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2009年10月の10件の記事

2009年10月27日 (火)

京都をポケットに入れて持ち歩く

 「NipponArchives 京都二十四節気」って、ビデオポッドキャスト(iTunes Store URL)に感嘆。壇れいのナレーションもいいが、なにより映像がすばらしい。上質の環境ビデオのようである。こんなの、タダで観ていいのかい?

 おれはかろうじて京都市内に住んでいるが、こんな景色はめったに見ないなあ。こんなのは、日本語版だけじゃなく、英語で世界に発信すればいいのに。せっかくのポッドキャストなんだからさ。




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2009年10月24日 (土)

頭が真っ白になるCM

 このCM好きだなあ。船場吉兆のささやき女将は、いまごろどのような心境でこのCMを観ていることであろうか。



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短期記憶と次元

 人間の短期記憶が7±2個の意味の塊しか保持できないことは広く知られている。いわゆる“ミラーの法則”というやつだ。こういう実験的経験則を“法則”と呼ぶべきかどうかというツッコミもあろうが、俗にミラーの法則として人口に膾炙している。まあ、チチウス・ボーデの法則が法則である程度には法則であろう。

 おれの子供のころからの疑問は、なぜ人間はそういうふうにできているのか、そういうふうに進化してきたのか、ということなのである。認知神経科学が充分に進み、7±2のマジカルナンバーに解剖学的裏付けができたとしても、「じゃあ、なぜそうなのか?」の解決にはならない。

 そんなことを漫然と考えていたら、またバカなことを思いついた。このマジカルナンバーは、おれたちが3次元の空間で進化してきたことに関係があるのではなかろうか、と。3次元の空間で動きまわり、捕食し、敵から逃げるために必要な短期記憶の容量に最適化されてきたんじゃなかろうか? 次元の数である3からどうして7±2が導かれるのかという確たる数式を提示することはできないが、非常に強い関係があったとしても不思議ではないのではなかろうか? な~んとなく、そんな気がしないか? 直観だ、直観。

 たとえば、おれたちが13次元の空間で進化した生物であったとしよう。だとしたら、おれたちは、ふたつの13次元ベクトルの内積がゼロになるような位置関係を“ぱっと見”“直交している”と判断できる認知システムを発達させ、13次元空間でピタゴラスの定理の敷衍によって導かれるベクトルのノルムを“ぱっと見”“長さ・距離”と認知できるような脳を発達させたことだろう。このような高次元の計量空間での生存競争に勝ち抜くには、短期記憶が7±2個などというスペックでは到底足りないはずだ。13次元人は13次元空間での生存に適した、おれたちのそれよりもはるかに大きな容量の短期記憶を発達させるのではなかろうか?

 この思いつきは実証が難しい。13次元人に訊きにゆくわけにもいかないからだ。なにしろ、おれたちには3次元の事例しか得られないわけだから、その一例を以て“法則”を導くのは、なんぼなんでも無理がある。

 いやしかし、実証は絶対に不可能だというわけではない。理屈の上では可能性はある。おれたちにはコンピュータという武器がある。

 もう、おわかりであろう。つまり、13次元空間をコンピュータでシミュレートすればよい。コンピュータ内の13次元空間で人工生命を進化させ、おれたち程度の知能を持ったところで、短期記憶がどれくらいかを測る実験をする。むろん、4次元空間、5次元空間、6次元空間……と、たくさんのサンプルを得る。天文学で言えば、ティコ・ブラーエみたいな地味な仕事だ。だが、そうした膨大なデータから、いずれはn次元空間で進化した知性の短期記憶容量を導く一般法則を発見するケプラーみたいなやつが現れるかもしれないじゃないか。



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2009年10月20日 (火)

戦国武将が見たらなんと思うやら

 ひさしぶりに「○○と××くらいちがう」シリーズ――

「越中ふんどしと甲冑パンツくらいちがう」

 なんでも最近流行っているらしいのだが(いや、越中ふんどしのほうじゃなくて、甲冑パンツが)、ラインナップを見てみると、森蘭丸の甲冑パンツってのもあるんだな。な~んか、銭湯とか人間ドックとかで森蘭丸の甲冑パンツ履いてる男がいたら、そこはかとなく妖しくも気まずい雰囲気が漂わないのであろうか?

