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2009年4月の21件の記事

2009年4月30日 (木)

たいやきのジョー

 なにやらあちこちで流行っていて、本舗やら元祖やらそのほかやらいろんな流派(?)があるらしい「白いたいやき」の店がいつのまにか近所にできていた。うちの近所にできたのは、カタカナ表記の「白いタイヤキ えびす堂」ってやつだ。

Whitetaiyaki01 まあ、ものはためしと、白いタイヤキの黒あんチョコレートを食ってみた。上に乗ってるほうが、オーソドックスな黒あん、下の白っぽいほうがチョコレート。

Whitetaiyaki02 たしかに白い。立て! 立つんだ、ジョー!

Whitetaiyaki03 ラップをかけて、二個分で一分間、電子レンジで温めた。なんとなく、見た目ももちっとした感じかも。

Whitetaiyaki04 チョコレート。これがけっこううまい。皮の部分は、ふつうのたいやきと「雪見だいふく」の中間といった食感。たしかにもちもちしている。香ばしさというものがほとんどないので、もの足りないといえばもの足りないが、ある意味、中身の味がストレートに引き立つ。中になにを入れてもそれなりに食えそうな気がする。つまるところ、皮は食感だけを楽しむものと割り切ることで、中に入れるもののヴァリエーションを広げられるのだな。

Whitetaiyaki05 ぷにぷに。皮には甘みがないうえ、中身にもいやらしい甘みがなく、さっぱりしている。ふつうのたいやきは、二個も食ったら量よりも甘みで腹いっぱいになってしまうが、これはそんなことはない。なんなら四つくらい食えそうだ。そうか、満腹感を与えずにたくさん食わせようというわけだな。

 ま、とびきりうまいってもんでもないが、ふつうのたいやきとはまったくちがった面白い食感がなかなかいける。話の種に食ってみて損はないって程度かな。



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ブタをたっぷり食おうと思ってたのに

 そろそろ豚肉の値段が下がるにちがいない、この連休はブタを腹いっぱい食ってやろうと思っていたんだが、アテが外れた。いま近所のスーパーに買い出しに行ってみると、豚肉はいつもと変わらぬ値段で平然と売られていた。なんということだ。正しい知識がちゃんと広まってしまっているらしい。嘆かわしくも喜ばしい。

 先日、妹と電話で話したときには、妹宅周辺の店ではたしかに豚肉が値下がりしているという情報を得ていたのだが、地域差があるのか、単なる安売りだったのか? おれの住んでいるあたりは年寄りばっかりなので、いくら大丈夫だと報道されていても気味悪がる人も少なくないのではないかと推測していたのに、そうでもないようだ。あるいは、もはや人から人へ広く感染する段階になってしまっているので、乏しい情報で豚肉を食うのがなんとなく気味悪いなどと思っている段階を過ぎたのかもしれん。世間は意外と冷静なので、ちょっと安心した。

 あ、待てよ。ひょっとして、近所の年寄りたちは、まだ新型インフルエンザが発生したこと自体を知らないのかもしれないぞ。あ、あり得る……。もう少ししたら、ウチの近所でも豚肉の値が下がるかもな。下がったらいつもより多めに買い込んで腹いっぱい食ってやろう。



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2009年4月29日 (水)

パンデミックあげるよ

 去年の正月に「パンデミックあげるよ」などとほざいていたら、ほんとにこんな事態になってしまった。

 現時点での情報ではウイルスの毒性のほどはよくわからないが、先進諸国では感染者の死者はまだないようだから、人から人へ感染しているうちに、もっと高い毒性や抗ウイルス薬に対する耐性を獲得する方向へ変異しないかぎり、少なくとも現状では、やたら怖れるほどのことでもないようだ。とはいえ、まだメキシコでの多数の死者が国情によるものなのかウイルスの毒性によるものなのかもはっきりとは発表されていないような状況だから、大事を取るには越したことはないだろう。状況は依然として、怖がりすぎてもいけないが、侮りすぎてもいけないというところのようだ。

 とかいいながら、替え歌ができちゃったものはしようがないので、書かずにはいられない。ことによると、おれがこのインフルエンザに罹ってくたばるかもしれないのだが、そのときはこの歌を出棺のクラクションといっしょに唄って笑いものにしてやってください。それでは、不謹慎を承知で行ってみよう、『パンデミックあげるよ』──


♪おいでトラベラー サーモグラフィー
 君のだるさ 隠さないで
 帰宅したくて 寒気がしてきて
 誰かじつは ゾクゾクしてる

 元気なフリして すり抜けちゃ
 病気の謎など 解けないよ
 もっとクールに もっと正直に
 生きてほしい
 ※パンデミックあげるよ
 パンデミックあげるよ
 ホントの勇気 見せないのなら
 パンデミックあげるよ
 パンデミックあげるよ
 苦しい胸に ごろごろ絡んだ
 痰をあげるよ※
 いつかワンダフル きっとタミフル
 人のジャングル 迷いこんで
 感染するかも 発症するかも
 とてもみんな ビクビクしてる
 思ったとおりに 叫ばれちゃ
 飛沫はここまで 届いちゃう
 もっとおだやかに もっと慎ましく
 生きてごらん
 パンデミックあげるよ
 パンデミックあげるよ
 ホントの唾液 受けてくれたら
 パンデミックあげるよ
 パンデミックあげるよ
 空しいマスク やさしく通して
 熱をあげるよ
   (※くり返し)




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おれにとっての宗教とは

 明日から連休だもんだから、たまーには甘いものでも食おうと、たまたま帰りにファミリーマートに入ったところ、噂の「Wクリームエクレア」ってのがあったので買ってみた。晩飯食ったあと、芋焼酎のアテに食ってみると、おおお、こ、これはすごい、うまい! そりゃまあ、金を出せば、これくらいのスイーツはいくらでもあろう。なにがすごいって、これが百五十円であるところがすごいのである。コンビニおそるべし……。

 と、感心しながら酒を飲んでいたところで、突如、おれの頭の中で、「あっ、そうか!」と、おれにとって宗教とはなにかという積年の疑問が解けた。解けたというより、答えは常に頭の中にあったのだが、他人にわかるようにどう説明したらよいのかが、いきなりわかったのだった。

