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2008年10月23日 (木)

とっくに常用してるよなあ

「におい」、「臭い」も「匂い」もOK 常用漢字追加案 (asahi.com)
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200810210352.html

 文化審議会国語分科会の漢字小委員会は21日、常用漢字表に追加する予定の字種191字の音訓を定める案と、現行の常用漢字の一部に音訓を追加する案を承認した。「臭(にお)い」と「匂(にお)い」、「怪しい」と「妖(あや)しい」、「恐れる」と「畏(おそ)れる」など、複数の漢字が同じ訓をもつ異字同訓の用法が新たに認められ、常用漢字の表現力が少しだけ豊かになりそうだ。
 追加される字種には、「切る」に対して「斬(き)る」、「張る」に対して「貼(は)る」、「捕らえる」に対して「捉(とら)える」、「当てる」「充てる」に対して「宛(あ)てる」、「跡」に対して「痕(あと)」、「歌」に対して「唄(うた)」などがある。
 追加される音訓では、「込む」に対して「混(こ)む」という訓を認め、「負けが込む」「電車が混む」のような使い分けができるようにする。ただし「込(混)み合う」「人込(混)み」はどちらも使える。ほかにも、「延べる」に対して「伸(の)べる」、「作る」「造る」に対して「創(つく)る」、「早まる」に対して「速(はや)まる」などがある。
 このほかに追加する訓読みには、日常生活などで使う機会が多い「育(はぐく)む」「応(こた)える」「関(かか)わる」がある。「私」には現在の「わたくし」という訓に「わたし」が追加される。「要」も「かなめ」と読めるようになる。
 文化審議会は05年、文部科学相から「情報化時代に対応する漢字政策のあり方」を諮問され、常用漢字表の改定に取り組んでいる。漢字小委員会は次回から追加字種の字体の検討作業に入る。09年2月までに新常用漢字表(仮称)の試案を作り、文化庁のホームページなどで意見を募る。内閣が新常用漢字表を告示するのは10年秋の予定。(編集委員・白石明彦)

 この手のニュースが出るたびいつも思うんだが、こんなの気にして文章書いてる人がどのくらいいるもんなんだろうね? たぶん公務員が公式文書を作成したりする際には気にせにゃならんのかもしれんが、おれは民間でしか働いたことがないからわからない。「育む」「はぐくむ」と読むことが“常用”として認められますなどと、いまさら言われてもねえ。

 まあ、たしかになんらかの標準がないとむちゃくちゃになるやもしれんという危惧もわからんではない。「安倍福田す」などと書かれて、「なんだ、“なげだす”も読めないのか!?」と怒られても困るしな。だとしても、いわゆる常用漢字というのは、中途半端すぎやしないか? ほとんどの人が高校へ行き、受け入れのキャパシティーだけを考えるなら大学にだって全入できようという時代だ。おまけに、テレビはある雑誌は山ほどあるケータイでメールが送れるDVDは原語と日本語で字幕が出せるウェブでは誰もが情報発信しているという時代に、常用漢字はあまりにスカスカではあるまいか。

 九年以上前に、「ら致」やら「だ捕」やらがわかりにくいとこの日記でぼやいたものだけれど、公のメディアは、「誰にでも読めるように書かねばならない」という強迫観念に囚われすぎではあるまいか。「日本人だったらこれくらい読めるようになれ」と開き直ればいいのに。そりゃまあ、わざわざ態ととか恣にするとか(読めない人は、読めないところにカーソルを合わせてください)、その手の漢字検定みたいなやつをことさら“いちびって”使うこともないけれども、「要」なんてのが読めないいい大人がたまたまいて、そいつが「新聞のくせにけしからん」などとねじこんで来たとしても、そんなの無視すればよろしい。しつこいようなら、予め秘密兵器としてもらっておいた要潤のサインでもプレゼントして撃退すればよろしい。

