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2010年1月の11件の記事

2010年1月26日 (火)

“日本にいる謎の鳥”ジョークの続き

 最近ネットで流行っている“鳥のジョーク”、どんどん鳥の種類が増えてゆき、なかなか面白い。いま最も多種の鳥を網羅していて人口に膾炙しているバージョンは、たぶんこれかな――


日本には謎の鳥がいる。

正体はよく分からない。

中国から見れば「カモ」に見える。

米国から見れば「チキン」に見える。

欧州から見れば「アホウドリ」に見える。

日本の有権者には「サギ」だと思われている。

オザワから見れば「オウム」のような存在。

でも鳥自身は「ハト」だと言い張っている。

私はあの鳥は日本の「ガン」だと思う。


 おれは続きを考えた――


これは困ったことだと、去年まで鳥がたくさんいた森へ行ってみると、

そこにはほとんど「シジュウカラ」しか残っていなかった。

ひときわ古い青い木の幹には一羽の老いた鳥がしがみつき、下から登ってくる仲間の若鳥をつつき落としていた。



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2010年1月17日 (日)

マルチパワーステーション(多機能ラジオライト) シルバー 5600(スターリング)

 これはいい買いものだったね。災害対策用のグッズには、ふだんはまったく使わない(使えない)ものが少なくないわけだが、こいつは災害時でなくたってふつうに便利である。おれはこいつを、ベッドから身を起こせばすぐに跳びつけるところに付属のショルダーストラップで常時吊るしているから、平時でも夜中にちょっとした照明が必要なときに使ったりしている。デザインも機能的で洒落ている。

 白色LEDライト、スリム型蛍光灯、AM/FMラジオ、サイレンを搭載しており、携帯電話充電用端子&アダプタも付いている。電源には乾電池が使えるのはもちろん、手回し式発電機、ソーラーパネルを搭載。別売のAC/DCアダプタもある。最悪、太陽か体力さえあれば、照明とラジオは確保できるわけだ。プラスティック製だから、そんなに重くない。

 まあ、こういうものも備えとかなくちゃいかんだろうと、あんまり期待せずに買ってみたんだが、使ってみると、ふだん使いの便利グッズとしても非常にいいので、もう一個注文して妹宅へも勝手に送りつけた。けっこう気に入っているようだ。

 こういうものが大いに役に立つ事態にはなってほしくないんだが、一家に一台(大きな家なら各部屋に一台)、お薦めですよ。おれには縁がないが、アウトドア趣味の人は災害対策以外にも活用できそうだ。



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2010年1月16日 (土)

ハイチの人たちを支援するため、みんなでアメリカに金を送ろう!

 米国赤十字社アップルiTunes Store「ハイチ地震救援金募金受付」(iTunes URL:https://buy.itunes.apple.com/WebObjects/MZFinance.woa/wa/buyCharityGiftWizard)をはじめている。海の向こうのこととて、たいていの日本人は直接にはなにもできんのだが、クリックひとつで募金できるというITの力を駆使しない手はない。一曲買うつもりで、募金しようじゃないか。

 奇しくも、明日はあの阪神淡路大震災から十五年という、おれたち日本人にとっても、おれたち自身が自然災害に叩きのめされたことを思い出す日だ。一曲欲しい曲をがまんして、ポチっと募金しようぜ。いまのおれたちには国際救助隊“らいちょう”は派遣できないけど、もたもたと“調査団”などを派遣している日本政府だとか、日本のその他諸々のわけのわからない団体だとかを経由するくらいなら、アップルを経由してアメリカ赤十字に募金したほうが、実効性・即効性のある使いかたをしてくれる確率はずっと高いにちがいない。こういうときには、残念ながら日本政府なんかよりも、アメリカの企業や団体を信頼したほうがまだずっとましである。iTunes Store という強力なインフラを使って、みんなでアメリカに金を送ろう!



