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2009年3月の29件の記事

2009年3月31日 (火)

あくまで人工衛星ですから

 北朝鮮の“人工衛星打ち上げ”なんだが、なにやらマスコミまでもが平気で“迎撃”という言葉を使っているのが気にかかる。あくまで連中は、人工衛星を打ち上げると言っているわけであるから、わが国としては“迎撃”はまずかろう。北朝鮮が人工衛星を打ち上げるのであれば、わが国も人工衛星を打ち上げる。それがたまたま北朝鮮のロケットに当たってしまったとしても、それはじつに不幸な事故である。いやあ、遺憾なことでしたなあですむのである(すまんか?)。

 まあ、個人的には、わが国の人工衛星打ち上げロケットが、ああら不思議、まったくもって万にひとつの偶然で、北朝鮮の人工衛星打ち上げロケットに衝突し、木っ端微塵にしてくれればいいなあとは思うのだが、まあ、こればっかりは運だからわからない。アメリカにはどうもその気はなさそうだが、できればアメリカにも人工衛星を打ち上げてもらいたいと思う。北朝鮮の人工衛星打ち上げロケットがアラスカのあたりまで飛んでゆけば、アメリカもかなり本気になって人工衛星を打ち上げることだろう。サラ・ペイリンの庭先に落ちそうだとなれば、これはもう、アメリカとしても、たまたま北朝鮮のロケットに当たるかもしれない人工衛星を打ち上げるしかなかろう。

 いやあ、みんな人工衛星打ち上げるのが好きだねえ。



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2009年3月30日 (月)

政府紙幣の使いみち?

小泉政権ブレーンの高橋洋一教授 脱衣所で窃盗容疑 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0330/TKY200903300341.html

 温泉施設の脱衣所のロッカーから高級時計などを盗んだとして、警視庁は、元財務官僚の高橋洋一・東洋大教授(53)=東京都板橋区=を窃盗の疑いで30日に書類送検した。高橋教授は、小泉政権のブレーンとして郵政民営化などを進めた。
 練馬署によると、高橋教授は24日午後8時ごろ、練馬区の温泉施設「豊島園庭の湯」の脱衣所で、同区の会社員男性(67)が使っていたロッカーから現金約5万円入りの財布や、イタリア製の高級腕時計(数十万円相当)などを盗んだ疑いがある。男性は鍵をかけ忘れていたという。
 高橋教授は「いい時計で、どんな人が持っているのか興味があった。申し訳ない」と謝罪しているという。
 浴室から上がった男性が時計などが無いことに気づき、同署に通報。署員が防犯カメラの映像を確認したところ、映っていた男に似た高橋教授が午後11時ごろに施設から出てきた。事情を聴くと男性の時計などを持っており、容疑も認めたという。
 高橋教授は昨年4月から東洋大学経済学部に在籍。「さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白」などの著書がある。
 東洋大は「事実関係を確認中だが、教育に携わる者として許し難いことである。今後、厳正な処分を行う」などとするコメントを出した。

 数百万円、数千万円というならともかく、数十万円相当の腕時計なら、著書もあって講演を依頼されテレビにも出るような大学教授に買えんことはないと思うんだけどなあ。べつに生活に困っているわけでもないのに、二百円、三百円のものをわざわざ万引きして捕まる病んだ主婦みたいなもんなのかもなあ。

 さては、政府紙幣を発行しろと言っていたのは、腕時計が欲しかったからか……と、ツッコんでいる人が、いまごろ日本中にいっぱいいるにちがいない。

 それにしても、地位も名もある人が、なんともちんけな犯罪で書類送検されるもんだ。わが国が世界に誇る最高の腕時計なら、一万五千円で買えるのに。



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たぶん「ランチパック」の耳なんだろうね

Chokonoyama01
 「ランチパックの耳はどこへ行ったのだろう?」へのコメントで、あみーご長嶋さんに教えてもらった「チョコの山」というのを発見したので、さっそく食ってみた。なーるほど、これはいかにも「ランチパック」の耳を使った商品くさいですなあ。

Chokonoyama02 味はリスカ「サクサクしっとりチョコ」といい勝負なんだけれども、パンの耳の香ばしさがえも言われぬ野味を醸し出していて、スマートなチョコ菓子よりもよほどうまい。「サクサクしっとりチョコ」が大原まり子だとすれば、「チョコの山」はA・E・ヴァン・ヴォクトである……とかなんとか言っても、SFファン以外にはまったく伝わらないフィーリングであろうが、まあ、そんな感じなのだ。

Chokonoyama03 ともあれ、たかがパンの耳をこのように有効利用しているのはたいしたものだ。下手なチョコ菓子を食うくらいなら、このパンの耳を食ったほうがよいと思う。パンの耳、万歳!




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2009年3月29日 (日)

夜桜四重奏

Yozakura01 真っ暗な中でフラッシュを焚くとけっこういいんだな、夜桜は。

Yozakura02 家から一、二分のところでこれくらい咲いているとはね。

Yozakura03 肺胞のようでもあり、宇宙の構造のようでもあり……。

Yozakura04 つまるところ、ミクロからマクロまで、似たような美が支配しているのかも。
 そういえば、『夜桜四重奏(ヨザクラカルテット)』は、毎日放送では今夜(というか、今朝)が最終回だな。おれはむろん、ことは派です。



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2009年3月27日 (金)

これって、ウチだけなのだろうか?

Frying_pan どの家にも、「これって、よその家もやってるのかなあ?」という疑念を抱いている風習(?)のひとつやふたつやみっつやよっつあるものであろうが、ふとおれはこれが気になった。フライパンのしまいかたである。レジ袋に入れて口をこんなふうに結ぶ。こ、これって、よそんちもやってるもんなんだろうか? レジ袋なんてものが登場してからのことだから、それほど代々伝わっているものではなく、おそらく祖母か母がやりはじめたのだろうが、「なるほど、これは具合がよい。あつらえたかのようだ。合理的である」と、いつのまにかおれにまで伝わっている。

 だもんだから、レジ袋がなくなると、困るのよな。



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2009年3月26日 (木)

♪あっと、ひっとり~

 WBCで日本が二連覇したもんだから、昨日からテレビはどこを観てもWBC関係の報道で埋め尽くされている。まあ、野球に疎いおれでもめでたいことだとは思うし、多少なりとも景気浮揚効果があればいいなあと思う。

 で、WBCを嘗めまわすように回想している報道に、飲食店やらでテレビを観ている人々が、九回裏に「あとひとり!」コールをやっているシーンがあった。おれはあれを観て、ものすごく違和感を覚えたのよな。みんな、

「あ、ひりー! あ、ひりー!」

 と叫んでいる。これがおれには気色悪い。たぶん、関東で撮ってるんだろう。関西の場合、これは絶対にちがう。そもそも関西の場合、あれはコールではない。である。おれの子供のころは少なくともそうだった。草野球ですらそうだった。

♪あっと、っとり~♪あっと、っとり~

 と、みんなで唄うものではないのか、これは? 関西人(とくに、大阪人)が数を数えるときには、ひとりでにフシがついてしまうという現象をバラエティー番組などが面白おかしく取り上げていたりするが、アレと同じだ。「♪あっと、ひっとり~」も、むかしからそうなのだ。

 もしかしたら、最近はちがうのだろうかと YouTube を探してみて愕然とした。なんと、阪神タイガースのファンまでもが、関東風の発音をしているのだ。唄っていない。なんたることだ!

