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2008年11月の20件の記事

2008年11月30日 (日)

夜中に発作に襲われた

 激しくどうでもいい話なんだけどさ、夜中に突然「きゅうりのキューちゃん」が食べたくなることってありませんかいやある絶対あるないわけがあるか。

 米なんて要らない。とにかく、きゅうりのキューちゃんだけが食べたくなるのである。べつにおれは東海漬物の回し者ではない。また、通常の精神状態のときには、おれはとくにきゅうりのキューちゃんを好物に挙げたりしない。しかし、一年に一、二回くらいは、きゅうりのキューちゃん発作が起こることはたしかなのである。

 だものだから、「もしかしたら発作が起こるかもしれない」という、えも言われぬ予感のようなものを覚えるときには、念のためにきゅうりのキューちゃんを買っておく。きゅうりのキューちゃんの賞味期限は、二か月とちょっとくらいだ。このあいだに発作が起きなければ、もったいないので食べたくもないきゅうりのキューちゃんを食べなければならない。それはなんだか、とてもとてもくやしい。であるからして、おれが決然と満を持してきゅうりのキューちゃんを買うときには、おのれの予感が二か月以内に当たるものかどうか不安に戦きつつも、予感が当たったときの至福を早くも想像し陶然となる。

 予感は当たった。いまおれは、夜中にきゅうりのキューちゃんをぱりぽりぺりぱりと食っている。きゅうりのキューちゃんだけを食っている。おれはいま、しあわせだ。ホッケの煮物などという世にも珍しいものを食っている麻生首相にはたぶん一生わからぬ、庶民のしあわせである。

 ああ、きゅうりのキューちゃんが猛烈に食べたいときのきゅうりのキューちゃんほどうまいものがあろうか! このしあわせは、おれの愛国心のかなりの部分を占めるにちがいない。日本に生まれてよかったー!



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2008年11月28日 (金)

これはやっぱり詐欺は詐欺だよなあ

「10万振り込んで」…詐欺じゃなくて息子の無心 長崎 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1126/SEB200811260017.html

 長崎県南島原市の女性(69)に、県外に住む息子を名乗る男性から「滞納した10万円を払わないと逮捕されるかも。口座に振り込んで」という電話が入った。
 女性は不審に思い、長崎署に相談。助言に従って息子(34)に電話で確認したところ、本人が金に困って、振り込め詐欺に便乗したうそをついたと認めたという。
 実害がなかったとは言え、振り込め詐欺被害急増を反映した騒動に、平井隆副署長は「まさか本人までが」と苦笑い。「正直に事情を話してお金を借りれば良いのに」

 こりゃもう、マンガとしか言いようがないわなあ……。

  「あ、おれおれ。テツヤ。じつは、滞納した5億円を払わないと逮捕されるかも。口座に振り込んで」
  「コラ! テツヤ、何ばあんたしようとかいな、あんた。はようあんた、警察へ行ってこんね、あんた」

 ピザやらハンバーガーやらばっか食べおるて、どげん贅沢しよるとか。自炊せんね、自炊。

 ♪今も聞こえる あのおふくろの声~



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2008年11月26日 (水)

文字どおり

火が出る消防車? トヨタが923台リコール (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1126/TKY200811260283.html

 エンジンを温めるヒーターから発火のおそれがあるとして、トヨタは26日、消防車「ダイナ200」923台(88年10月~99年4月製造)のリコール(回収・無償修理)を国土交通省に届け出た。
 問題があったのは、寒い日でもすぐにエンジンがかかるようにするためのヒーター。駐車時に一般のコンセントプラグにコードをつないで温める仕組みだ。ヒーターの端子につけるキャップの耐熱性が不足し、長く使うと劣化し、発熱や発火のおそれがあるという。昨年12月に山梨県内で、焦げて異臭がする事案があった。火災やけが人の報告は現段階ではないという。
 トヨタはダイレクトメールなどで所有者に通知し、27日から交換を始める。

 いやまあ、笑いごっちゃないけど、やっぱり笑っちゃうよね。以前あった「米国製の放射線防護エプロンに使われていた鉛から放射線が検出され、輸入業者が自主回収」した事件に匹敵するおかしさがある。

 これがホントの fire engine だ。英語のほうが断然面白いよ、このニュースは。



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全世界、失禁。

 ……って映画のコピーを思いついたのだが、いったいそれがどのような映画であるべきか、考え出すと悩んでしまう(もっとましなことで悩めんのか?)。大小便が我慢できなくなる奇病が流行るといった程度では面白くないしなあ。

 まあ、なんにせよ、この映画に木村佳乃が出演するというのであれば、なんかすげー邪な期待を胸に、おれはきっと観にいきそうな気がする。



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2008年11月23日 (日)

これで納得できるほうがおかしいよなあ

小泉容疑者、2つの事件への関与を認める 元次官宅襲撃 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1123/TKY200811230175.html

 元厚生事務次官宅が相次いで襲撃され計3人が死傷した事件で、「事務次官を殺した」と22日夜、警視庁に出頭したさいたま市北区東大成町2丁目、無職小泉毅(たけし)容疑者(46)を、同庁は銃刀法違反容疑で23日未明に逮捕したと発表した。二つの襲撃について関与を認めているという。同庁は同日、東京都中野区の吉原健二さん(76)の妻靖子さん(72)に対する殺人未遂容疑で小泉容疑者の自宅アパートなどを家宅捜索や検証した。
 同庁と埼玉県警は、サバイバルナイフなどに付着した血液のDNA鑑定などを進め、物証が整って容疑が固まれば、靖子さんに対する殺人未遂か、さいたま市の山口剛彦さん(66)、妻美知子さん(61)に対する殺人のいずれかの容疑で再逮捕する方針だ。
 元次官宅襲撃について小泉容疑者は調べの中で「以前、保健所でペットを殺されたことに腹が立った」などと話したという。父親によると、小泉容疑者が小学生の時に、家に来る茶色い野良犬を飼うようになったが、自宅で営んでいた駄菓子屋の客や周囲の人によくほえるため、保健所に処分してもらった。小泉容疑者には相談しなかったという。

