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2008年12月の19件の記事

2008年12月28日 (日)

「クルトガ」を買ってみた

 年末年始は映画などを撮りまくることになるから、DVDの収納ケースを買っておこうと、おとといの仕事納めの帰りに文房具のディスカウントショップに寄ったところ、「クルトガ」三菱鉛筆)が目に入った。

 今年のヒット商品としてあちこちのメディアで紹介されていたから存在を知ってはいたので、文房具屋に行くたびに、「あ、そういえば、アレはあるかな」とついでに探してみてはいたのだが、いままで実物があったためしがない。ヒット商品というだけあって品薄なのだろう。わざわざ取り寄せてまで欲しいというものでもないので、そのうちおれがふだん行く文房具屋にも出まわってくるだろうと、さほど気にも留めずにいたのである。それがごくふつうに売られていたものだから、ものは試しとこの機に買ってみた。

 字を書いている際に、芯を紙に着けたり離したりたびに少しずつ芯が回転する機構になっているため、芯が偏減りせず、字の太さが変わらないというのが主なウリだ。まあ、おれはほとんどシャープペンシルを使わないので、実用に関するニーズが薄い消費者なのであるが、そういう画期的な機構とはいかなるものか、書き味を体験してみずばなるまいとは思っていたのだ。

 さっそく適当に文字を書いてみると、な~るほど、たしかに文字の太さが変わらない。とくに、再生紙のメモ用紙などに書くときに、滑らかさを感じる。紙の繊維が粗い場合、偏減りした芯はよく引っかかる。円錐状に芯が減るクルトガには、それがないのだ。これは面白いなあ。

 むかし、たしか片岡義男だったかと記憶しているが、芯を出し入れするたびに芯が三分の一周ずつ回転する機構のボールペンをエッセイで絶賛していた。ボールペンにも偏減りというのはあるのである。だが、ボールペンの偏減りが気になるような人は、作家のように“マイ・ボールペン”でよっぽど字を大量に書く人であって(しかも、パソコン派でない手書き派の文筆業者の中でも、ボールペン派の人は万年筆派や鉛筆派よりも少ないのではなかろうか)、わかる人にはわかるという、ヘビーユーザに向けたこだわりの設計にすぎない。芯を回転させるというアイディアが一般ユーザの利用シーンで真に活きるのは、シャープペンシルだったのだ。

 このクルトガ、ニクいのは、芯が回っているということがちゃんとわかるようにしてある点である。ウリの機構を内蔵した部分の軸がスケルトンになっていて、芯を把持しているギアがたしかに回っているのが目で見てわかる。おれは、これもヒットに繋がった大きな要因だと思うな。せっかく“ほかのシャープペンシルがやっていない芸当”をやっているわけだから、それをユーザに実感させるようにするのも大切な“機能”と言えよう。要するに、手打ちうどんの店で、麺を打っているところを見せるようなものである。食う人が食えば手打ちかどうかなんてことはすぐわかるのだから、なにも作業場を店頭に設置してショーケースのように見せなくても、できあがってくる麺の質は変わらない。実用上はなんの問題もない。だが、麺を打つところを見せることで、手打ちうどんであることがどんな客にも一目瞭然にわかり、しかも、いかにもうまそうに見える。こういう“見せる化”ってのは、コンシューマー向け商品では大事ですなあ。

 ああ、そうだ。このクルトガ、論述式の試験なんかには持ってこいかもな。制限時間内にシャープペンシルで大量の文字を書かされる利用シーンの最たるものだろう。次にそういうのを受けるときには、試してみるとしよう。



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2008年12月26日 (金)

こういう旅館も、けっこうイケるかもしれんぞ

 郵便受けから取り出した夕刊の広告欄がちらと目に入ったわけだが、おれは「えっ?」と思わず絵に描いたような“二度見”をしてしまった――
 

科学旅館


 ――って、ななななんじゃそれはとよく見たら「料亭旅館」の広告だった。薄暗いところだと老眼が強く出るものである。

 いやしかし、「科学旅館」って、なんだか萌えますなあ。ほんとにあってもいいんじゃないか。眼鏡に白衣の仲居さんたちが三つ指着いて迎えてくれる光景が一瞬にして脳裏をよぎった。フロントには眞鍋かをり安めぐみのサインが飾ってある。なんかこう、大天文風呂とかありそうだ。浴衣の模様がペンローズタイルとかマンデルブロ集合とかになっていそうだ。宴会の余興に米村でんじろうショーがありそうだ。なぜか四種類の監視カメラでセキュリティを確保している。常にレンズにさぐられていそうだ。からくり人形がお茶を持ってきてくれそうだ。ふと庭を見ると、ケーニヒスベルクの橋がかかっていて、なぜかセールスマンが巡回していそうだ。有料テレビの「美女科学者チャンネル」に百円入れると、リサ・ランドールとかが講義をしていそうだ。布団に横になって格子模様の天井を見上げると、絶妙な位置にハエが留まっていそうだ。朝食に出てきた卵が生卵かゆで卵か当てさせられそうだ。朝食のメインはカブトガニだ。

 いや、いいなあ、マジで「科学旅館」作りませんか? メイド喫茶みたいなもんじゃんか。



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2008年12月25日 (木)