 履き心地はよさそうだけど、デザインがあまりといえばあんまりだなあ。え、おれ? おれは長年ブリーフ派だったのだが、近年はボクサーパンツとトランクスをそのときの気分で適当に代わる代わる履いている。ぶらぶらさせてるのもさせてるなりに気持ちいいし、きゅっと締めるのも締めるなりに気持ちいい。男性更年期にはトランクスのほうがいいらしいけどね。



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2009年10月15日 (木)

お買い上げ御礼(2009年9月)

■2009年9月

【最も値段の高いもの】

 いまは在庫切れになっているのだが、これを買った人は二万五千三十二円で買っている。やっぱり、好きな人は好きなんだねえ。

 おれも子供のころ、鼓弾のエアライフルを持っていたけど、まあ、あれは気の利いた射的屋にはあるようなもので、さほどの威力はない。コルクでないだけましという程度のものだった。これはBB弾なんだな。ストレス解消グッズとしてはよさそう。

 こういうの、「大人になったらいくらでも買えるんだ。買ってやる。いつか買ってやる。買ってやるとも!」と、子供のころは誰しも思うものなのだろうが、いざ大人になってみると、たいていの人は買わない。ついつい、「二万五千円あったら……」と、ほかに買えるものをいろいろと想像してしまうからだ。子供のころの憧れが続かないのである。そういう意味で、こういうものを買える大人には、共感と尊敬を覚えてしまうのよなあ。

【最も値段の安いもの】
 
 『字幕屋……』は、七月にも「最も値段の安いもの」にランクインしているので、べつに不思議はないとして、『オタクアミーゴス!』なんて、まだ手に入るんだなあ。十二年前の本だぞ。オタク、おそるべし。

【最も多く売れたもの】

 これもまた面白い買いものですなあ。七月にもお茶が「最も多く売れたもの」だったんだが、なんなんだろうね、これは? やっぱり、新型インフルエンザ対策の一環なのだろうか。はたまた、“重いものは近所で買えてもウェブ通販で買う”という行動様式の一般化を物語る現象なのであろうか。たしかに、二リットルのペットボトルってのは、なかなかいっぺんには買えないんだよね。

 おれもときどき近所のホームセンターのキャンプ用品コーナーでまとめてこういうのを買おうかなあとは思うのだが、いまだに買えないでいる。持って帰ることを思うとうんざりするのだ。いい筋トレにはなりそうだけど。インフルエンザ対策であれ、災害時の備蓄用であれ、危機管理上、一家に数本は二リットルボトルの飲料を置いておきたいとは思うんだけどもねえ。案外、お年寄りが注文しているのかもしれないなあとも思ったりする

【最もケッタイなもの(主観)】

 この映画は観てないけど、なかなかよさげなキャストだねえ。ことに、麻生久美子木村多江ってのがおれの趣味に合う。夏場にでも、憶えてたら買って観てみようかな。

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2009年10月 8日 (木)

原曲とタメを張る名カバー「タワーリング・インフェルノ ~愛のテーマ~」

 わわわわわ、こ、こんなものが、YouTube に……。“埋め込み拒否”の投稿なので、リンクだけは張っておこう。これがあの中沢厚子の傑作カバー「タワーリング・インフェルノ ~愛のテーマ~」だ!

 おれはこのドーナツ盤(シングルレコード)をいまも持っているのだが、プレイヤーがないので聴くことができない。いやあ、ひさびさに聴いたなあ。二十数年ぶりだと思う。投稿してくれた人、ありがとう。野尻抱介さん、あ、ありましたぞ!

 実際、こういう映画音楽の単発のカバーとかは、なかなか復刻されないのよねえ。中沢厚子自身は音楽活動を再開しているのだから、過去のベスト盤とかにぜひこの曲を入れてほしいもんだが、映画音楽は権利関係とかがややこしいんだろうなあ。

 ハリウッド映画のテーマソング原曲と張り合うクオリティーのカバーってのは、そうそうないと思うのよな。中沢厚子いいねえ。

 ちなみに、こちらは Maureen McGovern の原曲 We May Never Love Like This Again である。むろん、こっちも大好きだ。The Towering Inferno のワンシーンに本人が出演して唄っている。な、なにもかも、みな懐かしい……。



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2009年10月 6日 (火)

アンタ あの娘の何んなのさ!