「事実なら理不尽」被害者の知人、元次官襲撃動機に怒り (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1123/TKY200811230164.html

 小泉容疑者は元厚生事務次官宅を相次いで襲った動機について、子どものころに飼っていたペットが保健所に処分されたことをあげた。思いも寄らない内容に、被害者を知る人たちは「理由は別にあるのでは」「むなしい」と言った。
 殺害された山口剛彦さんが厚生省で官房長だったとき、厚生事務次官だった多田宏さん(69)は、容疑者逮捕の知らせに安心できなかった。「ずっと前にペットを処分されたことが殺害の理由だと言っているようだが、そんなことで人を殺せるわけがない。理由は別のところにあるのではないか。捜査が進まないと、家族も私も、不安な気持ちのままだ」と話した。

 なんだかなー、じつに不可解な話ではあるよね。わけわからんよ。

 先日、テレビのニュースを観ていたら、誰かが「犯人は年金行政に不満のある者ではないか」みたいなことをほざいたので、おれはのたうちまわって大爆笑してしまいましたわさ。公務員を除く日本国民に、年金行政に不満のないやつなんかいるものか。誰でもいちばんに考えるような単純なこと、だからこそ、どこかの誰かのミスリーディングかもしれないようなことを、さも重要なニュースであるかのようにほざいてどうする、マスコミよ?

 仮におれが“年金テロ”を行なうとしたら、とっくに“逃げ切った”爺さんたちを襲うよりも、“ちょっと前から現職に至るまでの事務次官どもと、その形式上の上司であった政治家ども”を襲うことだろう。そのほうが、現職の政治家や国家公務員の連中に、「国の禄を食んで権力と厚遇を与えられるということには、当然、このような逆恨みを受けるリスクも織り込まれているのだ」というあたりまえのことを改めて認識させる刺激になるであろうし、逆に言うと、それが怖いような人は政治家や国家公務員になるべきではないとおれは思うからである。世の中、どんな歪んだ怨みを持つやつがいるかはわからない。ましてや、正当な怨みとなればなおさらだ。べつに、命に危険が及ぶやもしれぬ公職は、自衛官だけではないのだ。

 むろん、このようなテロはけっして許されるべきことではない。だが、職と厚遇にくっついてくるリスクは、やはり、エリートとしては覚悟すべきだろう。それが真のエリートというものだ。テロはいかんという話と、エリート(と、その周辺にいて恩恵を受ける人々)はテロも覚悟しておかねばならんという心構えの話とは、別問題である。「無関係の奥さんを襲ったのは許せん」という論調もあるようだが、それはちょっとちがうだろうとおれは思うね。許せんことは許せんのだが、あくまで覚悟の問題としては、坂本竜馬に添うなら、やはり奥さんもおりょうくらいの覚悟は当然持っているとおれは推測する。え? おれ? おれはそんな覚悟などとても持てないから、逆立ちしても政治家や公務員にはなれません、ハイ。というか、たとえ能力的になれたとしても、そういう覚悟がなければなってはいかんと思う。

 それにしても、この“自称犯人”、胡散臭いことおびただしいよなあ。おれはこいつが現れたとき、いちばんに、オウム真理教の村井をマスコミの目の前で殺害した、あの徐という男のことを連想した。あいつはたしかに実行犯にはちがいないが、あいつを操っていたやつがどこかにいることは、(法的に証明できないとはしても)誰もが確信しているだろう。今回の小泉というやつも、徐と同じ臭いがしますなあ。きっと、どこかでかんらからからと哄笑しているやつがいるのにちがいない。それは、殺害された元事務次官に、この期に及んでおかしなことを口走られては困るような誰かなのかもしれん。大勢の人がそう思っていることではあろうが、まあ、おれの言っていることは、あくまでファンタジー((C)北芝健)ですから、どこかでかんらからからと哄笑している人は、ヘンな鉄砲玉をおれみたいな善良な雑魚に差し向けないように。



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2008年11月19日 (水)

『Apple iPod nano 16GB ブラック』(アップルコンピュータ)

 なんてことだ。スティーブ・ジョブズの軍門に下ってまだ半年にもならないというのに、もう次世代機に移行しちゃいましたよ。

 いやですね、第四世代の iPod nano がそんなにいいかというと、まあべつに、機能的には第三世代とめちゃくちゃ異なるわけでもない。おれはゲームをしないので、加速度センサーを内蔵していてもあんまりありがたみはない。せいぜい、ビデオを観るときに右倒しにしても左倒しにしても不自由がないという程度のありがたみである。シャカシャカと振ると“シャフル”モードになるなんてのは、たしかに直感的な面白いインタフェースだが、だからといって、絶対ないと困るというほどの機能ではない。

 今回第四世代に手を出しちゃったのは、第三世代が気に入らないからでも、第四世代が激しく魅力的だからでもなく、ただ単に、以前に買った8GBでは不便になってきたからである。で、どうせ16GBにするなら、第四世代にするか、というわけなのだ。

 最初は8GBもあったら充分じゅうぶんと思っていたのだが、音楽に割く容量よりも、ポッドキャストに割く容量が俄然増えてきた。半端な細切れの空き時間に便利なのよなあ、ポッドキャストって。とくに歩いている時間などは、まったくもってもったいないものだから、iPod に屈してからというもの、とりあえず入れておくポッドキャストがぐんぐん膨れ上がってきたのである。まあなんと申しますか、娯楽にもお勉強にも、ボッドキャストってのは最高ですなあ。

 こんなものが生まれたときからあるようなこれからの若い世代は、英語はもちろん、中国語だろうが朝鮮語だろうがドイツ語だろうがフランス語だろうが、ぜんぜん怖くないだろう。聴ききれないほどのナマの教材がいくらでもタダで手に入る。古の英語学習者たちは、夜更かしをしてしまったときなど、NHKのラジオ英会話を聴き逃すのが怖くて朝まで起きていたなどというが、そんな話など、いまの若者にとっては、700系「のぞみ」の窓から弥次喜多道中を眺めているかのようにピンと来ないことであろう。二十一世紀ですなあ。

 といわけで、16GBあれば、まあ、おれのライフスタイルには充分である。だいたい、充電一回で聴ききれない、観きれないほどの音楽やポッドキャストを持ち歩いてもしようがないではないかというのが、おれの正直な感想だ。そりゃまあ、80GBも120GBもあるような iPod classic もそれはそれで別種の魅力があるのかもしれないが、どうもおれは物理的稼動部を持つハードディスクなどという機器を懐に入れて持ち歩く気にはあまりなれないのである。しょっちゅう長期の旅行をするような人なら便利だとは思うけどね。通勤通学の友には、シリコンメモリの8GB、16GBあたりがお手ごろじゃなかろうか。衝撃にも強いし。


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2008年11月18日 (火)

あたしだけ~?