 お答えしよう。おれにとって宗教とは“ブラジャー”のようなものである

 世の中にそれを必要とするタイプの人が相当たくさんいるという知識をおれは持っている。が、おれがそれを必要とすることはまず考えられないし、必要とするようになりたいともまず思わない。ああいう煩わしそうで面倒くさそうなものを、おれ自身は必要としなくてよかったなあと思っている。しかし、相当たくさんの人がそれを必要としているからには、それはどのようなものなのか、どんな種類があるのかといった、それに関する知識を多少は持っておかなくてはいかんとも思っている。それを取り扱わなくてはならないような状況に置かれることが、さしものおれも、いままでの人生でないではなかったからである。しかし、自分がまったく必要としないものに関する知識を持たねばならないというのも、ぶっちゃけ面倒だ。いっそ、こんなものはないほうがおれは嬉しい。たぶん、嬉しい人が相当数いると思う。

 というわけで、ひとたび思いついてみると、どんなに考えてみても、おれにとって宗教とブラジャーとは、加速度と重力と同じくらいに等価であるとしか思えないのだった。Q.E.D.



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2009年4月28日 (火)

もしおれがすでに狂っていたとしたらごめんなさい

 酒を飲んでいると、ふとわれに返ることがある。酔って“われに返る”というのも妙だが、正直、ほんとにそういう感じなのだ。ここ一、二か月を酔って冷静にふりかえってみると、冗談としか思えないようなことばかりが立て続けに起こる。ごちゃごちゃ言うからややこしくなるので、端的に箇条書きにしてみたとしようや──

  ・国が金をくれはじめた。
  ・政府が勝手に金を刷って配れば景気がよくなると、いろんな人が言っている。
  ・言っていたやつの一人は、置き引きで書類送検された。
  ・大臣がへべれけになって会見した。
  ・誰でもやってるようなことで最大野党代表の秘書がいきなり逮捕された。
  ・隣国がミサイルを撃ってくると大騒ぎした。
  ・二十四年前に川に投げ込まれて以来行方不明だったおじさんが戻ってきた。
  ・アイドルが酔って脱いで騒いで逮捕され家宅捜索された。ミサイルと同じくらい騒いだ。
  ・怖い病気が世界的に流行しそうになっているらしい。

 なんだか、怖ろしく支離滅裂で現実感がない。上の箇条書きを、「二〇〇九年のようすだよ」と、タイムマシンで二十年前のおれに見せてやったら、過去のおれはきっとのたうちまわって大爆笑することだろう。まるで、ドタバタ時代の筒井康隆ワールドにいるかのようだ。明日、「巨大なナスが降ってきて国会議事堂を押し潰した」というニュースを聞いたとしても、おれはたぶん「へー」と言ってそのまま屁ぇこいて寝そうで、その鈍磨した感覚がなにやら妙にわれながら怖ろしい。ひょっとすると、おれは知らないうちに気が狂ってしまっているのではなかろうか?

 そうだ。こんなときこそ、おれたちは“ちりめんじゃこの中に入っている小さなタコ”を探さねばならない。見つからないかもしれないが、少なくとも、タコを探しているあいだは正気に戻れると思うのだ。あまりにシンプルすぎて、ともすると忘れそうになるが、ちりめんじゃこの中に入っている小さなタコを探すことでのみ、人間は正気を保てるのだという、静かで、しかし深い確信がおれにはある。



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2009年4月27日 (月)

栄養のあるものをちゃんと食って、体力を温存しておこう

豚インフル「国際的な緊急事態」 警告レベルは維持 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0426/TKY200904260130.html

 【ジュネーブ=国末憲人、ワシントン=勝田敏彦】メキシコと米国での豚インフルエンザ感染を受け、世界保健機関(WHO)は25日開いた緊急委員会で、「国際的に懸念される緊急事態」だと認定し、各国に警戒を呼びかけた。ただし、感染警告レベルを引き上げる決定は先送りした。一方、米ニューヨーク市やニュージーランドなどでも新たに感染を疑わせる例が報じられ、事態は地理的に飛び火する様相を呈しつつある。
 WHOの発表によると、緊急委員会は、現状は疑問点がなお多いとしながらも、感染症阻止のための国際法上の枠組み「国際保健規則」に基づく「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」だとの点で一致。WHOのチャン事務局長はそれを受けて今回の状況を緊急事態と認定するとともに「インフルエンザ様疾患や重い肺炎が、通常みられないような形で発生していないか、すべての国は監視を強化して欲しい」と要請した。
 だが緊急委員会は、現在の警告レベルを引き上げる議論については「さらに情報が必要だ」と、決定を保留した。警告レベルは6段階分類で、現在は、下から3番目の「人から人への感染がないか、極めて限定的」なフェーズ3。これを「人から人への感染が明らか」というフェーズ4に引き上げるかが問題だった。

(中略)

 また、米疾病対策センター(CDC)が25日、感染者を新たに3人確認し、米国内での感染確認は計11人になった。ニューヨーク市東部クイーンズ地区の私立高校で生徒約100人がインフルエンザに似た症状を訴え、そのうち8人が、検査でA型インフルエンザの陽性反応が出て、豚インフルエンザに感染した疑いがあることもわかった。
 ニューヨーク・タイムズ紙によると、生徒の一部は最近、メキシコに旅行していたとの情報がある。検出されたウイルスは、既知のヒト型と違うタイプだという。
 ただし、米国での感染または疑いがある例はいずれも比較的、症状は軽い。豚と接触した形跡はなく「人から人」感染が起きた可能性が高い。

 ついに来たか。いや、まだ確たる情報は少ないが、WHOが警告レベルを上げようが下げようが、それは多分に政治的要素を含んだ問題であって、われわれ一般市民は、すでに人から人への感染が起きていることを想定して行動すべきだろう。現にそう疑わざるを得ない情報も出ている。しかし、こんなもん、個々人ではどうしようもない。せいぜい、人ごみには極力出ないようにし、万一感染しても命にかかわらないように、体力を激しく消耗するような行為を控える程度のことしかできない。このグローバル時代、飛行機で世界中を人間が行き来している。よほどうまくやらなければ、水際で止めることは難しかろう。止められるに越したことはないが、おれはそれほど日本の防疫体制を信用していない。不必要に怖がらず、不必要に侮らない、腹をくくった冷静な態度が一般市民にも求められよう。