世界中のクリスマス

 いやまあ、一昨年も書きましたけどね、おれにとって、クリスマスソングと言えば、やっぱコレですなあ。Sheena Easton 最高だなあ。

 なんとも暗い一年だったけど、こういうのを聴くと、ちょっとほっとしますね。来年は、なにかしら明るいことがあればいいのだけれど……。


Sheena Easton : It's Christmas All Over The World



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貴族が食いそうにないんだが……

 髭男爵がネタに入る前に必ず言う「貴族のお漫才」ってのが、おれにはなぜかいつも「貴族のおばんざいに聞こえてしまうのである。やっぱり長年京都に住んでるからかなあ。

 しかし、おれは京都市内に四十ニ年強住んでいるが、自分が“京都人”である気が、いつまで経ってもしない。不思議だ。これはたぶん、おれが東京で生まれて三歳まで東京に住んでいて最初に憶えた言葉が東京弁であったからではない。“京都人”というのはアメリカ大統領みたいなもので、アメリカで生まれていないとなれないもののような気がする。キッシンジャーなんて、立派なアメリカ人なのだが、アメリカ大統領にだけは絶対になれない。アメリカで生まれていないからだ。まあ、京都人というのは、そういうものなのだろう(たぶん、“名古屋人”もそうだ)。おれはきっと何年京都に住もうが、けっして京都人にはなれないにちがいない。おれは自分が“関西人”であると自信を持って言えるが、絶対に京都人ではないのである。♪さいでんなー、ほーでんなー((C)嘉門達夫)。

 そんなおれですら、「お漫才」などという不自然な言葉を聴くと、反射的に「おばんざい」が浮かんでしまう。京都人じゃないのに。習うより慣れろ(なんか使いかたがちがう)ということか。きっと、京都近辺の人はみんな、髭男爵の漫才を観るたびに、頭の中で「貴族のおばんざい」と聞いているんだと思うなあ。



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2008年12月23日 (火)

蓼食う虫も好きずき

 《ヘンな検索語》シリーズなんだが、今回ばかりは、さしものおれも首を傾げた――

「婆さんの腰巻画像」

 どこの誰だか知らないが、お、おまえ、なぜそんなものが見たい?

 いやまあ、おれは本の“帯”のことを、伝統を重んじて“腰巻”と呼ぶので、このブログがこのような検索にもヒットするのであろうが、それにしても世の中にはいろいろな趣味があるものである。世界は広い。ネットは広い。



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仮定法過去完了

 そろそろクリスマスなもんだから、定番のクリスマスソング「ママがサンタにキスをした」( I Saw Mommy Kissing Santa Claus )を耳にすることも増えてきた。これを聴くたびに思うんだが、これって、中学生時代のおれにとっては衝撃的な歌詞だったのよなあ。英語の先生は、これを利用しない手はないと思うのである。

  Oh, what a laugh it would have been if daddy had only seen mommy kissing Santa Claus last night!

 この文章、おれたちのころのカリキュラムでは、中学三年生までに習う英文法の中でも、最も難易度が高い(と、教えるほうは勝手に思っていたらしい)とされていた仮定法過去完了の代表的例文にしてもいいくらいの名文(?)である。そのほかにも、こういうときの only のニュアンスとか、see somebody ~ing とか、it would have been の it はなんなのかといった、“とても英語らしいノリの表現”がぎっしり詰まっている。

 実際のところ、いまの中学三年生でこの文章が正しく解釈でき、この文章に相当する構文の英作文ができる子は、抜きん出て英語のできる子だろうと思う。

 おれたちの中学生時代から、仮定法過去で躓くやつは、「過去形」がなぜに「仮定」として使われるのかが感覚的に理解できないらしいのだった。「ああ、そりゃそうだ」と誰に説明されずとも自明の理として納得できる“語感”を持っていたら、べつに難しくもなんともない。NHKの『ハートで感じる英文法』でおなじみの大西泰斗氏がみごとにシンプルに説明してらっしゃるように、いっぺん頭の中で「○○だったとしたら……」と思い描いたことは、心理的に“過去のこと”と捉えているからである。仮定した光景を一歩引いて描写するときの“心持ち”は、過去に起こったことを振り返って描写するときのそれとほぼ同じようなものだからなのだ。

 でもって、仮定法過去完了は、仮定法過去(というのは、結局、視点は現在にあるわけだが)の構造が、そのままガッチャンと過去にずれるだけのものである。“過去の一時点に於いて「そのとき○○だったら、××だったのになあ」ということ”を、現在の視点で述べているわけだ。だもんだから、仮定法過去完了が使われる文脈というのは、後悔していたり、残念がっていたりすることが日常的表現では圧倒的に多い。「ママがサンタにキスしているのをパパがもし見ていたら、そりゃあケッサクだったろう、ああ、残念」と、現在思っているわけである。

 『ダウンタウン物語』(Bugsy Malone)という、ガキのころのジョディ・フォスターなんかが出ている映画が三十年以上前にあったが、このラストシーンで唄われる歌がケッサクなんだよなあ。この映画、ギャング映画なんだが、演じているのはみ~んな子供なのである。そいつらが、「We could've been anything that we wanted to be……」と、まるで世を拗ねて裏の世界で地べたを這いずって生きてきたすれっからしの中年みたいな歌を合唱するのだ。アレがなぜ面白いかというと、ガキのくせに仮定法過去完了で唄うからである。あたかも、十四歳の少女「今まで生きてきた中で一番幸せです」とほざくがごとき、微笑ましさと滑稽さが醸し出される。

