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2009年8月の16件の記事

2009年8月30日 (日)

国民をなめとんのか、新聞!

阿刀田氏ら異議申し立てへ グーグル訴訟和解案で (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/update/0828/TKY200908270454.html

 阿刀田さんは会見で「グーグルという大きな力を前に、カマキリが鎌を構えるような勝ち目のない闘いかもしれない。でも、主張はしていかないといけない」と強調。外国のペンクラブとも連携し、和解案の問題点を米国裁判所に訴えていく考えを強調した。

 Google がどうしたのという話がこのエントリーの主題ではないのだ。朝日新聞の姿勢について、あまりといえばあんまりではないかと、義憤を覚えるのである。

 「カマキリが鎌を構えるような勝ち目のない闘い」って、ほんとうに短篇小説の達人がそんな不自然な言葉遣いをしたのだろうか? ええかげんにせいよ、朝日新聞。阿刀田氏は、十中八九、「蟷螂の斧」と言ったにちがいないのだ。

 読者をバカにしとるのか? よしんば、「蟷螂の斧」という表現が伝わらない読者がいたとしても、そのような日本語に不自由な読者に媚びるのではなく、そのような読者が日本人として知っているべき言葉を学習する手助けをするのが新聞の使命ではないのか? むかしの新聞にはちゃんとルビが振ってあった。学校に行けなかった人たちも、新聞を読むことで日本語が学習できたというではないか。現在の印刷技術なら、ルビを振ることなどわけもないだろうに。

 先日、mixi でのマイミクのSF翻訳家が、やはり、朝日新聞社説の「靴の上か ら足をかくようないらだち」という表現に首を傾げていた。「隔靴掻痒」くらい教えろよ、新聞。表意文字を使っているわれわれは、たとえ「カッカソーヨー」と発音できなくとも、漢字を見れば、その意味するところは大まかにわかるのだ。だからこそ、ルビを振っておけば、読みかたを知らない読者も、新しい言葉を覚えることができるのである。

 朝日新聞、あんたら、ゆとり教育を批判しとったくせに、言行不一致である。おっと、難しい言葉を使いすぎたかな。言っていることとやっていることがちがっている。新聞というのは、報道という使命をもちろん負っているが、日本人としての平均的教育水準を示し、それに満たない人々が独学で平均的水準に達するようにする教育媒体としての使命も負っているとおれは考える。「カマキリが鎌を構えるような勝ち目のない闘い」だの「靴の上か ら足をかくようないらだち」だのというバカな表現を使わねばならないような内規があるのなら、即刻、改めてもらいたい。新聞は日本語の擁護者であるべきだ。これでは、新聞が進んで日本語を破壊しているとしか思えない。「あ、これ、あんたらには読めないですか。じゃあ、わたしらがあんたらのレベルに降りてゆきます」なんてのは、マスコミの頽廃だ。あんたらが批判しているポピュリズムだ。それは、つまるところ、非常に厭味な態度で読者をバカにしているのだ。「これくらい読めないようでは困りますなあ。まだウチの新聞を読むレベルには達していません。せっかくだから、読みかたと意味を教えておいてあげましょう」くらいのスタンスを取ってもらいたいものだ。

 バカにでもわかる言いかたをしなければ読者が減るとでも考えているのであれば、それは本末――もとい、ほんとうに大事なことと些細なこととを取りちがえている。公教育が壊滅寸前の現状にあって、新聞には国民の教育に資する媒体としての使命を、いま一度自覚してもらいたい。



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2009年8月27日 (木)

マイケルさん

マイケル・ジャクソンさん死去:「他殺」 麻酔薬致死量投与、専属医から聴取 (毎日jp)
http://mainichi.jp/select/world/news/20090825dde041200017000c.html

 AP通信によると、ムレイ医師は6月25日午前1時半から同7時半ごろにかけ、不眠を訴えるマイケルさんに精神安定剤のほか、催眠剤ロラゼパム、強い麻酔薬のミダゾラムを複数回投与。さらに同10時40分、「マイケルさんから要求された」として麻酔薬のプロポフォール25ミリグラムを点滴投与した。投与中は常時監視しなければならないが、ムレイ医師は約2分間離れ、戻るとマイケルさんの呼吸はなかったという。

 それにしても、なぜマスコミはマイケル・ジャクソンのことを、事件報道の記事でも「マイケルさん」などと呼ぶのだろう? ボブ・ディランのことを若い警官が知らずに職務質問したという事件(?)では、「ボブさん」などとは呼ばず「ディランさん」と書いていたのだが……。やっぱり、報道では「ジャクソンさん」と呼ぶべきではないのかなあ?