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2010年1月13日 (水)

木材都市

 先日の『探偵!ナイトスクープ』(1月8日)に、工務店を経営するおっちゃんが、廃材を用いて一辺の長さが通常の九倍という巨大なジェンガを作ったので、ゲームしにきてほしいというバカバカしくもすばらしい依頼があった。ゲームを進めて積み上げてゆくと、三メートルを超えるのである。こんなものが、最後にはガラガラと頭上から崩れ落ちてくるのだ。危ない危ない。

 まあ、愛すべきアホなおっさんはさておくとして、おれはあの巨大ジェンガを観ながら、ふと考えた。そもそもジェンガというのは、あの木製のブロックの造形が不完全で、寸法に誤差があるからこそ成立する遊びなのではなかろうか? そもそも誤差がなければ、抜きやすいブロックや抜きにくいブロックが不規則に存在するはずがない。

 たとえば、あの直方体のブロックがすべて寸分違わず同じ寸法、同じ重量で、同じ表面摩擦係数を持っているという、完璧なモノリスみたいなものであったとしたら、ほとんど重量のバランスを計算することのみが勝敗を分ける、きわめて味気ないゲームになるのではなかろうか。ジェンガが金属やプラスティックではなく、木材で作られているというのは、あのゲームの成立に不可欠なことなのだろう。木材はどんなに精密に加工しても、ふたつと同じものはできまい。木目というものがあるからには、抜き出す方向によっても表面の摩擦係数はさまざまに異なるだろう。おまけに、湿度のちがいで膨れたり縮んだりする。遊んでいるうちに摩耗する。最初に積み上げるときに、まったく同じ組み合わせになることもきわめて少なかろう。単純だが、じつに奥の深い玩具と言えよう。

 コンピュータにチェスをさせるなどというゲームに飽きた人類は、将来、人工知能を搭載したロボット同士を、ジェンガで対戦させてその知能を競わせるんじゃなかろうか。

  「ココヲヌケバカテルナ」
  「ハッハッハ。ケイサンドオリニユクトオモッタラ、オオマチガイダ」

 みたいなことをロボットたちが言い交わしながらジェンガに興じる光景というのは、さぞや味わい深いものだと思うぞ。



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2010年1月11日 (月)

聴視率

 例のデアゴスティーニの《東宝特撮映画DVDコレクション》を定期購読しちゃってるもんだから、二週間に一本、東宝の特撮映画を観なければならないという義務をおのれに課しているわけである。まあ、いまのところ、観たことのあるものの“おさらい”なんだけども。

 それでもやはり、むかしの映画をいま改めて観ると、いろいろと教えられることが多い。昨夜は『キングコング対ゴジラ』をひさびさに観たのだが、「ん?」と引っかかった言葉遣いがあった。

 製薬会社の宣伝部の人々(彼らが宣伝のためにキングコングを日本に連れてくるのだ)がやたら「聴視率」という言葉を使う。いまなら、「視聴率」が圧倒的にふつうだし、ラジオについてなら「聴取率」を使うのが一般的だが、『キングコング対ゴジラ』の時代には、どうやらテレビについても「聴視率」という言葉を使っていたようなのだ。『キングコング対ゴジラ』は、奇しくもおれの生まれた年、一九六二年の作品である。

 調べてみると、なーるほど、六十年代には、まだまだ「聴視率」が一般的であったようだ。やはり、まだ当時は、ラジオ優勢時代の言葉遣いを引きずっていたんだろうな。山形大学の図書館には、「テレビラヂオ番組聴視率調査全国結果表 昭和42年6月」なんてものが所蔵されている。

 こういう、ほんの三、四十年で変わってしまうような言葉ってのは、むかしのことを書く際には要注意だろう。当時なかった言葉、あるいは、当時は非常にマイナーだった言葉をうっかり当前のように使ってしまう危険があるからだ。逆に言うと、昭和三、四十年代を舞台にしたフィクションで「聴視率」という言葉を使うと、リアリティーが増すわけである。

 ちょっとむかしのものを改めて観たり読んだりすると、ほんとうに教えられることが多いなあ。すごくむかしのことというのは、“歴史的知識”として学校で習ったりするし、それらを扱った書物も多いのだが、中途半端にむかしのことというのが、いちばんの陥穽だと思う。いわゆる“考現学”の対象になるようなちょっとしたディテールが、著しくリアリティーを損ねてしまったりするのだ。重箱の隅をつつくようにそんなところばかりを指摘したくはないけれども、やっぱり気になっちゃうのよね、こういうのは。

 以前も書いたような気がするが、江戸時代の時代劇で、野原に寝転がった登場人物の横でヒメジョオンが揺れているというのは、やっぱりまずいと思うわけですよ、いくら電信柱が映らないように撮影していたとしてもね。



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2010年1月 9日 (土)