 最近、『七瀬ふたたび』がまたドラマ化されているので、やっぱり観てしまうおれなのであった。七瀬役の蓮佛美沙子は若いころの知世ちゃんみたいで非常にいいのだが、あまりにあまりな低予算にはらほろひれはれとなることもしばしばである。

 それはそうと、『七瀬ふたたび』のせいで、近ごろ、SFファンには基本中の基本、誰もが少年少女時代に思いを馳せたテレパスというものについて、なにやらよしなしごとを考えてみたりしているわけだ。初心に還るとでも申しましょうか。

 思い返してみると、若いころには、マジで、じつは自分以外はみんなテレパスなんじゃないかという妄想に捉われることがあった。なんか、自分だけが、世間の人がそれに従って動いている暗黙の規範が理解できない異人であるかのように感じられることがしばしばあり、ひょっとしたら、世間の人はみんなテレパシーで会話しているんじゃないか、そうだ、そうにちがいない――みたいな荒唐無稽な実感が、ふと真実であるかのように思われることが少なからずあったのである。たぶん、こんな日記をご愛読くださっているみなさんの中には、そういう人も多いと思う(どういう読者層を想定してるんだよ?)。要はまあ、それが若いということのすばらしさでもあり、滑稽さでもあったのだろうけれども。

 しかし、考えてみれば、世間の人がみなテレパスであった場合、それはおれだけが『サトラレ』であるのと同じなのではあるまいか。というか、そもそも『サトラレ』の着想自体が、若いころのおれが抱いていたような妄想から得られたものなのではないかと思うのだよな。

 だが、世間の人がみなテレパスである場合と、おれだけがサトラレである場合とでは、同じように見えて、微妙にちがう。世間の人がみなテレパスであった場合は、世間の人同士で心内会話が可能なのに対し、おれだけがサトラレであった場合は、世間の人はおれ“だけ”の心が読めるのであって、世間の人同士でテレパシーで会話したりはできないのだ。これって、どっちが悲惨かなあ? やっぱり世間の人がみなテレパスである場合のほうが、疎外感が大きいような気はするな。

 ここまで読んだあなたにお願いなのだが、もし、ほんとうにおれ以外の人は全員テレパスなのだとしたら、ほんとうのことをおれには教えないでほしい。あなたたちだけで楽しんでいただくのはいっこうにかまわないが、おれにだけは真実を明かさないでいただきたい。「ひょっとしたら……」と思っていることが、ホントにほんとうだったときのショックは大きいのだ。



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2008年11月16日 (日)

人間の倫理とロボットの論理

人間の倫理は非理性的か:「トロッコ問題」が示すパラドックス (WIRED VISION)
http://wiredvision.jp/news/200811/2008111121.html

ある状況下では、1人を犠牲にしてたくさんの人の命を救うことは全く正しいことに思える。一方で、同様の命の救い方が、良心に欠けると感じられる状況もある。道徳観念において、われわれの考え方は思ったほど理性的ではないのかもしれない。
「興味深いのは、一貫性に欠けていることだ」とハーバード大学の社会心理学者Mahzarin Banaji氏は言う。「われわれは突如としてカント主義的になる場合がある」
このパラドックスを何より明確に示すのが、「トロッコ問題」(トロリー問題)という古典的な思考実験だ。
5人が線路上で動けない状態にあり、そこにトロッコが向かっていると想像してほしい。あなたはポイントを切り替えてトロッコを側線に引き込み、その5人の命を救う、という方法を選択できる。ただしその場合は、切り替えた側線上で1人がトロッコにひかれてしまう。
多くの人は遺憾ながらもこの選択肢をとるだろう。死ぬのは5人より1人の方がましだと考えて。
しかし、状況を少し変化させてみよう。あなたは橋の上で見知らぬ人の横に立ち、トロッコが5人の方に向かっていくのを見ている。トロッコを止める方法は、隣の見知らぬ人を橋の上から線路へ突き落とし、トロッコの進路を阻むことしかない。[この問題は「The fat man」と呼ばれるもので、Judith Jarvis Thomsonが提案したトロッコ問題のバリエーション]
この選択肢を示されると大抵の人はこれを拒否する、とBanaji氏は述べた。カリフォルニア州パロアルトで10月26日(米国時間)に行なわれた、全米サイエンス・ライティング振興協議会(CASW)の会議でのことだ。[Time誌の記事によると、「5人を救うためでも線路に落とさない」と回答するのは85%にのぼる]
われわれは、1人をトロッコの前に突き落とすことと、トロッコを1人の方へ向かわせることとは、何かが異なるようだと直観的に感じる。しかし、なぜそう感じるのかは、社会心理学でも神経科学でも哲学でも、いまだ解明できていない。

 ウェブで話題になっているらしいので読んでみたが、なるほど、これは人間としては判断に苦しむところだなあ。おれがかんべむさしの名作を踏まえて呼ぶところの“『サイコロ特攻隊』的論理”に似ている。

 見知らぬ人を突き落とさねばならないかもしれぬ後者のシチュエーションであれば、誰でも思いつくであろうもうひとつの答えがある。すなわち、自分が飛び降りてトロッコを阻むという選択肢だ。