 もっとも、うっかり「のりピー容疑者」などと言ってしまうキャスターやコメンテーターがいないものかと、しょーもないことでわくわくしているおれがいるのも事実ではあるが。



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2009年8月26日 (水)

聴きたかったなあ、細田幹事長の話

 おれはポッドキャストで愛聴している『大竹まこと ゴールデンラジオ』(文化放送)だが、このところなにやら寂しい。ポッドキャストで配信されているのは「オープニング」「大竹メインディッシュ」「大竹紳士交遊録」の三コーナーだが、その名のとおり“メインディッシュ”のコーナーが、このところ配信されず“歯抜け”になっていることが多い。

 理由はあきらかで、政治家が来てしゃべる日の「大竹メインディッシュ」は、公示から投票日までのあいだ、リアルタイムで電波に乗せて放送できるというのに、ポッドキャストでは配信できないからだろう。というか、ポッドキャストで配信していいとも悪いとも公職選挙法には書いてないわけだから、やってみたってよさそうなもんだが、大事を取って誰も最初に氷を割ろうとしない。そもそも五十九年もむかしにできた法律に、そんなことが想定されているはずがない。なんでこんなのをずっと放っておくんだろうね? そういえば、先日、社民党の保坂展人が、テレビ出演を機に公職選挙法を改めて調べていて、そのあまりにもシュールな規定に驚いていたっけな。政治家だって、なんとなく慣習的にこれはやってもいい、これはいけないといった経験則を踏襲しているだけの人が多いようで、いまこの時代に改めて条文を読むと、あまりの奇ッ怪さに仰天するようだ。

つまりは、「連呼行為」は禁止だけれど、例外規定として走行中の自動車の車中では許されていると書いてあり、逆に「政策を訴える」などの演説などは停車中にのみ認められていたのだ。
「選挙運動のために使用される自動車の上において」「選挙運動をすることが出来ない」というのは、日本語として成立していないようにも思えるがどういうことだろうか。一方で、連呼は禁止のはずだったが、公職選挙法をみるとOKになっている。これは、法律が時代錯誤的かつナンセンスな選挙運動を枠づけているのと同じだ。
私が知らなかっただけではなく、番組に出演した政治家全員が「ホントなのそれ?」と首を傾げた。私たちは、公選法が「連呼を禁止している」と錯覚して、連呼をしないように心がけてきたのであった。
 こんなに時代錯誤でメチャクチャな法律を変えることが出来ない国会とは情けない限り。

 まったく情けないかぎりだと思うが、国会議員たち(とくに、とても長いあいだ与党であった政党の議員たち)が、ほかならぬ自分たちの活動を規定する法律を六十年近くもほったらかしにしてきたのは、いまこのネット時代になってみると、自業自得と言えば言える。

 先日、『大竹まこと ゴールデンラジオ』に自民党の細田幹事長が出演したらしいことは、ポッドキャストで配信されてきた「オープニング」を聴いてわかっていて、これはぜひ、落ち目の政党の大番頭の主張を聴いてみたいものだと期待したのだが、細田幹事長が熱弁をふるっているはずの肝心の「大竹メインディッシュ」は、公職選挙法に鑑み(?)配信されてこないのである。その滑稽な事態そのものが、大時代な公職選挙法を放置してきた自民党への天罰のように思われ、はなはだ痛快であった。空中に消えてゆくリアルタイムのラジオ放送じゃなく、いつでもどこでも聴けるポッドキャストで通勤時間に歩きながら政治の話を聴くような人々にこそ、自民党はいまいちばん話を聴いてほしいはずだと思うんだが、残念でしたー。そりゃ、あんたたちが長年の怠慢のしっぺ返しを受けているだけだよ。

 えっと、細田幹事長、ポッドキャストって、そもそもなにかご存じ? そのむかし、イラン革命を起こした大きな力のひとつと技術史に語り継がれる、ホメイニ師によるカセットテープの“配信”を、いまはインターネット上で誰もが電磁的音声データで手軽に行う方法が確立しているのですわ。細田幹事長、あなたが出演した文化放送は、とくに積極的にポッドキャストで番組を全世界に配信している。こういう話は自民党のご老体たちにはちんぷんかんぷんかな? 民主党の若手にしたほうが、ずっと通じるかもね。

 いやあ、しかし聴きたかったなあ、細田幹事長の話。選挙が終わってからでいいから配信してくれよ、文化放送さん。そのとき聴くと、またいっそう味わいのあるお話かもしれないし。



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2009年8月25日 (火)