 それにしても、なんという厭らしいタイミングだ。日本はこれからゴールデンウィークなのである。さすがにメキシコ旅行を予定していた人は、よほどの豪傑でないかぎりキャンセルするだろうが(そりゃあ、かねてから予定を立てて指折り楽しみにしていた人の気持ちはわかるが、ここは涙を呑んで、日本のためにキャンセルする勇気と分別を持ってほしい)、アメリカやニュージーランドくらいであれば、まあ、大丈夫だろうと行く人も多いにちがいない。日本政府だってアホではない。それなりの準備はしてきているはずだが、ゴールデンウィークにもろに当たるという想定はしていたのだろうか? まあ、どの国へいつ行こうが自由だが、ことのなりゆきがある程度見えるまでは、不要不急の海外旅行は控えたほうが身のため、というか、いろんな人のためだと思うね。

 おれはどのみち海外旅行はおろか国内旅行すら予定していないが、しばらくは、極力、人ごみの中には出ないようにしようと思う。アジアかぜ(1957年)、香港かぜ(1968年)、ソ連かぜ(1977年)の時代とは、地球規模での人間のトラフィックが全然ちがう。大阪には国際線の空港がある。京都なんてすぐ隣だ。世界的な観光地がある。京都在住で大阪に仕事に通っているおれには、遠くの話ではない。洒落にならない。明日、いや、今日は会社に行かなくちゃならないのだ。

 ゴールデンウィークは極力外に出ないようにして、もしものときのために体力を温存するようにするぞ。感染したって、死ななきゃいいのだ。もっとも、そのようなゴールデンウィークを過ごすのは、おれの場合、今年にかぎったこっちゃなく、ほぼ毎年のことなのだがな。いやまあ、他人におれのような連休スタイルを強要するつもりはないが、今年ばかりは、大事を取ったほうがいいと思いますよ。ゴールデンウィークは、栄養のある食いものをたっぷり買い込み家に閉じこもって、読書とDVDとネット三昧ってのはどうですか? それはそれで楽しいすよ。豚とかたっぷり食ってさ。ちゃんと熱を通して調理すれば、豚食ったからって感染するなんてことはまずありません。



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2009年4月25日 (土)

おれはすげー犯罪者であるかのような気がしてきた……

 いやあ、しかし怖ろしいよなあ。公然わいせつの疑いで家宅捜索などという世にも珍しい話をごく最近聞いた。疑いもなにも、草なぎ(「なぎ」は弓へんに剪)クンの場合は、現行犯なんだろう?

 仮におれがなにかをしでかして、XXXXの疑いで家宅捜索された場合、おおよそあらゆる罪に結びつけられそうな証拠物件が押収されることであろう。てゆーか、こんなブログを読んでるあなたの家もそうでしょう、きっと。



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さあ、それでは当探偵局の優秀な探偵たちをご紹介しましょう! まずは、長原成樹……

 さっきの『探偵!ナイトスクープ』には、ものすごい違和感があった。長年聞き慣れている台詞が、なにごともなかったかのように変わっていたからだ。筆頭探偵であった北野誠は、あたかも最初からこの世に存在しなかったかのようである。番組全体に、なにやら無理に明るくふるまっているかのようなしらじらし~い雰囲気が漂っていた。残念であると同時に、おれは画面からなにやらとてもホラーじみたものを感じて、いつものように『探偵!ナイトスクープ』を楽しむことができなかった。

 まあ、たしかに、テレビ番組というものは、みんな“つくりもの”の世界である。“つくりもの”がしらじらしかったとて、なにを不気味に思うことがあろうか。そう頭ではわかっていても、やはり人は夢を見たがる。金曜日のいつものあの時間に、浮世の憂さを忘れて、出演者たちに二十年来のご近所さんであるかのような幻想を抱いて見てしまいたいのがこの番組だったのである。アホらしくて楽しくてちょっぴりじ~んと来る、そう、往年の『時間ですよ!』にも似た、つかのまのローカル・コミュニティ感覚を味わわせてくれるのが『探偵!ナイトスクープ』であったはずなのだが、今夜はそんな感覚は雲散霧消して、ひたすらしらじらしかった。べつに、制作者や出演者を責めているのではない。大人の世界には、いろいろなことがある。くやしいが、なんともし難いことがある。きっと、番組の関係者たちも、裏では歯噛みして世の理不尽を嘆いているのにちがいない。それはわかっている。だけど、るるるる~、るるる~るる~るるる~……。

 おれは『探偵!ナイトスクープ』には、ちょっと期待していたのだ。せめて、せめて北野誠の席に“クマのぬいぐるみ”を置くくらいの、ささやかな抵抗をしてくれるのではないかと……。



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2009年4月24日 (金)

鳩山大臣、なにもそこまで言わんでも

草なぎ容疑者を鳩山総務相「最低の人間」 地デジめぐり (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0423/TKY200904230109.html

 「地上デジタル放送推進メインキャラクター」を務める草なぎ(弓へんに剪)容疑者の逮捕に、地デジ担当の鳩山総務相は23日昼、国会内で記者団に「事実だとすればめちゃくちゃな怒りを感じる。だいたい総務省は何でそんなのをイメージキャラクターに選んだんだということにもなる。最低の人間としか思えない」と憤ったうえで、「地デジ関係の色々なものは全部取り換える」と述べた。草なぎ容疑者が写ったポスターなどは回収を指示する考えで、イメージキャラクターの差し替えも含め検討する。

 いやいや、スターにはなりたくないもんだね。ひどい言われようだ。酔って脱いで騒いだ程度のことで、一国の大臣に「最低の人間」呼ばわりされるんだから、たいへんな商売だ。江頭2:50だったら、スポーツ紙に面白おかしく書かれておしまいだろう。一般紙なら三面記事だ。ちょっと叩きすぎじゃないの?