 ロボット工学三原則に照らすとすれば、後者のシチュエーションでは、ロボットはまちがいなく自分が飛び降りるだろう。人間であっても、他人一人を突き落として他人五人を救うなんてことをするくらいであれば、自分が犠牲になったほうがましであると考える人も、少なからずいるだろうと思う。いざそういう状況に置かれたとして、自分にそれを実行できる勇気が持てるかどうかは別にしてね。あくまで思考実験としてなら、そういう選択肢を取りたいそういう自分でありたいと望む人は少なくないだろう。おれも、他人を突き落として「あれが論理的な判断でした」とあとからほざくくらいなら、咄嗟に自分が飛び降りるかもしれん。というか、飛び降りたい。だが、おれにはなにもできず、あたふたしているうちに、五人がトロッコの下敷きになるのを結果的に看過してしまうかもしれん。まあ、その可能性がいちばん高いだろうな。

 どうやらおれは、人間であるよりもロボットであったほうが、人間的に倫理的な行動ができそうだ。“トロッコ繋がり”というわけでもないが、「人間的な、余りに人間的なものは大抵は確かに動物的である」という芥川龍之介のアフォリズム(『侏儒の言葉』)に倣えば、「ロボット的な、余りにロボット的なものは大抵は確かに人間的」なのかもしれない。



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2008年11月15日 (土)

最もよく聴いている曲

 mixi ミュージックが捕捉しているおれがパソコンで聴いた曲は、目下、26183曲であるが、mixi ミュージックなんてものができたのは、ごく最近のことだ。はたして、おれがほんとうに最も多く聴いている曲はなんであろうか……と、ふと考えてみたところが、明解な答えに思い当たった。

 これはおれだけではないかもしれない。とくに関西人は、おれと同じように頻繁に聴いているはずなのである。二十年にわたって、ほぼ毎週聴いている人も少なくないであろう。

 そう、『ハートスランプ二人ぼっち』である。オリジナルとはちがうテレビバージョンではあっても、あのイントロを耳にするや否や、どこにいてもなにをしてても、突如、金曜日の深夜であるかのように錯覚する関西人は、百万人や二百万人では利かんのではないかと思う。全曲ではないにしても、きっと、部分的にはおれが人生で最も多く聴いている曲ではないかと思う。『笑点』のテーマ曲とどっちが多いか、もはやわからんくらいだ。おれは『笑点』をそんなに観てないから、きっと『ハートスランプ二人ぼっち』のほうが多いだろう。

 さあ、今夜もご一緒に、複雑な現代社会に鋭いメスを入れ、さまざまな謎や疑問を徹底的に究明しよう! ♪チャッ、チャッ、チャラっ!! ベッドのまわりに~、なにもかも脱ぎ散らして~……



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2008年11月14日 (金)

検索語にウケた

 おなじみ、《ヘンな検索語》である。今日のは、わからない人にはさっぱりわからないぞ――

「冬樹 受」

 カタギの方々は、おれのペンネームを検索しようとした人が誤入力したのかな……などと思うだろうが、これは絶対そうではない。どこかの腐女子の方が、『ケロロ軍曹』にインスパイアされた“ある種の二次創作”を求めて検索しているのにちがいない。

 えーと、おれもそっち方面の人々と親交がないわけではないが、残念ながら、このブログにはその種のコンテンツはないのであります。



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実際に、メーテルそのものなんて女性がおったら気色悪いわけだが……

ミス銀河鉄道999が決定 原作者も認定したメーテルは… (asahi.com)
http://www.asahi.com/showbiz/manga/TKY200811130087.html

 松本零士さんのマンガ「銀河鉄道999」に登場するミステリアスな女性キャラクター、メーテル。実在するとしたら、どんな女性なのか…。アニメ専門チャンネル「アニマックス」では、「私こそはメーテル」という女性を自薦・他薦で募集する「ミス銀河鉄道999~あなたの選ぶメーテル~」コンテストを催し、女優の藤岡麻美さん(26)が選ばれたと発表した。藤岡さんは、女性アイドルグループ「チェキッ娘」のメンバーとして活動したほか、テレビドラマや舞台でも活躍している。
 コンテストは同チャンネルでアニメの銀河鉄道999を放映することを記念して催され、9月の応募期間には216名の応募があった。同社での一次審査、WEBサイトでの一般投票などを経て、原作者の松本零士さんを交えた最終審査会で、藤岡さんはメーテルの絵が入った直筆サインが贈られ、告知のCMに登場する。

 う~む、び、ビミョーだなあ。このコがメーテルかあ? まあ、そう言われればそのように見えんこともないし、あえて強く異を唱える根拠もないのであるが、なんか雰囲気ちがうよなあ。もうちょっとこの、“しゅっとした”感じで、華奢だけどめっぽう強くて、魔性の女のようであり少女のようであり母のようでもある……って、まあ、現実にそんな女性はそうそうおらんからこそ、架空のキャラなんでしょうけれども。真行寺君枝がもっと若かったら、おれは投票したかもしれんが……。

 藤岡麻美ってコを知らなかったので調べてみると、あらら、このコもチェキッ娘だったのか。といっても、関西の人間は、ほとんどチェキッ娘を知らんと思う。おれがなぜ知っているかというと、いまやアニメ(カバー)歌手として押しも押されぬ下川みくにや、おなじみ“ガケっぷちアイドル”でプロ雀士のくまきりあさ美(旧・熊切あさ美)がいたユニットとして、あとから歴史として知ったわけだ。

 チェキッ娘ってのは“平成のおニャン子クラブ”というコンセプトだったわりには、結果的に、あまりに影が薄い。だが、好きな人はなにやら妙に好きらしい。円谷プロになぞらえれば(なぜ、そこになぞらえる?)、『キャプテンウルトラ』とか『怪奇大作戦』みたいなものだろう。

 つまるところ、おニャン子クラブとAKB48を繋ぐ中途半端な時期のあだ花が、チェキッ娘だったってことなんだろう。それでも、いまになっても、出身者の名前をそこかしこでちらほらと目にするというのは、たいしたもんだと思う。ま、多少、時代が味方してくれない時期にデビューしても、実力と執念のある人は残るということか。いやまあ、なにを隠そう、おれは下川みくに、大好きだけどね。

 次は、“ミス・クイーン・エメラルダス”とかやりませんか? ちょっと、すぐ思い当たる人はいないけどなあ。



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2008年11月13日 (木)