 阪神ファンまでもが関東の影響を受けてしまっているのかなあ。な、嘆かわしい。こ、これは絶対、

♪あっと、っとり~♪あっと、っとり~

 と、唄わなくてはならない。なあ、そうだろう、年配の関西人たちよ?



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2009年3月24日 (火)

『OMRON インテリセンス ファジィ オムロン自動血圧計 白 HEM-762』(オムロン)

 人間ドックで「軽い高血圧」と言われたもんで、血圧計を買わにゃいかんなあと思っていたのだが、血圧を測る程度のことに(と思っているのがそもそもいかんのだろうが)大枚はたくのはかなわんし、手ごろなのがなかろうかと、ふとこのあいだ思い立って調べてみると、なんだ、けっこう安いのがあるじゃないか。

 ただ単に測るだけ。メモリもなにもない。でも、病院と同じように上腕で測るちゃんとしたものだ。これはおれの偏見かもしれんが、なんか手首で測るコンパクトなやつは、ちゃんと測れてるのかなあという疑念が残る。こいつはクラシックな方式の基本機能だけでシンプルで安い。これで充分じゃん、というわけで買った。

 おれはどうも気が小さいのか、人間ドックで測ると、いつも高めに出るようだ。考えてみりゃ、検査の順番によるのである。バリウム飲まされてゲップを我慢しながら、あの拷問台の上で右に回れ左に回れ息を止めろ息を吐け、しっかりバーに掴まれ右の腰を浮かせたまましばらく止まれ女王様と呼べなどと好き放題に指示をされながら、頭を下にしてグググググと傾いてゆく滑り台から滑り落ちないように必死でバーを握り締めるなどというむかしのクイズ番組のような苦行のあとで、「血圧測りまーす」などと言われても、そりゃあなた、セックスの直後に血圧を測っているようなものである。

 そんなこんなで、あの人間ドックの血圧測定はほんとに信用できるのかという疑問は以前からあったのだが、ゆっくりと家でこいつで測ってみると、なーんだ、それほど高くないじゃん。なんか、人間ドックとか病院とかで測ると、アガっちゃうようなのだよな、おれ。根っから気が小さいのだろう。ほれ、あの腕帯が緩んでゆくときに、ドッキドッキドッキと腕に自分の脈拍を感じるときの感触がなんとも気色悪く、「ああ、もうじきアレが来るぞアレが来るぞ」と思っていると、不必要にアガってしまうようなのだ。まあ、アレが来るのはどこで測っても同じなのだが、病院だとことさらアガる。

 ま、ウチは父方の家系には脳血管関連の疾患で死んでる人が多いし、母方の家系では悪性腫瘍関連の疾患で死んでる人が多いもんだから、少しは気をつけんとな。まあ、それほど長生きしようとは思わんが。とかなんとか言いながら、酒は飲むし、煙草は吸うし、SFは読むし、身体に悪いことばっかりしているわけだけれども。いや、いいSFを読むと、絶対血圧が上がりますよ。一時的にだけど。




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♪AEDを持ってても、それだけじゃ困ります

松村邦洋のマラソン心肺停止 体重100キロは走れる体か (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/03/23038092.html

東京マラソンで一時心肺停止状態になったお笑いタレントの松村邦洋さん(41)。デブキャラで知られ、かねてより参加を危惧する声が出ていた。やはりチャレンジは無謀だったのだろうか。

(中略)

太田プロの担当マネージャーによると、プロフィールとは違って、松村さんは、マラソントレーニングをしているここ2年は体重100キロ台をキープ。東京マラソンの22日は、102キロ弱だったという。

 まあ、なんちゅうか、この人は仕事を断れんタイプなんじゃないかと思うよねえ。律儀っちゃ律儀な人なんだろう。でもなあ、四十も超えて、誰がどう見たって立派な“電波中年”なんだから、むちゃはいかんよ。本人も自分の体力を過信していたのかもしれんが、むちゃを容認する周囲も周囲だ。事務所にしてみれば、大事な商品なんだろう? それに、松村邦洋は、たいした藝もなく身体を張るだけのにぎやかし芸人とはちがう。余人を以て代え難い藝をちゃんと持っている。事務所はもっと商品を大事にせにゃ。「ここ2年は体重100キロ台をキープ」って書きかたがまた、狙ってますな、この記事。まあ、事実としてそうなんだったら、そりゃキープはキープだが、ふつうの人はそういうのを“キープ”などとは表現せんわい。おれなら、小柄な女性を背負って走ってるようなもんだ。

 多くのメディアが、「心肺停止したが、命に別状はない」などとシレっと書いてるけど、おいおい、AEDで蘇生させにゃならんかったなんてのは、どえらいことだぜ。関西人には、ちょっと面白くない人が多いことだろう。「ウチの大事な探偵になにをさせるか!」という気分だ。べつにおれは朝日放送の回し者じゃないけれども、松村邦洋はもはや『探偵!ナイトスクープ』になくてはならん貴重な人材である。つまらんことで殺してくれるな。たしかに『探偵!ナイトスクープ』だってむちゃはさせるが、アレはアホなむちゃであって、こういうむちゃはさせん。太田プロにだって、体重六、七十キロくらいの人はたくさんいると思うが、そういう人たち、あんた、仕事だからって走れるか? 本人がいくら走りたい、走れると言ったとしても、インテンシヴな競技者でもない体重百キロの人間が走って大丈夫だと思うか?

