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2009年9月の16件の記事

2009年9月29日 (火)

真・自民党の夜明け

自民党新総裁に谷垣元財務相を大差で選出 (MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090928/stt0909281441004-n1.htm

 自民党は28日午後の両院議員総会で、麻生太郎前首相の後任となる第24代総裁に、谷垣禎一元財務相(64)を選出した。谷垣氏は国会議員票、地方票を合わせ過半数の300票を得た。任期は平成24年9月末までの3年間。
                 ◇
 自民党総裁選の得票は次の通り。
 谷垣禎一元財務相300票(国会議員票120票、地方票180票)▽河野太郎元法務副大臣144票(議員票35票、地方票109票)▽西村康稔前外務政務官54票(議員票43票、地方票11票)。
 有効投票は議員票が198票、地方票は300票。有効投票の過半数は250票。議員票1票が無効票だった。

 あ~あ、やっちまったな~。自民党もこれで終わりだ。民主党は胸を撫で下ろしていることだろう。

 先日、「ここで河野太郎を選べないようであれば、自民党に明日はない」と書いたが、むろん、河野太郎が選ばれる可能性はきわめて低いだろうとは思っていた。ここで河野太郎を選べる自民党であったなら、最初からあんなに負けていないだろうからだ。それでも、「もしかしたらもしかするか……」くらいには思っていたので、つまらないことおびただしい。やはり、この期に及んで、まーだ麻垣康三の椅子取りゲームの続きを内輪だけで続けている勘ちがい政党に明日などあるものか。老兵はすぐには死なんでもいいから、ただ消えゆけ。

 これで次回の参院選では、自民党は議席数で第三党以下にまでおちぶれることになるだろう。おれが考えているシナリオはこうだ――


 (1)河野太郎は遅かれ早かれ自民党を離党し、中堅・若手のかなりの人数がついてゆく。

 (2)河野新党はみんなの党と協調路線を取りつつ、最終的には合体し、新党となる。

 (3)自民党は国民から見離された爺さんばっかりになり、参院選でとどめを刺される。もちろん、この爺さんたちには、とどめを刺されても、いったいなぜ自分たちが選挙に負けたのか、死ぬまで理解できない。というか、死んでも理解できない。

 (4)先の衆院選で自民党を見離し、しかたなく民主党に入れた層が、河野・渡辺新党を支持し、新党は参院選でかなりの議席を取る。消極的な民主党票は、このとき新党に流れる。そして河野・渡辺新党の議席は、うまくすると自民党を上まわる。

 (5)河野・渡辺新党が力をつけてゆき、いずれ民主党とタメを張れるようになれば、ちゃんとした二大政党制になってゆく。民主党から分離した小沢グループが河野・渡辺新党とくっつくことすらあるかもしれない。


 ええい、いちいち“河野・渡辺新党”などと言っているのも面倒くさくなってきた。いい呼称があるので、おれはいずれ新党を立ち上げるであろう河野太郎に提案したい。“真・自由民主党”というのはどうだろう? ゲッターロボのようでもあり仮面ライダーのようでもありデビルマンのようでもあり幻魔大戦のようでもあり(?)、まあとにかく、“新”なんて陳腐な文字を使うより(新自由クラブを連想しちまう)、よほどカッコいいし、なにより呼称に嘘がない。守るべきものを守るためであれば、ドラスティックな変革を辞さない構えこそが、真の保守本流である。自民党が本来の保守本流の精神を忘れた勘ちがい爺いたちの内輪のままごと場になってしまったいま、河野・渡辺新党こそが、真の保守本流と看做されるようになるだろう。旧・自民党は、保身本流である。

