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2008年11月12日 (水)

ギリギリHEROだった日

 テレビで筑紫哲也の追悼番組をやっていて、最後のほうだけちょろっと観た(井上陽水の「最後のニュース」はよかった)。おれはあんまり筑紫哲也という人に思い入れはない。最後まで“いかにも筑紫哲也が言いそうなことを言う人”がおれにとっての筑紫哲也であり、ふり返ってみれば、“いかにも筑紫哲也が言いそうなことを言う人”とおれに思わせていたそのブレのなさこそが、その言説がしばしばおれに反感を抱かせたとはいえ、稀有なジャーナリスト魂の証左であったのだろう。合掌。

 いや、今日の日記はべつに筑紫哲也のことが書きたいのではないのだ。筑紫哲也の最期の日々を観ていて、「おれは死に際になにを思い出すことになるのだろう」と、ふと思ったのである。すると、これはどこかで書いた話だったかもしれないが、おれが紛れもなくヒーローだったあのひとときを思い出した。

 中学生のころだったか……。家族で海水浴に行った。おれは家族から離れてひとりで磯を歩きまわり、そこかしこに息づくさまざまな生きものに夢中になっていた。なんとなく、『釣りキチ三平』にでもなったような気分で(ふる~)、おれは地元の少年気取りで水中眼鏡を額にかけて、ひょいひょいと岩から岩へと跳び歩いた。

 ふと見ると、いい歳のおばちゃんと、その娘であるらしい女の子が磯にしゃがみ込んでいた。なにか珍しい生きものでもいるのだろうかと近づいてみると、女の子が小さなカニに指を挟まれてベソをかいていた。おばちゃんは困ったようすだ。どうやらカニが少女の指を放さず困り果てているらしい。おばちゃんはカニの胴体を掴んでこわごわ引っぱったりしているが、女の子が痛がるので無理に強く引っぱるわけにもいかず、おろおろしている。

 ああ、そりゃダメだ――と思うが早いか、おれは水中眼鏡で海水を掬うと、女の子の手を取って、カニを驚かさないように、そっと水中眼鏡の即席水槽に浸し、カニの腹をガラスにぴったり着けた。するとカニは、なにごともなかったかのように、女の子の指を放して、水中を横歩きして離れた。よくサワガニを取って遊んでいたおれは、カニというのはそういうものだという、カニの身になった感覚(?)を経験的に知っていたのだ。海のカニだって、きっと同じようなもんだろう、と。そのとおりだった。

 どこの誰とも知らぬ母娘にえらく感謝されたが、おれはなんだか照れくさかったので、「こんなことは日常茶飯事さ」と言わんばかりの無関心を装い、“海の少年”ぶって、ぶっきらぼうに彼女らをあとにした。内心、自分の機転が図に当たり、なんだかすごくいいことをしたかのようで、彼女らに背を向けて磯を去ってゆくおれの口元には、ひとりでに笑みが浮かんでいたように思う。

 おれはこの歳になっても、なぜかだしぬけに、あの夏の午後を思い出したりする。おれはたしかにあのときヒーローだった。そりゃまあ、その後も、人に喜ばれたり感謝されたりしたことがないではない。だが、あのときほど、自分に素直にヒーローになれたことは、後にも先にもないと思えるのだ。きっと誰もが、少年の日、少女の日に、“ギリギリHERO”だった瞬間があるのだろう。

 そして、おれの命が尽きようとするとき、薄れゆく意識の中できっと思い出すのは、カニに挟まれた女の子を助けたということにちがいないとおれには思えるのだ。そんな思い出がひとつでもあれば、心から微笑んで死んでゆけそうな気がする。

 ちょっと思い出してみませんか? あなたがちっぽけなヒーローだった瞬間――それはどんなにちっぽけでも、あなたの宝物なのである。



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冬樹蛉さんの日記「ギリギリHEROだった日」を読んで、私にも何かプチヒーローっぽ [続きを読む]

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