アンタ あの娘の何んなのさ!
先日、iTunes Store でダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を見つけて、ついつい懐かしくなって買ってしまった。それはまあいいのだが、ひさびさに聴いてみて、最初から引っかかった。つまらないことが気になりだすととことん気になってしまうのが、おれという人間である。
年配の方はご存じのように、これはヨーコという女を尋ねて歩く男が、じわじわとヨーコの現在の所在に迫ってゆく唄である。尋ね歩く先々で、この歌詞の物語の視点である男は、ヨーコについて証言する相手から決まって同じ台詞を投げられる――「アンタ あの娘の何んなのさ!」
ところが、一番の歌詞(ちゅうか、台詞)だけがちょっと引っかかる。
♪一寸前なら憶えちゃいるが
一年前だとチトわからねエなあ
髪の長い女だってここにゃ沢山いるからねエ
ワルイなあ他をあたってくれよ
アンタ あの娘の何んなのさ!
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ
つまり、歌詞の視点人物がヨーコについて尋ねたこの相手は、具体的に思い当たるところがなかったわけである。
だとすると、「アンタ あの娘の何んなのさ!」と言うのは不自然だ。ヨーコが“どの娘”なのか「チトわからねエ」のであれば、ふつうは、「アンタ その娘の何んなのさ!」と言うはずである。
これにはふたつの解釈があり得るだろう。ひとつは、二番以降に登場する情報提供者は、たしかにヨーコを憶えている・現在知っている人物ばかりなので、それらと決め台詞を揃えるために、あえて一番では不自然な点に目をつむったという解釈であり、いまひとつは、この一番の歌詞の男はじつはヨーコに思い当たっていて、(ことによると、非常に親密な関係だったことがあったのかもしれないけれども)あえてシラを切ったのだ。しかし、ついつい視点人物とヨーコとの関係が気になり、別れ際についうっかり「あの娘」と口を滑らせてしまったのだという解釈である。
まあ、おれとしては、後者の解釈を取ったほうが、ドラマが広がっていいなとも思うのだが、作詞の阿木燿子の意図はどっちだったのか、おれはさっぱり知らない。真相を究明したいとも、あんまり思わないな。曖昧なままのほうがいいじゃないか。
この一番の歌詞の男に「あの娘」と言わせたのが、緻密な計算であったにせよ、ある種の妥協であったにせよ、やっぱりここは「あの娘」じゃなきゃいかんよなあ。
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コメント
ドラえもんで「ぼく、桃太郎のなんなのさ」の巻があったほどの大ヒット曲でしたね。大人から子供まで日本中があのフレーズを口ずさんでいたんだから、今から考えるとすごいなあ。
あ、「ぼく、桃太郎のなんなのさ」はタイムパラドックスものの傑作です。
投稿: 北野勇作 | 2009年10月 6日 (火) 07時30分
誰しも同じこと考えるんですね
ラストは確か「アンタあの娘にホレてるね」なんだから、一番は「アンタその娘の何なのさ」(あるいは「その娘アンタの何なのさ」)がよいのではないかと私は愚考いたしますです、ハイ
投稿: 村上 | 2009年10月 6日 (火) 08時38分
やはり後者解釈だと思います。もしも最初の歌詞で証言者が「あの娘」に思い当たる所がなかったら、視点人物は「あの娘」の情報を一切得られなかった。それが(相手を締め上げるか何かして)情報を得られたから、順次捜索の網を絞ることができた。
もしも最初の証言者が「アンタ その娘の何んなのさ!」だったら、視点人物は情報を得られないまま、あの曲は最初のやり取りを永遠に繰り返す羽目になったはず。
投稿: 林 譲治 | 2009年10月 6日 (火) 11時00分
というか、ストーカーじゃないですか。この男。
投稿: ふみお | 2009年10月 6日 (火) 23時49分
ここで短絡的にストーカー呼ばわりするのは逆に自分の人生狭苦しくしないかしらん?
余計なお世話?
サーセン
当時は後者の解釈を自然としてたよな気が。
投稿: Cru | 2009年10月10日 (土) 21時18分
まさかこの程度のネタに真面目に反応する人がいるとは思わず、大変失礼いたしました
投稿: ふみお | 2009年10月21日 (水) 00時58分