 こうして、議席数こそまだ民主党には及ばないが、骨のある第二党としての真・自民党ができあがるのである。こうして日本は平和になった。

 おっと、(6)以降を書くのを忘れるところだった――


 (6)十年後。自民党は、衆参合わせて二十議席にも満たない泡沫政党となっているのだが、依然、その中に派閥が五つも六つもあり、「A派閥、B派閥から総裁が出たのだから、次はC派閥からだ」などと、性懲りもなく内輪だけで椅子取りゲームを続けている。なけなしの国会議員の平均年齢が七十歳を超えているため、しょっちゅう総裁が死ぬので、総裁選ばかりやっている。“シャドーキャビネット”“ネクストキャビネット”などと称して内閣ごっこをしては、年長者の顔を順々に立てるために、永遠にシャドーのままの虚しい組閣をしては悦に入るのが年寄りたちの暇潰しである。西暦二〇XX年、自民党は、炎天下の水たまりのように消滅してゆく。

 (7)自民党最後の議員が死の床でつぶやいた言葉は、2ちゃんねるに立った小さなスレッドで茶化されただけで、マスコミはまったく報道しなかった―― I don't understand.


 とうとう、わからんかったのか……。



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2009年9月28日 (月)

小さな英雄(3)

Uchibuta ひさびさの〈小さな英雄〉シリーズ。

 これもいったいなんと呼べばよいのかよくわからないのだが、チューブ入りのわさびとかからしとかの容器の内蓋である。新しいのを“下ろす”ときに、いちいち取り除かなくちゃならないのがはなはだ面倒くさいが、おれたちの食生活にはなくてはならないものである。三つの爪でしっかりとチューブの入り口にしがみついて密閉してくれる。こうして“開き”にしてみると、なにやら王冠のような気品すら漂ってくる。すばらしい。こいつのおかげでわさびやからしは新鮮な風味を保つことができるのだ。こいつのおかげでおれたちは、おいしい刺身やおいしいおでんを食うことができるのだ。これからもよろしく。



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2009年9月26日 (土)

職業病

 「いたたたた」
 「ああ、これは凝ってますねえ。ふんっ! ひどく凝ってるなあ。なにか非常に緊張を強いられるお仕事なんですか?」
 「え、ええ、秒単位で」
 「それはたいへんですねえ……おや、背骨も頸椎もかなり歪んでますね。妙に左にずれてるな」
 「そ、そうですか」
 「頸がとくにヘンだな……左上のほうをしょっちゅう見上げてでてもいないと、こんなふうにはならないはずなんだが」
 「え、ええ、そういう仕事でした。それも今日まででしたんで、肩の荷が下りた気持ちです」
 「そうですか、お疲れさまでした」
 「あ、そこ、いいです。痛いけどいいです」
 「ちょっと歪みを直しておきましょう――ふんっ!」
 「あぎっ!」
 「……ほら、まっすぐになりました」 
 「あ、なんか軽くなったような……ありがとうございます」
 「あと二、三回通ってください。貼り薬を出しておきますね」


 「えーと、この湿布薬は、と……。滝川さ~ん、滝川クリステルさ~ん」



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2009年9月25日 (金)

飯を食うのとは別に召し上がるもの

 食いものにあまり執着のないおれは、面倒くさいのでついつい同じような手軽なものばかり食ってしまうから、いろんなサプリメントを気休めに摂取している。効いているのかどうかよくわからんが、止めると病気になるような気もしないではないので、精神的にであれ多少は効いているのだろう。

 いや、正しくは“効く”はずはないのだ。医薬品ではないのだから、“効く”という言葉を、少なくとも売るほうは法律上使ってはいかんのである。だもんだから、サプリメントの袋や容器には必ず「一日*粒を目安にお召し上がりください」と書いてある。「服用」させてはいかんのだ。「お召し上がり量」などという、これ以外のシチュエーションではまず見たことがない不可思議な言葉も書いてある。

 だからおれは今日もサプリメントをたくさん召し上がったのだけれども、水や湯で流し込むだけの行為を“召し上がる”と言われるのは、なんともたいそうな感じだ。おちょくられているような気さえする。

 ああ、召し上がった召し上がった、何錠、じゃない、何粒も召し上がったぞー、げふっ。

 それにしても、法律に触れない範囲で、もう少しましな言葉はないのか?