 なぜか一部のお役人には、「義務教育で与える情報量は、少なければ少ないほど軽い負担で覚えられるにちがいない」という奇妙奇天烈な信仰(?)があるとしか思えない。そんなことねえよなあ。まったく意味のない数列や文字列をひたすら覚えるんじゃあるまいし、言葉や事柄を覚えるのなら、それに関連した情報ごと覚えるほうが絶対覚えやすいだろう。「ら致」のほうが「拉致」より覚えやすい、画数が少ないから――なんてケッタイな人いるか? 「拉」だけを、いつどこで覚えるんだよ? 盾と矛を売ってる商人の話などされては情報量が多すぎて覚えるのに負担になるから、「矛盾」という文字だけをただただ教えてくれたほうが覚えやすい――なんてケッタイな人いるか? 「四面楚歌」なんて文字をただただ見せられて、「これは“しめんそか”と読み、敵に囲まれているさまを言う表現です」などと教わって覚えられるか?

 子供たちよ、若者よ、常用漢字なんて気にするな。本をたくさん読んで、自分の好きな作家の文字遣いを真似したり、「あ、これカッコいいな」「あ、これ合理的だな」「あ、これ“感じ”出てるな」「あ、これなんか好きだな」というのを取り入れてゆくうちに、“自分の字面”というのができてくるはずだ。たまにキミが使った漢字が読めないような人がいて「学のある人は難しい字ぃ使わはりますなあ」などと厭味を言われたとしても、「あれ? そうですか読みにくいですかそうですかあ?」とニコニコ笑いながらも不思議でたまらないといったようすでひらかなに直し、場合によっては、屏風の文字も読めないふりをし(そこいらへんにあまり屏風はないけど)、「一」という漢字すら書けないふりをして世渡りをするがよろし。なにしろ昨今は、漢字なんてものは読めなければ読めないほど人気者になれるみたいだぞ。



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コメント

|なぜか一部のお役人には、「義務教育で与える情報量は、少なければ少ないほど軽い負担で覚えられるにちがいない」という奇妙奇天烈な信仰(?)があるとしか思えない。

 いや、オーウェルの「1984」を暗記するほど熟読理解しているのかもしれない。

#無知は力である!

投稿: 林 譲治 | 2008年10月23日 (木) 08時07分

>#無知は力である!

 自転車が信号や歩道通行規則やその他もろもろの道路交通法規を無視しているのをよく見かけます。つーか、たまに信号で一時停止をする自転車を見かけると感銘を受けたりするくらい、自転車は交通法規を守ってません。
 でも、乗ってる人が交通法規の存在や罰則を深く認識していたら、やっぱ無視しにくいと思うんですよね。
 無知全能という部分はあるんじゃないかと思います。


 ところで常用漢字ですが、なんでこんなものを決めたのか、どういう基準で決めたのか、どういう方向性で運用しているのか、あんまり詳(つまび)らかではないですよね。
 また内容的に見ると、偏見かもしれませんが、やっぱどちらかというと訓読みを制限しようという要素が多いように見受けられます。
 ひょっとして、日本語そのものを整理・標準化してやろうとかいうだいそれた意図があったんじゃないでしょうか。

投稿: 東部戦線 | 2008年10月23日 (木) 13時02分

>林譲治さん

 いわゆる“ゆとり教育”ってのは、少数の天才・秀才を見つけ出してエリートとして伸ばし、あとの有象無象は無知でも従順でさえあってくれればいいという選民教育だという論もありますね。ホントに『一九八四年』を暗記している人たちが上のほうにいるのかも……。


>東部戦線さん
>ひょっとして、日本語そのものを整理・標準化してやろうとかいうだいそれた意図があったんじゃないでしょうか。

 それはたぶんあったと思いますよ。われわれがいま使っている現代仮名遣いですら、そういうものですしね。われわれを歴史と伝統から切り離す意図があるとしか思えない。もっとも、それで育っちゃったものはしようがなく、私は丸谷才一さんみたいな仮名遣いで押し通す教養も根気もないです。合理性という観点からは、「思ふ」とかいったふうに書くほうが、活用がよくわかっていいんでしょうけど。

投稿: 冬樹蛉 | 2008年10月31日 (金) 02時23分

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