 で、だ。おれが中学生のときに「ママがサンタにキスをした」に衝撃を受けたのはなぜかというと、学校文法に於いて中学校を修了していなければわからないはずの構文が、実際の英語圏では“子供の歌”で使われていたからである。そりゃそうだわなあ。英語で生活しているやつらが、いちいち日本の学習指導要領などを気にしているはずがない。つまるところ、英語の先生にでもなるつもりがなければ、英語なんてのは、英語圏の幼児が身につけるであろうように身につけるしかないのだなあと、心底納得したものであった。要は、“フィーリング”なのである。

 だもんだから、今日の日記は、時節柄、受験生への応援である。英語の苦手な人は、「ママがサンタにキスをした」の歌詞をとにかく口をついて出るくらいに憶えなさい。絶対、役に立つ。ラテン語やなんかとちがって、英語は、いま、この世界に生きている連中が日常的に使っている言語なのだということを実感できれば、学校で習うような無味乾燥なものではないと、心の底から納得できると思うんだよね。

 Merry Christmas!



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2008年12月21日 (日)

こんな人でも、自分の居場所がわからない

「居場所みつけるのに苦労」 小林さんノーベル賞祝賀会 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/1220/TKY200812200162.html

 小林誠・高エネルギー加速器研究機構名誉教授のノーベル物理学賞受賞を祝う会が20日、東京都内で開かれた。同機構や日本学術振興会が中心となって呼びかけ、小柴昌俊・東京大特別栄誉教授や塩谷文部科学相ら約200人が集まった。
 小林さんは「授賞式を終えたが、いまだに、これが我が身に起こっていることだと信じられない。急に人前に引き出されて、居場所をみつけるのに苦労している」とあいさつ。「数カ月前までの自分と何も変わらないのに、周りだけが変わってしまった」と感想を語った。

 さすがノーベル賞受賞者だけあって、渋いことをおっしゃるね。「居場所をみつけるのに苦労している」――まさに。そう、それは、十代、二十代の若い人から、四十代、五十代のおっさん・おばはんまで、みーんな思っていることなんだよ。まあ、ノーベル賞を取った人でもこんなふうに思っているんだから、十代や二十代の人が自分の居場所がわからなくても、そんなのあたりまえなんですよ。

 みんながそういう場所を見つけられればいいなあと、おれは思う。そういう場所がなければ、創っちゃえよ、若い人たちは。



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2008年12月19日 (金)

茶番は茶番で面白いが、それどころではない人もたくさんいるんですがね

雇用対策4法案が参院委可決 野党が強行、与党は抗議 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/1218/TKY200812180301.html

 民主、社民、国民新の野党3党が提出した雇用対策4法案の採決が18日、参院厚生労働委員会で強行され、民主、社民両党の賛成多数で可決された。3野党は今国会で成立させるため、民主党の小沢代表と麻生首相の党首会談を申し入れたが、与党は拒否した。4法案は19日の参院本会議で可決されるが、与党が衆院採決に応じないため、成立はしない。
 採用内定取り消し規制、派遣労働者等解雇防止緊急措置、住まいと仕事の確保、有期労働契約遵守(じゅんしゅ)の4法案。ねじれ国会で参院での野党提出法案の採決強行は、6月の後期高齢者医療制度廃止法案に次いで2度目。
 4法案は、雇用情勢の悪化を受け、3野党が15日に国会に提出した。18日一日で趣旨説明から審議、採決まで行う異例の委員会運営。「野党のパフォーマンス」と反発する与党は採決を棄権した。共産党も採決を棄権、小池晃政策委員長は「与野党で議論できる環境を壊している」と批判した。

 いやまあ、この光景、テレビでも観たけど、自民党の議員が「強行採決だ!」などと抗議している光景には、大爆笑してしまった。こういう光景に爆笑してしまうほどに、おれたちは異常な一党支配というものに慣らされて育ってきてしまったのだな。

 「野党のパフォーマンス」だなどと、いまさら自民党がどの口で言うか。茶番だ。おれも野党の法案が通る可能性などないとは思う。目くそ鼻くそだ。ただ、次に選挙をやれば、目くそと鼻くそにも優劣がつくことになる。

 近い将来、なんかの折に“自民党の牛歩”などという世にも珍しい光景を目にすることができるかもしれんなあ。観てみたいなあ。まあ、公明党なんてのは、そのときそのときの強いほうに着く無節操な数合わせのための宗教集票マシーンにすぎないので、そのころは民主党に擦り寄っているかもしれんがな。おれが公明党を支持することなど金輪際ないとは思うが、せっかくの集票マシーンだから、効果的に利用できると判断したときには利用だけはするかもしれん。

 まあ、政治家さんたちは、目くそ鼻くそのパフォーマンスを繰り広げているが、屋根のあるところで年を越せないかもしれない人もたくさんいるわけである。石地蔵に笠でも掛けに行こうかと思っている人もたくさんいるだろう。野坂昭如のほうの「マッチ売りの少女」だって、この平成の世に冗談抜きで出現するかもしれない年の暮れだ。与党も野党もぐだぐだ政局ごっこをするのは後まわしにして、とにかく目の前の人に刺さった毒矢を早く抜け! 理屈はあとでいい、緊急避難だ。



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2008年12月18日 (木)

たとえあなたが忘れても、おれたちは忘れない

ピーター・フォークさん、「アルツハイマー」と家族が申し立て (MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/world/america/081217/amr0812171122008-n1.htm

