人・現役、ポップス、バラード、ヒップ・ホップ入り乱れての二十一世紀の We Are the World に仕上がっている。

 それにしても、おれは最近の音楽にはいまひとつ疎いんで全然知らんのだが、かつてのレイ・チャールズそっくりの声とそっくりの歌いかたで同じパートを唄っている黒人歌手は誰?



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2010年2月22日 (月)

2月22日22時22分22秒

222222222_2 決定的瞬間を逃さないために十六連写モードで撮ったもんだから、かなり画像が暗くなってしまった。心持ち露出を上げるべきだったな。

 おれの時計は「平成22年」ってのが同一画面には出ないのが残念。というか、「平成22年2月22日22時22分22秒」ってのが一覧できる腕時計ってのは見たことがないな。どこかにあるのかもしれないが、かなりフェイスがでかいか、文字の小さい時計だろうなあ。



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自民党再生のシナリオ

 去年の8月25日の自分の日記を読み返していて、爆笑してしまった。

「ええ~、年金問題の禁則事項は長妻大臣がいろいろ禁則事項やら禁則事項を禁則事項。拉致問題につきましては禁則事項。禁則事項税は禁則事項と申しておりましたが、現実的に禁則事項。高速道路は禁則事項。非核三原則は禁則事項に鑑み禁則事項を充分に禁則事項しており禁則事項。オバマ大統領は禁則事項ということであります。恐惶謹言、もとい、禁則事項」

 じゃあ、次の参院選で自民党に入れるかどうかとなると、おれにはいまのところ、その気はまったくない。ここで逆行させてなるものか。みんなの党は公明党と接近しているようだが、これはかなりプラグマティックな選択であろう。公明党などというものにはなんの思想的節操もなく、ただただ集票マシンとして便利なだけだ。政権にコバンザメのようにくっつけるとあらば、公明党は自民党とだろうが共産党とだろうが組むだろう。みんなの党としては、この機械を機械として利用するのは現実的な選択である。

 いや、実際、次の参院選は面白いぞお。自民党は、いまのままでは、どんなに大きな敵失があろうとも、ちっとも票を増やすことはできまい。自民党を再生させるために最もよい選択は、次の参院選でボロ負けさせ、爺さんたちの息の根を止めることである。そうすれば、自民党の若手が実権を握り、頼もしい野党になり得る。どん底にまで叩き落としてやれば、爺さんたちは完全に発言力を失い、四十代以下の若手が実権を握り、今度こそ、河野太郎を総裁にすることができるだろう。そうなれば、自民党再生の目はある。



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2010年2月14日 (日)

宇宙をぼくの手の上に

 なんか、とても宇宙的なチョコレートを頂戴したので、見せびらかしておこう。

Astro_choco01

Astro_choco02

Astro_choco03

Astro_choco04

Astro_choco05

Astro_choco06

 で、宇宙はすでにおれの腹の中。



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2010年2月13日 (土)

聖火は人をふり返らせる

 バンクーバーオリンピックがはじまった。おれは、見ているぶんには、どっちかと言うと冬季オリンピックのほうが好きだ。なんとなくセンチになる。それはおそらく、ある程度もののわかるようになったちびまる子ちゃん前後の年齢で、札幌オリンピックで盛り上がった日本を体験したからだろうと思う。なにもかもが右肩上がりで、これからどんどん未来が拓けてゆくのだぞといった空気がそこかしこに漲っていた。『虹と雪のバラード』という名曲の存在も大きい。いまだに冬季オリンピックを迎えるたび、反射的にこの曲が頭の中に流れ出す。

 ああ、七十年代はよかったなあと爺いめいたことを言うつもりはない。あのころの、なんであれ、放っておいてもとにかく“成長”してゆくのがあたりまえなのだといった空気が、いま思えば、微笑ましいほどにナイーブだったのだろう。そりゃ無理もない。戦争が終わってから、まだ二十七年しか経っていなかったのだ。あのころのほうが、むしろ異常、と言って語弊があれば、特殊だったのだ。

 「あのころの元気に比べて、いまの日本の体たらくは……」などと、むかしと比べてどうこう言うようになったら、それは老化のはじまりである。なんだかんだあっても、やっぱり三十八年のあいだに、日本は、じわじわじわじわと少しずつでも、試行錯誤をしながら変化してきたではないか。あのころに戻りたいかと問われれば、おれはまっぴらごめんである。あのころは、大人たちがみんな同じほうを向いていて、元気だけど窮屈だったろうと思う。おれは、ほんとうに戦後が終わったのは去年だと思っている。

 いま札幌オリンピックの映像を観ると、現代の選手たちの技術に慣れた目には、とても見劣りがする(むろん、当時は最高水準だったのだ)。三十八年というのは、けっこうな時間だ。その時間で、これほど明白に進歩しているものがたしかにあるというのを目の当たりにすると、人間というものに対する“長期的”な希望のようなものが、吹雪の向こうにほの見える。もちろん、選手たちの身体能力や技巧を支える科学技術の発達によるところも大きいだろうが、四十年あれば、人間が“身体”を使う能力ですら、全体的に底が上がってゆくという事実は、素朴に驚異的である。

 まだまだ日本人にも、人類にも、頭脳にであれ身体にであれ、抑圧されていたり開発されていなかったりする潜在力が眠っているにちがいない。そんな“すでに持っている”能力の発現を阻害している要因を、ひとつひとつ、根気よく叩き潰してゆくことが、個々のちっぽけですばらしい人間にできること、やるべきことなのだろう。




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2010年2月 1日 (月)

今月の言葉

肥るだけダイエット

 驚異の成功率! ただ肥るだけでできる目から鱗のダイエット!

 diet というのは、本来「日々飲み食いするもの」という意味であって、「痩せるため」「特定の目的に資するため」という意味が加わったのはあとになってからである。だから、「肥るだけダイエット」というのも、べつにまちがっているわけではないのだ。



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