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「四国一周ブログ旅」の稲垣早希がゴールイン

 稲垣早希「四国一周ブログ旅」ゴールイン。とはいえ、『ロケみつ』が、というか、毎日放送が、そうそう簡単に稲垣早希を手離すはずもない。

 やるぞやるぞと思っておったら、きちんとやるヒッチコックみたいなところが関西ノリである。稲垣早希の普段着眼鏡姿というサービスカットのあとは、視聴者みなが、気の毒やなあと思いつつも終わってほしくないと期待していたとおりに“第三章”のはじまりである。

 というわけで、「西日本横断ブログ旅」が来週からスタート。よーやるわ。だけど、引き続き稲垣早希が毎週観られるのは喜ばしい。それにしても、たいへんやのお。こんなことは若いときにしかできん。関西では大人気なんだから、いまのうちにどんどん名前を売るがよろし。身体に気をつけてがんばってほしい。もはやキミは、関西にはなくてはならんアイドルなんである。



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2009年9月24日 (木)

アメリカ人になれたとき、おれたちは日本人になれる

女中高生「新政権支持しない」が「6割以上」 若者は民主に期待せず? (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/09/21050078.html

大手新聞が行った世論調査ではいずれも新内閣支持率が70%以上となり、発足時で「歴代2位」という高さだった。しかし、女子中高生の間では様子が違うようで、アンケート調査で6割以上が民主党政権を「支持しない」と答えていることがわかった。若者を対象にしたほかの調査でも民主政権への期待は低いようだ。


「高速道路無料化は矛盾している」

モバイルコンテンツを提供するビジュアルワークスは、女子中高生1021人に「民主党政権」に対する意識調査を2009年9月9日から15日にかけて行った。
女子中高生が今、もっとも気になる政治テーマは「景気対策」で41%。「お小遣いが減った」「外食する回数が減った」といった理由だ。次に多かったのは「教育問題」で22%。自分に関わりのあることに関心があるようだ。
一方、「民主党政権を支持しますか?」には、66%が「支持しない」と答えている。その理由は、
「温室効果ガスを25%削減すると言っているのに高速道路無料化は矛盾している」
「鳩山さんも小沢さんも色々と問題があるのにそれを説明しないのはおかしい」
「どうせ票集めの無謀なマニフェストだから、結局半分も実現しない」
というもの。
「大勝したのは他に入れる政党がなかっただけ」
「何も期待できない」
「アメリカに楯突くのはやめてほしい」
という批判も多かった。

 あまり大きく期待していないのは大人も同じだから、なかなかしっかり見ているなとは思うのだが、「アメリカに楯突くのはやめてほしい」というのだけは聞き捨てならん。奴隷根性もたいがいにせんか。では、この回答を寄せたキミに訊く。キミはアメリカ人になる覚悟があるのか? たぶん、ないだろうさ。もっとも、キミがアメリカ人になりたいと言ったとしても、そんなアメリカ人はアメリカ人のほうで願い下げだと思うぞ。

 ある意味、おれはキミの回答に教えられた。日本人になれないやつは、アメリカ人にもなれないのだ。というか、妙な言いかたかもしれないが、どこかの国の国民になれないやつは、ほかのどの国の国民にもなれないのである。まあ、“文化のパラドックス”みたいなもんだな。

 おれは先日、「日本は、このままで行けば、数十年後には、中国の“ヤマト自治区”になっているか、アメリカの五十一番めの州になっているか(まあ、いまだってそうだという見解もある)のどっちかだとおれはマジで思うのだが、どっちかを取れと究極の選択を迫られたら、おれは日本をアメリカの五十一番めの州にしたい。むろん、独立国であることが、いちばんいいに決まっているのだが……」と述べたが、仮にいまの日本をアメリカの五十一番めの州にしてくれと土下座して頼み込んでも、絶対してくれんと思うよ。若者がことごとく「ワシントンに楯突くのはやめてほしい」などとほざく州だとしたら、そんな州をアメリカは必要としない。What your country can do for you ばかりをおねだりするばかりの人間が一億二千万人もやってきたら、アメリカにとってそれはとんだお荷物だからだ。要するに、日本はアメリカにとって、派遣社員としてはそこそこ必要だが、正社員にする気はさらさらないという程度に扱われている状態にあるのだろう。

