国民をなめとんのか、新聞!
▼阿刀田氏ら異議申し立てへ グーグル訴訟和解案で (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/update/0828/TKY200908270454.html
阿刀田さんは会見で「グーグルという大きな力を前に、カマキリが鎌を構えるような勝ち目のない闘いかもしれない。でも、主張はしていかないといけない」と強調。外国のペンクラブとも連携し、和解案の問題点を米国裁判所に訴えていく考えを強調した。
Google がどうしたのという話がこのエントリーの主題ではないのだ。朝日新聞の姿勢について、あまりといえばあんまりではないかと、義憤を覚えるのである。
「カマキリが鎌を構えるような勝ち目のない闘い」って、ほんとうに短篇小説の達人がそんな不自然な言葉遣いをしたのだろうか? ええかげんにせいよ、朝日新聞。阿刀田氏は、十中八九、「蟷螂の斧」と言ったにちがいないのだ。
読者をバカにしとるのか? よしんば、「蟷螂の斧」という表現が伝わらない読者がいたとしても、そのような日本語に不自由な読者に媚びるのではなく、そのような読者が日本人として知っているべき言葉を学習する手助けをするのが新聞の使命ではないのか? むかしの新聞にはちゃんとルビが振ってあった。学校に行けなかった人たちも、新聞を読むことで日本語が学習できたというではないか。現在の印刷技術なら、ルビを振ることなどわけもないだろうに。
先日、mixi でのマイミクのSF翻訳家が、やはり、朝日新聞社説の「靴の上か ら足をかくようないらだち」という表現に首を傾げていた。「隔靴掻痒」くらい教えろよ、新聞。表意文字を使っているわれわれは、たとえ「カッカソーヨー」と発音できなくとも、漢字を見れば、その意味するところは大まかにわかるのだ。だからこそ、ルビを振っておけば、読みかたを知らない読者も、新しい言葉を覚えることができるのである。
朝日新聞、あんたら、ゆとり教育を批判しとったくせに、言行不一致である。おっと、難しい言葉を使いすぎたかな。言っていることとやっていることがちがっている。新聞というのは、報道という使命をもちろん負っているが、日本人としての平均的教育水準を示し、それに満たない人々が独学で平均的水準に達するようにする教育媒体としての使命も負っているとおれは考える。「カマキリが鎌を構えるような勝ち目のない闘い」だの「靴の上か ら足をかくようないらだち」だのというバカな表現を使わねばならないような内規があるのなら、即刻、改めてもらいたい。新聞は日本語の擁護者であるべきだ。これでは、新聞が進んで日本語を破壊しているとしか思えない。「あ、これ、あんたらには読めないですか。じゃあ、わたしらがあんたらのレベルに降りてゆきます」なんてのは、マスコミの頽廃だ。あんたらが批判しているポピュリズムだ。それは、つまるところ、非常に厭味な態度で読者をバカにしているのだ。「これくらい読めないようでは困りますなあ。まだウチの新聞を読むレベルには達していません。せっかくだから、読みかたと意味を教えておいてあげましょう」くらいのスタンスを取ってもらいたいものだ。
バカにでもわかる言いかたをしなければ読者が減るとでも考えているのであれば、それは本末――もとい、ほんとうに大事なことと些細なこととを取りちがえている。公教育が壊滅寸前の現状にあって、新聞には国民の教育に資する媒体としての使命を、いま一度自覚してもらいたい。
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