エンドレス選挙

 「……そうなのか?」
 「そう」
 「全部、憶えているのか?」
 「そう」
 「ちなみに、その繰り返しとやらは、いま何回めだ?」
 「……今回が、一万五千五百三十二回めに該当する」
 「な――!? 長門、おまえはなにを言ってるんだ? それはマジなのか?」
 「そう」
 「それだけの回数、おれたちはまったく同じことを繰り返してきたってのか?」
 「必ずしもそうではない。一万五千五百三十二回中、小泉進次郎が重複立候補を辞退しなかったパターンが、二千三百九十一回めと一万一千五十四回めの二回ある。また、民主党が決起集会でちゃんとした党旗を掲げたパターンが四百三十七回ある。麻生首相が核持ちこみに関するアメリカとの密約などないといけしゃあしゃあとシラを切り通したのは九千五十六回であるが、その内容は六つに分岐する……」


 ――で、九月一日はついにやってこず、時間はまた、公示前日に戻るわけである。政治家はたいへんだ。いや、本人たちの記憶もきれいさっぱりリセットされるのだからいいか。選挙運動中、何人かの候補は、ミョーな既視感を覚えるかもしれないが……。

 このぶんだと民主党が政権を取るだろうが、民主党政権下で、おれたちはある日ミョーな既視感を覚える――な~んてことにならなきゃいいがなあ。

 「鳩山首相、この件について、どのようにお考えなのですか!?」
 「鳩山由紀夫クン」
 「ええ~、年金問題の禁則事項は長妻大臣がいろいろ禁則事項やら禁則事項を禁則事項。拉致問題につきましては禁則事項。禁則事項税は禁則事項と申しておりましたが、現実的に禁則事項。高速道路は禁則事項。非核三原則は禁則事項に鑑み禁則事項を充分に禁則事項しており禁則事項。オバマ大統領は禁則事項ということであります。恐惶謹言、もとい、禁則事項」

 いや、おれは民主党のマニフェストには不満を多々抱いてはいるが、民主党に入れますよ。二十一世紀にもなって、成長=幸福だという古き良き時代の呪縛から逃れられない爺さん・婆さんたちの頭の中だけにあるずっと終わらない昭和よりはよっぽどいい。坊主、おまえの未来、返すぞ。



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2009年8月24日 (月)

カツオのたたきとマヨネーズの邂逅

 平日は鶏と羊ばかり食っているものだから、土日はできるだけ魚と野菜を食うようにしている。ものぐさなおれにぴったりなのがカツオのたたきで、なにしろ切るだけだし、リーズナブルな値段で腹一杯食える。今年の夏は月に七、八本は食ってるなあ。焼酎にも合うし。

 で、今日も今日とてカツオのたたきを食った。添付されているようなタレはなんとなく量も味ももの足りないので、おれはたいていゆずぽんとチューブ入りの生姜を使う。それでも、これほどしょっちゅうカツオのたたきを食っていると、それにもそろそろ飽きてきて、ちょっとちがう食いかたをしてみようと、冷蔵庫の中を見わたしていて、ふと思いついた。

 これだ。マヨネーズだ。これは絶対合うにちがいないぞ――と、おれの勘が主張した。酸味が合うはずだ。フランス料理なら、魚にマヨネーズっぽいソースをかけるようなものなどざらにあるではないか。焼きイカやアタリメにあれほど合うマヨネーズがカツオに合わないわけがあるか。

 おれは、一応の保険にと、いつもどおりのゆずぽんもちゃんと用意したうえで、実験用に低コレステロールのマヨネーズを小皿に絞り出し、カツオのたたきに対峙した。

 ひと切れめは、いつものゆずぽん。うまい。ふた切れめをマヨネーズにびちゃっと叩きつけると、おれは期待に打ちふるえながら口に運んだ。

 う、うめえ~~~!

 おれの勘は正しかった。これはすごい。なんでいままでやってみようと思わなかったのだろう?

 もっとも、マヨネーズが合わない食いものなどというものにあんまりお目にかかったことがないのも事実だ。大量に食うのはもちろん身体によくないが、マヨネーズは万能調味料である。なにをかけて食ったらいいかわからないものには、マヨネーズをかければまず問題ない。

 それにしても、カツオのたたきとの相性は常軌を逸している。尋常でない。マヨネーズとは、カツオのたたきのために発明された調味料であると言われたらおれは信じてしまいそうだ。手術台の上のミシンと蝙蝠傘の出会いのように美しい。

 こんな奇跡的な取り合わせを、世界で最初に試してみたのがおれだなどということがあるはずがない。きっとやってるやつがうようよいるはずだ――と、「カツオのたたき マヨネーズ」で検索してみると、ほうら、みんなやっている! なんと、『美味しんぼ』のネタになったことがあるのか! 知らんかったなあ。