 先日、iTunes Store でダウン・タウン・ブギウギ・バンド「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を見つけて、ついつい懐かしくなって買ってしまった。それはまあいいのだが、ひさびさに聴いてみて、最初から引っかかった。つまらないことが気になりだすととことん気になってしまうのが、おれという人間である。

 年配の方はご存じのように、これはヨーコという女を尋ねて歩く男が、じわじわとヨーコの現在の所在に迫ってゆく唄である。尋ね歩く先々で、この歌詞の物語の視点である男は、ヨーコについて証言する相手から決まって同じ台詞を投げられる――「アンタ あの娘の何んなのさ!」

 ところが、一番の歌詞(ちゅうか、台詞)だけがちょっと引っかかる。

  ♪一寸前なら憶えちゃいるが
   一年前だとチトわからねエなあ
   髪の長い女だってここにゃ沢山いるからねエ
   ワルイなあ他をあたってくれよ
   アンタ あの娘の何んなのさ!
   港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ

 つまり、歌詞の視点人物がヨーコについて尋ねたこの相手は、具体的に思い当たるところがなかったわけである。

 だとすると、「アンタ あの娘の何んなのさ!」と言うのは不自然だ。ヨーコが“どの娘”なのか「チトわからねエ」のであれば、ふつうは、「アンタ その娘の何んなのさ!」と言うはずである。

 これにはふたつの解釈があり得るだろう。ひとつは、二番以降に登場する情報提供者は、たしかにヨーコを憶えている・現在知っている人物ばかりなので、それらと決め台詞を揃えるために、あえて一番では不自然な点に目をつむったという解釈であり、いまひとつは、この一番の歌詞の男はじつはヨーコに思い当たっていて、(ことによると、非常に親密な関係だったことがあったのかもしれないけれども)あえてシラを切ったのだ。しかし、ついつい視点人物とヨーコとの関係が気になり、別れ際についうっかり「あの娘」と口を滑らせてしまったのだという解釈である。

 まあ、おれとしては、後者の解釈を取ったほうが、ドラマが広がっていいなとも思うのだが、作詞の阿木燿子の意図はどっちだったのか、おれはさっぱり知らない。真相を究明したいとも、あんまり思わないな。曖昧なままのほうがいいじゃないか。

 この一番の歌詞の男に「あの娘」と言わせたのが、緻密な計算であったにせよ、ある種の妥協であったにせよ、やっぱりここは「あの娘」じゃなきゃいかんよなあ。



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2009年10月 5日 (月)

ネクタイの悪魔

金色の「勝負ネクタイ」人気急上昇 鳩山首相愛用 (asahi.com)
http://www.asahi.com/shopping/news/SEB200910020003.html

 総選挙の日も、首相指名の瞬間も、国連でも――鳩山由紀夫首相が大事な場面で「勝負ネクタイ」として締める金色を基調としたネクタイが、注目されている。問い合わせが相次ぎ、売り場にコーナーまでできた百貨店も。その神通力と人気、いつまで続くか。

(中略)

 売り場には、首相が愛用していると伝えられるイタリア製を含む、金色ネクタイ6種を集めた小さなコーナーがつくられ、陳列棚には「勝負ネクタイはGOLD」と書かれた表示板があった。金一色のネクタイがあれば、金のストライプ入りのものもある。
 鳩山氏が9月16日に首相に就いてから、「金色のネクタイはありますか」との問い合わせが相次いだ。予想外の反応を受けて同月25日に急きょ、コーナーを設けた。「お求めになるのは大半が女性で、贈り物用に買っていかれますね」とシャツ・タイ売り場の平島和仁・セールスマネジャー。
 小泉元首相の緑のネクタイ、安倍元首相の襟だけが白いシャツ、米・オバマ大統領の赤いネクタイ……。過去にもたびたび、注目政治家の服飾品への問い合わせはあったが、売り場のベテラン女性店員は「今回の鳩山さんのは、別格。ここまでの反響は初めて」という。
 テレビの情報番組で「ネクタイ選びは幸(みゆき)夫人」などと伝えられたためか、この店員によると、年配の女性の問い合わせが目立つという。「男性よりむしろ、『うちの夫にも勝利を』と願う女性の心をつかんだのかも」