 「アメリカに楯突くのはやめてほしい」か……。嘆かわしくも現実的なもの言いであるなあ。若いもんはじつに正直だ。おい、自民党、おまえらがこういう若者を作ったのだぞ。まともな日本人の大人は、「アメリカに楯突くわけにはいかない……だけど、るるるる~、るるる~る、る~るるる~」とフクザツきわまりない想いを抱きつつ、アメリカに尻尾を振ってきたのだ。どうも、そこんところが伝わっていない若者が出てきているみたいだぞ。

 たいへん逆説的ではあるが、日本がアメリカの五十一番めの州になれるだけの実力と覚悟を身につけたとき、日本はようやく独立国として一人前になるのではなかろうか。



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2009年9月23日 (水)

計画の破綻

 「ビールの人ぉ~」
 「こういうときはさ、“ビールじゃない”人!」
 「はい、私、赤ワイン」
 「あたしは白ワイン」
 「スコッチ」
 「バーボン」
 「烏龍茶」
 「ウォッカ」
 「魔王」
 「トリスコンク」
 「玉乃光」
 「ドクターペッパー」
 「島乙女」
 「ミリンダグレープ」
 「冷やしあめ」
 「みっくちゅじゅーちゅ」
 「バヤリース」
 「リボンシトロン」
 「いかるが牛乳」
 「鉄骨飲料」
 「桃の天然水」
 「渡辺のジュースの素」
 「あ、あたしも!」
 「おれも!」
 「わたしもわたしも!」


一同 「♪ほほいのほ~いと、もう一杯
      渡辺のジュースの素です、もう一杯
      憎いくらいにうまいんだ、不思議なくらいに安いんだ」


 「……び、ビールの人?」



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2009年9月22日 (火)

河野太郎を総裁に!

自民総裁選、3氏舌戦続く 河野氏「渡辺喜氏と連携も」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0921/TKY200909210198.html

 自民党総裁選の3候補は21日、札幌市と新潟市で遊説、党再生の道筋をめぐっていっそう対決色を強めた。
 札幌での街頭演説で、河野太郎氏はこれまでの党運営について、森喜朗元首相らを念頭に「一部のボス議員が派閥の力を乱用して人事に介入してきた」と批判。「(派閥領袖(りょうしゅう)らと)一致団結しろと言うのなら、渡辺喜美さんと一致団結したい」と、離党した渡辺・みんなの党代表との連携に言及した。
 谷垣禎一氏は、「麻生降ろし」などの混乱が惨敗につながったとして「一致結束して頑張ることしか、党再生の道はない」と強調。西村康稔氏は「世代交代、派閥解消、若手中心にやらせてください」と訴える一方、オバマ米大統領が重鎮のバイデン氏を副大統領に起用したことに触れ、「先輩の知恵もお借りしたい」と語った。

 まだ派閥がどうのこうのとやってる自民党のロートルどもは、バカじゃないかと思うね。なんで完膚なきまでに負けたのか、まだわかっていないらしい。

 ここで河野太郎を選べないようであれば、自民党に明日はない。そう思っている自民党の若手・中堅は多いんじゃないの? 立ち上がれ! いまがチャンスだ! 自民党が消えてしまったのでは、ちゃんとした二大政党制にならないじゃないか。いけいけー、自民の改革派! 頭が昭和のままのロートルどもを引きずり降ろせ! 自民党の未来はあなたたちにかかっている。いまが勝負だ。

 ここで河野太郎を推した中堅・若手が自民党にいづらくなるようであれば、とっとと離党して、民主党かみんなの党へゆけばよい。新党日本もいいが、田中康夫のほうで嫌がるだろう。

 生まれ変われ、自民党。Don't trust over sixty!