 おれも四十六年以上生きてりゃ、酒で失敗したことも何度かあるわさ。酔っ払いに甘い日本の風潮を、よろしくないことだとも思っているし、自戒もしている。だけどなあ、つい昨日まで、総務省のために宣伝にこれ努めていたタレントではないか。そもそも、あんたらが選んだんだろう? “身体検査”とやらをちゃんとしなかったことを恥じるという気持ちはないのか。お怒りはごもっともであるが、大臣が自分たちが選んだ一タレントにここまで言うのはいかがなものか。友だちの友だちはテロリストなのに、軽犯罪にはやたら厳しいんだな。草なぎ(「なぎ」は弓へんに剪)だって、腰痛の薬や風邪薬を飲んでいたせいで酒がやたら回ってしまったのかもしれないではないか。

 法治国家の法務大臣として責務を厳粛に背負って死刑を粛々を執行した件(あれは朝日新聞が阿呆である)とか、かんぽの宿の件とかでは、おれは鳩山邦夫という人を高く評価している。が、どうも、この人、言うことやることにえらくムラがある。隙が多い。アルカイダの件とか、中央郵便局の件とかでは、「なに頓珍漢なこと言うとんねん、このおっさん?」と首を傾げたものだ。あんまりムラが大きいと、よい業績のほうも、「たまたまの思いつきか、まぐれじゃないのか」と思われてしまうぞ。そのうち、でかい地雷を踏まなければいいがな。

 とはいえ、鳩山大臣のようにボロクソに言う気にこそなれないが、稲垣クンの事件のときに自分たちが社会的にどういう存在であるかということを、草なぎ(「なぎ」は弓へんに剪)も思い知っていたはずだ。自分の酒量もよくわからない二十代前半の若僧ならともかく、ちょっと言いわけできない歳ではあるよね。まあ、人殺したわけでもなし、大麻吸ってたわけでもなし、ちょっと笑える情けない犯罪であった点が、救いっちゃ救いですが。

 以後、気をつけよう、草なぎ(「なぎ」は弓へんに剪)。授業料は高いけどね。数か月の謹慎ということになりましょうが、復帰第一弾の仕事は対談で決まりだ。いまから、中川昭一氏のスケジュールを押さえておくように。ま、五、六年経ちゃ、これをネタに笑いを取れるくらいになるわさ。



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2009年4月23日 (木)

おれを裁判員に選んだって知~らないぞ、知らないぞ

 裁判員制度の開始まで一か月を切ったということで、またもやにわかにいよいよ是非の論議が盛り上がっているみたいだが、是非もへったくれも、もうやることになっちゃったんだから、どうしようもないわな。さいわい、おれのところにはまだ赤紙(?)は来てない。というか、来ても言っちゃダメなんだっけ。来てないと言うのはいいんだろ?

 「私は法律の知識なんかないし、裁判員なんかにさせられても……」といったコメントをする人がけっこう多いのだが、そりゃ、みんなそうだわさ。法律にめちゃめちゃ詳しかったら、弁護士やら検事やらになってるよ。国がパンピーの常識と良識で判断しろと言っているのだから、法律の知識に乏しいことをこちとらが負い目に思う必要などない。無知な私のせいで罪もない人が重罰を課せられたらどうしよう──などと思うところが、よくも悪くも真面目な日本人だなあと思う。ふつう、無能なやつを採用したり抜擢したりしてろくな結果にならなかった場合、無能なやつが悪いのではなくて、そいつを採用したり抜擢したりしたほうが悪いのである。おれを裁判員などにしてしまった場合、どんなことになろうと、それはおれを選んだやつが悪い──と、割り切って考えられないのが、お人よしの日本人のいいところでもあるし、悪いところでもあるのだよなあ。だけど、裁判員に選ばれちゃった人は、「おれが他人の人生を、ことによると、生死を左右するのだ」などと、根を詰めて悩みすぎると、心身症になっちゃうよ。ある意味、おれたちは、ごくふつうに生きていても、その一挙手一投足が、他人の人生を左右しているのだ。考えすぎると、「生まれてすみません」状態になってしまう。「生まれてすみません」よりは、「生きてるだけで丸儲け」((C)明石家さんま)と思って生きてるほうが、人生なんぼかましだと思うよ。

 「経営陣がボンクラだから、おれたちがしっかりしなきゃ、お客さんに迷惑がかかる。おれたちが会社を支えているのだ」などと、自分に給料以上の使命感を課して身体壊しちゃう人とか、極端な場合は、過労死しちゃう人とかが少なからず出るのも、愛すべき日本人のいいところでもあり、悪いところでもあるよね。「当座はおれしかいないが、そんなもん、いざとなりゃ、べつにおれの代わりなんていくらでもいる」くらいに考えて、死なない程度に働くのがしあわせなんじゃなかろうか。なにしろ、経営陣の代わりだっていくらでもいるし、仮にあなたの勤め先が潰れたって、代わりはいくらでも出てくるのだ。あなたが公務員だってそうである。だけど、息子・娘としてのあなた、夫・妻としてのあなた、父親・母親としてのあなたの代わりはどこにもいない。優先順位の付けかたはおのずとあきらかであろう。

 おっと、裁判員制度の話からちょっと逸れたな。であるからして、おれは裁判員になんぞなりたくもないが、選ばれちまったら、それはそれでいたしかたないと思っている。選ばれちまったら、「おれが正義だ」くらいの心持ちで臨むつもりだ。たまたまおれの正義に合致する立法主旨の法律があればけっこうなことだし、おれの正義に反する法律があるのだとしたら、それは法律のほうがまちがっているのだと裁判員たるおれは思ってよいのだ。文句あるか。

 それはそうと、ミステリ作家の方々にとっては、この裁判員制度、けっこうおいしいかもしれないよね。裁判員全員が共謀する『裁判員制度殺人事件』なんてのは、誰でも思いつきそうだから早いもん勝ちだ。生まれてこのかた小さな村から一度も出たことのない老婆が裁判員に選ばれ町に出てゆくのだが、彼女にはじつはとてつもない推理の才能があって、本職の法律家をも唸らせる冴えた論理で裁判員たちをことごとく納得させ、誰も想像だにしなかった真相を暴く──な~んて話も出てきそうだ。じつは、偶然にも真犯人は裁判員の中にいた──なんてのも面白そうだな。人間の心理を手玉に取る才能に恵まれているやつが裁判員の中にいて、どう考えても無実の人間を、そいつの弁舌と手練手管で死刑に追い込む“触媒殺人”なんてのもアリかもしれない。う~む、アガサ・クリスティは偉大だねえ。