田母神氏に退職金は支払うべきだよ

「田母神前空幕長に退職金自主返納求める」防衛相、意見を表明 (MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081107/plc0811070010001-n1.htm

 浜田靖一防衛相は6日の参院外交防衛委員会で、政府見解と異なる歴史認識を含む論文を公表し航空幕僚長を更迭された田(た)母(も)神(がみ)俊雄元空将(60)=3日付で定年退職=に対し、退職金の自主返納を求める考えを示した。田母神氏には5000万円前後の退職金が支払われるとみられることから、与党から「多額の退職金をこのまま渡していいのか」(北側一雄公明党幹事長)などと支払い停止を求める声が上がっていた。浜田氏もこうした公明党など与党の意向に配慮して、自主返納を求める意見を表明した格好だ。
 公務員の退職金は国家公務員退職手当法で本人が辞退しない限り支払われることが決まっている。だが、浜田氏は委員会で「今回の事案の重大性を考えれば、自主返納という本人の判断を待ちたい」と語った。
 公務員の退職金は懲戒免職となった場合、支払われない。また、在職中に懲戒処分を受けた場合に減額されるケースがある。
 防衛省関係者によると、田母神氏は定年退職の発令に先立ち、同省に「懲戒処分に当たるのかどうか徹底的に議論したい」と申し入れ、懲戒処分の是非を決めるため処分対象者の意見を聞く「審理」の場で、論文の記述内容などについて争う姿勢をみせていた。

 先日から問題になっている田母神論文問題だが、浜田防衛相はなにを寝ぼけたことを言っているのか。あんたがたが懲戒処分にしなかったんだから、面従腹背だろうがなんだろうが、ちゃんと勤め上げた田母神氏には退職金を支払うべきである。退職金返納を云々されるのは、任命権者のほうだ。自民党も公明党もアホか。おまえら文民がボンクラだから、こうやって増長した制服どもにナメられるのである。

 おれは田母神氏の論文とやらを全文読んでいないが、報道されているとおりの内容だとしたら、なにをいまさらたわごとをほざいているのかと思う。しかし、彼は彼で、歪んでいようがなんだろうが、彼の信ずるところを言論で表明しているだけのことである。

 聞けば、彼が以前からそのような思想を持っていることは周知の事実であるそうではないか。だとすれば、それが彼の立場でどういう意味を持つのかということをちゃんと認識し、然るべき処分をしなかった文民どもがボンクラなだけだ。おれは田母神氏の思想にはまったく共感できないが、彼が退職金を受け取ることにはなんの異論もない。日本は法治国家だからな。

 しかし、田母神氏もあんまり褒められたもんじゃない。そんなふうに思いつつ面従腹背を続け空自のトップにまで昇りつめるというのは、サムライとして潔くないのではないか? 退職金が欲しかったからだとしか思われない。あなたがほんとうのサムライならば、とっとと自衛隊を辞めて、そのような言論活動を以て、世間に自分の思想をぶつけるのが本筋であったはずだ。退職ギリギリになって、鬱憤を晴らすかのように開き直るのは、サムライらしくない。あんたも卑しい。

 それにしても、文民がナメられているからこそ、こういうことになるのだ。しっかりしろ、自公! あんたら、最高司令官として命を投げ出す覚悟があるのか? 文民だからこそ、そういう覚悟は持つべきだ。でないと、ああいう“自分たちこそが国を愛し守っている”と勘ちがいしている増長した連中にナメられるばかりだぞ。



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2008年11月12日 (水)

ギリギリHEROだった日

 テレビで筑紫哲也の追悼番組をやっていて、最後のほうだけちょろっと観た(井上陽水の「最後のニュース」はよかった)。おれはあんまり筑紫哲也という人に思い入れはない。最後まで“いかにも筑紫哲也が言いそうなことを言う人”がおれにとっての筑紫哲也であり、ふり返ってみれば、“いかにも筑紫哲也が言いそうなことを言う人”とおれに思わせていたそのブレのなさこそが、その言説がしばしばおれに反感を抱かせたとはいえ、稀有なジャーナリスト魂の証左であったのだろう。合掌。

 いや、今日の日記はべつに筑紫哲也のことが書きたいのではないのだ。筑紫哲也の最期の日々を観ていて、「おれは死に際になにを思い出すことになるのだろう」と、ふと思ったのである。すると、これはどこかで書いた話だったかもしれないが、おれが紛れもなくヒーローだったあのひとときを思い出した。

 中学生のころだったか……。家族で海水浴に行った。おれは家族から離れてひとりで磯を歩きまわり、そこかしこに息づくさまざまな生きものに夢中になっていた。なんとなく、『釣りキチ三平』にでもなったような気分で(ふる~)、おれは地元の少年気取りで水中眼鏡を額にかけて、ひょいひょいと岩から岩へと跳び歩いた。

 ふと見ると、いい歳のおばちゃんと、その娘であるらしい女の子が磯にしゃがみ込んでいた。なにか珍しい生きものでもいるのだろうかと近づいてみると、女の子が小さなカニに指を挟まれてベソをかいていた。おばちゃんは困ったようすだ。どうやらカニが少女の指を放さず困り果てているらしい。おばちゃんはカニの胴体を掴んでこわごわ引っぱったりしているが、女の子が痛がるので無理に強く引っぱるわけにもいかず、おろおろしている。

 ああ、そりゃダメだ――と思うが早いか、おれは水中眼鏡で海水を掬うと、女の子の手を取って、カニを驚かさないように、そっと水中眼鏡の即席水槽に浸し、カニの腹をガラスにぴったり着けた。するとカニは、なにごともなかったかのように、女の子の指を放して、水中を横歩きして離れた。よくサワガニを取って遊んでいたおれは、カニというのはそういうものだという、カニの身になった感覚(?)を経験的に知っていたのだ。海のカニだって、きっと同じようなもんだろう、と。そのとおりだった。