自家中毒

 ずっと以前にも似たようなことを書いたような気もするのだが、まあ、十三年以上もウェブ日記を書いていれば、そういうこともあるだろうから、気にせず書く。屁についてである。

 このところ、年末年始の暴飲暴食が祟ってか、やたら腹にガスが溜まる。歩いていても、プッププップと屁が出る。出るもんはしようがない。あまり我慢しては身体に悪い。だもんだから、まわりに人がいないところを一人で歩いているときなどは、なんの遠慮もなくプッププップを屁を垂れ流す。これもまあ、べつに「問題ない」((c)碇ゲンドウ)。

 問題は、だ。いまは冬なのである。コートを着ている。だもんだから、筒状になったコートの中に屁が溜まり、挙句の果てには、自分の襟のあたりから上がってくる。わが屁ながら、集中的に襟元から出てこられるとかなり臭い。臭いのだが、やはりそれはわが屁であり、しばらく嗅いでいると、なんとなくその強烈な臭気に愛着すら覚え、陶然となってくる。もっとがんばって屁を出そうかという気にすらなってくる。慣れというのはえらいもんである。

 まあ、むかしからよく言うじゃないか、「♪コートの中では平気なの」



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2010年1月 8日 (金)

2nd Priority?

 このところ、にわかに下地島の風景がやたらテレビに映るようになった。なにやら、とても懐かしい気がする。

 と、思ってしまうからである。

 最近のニュースをこういうふうに見ている人は……まあ、この日記を読んでいるような人には、そこそこたくさんいるにちがいないと思うのだがどうか。



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2010年1月 7日 (木)

狂いそうに気持ちいい

 ふー、四日ぶりに愛人に口づけした。狂ったように、三度もした。あー、気持ちいい。悦楽のひとときである。マジで射精しそうだ。

 最初の休煙は一週間続かんかったな。よし、次は一週間がまんしてみよう。一週間断ったら、どれほどの悦楽が待っていることか。じつに楽しみである。断てば断つほど気持ちいいにちがいない。

 

いやあ、酒井法子の気持ちがよくわかるなあ。



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今年から煙草とひとまず別れて、愛人にすることにした

 四日の朝に吸った煙草を最後に、休煙期間に入っている。というか、早い話が、禁煙を試みている。なんか“禁煙”という言葉を使うと、まるで喫煙が悪いことででもあるかのような感じになってしまうので、さしあたり“休煙”と言うことにしているのだ。

 不思議なことに、三日も煙草を吸わないと、自分の吐く息が煙草臭いことがよくわかる。しばらくは煙草を吸わなくても、自分の体内から出てくる煙草の香りで楽しめそうだ。

 これで一週間くらい経ったころに一本吸ってみることにしよう。それはもう、めちゃめちゃうまいにちがいない。頭がクラクラクラ~と痺れるような“あの感覚”を、じっくりと味わえるにちがいない。

 で、その次には、二週間くらい我慢してみる。二週間吸わなかったところへ一本吸ってみろ、そりゃもう、ガツーンとくるにちがいない。そのガツーンは、しょっちゅう吸っていたのでは絶対に味わえない類のガツーンなのだ。

 これを繰り返してゆくと、禁煙をせずに、煙草を吸う本数を劇的に減らすことができるはずだ。禁断症状を積極的に楽しむのである。こういう楽しみかたは、麻薬や覚醒剤にはなかなかできまい。煙草程度だからこそ楽しめるのである。

 おれがちょっと怖れているのは、一週間、二週間と休煙したあとに吸った煙草が、「うえ、まずい」と思えてしまうことなのである。そうなると、もはや煙草を吸っている意味がない。こんなふうにはなりたくないのだ。煙草を味わう能力は維持したまま、ほんのたま~にしか吸わないようにしたいのである。

 最終的には、一箱五千円くらいの煙草を一年ほどかけてじっくり味わうってのが理想だなあ。とびきりいい酒を買うと、そんな感じじゃないか。

 おれは二十四歳から煙草を吸いはじめたので、やがて四十八歳を迎える予定の今年、煙草を吸っていなかった人生と煙草を吸っていた人生とがちょうど釣り合うくらいのタイミングなのだ。ここらで煙草とのつきあいかたを変えてみたい。四六時中義務のようにしてつきあうカミさんみたいな関係じゃなく、たま~に思いきりじっくり燃え上がる愛人みたいな関係を、煙草とのあいだに築いてゆきたいのである。



