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2008年10月26日 (日)

怨みの抽象化?

母校文化祭へ「いじめ仕返し」 ナイフ所持容疑の男逮捕 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1025/TKY200810250234.html

 文化祭を開いていた群馬県前橋市日吉町2丁目の勢多農林高校駐車場でナイフを所持していたとして、前橋署は25日、吉岡町大久保の専修学校生、小渕鏡人(あきと)容疑者(20)を銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕したと発表した。小渕容疑者は同校の卒業生で「在学中のいじめに仕返ししようとした」と容疑を認めているという。
 数日前から同校周辺に「文化祭で卒業生の首をもらいに行く」などと書かれた怪文書がまかれていたため、前橋署が警戒中だった。同署は怪文書との関連を調べている。
 前橋署によると、小渕容疑者は25日午前11時25分ごろ、勢多農林高校の駐車場で、刃渡り約12センチの果物ナイフを持っていた疑いがある。署員が職務質問した際、所持品の中からナイフが見つかった。小渕容疑者は同校卒業後、高崎市内の県立の専修学校に入学していたという。
 同校は「在学中にいじめがあったかどうかわからないのでこれから事実を確認する。いまは何もわからない」としている。

 なんかまたこれも、一読しただけではなんのことやらさっぱりわからない事件である。いや、記者の文章が下手とかいう意味じゃなくて、この小渕容疑者とやらの言葉と心理がさっぱりわからない。“仕返し”という言葉をどういう意味で使っているのだろう? 以前あった「誰でもいいから皆殺し」に匹敵する不可解な言葉遣いだ。

 小渕容疑者が勢多農林高校在学中にいじめを受けていたのだとしたら、いじめた当事者を探し出して刺しにゆくというのが、ふつうの“仕返し”なんじゃあるまいか? おれならそうする。

 あるいは、そうしたいじめを知りながら看過していた教師がいて、いまもまだ同じ学校で教えているというのであれば、その教師を刺しにゆくというのがふつうの“仕返し”ではなかろうか? おれならそうするかもしれん。「卒業生の首をもらいに行く」(という怪文書が小渕容疑者によるものであるとすれば)というのは、じつに奇妙だ。現在の在校生になんの関係があるというのだ? 現在の在校生を傷つけて、怨みが晴れるとでもいうのだろうか? おれなら晴れん。

 小渕容疑者が、勢多農林高校という抽象的概念としての組織体にいじめを受けていたと感じていて、それに対する“仕返し”を試みたと考えるとすれば、まあ、多少はわからないこともない。しかし、だとすると、現在もその抽象的組織体にいじめを受けている最中の具体的構成員(つまり、過去の自分と同じ境遇にある生徒)がいるかもしれず、自分の“仕返し”がそのような生徒を傷つける可能性も大いにある、それでもいいのか――と考えるのが、ふつうの想像力というものではあるまいか? とにかく、おれにはこやつがなにを言っているのか、さっぱりわからん。わからなくてさいわいだ。

 もしかすると、おれは難しく考えすぎているのかもしれん。要するに、単にこいつは、いまの自分より弱そうなやつに八つ当たりしたかっただけの話なのかもしれん。親に虐待を受けた子が長じて親になったとき自分の子を虐待してしまうといった、いわゆる“虐待の連鎖”が学校現場でも起こり得るということなのだろうか。そういえば、あの宅間守も「エリートでインテリの子供をたくさん殺せば死刑になると思った」と言っていたが、論理的に考えれば、“宅間が子供だったころにエリートでインテリの子供だったおっさん・おばはん”を殺しにゆくのが筋というもので、現在“え~トコの学校”に行っている子供を殺したとて、怨み(というか、逆恨みというか)が晴れたりするものであろうか?

 いやまあ、「怨みが晴れたりするものであろうか」などと言っている時点で、正常な精神状態のものさしを持ち出しているわけだから(た、たぶん正常だと思う……)、じつに詮のないことではあるのだが、おれにはこういう思考回路がないだけに、不気味であると同時に、興味も覚える。

 人は、集合の具体的要素を怨んでいるうちに、集合という抽象的なものを怨むようになってしまうこともあるものらしい。おれにはよくわからんが……。「日本に原爆を落としやがって」などと、戦後に生まれたおれが戦後に生まれたアメリカ人一人ひとりに怨みを抱けるかというと、そんな感情はまったく湧いてこない。アメリカ政府という抽象的なシステムの厭らしさに嫌悪感を覚えるということはあるが、だからといって、そこのマイケル君やあそこのメアリーちゃんに嫌悪感を覚えるかというと、そんなことはまったくない。なんだか、おれが異常なんじゃないかと自信がなくなってきたが、ふつう、そんなもんなんじゃないの?

 しかし、小渕容疑者のような思考回路を持つ人間を計算に入れておく必要というのは、危機管理上、あるだろう。SFファンという抽象的な集合に殺意を持っているやつだっているかもしれんし、喫煙者を皆殺しにしたいとか、酒飲むやつを皆殺しにしたいとか、眼鏡をかけているやつはみんなオレをむかしいじめたやつの仲間だ、殺せ、殺せ、殺せ~~~とか思っているやつだっているかもしれん。

 ことによるとひょっとしてもしかするとあなただけは該当しないかもしれないが、人類という集合のなんらかの部分集合に属してしまっている人は、誰かに部分集合ごと怨まれているかもしれないので、個人的には身に覚えがなくても、気をつけたほうがよい(っつっても、気をつけようがないけど)。

 そもそも、生命体という集合を怨んでいるやつだっているかもしれないんだよなあ……。



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コメント

犯行中は精神だけがタイムトラベルしてるのかも・・
過去の自分がいる教室にタイムスリップして復讐する。

学校って、立て替えのサイクルも長いし、内装も制服もそうそう変わるもんではないから擬似的に過去に入り込みやすい気がしますね。
天然のテーマパーク「学生時代」みたいなもんかねぇ。
これが出かけてって教室は自動ドア、黒板無くなって巨大モニタ、学生は銀色の全身スーツが制服だったら・・
こりゃもう「在学中の仕返しに」なんて気もなくなることでしょう。
あ、犯人は20か。ノスタルジーを感じる年でもないですな。

下級生に虐められていたとしても年齢が合いませんか。
やっぱりわけわかりませんね。

投稿: 古新聞 | 2008年10月26日 (日) 19時28分

 別に普通じゃないでしょうか。
 一部の体育会系クラブとか旧軍とかにあった、あるいは現在進行形である後輩虐めは、やはり「昔先輩にやられた恨み」がいつまでも尾を引いて、なかなか無くなりません。
 バブル期、空前の人手不足で学生に頭を下げなければならなかった企業の人事部門が、バブル崩壊後は過度に就職活動中の学生にきつくあたったなんて話も聞いたことがあります。(でも、そのときに実際に学生に対応する人事部のヒラはバブル期の採用者だったりするわけですが)
 かつての先輩やエリートはその後も現在も先輩やエリートなわけで、手がつけられない。んじゃしかたないと、かつての先輩やエリートと同系列の後輩をやっつけるというのは自然な成り行きみたいですよ。

投稿: 東部戦線 | 2008年10月26日 (日) 20時16分

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