 おれはかなり人生を損していたようだ。次回から、カツオのたたきにはマヨネーズがメイン、ゆずぽんはサブだな。次回は、マヨネーズにワサビを混ぜてみよう。



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2009年8月21日 (金)

身内は愚かにしておくのが無難という文化

 日本に生まれ育った人であれば、身内のことをよく言うことに心理的抵抗を覚えるのがふつうだろう。まったくよくできたすばらしい配偶者であると内心思っていても、「うちの愚妻が……」などと言うのが常識的言葉遣いである。本人がその場にいた場合、あとで謝っている人もいるかもしれないが。奥さんのほうが夫の友人などに「うちの愚夫がいつもお世話になっております」などと言うことは不公平にもあまりないと思われるが、最近はひょっとするとそのように謙遜する奥方も増えているのかもしれない。

 身内を貶めることで謙譲の意を表す言葉の中で、世間でいちばん使用頻度が高いのは、やはり「愚妻」だろうと思う。次は「愚弟」「愚妹」「愚息」だろうか。兄なら「愚兄」ってのはあんまり違和感がないが、「愚姉(ぐし)」って言葉は辞書にも載っている歴とした日本語であるにもかかわらず、話し言葉で使われているのを聞いたことがない。不思議だ。よく官能小説のタイトルに「美姉」とか「淫姉」とかそのほかの濡れた姉とか乾いた姉とかがいろいろ出てくるが、あれは書いているほうはどう読んでほしいと思っている表記なのだろうか? 「びし」とか「いんし」とか読むべきなんだろうか? どっちかというと、ヘンテコだと思っていても「びあね」とか「いんあね」と(頭の中で)読んだほうが、よりいやらしくてよいような気もしないではない。

 えっと、話が逸れた。

 身内を貶めて言う場合、はどうしたものか、あなた、悩みませんか? 「愚甥」「愚姪」って、文字で書いてあれば意味はわかるが、これってどう読む? 「ぐおい」「ぐめい」じゃ、「びあね」と同じでヘンだよね。「おい」「めい」も訓読みだ。さて、音読みは?

 正解は、「愚甥(ぐせい)」「愚姪(ぐてつ)」である。とはいうものの、「うちのぐせいが……」などと不意に言われても、大多数の人は「は? 奥様のことですか?」みたいになっちゃうだろう。つまり、音読みはあるにはあるが、話し言葉では実用的にあんまり意味がない。むしろ、「うちの甥(姪)めが……」とか、十把一絡げに「うちの甥(姪)どもが……」とでも言うほうが、耳で聞いてわかりやすい。

 それにしても、ひい爺さんとかを貶めて言う場合、いったい全体、なんと言ったらよいのだろう? 愚曾祖父? そこまでして謙遜せんでも。故人や年寄りだったら、相手にも敬老精神が求められようから、話し手側の謙譲姿勢が相殺されて、ふつうに曾祖父でいいと思うんだけどね。

 ただ、麻生首相とかが「うちの愚祖父が……」などと言ったとしたら、これはかなり違和感があるなあ。自分を愚孫と言うならともかく。




 

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2009年8月19日 (水)

離散コカイン変換

90 percent of U.S. bills carry traces of cocaine (CNN.com)
http://www.cnn.com/2009/HEALTH/08/14/cocaine.traces.money/index.html

(CNN) -- The term "dirty money" is for real.
In the course of its average 20 months in circulation, U.S. currency gets whisked into ATMs, clutched, touched and traded perhaps thousands of times at coffee shops, convenience stores and newsstands. And every touch to every bill brings specks of dirt, food, germs or even drug residue.
Research presented this weekend reinforced previous findings that 90 percent of paper money circulating in U.S. cities contains traces of cocaine.
"When I was a young kid, my mom told me the dirtiest thing in the world is money," said the researcher, Yuegang Zuo, professor of chemistry and biochemistry at the University of Massachusetts Dartmouth. "Mom is always right."
Scientists say the amount of cocaine found on bills is not enough to cause health risks.
Money can be contaminated with cocaine during drug deals or if a user snorts with a bill. But not all bills are involved in drug use; they can get contaminated inside currency-counting machines at the bank.
"When the machine gets contaminated, it transfers the cocaine to the other bank notes," Zuo said. These bills have fewer remnants of cocaine. Some of the dollars in his experiment had .006 micrograms, which is several thousands of times smaller than a single grain of sand.