 「お求めになるのは大半が女性で、贈り物用に買っていかれますね」だって? ひいい、かんべんしてくれ! おれはネクタイなどもらったことは数えるほどしかないが、万が一にもおれにネクタイを贈ろうと思っている奇特な人がおったなら、頼むから、金色だけはやめてほしい。あれは、総理大臣という特殊な職業の人が、上から下まで高級なお召しものに身を包んでいるからこそ、それなりに映えるのであって、くたびれたスーツを着たフツーのおっさんがキンキラキンのゴールドのネクタイを締めてたら、悪趣味なことこのうえない。金星にでも行ってきたかと思われる。え? あなた、旦那さんに贈るつもりでしたか? やめなさい! 悪いことは言わない。おとなしく趣味のよいカエル柄にでもしておきなさい。

 そういえば、むかし、政治家がテレビに出ても、女性はネクタイしか見ておらず、話の内容なんて聴いてないといった失言をした総理大臣がおったよなあ。話の内容を聴いているかどうかはあくまで個人差だと思うが、たしかに“女性はネクタイを見ている”という端的な指摘だけは、あながちまちがいでもなさそうだ。中曽根さんは、「話をきちんと聴いているうえにネクタイまで見ている」と言うべきだったのだ。

 かく言うおれは、ネクタイが嫌いである。おれの勤めている会社は、六月から九月まで“クールビズ”と称してノーネクタイなのだが、十月になってネクタイをしなくてはならなくなったので、うっとうしいことおびただしい。こんなもん、みんなでいっせいにやめませんか? なにもかもルイ十四世が悪いのだ。生産性を落としているだけだと思う。

 とはいえ、どのみちしなくてはならないのであれば、それなりに遊び心も必要だ。おれの持っているネクタイの一本に、ケッタイなのがある。面白いのでつい買ってしまったのだ。アインシュタインのうしろにキノコ雲がデザインされており、「E=mc2」の式があしらわれている。面白いので、八月六日や九日にしてみたりもしていたのだが、やっぱりあんまり奇抜なデザインのものはすぐ飽きますな。

 理系のSFファンが面白がって作ったんだろうが、シュレーディンガー方程式がデザインされたTシャツってのは見たことがある。でも、さすがにネクタイはないなあ。美しいデザインということであれば、「e + 1 = 0」をあしらったネクタイとかないかなあ。千円くらいなら買うぞ。ま、そんなものがふつうに市販されてたらびっくりだけどね。



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2009年10月 2日 (金)

弱い者たちを先に逃がそう

新型ワクチン接種、政府方針を決定 (YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091001-OYT1T00944.htm

 政府の新型インフルエンザ対策本部(本部長=鳩山首相)は1日、ワクチン接種に関する基本方針を正式決定した。 接種は10月19日の週から始める。医療従事者と重症化の危険性が高い人など計5400万人に順次接種していくが、児童・生徒や高齢者など大半の対象者は年明けの接種になり、流行のピークに間に合わない恐れもある。

広がる子どもの健康格差 病院に行けず、保健室で治療も (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0929/TKY200909280430.html

 親の経済格差は教育格差にとどまらず、「健康格差」となって児童生徒に広がっている。治療費がなく学校の保健室で治そうとする子、健康診断で異常が見つかってもなかなか再検査を受けない子……。格差社会の広がりとともに状況は悪くなる一方だといい、現場の養護教諭らは改善を訴えるために全国の事例を集め始めた。

(中略)