 どこの誰とも知らぬ母娘にえらく感謝されたが、おれはなんだか照れくさかったので、「こんなことは日常茶飯事さ」と言わんばかりの無関心を装い、“海の少年”ぶって、ぶっきらぼうに彼女らをあとにした。内心、自分の機転が図に当たり、なんだかすごくいいことをしたかのようで、彼女らに背を向けて磯を去ってゆくおれの口元には、ひとりでに笑みが浮かんでいたように思う。

 おれはこの歳になっても、なぜかだしぬけに、あの夏の午後を思い出したりする。おれはたしかにあのときヒーローだった。そりゃまあ、その後も、人に喜ばれたり感謝されたりしたことがないではない。だが、あのときほど、自分に素直にヒーローになれたことは、後にも先にもないと思えるのだ。きっと誰もが、少年の日、少女の日に、“ギリギリHERO”だった瞬間があるのだろう。

 そして、おれの命が尽きようとするとき、薄れゆく意識の中できっと思い出すのは、カニに挟まれた女の子を助けたということにちがいないとおれには思えるのだ。そんな思い出がひとつでもあれば、心から微笑んで死んでゆけそうな気がする。

 ちょっと思い出してみませんか? あなたがちっぽけなヒーローだった瞬間――それはどんなにちっぽけでも、あなたの宝物なのである。



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2008年11月11日 (火)

流行語大賞候補に“金髪豚野郎”のライバル登場

「村山談話をフシュウ?」、首相誤読 議事録は「踏襲」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/1110/TKY200811100225.html

 麻生首相が国会で、戦争責任に関する過去の政府談話を「ふしゅう」する、という答弁を重ねている。参院事務局は「受け継ぐ」という意味の「踏襲(とうしゅう)」のことだと判断して議事録に載せているが、誤読続きに「秘書官が首相に指摘するべきだ」との声も出ている。
 首相は7日の参院本会議で田母神(たもがみ)俊雄・前空幕長の懸賞論文問題に絡んで歴史認識を問われ、アジア諸国へのおわびと反省を表明した95年の村山首相談話を「ふしゅう」すると答弁。10月15日の参院予算委員会でも、慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた93年の河野官房長官談話を「ふしゅう」する、と答えた。
 参院事務局によると、首相は外相だった昨年も、河野談話を「ふしゅう」と答弁。外務省に問い合わせて「踏襲」の意味だと確認したことがあるため、10月15日の答弁は議事録に「踏襲」と載せた。7日の答弁も内閣総務官室に確認すると「踏襲」だと即答があり、10日配布の議事録速報版で「踏襲」と直した。(藤田直央)

 それはたぶんアレじゃないの、アキバ票を獲得したいがために、“ガイシュツ”みたいな感じで、意図的に“2ちゃんねる用語”を使ったつもりだったんじゃないの?

 もし、ガチでまちがっているんなら、たぶんマンガばっかり読んでるからかもしれん。いや、もちろん、現代の教養人たる者、マンガちゃんと読まなくちゃいかんが、ばっかりはいかんと思うのよな、おれは。



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2008年11月10日 (月)

いちいち社会に認めてもらおうと思うな

人間の女性には興味がない!? 「キャラクターと結婚認めて」署名活動 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/11/08029977.html

アニメやゲームの「二次元キャラクター」との結婚を法的に認めて欲しい――。そんな署名活動がネットで始まっている。好きなキャラクターを「オレの嫁」と表現するファンがいるが、それどころか今度は実際に結婚してしまおうというものだ。もちろん実際の結婚とは別物だが、「法律ができたとしてもキャラの作者が結婚を許可するのか」などという問題や、「オレの嫁に手出すんじゃねーぞ」といった「奪い合い」がネット上で激しくなるのでは、といった話題で盛り上がっている。
「まともに話してくれそうな女の子と言ったら二次元」
この署名活動はオンライン署名サイト「署名TV」で2008年10月22日から始まった。企画者は100万人の署名を集めて、日本政府に認めさせたいとしている。書名を呼び掛ける文には、
「もはや、僕たちは三次元 (人間の女性)には興味がない」
と書かれている。しかし二次元の世界の住人になるのは無理なため、
「せめて二次元キャラとの結婚を法的に認めてもらうことはできないでしょうか?」
となっている。この法案が実現したらならば、企画者は人気アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」に登場するキャラ「朝比奈みくる」と結婚する予定なのだそうだ。

 うう~む。いやまあ、おれもまんざら二次元は嫌いじゃないし、二次元の女性にリアルな性的欲望を感じることもないではないのだが、二次元キャラと“結婚”したいと言っている連中がなにを考えているのか、まったく理解できないよ。

 そもそも自分の性向があんまり社会的じゃない場合(“反社会的”というのとはちがうのだ)、べつに社会から認めてもらう必要なんてないじゃないか。密かに楽しめばよいだけ、あるいは、迫害されても堂々とわが道をゆけばよいだけの話である。たとえば、しゃもじが好きで好きでたまらず、中でも、この特定のしゃもじがないとおれは生きてゆけない――からといって、しゃもじとの結婚を社会に認めさせる必要などないのではなかろうか?

 だいたい、“結婚”ってのは社会的な行為だ。あんまり社会と関わりたくない人、自分の社会的な位置づけなどまったく気にならない人たちは、三次元の異性あるいは同性とであっても、結婚などというまどろこしい手続きを取る必要などない。ただ、一緒に暮らしはじめればよいだけの話である。“結婚”したいなどと言っている時点で、たまたま社会的でないおのれの性向を社会に認めてもらいたいと思っているわけで、潔くない。甘ったれている。「おれはしゃもじが好きなんだ~!」と叫んで、狭量な社会からヘンな目で見られることを甘んじて受け容れればよいだけの話である。

 二次元キャラとの結婚を認めてほしいなどと運動をするのは、時間の無駄以外のなにものでもあるまい。勝手に結婚して、恬としていればよろしい。なにをわざわざ社会などという狭量なものに“認めて”もらう必要があるか。たまたまメジャーではない性向を持ってしまった自分の運命に対する覚悟が足りん。