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2009年9月18日 (金)

いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり

 ふと思い立ったので、おれのハードディスクレコーダの録画予約に入っている番組を羅列してみる。単発の映画などを除き、毎回とりあえず録画はしておく(必ず観るとはかぎらない)番組のリストだ。


【日曜日】

着信御礼!ケータイ大喜利 (ほぼ隔週)

タモリ倶楽部

化物語

忘念のザムド

あたしンち

仮面ライダーW(ダブル)

たかじんのそこまで言って委員会

行列のできる法律相談所

新堂本兄弟

【月曜日】

ビートたけしのTVタックル

飛び出せ!科学くん

【火曜日】

ロンドンハーツ

爆笑問題のニッポンの教養

【水曜日】

涼宮ハルヒの憂鬱

【木曜日】

とんねるずのみなさんのおかげでした

ダウンタウンDX

ITホワイトボックス

ロケみつ~ロケ×ロケ×ロケ~

【金曜日】

サイエンスZERO

太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。

探偵!ナイトスクープ

【土曜日】

爆笑レッドカーペット

世界一受けたい授業


 う~む、われながら、じつにミーハーであるな。で、これらを全部欠かさず観られるかというと、もちろん観られない。バラエティ系のものは、『探偵!ナイトスクープ』を除いては、原則二回ぶん以上は溜めずに観ていようがなかろうがどんどん消す。情報系のもののいくつかは、何本溜まってしまっても、律儀に少しずつ“消化”する傾向にあるな。映画は、これは観ておかねばと思うものはとりあえず撮って、どんどんDVDに焼いて消す。それがいつ観られるかはわからないのだが……。

 ハードディスクレコーダなんてものを買うと、いくらでも録画して溜めておけるような錯覚に陥る時期があるわけだが、それはむろん幻想である。人間、誰しも一日二十四時間しか持っていないのであるからには、そうそうテレビばっかり観ているわけにはいかないのだ。結局、いくら欲張っても、“積ん読”ならぬ“積ん観”が増えてゆくだけなのである。

 将来、映画なら映画の全情報を瞬く間に脳に送り込めるような技術が開発されたとしたしても、問題はまったく解決されないと思う。ヘルメットみたいなものをかぶってスイッチを押すと、たとえば、黒澤明『生きる』が二秒くらいで脳に送り込まれるとしようや。どのシーンもどの台詞もどんな些細なディテールも、問われれば瞬時に引き出すことができる。どしゃぶりの中で若き菅井きん(なのにすでにおばさん役)が志村喬にうしろから傘をさしかけているシーンが、それをどこでどんなふうに観たのかさっぱりわからないのに、頭の中で鮮明な記憶として再生されてしまうのだ。でも、それではたして、『生きる』を観たと言えるのだろうか? おれはなんかちがうような気がする。

 映画であれ音楽であれ小説であれなんであれ、おれはそれを鑑賞している“時間”ってのは、存外に大切なものなんじゃないかと思うのよな。人間の限られた寿命から、それらを鑑賞する時間を自主的に削り取って振り向けているわけだから、その時間というのは、単に情報を脳に送り込むという客観的な現象を超えた、主観的な“体験”なのである。

 フィクションを愛する者は、なにも“情報”が欲しくて鑑賞しているわけじゃない。自分の命の一部を支払って、自分の境遇における制約を超えたなにかを“体験”するという対価を得ようとしているのだ。「そんなものを読んでいる(観ている、聴いている)ヒマがあったら、なにかもっと“役に立つ”ことをせんか」と、精神生活の貧しい人から言われたことがある人は少なくないだろうが、それは大きなお世話もいいところなんである。こっちは、命を削ってなんの役にも立たないことを体験することに、生きることの大きな価値を見出しているのだ。つまり、映画であれ音楽であれ小説であれなんであれ、それを鑑賞するには“時間”がかかるということこそが、そういったものを必要とする人々の生きざまをも規定していると思うのだよな。“時間”がかかるからこそ、そこには自分の人生を削り取るリスクがあり、だからこそそれを“体験”した時間は、自分が“生きた”時間として、単なる“情報”以上のものを鑑賞者に与えるのだ――と、おれは思う。ふつう、小説なんかは“時間藝術”とは呼ばないが、こう考えると、あらゆるものは、それを“体験”するのに時間が必要なのだから、みな時間藝術なのである。