 【ロサンゼルス=松尾理也】米テレビドラマ「刑事コロンボ」シリーズで知られる俳優、ピーター・フォークさん(81)がアルツハイマー病のため周囲を認識できない状態に陥っているとして、家族がこのほど、法的な保護を求める申し立てをロサンゼルス郡地裁に行った。ロイター通信が報じた。
 申立書によると、フォークさんは家族の顔の識別も困難な状態で、「容易に財産をだまし取られかねない」ため、家族を法的な後見人に指定するとともに、フォークさんが勝手に契約などを結べないようにするなど保護下に置くよう求めた。
 申し立ての是非をめぐる審理は来月に開かれる。
 フォークさんは、1968年から中断をはさみながら2003年まで製作が続けられた「刑事コロンボ」で主役を演じ、日本でも人気を博した。
 昨年まで映画出演を続けていたが、今年初めには、自宅近くのビバリーヒルズの路上で徘徊しているのがみつかり、警察に通報される騒ぎとなっていた。

「刑事コロンボ」主演のフォーク氏、アルツハイマー病に (asahi.com)
http://www.asahi.com/showbiz/tv_radio/TKY200812170312.html

 【ロサンゼルス=堀内隆】テレビシリーズ「刑事コロンボ」で知られる米俳優のピーター・フォーク氏(81)がアルツハイマー病にかかっていることがわかった。AP通信が16日報じた。娘のキャサリンさんがこの日、フォーク氏の後見人となることをロサンゼルス郡地裁に申し立て、その申請書面の中で父の病を明らかにした。
 フォーク氏はさえないいでたちのロサンゼルス市警警部補が鋭い推理で難事件を解決していく「刑事コロンボ」が当たり役で、同シリーズでエミー賞を4度受賞した。

 ほお、朝日の記事を書いてる人は、たぶんほんとにファンだな。ちゃんと「警部補」って書いてるし。NHKの最初の訳を踏襲(「ふしゅう」ではない)して、コロンボの役職のテレビ的定訳は「警部」ということになっているが、アメリカの警察の lieutenant だから、正しくは「警部補」なのだ。むろん、三谷幸喜もちゃんと知っているから、最初は『警部補 古畑任三郎』だったわけである。

 小池朝雄が亡くなったときにも、なんだかとても寂しかったけれども、とうとうピーター・フォーク本人がこういう病に冒されることになるとはなあ。頭脳明晰なコロンボ役のイメージが強いだけに、アルツハイマー病とは、じつに運命の皮肉を感じる。まあ、もう八十一歳でらっしゃるのだから、アルツハイマーにならなくとも、ふつうにボケても不思議ではない。

 コロンボファンはおそらくみんな、どうしても『刑事コロンボ』の名作のひとつ「忘れられたスター」(二見書房のノベライゼーションでは「忘れられた女」と改題)を連想しちゃうでしょうなあ。あれは、ミステリとしてはともかく、ドラマとしては「別れのワイン」にも匹敵する渋い作品だ。

 残念なことに、そのうちフォーク氏も、自分が頭脳明晰で人間味溢れるヒーローを演じていた映像を観ても、自分だとわからなくなってしまうのかもしれない。哀しいなあ。でもまあ、こうやって護ってくれる娘さんがいるのだから、しあわせなお年寄りではあろう。

 いや、ひょっとしたら、フォーク氏の役者人生に於いて、『刑事コロンボ』は最も時間と労力を傾注した特別なものなのだから、やはり最後の最後まで、かすかにであっても、彼の記憶に留まり続けるのかもしれない。

 Yes. Yes, it might.




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2008年12月17日 (水)

いまいち魂に響いてこない「月華-tsukihana-」

ゴスロリ姫、北出菜奈が世界初の藁人形入りCDを発売 (Yahoo! ニュース)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081216-00000727-bark-musi

“ゴスロリ・ファッションのカリスマ”の異名を取る北出菜奈が、2009年2月4日にリリースするニュー・シングル「月華-tsukihana-」のジャケットやアーティスト写真では艶やかな和服姿を披露。また新たな魅力をみせている。
「月華-tsukihana-」は、2008年10月より放送されているテレビ・アニメ「地獄少女 三鼎」のオープニング・テーマとしてすでにお馴染みの人も多いはず。
そんな「月華-tsukihana-」のCDは、なんと世界初の藁人形の“おまけ”付き。「菜奈姫本舗公認守護藁人形」と命名されたこの藁人形の背中には、北出菜奈のロゴが刻印されている。 藁人形は、アニメ「地獄少女 三鼎」の中で非常に重要な役割をしているアイテムで、「地獄少女」のオフィシャル・グッズとして発売された藁人形も、即完売の大人アイテムとなっている。

 「世界初の藁人形入りCD」ってあのな、そりゃ世界初だろうよ。藁人形を呪いのアイテムとして使う文化圏って、そんなに広くないと思うんだが……。まあ、新聞のプレゼント企画でDVDと藁人形を賞品にした鳥居みゆきという先人はいるけどな。

