生きてるだけで丸儲け
最近ブログがちょっと手薄なのは、Twitter にハマってしまっているからだというのは先日も書いたが、Twitter で関東・関西の電車の運行状況情報というやつをフォローしていると、遅延情報などがほぼリアルタイムでケータイに入ってくる。これを見ていると、なんとまあ、電車というやつは、しょっちゅう人身事故で止まっているものなのだなあと、げんなりする。ほんとの“事故”もあるんだろうが、まあ、たいていは飛び込み自殺であるにちがいない。年末ともなると、この手の自殺はふだんより増えることだろう。
そりゃまあ、なんとかこの歳まで生き続けられているおれごときが無責任に「死ぬな」と言ったところで、あんまり説得力はないかもしれん。「そりゃおまえは、ちりめんじゃこに小さなタコが入っている程度のことでしあわせなめでたいやつなのかもしれんが、おれはそんなしょうもないことで満足する卑小な人間ではない。もうダメだ。こんなに失敗してしまっては生きている値打ちがない。このあとろくな人生が待っていないのにちがいない。もう死ぬしかない」と言われたら、はあそうですかとしか言いようがない。だけどねえ、あなた、要求水準が高すぎないか? 基本、人間というやつは、「生きてるだけで丸儲け」((C)明石家さんま)と思いませんか? おれはそう思って生きている。
もう、二十数年以上むかしのことなんだけどね、おれは電車に飛び込んで自殺した人に、とてもとても大切なことを教えてもらった経験がある。それが誰だかわかったら、いまでも線香の一本も上げて礼を言いたいくらいの想いだ。この人のおかげで、おれは死ぬのが怖くなくなったし、この世で起こる程度のことでみずから死を選んではいかんと心底思えるようになった。
「あの肉袋が教えてくれたことはおれにとって大事なことだ」とおれは書いたが、それがどう大事なのか、長いあいだ言語化することができなかった。いまならできる。あのとき、おれが乗っていた電車に飛び込んだ人は、おれに「命というのは、吹けば飛ぶようなしょーもないものだ」と身を以て教えてくれたのだ。そして、しょーもないものほど、いとおしいものなのである。ちりめんじゃこに小さなタコが入っていたら嬉しくなる程度のしょーもないものなのだ。「人命は地球より重い」などとほざいた総理大臣がかつておったが、あんなのは世迷い言だ。そんなもん、百数十人の命より地球のほうが大事なのはあきらかである。そんな、しょーもないものだから、そんなしょーもない肉袋だからこそ、同じ肉袋にとっては“いとおしい”のだ。“いとおしい”というのは、すなわち“たいへん、もったいない”という意味である。
もし、万が一、このアホ日記を読んでいる人の中に、早晩線路に飛び込もうと思っている人がいたら、おれは言いたい。ちょっと待て。あなたがどのような人生を歩んできて、いまどのような状況にあるのかおれは知らない。知らないけど、ちょっと待て。あなたひとりが生きようが死のうが、世界はたいして変わらん。変わらんが、小さな子供がよちよち歩いているのを見て、ああ、いとおしいなあと思う存在、きれいな花が咲いているのを見て、ああ、きれいだなあと思う存在が、あなたが死んだらひとつ減ってしまうことだけはたしかなことだ。命というのは、たぶん、しょーもないものだからこそ、軽々に捨てるにはあまりにもったいないものなのだ。
生きてるだけで丸儲け――じつに、すばらしい人生哲学ではないか。関西人らしい表現ではあるが、言いたいことは全世界の人類に伝わると思う。あなたは生きているだけで、生きて「美しい」「いとおしい」と思っているだけで、そこいらの花をあなたのぶんだけ美しくしているのだ。あなたは、あなたがどういう状況であろうが、あなたのぶんだけ世界を変えているのである。
だから頼む、とにかく、死ぬまで生きていてくれ。
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コメント
私の好きな人生哲学は、所ジョージの昔の歌にある
「長生きするため生きている」ですね。
投稿: 北野勇作 | 2009年12月20日 (日) 07時11分
>北野勇作さん
健康ブームを茶化したビートたけしの「死んでもいいから健康でいたい」ってのもありましたね(^_^;)。
投稿: 冬樹蛉 | 2009年12月27日 (日) 19時50分