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2010年1月 2日 (土)

『ハイキック・ガール! 』(主演:武田梨奈/監督:西冬彦/ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)

 空手家でロシア語SF翻訳家でアイドル好きの大野典宏さんが劇場公開時から武田梨奈ちゃんを激賞してたもんで、子供のころに志穂美悦子のハイキックを見て以来、強い女性の美しいハイキックをこよなく愛するおれは、DVDが出たら買おうと思っておったのだった。年末年始はこれで楽しめたねえ。

 えーと、お話を楽しもうという方にはお薦めしません。まあ、アレだ、腕に覚えはあるが精神的に未熟な主人公が、師匠の闘いぶりを見て成長してゆくという定型フォーマットであり、悪党どもに捕えられた主人公の空手少女を助け出そうと敵地に乗り込んだ師匠が、次々と立ちはだかるキャラの立った敵を倒して前進してゆくという『死亡遊戯』的フォーマットだ。べつにお話はこの際どうでもよろしい。

 それでも、見応え充分。当てる当てる、ホントに当てる。素人のおれが観ていても、大丈夫かいなと思うくらい当てている。空手はもちろん、ムエタイやらテコンドーやら、“ほんまもん”の手練者が出演して、バシバシ当てている。デキる者同士だから、フルコンタクトが可能なんでしょうな。素人の役者相手だったら、手加減しても怪我するよ、これじゃ。しかも、いくら空手の大会で優勝経験のある美少女アイドルとはいえ、むくつけきおっさんがアイドルの顔面を頭を肩を腹を蹴るわ蹴るわ、こんなもん、ふつうのアイドルなら一発で失神だろう。

 武田梨奈ちゃんもカッコいいが、彼女の師匠役(中達也:日本空手協会総本部師範)がこれまたカッコいいのよ。おれは空手なんて知らんから、こんな美形の達人が空手界におるなんて、これ観て初めて知った。なんちゅうか、『柔道讃歌』“秒の殺し屋”帯刀省吾(喩えが古いかねえ?)が空手をやっておったらこういう感じだろうという、気品のある美しさと立ち居振る舞いである。立ってるだけでただただ美しく、強そうなのだ。

 女子高生空手家のハイキックをコマ送りしてスカートの中を覗こうなどという邪念のある人でも(いやまあ、おれもそういう邪念が皆無であったとは言わんが)、この映画を観ているうちに、そんなところを見ている場合ではない“ただごとではなさ感”に引き込まれること請け合い。人間の筋力や重力を無視したワイヤーアクションやら、なんでもありのCGやらに食傷気味の方には、ワイヤーなし、スタントマンなしの“ほんまもん”の突き合い・蹴り合いを、ぽか~んと口開けて堪能していただきたい。なるほど、脚本なんてどうでもいい映画ってのは、たしかにあるもんだな。この映画、あちこちのブログなどでの評価を見ると、武道を嗜む人は激賞する傾向にあるようだ。たぶん、素人が見てもわからんレベルで、「よくこんなことするなあ」という、とんでもないことをしているんだろうな。メイキングやら詳しい解説なども観てみたい武道家の方には、二枚組の豪華版のほうがいいかもしれない。

 それにしても、武田梨奈ちゃん、眼がいいなあ。このコになら蹴られてみたい(が、下手すりゃ死ぬ。マジで)。二十一世紀の志穂美悦子、ここに登場である。



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今月の言葉

新春はくし号大会

 いまの日本の多くの民間企業では、博士号はかくし芸と同じようにしか思われていないだろう。“新卒”とかいうわけのわからない条件を満たす者だけを横並びでどばっと採用するなんて不可思議な陋習が、なぜ“知”で世界と渡り合うしか立国のすべがない資源貧国でいつまでもだらだらと生き残っているのか、まったくもって理解に苦しむ。日本を滅ぼそうとする自民党と経団連の長期的陰謀だとしか思われない。

 「◯◯の博士号なんて、うちの会社には関係ない」と思っている経営者がそもそもヘンじゃないのか。特定の分野の知識が役に立つのではない。自分でテーマを発見し、研究し、結果に結びつけるという方法論をしっかりと身につけた人材が、いかな分野であれ役に立たないなんてことがあるものか。つまり、哲学やプロセスを軽視し、ハウツーやハコモノをありがたがる歪んだ思想が、日本を弱体化させてゆくのだ。



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