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2009年11月19日 (木)

「流線型にシルバーのカッコ良すぎる未来」ではないけれど、捨てたもんでもない

 例の“事業仕分け”、むろん全部観ている時間などないのだが、断片的に録画映像や記録をあちこちで観たり読んだりしているかぎりでは、成功と言えるんじゃないの。

 多少はおれにも知識のある分野の仕分けを観ていると、仕分け人も仕分け人なら、役人も役人という感じで、早い話が、目糞鼻糞だ。仕分け人が無知だ不見識だという意見もあるが、じゃあ、誰を仕分け人にすればどこからも文句が出ないのかとあたりまえのことを自分に問うてみると、充分にクオリファイされるやつなど、生きている人間の中には誰もいないにちがいない。歪んだものさしであれ、おれたちが選挙で選んだ人々が選んだのだから、まずはお手並みを拝見するのが良識というものである。“公開処刑”だなどとバカなことをほざいている人々もおるが、仕分けの過程は、すべて望む者にはアクセスできるわけだから、あの過程を公開することで、すなわち、仕分け人たちも自分たちの無知・不見識を晒しものにするリスクを負っているわけである。ああいう過程をガラス張りにすることは、仕分け人たちにとっても“公開処刑”なのだ。あまりにバカな仕分けをしたのでは、次の選挙が危ない。これぞ民主主義というものだ。

 それにしても、役人というのは、頭はいいはずなのに、彼らの説明の下手さには呆れかえった。仕分け人たちは各諸分野の専門家ではないわけだし、そんなことは仕分け人たち自身が自覚しているわけだから、相手の土俵に乗ってしまわない観点からツッコんでくるに決まっているのに、頭のいいはずの役人たちにはそんなこともわからんかったのか。まあ、頭はいいのだから、これで学習というものをしたであろう。次回が楽しみだ。もっとも、“他人の理解を得るために説得する”という作業をほとんどしたことがないであろう役人たちを見ていると、そりゃあ無理もないと憐憫の情すら感じたのではあるが……。いままでよっぽど“説得”とは無縁の人生を歩んできたのだろうな。かわいそうに。あの程度の仕分け人に手もなく捻られているようでは、ガイジン、とくにアメリカ人とはとても戦えん。

 それでも、おれはこの作業を観ていて、感動した。仕分け人や役人の能力に感動したのではない。むしろ、それには落胆した。しかし、こういうことが公開で行われていること、そして、仕分け人や役人をはるかに凌ぐ知識・見識を具えた“市井の有識者”たちの見解が次々とブログに書かれ、Twitter でつぶやかれているさまに激しく感動した。二十一世紀になって、いちばん「ああ、二十一世紀だなあ」と感じた出来事だったかもしれない。

 歪んだものさしであれなんであれ、ものさしで計っている過程を、そこいらの凡人にであれ賢人にであれ公開してしまうという革命的な出来事に、おれは陶然となったのだった。「こ、ここはほんとうにあのIT後進国の日本なのか……。お、おれはいま、日本の出来事を目の当たりにしているのか!?」と、自分がいつ・どこにいるのかわからなくなるくらいの思いをしばしば持った。

 なにしろ、今年は日本にとって、“議会制民主主義元年”なのだから、仕分け人がバカでも、役人がアホでも、ある程度は大目に見てやろうや。こういうことをやっているというのが、日本としてはとんでもなくすごいことなのだから……。仕分け人がバカだと思うなら選挙で落としてやればいいだけだし、役人がアホだと思うなら仕分け人たちに力を与えてやればいいだけの話である。すべての力は根源はおれたちの一票にある。ああ、なんとあたりまえのことが、あたりまえになったのだろう!

 仮に自民党が奇跡的な復活を遂げたとしても、もはやこういう過程を見てしまった日本人は、どこが政権を取ろうが、少なくとも同レベルの情報が公開されないと納得しなくなっているだろう。これは不可逆反応だ。

 日本がアメリカの IT Dashboard のようなものが作れるようになるには百年くらいかかるんじゃないかと思っていたのだが、もしかすると、それはそんなに遠い未来のことではないのではないか……と、一縷の望みが湧いてきたここ数日なのであった。



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コメント

仮に事業仕分け自体がすべて財務省のシナリオに乗っかったものだとしても、これが前代未聞ともいえる公開レベルでなされている事には高く評価せざるを得ないでしょう。
ただ問題なのはこれらが何の法的根拠も無く行なわれていることにあると思うわけです。(だからただのパフォーマンスだといわれる)
まあ、逆に法的根拠を求めないからこそここまで大胆な公開が可能になったとも考えられますが。

民主党の打ち出した各種の政策や補正予算凍結なども今のところすべて法的根拠が無く、また未だに立法措置の予定が確定していません。
ここまで国民的議論を巻き起こして削減・廃止された内容が実際の予算に反映される保障が全く無いわけです。
ここはやはり事業仕分けから本予算編成・復活折衝までをセットで公開しないと片手落ちと言うものでしょう。

投稿: 超時空漫才 | 2009年11月19日 (木) 07時14分

そういったことに感動しているような人は本当にごく一部で、
恐らく日本国民の多くは「なんかワーワーやっとるなー」くらいの認識しかないんじゃないかと思いますけどねぇ。

不可逆反応かどうかも疑問です。
仮に密室政治の政権であっても、景気が良くなって給料が上がれば多くの国民は文句言わないでしょう。

国民全体のレベルが引きあがっていくための時間を考えると、やっぱりあと百年はかかるんじゃないですかねぇ。

投稿: はる | 2009年11月19日 (木) 12時24分

 やっぱ、事業仕分けは役所の手引きで国会の機能を無力化する手続きに見えますけどねぇ。

投稿: 東部戦線 | 2009年11月19日 (木) 20時41分

>仕分け人がバカだと思うなら選挙で落としてやればいいだけだし、役人がアホだと思うなら仕分け人たちに力を与えてやればいいだけの話である。すべての力は根源はおれたちの一票にある。ああ、なんとあたりまえのことが、あたりまえになったのだろう!

これって今までとどう違うんですかね。
日本は戦後からこっちずっと民主国家でしょう。情報もオープンな。今までずっと「すべての力は根源はおれたちの一票に」あったんですよ。それを生かせてこれなかったのは、いかに説明をひねり出しても、有権者つまり国民ひとりひとりの責任に帰結する。
これまでだって、国政で何が行われているかなんてことは知ろうと思えばいくらでも知ることができたわけで、それは人それぞれのモチベーションによるでしょう。今回の仕分けはただの見世物、茶番であるということ以上の意味はないです。

投稿: ハスミ | 2009年11月19日 (木) 22時37分

 「ただの見世物」ではないですよ。
 ある意味、革命的だと思います。国家予算の承認は国会の重要な機能ですが、それにともなっていた予算の見直しを国会の外でやっちゃおうというわけですから。
 どう見直すべきかは主計局と内閣で決めてるわけですから、実質的には国会機能の大きな見直しといえます。
 これはかなり思い切った国政変革でしょう。

投稿: 東部戦線 | 2009年11月19日 (木) 23時14分

たしか来年はもうやらないんじゃないですか?

投稿: しがない | 2009年11月22日 (日) 14時00分

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