米国内の紙幣、9割にコカイン付着 米大が調査 (asahi.com)
http://www.asahi.com/international/update/0819/TKY200908190048.html

【ワシントン=勝田敏彦】米国内で流通している紙幣の90%近くに麻薬のコカインがわずかに付着していることが、米マサチューセッツ大ダートマス校の調査でわかった。2年前の調査に比べて約20ポイント上昇しており、薬物汚染が依然、深刻であることが背景にあるとみられる。ワシントンで20日まで開かれている米化学会で発表した。
 研究グループは米国、カナダ、ブラジル、中国、日本の5カ国計30都市で使われている紙幣を調査。米国とカナダ計261枚の調査では、大都市を中心に85~90%にコカイン付着が見つかった。今回、日本と中国の紙幣からも初めて見つかり、日本では16枚の調査で12%、中国では112枚の調査で20%だった。
 コカインは、密売や吸引の際に紙幣に付着したあと、金融機関で束ねられるときなどに他の札にも広がっているらしい。グループは、調査結果がコカインなど禁止薬物に対する市民の意識向上につながることを期待している。


 When I was a young kid, my mom told me the dirtiest thing in the world is money なあ……。おれもまったく同じことを、子供のころに母親からも婆さんからも言われたよ。お金を触ったら必ず手を洗えと厳しく言われたな。

 それにしても、きゅ、九割!? 一読、おれは驚きマンモスだったが、ちょっと考えてみると、それほど不思議でもない数字かもなあ。

 たとえば誰かが、テレビドラマでやってるように、紙幣を丸めてストローのようにし、鼻からコカインを吸引したとする。そいつは、ことが終わると、紙幣を財布に戻す。紙幣の少なくとも片面にはコカインが付着しているだろうから、その紙幣と“濃厚接触”している紙幣にもいくらかはコカインが移り、汚染紙幣は二枚になる。これを第一日めとしようか。紙幣は一日に一回、持ち主を変えると仮定しよう。

 すると、汚染紙幣は毎日倍に増えてゆく。一枚あたりに付着するコカインはどんどん減ってゆくだろうけれども、それでも三十日めには、汚染紙幣は一気に十億枚を超える計算になる。都市部などで、仮に第一日めに百人が丸めた紙幣でコカインを吸っていたとしたら、汚染紙幣は一千億枚。これが全部十ドル紙幣だったとしたら、一兆ドルぶんの汚染紙幣ができあがる。つまり、日本の年間一般会計予算を超える額の汚染紙幣が、最初の百枚からわずかひと月で作りだされ、流通することになるわけである。これはまあ単純すぎる概算だが、ざっくりこのようなことが起きていると考えても、そう大きく外れてはいないだろう。

 実際には、CNNの記事にあるように、金融機関の紙幣計算機で大量に汚染されるようだが、だとしたら、下手すると、上の概算よりもずっと効率よく汚染紙幣が生まれているのかもしれない。検出する技術の精度が上がれば、事実上、ほとんどすべてのドル紙幣には多かれ少なかれコカインが付いているなんてことにならないともかぎらない。なんだかなあ。酒井法子宅に残っていた覚醒剤の分量くらいのコカインなら、ちょっとした小金持ちがドル建て箪笥預金(?)をきれいに洗って、その水を煮詰めれば取れちゃうかもね。


 「おい、ジェイク! ちょっと来い」
 「へい、なんでしょう、兄貴」
 「おれの持っているコカインをいっぺんに百倍ほどにも増やす方法を思いついた。ちゃんと新聞に書いてある」
 「さっすがインテリの兄貴、新聞なんて読めるんですね。ホセのやつなんか、英語のろくに読めないのに」
 「英語“も”だ」
 「で、どうすればいいんでやんしょ?」
 「おまえいますぐ、できるだけ治安の悪そうな町に行ってな……」
 「へい」
 「これを一ドル札に両替してこい」



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2009年8月18日 (火)

核兵器の唯一の使いみち

地球への天体衝突、監視できない…NASA、予算不足で (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/0815/TKY200908150103.html

 【ワシントン=勝田敏彦】米航空宇宙局(NASA)が行っている地球に接近する小惑星や彗星(すいせい)を監視する活動は、予算不足で目標達成が不可能になっていることが、米科学アカデミーの委員会の調査でわかった。同アカデミーが12日、暫定報告書を公表した。
 NASAは2020年までに、地球の軌道近くを通過する140メートル以上の大きさの天体の9割以上を検出できる体制を整備することが、05年の法律で義務づけられている。また、十分な体制を作れば目標達成が可能であることもNASAの研究でわかっている。
 報告書によると、97年にNASAの天体監視の予算は年間約100万ドル(9500万円)あった。しかし、99年に160万ドル(約1億5千万円)の予算が計上されたのを最後に、その後の予算がなくなった。現在はほかの予算からの流用が続いている状況で、必要な数の望遠鏡を整備できないため、この目標の達成は不可能と結論づけた。
 また報告書は、こうした監視活動を政府レベルで行っているのは米国だけで、カナダとドイツが組み立て中の衛星も、地上からの観測と同程度の性能しか出ないとしている。
 小惑星などの天体衝突は、約6500万年前の恐竜絶滅の引き金になったとの説が有力。 米プリンストン大が01年に発表した研究によると、地球の文明が破壊されるほどの天体衝突が今後100年間に起きる確率は5千分の1とされている。