 なに? 不謹慎だ? だーかーらー、なにもあなたが全宇宙を背負うことなどありませんって。あなたがどんなにいいかげんでもボンクラでも一般常識程度の法律を知らなくても、それは選んだやつが悪いんだから。



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2009年4月22日 (水)

火を吐く大怪獣

  「♪倒せ、火を吐く大怪獣」とは「ウルトラセブンのうた」に唄われているとおりであるが、実際のところ、火を吐くなどというクラシックな攻撃方法を採る怪獣が、いままでどのくらいいたというのだろう? ましてや、『ウルトラセブン』は怪獣よりも宇宙人がメインのストーリー構成である。おれは小林泰三田中啓文じゃないので、そんなのいちいち憶えていないし、研究対象にもしていないのだが、どう考えても、“火を吐く”怪獣など、マイナーな存在だと思う。

 そもそも、“火”をどう定義するかで、“火を吐く大怪獣”の定義も変わってくるだろう。なんらかの電磁的エネルギービームとか、相当の運動エネルギーを持っているであろうと推測される“エネルギー弾”のようなものを“火”と呼ぶのはちょっとずるいような気がする。“火”というからには、酸素を使って燃焼することによる熱エネルギーが直接の武器になるようなものでなくてはなるまい。そう考えると、“火を吐く大怪獣”なんてものは、テレビ的にあまり面白くない。火炎放射器の炎が一直線に伸びてゆくさまはなかなかクールだが、あれは火炎を放射しているというよりは、むしろ火のついた可燃性の液体を放射しているわけだから、要するに水鉄砲のようなものである。

 火を吐く怪獣といえば、やはり代表的なのはガメラであろう。しかし、ぶっちゃけた話、昭和ガメラの火炎放射は非常に貧相だ。ほんとに火を吐いているだけである。あれは屈強の敵怪獣どもにはたいしたダメージを与えていないように見え、おれはあんまり好きじゃなかった。そこへゆくと、平成ガメラのプラズマ火球はかっこいい。だが、プラズマ火球は、設定によれば、燃焼による熱エネルギー攻撃ではなく、なにしろプラズマなのだから、どっちかというと熱も伴う電磁的なエネルギー攻撃なのである。つまり、昭和ガメラは“火を吐く大怪獣”であったが、平成ガメラはそうではない。

 というわけで、「ウルトラセブンのうた」の“火を吐く大怪獣”という表現は、あくまで象徴的でステロタイプな表現であって、実際には、火を吐く程度の大怪獣は、ウルトラセブンにとってはたいした脅威ではない。

 それにしても、『ウルトラセブン』に、燃焼による熱エネルギーを武器に用いる“怪獣”が何匹出てきたのであろうか? これはまあ、専門家の研究に委ねたい。おれのぼんやりとした記憶では、ほとんどいなかったように思うんだけどな。



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2009年4月21日 (火)

仮面ライダーなみ

 えーと、元号が平成になったときの総理大臣は竹下登だったよなあ。だからDAIGOがあの「平成」の紙を持ってるわけだ、ういっしゅ……と、ふと考えて愕然とした。竹下登を入れて、平成の総理大臣は何人だっけと数えてみると、麻生首相で十四人めである。

 昭和から平成にまたがって放映されていた仮面ライダーは、『仮面ライダーBLACK RX』である。で、十一年ブランクがあって、平成十二年(二〇〇〇年)『仮面ライダークウガ』がはじまる。ここからが、いわゆる“平成ライダー”だ。

 ということは、BLACK RX から数えると、平成になってからの仮面ライダーは、いまの『仮面ライダーディケイド』で十一人め(まあ、平成ライダーはやたら仮面ライダーがたくさん出てくるから、実際にはもっと多いが)ということになる。ま、『仮面ライダーG』は入れないでおこう。

 つまり、平成の総理大臣は、まあ、ざっくり言えば、仮面ライダーみたいなものである。今年もし政権交代が起これば、次の総理大臣はすごいぞ。過去十四人の平成首相に自在に変身できたりするのである。そればかりか、過去の首相たちの政策を超絶変形させて必殺の武器にしたりもする──「ファイナルフォームライド、ウノ!」(弱そー)。

 国会で問い詰められると、決め台詞を吐くのだ。

   「総理総理総理、総理、総理、あなたはご自分の立場がわかってらっしゃるのですか!?」
   「通りすがりの総理大臣だ!」

 通りすがるな~!



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2009年4月20日 (月)

森下千里いいね『ITホワイトボックス』

 NHKの『ITホワイトボックス』がけっこういい。プロのIT屋さんがこの番組を観て「へ~、初めて知った」とか感心しているようではかなり困るが、非IT専門業種の人々への啓発番組としては、たいへんいい内容だと思う。これくらいのレベルの内容なら、いまの時代、全職業人に知っていてほしい。ゲストの講師も、いまのところ村井純とか渡部章とか、かなり渋い。この番組は、IT屋さんにとっても、素人筋へのわかりやすい説明はどういうふうにしたらよいかの参考になると思う。

 なにより、メインパーソナリティーに森下千里を据えたところが、やるなNHKという感じである。このコは、“知識はないがアホではない。いや、むしろ頭はいいほうだ”という役回りにピッタリだ。“知識はないがアホではない。いや、むしろ頭はいいほう”というグラビアアイドルの代表格としては若槻千夏が挙げられるであろうが、若槻の場合、ここ一、二年の芸能人としてのぶっとび具合がNHKとしてはちょっと腰が引けるであろう。となると、森下に白羽の矢が立つ。『ロンドンハーツ』では“ストーカーキャラ”として売っていたが、このコは商品としてのキャラのイメージより、ずっと頭はいいよね。さばさばしたキャラクターも好感が持てる。いや、おれは好きですよ。顔も身体つきも。

