トコロテンの流派
かなり暑くなってきたせいかさっぱりしたデザートが欲しくなり、ひさびさにトコロテンを食った。えーと、漢字検定などを受けようと思っている人は“心太”と書きたくなるとは思うが、多くの人に読めない字を書いても詮ないことであるというのがおれの考えかただから(内心ではちょっと嘆かわしいとも思っていたりする)、おれはふつうはカタカナ表記する。逆に言うと、カメラの絞りのように、文字遣いで想定読者層を広げたり狭めたりする(という意思を表明する)。
それ自体には味らしき味はないのに、なんかうまいよね、トコロテン。黒糖蜜派と、二杯酢派、三杯酢派があるみたいだが、おれは二杯酢派である。おれが子供のころは黒糖蜜が添付されたものしか京都では売ってなかったように記憶していて、それはそれなりに嫌いではなかったが、二杯酢トコロテンの味を知ってからは、すっかり二杯酢派に鞍替えしている。トコロテンに“甘み”って要らないようにおれは思うので、三杯酢は試したことがないが、みりんはたぶん邪魔だろうと思う。
水を切ったトコロテンって、ぱっと見がちょっと脳みそみたいな感じだよね。これは純然たる想像なのだが、手塚治虫の『三つ目がとおる』で、写楽保介が「脳みそトコロテン装置」(言わずと知れた、脳みそをトコロテンにする装置である。まんまやがな)というやつを作っていたけれども、あれはひょっとすると、手塚治虫もトコロテンを食うときに「なんだか脳みそみたいだな」と思ったから生まれたのかもしれない。
いまもって不思議に思っているのは、脳みそトコロテン装置で脳みそをトコロテンにされてしまった学生たちは、死にはしなかったんだよなあ。アホになっただけである。たぶんあれは、前頭葉だけをトコロテンにする装置だったのではないかと推測するのだが、人間、はたして前頭葉だけが一瞬にしてトコロテンになったとしたら、死にはせずちゃんとアホになれるものなのだろうか? こればっかりは実験するわけにはいかんしなあ。
最近、よく知っているはずの小説のタイトルとか、芸能人の名前とかが、咄嗟に出てこないことがよくある。英語では出てくるのに、定訳の日本語がなかなか出てこないとかね。そろそろおれの前頭葉も、ところどころトコロテンになってきているのかもしれん。
全部トコロテンになったころに、知り合いを招待してパーティーを開こう。テーブルの中央には頭蓋を取り去ったおれがちょこんと座っていて、招待客には、おれのトコロテン脳みそをつついて舌鼓を打ってもらう。できれば、おれの脳みそは二杯酢でお楽しみいただきたい。それくらいは、主催者側の好みを押しつけてもいいだろう。
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コメント
お♪同じ流派ですな♪
手塚治虫氏は医学者ゆえそう思ったのかもしれませんね~。
私は一主婦なので鱈の白子を見る度に「脳ミソ」連想します。
でも食感は脳ミソじゃないんですよね~。不思議です。
あ、因みに私の食った事のある脳ミソはトルコ料理の「羊の脳ミソのソテー(ムニエルっぽい料理)」です。
勿論ところてんとも食感は違いましたw
なんか今回のトピ、映画「ハンニバル」や、題名は忘れちゃったけどイタリアかどっかの映画で、素晴らしいダイニングテーブに頭蓋を外されたサルの生首がずらっと並んで、皆で談笑しながら脳ミソを食すシーンのある映画を思い出しました。
それより何より、全部ところてんになった所で知り合いを招待するって…。
「知り合い」とか「友人」とかを憶えてられる時点で、まだまだところてんにはなっていないかとw
投稿: ちいこ | 2009年6月 8日 (月) 15時54分
> 頭蓋を外されたサルの生首
「インディージョーンズ/魔宮の伝説」でも、そのシーンありましたね。本物ではなかったと思いますが。
投稿: 小林泰三 | 2009年6月 8日 (月) 20時26分
>「インディージョーンズ/魔宮の伝説」
それだ!!!小林さん、教えてくれてありがとうo(*^▽^*)o
そのシーン、招かれた一人が凄い不快感を表した顔をしてたんだよな~…誰だったかな~…って、何とか思い出せないものか苦慮しておりました♪
嫌な顔をしていたのはジョーンジーでしたね~♪
投稿: ちいこ | 2009年6月 8日 (月) 21時21分
>ちいこさん
元々かなりの部分がトコロテンなので、たぶんトコロテンにも記憶が蓄えられてるわけですよ。
投稿: 冬樹蛉 | 2009年6月 9日 (火) 01時53分
トコロテンを食うのに箸を2本使う地方がある、と聞いたことがあります。
1本余ってしまいそうなんですが、不思議です。
ラーメンやうどんみたいに挟んで食うとしたら不粋ですよねぇ。
投稿: アダチ@初音ミク中毒 | 2009年6月11日 (木) 22時07分
>アダチ@初音ミク中毒さん
私はふつうに一膳の箸で食いますよ(^_^;)。というのは、一本だけ使うと、食洗機で洗うときに中途半端だからなのです。
投稿: 冬樹蛉 | 2009年6月13日 (土) 01時22分