 「五輪メダリストの有森裕子さんらも育てた指導者の下で練習しており」って、あのなー、その指導者は百キロ超のマラソン選手を育てたことがあるとでも言うのか? たぶん、その指導者にとっても“想定外”だと思うがなあ。

 お祭り気分で芸能人やら局アナやらが参加する(させられる)のも、そりゃ当人たちも商売だろうから、一概に悪いとは言えないが、マラソンってのは危険なスポーツ(というか、スポーツというのはたいていは危険で、やりすぎると健康に悪い)だということを、主催者側ももうちょっと出場者たち(や、その周囲)に自覚させたほうがいいんじゃないかと思う。でないと、AEDのお世話になる人々がたびたび出てるんなら、そのうち人死にが出るぜ。

 都は、「万一死んでも文句は言いません」という誓約書でも取っておいてはどうだろう? 医者が手術の前に取る waver みたいなもんだ。そうすれば、都の訴訟リスク管理にもなり、参加者たちにも、遊び半分じゃいかんという自覚と覚悟を促すことができて一石二鳥ではないかと思うのだがどうか。



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2009年3月23日 (月)

豪華スピンオフ企画

 

『真下正義・今泉慎太郎・米沢守 南海の大決闘』

 ……ってのを一度観てみたいと思うのは、おれだけではあるまい。ま、なにはともあれ、三つ巴ときたら“南海の大決闘”でなくてはならないと、むかしから決まっているのだ。



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2009年3月21日 (土)

桜と飛行機雲

 買いものに出たら、近所の自転車置き場の裏に桜が咲いていた。

Sakura01Sakura02

 買いものの帰りに空を見上げたら、飛行機が飛んでいた。

Contrail

 なんか、デジカメに頼ると小学生の日記みたいになっちまうなあ。これでは、まともなブログみたいだ。もっとこう、人間が犬を噛んでいる決定的瞬間みたいなのが撮れんものだろうか。



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2009年3月20日 (金)

小さな英雄(2)

Whatyoumightcallit これをいったいなんと呼ぶのか、おれは知らない。つまり、アノ、アレだ。“三足いくらの靴下とかを繋ぎとめてあるアレ”だ。こいつは、なんとも気の毒である。おれたちがこいつをきちんと目にするのは、このように首を切り落とされた状態でしかあり得ないのだ。しかし、こいつがいないと、おれたちは“三足いくら”の安い靴下を買うことができない。これほどすばらしい働きをしているのに、これほど注目されない存在も珍しいのではなかろうか? おれはキミに感謝している。なんと呼べばいいのかわからない、アノ、アレよ。




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2009年3月19日 (木)

放火回覧板

Bouka_2 帰宅するとドアノブに回覧板が掛かっていた。何気なく手に取ると、防火を呼びかけているらしいそれには、不可解きわまりない標語が大書されていた──「火を付けた 今からあなたが 責任者」
 火を「付け」るという妙な文字遣いはともかく、責任者というより、それは犯罪者ではないのか……と思ったのだが、どうやらそういう意味ではないらしい。ガス器具などに点火したら、その火の責任者はあなただということが言いたいらしい。伝えたい意は至極もっともであって、こういうことを考えるのが苦手な人が四苦八苦して仕事で捻り出さされたのだろう。お疲れさまと言いたい。でも、やっぱり、ぱっと見、ギョっとするぞ、これは。そのぱっと見の驚きを計算しているのだとしたら、結果として、標語の目的はたしかに達成されているけれどもなあ。

 「点けた火を 消すまであなた 責任者」くらいにしたほうがいいんじゃないかなあ。「点けた火を 消さぬあなたは 犯罪者」なんてのもどうだ? 「わかるのよ 折れた煙草の吸殻で」 これはパクりか。




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ランチパックの耳はどこへ行ったのだろう?

 前から気になっていたのだが、ほれ、「ランチパック」山崎製パン)ってやつがありますわな。あれって、どうやって作ってるんだろうね?

 なにが気になるかというと、あれを作る過程で出るはずの“パンの耳”はどうしているのかという点である。

 ランチパックの大きさはビミョーだ。ふつうの食パンから、ランチパックの大きさの白い部分が二区画取れるとは思えない。きっと、ふつうのよりも断面積の大きい食パンを特別に作って、そこから一気に機械で四区画なり九区画なり十六区画なりを打ち抜いているのだと思うのだな。だとすると、ふつうの食パンの耳よりもはるかに巨大な“枠”だけが残るはずである。それをいったいどうしているのだろう?

 いや、なにしろ、おれたちの世代は、食パンの白いところだけを食うなどという神をも畏れぬ所業に激しい心理的抵抗がある。給食の残りの食パンの耳を家に持ち帰り油で揚げてもらって、砂糖をまぶした菓子にして食っていた世代なのである。駅弁を食うときには、まず蓋の裏にこびりついた米粒を、ひと粒ひと粒、箸でつまみ取って食ってからでないと本体に取りかかれない世代である。米粒をひと粒でも無駄にしたら目が潰れるとお婆ちゃんに叩き込まれて育った世代である。なんの、みみちいとも、さもしいとも微塵も思わない。いまこの時代になって、お婆ちゃんは正しかった、おれたちはなんと先進的で未来的なしつけを受けたものかと、この歳になって改めてお婆ちゃんに感謝しておる。

 だもんだから、ランチパックの耳はいったいどこへ行っているのか、たいへん気になるのである。まさか捨ててはおるまいな。家畜の飼料とかにしているのだろうか?

 むかしは、カステラの裁ち屑だけを袋に詰めてパン屋などで安くで売っていたもので、あれはけっこううまかった。というか、味はちゃんとしたカステラと変わらん(あたりまえだ)。筒井康隆だって、貧乏なころはあれを食っていた(こんなものを食っていてはいかんと、のちにやめたそうだが、もったいない、お得なのに)。最近だと、形が崩れただけにすぎないタラコを、切れ子とかバラ子とか称して割安で売っていますわな。料亭じゃあるまいし、なにも美しいタラコを家庭で食う必要などない。賢い主婦は、バラ子をうまく料理に使っているだろう。そうよ、そのほうが合理的だ。時代の最先端である。

 山崎製パンに於かれては、「これはランチパックの耳を使って作りました」という商品をぜひ企画していただきたい。いや、本気で言ってるのだよ。売れると思うぜ。そういうのが安くであったら、おれは買う。

 じつを言うと、たまにランチパックを買って食うと、なんだかとてつもない贅沢をしているような気がして、うしろめたく落ち着かない。こりゃもう、そういうふうに育っているのだからしかたがない。せめて、ランチパックの耳を使った商品がちゃんとあれば、「ああ、べつにどこも無駄にはなっていないのだな」と安心してランチパックを食うことができると思うのだ。いやまあ、そういうものがあればあったで、耳のほうの商品ばかり買うかもしれないが……。