 「おれは大多数の人とは異なる性向を持っている。それがおれなのだから、おれがおれであるためには、性向を偽ることなどできん。また、大多数の人に理解してもらおうなどとも思わん。なぜなら、おれもまた、大多数の人が理解できないし、したいとも思わんのだから。しかし、おれは、おれがおれであるためのこの性向に、なんら恥じるところなどないし、それがゆえに被る不利益があるとすれば、従容として受けよう。おれがおれであるために」と、堂々と誇り高くマイノリティーの道を突き進んでもらいたいね、こういう人たちには。がんばれ。というか、ヘンな方向にがんばるな。

 社会全般に認めてもらおうなどと甘えるな。それは媚びだ。キミを認めてくれる“社会”を、小さくはあっても、キミが探し、それがなければキミが作ってゆけばよいだけの話だ。キミのための名言を挙げておこう――

 I don't want to belong to any club that will accept me as a member. (ぼくを入れてくれるようなクラブには入りたくない)

―― Woddy Allen < Groucho Marx



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2008年11月 6日 (木)

もう、“未来”じゃない

Obama: 'This is your victory' (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/POLITICS/11/04/election.president/index.html

(CNN) -- Barack Obama told supporters that "change has come to America" as he claimed victory in a historic presidential election.
"The road ahead will be long. Our climb will be steep. We may not get there in one year or even one term, but America -- I have never been more hopeful than I am tonight that we will get there. I promise you -- we as a people will get there," Obama said in Chicago, Illinois, before an estimated crowd of up to 240,000 people.
With Obama's projected win, he will become the first African-American to win the White House.

 そう、おれたちの子供のころから、SFに出てくる未来社会では、アメリカ大統領は往々にして黒人だったものだった。逆に言うと、三十年、四十年前には、黒人がアメリカ大統領になるなどということは、ロボットが二足歩行をしたり、誰もが個人用の無線通信機を持ち歩いていたりといったことと同列の“SFの世界のできごと”だったのである。アメリカ大統領を黒人に設定するだけで、「ああ、なるほどこれは遠い未来のことにちがいない」という説得力を持たせられたわけだ。これからは、ただアメリカ大統領を黒人にするだけでは、“未来感”が出なくなっちゃいますな。

 オバマ候補が勝つであろうことは、選挙戦終盤にはもはやかなり確かではあったけれども、今日こうしてオバマ次期大統領の演説を、彼に勝利をもたらした最強の武器とも言えるインターネットを通じて映像と共に聴いていると(八年前には、こんなことも手軽にはできなかった)、なにやら不思議な感慨を覚える。それはちょうど、小学一年生のおれが、親に目医者に連れていってもらって帰ってくると、重そうな宇宙服を着た人が月面をぴょんぴょん跳ねているのを白黒テレビの中に観たときの感慨に似ている。アポロだけに月並みな想像ではあるが、もしもタイムマシンがあったら、目を丸くしてテレビにかじりつきアポロ11号の快挙を観ている六歳のおれに、「黒人がアメリカ大統領になるのは、おまえが四十五歳のときだ」と教えにいってやりたい気持ちでいっぱいだ。

 そう、たしかに、単にアフリカ系アメリカ人が大統領になることが決まったというだけにすぎない。政治手腕は、それこそ、肌の色などには関係ない。その関係ないはずのことでさまざまな悲劇を生んできたホモ・サピエンスの歴史を思うと、よその国のことながら、ホモ・サピエンス全体が、ほんの、ほんのちょっぴりだけ、進化の梯子を登ったような気がするのは、おれだけだろうか? それが幻想であったとしても、今夜ひと晩くらいは、“SFがまたひとつ現実になった”ことを素直に喜んで酒を飲みたいおれなのであった。

 いや、それにしても、オバマさんって人は、演説がうまいねえ。数分も聴いていると、「ああ、アメリカ人に生まれてよかった」としみじみ思えてくる……って、おまえは千駄ヶ谷の病院で生まれたんだよ。

Transcript: 'This is your victory,' says Obama (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/POLITICS/11/04/obama.transcript/index.html

If there is anyone out there who still doubts that America is a place where all things are possible, who still wonders if the dream of our founders is alive in our time, who still questions the power of our democracy, tonight is your answer.

 今夜は、ビリー・ホリデイ「奇妙な果実」U2「Pride (In the Name of Love)」「MLK」でも聴いて寝るとするか。

Billie Holiday - Strange Fruit

Rare U2 Pride In The Name Of Love Live 1984

U2 - MLK (Live From Tempe, Arizona)



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2008年11月 5日 (水)

ブラッドベリ効果?

 “ブラッドリー効果”なんて言葉を、おれは今回のアメリカ大統領選で初めて知ったが、なるほどそういうものがあるのであれば、「私はSFファンです」という人が世論調査で大勢いたとしても、鵜呑みにしてはならんということなのだな。回答者は、SF差別主義者であると見られることを怖れて、とりあえずSFファンだと答えたのかもしれん。

 志賀直哉至上主義者とかなら、べつにSF差別主義者と見られても屁とも思わんだろうし、むしろ誇りに思うくらいかもしれんが、現代の純文学愛好家には、SF差別主義者と見られたのでは心外であると思う人は少なくないにちがいない。「私はSFファンです(と言ってもウソではあるまい。レイ・ブラッドベリとかJ・G・バラードとかクリストファー・プリーストとかはたしかに読んだことあるし。じつはバリントン・J・ベイリーとヨコジュンと田中啓文が大好きなのはひた隠しにしてるけど)」というふうに解釈しなければならないのかもしれない。

 SFファンに向けてのベスト企画とかはよくあるけれど、考えてみれば、不特定多数に向けて「あなたはSFファンですか?」などと単刀直入に訊いたアンケート企画は見たことがない。もしそういうことをやれば、ブラッドリー効果は顕れるものなのであろうか?



