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2009年3月19日 (木)

ランチパックの耳はどこへ行ったのだろう?

 前から気になっていたのだが、ほれ、「ランチパック」山崎製パン)ってやつがありますわな。あれって、どうやって作ってるんだろうね?

 なにが気になるかというと、あれを作る過程で出るはずの“パンの耳”はどうしているのかという点である。

 ランチパックの大きさはビミョーだ。ふつうの食パンから、ランチパックの大きさの白い部分が二区画取れるとは思えない。きっと、ふつうのよりも断面積の大きい食パンを特別に作って、そこから一気に機械で四区画なり九区画なり十六区画なりを打ち抜いているのだと思うのだな。だとすると、ふつうの食パンの耳よりもはるかに巨大な“枠”だけが残るはずである。それをいったいどうしているのだろう?

 いや、なにしろ、おれたちの世代は、食パンの白いところだけを食うなどという神をも畏れぬ所業に激しい心理的抵抗がある。給食の残りの食パンの耳を家に持ち帰り油で揚げてもらって、砂糖をまぶした菓子にして食っていた世代なのである。駅弁を食うときには、まず蓋の裏にこびりついた米粒を、ひと粒ひと粒、箸でつまみ取って食ってからでないと本体に取りかかれない世代である。米粒をひと粒でも無駄にしたら目が潰れるとお婆ちゃんに叩き込まれて育った世代である。なんの、みみちいとも、さもしいとも微塵も思わない。いまこの時代になって、お婆ちゃんは正しかった、おれたちはなんと先進的で未来的なしつけを受けたものかと、この歳になって改めてお婆ちゃんに感謝しておる。

 だもんだから、ランチパックの耳はいったいどこへ行っているのか、たいへん気になるのである。まさか捨ててはおるまいな。家畜の飼料とかにしているのだろうか?

 むかしは、カステラの裁ち屑だけを袋に詰めてパン屋などで安くで売っていたもので、あれはけっこううまかった。というか、味はちゃんとしたカステラと変わらん(あたりまえだ)。筒井康隆だって、貧乏なころはあれを食っていた(こんなものを食っていてはいかんと、のちにやめたそうだが、もったいない、お得なのに)。最近だと、形が崩れただけにすぎないタラコを、切れ子とかバラ子とか称して割安で売っていますわな。料亭じゃあるまいし、なにも美しいタラコを家庭で食う必要などない。賢い主婦は、バラ子をうまく料理に使っているだろう。そうよ、そのほうが合理的だ。時代の最先端である。

 山崎製パンに於かれては、「これはランチパックの耳を使って作りました」という商品をぜひ企画していただきたい。いや、本気で言ってるのだよ。売れると思うぜ。そういうのが安くであったら、おれは買う。

 じつを言うと、たまにランチパックを買って食うと、なんだかとてつもない贅沢をしているような気がして、うしろめたく落ち着かない。こりゃもう、そういうふうに育っているのだからしかたがない。せめて、ランチパックの耳を使った商品がちゃんとあれば、「ああ、べつにどこも無駄にはなっていないのだな」と安心してランチパックを食うことができると思うのだ。いやまあ、そういうものがあればあったで、耳のほうの商品ばかり買うかもしれないが……。

 戦争を経験した人々は、そろそろ人生の終盤にさしかかり、減ってゆきつつある。団塊の連中も、早晩死んでゆくだろう。日本が貧しかったころの名残を実体験として知っている最後の世代として、おれたち昭和三十年代から四十年代前半生まれあたりの連中は、近い将来、頑固爺い、頑固婆あになって、伝えるべきことを次代に伝えておかねばならない。

 米粒を残すと目が潰れる──なんとすばらしい、二十一世紀的な価値観であろうか! いやじつはおれも子供のころは、「なにをバカな、戦時中じゃあるまいし、みみっちい」と大人をバカにしていたものなのである。しかし、二十一世紀になって、改めて思う。食べものを無駄にしない。ものを大切にする。なにがみみっちいものか。じつに科学的、合理的な価値観ではないか。