 戦争を経験した人々は、そろそろ人生の終盤にさしかかり、減ってゆきつつある。団塊の連中も、早晩死んでゆくだろう。日本が貧しかったころの名残を実体験として知っている最後の世代として、おれたち昭和三十年代から四十年代前半生まれあたりの連中は、近い将来、頑固爺い、頑固婆あになって、伝えるべきことを次代に伝えておかねばならない。

 米粒を残すと目が潰れる──なんとすばらしい、二十一世紀的な価値観であろうか! いやじつはおれも子供のころは、「なにをバカな、戦時中じゃあるまいし、みみっちい」と大人をバカにしていたものなのである。しかし、二十一世紀になって、改めて思う。食べものを無駄にしない。ものを大切にする。なにがみみっちいものか。じつに科学的、合理的な価値観ではないか。

 いま、身のまわりを見てみろ。とくに大金持ちでもない、ごくふつうの家庭に、カラーテレビ(下手すると地デジ対応)がある、エアコンがある、電子レンジがある、パソコンがある、携帯電話がある、ハードディスクレコーダがある、携帯音楽プレイヤーがある、デジタルカメラがある……百年に一度の経済危機だとかなんとか言いながら、おれたちの子供のころに比べれば、夢のように豊かな、SFのような暮らしをおれたちは享受している。だからこそ、おれたちは、「米粒を残すと目が潰れる」というすばらしい価値観の片鱗をでも、下の世代に残してゆかねばならないのだ。

 使わにゃ損そんとばかりに、自分たちの未来から際限なく借金をしてクレジットカードで現在の贅沢な生活を膨れ上がらせるバカなアメリカ人のようになってはならない。公的資金の注入で首の皮一枚のところで助けられておいて、社員に(ばかりか、元社員にまで)ボーナスを出そうなどという、恥知らずで意地汚い企業が成り立つような社会にしてはならない。アメリカのバカどもには、おれたちまっとうな日本人が、“分相応”という日本語を“もったいない”と共に教えてやらねばなるまい。

 カステラの裁ち屑がごちそうで、クジラのベーコン(は、いまでこそ高級食材だが、むかしは屑肉)ばかり食わされて育ったおれたちに、少々の不況だからといって、なにも怖いものなどあるか。どれだけ落ちても、おれたちの子供のころよりは、ずっと豊かだ。ざまをみろ。どわははははははは。

 それにしても、ランチパックの耳がどこへ行ったのかは、あの少年の夏の日、風に飛ばされて谷底に落ちていった麦藁帽子がどこへ行ってしまったのかと同じくらい、気になりませんか? ♪まま~、どぅゆ~りめんば~



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2009年3月18日 (水)

線路は続くよ、さしあたり

Senro
 べつにおれは“鉄ちゃん”でもなんでもないわけなのだが、毎日見ているこの駅のこの風景は好きなもんで、なんとなくシャッターを切った。ポール・デルヴォーの絵にこんなのがあったな。あれは夜だったけど。



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サザエさん一家がもらえる定額給付金は十三万二千円

 Wikipedia の記述が正しいとすると、二〇〇九年二月一日現在、サザエ八十六歳カツオ七十か七十一歳ワカメ六十六か六十七歳波平百十三歳フネ百七か百八歳マスオ九十一か九十二歳タラオ六十二か六十三歳のはずだからである。なんかヘンかもしれないが、そういう計算になるのだからしようがない。

 十三万二千円あれば、きっとサザエさんちは、「TOSHIBA REGZA 37V型 地上・BS・110度CSデジタルフルハイビジョン液晶テレビ 37CV500」を買うだろう。これがアマゾンでいまちょうど十三万二千円なのである。他のメーカーのテレビは、諸事情があって買えない。買えないんだからしようがない。



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2009年3月17日 (火)

♪ギリギリまでがんばって~

Ultraman_gaia01 やっぱり、いまのところこういうふうにしか使わない RICOH R10 なのであった。食玩のウルトラマンガイアね。じつは剥き出しのままタンスの上に飾ってあったので、煙草のヤニで少し黄ばんでいるわけなのだが、それがなんだか“汚し”が入ったようで、それなりにいい感じ。

Ultraman_gaia02 ちょっとアオって撮ると、ウルトラマンらしいかも。

Ultraman_gaia03 こんなふうにチープに撮っている。樹脂製のクリップボードの裏は、いい具合にざらざらした表面仕上げになっているので、そこに豆電球を映して“光の国感”を出す。撮影時は部屋を暗くし、豆電球だけにしてズームマクロでアオり気味に寄る。ホワイトバランスは白熱灯、露出はやや高め、ISOは200に設定。

 そろそろ、もう少しまともなものを撮りたいものだ。春になったら花やら虫やら撮る気になるかもしれんが、出不精なので、あくまで希望的観測。



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2009年3月16日 (月)

『エッセンシャル・ベスト 麻生よう子』(麻生よう子/Sony Music Direct)

 昭和の歌姫のうち、この人ほど惜しい人もちょっといないのではなかろうか。哀しい歌が巧すぎたことが麻生よう子の不幸なのかもしれない。なんでこんなに歌唱力がある人が消えちゃったかねえ。おれはもう子供のころから「逃避行」の大ファンで、都倉俊一の最高傑作のひとつだと思っている。なあ、どう思う、半田健人? キミなら、リアルタイムで聴いていなくとも、この曲の良さをわかってくれると思うんだけどなあ。昭和だよ、昭和。

 麻生よう子のベストなら、カバーを入れるくらいなら、もっとオリジナルを入れろという意見もアマゾンの評にはあるし、それはまあそのとおりだとはおれも思うのだけれど、「ジョニィへの伝言」「別れの朝」「終着駅」などは、それはそれで、麻生よう子の声にピッタリ合った、いいカバーだとは思わないか? 「ジョニィへの伝言」はとくに秀逸だと思う。元から麻生よう子のオリジナルであってもいいくらいに、曲想と声質が合っている。

 おれは麻生よう子という歌手を忘れない。たまたま時代とのめぐり合わせが悪かっただけである。むしろ、いまなら、麻生よう子の歌唱は時代に受け容れられるのではなかろうか。七十年代の歌姫なら、中沢厚子なんかも活動を再開していることであるし、麻生よう子には、いまこそ流行やなんかを超えた次元で、みずからの個性だけを打ち出して、ふたたび唄ってほしいなあと思う。あなたの声が聴きたくてたまらない中年連中は絶対多いと思うのだ。

 甦れ、麻生よう子!