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2008年11月 4日 (火)

お買い上げ御礼(2008年10月)

■2008年10月

【最も値段の高いもの】

 アマゾンのカスタマーレビューでは、高い高いと言われているのだが、結局、現時点での実売価格は当初より一万円以上下がっているようだ。第四世代 iPod nano 16GBタイプとあんまり変わらん。

 いきなりウェブで買うのだから、実機をじっくり店舗で触ってみた人か、二万や三万捨てることになったとしてもどうということのない金持ちか、仕事で評価しなくちゃならないような人かのいずれかであろう。おれはあんまりゲーム機には興味ないんだが、写真を見てるかぎりは、そこそこかっこいいね。

【最も値段の安いもの】

 申しわけない、おれはライトノベルまではとても手が回らないので(必ずしも嫌いじゃないんだが)、このシリーズはまったく読んだことがない。少なくとも八巻まで続いているらしいから、人気のある作品ではあるのだろう。「お天気ファンタジー」なんてジャンルがあるとは知らなんだ。テレビに出てくる女性気象予報士の方々には、けっこうおれもそそられるので、“天気萌え”の人が世間にはけっこう多いのかもしれない。

【最も多く売れたもの】

 10月の【最も多く売れたもの】は、三アイテムが同立首位。

 『NKの新・英会話上達法』はちびちびと楽しく読めるエッセイだが、『理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性』『量子力学の解釈問題―実験が示唆する「多世界」の実在』は、できるだけ一気に読んだほうがいい、面白いけれども、深く考え出すとキリがない、歯応えのある本である。こういうのがたくさん(っつっても、そんなにたくさんじゃないけどな)売れるというのは、ふつうの人には一文の得にもならないことを、純粋に“ただ知りたい”という人が少なからずいるということで、なんかうれしいよね。わけのわかんねー価値をなんでもかんでも証券化して売りさばいたり、なんの価値も作り出さず、記号をタイミングよく右へやったり左へやったりするだけで金儲けをしようとしたりすることに、せっかく幸運にも授かった優れた頭脳を浪費するような意地汚い連中ばかりではないということだ。

 一文の得にもならない、なんの役にも立たないことに関心を持つ人ってのは、なんかこう、お友だちになりたいよねー。

【最もケッタイなもの(主観)】

 これはじつに不思議な買いものだ。まさか警察官の人は自腹でこんなものを買ったりしないだろう。仕事で使う検査機器は、警察が買うだろう。こういうものを個人で買わねばならんということは、お酒が好きだけれども、しょっちゅう仕事で車を運転をしなくちゃならないといった事情にちがいない。たぶん、そういう職業の方が個人で買ったのだろう。買うところがえらいよね。「いくらなんでも、もう醒めただろう」などと主観的な判断をすることの危険をよく知っている人なのだろうな。客観的な指標に照らさないと気がすまないといった几帳面な人なのにちがいない。

 そんなに高くないものなんだから、車を運転する人は、この方を見習って、愛車に常備しておくといいかもしれないよね。

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2008年11月 1日 (土)

で、それらは中国製の醤油からはどのくらい検出されるのかね?

 従来の減塩醤油は、醤油に含まれる塩分が少ないというだけのものでしたが、このたび当社が発売する新製品は、摂取しすぎた塩分を人体から排出させるという画期的なものです。商品名は、そのものずばりでわかりやすく親しみやすい「取る塩しょうゆ」といたしました。

 ……といったベタなネタはともかく。

「日本製しょうゆに有害物質」 中国当局、日本側に通報 (NIKKEI NET)
http://www.nikkei.co.jp/kaigai/asia/20081031D2M3102C31.html

 中国国家品質監督検査検疫総局は31日、日本から輸入したしょうゆとわさびから有害物質のトルエンと酢酸エチルが検出された、と在中国日本大使館を通じ、日本側に通報した。1日には舛添要一厚生労働相が訪中する予定で、中国製食品をめぐる健康問題が日本で相次ぐ中、今回の通報には日本側をけん制する意味合いもあるとみられる。
 ヤマサ醤油(千葉県銚子市)とキッコーマンが生産したしょうゆのほか、万城食品(静岡県三島市)製造のわさびペーストから、トルエンが最大で0.0053PPM、酢酸エチルが最大で0.5370PPM検出された。輸入業者が既に対象製品を廃棄処分にしたという。

トルエンしょうゆ3社公表 メーカー「該当商品名なし」 (朝日新聞社)
http://www.asahi.com/national/update/1101/TKY200810310329.html

 【北京=峯村健司】中国に輸入された日本製しょうゆなどからトルエンと酢酸エチルが検出された問題で、北京の日本大使館は10月31日、中国国家品質監督検査検疫総局から通報を受けた製造元の会社と製品名を公表した。
 ヤマサ醤油の「NH小包日式醤油」、キッコーマンの「公務小醤油」、万城食品の「NH小包わさびペースト」の3品で、トルエンが0.0053~0.00064ppm、酢酸エチルが0.537~0.0796ppmそれぞれ検出されたという。
    ◇
 キッコーマンは31日、「『公務小醤油』という名前の商品はない。ただ(発表された検出量は)微量であり、人の健康に影響を及ぼすものではない」(広報)とのコメントを出した。
 業界団体の日本醤油協会と日本醤油技術センターも同日、ホームページ上で見解を発表し、トルエンについては「しょうゆの原料の麦に天然成分としてもともと含まれており、検出濃度は日本の水道水の管理目標値より十分に低い」、酢酸エチルについては「醸造中に生成される物質で、醸造酒などに一般に含まれる量に比べ、十分に低い」とした。

 なーんか、大阪弁で言うと“無理から言うてきとる”のがありありだなあ。当の中国人ですら、日本にいる親戚や知り合いに日本製の粉ミルクを送ってもらっているというありさまに、中国当局もメンツが立たないのだろう。「日本の食品からも、しかも、あろうことか日本を象徴すると言っても過言ではない“醤油”からも、有害物質が出たぞ。出たのだぞ。やーいやーい」という形だけでも作っておきたいんだろな。

 そのうち、「日本製の醤油をコップ一杯飲んだら気分が悪くなり、嘔吐や下痢、発熱などの症状が出た」とか、「日本製の醤油から、世にも恐ろしいDHMOが検出された」とか言ってきそうだ。冗談抜きでやりかねん。



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今月の言葉

渋谷語訳 枕草子

 チョリ~ッス! 春はAKB、みたいな~。

 「いとをかし」 → 「すっごく素敵」(桃尻語) → 「マジやばいっす」(渋谷語)
 
 ♪まわるまわるよ、時代はまわる~



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