 たしかに、『地獄少女 三鼎』は、地獄流しにされるほうよりも、するほうの醜さに焦点を当てた、捻った作りが気に入ってはいるんだよね。ファーストシーズンでも二籠でも、そういう問題提起的なエピソードはいくつかあったのだけれども、三鼎はとくに「なんでこんな人が流される? なんでこいつが流す?」みたいな違和感こそをメインに攻めてきて、第一、第二シーズンの再評価をも迫る卓袱台返しのコンセプトに大いに期待しているのだけれども、北出菜奈のテーマソングは、いまいちおれには馴染まないのだよなあ。嫌いじゃないんだけど、SNoW「逆さまの蝶」「NightmaRe」が、『地獄少女』という作品に誂えたような傑作すぎて、「月華-tsukihana-」が見劣り(というか、聴き劣り)するんだなあ。

 北出菜奈の「月華-tsukihana-」は、ファッションとしての『地獄少女』という感じがして、『地獄少女』という作品の世界あっての“アニソン”という感じがしちゃうんだが、SNoW の「逆さまの蝶」や「NightmaRe」は、むしろアニメの世界のほうを牽引して引き立てているほどの独立した作品である。声に籠もったメッセージのパワーがちがうというか、サウンドとメッセージの厚みがちがうというか……。なんで SNoW みたいな人がもっと売れないかね? いやまあ、こんな人がバカ売れしても、それはそれでウソですけどね。でも、もっとずっと評価されてもいい人だと、おれは思うんだがどうよ?



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2008年12月15日 (月)

『ハッピーマンデー』(鳥居みゆき/Victor Entertainment,Inc.)

 いっぺん観てみずばなるまいとは思っていたが、とうとう買っちゃったんだよね。率直な感想を述べるとするなら、こ、こぇえ~

 どう怖いかというと、一度これを観てしまうと、もう二度とモダンホラー映画をまともに観られなくなるのではないかというところが怖い。このDVDを観てしまったが最期、おれはもう、これから『女優霊』とか《リング》シリーズとか《呪怨》シリーズとか《富江》シリーズとか『感染』とか『CURE キュア』とかをもっぺん観たとしても、大爆笑してしまうのではないかと思う。それがとてつもなく怖い。

 テレビやら GyaO やらで観る鳥居みゆきは、まだまだ生温いのだなあと思わされた。なるほどね。そりゃまあ、このレベルのものはテレビではできんわ。ある意味、観ておいてよかった。でも、上記の理由で観なければよかったとも思う。

 おれのお気に入りは、「妄想妊婦」「ひきこもり」「水子供養」。テレビ等でおなじみの「まさこ」ネタは、本篇じゃなく、特典映像での“おまけ”扱い。鳥居みゆきの本領は、テレビ向きではないということなんでしょうな。それにしても、DVDですら「ピー」とモザイクが入るネタ(「水子供養」)ってなによ。まあ、「ピー」とモザイク自体がギャグであることはわかるのだが、“素”で観てみたいな、これ。

 「鳥居みゆきに100の質問」、SFファン的に大爆笑したのは、「目の前に宇宙人が! あなたならどうする?」「われわれは、地球人だ!」 そうそう、それ、絶対やってみたいと思ってたんだよね、おれも!

 「ひきこもり」いいねー。「六年前、アコムのCMのオーディションで最終まで鳥居みゆきと残って結局選ばれた小野真弓めー! 歯並びさえよければー! 実話だよー!」にはのたうちまわって大爆笑。そうなんだよなあ、それは知ってる知ってる。思えば、そのとき鳥居みゆきが残らなくてよかったよ。残ってたら、おれたちは小野真弓と鳥居みゆきの両方を失っていたかもしれないのだ。アコムの人、広告代理店の人、えらい!

 いや、おれもね、鳥居みゆきには GyaO で出はじめのころから興味あったから、いろいろ調べてはいたんだよ。お笑いデビュー以前のお色気映像とかも探し出して観たよ(アニメ『ブラック・ジャック』の番宣CMのころは、かなりいまのキャラに近づいていたが……)。たしかに、あのような狂人メイクでなければ、美人モードの鳥居みゆきは、小野真弓と張り合ったと聞かされても、まったく不思議ではない。というか、あのCMは小野真弓でよかったと思うが、小野真弓の“そのへんにいる、同僚だったらいいなという可愛さ”とは異なる次元で、一般的にどっちが“美人”かと言われれば、そりゃ断然、鳥居みゆきだろう。

 ま、美人かどうかというのはこの際あんまり問題ではないが、鳥居みゆきの藝は、鳥居みゆきが十人並み以上の美人でなければ成立しないという面もたしかにある。あれは美人だから怖いのである。そこに気がついてこういう藝風を創り上げたのはすごいと思う。こういう美人の活かしかたもあるのよなあ。たとえば、ハリセンボンはるか(も、素でそのへん歩いてたら美人のほうだとおれは思うけど)が鳥居みゆきの真似をしたとしてもあんまり怖くはないと思うが、菅野美穂が鳥居みゆきの真似を本気でやったら、これはかなり怖いと思うぞ。というか、“可愛い”という要素を抜きにして、菅野美穂と鳥居みゆきとどっちが美人かと言われたら、おれは鳥居みゆきに軍配を挙げる。

 というわけで、「私はけっこう美人だと思う」とか、「とびきりじゃないかもしれないけど、率直に美人だと思う」とか内心思っていて、人にも言われるような女性は、檀れいとか吉瀬美智子とかと同じ土俵で戦うのは無理だとあきらめずとも、鳥居みゆき路線の“活かしかた”というのもあると思うぞ。もっとも、鳥居みゆきと同じようなことやっても、二番煎じにすぎないけどな。