 おれが核兵器の廃絶に反対する唯一の理由がこれである。充分な知能を備えた種属であれば、核兵器を同胞に対して用いるなど論外であって、そんな用途を心配する必要などないはずだ。核兵器の打ち合いをして滅びてしまうような種属であれば、そりゃその程度の種属であったということにすぎず、むしろ滅びるのが理にかなったことであろう。

 しかし、自然災害に対して自分たちを守る強力な武器としては、高級な種属でも核兵器は持っているべきである。「地球の文明が破壊されるほどの天体衝突が今後100年間に起きる確率は5千分の1」だということだが、だとすると、国のひとつやふたつが壊滅する程度の衝突が起きる確率はもっとずっと高いわけである。故アーサー・C・クラークは、この問題について真剣に憂えていた。まことクラークらしく、じつに合理的である。同じ種属同士で核兵器を突きつけ合って脅し合っているというのに、宇宙からの充分に確率の高い脅威に対して無防備であるというのは、まことに情けないことだ。クラークの『神の鉄槌』や、映画の『ディープ・インパクト』のようなことは、いまから百年間にあなたが宝くじで一億円当てるよりもずっと高い確率で起こるのだぜ。

 まあ、適当な大きさの小惑星なり隕石なりが、北朝鮮にピンポイントで落ちてくれんかなとちょっと思ったりもするのだが、おれがそんなことを思っていること自体、おれの属する種属はたいした種属ではないのだろうなとも思うのよな。「あの阿呆どもは、仲間同士で核兵器を突きつけ合っていたくせに、たかだか小石のひとつも迎撃できずにあっさり滅びました」と、『宇宙もの笑い列伝』に記録されないことを祈るばかりだ。



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♪きらめく風が走る ギンバエが焦げる

 以前ご紹介した「電撃殺虫ラケット」、八月に入ってから大活躍である。とくにうっとうしい小バエに有効だ。

 通常のハエ叩きでは、飛んでいるショウジョウバエなどに空中でジャストミートすることは難しい。新聞紙を丸めたやつでもダメである。軽すぎる敵は、ハエ叩きや新聞紙のまわりに回り込むような空気の渦に乗り、あたかも大リーグボール一号のように打撃をかわしてしまう。ふわふわ浮かんでいる綿埃を手で摑もうとすると、ひょいと逃げられてしまうような感じだ。

 その点、この電撃殺虫ラケットは、空力的にも優れた設計だ。振っても、敵を逃がすような風が起きない。むしろ敵はラケットの金網に自分から飛び込んでくるくらいだ。小バエを一日に六匹葬ったのが、目下の最高記録である。小バエなんて、目で追い切れないから、「ここいらへんにおるな」というあたりでびゅんびゅん振りまわしていると、たまたまバチッとヒットしたりする。これは愉快。

 たまに迷い込んでくるでかいギンバエとなると、こちらも腰を据えてかかる。虚々実々の駆け引きが繰り広げられる。でかい獲物を仕留めると、いかにも「勝った」という感じで痛快だ。

 驚いたのは、でかいギンバエの中には、この数千ボルト以上の電撃を食らっても即死しないやつがいるってことだ。あきらかにラケットの通電網に触れ、バチッと青白い火花が飛んだというのに、そのままなにごともなかったかのように飛んで逃げたやつが一匹いた。敵ながらあっぱれである。すごいやつだ。おそらく、羽の先端が通電網に触れたが、本体にはさほどのダメージがなかったのだろう。してみると、ハエの羽ってやつは、さほど導電性が高くないのかもしれない。水分が少なそうだからな。

 もちろん、そのすごいハエは二撃めで仕留めた。おれにも学習能力がある。ラケットフェースを垂直に立ててスイングすると、ハエが運よく通電網をくぐり抜ける可能性が高くなる。羽の先端にチップしても、次の瞬間にはラケットは振り抜かれてしまっているということになりかねない。そこでおれは、グリップをコンチネンタル気味にし、ラケットフェースをやや伏せて、ボール、じゃない、ハエが斜めにフェースに当たるよう、ライジングショットの要領で斜め下から振り上げた。こうすれば、ハエは三層の金網に捉えられやすくなり、充分に長い時間電撃を受けることになろう。垂直に当てるのに比べて、ほんのわずかな時間差かもしれないが、それがハエの生死を分けるのだ。

 大学の授業でほんの少し教わったオーストラリアンテニスが、こんなところで役に立とうとはな。



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2009年8月17日 (月)

特殊能力?