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2009年3月15日 (日)

『zabadak 1986-1993 SPECIAL EDITION』(zabadak/バイオスフィア・レコーズ)

 おっと、去年にこんなものが出ていたとは……。「1985-1993」というのは、要するに、上野洋子がいたころのzabadakということである。おれはべつに吉良知彦が嫌いというわけではなく、それどころか、非常に品のよい優れたミュージシャンであると評価しているが、なにせおれ自身が声フェチなもんで、どうしても上野洋子のウェイトが重いんだよなあ。

 上野洋子のいたころのzabadakというのは、まことに奇跡的なユニットであったと思う。人ごみが嫌いで、まずライブなどというものには出かけてゆかないおれが、zabadakのライブには二回も足を運んだのだからな。あれは、大阪ビジネスパークのIMPホールと、新大阪のメルパルクホールだったなあ。ライブの上野洋子は、それはそれはシャーマン的な魅力を湛えた少女のような魔女のような人だった。

 このDVDは、まあ、既出のPVやDVDのおいしいとこ取りみたいなもんで、zabadakファンにはさほど新鮮というわけでもないのだが、おいしいとこ取りだけに、上野洋子在籍時代zabadakのダイジェストが効率よく(?)楽しめるそこそこのものである。初期のPVのしょぼいこと。低予算の映像をやたらにクオリティーの高い音楽が完全に食っていて、その滑稽さがなにやら微笑ましい。名曲「harvest rain 豊穣の雨」あたりから、ようやくまともなPVになってくる。しょぼいPVもいま観ると懐かしいですけどね。

 あのころのzabadakの面白さというのは、凡百の男女デュオとはちがった“ねじれた関係”だったのだよなあと、いまこのDVDを観ながら、改めて思う。声を楽器のように操る理知的な上野洋子の歌唱を、唄うようにギターを奏でる情緒的な吉良知彦の演奏がしっかりと支えている。つまり、紋切り型の男女の役割が逆転しているのだ。その面白さと危うさは、「このままの姿では長くは続かないだろうなあ」という哀しい予感を伴いつつも、その奇跡的な数年間に立ち会えることの喜びをいや増すものだった。なにもかもみな懐かしい。

 その後、上野も吉良も、それぞれの音楽性をそれぞれの方向に追求し、深化していっているのは若い人もご存じのとおりである。いまの上野洋子、いまの吉良知彦がお好きな若い方々は、このふたつの才能が奇跡的に交じわっていたあの数年間を、御用とお急ぎでなければ、ぜひ味わっていただきたいと思う。『飛行夢』から『私は羊』あたりまでのzabadakは、ほんとにワン・アンド・オンリーの、昼下がりのうたた寝に見た前世の夢のようなユニットだったなあ。



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2009年3月13日 (金)

カーネル・サンダース怒る

「呪い」火付け役、救出喜ぶ 探偵!ナイトスクープ (asahi.com)
http://www.asahi.com/showbiz/tv_radio/OSK200903110069.html

 阪神の成績低迷は、道頓堀川に投げ込まれたカーネル・サンダース像の呪いである――こんな「伝説」が広まったきっかけは、朝日放送の人気番組「探偵!ナイトスクープ」だった。関係者は感慨深げに「救出」の報を喜んだ。
 88年3月にスタートした同番組は、初回の放送で、「道頓堀に沈んだカーネル・サンダースを救え!」としてこのネタを取り上げた。街で広まりつつあった「呪い」伝説を追い、像を探し当てて呪いを解こうとした。翌4月にもこのネタを2回放送。計3回のうち2回でダイバーを川にもぐらせ、1メートル四方ずつ移動しながら数十メートルにわたり川底を調べたが、見つからなかった。
 当時のプロデューサーの松本修さん(59)は「しらみつぶしに捜した。それでも見つからず、放送後は都市伝説として定着した」と振り返る。
 以後、サンダース像は「阪神色」を増し、貸し出されてファンの集いに出かけたり、阪神甲子園球場のケンタッキーフライドチキンの店で法被を着たりしてきた。
 「探偵!ナイトスクープ」は今月15日、午後7時からのゴールデンタイムに初めて、2時間の特別番組として放送される。松本さんは「祝福してくれているとしか思えないタイミング。それと、大阪に元気を出せ、がんばれと言っているのではないか。優勝祈願をする阪神ファンはこれから、広田神社(兵庫県西宮市)とともにカーネル参りをしたらいい」と話す。(市原研吾)

 昨日に引き続き、関西では“カーネル・サンダース発見”のニュース一色といった感があるが(首都圏などの“地方在住”の人には信じられんかもしれんが、事実そうなのだ)、あの『探偵!ナイトスクープ』が見つけられなかったものが、なぜ、いまになって見つかったのか、じつに不思議だ。

 そこでおれは考えた。じつは、カーネル・サンダースは、いったん海まで流され、大洋に出たにちがいない。そして、大阪が帰りやすい環境になるまで待っていたのだろう。いまの大阪が帰りやすい環境かどうかはよくわからないのだが、まあ、とりあえず、さしあたり、黒字にはなった。真弓も監督になった。永田町も霞ヶ関もこれ以上堕ちんくらいにぼろぼろになり、相対的に大阪は帰りやすい環境になったと言えるかもしれん。それを見極めたカーネル・サンダースは、大海原から帰ってきた。もちろん、遡上して卵を産むためにである。きっと、そこを不運にも捉えられてしまったのだ。

 おれは思うのだが、カーネル・サンダースは、このままそっと川へ帰してやってはどうだろう? 帰してやっても、きっと、いつの日か、むかしの高田美和なり、むかしの藤村志保なりの、圧制に虐げられた美しい村娘が清い涙を流して祈るとき、カーネル・サンダースは必ず道頓堀川から現れ、憤怒の形相もすさまじく巨大化して動き出し、悪い政治家や役人どもを踏み潰してまわるのだ。



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2009年3月11日 (水)

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カーネル:24年ぶり「救出」 阪神優勝で道頓堀川に (毎日.jp)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090311k0000m040097000c.html