 いやしかし、地上波テレビやネットで観る鳥居みゆきを侮っていたな。狂人キャラをいつまでも続けられるとは思わないが、そのうち脱皮して、イッセー尾形クラスのアーティストになれる素質があるのではないか、この人は。



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2008年12月14日 (日)

『かんなぎ (1)~(6)』(武梨えり/REX COMICS)

     

 テレビアニメが回を重ねるごとにおれのツボにハマってくるものだから、原作でもあんな好き放題の悪ふざけをやっておるのか確認したくなり、既刊六巻を一気読みしてみた。まだ完結してない(のだが、なにやら作者体調不良のため長期休載に入ったとのこと)。

 うう~む。アニメのほうが遊びが多いが、基本的には、非常に原作に忠実であることがわかった。面白いじゃん。妾はこういうのは好きじゃ。妾は雑誌でほとんどマンガを読まぬ単行本一気買いタイプのマンガ読者なものじゃから、このような奇ッ怪なコメディーがアニメ化されるほどまでに人気を博しておったとは、神ならぬ身の知る由もなかったのじゃ。土曜のど夜中にだしぬけに威勢のいいアイドル歌謡がはじまったので、ななななにごとかとテレビを“二度見”したところ、「シリーズ構成:倉田英之」というクレジットが出たもんだから、あ、これはひょっとして妾が観なければならぬ作品かもしれぬと毎回観ているうちにハマってしまった。

 それにしても、この武梨えりという人、おれは全然知らなんだのだが、不思議な雰囲気を醸し出すマンガ家ですなあ。線が清潔で目に心地よいのもいいが、なんとも言えぬ“昭和の薫り”がぷんぷんしてくるのはどういうわけだ? この人、二十代なんだよね? なんでじゃーーー!? いやまあ、もちろん、ディテールには平成のサブカルが横溢しているのだけれども、基本、これって『ど根性ガエル』みたいなもんだよね? カエルがシャツに貼りついてしゃべりだすのと、木彫りの像に神様が降りてきて動き出すのと、べつにそう変わらん。ちょっと諸星大二郎テイスト入ってるのもいい。《栞と紙魚子》(あるいは《妖怪ハンター》)風の『ど根性ガエル』だと考えれば、なるほど納得はゆく。

 まあ、主人公のナギに性経験があったと解釈できる描写に、妙な方向に過剰な感情移入をしている一部のファンが怒り狂っているらしく、それが休載と相俟ってさまざまな憶測を呼んでいると報道されているのだが、妾にはそういう妙なファン心理はとんと理解できぬ。そもそも土着の神様なんてものは、洋の東西を問わず、ふつうバッコンバッコンやりまくっておるものじゃ。ちょっとキリスト教に毒されすぎておるのではないか? 女性として顕現した神様が処女だなどと思うておるほうがどうかしておる。むしろ、バッコンバッコンやりまくっておるからこその神様じゃ。

 なんでも、出版社の発表によれば、武梨えりは緊急に手術が必要であったほどの病状とのことで、そりゃたいへんだ。テレビアニメ化でにわかに脚光を浴びて、過度なプレッシャーがかかったのかもしれんなあ。命あっての物種だ。ふつーにマンガ作品として楽しんでいる読者は続きを楽しみにしているわけだから、ここはひとつ、じっくりゆっくり養生してから、ぼちぼち頑張ってもらいたい。ま、七巻が出るころには、アマゾンからお知らせメールが来るにちがいないのだ。それがいつになろうともね。「続きはいつ出るんだろう?」とまったりと年単位で待つのには、とくにSFファンという人種は慣れているのである。「あ、知らないうちに続きが出てた」なんてのを半年も一年も経ってから発見することも少なくないしね。

 まあ、武梨えり氏に於かれては、本が読めるほどに回復したら、若い人はたぶん知らないだろうと思うので、小松左京「歌う女」という短篇を探し出して読むことをお薦めしたい。どんな分野であれ、すべてのクリエーターにとってのほんとうのファンというのは、「あの人が歌うまでいつまでも待ちます」と言ってくれるファンなのだ。そういうファンをこそ、クリエーターは絶対に大事にしなくてはいけないと思う。たとえ、そうした結果、世俗的成功がついてこなくてもだ。そんなものがついてこなくても、クリエーターとしてのほんとうの足跡が残せるのは、そういうファンの心の中にだけである。

 武梨えりさん、お大事に。



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2008年12月13日 (土)

われながらいかがなものかと思う条件反射

 駅とか会社とかそこいらの道端とかのゴミ箱がさ、いまはもうみんな分別回収になってるじゃないすか。でもって、「ビン・缶」と書いてあるやつがありますわな。そこに瓶とか缶とかを捨てるとき、必ず頭の中で、

「♪BIN・KANルージュ ジェラシーふりかけて」

 と歌が流れるのは、満四十六歳の男としてどうよ? どうよっつっても、流れてしまうものはしようがない。ひどいときなど、口ずさみながら瓶や缶を捨ててるもんな。誰かに聞かれていないことを祈るばかりである。というか、「あ、あなたもそうですか」などと、万が一にも、異国で日本語を聞いたかのように同じくらいの歳のおやじが馴れなれしく話しかけてきたりしたら、どうしよう!? これは激しく厭だ。おれはあんたとはちがう。いや、第三者から見れば同類かもしれんが、主観的には断じてちがうんだ!