地震コワい (眞鍋かをりのココだけの話)
http://manabekawori.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-b090.html

皆さん、先日の地震は大丈夫でしたでしょうか?
早朝なので寝ていた方も多かったと思いますが、あの大きな揺れ…。 時間が時間なだけに、阪神淡路大震災が脳裏をよぎりゾッとしました。
阪神のときは私は中学生だったんですけど
愛媛県もけっこう強い揺れを感じたので、怖かったのを覚えています。
実は私、今回の地震もそのときと同じく
揺れる5分前に目が覚めたんです。
他にも何度かそういう経験をしたことがあり、何かあるのかな? と不思議に思っていました。
だって私、かなりののび太くんですので 一度寝たら早朝に自ら目を覚ますことなんてないんですよ。 その日も自然に目が覚めたので 『目覚まし鳴ってない!寝過ごしたかも!』と焦って時計見たらまだ5時過ぎ…?っていう。
そしたらしばらくしてグラグラっ…と。 これ、わかる人います? 動物は地震を感じる能力があるみたいなので人間ももしかしたら…と考えてしまいますね。
地震前になんか目が覚める…という方いましたらぜひ挙手をお願いします。


 はーい! おれもおんなじ、わかるわかる。こないだの地震のときも、まさに五分前くらいに目が覚めた。でもって、二度寝したところが、すぐにグラグラっと来た。なんなんだろうね、あれは? 阪神大震災のときは徹夜してたから、歯を磨いているときに揺れが来たもんで、地震で目が覚める能力があるのかどうかわからなかったけど、徹夜する気になったというのがいま考えると不可思議。


そして、不思議な能力といえばもうひとつ。

… あの〜、
テレビの気配ってわかったりしますか?
音が出てなくて、映像が映ってなくても
電源が入ってるときと入ってないときの気配の違い…。


 これもわかる! おれもそうだ。地震のほうの理由はよくわからんが、テレビのほうはなんとなくわかる。モニタの電源が入っているときのピキーーーーーンっていう高周波がなんとなく聞こえているんだと思うな。おれにはたしかにあの音が聞こえる。聞こえるというと語弊があるな、なんとなく感じる。「何かが聞こえるわけでもなく、これはもう雰囲気としか言いようがないんですけど…」と眞鍋嬢はおっしゃるが、雰囲気を感じている時点で、それはたぶん高周波が聞こえているのだと思う。眞鍋嬢にはたぶん、いま流行りのモスキート音も聞こえるのでは? おれは四十代のおっさんですが、かなり高周波が聞こえますよ。



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お買い上げ御礼(2009年7月)

■2009年7月

【最も値段の高いもの】

 おおお、最近エクアドルの鳥がキテるもんねー――ってキテねーよ! 【最もケッタイなもの】にしようかと思ったんだが、そのケッタイなものがいちばん値段が高かったんだよ。世の中には、なんの分野によらず、濃ゆい人がいるもんだ。学者さんかなあ?

【最も値段の安いもの】
 
 「ハイウェイ惑星」は古典中の古典なので、いつの時代にも探し出して読もうという人がいて当然。徳間デュアル文庫の復刊なんて、おれ的にはつい最近出たような気がしていたのだが、もう八年経ってるのか。
 『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』は、以前ここでもご紹介しましたな。もう一円になっちゃってるのか。確実にそれ以上の価値がある本なんだが……。

【最も多く売れたもの】

 いや、事実なんだからしようがない。七月にはこれがいちばんたくさん売れたのである。夏だからなのか、新型インフルエンザに備えてのことなのか、たしかにこういう重たいものは、ネットで買う人も少なくないんでしょうなあ。