 情報処理推進機構(IPA)に於かれては、次回のITパスポート試験のイメージキャラクターは、堀北真希じゃなくて森下千里にしてはどうだろう? この『ITホワイトボックス』、ITパスポート試験の受験者層くらいにちょうどいいくらいのIT初心者向けの内容だから、森下千里をイメージキャラクターにすればうってつけなんじゃなかろうか。おれは堀北真希も嫌いじゃないけどね、ちょっと“いいコちゃん”すぎるイメージがついちゃってるじゃないか。森下千里なら、ほんとにそのへんの“おきゃん”でちょっと可愛いフツーの賢そうなコって感じでしょう。IPAには一考を促したいな。NHKの眼力は、IPAを超えてるぞ。



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2009年4月17日 (金)

その“鈍器”が見たい

女子高生が鈍器で殴られ、かばん奪われる 堺市の路上 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0417/OSK200904160059.html

 16日午後10時25分ごろ、堺市南区桃山台4丁の路上で、自転車で帰宅途中の高校2年の女子生徒(17)から「強盗被害に遭った」と110番通報があった。南堺署によると、前から歩いてきた男に鈍器のようなもので後頭部を数回殴られ、現金約7千円入りのかばんを奪われたという。生徒は軽いけがを負わされた。同署は強盗致傷容疑で逃げた男の行方を追っている。
 同署によると、男は25~30歳、身長約170センチ、黒色っぽい半袖Tシャツと白色っぽい長ズボン姿で、眼鏡をかけていた。硬い物が入ったスーパーの袋のようなものをすれ違いざまに振り回して殴りつけたという。

 出たな、謎の凶器“鈍器のようなもの”

 そもそも“鈍器”ってだけで十二分に曖昧な凶器なのに、さらに“のようなもの”がつくわけだから、読んでるほうにはさっぱりイメージが湧かない。「鈍器」というのは、広辞苑によれば、「鋭くないが重みのある刃物。また、刃のついていない棒状の道具」とある。そもそもがずいぶん曖昧な定義である。刃が鋭くない、あるいは、刃がついていないというところに意味領域のコアがあるようだから、言い換えれば、切ることよりも叩くことのダメージを目的としたなにものかということなのだろう。たとえば、靴下に砂を詰めたものなどは、充分に“鈍器”なわけだ。日本刀で峰打ちされた場合、それはやはり、殴られた痕を調べるかぎりは、“鈍器のようなもの”で殴られたということになるのだろうな。

 かねてより、あちこちで指摘されているのを見るのだが、はたして“鈍器”に“のようなもの”をつける意味があるのだろうか? 「鈍器のようなもので殴られた」というのは、「刃物のようなもので切られた」と言っている以上に曖昧な表現ではなかろうか。“切れる”からには、それは一般的に刃物と呼ばれるものそのものでなくとも、それに準ずる鋭利な部分を備えた凶器なのだろうなと妥当に推測できるが、“鈍器のようなもので殴られる”場合、凶器は、明確に切ることに特化した道具ででもないかぎり、およそすべての物体が候補になってしまう。というか、切ることに特化した道具をあえて殴ることに使った場合でも、候補になってしまう。広辞苑だって、立派な鈍器である。

 「鈍器のようで鈍器でないもの、ってあるのですか?」と、マジメにQ&Aサイトで尋ねている人がいて、それに続くやりとりのあまりの面白さに大爆笑してしまった。いやあ、たしかにこれはもっともな質問だと思うな。マスコミはいったいどういう理由で「鈍器のようなもの」を使い続けているのだろう?

 鈍器のようで鈍器でないものなあ……やっぱり、それは日本刀の峰打ちなんじゃないか? 実際、峰打ちだろうが、あれだけの重量の鉄の棒で殴られたら、死ぬことだって少なくなかろう。

 ♪鈍器のようで、鈍器でない、ベンベン!



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2009年4月15日 (水)

オリジナルプロモーションビデオ?

窓口で「おっぱい1枚」といえますか 綾瀬主演映画チケットに「珍騒動」 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/04/14039438.html

綾瀬はるかさん(23)主演の映画「おっぱいバレー」が2009年4月18日から全国公開されるが、前売りチケットを買う際、「『おっぱい』と口にするのが恥ずかしい」という声が配給会社にたくさん寄せられた。このため、「OPV(オーピーブイ)」という言葉で買えるよう全国の映画館に手配したが、ネットでは「OPVの方が、よっぽど恥ずかしい」というカキコミが出ている。

 前売りでなくとも、シネコンとかで複数の映画のチケットを同じ窓口で売ってる場合、当日券でも結局「おっぱい一枚」と言わざるを得ないような気もするのだが……。

 根本的な問題として、これだけあちこちで宣伝されていて、みんながべつに成人映画でもなんでもないことをよく知っているわけだから、「おっぱい一枚」と言うのがなぜそんなに恥ずかしいのだろうか? べつに「女教師昼下がりの禁断縄地獄バレー 昇天レシーヴ秘密の特訓、一枚」と言えというわけでもあるまいに(えーと、そんな映画はありません、いまテキトーに考えた。念のため)。

 まあ、おれくらいのおっさんともなれば、「おっぱい一枚」くらいはべつに恥ずかしくもなんともないのだがなあ。会社帰りに劇場へスーツ姿ですっ飛んでいって、「クレヨンしんちゃん、大人一枚」と言ったときのほうが、よっぽど照れくさかったかもしれん。去年なんか、キンポコ、一枚」と言って買う人はいなかったのだろうか?

 マルコヴィッチの穴、一枚」みたいなのは、気をつけたほうがいいかもしれん。人間、言いまちがえてはいかん言いまちがえてはいかんと緊張すればするほど、その“言いまちがえてはいかんほう”を言ってしまったりするものだからな。

 それにしても、「OPV」はあんまりだ。誰がそんなこと言って買うんだよ。たしかにそう言うほうがよっぽど恥ずかしいわい。べつに、同じ映画館でほかにバレーボールの映画が上映されているとも考えにくいのだから、ちょっと恥ずかしい人でも、「バレー、一枚」とか「綾瀬はるかの、一枚」とかあたりで切り抜けると思うんだがなあ。恥ずかしい人は、縁なし眼鏡に白衣とかで劇場に行って、「乳房(にゅうぼう)、一枚」などと言ってみてはどうか? 洒落のわかる窓口の人なら、「はい、にゅうぼう一枚」と笑いながらチケットを売ってくれるだろうが、まずたいていの場合は、「は? おっぱいですか?」と問い返されるのがオチだと思う。



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2009年4月13日 (月)

♪Radio, someone still loves you!