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2008年12月11日 (木)

姉妹タレントの例外

 石田ゆり子石田ひかりとでは、石田ゆり子のほうが好きである。荻野目慶子荻野目洋子なら、荻野目慶子のほうが好きである。石野真子石野陽子とくれば、やはり真子ちゃん(ってのもアレだが、おれたちの世代にとっては永遠に“ちゃん”なのだ)のほうがいい。岩崎宏美岩崎良美も、おれは岩崎宏美のほうが好みだ。安倍なつみ安倍麻美も、安倍なつみだなあ。戸川純と故・戸川京子でも、戸川純のほうが好きである。マナカナはかなり微妙だが、どうしてもどっちか選べと言われれば、マナのほうが波長が合いそうな気がなんとなくする。おすぎピーコは……ま、それはどうでもいいとして、要するにおれは、姉妹タレントが現れると、たいてい姉のほうにいささか強く好感を持つのである。べつに妹のほうが嫌いというわけではないのだが、やっぱり「どっちがいい?」と迫られると、かなりの確率で姉のほうがいい。おれが長男だからかなあ?

 しかし、だ。倖田來未misono の場合、おれはなぜか misono のほうが好きなんだなあ。おれにとっては珍しい例外姉妹なのである。不思議だ。



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歴史に残る日本語のレクチャー

 The Nobel Foundation のサイトにそろそろアップされているかなと見てみたら、ありましたなあ、益川敏英氏の Nobel Lecture"The lecture was delivered in Japanese." とわざわざ書いてある。専門的な内容はおれにはかすかにしかわからんが、しっかり三十七分観ちゃいましたね。いやあ、益川先生、英語が苦手なだけじゃなくて、日本語のレクチャーも苦手みたいなのである。原稿があるのに、あれだけつっかえるか、ふつー。しかも、内容はご自分以上に詳しいやつなど、そうそういないはずのことなのに。ほんとにこの先生、いいキャラしてますなあ。

 それはともかく、ある意味これは、日本語という言語にとって、いい宣伝だと思うのよな。このレクチャーは、おそらくフォーマットは変われど、人類が滅びるまでいろんな形で保存されることだろう。そこに日本語のレクチャーを残したというのは、歴史的快挙であろう。もっとも、レクチャーの音声を聴いているよりも、英語のPDFファイルを読んだほうがわかりやすいけれども……。ここまで頑として日本語でやるというのは、たいしたものだと思う。

 ああ、ノーベル賞を取るような学者でも英語が苦手なんだ、英語なんてやらなくても内容さえあればいいんだなどと若い人たちが誤解しないといいのだが……。“英語なんてやらなくても内容さえあればいいんだ”などと早とちりして、中学生とかが英語を学習しなくなったりすると、これはわが国の国益を著しく損ねる。それは逆に考えるべきだろう。ノーベル賞級の業績を挙げないと、世界は日本語には耳を傾けてくれないのだ。ノーベル賞を取る自信のある中学生以外は、そこそこ英語を勉強しなさい。もはや英語は、できるから得するようなものではなくて、できないと損するようなものなのだから。日本人としては、いささか癪に障るけどな。事実、そうなんだからしようがない。くそ~。いつの日か、おまえらに「あめんぼあかいな あいうえお……」と暗唱させてやるからな。いつかどこかの並行世界でな。

 そうそう、世界が日本語に振り向いてくれる分野がひとつだけある。海外のおたくたちは、日本語でアニソンを唄う。病膏肓に入るガイジンどもは、それがきっかけでマンガを“原書”で読みまくり、ほんとうに日本語をマスターしてしまったりする。英語も苦手で、ノーベル賞も取れない人たちは、「おれの母国語は、涼宮ハルヒがしゃべっている言語だ」とガイジンどもに胸を張ろう。ある特定のガイジンたちにかぎり、はは~とひれ伏してくれると思うぞ。

 ま、そういう道に進まない人は、やっぱり安全保障として英語やったほうがいいでありましょう。とくにIT関係とかは……。プロプラの時代にIT業界に入った人は英語音痴の人がめちゃめちゃ多いけど、インターネット普及以後の若い技術者はたいてい英語できるし、そもそも、できないと技術の勉強に支障来たすもんねえ。オープンソース系とかは完全にアウトでしょう。日本語のドキュメントもろくろくないことが多いしねえ。まあ、これからのデジタルネイティブの人たちは、英語ごときに怖れをなして、英語のドキュメントはこの世に存在しないかのごとき哀れなふるまいはしないよねえ――って、なんか私怨入ってないか、今日のエントリー。



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2008年12月 8日 (月)

お買い上げ御礼(2008年11月)

■2008年11月

【最も値段の高いもの】

 なんか、すげーマニアックな感じがするなあ。おれはこのグループのアルバムは聴いたことないけれども、レビューを読んでるとなんだか聴きたくなってくることはたしかである。

【最も値段の安いもの】

 な、なんか十一月は妙に渋いぞ。十年以上前に出た本をこうやってわざわざお求めになるのであるから、そのスジでは評判の高い本なのであろうか? おれは読んだことないけどさ。

【最も多く売れたもの】

 おやおや、またこれがランクインしてきたぞ。まあ、こりゃもう、おれも絶賛したし、末永く地味に売れ続けるロングセラーとなることでありましょう。生物系に進まれる若い方々は必見でありますな。