 10日夕、大阪・ミナミの道頓堀川(大阪市中央区道頓堀2)の川底で、市の遊歩道整備工事の関連作業で潜っていたダイバーが、ケンタッキー・フライド・チキンのカーネル・サンダース人形の「上半身」(体長約1メートル)を見つけた。85年10月にプロ野球の阪神タイガースがリーグ優勝した際、興奮したファンらが川に投げ込んだまま行方不明となっていた人形とみられる。
 当時、21年ぶりの優勝に酔ったファンが、主砲・ランディ・バース選手に似ていたことから、当時の道頓堀店前に置いてあった人形を胴上げし、今回の発見現場の東約200メートルの戎(えびす)橋から勢い余って川に落とした。その後、ダイバーが捜索したが見つからずにいた。阪神は86年以降は日本一になれず、ファンの間で「カーネル・サンダースの呪い」と言われた。
 人形は午後4時ごろ、河川工事で不発弾調査中のダイバーが見つけた。台船のクレーンで引き揚げると、作業員からは「死体やないか」との声があがったが、すぐに阪神ファンの現場監督らが「カーネルや」と叫んだ。通行人らも「オーッ」とどよめいたという。
 人形は汚泥で激しく汚れている。河川管理者の大阪市が保管し、日本ケンタッキー・フライド・チキン社と取り扱いを協議する。11日朝も川底での作業が続くため「下半身」が見つかれば大阪市が保管する。【田中龍士】

 年配のSFファンは、たぶん十人に九人くらいは同じ連想をしていることかと思うが、やっぱりおれもそう思った。チャールトン・ヘストンもびっくりである。人類が地球を支配しているうちに見つかってよかったことだ。

 それにしても、あのころ「かっとばせ~、ま~ゆ~み!」と応援されていた人が、いまは監督である。二十四年ってのは、長いようで短いようでやっぱり長いねえ。バースはもうこのニュースを知っただろうか。

 そういえば、新井素子「阪神が、勝ってしまった。」なんてSF短篇を書いてましたなあ。阪神が優勝するなんて、それこそ当時は“SF”だったのだった。一九八六年にハレー彗星がやってきたもんだから、次に優勝するのは二〇六一年だなどという法則(?)がまことしやかにささやかれたものであった。

 いやしかし、なんというか、このカーネル・サンダースの穏やかな笑顔を見よ。当初はあるいは“呪い”があったのかもしれんが、長い歳月のうちに自分を川へ投げ込んだ阪神ファンへの怨念も解け、なにやら生きながら五穀を断って即身仏となられた高僧のようなお姿である。ハナ肇だってこれほどの威厳はなかった。

 じつにめでたい。なんだか知らんがめでたい。どうも平成になってからろくなことがないから、この吉事を寿ぎ、改元でもしてはどうか? 雉やら鳥やら亀やらは元号にあるが(なぜか亀は不当に多い)、虎というのは一度もないはずだから、今年を白虎元年とでもしてはどうであろうか。

 それにしても、五十六元帥なのに、三十六大佐というのが解せぬ。二十ちがうとそんなにちがうのか? なに? 三十六ってなんのことだって?

 そんなこと、いちいち言わしなや。三ダースやがな、三ダース。



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2009年3月10日 (火)

余の辞書にはある

Impossible うききっ。

 えーと、これは研究社英和大辞典ではない。携帯用の三省堂エクシード英和辞典である。起きぬけのときなど、おれにはときおり眼鏡を外さないと見えないほどの、ポケット辞書のくせにこれでもかこれでもかとむちゃくちゃに見出し語を詰め込んだ、あのエクシードである。

 いやもう、新しいおもちゃに夢中である。おれって、けっこうカメラ好きだったのかもなあ(かなり歪な愛しかたかも)。ま、小さくて精密な機械はたいていなんでも好きなんだけど。

 昨日〈デジカメ Watch〉に出てた「コンパクトデジタルカメラ満足度トップはリコー ~アスキー総研調査より」って記事を見て、買ったばかりのくせに、なんだか妙に納得してしまった。なんちゅうか、“機械として正しい感触”が手に伝わってくるような気がするのよなあ。切るところは切る、こだわるところはこだわるという潔く意地のある感じが、G-SHOCKに通ずるものがある。しばらくいじり倒すから、そのつもりで。

 おし、このブログにも「RICOH R10」というカテゴリを作ってしまおう。なんか、こいつとは長くつきあえそうだ。



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2009年3月 9日 (月)

きちがい博士

女優の「キチガイ」発言で謝罪 「放送禁止用語」とは何か (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/03/08037204.html

生放送の「笑っていいとも!」でゲストの女優が「キチガイ」と話したことに、番組アナウンサーが謝罪する事態があった。一般的に「放送禁止用語」とみられており、テレビ局でも不適切だと判断した。ただ、ネット上ではこの言葉がダメと初めて知ったとの声もみられるほか、識者からは「なぜ本人じゃなくアナが謝罪するのか」との疑問も出ている。
差別意識なしの日常的な誇張表現
バラエティ番組では、放送禁止用語が飛び出ると、「ピー」といった音などで発言が消されるのをよく目にする。しかし、こと生放送では、そうはいかない。
フジテレビ系で2009年3月4日に放送された長寿番組の「笑っていいとも!」。 この日のテレフォンショッキングでは、宝塚出身女優の毬谷友子さん(48)がゲストに呼ばれた。禁止用語が飛び出したのは、毬谷さんが5月からの舞台に備え4オクターブも出す発声練習の様子を披露したときだった。 「もう今、うちがキチガイみたいな…」
毬谷さんは、まずいと思ったのか、すぐに口を手でふさいで顔を下に。司会のタモリさんも、「ハハハ、そう、ハハハ。発声練習しているの」と話をそらした。ところが、さらに、タモリさんや会場から「若い!」と声が上がると、毬谷さんは「キチガイです」と言って、慌てて口に手を当てた。そして、コーナーが終わると、CMをはさんで、番組の加藤綾子アナが「不適切な発言がありました」として頭を下げた。
「キチガイ」は、新聞では、各社が独自に差別語や不快用語にしている。言い換えは、たいてい「精神障害者」だ。民放連やNHKによると、テレビでも、共通の「放送禁止用語」になっているわけではない。各局で独自に基準などを決めており、フジでは、この場面で「キチガイ」が不適切だったわけだ。

 まあ、世の中には“文脈”というものがまったくわからん人もおるから、放送局としては過敏にならざるを得ないのだろうが、あんまり出しゃばって過敏なのもどうかと思うねえ。

 おれは毬谷友子という女優に、まさにその“キチガイじみた”オーラを持つがゆえに、えも言われぬ魅力を感じているので、毬谷友子が自虐的に“キチガイ”と言うのだとしたら、それはかなり面白い状況だと思うんだよね。おれはそのシーンを観てないけども。いいよね、毬谷友子の、狂気を孕んだ妖しい雰囲気。

 だけどなあ、この場合、「精神障害者」などと言い換えたほうが、よっぽど病に冒されている人をバカにしているようなニュアンスが出てしまうと思うんだよなあ。そう思わんか?