ラジオの電リク今や昔…メールに押され電話窓口次々廃止 (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/update/0411/OSK200904110015.html

 関西のラジオ番組でこの春、リスナー向けの電話窓口が相次いで廃止された。メールやファクスでのアクセスに押され、電話利用が減っていた事情もあって、番組改編や経費削減の波にのまれた。かつて隆盛を誇った音楽番組の電話リクエストも消えつつある。年配のファンからは、一時代の終わりを惜しむ声が絶えない。
 朝日放送(ABC、大阪市福島区)の看板番組「おはようパーソナリティ道上洋三です」(平日早朝)が、リスナー投稿用の電話窓口を廃止したのは今月3日。オペレーター10人が電話応対し、聞き取った内容をアシスタントディレクター(AD)が選んでプロデューサーに伝えていたが、メールなどに比べて手間がかかる、との理由だった。
 同局では、ほかの2番組の電話窓口も同時期にやめた。編成制作部の担当者は「ここ数年、通信手段の選択肢が増えて投稿数が伸びる半面、スタッフの数は減るばかり。番組進行の効率を考えた」。3月末に窓口廃止を告知した際、「寂しい」などの声が10件ほど寄せられたという。
 毎朝のように電話してきた高齢男性から「長い間いろんなこと言うて悪かったなあ。話を聞いてもらうのが楽しみやった」と言われ、涙が出た――。そんな話を電話窓口終了後、オペレーターの送別会で聞かされたという道上洋三・エグゼクティブ・アナウンサー(66)は「電話は多くの人の力を積み重ねてリスナーの思いを受け止めてきた」と振り返る。「かかった人の数だけ思いが詰め込まれ、マイクの前に届いていた。その思いを今後は少ない人間で感じていかなければならない」

(中略)

 そんな電リクも東京では健在だ。ニッポン放送(千代田区)は今月5日、「デジタルにはない臨場感がある」として、日曜朝の音楽番組で、長年途絶えていた電リクを復活させた。初回は電話が殺到したという。文化放送(港区)の編成部担当者は「電話はリスナーの生の声を聞ける重要なツール。ニーズはなくならない」。同局は音楽番組やトーク番組など複数の番組で電話窓口を維持している。(宮崎園子)

 うーむ。時代の流れと不況の波が重なった結果、いま、こういうことになったんだろうなあ。

 おれはラジオに葉書を書いていたころはあるが、電話をしたことはないもんだから、リスナーとオペレーターのコミュニケーションというのがどういうものなのかはいまひとつ実感を伴ってはわからないのだけれども、「長い間いろんなこと言うて悪かったなあ。話を聞いてもらうのが楽しみやった」というのは、ちょっと泣かせる話だよね。

 以前、職場で、電話通販でお茶を売っている会社のシステムを担当していたSEから聞いた話だが、お年寄りの客には、ほんとうにオペレーターとただただ話がしたくて電話をかけてくる人が少なからずいて、通販会社としては痛し痒しなのだという。ラジオの電話リクエスト窓口にかけてくる人にも、きっとそんな寂しいお年寄りがいて、孫のようなオペレーターに「いろんなこと言うて」やるのがじつは楽しみだったりしたんだろうな。

 電波のラジオというものを最近すっかり聴かなくなってしまい、ラジオは専らポッドキャストで配信されているものばかりを聴いているおれではあるが(そういう意味では、以前よりずっとラジオを聴くようになったくらいだ)、かつてのラジオ少年としては、たしかにまた一時代が終わったようで、そこはかとない寂しさを感じますなあ。その一時代を終わらせしめるほうの勢力に、おのれが紛れもなく加担しているとしてもだ。

 そうそう、ラジオといえば、前から気になっていたのだ。おれの小中学生、高校生のころは、ラジオに投稿するときの変名を、アナウンサーも番組パーソナリティーもリスナーたちも、みな「ペンネーム」と言っていたものであるが、いつのまにか、アレを「ラジオネーム」などと呼ぶのが一般的になってしまっている。おれがラジオを全然聴いていない時期に変化があったようなんだが、どうして変わったんだろうね? おれはどうも人間が古いのか、いまだに「ラジオネーム」って言葉にちょっと引っかかりを感じる。「ペンネーム」じゃいけない理由でも生じたんだろうか? べつに文筆活動じゃないからとかいう理由なんだろうか? そうかあ? そりゃ、一見さんならともかく、これには原稿料を出すべきだと思わせるような力作をしょっちゅうラジオに投稿している、投稿の鬼みたいな人とかもいるしなあ。

 かといって、テレビで匿名希望で変名を使っている葉書が読まれているときに、「テレビネーム」なんて言葉を使っているのは聞いたことないんだよな。げに不思議な言葉、「ラジオネーム」。



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2009年4月12日 (日)

飛行機雲の誕生

Contrail_2009041101 夕方、買いもの帰りに「いい感じの空だな」と思ったので、RICOH R10 を向けると、画面右下から飛行機が現れた。

Contrail_2009041102 光学ズーム7.1倍で飛行機を追っていると、逆方向からもう一機現れた。

Contrail_2009041103_2 さらにデジタルズームで寄ると、最初の飛行機は画面右上へフレームアウト。

Contrail_2009041104 デジタルズームを最大の4.8倍にまで上げながら、フレームアウトした飛行機を捉える。コンデジでここまで望遠にすると、手ブレを抑えるのに必死。息を詰めて、飛行機を打ち落とそうとでもするようにシャッターを切る。飛行機雲が発生するあたりがはっきりわかった。どう見ても旅客機だから、高度一万メートルでこぼこを飛んでいるのだろうか。



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2009年4月 5日 (日)

