酸っぱいブドウの防衛機制
あ、そういえば、宝くじの当選番号を見ていなかったな――と、ウェブで確認した。おれは夏と冬だけ、気が向けば十枚ずつ宝くじを買う。まあ、宝くじなんぞ、まず当たるようなものではない。が、買わなければ絶対に当たらないというのも、また事実なのである。
おっ。
いま、おれの目の前に、なぜか「165600番」のくじがある。
あるのである。
に、二番ちがいかよ……。
おれは「けったくそ悪い」という言葉の真の意味を九年半ほど前に知ったはずだが、あれは甘かった。今度こそ、その真の真の意味を知った気がする。
それにしても、くじ運が悪い(「くじ運がない」のではない)にもほどがある。きっと、同じ売り場でおれの前に連番の封筒を買った人が、いまごろ十万円のあぶく銭を手にしているのにちがいない。けっ。あぶく銭は身に着かんぞ。全部ガシャポンとUFOキャッチャーでスッてしまえ!
そうだ。おれはくじ運が悪いのではないかもしれない。九年半前もそうだったが、おれはただ単に“十万円”と相性が悪いだけなのだ。そうにちがいない。たかが“十万円”と相性が悪いだけであれば、むしろさいわいだ。ひょっとすると、五百万円や一億円や三億円とは、とてもとてもとても相性がいいのかもしれないではないか。十万円と相性が悪ければ悪いほど、三億円とは相性がいいという大自然の隠された法則があるかもしれないではないか。いやある、きっとそういう法則がある。そりゃもうエネルギー保存則ほど強固に、断固としてある。
……などと固く信じて、宝くじを百枚も二百枚も買うようなことをしはじめると、バカバカしいことおびただしい。おれは頑として、多くても年に六千円しか買わないのだ。ま、宝くじなどというものは、こうやって楽しむものでありましょう。“けったくそ悪さを楽しむ”というのが、たぶん正しいのだ。三千円でこれだけけったくそ悪くなれれば上等と言えよう。これほどのけったくそ悪さは、ふつうなかなか三千円では買えんぞ。まいったか。
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