歴史に残る日本語のレクチャー
The Nobel Foundation のサイトにそろそろアップされているかなと見てみたら、ありましたなあ、益川敏英氏の Nobel Lecture。"The lecture was delivered in Japanese." とわざわざ書いてある。専門的な内容はおれにはかすかにしかわからんが、しっかり三十七分観ちゃいましたね。いやあ、益川先生、英語が苦手なだけじゃなくて、日本語のレクチャーも苦手みたいなのである。原稿があるのに、あれだけつっかえるか、ふつー。しかも、内容はご自分以上に詳しいやつなど、そうそういないはずのことなのに。ほんとにこの先生、いいキャラしてますなあ。
それはともかく、ある意味これは、日本語という言語にとって、いい宣伝だと思うのよな。このレクチャーは、おそらくフォーマットは変われど、人類が滅びるまでいろんな形で保存されることだろう。そこに日本語のレクチャーを残したというのは、歴史的快挙であろう。もっとも、レクチャーの音声を聴いているよりも、英語のPDFファイルを読んだほうがわかりやすいけれども……。ここまで頑として日本語でやるというのは、たいしたものだと思う。
ああ、ノーベル賞を取るような学者でも英語が苦手なんだ、英語なんてやらなくても内容さえあればいいんだなどと若い人たちが誤解しないといいのだが……。“英語なんてやらなくても内容さえあればいいんだ”などと早とちりして、中学生とかが英語を学習しなくなったりすると、これはわが国の国益を著しく損ねる。それは逆に考えるべきだろう。ノーベル賞級の業績を挙げないと、世界は日本語には耳を傾けてくれないのだ。ノーベル賞を取る自信のある中学生以外は、そこそこ英語を勉強しなさい。もはや英語は、できるから得するようなものではなくて、できないと損するようなものなのだから。日本人としては、いささか癪に障るけどな。事実、そうなんだからしようがない。くそ~。いつの日か、おまえらに「あめんぼあかいな あいうえお……」と暗唱させてやるからな。いつかどこかの並行世界でな。
そうそう、世界が日本語に振り向いてくれる分野がひとつだけある。海外のおたくたちは、日本語でアニソンを唄う。病膏肓に入るガイジンどもは、それがきっかけでマンガを“原書”で読みまくり、ほんとうに日本語をマスターしてしまったりする。英語も苦手で、ノーベル賞も取れない人たちは、「おれの母国語は、涼宮ハルヒがしゃべっている言語だ」とガイジンどもに胸を張ろう。ある特定のガイジンたちにかぎり、はは~とひれ伏してくれると思うぞ。
ま、そういう道に進まない人は、やっぱり安全保障として英語やったほうがいいでありましょう。とくにIT関係とかは……。プロプラの時代にIT業界に入った人は英語音痴の人がめちゃめちゃ多いけど、インターネット普及以後の若い技術者はたいてい英語できるし、そもそも、できないと技術の勉強に支障来たすもんねえ。オープンソース系とかは完全にアウトでしょう。日本語のドキュメントもろくろくないことが多いしねえ。まあ、これからのデジタルネイティブの人たちは、英語ごときに怖れをなして、英語のドキュメントはこの世に存在しないかのごとき哀れなふるまいはしないよねえ――って、なんか私怨入ってないか、今日のエントリー。
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