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2009年1月 8日 (木)

なるほど、新聞社はSIerであったか……

新聞記者は会社官僚制の中で埋没 だから新しいニーズを掬えない (連載「新聞崩壊」第9回/新聞研究者・林香里さんに聞く) (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2009/01/07032978.html

 トヨタのニュースであれば「トヨタを取材する」正当性(大義名分)の元に取材ができるし、麻生内閣も「支持率が落ちた」となれば、それだけで正当性ができて、すぐに取材ができる。記者クラブもある。ですが、まったく新しいニーズというのは、会社の中では「何故それが大事か」を、まず説明しないといけない。新聞社自体が大きな官僚機構ですから。そうなると、初動にすごいエネルギーが必要になります。多くの記者は、「認められないネタは、やらない方がいい」と、危ない橋を渡らなくなってしまう。外から見ていると、そういう悪循環のシステムができあがってしまったように思えますね。記者一人一人の責任や能力の問題というよりは、記者が巨大システムの中で埋没してしまって自分の意志をもてなくなっている。みんな忙しくて、目先のことに囚われてしまっている。いまはある意味で日本全体がそんな状態かもしれません。でも、記者という仕事は、必ず心のどこかに「余白」を残しておかないと、他人の痛みを感じ取ることができないのではないでしょうか。記者が会社員と違うのは、そういう種類の感受性を要求される仕事だということもあると思います。

(中略)

 どの世界にも最低限の知識やスキルは必要ですが、新聞社の場合、ジェネラリストが多すぎるのではないでしょうか。記者さんと仲良くなって「一緒に問題考えようよ」って思っても、2-3年経つとすぐに異動してしまう。もちろん、定期的にローテーションする人がいてもいいとは思うんですけど、情報を扱う企業としては、専門性にも配慮した方がいいですよね。「いまの時代、どんな読み物にもしっかりとした専門性がないと、なんかつまんないですよね。

 なーるほど、そうか。要するに、新聞業界の抱えている問題というのは、ソフトウェア業界(とくに、いわゆる「SIer」)の抱えている問題とまったく同じであったわけかあ……。林香里氏の見識によって、こういうパースペクティブを得られたのは、個人的にはちょっと得した気分である。

 林氏には、ぜひJISAIPAJIPDECの偉いさんを相手に対談でもしていただきたい。偉いさんたちには林氏の言っていることが全然ピンと来ないのに、林氏には「ブルータス、おまえもか!」と、畑ちがいの業界のことが手に取るようにビンビン理解できるかもしれない。

 そのうち、新聞業界でも、『優秀な記者は「入社時のスキルを問わない会社」には就職してはいけない』『優秀なエンジニアは「入社時のスキルを問わない会社」には就職してはいけない』参照)なんてことを、遠慮なく書く人が現れるかもな。というか、すでに誰かが書いてるかもなあ。

 『ですが、まったく新しいニーズというのは、会社の中では「何故それが大事か」を、まず説明しないといけない。新聞社自体が大きな官僚機構ですから。そうなると、初動にすごいエネルギーが必要になります。多くの記者は、「認められないネタは、やらない方がいい」と、危ない橋を渡らなくなってしまう』か……。鋭いねえ。この人、会社勤めをしたことはないはずなんだが、さすが研究者、外から観察しているがゆえの岡目八目というのはたしかにある。まあ、大学にだって、同じようなことはあるのかもしれないけどね。このご指摘、中堅規模以上の会社員であれば、どの業界の方でも、ぶんぶん音を立てて首を縦に振ることだろう。鋭い経営者にさえ理解させれば、「よし、行け!」と、いっせいにベクトルが揃う優れた中小企業のほうが、中途半端に大きい会社よりも、激動のいまの時代には、フットワークが軽くてずっと有利なのかもしれないよ。

 『でも、記者という仕事は、必ず心のどこかに「余白」を残しておかないと、他人の痛みを感じ取ることができないのではないでしょうか』――なるほど、「他人の痛み」を「顧客のニーズ」「社会のニーズ」と読み替えれば、これはまさに Google の二〇パーセントルールのことを言っているのだな。まあ、ふつうの会社じゃ、ニ〇パーセントは到底無理だ。せいぜい五パーセントだろう。

 だが、このなけなしの五パーセントがあるかないかは、決定的に大きな差となる。社員に“余白”をまったく持たせないような使いかたをしている会社は、今日の飯はさしあたり食えても、明日、あさってになにをしたらよいのかがさっぱりわからなくなるからだ。ひたすら、モグラ叩きのように、今日、今日、今日、今日、今日の飯の種だけに忙殺される。それはすなわち、放送禁止用語ではあるが、会社ごと日雇い人夫になっているのと同じなのである。



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コメント

こんにちは。
今年もよろしくお願いします。

今日のブログを読んで私は「電波の城」という細野不二彦さんのマンガの最新刊(7巻)を思い出してしまいました。テレビ局の報道でも同じような感じみたいです。新聞記者だけでなく。
いいのかなぁ、それで・・・

投稿: こり | 2009年1月 8日 (木) 21時46分

>こりさん

 マスメディアというものは、情報の流れかたが劇的に変化しているこの時代に、多かれ少なかれ、旧来のありかたを自分でぶっ壊して再構築する必要に迫られていると思いますね。「自分で自分を時代後れにしなければ、誰かにそうされるだけだ」とトム・ピーターズも言っております。

投稿: 冬樹蛉 | 2009年1月12日 (月) 22時53分

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