 ドラえもん“眠らなくても疲れない薬”じゃないが、映画やら小説やらを瞬時に脳に送り込める技術が出現したとて、誰もそんなもの、バカバカしくて使わないんじゃなかろうか。受験勉強とかには便利そうだけどね。『ハムレット』についてはなぜかなにもかもことごとく“知っている”が、それを戯曲のテキストとしても舞台としても映画としても、まったく“体験”した覚えがない――などという状態は、想像するだに味気ない。

 なんだか、支離滅裂なことを言っているような気もするが、そこはそれ、大事なことはなかなか言葉ではうまく表現し切れないものなのである。ああ、この小説を早く読み終えたい、しかし、この至福の時間を少しでも長く“体験”していたい――そういった気持ちを味わったことのある人になら、おれがなにを言いたいのか、わかってもらえると思うんだけどな。



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2009年9月13日 (日)

関西の食品偽装

・イカしか入っていないタコ焼き
・好きなように焼かせてくれないお好み焼き
・二十枚くらいしか入ってない千枚漬
・一銭でも洋食でもない一銭洋食

 おれは京都に住んでいるから、近所のスーパーでもふつうに売っているわけだが、「一銭洋食」というのはいまもって不可思議な命名である。貨幣価値が変わるのはいたしかたないが、あれは誰がどう見たって和食だと思うのだが……。まあ、むかしはただひとえにソースがかかっているだけで“洋食”というイメージがあったんだろうけどなあ。いまで言うなら、「百円フランス料理」とでもいった語感だったのだろうなあ。クレープみたいなもんか。でも、クレープは百円では食えんわなあ。クレープなんて、一、二度しか買い食い(って言葉は、いまもあるのか?)したことないけど、三、四百円はするだろう。

 むかしの人は、クレープを買い食いするようなハイカラな(ひぃい、死語)な感じで一銭洋食を食っていたのだろうと想像すると、まあ、JAROでもツッコミようのない名称も、許せるような気もするけどなあ。いやまあ、たま~~にしか食わないけど、あれはあれでおれは好きですよ、一銭洋食。



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2009年9月 9日 (水)

「一生」の重み

 「九死に一生」というのは、考えてみれば不思議な言葉だ。「生」を得る確率は、九分の一なのだろうか、十分の一なのだろうか? まあ、ふつう「九死に一生」と言われたら、なにしろおれたちの頭は十進法にどっぷり浸かっているものだから、「十回のうち九回は死に、助かるのは一回くらいといった状況下で、その一回に運よく当たった」というふうに考えてしまうわけだが、極力先入観を拭い去って予断なく受け止めてみると、「九回死ぬのがあたりまえなのに、そのうち一回は助かってしまったくらいに幸運なこと」というふうに解釈できないこともない。ひょっとすると、そう解釈している子供は少なからずいるのではなかろうか?

 ややこしいことに、「九牛の一毛」と言った場合は、分母はあきらかに「九牛」なのである。一匹の牛にn本の毛が生えているとすると「1/9n くらいに、取るに足らないこと」という意味に誰でも取るだろう。というか、「九牛の一毛」の「九」は自然数の9そのものを指しているわけではなく、「とにかく数が多い」ということを慣用的に示しているだけだと、まあ、ふつうの日本人であれば、言語化して意識せずとも漠然とそう思っていることだろう。

 だが、そう考えてみると、「九死に一生」の「九」も、ひょっとすると「とにかく非常に多くの場合、死ぬ」という“死の確率の高さ”をただただ強調している「九」なのかもしれん。「十分の九は死ぬ」などとおれたちは勝手に補って、十進法の枷に囚われた思考をしてしまっているのかもしれん。