【最もケッタイなもの(主観)】

 そうケッタイでもないんだが、なにしろ七月は【最も値段の高いもの】が最もケッタイなものだったうえに、【最も多く売れたもの】が相当ケッタイなものだったため、ほかにケッタイなものの候補がないのである。
 おれはこのソフトで遊んでみたことがないので、どのくらいの出来なのかは評価できないが、素朴に考えると、いまはストリーミングでもポッドキャストでもネットラジオでも、いくらでも生の英語教材がタダで利用できるという、おれたちの学生のころに比べれば夢のような時代になっているのだから、なにもこれだけの金払ってまで英語の勉強せんでも、もっと歯応えのあるもんがいくらでもあると思うんだがなあ……。まあ、ゲームとしては面白いのかもね。
 TOEIC対策とかいう不可思議な利用動機もあるみたいなんだが、TOEICってのは検定試験じゃなくて“測定”試験じゃないの? そもそも“対策”をするというのがおかしい。というか、意地汚い。人間ドックを受診する前に、にわかに腹筋運動に励んで体脂肪率を下げようとしているかのようなものであって、瞬間風速の測定値がどうなろうが、実質的な意味はあんまりない。だいたい、TOEICなんかをありがたがっているのは、日本人と韓国人だけで、その二国の受験者だけで受験者の九割以上を占める。あんなものは、「おれはそこそこ英語ができると思うけど、学校や会社が測れというから、まあ洒落で測ってやろうか」くらいのノリで受けるものである。勉強などしようと思うな。対策など笑止千万である。あんなもんは、英語圏の映画やテレビドラマを数百本かそこら観て、英語の書物を数百冊かそこら読み、日常的にCNNやNBCをBGM代わりに流していれば、950点くらいはひとりでに取れるようになる。つまり、好きなことをして遊んでいればいいのである。経験者が言うのだからまちがいない。

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2009年8月14日 (金)

とても年下だとは思えない

 現生のシーラカンスの寿命は六十年ほどだと推定されているそうだ。

 となると、いま深海を泳ぎまわっているシーラカンスは、その大多数がおれより年下だろうと考えられる。自然界では長く生きるほど同世代の数が減るだろうからな。

 おれより年下のシーラカンス……。いやまあ、頭ではわかっているんだが、そこはかとない違和感が拭い難いのも、また事実なのであった。



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2009年8月12日 (水)

おれのお気に入り“三大サキ”

 福田沙紀相武紗季稲垣早希

 それにしても、いつのころからか「さき」って名前がやたら多くなってきてないか? 二十代前半くらいの女性タレントの親世代が『スケバン刑事』世代であることもひとつの原因のような気もする。事実、福田沙紀は、母親が『スケバン刑事』の大ファンで、もろに名前の由来であるとあきらかにしている。

 「さき」ってのは、音がいいね。キレのいい感じで、口にすると快感がある。さまざまな字が当てられるというのも人気の要因だろう。とはいえ、「娑鬼」なんてのは、出生届を受理してもらえないかもしれないが……。

 あなたの三大サキは?



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2009年8月10日 (月)

マンモスかなピー、ランナウェイ

 いまとなっては、なんというか、じつに味わい深い映像を見つけてしまった。これをリアルタイムで観ていた誰が、この二人がその後どういうことになるかを想像し得たであろうか。まあ、田代まさしについては、想像し得たかもしれんけどな。

 年月というのは、残酷なものなのよなあ……。

 まあ、実刑にはならんだろうから、社会的制裁をたっぷり受けてじっくり反省して、お子さんにだけは悲しい思いをさせないようにしてもらいたいぞ、のりピー。あんなパッパラパーの旦那とは別れてしまえ。お父さんが草葉の陰で泣いているぞ。



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絶滅確実な幼児語

 ハイブリッド車が“静かすぎて危険”という話が最近クローズアップされているが、報道を見ていておれははたと気づいた。

 ハイブリッド車が大多数になるころには、「ブーブー」という幼児語は絶滅するにちがいない。生き残ったとしても、専らブタのことを指す語になってしまうだろう。「ブーブー」の寿命も、せいぜいあと十年から二十年くらいといったところか。

 その絶滅までの過渡期には、ちょっと面白い世代間のやりとりが行われることだろうな。


 「あら、お父さん、いらっしゃい」
 「ちょっと近くまで来たもんでな。ヒロシにおみやげを買ってきた」
 「まあ、ヒロシちゃん、お爺ちゃんがおみやげですって。よかったねー」
 「ほうら、ヒロシ、ブーブーだよー」
 「……?」
 「ブーブーだよ、ブーブー」
 「お父さん、車がブーブー言わなくなってからずいぶんになるわよ」
 「そ、そうか? そう言われればそんな気もするが……。わしの耳が遠くなったせいではなかったのか」
 「あたしが聴いてもブーブー言ってないわ」
 「う~む……では、ヒロシにはなんと言えばいいのじゃろう?」
 「……クルマ、じゃないかしら」
 「…………」


 ああ、昭和は遠くなりにけり。



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2009年8月 1日 (土)

今月の言葉

豪華埋蔵版

 欲しいような、欲しくないような……。



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