 SFのほうだと、おれがいつも不思議に思うのは、「マッド・サイエンティスト」はよくて「きちがい博士(はかせ)」はダメ(らしい)ということである。なんちゅうか、「きちがい博士」という表現でしか伝えられないなにかがあるんだよね。「きちがい博士」という言葉が持つ、なにやらレトロな雰囲気がとてもいいんだよなあ。

 たとえば、とくに名を秘す某小林泰三という作家などは、会話ではなにやら一種の“愛”を込めて「きちがい博士」という言葉を平気で使うのだが、さすがに活字媒体で書いているのを見たことはない。彼が「きちがい博士」と口にするとき、そこには、そこはかとない“愛”があるのがおれにはわかるんだなあ。だけど、その感じが万人に共有されるものかどうかとなると、それは疑わしい。

 だけど、なんだかなあ……。「マッド・サイエンティスト」より「きちがい博士」のほうが親しみが持てるという感覚、ここを読んでるような人には、わかるよね? わかってね。



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2009年3月 8日 (日)

爆笑問題・田中に捧ぐ

222222 『JUNK 爆笑問題カーボーイ』(TBS RADIO)を聴いてる人にしかわからんネタだとは思うが……。いやまあ、京都では当然受信できないから、おれはポッドキャストしか聴いてないんだけどね。




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小さな英雄(1)

Gomarayu_2 というわけで、せっかく面白いカメラを買ったので、こういうシリーズをはじめてみようと思う。ふだんあまり注目されないが、おれたちのごくごくふつうの日常でキラリと光る(と、おれが勝手に思うだけの)些細な存在を激写(?)するというアホみたいな企画である。要するに、デジカメの練習がしたいだけなんだが。



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『RICOH R10 ブラック』(RICOH)

 いままでずっとケータイのカメラですませてきたわけだが、ようやくまともなデジカメを買った。怖ろしく出不精で、妻もいなけりゃ子供もいないといったおれみたいな人間には、カメラというものにこれといったニーズがなかったわけである。撮りたいという気持ちもないのに、写真機などという機械に四万も五万も出す気にどうしてもなれなかったのだ。それだけ出すなら、もっとほかのものが欲しい。

 が、だ。この機械にはちょっと惹かれていたのだなあ。発売されて半年ほどのあいだに、気味が悪いほど価格が下がってきて、発売時の実勢価格が約五万円であったはずが、昨年暮れには二万円ちょっとにまで下がっていたらしい。アマゾンの人気機種一位になっていたのを先月発見して、これはなかなかセクシーなマシンだ、底値はどのくらいまでゆくのかなあともたもたしていたら、後継機種が発表されてから徐々にじわじわ上がりはじめた。こりゃいかん、流通在庫が枯渇しはじめたなと、ここらで腹をくくって買った次第である。底値を見誤ったなあ。もう十日ほど早く注文しときゃ、五千円くらい得したのに。ま、二万円代で買えたのだからいいか。ブラウンやシルバーはブラックに比べてどの店でも少し安いのだが、やっぱり黒好きのおれとしては少々割高でもブラックが欲しいしね。底値を打って値上がりをはじめたとはいえ、まだまだ対価格性能はやたら高い。とくに写真に凝っている人でもないかぎり、一般人の普段使いには必要にして十分(というか、オーバースペック気味かも)のいい機械だと思う。

 おれがカメラを使うのは主にブログ用なわけで、RICOH R10 の「1cmマクロ」の実力には端倪すべからざるものがあると、あちこちのブログを見てかなり食指が動いていた。デザインもいささか武骨でシンプルな感じがとてもいい。G-SHOCKとかが好きな人はいかにも好きそうな、所有欲をそそるオーラがある。テレビでうるさいほどにCMをやっていたりしない。女子高生が持っていたりしそうにない(そういう女子高生がいたら、ちょっとお茶でもご一緒したい)。判官贔屓の血が騒ぐ。で、とうとう買っちゃったわけなのだなあ。

 買っちゃったからには、ばりばり使ってやろうと思っている。出不精で子供もいないからカメラは要らないというのは、逆に考えれば、カメラでも買えば少しはあちこち出歩こうという気になるやもしれんではないか。ま、それは希望的観測であって、おそらく、あいかわらず家に閉じこもっては、食玩とかそんなもんばっかり撮りそうな気もするんだが……。

 で、さっそく「1cmマクロ」を試すために、手近なものを撮ってみた。まだ機械の特性を掴んでいないので腕は悪いが、これは使えそうだなあ。

Tomato01 晩飯に食ったプチトマト。ふつうのトマトではない。

Tomato02 ちょっと手ブレしてしまったが、ここまで寄れる。ヘタの毛までわかるね。こりゃ、昆虫とか植物とかを撮るのによさそうだ。

Namacha_panda_sensei01 ペットボトルのお茶のおまけ「生茶パンダ先生」。フィギュア部分の実寸は三センチ弱といったところだろう。

Namacha_panda_sensei02 おれの手と比べると、こんな感じ。

Namacha_panda_sensei03 オートフォーカスが機能するギリギリの「1cmマクロ」撮影。おれの指紋まではっきりくっきり。

 うん、このカメラは楽しいな。ここで踏ん切りをつけて買ってよかった。この機械を逃すと、“欲しい”と思える機械にめぐり会えるまで、またしばらくかかったろうからな。買ったからには使ってやろう。なんか、ろくな使いかたしないような予感もするんだが……。いやしかし、渋いよなあ、こいつ。地味な中にこだわりがある。セクシーだなあ。



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2009年3月 5日 (木)

“ついこのあいだ”のできごと

 おれが生まれたのは1962年であるから、おれが十歳のころは1972年である。そのころの大人が広島・長崎に原爆が投下されたことやら、マッカーサーがコーンパイプを咥えてわが国土に降り立ったことやらを思い返す感覚は、いまのおれが二十七年前を思い返す感覚と、まあだいたい同じようなものだったのだろう。

 そう思って、1982年にはどんなことが起こっていたのだっけなと調べてみて、おれは愕然とした。

 そうか、おれが十歳のころの大人たちは、いまのおれがホテルニュージャパンの火災やら日本航空の逆噴射墜落事故やら『笑っていいとも!』放送開始やらPC-9801初代機発売やらを思い返すのと同じような感覚で、アメリカと戦争をしていたころを思い返していたわけなのだな。なんだかとても不思議な感じだ。ニュージャパンやら逆噴射やらは、つい昨日のことのようなのだがなあ。こういうふうに感じるということは、おれもずいぶんと歳を取ったということなのだろう。