 「死:生」なら対等の比較と感じられるから「九たす一は十」という無意識の計算を前提にしていたとて自然だが、「牛:毛」はそうではないという反論もあるやもしれない。が、もしかしてひょっとすると、「九死に一生」という表現を発明した大むかしの中国の誰かは、「生」というものは「九牛の一毛」の「毛」ほどにも取るに足らない(だからこそ、稀で貴重である)という哲学的な思いを素直に込めただけなのかもしれないなあ――などと想像してみるのも愉快だ。

 ま、ホントのところはどうなのか、おれは知らん。勝手に想像してみているほうが楽しいのだ。厳密な語源に興味のある方は、調べてご覧になるのも一興ではなかろうか。



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2009年9月 8日 (火)

お買い上げ御礼(2009年8月)

■2009年8月

【最も値段の高いもの】

 これはもう、以前に紹介したおれの愛用腕時計。たまーにぼちぼち売れるんだよね。二年半以上も人気が衰えてないようで、アマゾンでの実売価格もほとんど変動しない。ロングセラーになるんじゃなかろうか。世の中には、こういう、地味~で高性能、質実剛健、コストパフォーマンス抜群のマシンを好む人が、やはり一定量はいるもののようである。喜ばしいことだ。

【最も値段の安いもの】
 
 『動かないコンピューター ― 情報システムに見る失敗の研究』、ウチからアマゾンに跳んで買った人は、マーケットプレイスで一円で買っている。もうかなり前に出た本だけども、この本が抉り出している問題をその後の日本の社会、IT業界が乗り越えられたかというと、どうもそんな気はしない。つまり、いまでもコアの部分には充分耳を傾ける価値があるということだ。
 『滅びの風』は、栗本薫のあまりよい読者ではないおれが、じつは非常に高く評価する作品である。栗本薫マイベスト5には入る。
 どうもこの二冊、おれにはな~んとなく通底するものがあるような気がして、そこはかとなく不気味なんである。

【最も多く売れたもの】

 おや、これ7月もランクインしたな。細く長く売れ続けているもよう。少し愛して、長~く愛して(合掌)。

【最もケッタイなもの(主観)】

 ここの読者層と想定される人々の好みを考えると、ちっともケッタイなことはないのだけれども、やはり世間一般の基準に照らせば、かなりケッタイだろうと思うので、あえて入れる。初音ミクのファンでなくとも、YMOファンが買うんだろうな。もっとも、おれが思い当たる初音ミクのファンには、いい歳をしたYMO世代も少なくないわけで、こりゃ企画の勝利でありましょう。

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2009年9月 5日 (土)

少年少女の阿部ちゃんの声に萌える

 声フェチとしては、真矢みきの声はじつに不思議な声なのである。美声というわけではない。どこかから空気が漏れているかのようであり、呼気のエネルギーが十全に音波に変換されていない“燃費の悪い声”なんである。だがそれが不快かというと、そんなことはまったくなく、じつに魅力的で、いつまでも聴いていたい不思議な声なんだな、これが。

 どうも、真矢みきの声は誰かの声に似ているとずっと思っていたのだが、先日やっとわかった。お笑いコンビ「少年少女」の阿部ちゃんの声である。阿部ちゃんの声も、呼気のエネルギーが音波に変換される効率が悪い。どこかから空気が漏れているかのような感じだ。だが、それが魅力的だ。阿部ちゃんの声を低くすれば真矢みきの声になると思う。阿部ちゃんはぜひ、真矢みきのものまねをしてみてほしい。

 阿部ちゃんはけっして美人ではない。可愛いが美人と呼ぶのは憚られる。だが、なんかあの声に惹かれるんだよねえ。声フェチ的には、すばらしい声だ。でも、やっぱり、どこかから空気が漏れているよねえ、あの声は。阿部ちゃんはぜひ相対性理論の曲を唄ってみるべきだと思う。やくしまるえつこの真似だってできると思うんだよ、あの声は。




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2009年9月 4日 (金)

