▼新型ワクチン接種、政府方針を決定 (YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091001-OYT1T00944.htm
政府の新型インフルエンザ対策本部(本部長=鳩山首相)は1日、ワクチン接種に関する基本方針を正式決定した。
接種は10月19日の週から始める。医療従事者と重症化の危険性が高い人など計5400万人に順次接種していくが、児童・生徒や高齢者など大半の対象者は年明けの接種になり、流行のピークに間に合わない恐れもある。
▼広がる子どもの健康格差 病院に行けず、保健室で治療も (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0929/TKY200909280430.html
親の経済格差は教育格差にとどまらず、「健康格差」となって児童生徒に広がっている。治療費がなく学校の保健室で治そうとする子、健康診断で異常が見つかってもなかなか再検査を受けない子……。格差社会の広がりとともに状況は悪くなる一方だといい、現場の養護教諭らは改善を訴えるために全国の事例を集め始めた。
(中略)
別の2年生の男子生徒は「頭痛がする」と言って、1年前から毎日、市販の鎮痛薬を飲んでいた。「薬ちょうだい」。そう言って、保健室にもよく顔を出す。心配で、母親に「一度検査を受けた方がいい」と手紙を出した。でも、返事はない。校医に治療勧告書を書いてもらい、母親はようやく生徒を病院に行かせた。幸い大事には至らなかったが、放っておけば脳梗塞(こうそく)を起こすおそれがある状態だったという。
(中略)
学校の定期健診で再検査が必要になっても、生徒からまず出る言葉は「検査代はいくら?」。自己負担になる再検査では、例えば心電図だと5、6千円かかるという。再検査を促し、ようやく受診して問題がなかった生徒の保護者からは「お金が無駄になった」と苦情を言われたこともある。「お子さんのためにはよかったんです」と返すしかなかったという。
よし、決めた。おれは今回の新型インフルエンザの流行中は、予防接種など受けないことにする。多少ワクチンが出まわりはじめたとしても、国が優先順位を決めなくちゃならないほどに足りないものを、とくに重篤な疾患があるわけでもない成人男性が消費するわけにはいかん。余ってきたというくらいの状況になり、かつ、ウイルスが変異して毒性が相当高くなったとでもいうのなら、そのときには考えようかと思う。どのみち、現状では健康な人間が罹ったとて、めったなことでは死なん。そりゃ亡くなった健康な成人もおるが、それは確率的には低い話だ。
とくに疾患のない成人男性(医療従事者等を除く)には、今後多少ワクチンが出まわりはじめたとて、あえて予防接種を自粛することをおれは呼びかけたい。罹ればいいじゃん。あなたが一週間やそこら休んだくらいで回らなくような職場は、そもそもヒューマンリソースマネジメントと危機管理がなっとらんのだ。「いや、おれが一週間も十日も休んだらたいへんなことになる」とおっしゃるあなた、その仕事は、どこかの抵抗力の弱い子供の命より大事なものなのか? どこかの妊婦と赤ん坊の命よりも大事なものなのか? どこかの貧しい家庭の学童の命よりも大事なものなのか? そうだとしたら、どんなごたいそうな仕事だ、それは? 国が優先順位を決めるのは当然のことではあるが、国に言われるまでもなく、健康な成人男性の品格として、「おれたちは最後の最後でいい」というスタンスを行動(というか、行動しないこと)で示そうではないか。
むろん、健康な成人男性だって、インフルエンザで死ぬこともある。そのリスクは、おれたちで背負おうではないか。いままさに沈没しつつある豪華客船にあなたが乗っていたとしたら、女性や子供や老人を押しのけて救命ボートに乗るか、あなたは? 乗らんだろう。弱い者たちがことごとく避難し終えるまで、客船に残るだろう。まあ、そういう事態のマイルドなことが今回起こっているのだと考えれば、健康な成人男性が取るべきスタンスはあきらかだ。さいわい、今回の場合、豪華客船に最後まで残っていたって、死なない確率のほうがずっとずっと高いのだ。
国がボンクラだったのはたしかだ。時間はあった。しかし、それをいまさら言うても詮ないことである。札束で外国人の面をはたいてワクチンを調達してきても、それは結局、本来優先されるべき“他国の弱い者たち”を犠牲にしていることに変わりはない。
そりゃあ、中にはね、おれは重要な仕事をしている重要な人物だから、万が一にもこんなことで休むわけにも死ぬわけにもいかんのだという御仁もいらっしゃるかもしれんが、それでもなお、自分より弱い者を救命ボートに先に乗せるのが品格というものである。おれは、映画『タワーリング・インフェルノ』の、救命カゴにわれ先に跳びついて高層ビルから転落していった醜い男たちの姿を忘れない。
フィクションとちがって、人はヒーローになんてめったなことではなれないものだ。ただ、誰の目にも留まらない、誰も褒めてくれないところで、意地汚い生きかた、意地汚い死にかたをしないだけの矜持を保った行動をすることは、ふつうの人間にでも充分できる。
さあ、健康な成人男性のみなさん、この指とまれ!
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