【最もケッタイなもの(主観)】

 い、いやまあ、季節柄、こういうものをお買い求めになってもまったく不思議ではないが、渋いなあ。近年、湯たんぽが見直されてきているというのは、各種メディアの情報で知ってはいたが、なーるほど、た、たしかに温かそうですなあ。

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2008年12月 4日 (木)

ご家庭ですぐはじめられる景気浮揚策

 とりあえず、「ヘソクリ」という言葉をやめて、代わりに「埋蔵金」と呼ぶことにしよう。

 日本全国の家庭でこれを励行すれば、みんななんとなく気が大きくなって、金を使いたくなる。そりゃそうだ。アクセサリーとして居間に飾ってある百科事典のあいだに埋蔵金が挟んであったり、観葉植物の鉢からビニール袋に入った埋蔵金が発掘されたり、じつは二重底にしてある冷蔵庫の野菜入れから青臭い埋蔵金が出てきたり、ミニタワーパソコンの側面蓋の内側に埋蔵金が貼り付けてあったりするのだ。気が大きくならいでか。なんかこう……ゴージャスである。

 さあ、みなさん、あなたの家の埋蔵金を探そう!

 ほんとに見つかってしまっていろいろごたごたしても、当局は一切関知しないからそのつもりで。



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2008年12月 3日 (水)

背に腹は代えられぬ進化

カメの甲羅、起源はろっ骨? 中国で最古の化石 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/1201/TKY200812010059.html

 【広州=小林哲】中国貴州省の2億2千万年前の地層から、腹側だけが甲羅で覆われた原始的なカメの化石が見つかった。全身が甲羅で覆われる進化の途上にある個体とみられ、甲羅の起源は硬くなった皮膚ではなく、発達した肋骨(ろっこつ)とする説を裏付ける有力な証拠となる。中国とカナダ、米国の研究チームが英科学誌ネイチャーに発表した。
 化石は全長約40センチ。欧州で見つかった最古のカメ化石より1千万年ほど古い。腹側の甲羅は、現代のカメと似た構造を持っているが、背中には、甲羅ができる前段階とみられる発達した肋骨などがあった。口には歯があり、背中側からみるとまるでトカゲのようだった。
 甲羅の起源には、皮膚が硬くなり骨と融合してできたとする説もあった。今回の化石の背中にはそれを裏付ける痕跡がなく、肋骨や背骨が発達して背中を覆ったとするもう一方の説が有力になった。
 化石のあった場所は、地層から海域だったことがわかっている。カナダ自然博物館の呉肖春研究員は「カメの祖先は海で進化し、泳ぐ際に下から襲われるのを防ぐため、まず腹側から甲羅が発達した」とみている。
 化石は、ラテン語で甲羅に半分覆われた歯のあるカメという意味の「オドントチェリス・セミテスタセア」と名付けられた。

 いいですなあ、「腹側だけが甲羅で覆われた原始的なカメ」かあ。なんかこう、不思議な萌え要素がある。こちらのツボを突いてくる。ぬいぐるみがあったら、かなり欲しいよな。新井素子だったら自作しそうだ。

 「カメの祖先は海で進化し、泳ぐ際に下から襲われるのを防ぐため、まず腹側から甲羅が発達した」というのは、まあ、ちょっと聞くと納得できる話ではある。つまり、最初のころは浅くしか潜れなかったんだろうな。だものだから、上から獰猛な敵が来る可能性は低く、まず腹側に盾ができた。徐々に深く潜れるようになると、上から襲われる可能性も無視できないものになり、背中側にも盾を発達させていった、という考えかたなのだろう。

 だけど、待てよ。いまのカメは、背中側の甲羅のほうが、ずっと丈夫そうではないか。それはなぜなんだろう? また、腹側にしか甲羅のない原始的なカメだって、爬虫類であるからには、海面に出て呼吸する必要がむかしからあったろう。空からの敵も大きな脅威であったはずだ。あ、そうか――2億2千万年前あたりなら、まだ翼竜も出現していない。海上に脅威になるほどの昆虫が飛んでいたとも考えにくい。空からの攻撃を想定する(って、進化に意志があるように言うのは不適切だが)必要がなかったのだ。とすると、原始的なカメは、上記記事の想像図にあるように、浅く潜って生活するということすらしていなかった可能性も残る。ことによると、荒削りな泳ぎかたで、水面に浮かんでいたのかもしれない。また、カメが背中側にも甲羅を発達させなければならなくなった主たる理由は、海中深く潜るようになったからではなく、ほんとうに翼竜が出現したからだったのかもしれない。まだまだ想像を膨らませる余地はあるなあ。

 たとえば、主に浅く潜って生活するカメの祖先は腹側から甲羅を発達させ、たまたまかなり深く潜れる能力を身につけていた別のカメの祖先は、背中側から甲羅を発達させた。あるとき両者が出会って共生をはじめ、そのうち身体を融合させていった――なーんてのは、いくらなんでもありそうにないか……。



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2008年12月 1日 (月)

今月の言葉

女王のブタがいた教室

 いいかげん、目覚めなさい! ピシィ~ッ! ピシィィイ~! 金髪は校則で禁止されているんです、このブタ野郎! ピシィ~ッ! ピシィィイ~!!

 ひ~、目覚めました目覚めました、もっと、もっとぶってぶってお姫様、じゃない、女王様ぁ~~。私はブタです、あなたのブタにございます~。あっ、ひぃい、もっと、もっと、ぶって、ぶって。ぶひ。



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