美人時計

 「美人時計」ってサイトが人気らしいので、行ってみたところ、なーるほど、これはなかなかいいなあ。アイディアの勝利ですな。目の保養になる。おそらく、東京周辺で撮影してるんだろう。ま、中には「う~ん」みたいな人もおるが、そこはそれ、個人の好みだから。

 早晩、これのパロディサイトが出現すると予想する。近畿圏の方はよくご存じであろう「ナ・ニ・コ・レ!?」みたいなノリで、「大阪のおばちゃん時計」を作れば、それはそれなりにそのあまりにアヴァンギャルドないでたちに、世界が反応してくれると思う。原色とアニマル柄の饗宴になりそうだ。下手すると、CNNが取り上げてくれるのではないか。作るならいまのうちですぞ。



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2009年9月 1日 (火)

今月の言葉

下野マネジャー

 選挙プランナーの副業だったりして。



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不可逆変化

 民主党が政権を取った。まあ、まともな議会制民主主義の国であれば、ガリガリ君の「あたり」が出るよりもずっとありふれたできごとであろうから、そう騒ぐほどのことでもない。民主党がダメダメだったら、またその都度その都度、いちばんましだと思える選択をすればよいだけの話だ。どこからも救世主など降りてこない。そして、どこからも救世主など降りてこないとみんなちゃんとわかっているらしいのだから、まだまだ日本は大丈夫だなあと思う。

 ただ、ひとつだけ、もはや元には戻らないことがある。「あ、気に食わなかったらべつに変えてもいいんだ。何度でも変えてもいいんだ。そうか、選挙ってそのためにあったんだ!」と、一度実感してしまった日本人の意識は、もうそれ以前にはけっして戻らない。この一事を以て、おれは今回の政権交代を喜ぶ。『幼年期の終り』、ばんざい! 日本の戦後はようやく終わりました。形式的な真似ごとではない議会制民主主義への第一歩を踏み出した。民主党にとっては小さな一歩だが、日本人にとっては巨大な飛躍だ。

 さあ、民主党はもう与党なんだから、票を投じた者としてこれからは遠慮なく文句を言わせてもらおう。夢みたいなことばかり言ってもらっていては困る。ほんとうに国を憂えている優秀な官僚をどんどん引き立て、腐り切った官僚を叩き出せ。霞が関はシャブ中みたいなものだ。自分たちでは制度疲労を起こしている組織をけっして変えることはできないのだから、中にいるまともな人間には、「ああ、これで変われるかも」と期待している者も少なくないはずだと信じる。「ああ、捕まってよかった」と内心ほっとしている薬物常習者のような心境なのではなかろうか。政治を政治家の手に取り戻せ。それだけやってくれれば、あとは大目に見る。むしろ、選挙用のお菓子みたいな政策については、どんどん現実的な方向へ日和ってもらったほうがいい。なあに、世間はそれほど期待していないし、あれを全部真に受けてもいない。虻蜂取らずになるくらいなら、ひとつでもふたつでも、小さなことでも、「おお、これはたしかに変わったにちがいないし、自公政権ではけっしてできなかったにちがいない」と万人が納得する成果を電光石火で出すことだ。

 さっそく提案。石破さんを防衛大臣として入閣させてはどうかな? それから、世耕さんを広報参謀として引き抜け。自民党が自分たちでうやむやにしてしまった小泉改革をちゃんと総括し、よいところは引き続き推し進めろ。冗談ではないよ、おれは本気で言っている。自民党は、新しい方向を示せないものだから、小泉改革をフリップフロップで全否定することで“見かけの方向性”を作り出していただけだ。おれは、それこそが自民党の今日の凋落を招いた最大の要因だと思っている。まあ、民主党だって、それを利用していたわけだが。安倍元首相だけは、それがいかに現実離れしたものであれ、少なくともヴィジョンを示してはいたが、ああいうことになってしまったからな。同じ轍を踏むな。選挙はフリップフロップだが、政権運営はフリップフロップではない。自民党にできなかった小泉改革の総括とその超克を民主党が為し得たら、これはもう上出来だと思うぞ。

 さあ、お手並み拝見だ。



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