日本沈没、さよならジュピター

 北朝鮮がロケット(ミサイル?)を打ち上げたと政府が誤報を流してしまったことに関して、やたらマスコミが「こんなことで国民を守れるのか」といった論調で批判的な報道をしているが、そりゃあちょっと政府がかわいそうだよ。日本の政府や防衛省に国土や国民が守れるわけがないことは周知の事実でしょうが。というか、おれたちが、おれたちの一票を以て、そういう政府や防衛体制を作ってきたのだから、今回のことで政府を非難するのは、天に唾しているようなものだ。おれたちは、自国の国土や国民を、自国の力で物理的な脅威から守ることから目を背け、放棄してきたのだから、こういうことに直面してにわかに政府を非難するのはいかがなものかと思う。自国の力で自国を守れなくてもいいという覚悟を前提にしておれたちはやってきているはずであって、マスコミもそういう世論をいままで作ってきたはずだ。いまさら、どの口が「政府は国民を守れるのか」などとほざくか。守れねーよ、そんなもん。守れなくていいという道をおれたち自身が選んできたんだから、秋田にだろうが東京にだろうが、なにが落ちてこようと、それはおれたちの覚悟の中に織り込みずみのできごとのはずだ。

 今回のことが自然現象なのだと考えてみればよい。地球には元々成層圏に達するほどの巨木が生えていて、その巨木はときどき梢のあたりから種子を弾けさせる。それはどこに落ちるのかわからないし、種子にはけっこうな質量があるので、種子が“着弾”した場合、相当の被害が出る。また、その種子は、場合によっては、放射性物質すら含んでいる可能性がある。そんな木が地球のあちこちに生えているとしようや。先進国は、そのような巨木を切り倒したり、若木のうちに制御したりする技術を持っているが、どの国でもそんなことができるわけではない。

 そうした条件下で、「ウチは種子が飛んできたら、アメリカが撃墜してくれることになってますから」と、自然現象に対する備えをほとんど行わずに、ひたすら経済成長に注力するという道を選んできたのがおれたちだ。おれはそれを悪いと言っているのではない。そういう道をみずからの意志で選んできたのなら、種子が飛んできたときには、みずからの哲学相応の覚悟があって然るべきであると言っているのだ。従容として“着弾”を受け容れるべきである。種子が飛んでくるときになって、「政府はなにをしている」などと非難するのは、あまりにも潔さに欠けるのではなかろうか。もし、種子が京都府南部に落ちてくるがどうしようもないということがわかったのだとすれば、おれはそれを“日本人の総意”として受け容れる覚悟だ。自国を自然現象から守るということすらできないリーダーたちを選んできた、おれの不見識な一票の報いとして受け容れよう。

 ないものねだりをしてはいけない。おれたちがおれたちの票で作ってきたこの日本の政府には、巨木が種子を飛ばしてこようが、北朝鮮がミサイルを撃ってこようが、小惑星が東京めざして落ちてこようが、ブラックホールが太陽に迫ってこようが、そういう事態に対処する能力がもとよりあろうはずがない。いまの政府や防衛省は、さまざまな制約の下で、まだよくやっているほうだ。これで非難されるのなら、いっそ「なにもしないほうがいい」のかもしれない。

 要するに、投票場へゆくということは、自分の家に向けてミサイルが飛んできた場合に、国家にどう対処してほしいかという意志を表明しにゆく行為なのであるということを、今回のことは日本人に教育してくれているありがたい機会であると思うのよな、おれは。投票に行かないやつは、ミサイルが飛んでこようが、ブラックホールが迫ってこようが、文句を言うなということだ。どんなに平和的な思想を持って、どんなに呑気に暮らしていたって、サメが襲ってくることだってあるのさ。



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2009年4月 4日 (土)

命あっての物種だね

松村邦洋さん退院、「マラソン、やせたら再挑戦」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/showbiz/news_entertainment/TKY200904030264.html

 今年3月の東京マラソンの出場中に倒れ、一時は心肺停止状態になったタレントの松村邦洋さん(41)が3日退院し、都内で会見を開いた。後遺症もなく、近く仕事に復帰するという。心筋梗塞(こうそく)と診断されたことを明かし、「芸能界の寿命より本当の寿命が大事」と語りながら、体重を落とすことを誓った。
 松村さんの体重は約100キロ。「マラソンはしたいが、皆に迷惑をかけた。65~70キロになったら再挑戦を考えたい」と語っている。

 いやあ、いいんじゃないの。「芸能界の寿命より本当の寿命が大事」ってのは名言ですなあ。明石家さんま「生きてるだけで丸儲け」と言っている。さんまの名言は、おれの座右の銘でもある。そうだよ、べつにおれは、“デブキャラ”としての松村が好きなわけじゃない。松村ほどの藝があれば、デブだろうがヤセだろうがやってゆけると思うよ。

 それにしても、65~70キロとは大きく出たな。おれがいま60~61キロなんだぜ。おれの人生最高記録が70キロだ。そこまで落とした松村の姿は想像もできないが、案外イケメンだったりしてな。わからんぞ~。彦麻呂だって、かつてはイケメンアイドルだったわけだからな。“逆彦麻呂”を狙うのも、マーケティング的にはアリかもしれん。



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2009年4月 3日 (金)

お買い上げ御礼(2009年3月)

■2009年3月

【最も値段の高いもの】

 おれはクルマを運転しないので、カーナビの良し悪しというのは実感としてさっぱりわからない。だもんで、ノーコメント。でも、これくらいのものをウェブでぽちっと買っちゃう人がいるからには、それなりの商品なんでしょうな。

【最も値段の安いもの】

 こ、これはなかなか渋い。同じ人がこの二冊を買ったのか、ちがう人が別々に買ったのかはわからないが、いずれにせよ、若いSFファンの仕業(?)ではなかろうか。野尻抱介はバリバリの現役だから旧作を集めたい人がいるのはまだわかるけど、いま水見稜を探し出して買おうなどという若者(かどうかさだかじゃないけど)は、かなり渋い目利きですな。

【最も多く売れたもの】

 該当なし。またもや、売れたものはみーんなひとつずつ売れたのである。

【最もケッタイなもの(主観)】

 どわははは、こんなものが出てるんだねえ。そんでまた、買う人がいるんだねえ。十中八九、おれと同世代以上の人でありましょうな。それにしても、森永卓郎、こんなところでも仕事しているのか。人に年収三百万で生きろと言っておいて、どんだけ稼ぐねん? こんなのを聴いてた人でも、東大に受かっているのである。一流のおたくになれるほどの人は、やはり集中力がちがうのでありましょう。

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2009年4月 1日 (水)

今月の言葉

仮面ライダーデイィケド

 と言いながら、子供そっちのけで必死に観ているイケメン好きのお母さん。



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