口が巧いからといって、必ずしも不誠実であるわけではない
二十日、バラク・オバマ氏が第四十四代アメリカ合衆国大統領に就任した。
▼Obama's inaugural speech (CNN.com)
http://www.cnn.com/2009/POLITICS/01/20/obama.politics/index.html
This is the meaning of our liberty and our creed -- why men and women and children of every race and every faith can join in celebration across this magnificent Mall, and why a man whose father less than 60 years ago might not have been served at a local restaurant can now stand before you to take a most sacred oath.
Obama's oath and inaugural address
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あいかわらず、みごとな演説である。おれたち外国人が聴いても、なにやら力づけられる。911のことにはひとことも直接には言及せずに、“the firefighter's courage to storm a stairway filled with smoke”の一節だけに語らせてしまうとは、怖るべき言葉の力だ。どこかの国では、総理大臣が漢字が読めたといっては“どよめいて”いる国会があったりするんだがなあ……。
とはいえ、あんまり自国の政治家の情けなさばかりを責めては天に唾していることになる。つまるところ、民主主義の下では、おれたちはおれたちの身の丈相応の政治家しか持てないわけなのだから……。賢しらになにを言ったところで、いま議事堂にいる連中はおれたち自身の知性を映しているにすぎないのは事実である。それが厭で恥ずかしいと思うなら、みんなちゃんと投票に行くことだ。
おれはアメリカ合衆国という国家の身勝手さにほとんど憎悪に近いものを抱いている。しかし同時に、たとえ建前であったとしても、“多様性の力”をこそ奉じるこの国に、強い羨望を抱いていることも、また事実なのだ。おれは日本人として、アメリカに憧れ、アメリカを憎んで育った。それはちょうど近親憎悪のような感情である。この若き黒人大統領が、アメリカを、世界をどこへつれてゆくのか、楽しみでもあり怖ろしくもある。
いやそれにしても、翻ってわが国の政界を見るに、こんなにわかりやすく、力強い言葉で語る人がほとんどいないのに愕然とする。なんなんだろうね、これは? わが日本人が、知能に於いて連中に劣っているなどとはとても思えない。その優れた知能を無駄なところに使っているような気がしてならないのだ。文化的なハンデなんだろうかね? 「巧言令色鮮なし仁」なんて儒教的なバックグラウンドがあるからだろうか? いやまあ、よしんば孔子さまのおっしゃることが事実であったとしてもだよ、“口先が巧くて愛想のいいやつは誠実ではない”という命題は、“寡黙で口下手はなやつは誠実である”ということを意味しない。だけど、なんだか知らんが、“寡黙で口下手はなやつほど誠実である”かのように自動的に曲解しているような気がするんだな、わが国の文化は。これは言うまでもなく、論理学に於ける形式的誤謬の“前件否定”に該当する立論である。世の中には、誠実であるからこそ、それを他人にわかってもらえるように表現しようと、努力して弁舌や文筆を磨く人だっていっぱいいるのだ。口が巧くて誠実であれば、それに越したことはない。なに言ってるのかさっぱりわかんない政治家さんたちを、あなた、口下手だからって誠実だと思いますか?
寡黙で口下手はなやつほど誠実なんだったら、おれの友人連中なんかは、ほとんど不誠実なろくでなしばかりということになってしまうではないか。いやそりゃ、おれ自身はろくでなしであることは否定しないが……。
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コメント
|なに言ってるのかさっぱりわかんない政治家さんたち
もしかすると日本の集票マシンの発達と政治家の働きかけの相互関係の中で、政治家の言語が周囲の環境に適応してきたことが、国民には何を言っているかわからない現象をもたらしたのではないだろうか。
つまり国民に直接語りかけるメリットが感じられないから、そっちの方向には進化しない。ところが環境が変わって国民に直接語りかけなければならなくなったときには、そのための言語がない。
将来、国民に語りかけて一人勝ちの政治家が現れれば、そっちに適応する政治家も増えるかも。もっともその環境は国民次第ですけど。
投票率が低く、集票マシンへの依存度が増大すれば、国民に語りかける進化圧は低くなる。
投稿: 林 譲治 | 2009年1月22日 (木) 10時03分
友人関係はともかくとして……
サラリーマンや学生時代の経験からすると、口の巧い人、とりわけ人前でよくしゃべる人はちょっと警戒してしまいます。
それに「わかりやすく聞こえる」と「よくわかる」の間には深い溝があるというのも無視できません。
日本の政治家について言えば、良いことをいって誉められるよりは揚げ足とりをされるほうが多いってのがあるんじゃないでしょうか。
内容のあることを言えばケチをつけられるので、流行におもねった当たり障りの無いことを言っておいて、しゃべり方で本人の誠実さや力強さを表現する方向に進化したんじゃないかと思います。
まぁ、もちろん、それは揚げ足とりを続けてきた政治家自身の責任でもありますが。
投稿: 東部戦線 | 2009年1月22日 (木) 10時57分
そんなにものすごく経験があるるわけではないのですが、そのそこそこの経験からいって、少なくともロシアやヨーロッパの中の人たちの場合、人前で説得力を発揮しない人、口が巧くない人ほど不誠実である気がします(皮肉が巧い人とかは別)。つまり、理解されるための労力をケチらない人、鍛錬を怠らない人は誠実という印象です。
>「わかりやすく聞こえる」と「よくわかる」の間には深い溝がある
に関しては、やっぱり、聞く側も鍛錬しないといけないってことでしょうねえ。
投稿: ふみお | 2009年1月22日 (木) 13時27分
>林譲治さん
まさに、おっしゃるような負のスパイラルを導く淘汰圧が政治家たちにかかっているような気がしてなりません。これをどこかで断ち切りたいものです。
>東部戦線さん
>良いことをいって誉められるよりは揚げ足とりをされるほうが多いってのがあるんじゃないでしょうか
結局それは、“言質を取られないようにする”という政治家視点、党利党略視点の政治を強化してしまうのですよねえ。「わしゃ、これこれこういう信念に基づいてこういうことを言ったのであって、みなに支持されるわけではないのでは承知のうえである。それでもこれはやらねばならんと私は信じてやっておる」と堂々と国民に胸を張り、信を問えばよいと、いつも思います。いまの消費税の議論なんて、まさにそうですね。それでついてこない国民であるなら、従容として野に下り信念を貫く政治家であってほしいものです。
>ふみおさん
>理解されるための労力をケチらない人、鍛錬を怠らない人は誠実
わが国にもぜひ、そういう文化を根付かせてゆきたいものです。上っ面だけウケりゃいいみたいな“浅薄なプラグマティズム”は、わたしゃ大嫌いです。
投稿: 冬樹蛉 | 2009年1月24日 (土) 03時38分