 あ、そうだ。1982年といえば、cyberspace という言葉が誕生した年でもある。もっとも、おれはその言葉を1986年ころに知るのであるが……。

 そう考えると、おれが十歳のころの大人たちは、ほんとうに“ついこのあいだまでアメリカと戦争をしていた”という感覚でいたのだろうなあ。ときどきこうやって、おのれの主観的時間感覚を、客観的な数字で補正してやるのは大事なことだと思う。あのころの大人はどう感じていたのか、また、いまの子供や若者はどう感じているのかを想像するための手がかりがいろいろと得られるのだ。

 十年前を“ついこのあいだ”と思えるような感覚は、三十代くらいでわかるようになる。二十年前を“ついこのあいだ”と思えるような感覚は、四十を超えるとわかるようになる。なあ、いま十代、二十代の人たちよ。十年後、二十年後には、いまのあなたがたのこのひとときを“ついこのあいだ”と感じちゃうんだぜ。いまのあなたがたには、十年後、二十年後なんて、すげー未来みたいに思えるだろうけどさ。うしろを振り返るころになると、その十年、二十年は、“ついこのあいだ”になっちゃうわけだ。いまのおれが「ああ、あのころ『笑っていいとも!』がはじまったんだっけなあ」と思うのと、おれが十歳のころの大人たちが「ああ、あのころ原爆が落ちたんだなあ」と思うのは、同じ感覚なのだ。まこと、人の時間感覚というのは面白いものである。



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2009年3月 4日 (水)

国策捜査だとしたら、こいつは面白くなってきたぞ

小沢代表「全く問題ない」…捜査次第で進退に発展も (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0303/TKY200903030284.html

 西松建設側の政治献金問題に絡んで公設第1秘書が逮捕された民主党の小沢代表は3日、「全く問題はない」と同党幹部に伝えた。党執行部は「国策捜査だ」と反発しているが、党内には総選挙への悪影響を危ぶむ声が広がっている。捜査の展開次第では、小沢氏の進退に発展する可能性も出てきた。
 小沢氏は3日、公設秘書が逮捕されるのに先立って党本部で鳩山由紀夫幹事長、菅直人代表代行ら幹部と会談し、「すべて合法にやっている。全く心配はいらない」などと語ったという。秘書の逮捕後も、鳩山氏は記者団に「全く問題ないとのことだったので当然、私たちは信頼している。いずれ代表自らが説明される」と述べた。小沢氏の進退については「この問題で今すぐにという判断にはならない」と否定した。
 小沢氏は4日朝の党役員会で、経緯などについて説明。その後、党本部で記者会見する。
 党執行部は当面、捜査の推移と小沢氏本人の説明を見守る構えだ。しかし、説明が理解を得られず、政治責任を追及され続ければ総選挙への打撃は計り知れない。小沢氏と距離を置く議員を中心に「党内政局だ」(中堅)として、「ポスト小沢」を想定する声も党内には出始めている。

 国策捜査なんだかどうかはよくわからないが、もしそうなのだとしたら、自民党と官僚の持ちつ持たれつのアンシャンレジームはなりふりかまわず最後のカードを切ってきたということであって、よほど切羽詰まっているのだと解釈することもできる。

 どのみち、民主党が聖人君子ばっかりだとは最初から誰も思ってないわけで、それどころか、「元自民党がいっぱいいるじゃーねーか」と思っている人のほうが多そうだ。国策捜査だとしたら、下手すると逆効果になりそうな気がするがなあ。“叩けば埃が出る小沢”というイメージは、そのまま自民党そのもののイメージであるからだ。

 それでも、これだけ民主党が自民党に肉迫してきているのは、ひとえに自民党そのものが自壊していっているからであって、民主党の実力ではない。小泉元首相は、ここへ来てようやくかつての公約を果たしつつあると言えるであろう。

 おれは、これがほんとうに既得権にしがみつく連中の陰謀であったり、国策捜査であったりするほうが、ずっと愉快だと思っているのだ。これでもし小沢代表が退くことがあれば、いっぺん政権交代させにゃならんとは思っているものの“小沢アレルギー”のみを理由に民主党を積極的に支持するのには腰が引けている人たちが、憑きものが落ちたようにいっせいに積極的な民主党支持にまわるということだって考えられる。ここまで自民党がメタメタになった段階で民主党に失点が出ても、それはちっとも自民党のプラス評価には繋がらないだろうと思う。

 この好機に、民主党は、いっそクリーンで堅実なイメージの岡田克也をいま一度トップに据えたほうが、さらにダメ押しで支持率が上がるのではなかろうか、というか、不支持率が下がるのではなかろうか? いまのぐちゃぐちゃな自民党よりは、多少頼りないくらいの若い力のほうがずっとイメージがよい。そうすれば、今回の国策捜査(?)の糸を引いた連中は、「そ、そんなアホな……」と、藪をつついて蛇を出した予期せぬバックファイアに仰天し、Orzと崩折れることであろう。いや、そうなると、ドラマとしては、と~っても面白いなあと思うだけ。けけけけけ。

 おれはとくに民主党支持ではないが、自民党不支持である。よって、上記の提案は、なかば本気でしている。岡田代表を再び据えて、これはまあ無理かもしれないが、欲を言えば世耕弘成を自民党から引き抜いて選挙参謀にしろ。世耕氏も、いまの自民党では、自分の才能が空回りするだけで有効に活かせず“はらほろひれはれ感”を強く抱いているのではなかろうか。「それを言っちゃあ、おしめーよ」ってさ。民主党にまわったほうが、ずっと才能と経験が活きると思うんだがなあ。なあ、世耕さん、“民主党のゲッベルス”として、日本を変えてみる気はないか? そんな努力のし甲斐のないところで埋もれてないでさあ。



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2009年3月 3日 (火)

お買い上げ御礼(2009年2月)

■2009年2月

【最も値段の高いもの】

 おれはまだ観てないんだが、まあ、これがここで売れることにはなんの不思議もないといったところ。二月はあんまり積極的に“モノ”のおすすめをしなかったということもあって、あんまり売れてないのよね。

【最も値段の安いもの】

 し、知らねー。すんません、不勉強で。

【最も多く売れたもの】


 該当なし

 つまり、売れたものはみーんなひとつずつ売れたのである。こんなのは一年ぶりくらいだな。

【最もケッタイなもの(主観)】

 まあ、この日記の読者であれば、それほど“ケッタイ”というわけでもないんですけどね。おれ自身が、こっち系のフィギュアの趣味はないもんで……。ヒーロー系とか怪獣系とかなら、まだ理解できるんだけど。

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2009年3月 2日 (月)

今月の言葉

愛と納棺の二重奏

 モックン、おめでとう!

 次は、とり・みき先生に『オジギビト』でアカデミー賞を狙ってもらおう。



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