 いま、身のまわりを見てみろ。とくに大金持ちでもない、ごくふつうの家庭に、カラーテレビ(下手すると地デジ対応)がある、エアコンがある、電子レンジがある、パソコンがある、携帯電話がある、ハードディスクレコーダがある、携帯音楽プレイヤーがある、デジタルカメラがある……百年に一度の経済危機だとかなんとか言いながら、おれたちの子供のころに比べれば、夢のように豊かな、SFのような暮らしをおれたちは享受している。だからこそ、おれたちは、「米粒を残すと目が潰れる」というすばらしい価値観の片鱗をでも、下の世代に残してゆかねばならないのだ。

 使わにゃ損そんとばかりに、自分たちの未来から際限なく借金をしてクレジットカードで現在の贅沢な生活を膨れ上がらせるバカなアメリカ人のようになってはならない。公的資金の注入で首の皮一枚のところで助けられておいて、社員に(ばかりか、元社員にまで)ボーナスを出そうなどという、恥知らずで意地汚い企業が成り立つような社会にしてはならない。アメリカのバカどもには、おれたちまっとうな日本人が、“分相応”という日本語を“もったいない”と共に教えてやらねばなるまい。

 カステラの裁ち屑がごちそうで、クジラのベーコン(は、いまでこそ高級食材だが、むかしは屑肉)ばかり食わされて育ったおれたちに、少々の不況だからといって、なにも怖いものなどあるか。どれだけ落ちても、おれたちの子供のころよりは、ずっと豊かだ。ざまをみろ。どわははははははは。

 それにしても、ランチパックの耳がどこへ行ったのかは、あの少年の夏の日、風に飛ばされて谷底に落ちていった麦藁帽子がどこへ行ってしまったのかと同じくらい、気になりませんか? ♪まま~、どぅゆ~りめんば~



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コメント

なるほど気になる、そういえばどうなっているのだろう、と思いつつうっかりリンク先を見に行ったら思いっきり答えが書いてあるじゃないかー!

それはそれとしてランチパックの耳を使った新商品企画自体は、あったら話題性抜群で結構売れるかも。

つか、専用のふわふわ感強化バージョンを普通に食パンとして販売して欲しい。

投稿: 超時空漫才 | 2009年3月19日 (木) 03時33分

 あのね、いいことを教えてあげましょう。
うちの昼食は、だいたいパンの耳(ただし
あの細長いのではなく、四角い)なのですが、
パンの耳を食べなれると、ふつうの食パンは、
腹持ちがしないし、歯ごたえがなくてどうに
も物足りなく、パンの耳のほうがおいしく
感じるようになるのです。これって進化です
よねちがいますかそうですか。

投稿: 北野勇作 | 2009年3月19日 (木) 06時14分

|どれだけ落ちても、おれたちの子供のころよりは、ずっと豊かだ。ざまをみろ。どわははははははは。

 少年ドラマシリーズで、タイトル忘れたけど物資が極端に欠乏した社会で、「本部」と呼ばれる組織が市民を監視しているというのがあったけど、TVを観ながら「家の田舎よりいい生活している」と思ったことだよ。

投稿: 林 譲治 | 2009年3月19日 (木) 07時37分

初めましていつも楽しく拝見させていただいています。

私がローマでホームステイしたお家のマーマはパンの耳だけ食べて白い部分は残していました。
息子たちは全部食べていましたがマーマの年代の人はやわらかすぎて物足らないそうです。

それを聞いてなんともったいないと思った私はやはり茶碗の米粒はひとつ残らずたいらげます。

投稿: どん底 | 2009年3月19日 (木) 21時28分

>超時空漫才さん

 あっ、ほんとだ。菓子に使ってるわけですか。さすがヤマザキ。flashだらけでうっとうしいので、ちゃんと見てませんでした。私としたことが。まあ、無駄にはしていないということなので、安心しました。耳を使って作った菓子には、「ランチパックの耳を使っています」と明記すれば、企業イメージがもっとぐっと上がると思うなあ。いやまあ、私がふだん使っている皿は、半分くらいヤマザキにもらったものなので、元々企業イメージはいいわけですが。


>北野勇作さん

 “四角い”パンの耳ってのが、いまいちどんなものなのかわかりません。デニッシュの端っこの食パン版みたいな感じなんでしょうか?