 別の2年生の男子生徒は「頭痛がする」と言って、1年前から毎日、市販の鎮痛薬を飲んでいた。「薬ちょうだい」。そう言って、保健室にもよく顔を出す。心配で、母親に「一度検査を受けた方がいい」と手紙を出した。でも、返事はない。校医に治療勧告書を書いてもらい、母親はようやく生徒を病院に行かせた。幸い大事には至らなかったが、放っておけば脳梗塞(こうそく)を起こすおそれがある状態だったという。

(中略)

 学校の定期健診で再検査が必要になっても、生徒からまず出る言葉は「検査代はいくら?」。自己負担になる再検査では、例えば心電図だと5、6千円かかるという。再検査を促し、ようやく受診して問題がなかった生徒の保護者からは「お金が無駄になった」と苦情を言われたこともある。「お子さんのためにはよかったんです」と返すしかなかったという。

 よし、決めた。おれは今回の新型インフルエンザの流行中は、予防接種など受けないことにする。多少ワクチンが出まわりはじめたとしても、国が優先順位を決めなくちゃならないほどに足りないものを、とくに重篤な疾患があるわけでもない成人男性が消費するわけにはいかん。余ってきたというくらいの状況になり、かつ、ウイルスが変異して毒性が相当高くなったとでもいうのなら、そのときには考えようかと思う。どのみち、現状では健康な人間が罹ったとて、めったなことでは死なん。そりゃ亡くなった健康な成人もおるが、それは確率的には低い話だ。

 とくに疾患のない成人男性(医療従事者等を除く)には、今後多少ワクチンが出まわりはじめたとて、あえて予防接種を自粛することをおれは呼びかけたい。罹ればいいじゃん。あなたが一週間やそこら休んだくらいで回らなくような職場は、そもそもヒューマンリソースマネジメントと危機管理がなっとらんのだ。「いや、おれが一週間も十日も休んだらたいへんなことになる」とおっしゃるあなた、その仕事は、どこかの抵抗力の弱い子供の命より大事なものなのか? どこかの妊婦と赤ん坊の命よりも大事なものなのか? どこかの貧しい家庭の学童の命よりも大事なものなのか? そうだとしたら、どんなごたいそうな仕事だ、それは? 国が優先順位を決めるのは当然のことではあるが、国に言われるまでもなく、健康な成人男性の品格として、「おれたちは最後の最後でいい」というスタンスを行動(というか、行動しないこと)で示そうではないか。

 むろん、健康な成人男性だって、インフルエンザで死ぬこともある。そのリスクは、おれたちで背負おうではないか。いままさに沈没しつつある豪華客船にあなたが乗っていたとしたら、女性や子供や老人を押しのけて救命ボートに乗るか、あなたは? 乗らんだろう。弱い者たちがことごとく避難し終えるまで、客船に残るだろう。まあ、そういう事態のマイルドなことが今回起こっているのだと考えれば、健康な成人男性が取るべきスタンスはあきらかだ。さいわい、今回の場合、豪華客船に最後まで残っていたって、死なない確率のほうがずっとずっと高いのだ。

 国がボンクラだったのはたしかだ。時間はあった。しかし、それをいまさら言うても詮ないことである。札束で外国人の面をはたいてワクチンを調達してきても、それは結局、本来優先されるべき“他国の弱い者たち”を犠牲にしていることに変わりはない。

 そりゃあ、中にはね、おれは重要な仕事をしている重要な人物だから、万が一にもこんなことで休むわけにも死ぬわけにもいかんのだという御仁もいらっしゃるかもしれんが、それでもなお、自分より弱い者を救命ボートに先に乗せるのが品格というものである。おれは、映画『タワーリング・インフェルノ』の、救命カゴにわれ先に跳びついて高層ビルから転落していった醜い男たちの姿を忘れない。

 フィクションとちがって、人はヒーローになんてめったなことではなれないものだ。ただ、誰の目にも留まらない、誰も褒めてくれないところで、意地汚い生きかた、意地汚い死にかたをしないだけの矜持を保った行動をすることは、ふつうの人間にでも充分できる。

 さあ、健康な成人男性のみなさん、この指とまれ!



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2009年10月 1日 (木)

今月の言葉

しらみがつかない生き方

 「ふつうの幸せ」を毛に入れる10のルール。



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