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2009年11月16日 (月)

逃げる夢をしばらく見ない

 イギリス人英会話講師の死体を遺棄して指名手配され、先ごろ捕まった市橋達也容疑者関連のニュースを多く目にするせいか、近ごろまたおれの中の不思議な感情を意識せざるを得なくなっている。もしかすると、おれに限ったことではなく、万人の中にある感情なのかもしれないが……。

 あのですね、あなた、“逃亡者願望”みたいなものないですか? “願望”というと語弊があるな。なんちゅうかその、自分はいつかどこかで逃亡者だったことがあり、そのときのことがなにか懐かしく思い出されるといった、自分の知らない過去だか未来だかの記憶だ。ときどき夢にも見たりする。自分がなぜ逃げているのか、追っているのは誰なのか、そういったことはまったくわからないのだが、とにかくそれは空想とかではなくて“記憶”だといった感じだ。もしかするとおれは、なにかとても悪いことをしでかして追われているのかもしれず、あるいは、おれひとりがまともなので、まともでない世間全体に追われているのかもしれない……そういう夢である。そんな夢を見たときは、けっして不快じゃなく、なにかとても懐かしい感じに触れたようで、癒される感じすらあるのだよな。どうです、そんな感じないすか?

 こういう“感じ”は、かなり普遍的なものなんじゃないかとすら、おれは思う。筒井康隆「走る取的」を初めて読んだときに、「ああ、おれ以外にもこういう“感じ”を持っている人がいたのだ」と驚愕すると同時に、心底怖くなった。話そのものが怖いというのではない(まあ、かなり怖いが)。あの話はむしろ“懐かしい”。“あの感じ”を余すところなく言語で表現し得ている生身の作家が同時代に実在することに怖くなったのだった。

 おれは最近こういう“自分が逃亡者である”という設定(?)の夢をしばらく見ていない。それがなんだかもの足りない感じすらする。自分が過去のいつかどこかで追われていた記憶、あるいは、未来のいつかどこかで必ず追われることになるといった確信のようなものは、おれの中に否定し難くずっとあって、折に触れてそれを“思い出す”ことで、おれは癒されたいと思っているのかもしれない。

 市橋はむろん卑劣な犯罪者であって、それを認める気などまったくないのだが、彼の二年七か月にも及ぶ逃亡生活に、なんだかわけのわからない“羨望”のようなものを感じたりしないだろうか? おれの中にはたしかにそういう感情があるのが、じっくり内省するとわかる。そしてそれは、おれだけが持っている不条理な感情なのではなく、あなたの中にもある、なにやら不可思議な過去あるいは未来の“おもいで”なのではないかという気がしてならないのである。

 むかし、はたまた、これから、なにものかに追われている自分が、おれはひどく懐かしい。

 そうそう、初めて「走る取的」を読んだとき――取的に駅の便所に追いつめられている“自分”を感じたとき、おれは、芥川龍之介「トロッコ」をなぜかとてもよく似た話として連想した。つまり、ああいう奇妙な“懐かしさ”のことを言っているのよ、おれは。うまく表現できないけどさ。誰しも、取的に追われたこと、暗くなってゆく線路の上をひとり必死で走ったことがあるはずなのだ。そして、これからもあるはずなのだ。



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