>パンの耳のほうがおいしく感じるようになるのです

 米だって、お焦げのほうがおいしいですよね。


>林譲治さん

 『その町を消せ!』( http://ja.wikipedia.org/wiki/その町を消せ! )ですかね? 私はどうもこれに関する記憶があんまりないです。細切れにしか観てなかったんでしょう。


>どん底さん
>マーマはパンの耳だけ食べて白い部分は残していました

 それって進化かもしれません。

 まあ、フランスパンなんかを食ってると、あきらかに茶色いところのほうがうまいです。あれを食うためにフランスパンを食っているわけです。それを考えると、耳がメインになってしまう感覚はなんとなく想像できます。

投稿: 冬樹蛉 | 2009年3月19日 (木) 23時47分

製パン工場の直営店とかでお安く売ってたりしますよ。
クッキングサイトでは、パンの耳で作るお菓子レシピとか、いろいろとあるんですよ~。
地元の製パン屋は、川に来る白鳥の餌とかにもしてますしね。
意外と使えるパンの耳です。

投稿: たぬき | 2009年3月20日 (金) 10時49分

>冬樹さま
 四角いパンの耳というのはですね、焼きあげた
一斤のパンを切って、5枚切りとか6枚切りとか
の厚さの食パンに加工する際に、その両側を切り
落とした、その両側のことです。だから、普通の
食パンの形をした耳、なのです。

投稿: 北野勇作 | 2009年3月20日 (金) 20時47分

初めましていつも楽しく拝見しております。
ランチパックですが、最近は自宅でランチパックを作るキットがあります。
サンドでパンだ RE-182 という商品です。
子供の弁当づくりに重宝していますが、やはりパンの耳の処理に悩みます。
揚げて砂糖をまぶしたり、カラメルを作ってまぶしたり、子供と一緒に近所の川にいる鴨たちにやったりしています。
あと「サンドでパンだ」を使っていて気づいたことなのですが、最近の食パンは、小麦粉高騰の折に以前より寸法が小さくなったため、それほど巨大には余らないことが多いです。

投稿: スズモト | 2009年3月20日 (金) 23時59分

はじめまして。
最近ハマっているヤマザキの菓子パンに「チョコの山」というものがあります。
「パンの耳を一口サイズにカットし、チョコレートでコーティングした」らしいですが、これが結構おいしいです
「チョコの山」で検索したところ「PDF 山崎製パン 食品廃棄物への取組み」もありましたので、おそらく(→憶測で申し訳ないのですが(^^ゞ))ランチパックのパンの耳は「チョコの山」に姿を変えて商品化されているのじゃないかな、と・・・。

投稿: あみーご長嶋 | 2009年3月23日 (月) 10時23分

・・・と、この記事から山崎製パンのサイトをたどり、果ては「チョコの山」検索をして、コメントしてみました(笑)

投稿: あみーご長嶋 | 2009年3月23日 (月) 10時28分

>たぬきさん
>パンの耳で作るお菓子レシピ

 あれは適度に焼くと、マジで白いところより味わい深いものですからねえ。


>北野勇作さん
>一斤のパンを切って、5枚切りとか6枚切りとか
>の厚さの食パンに加工する際に、その両側を切り
>落とした、その両側

 あ、なるほど、アレですか。一斤につき、二枚しか取れないのだから、高級食材と言っても過言ではない。四次元の食パンをうまく切れば、“まるまる一斤が中までぎっしり耳”という不思議なものが、その切り口として現れるかもしれません。


>スズモトさん
>子供と一緒に近所の川にいる鴨たちにやったり

 その鴨を食えば、まことに無駄がない(^_^;)。


>あみーご長嶋さん
>ランチパックのパンの耳は「チョコの山」に姿を変えて商品化されているのじゃないかな、と・・・。

 おおお、それはもしかするともしかしますね。「チョコの山」の袋のどこかに書いてないですか? 「余った白い部分は、ランチパックとして有効利用しています」

投稿: 冬樹蛉 | 2009年3月24日 (火) 00時26分

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うわ、これメッチャうまそ(エネルギー高そ) 昔っから思ってたんだわな、サンドての [続きを読む]

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