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2008年9月14日 (日)

“語学”って言いかたをそろそろやめないか?

 “語学”という言葉がある。おれはこれが気に入らない。「外国語の練習そのものはちっとも“学”なんかじゃない」などとずいぶん前から言っているのだが、いまだに語学力がどうのこうのという言葉がふつうに使われている。これは嘆かわしい状況であるとおれは思う。

 言語を駆使する力そのもの(そうだな、仮に“言語力”とでも呼んでおこう)は、“学問”とはまったく関係がない。むしろそれはスポーツに近いものだろう。“語学力”などと言われると、おれには、特定の言語の構造や語彙の意味領域などを歴史を遡って解明する研究をする力であるかのように聞こえる。あるいは、言語とはなにかといったことを科学的・哲学的に解明する学問に秀でる能力であるかのごとく聞こえる。フェルディナン・ド・ソシュール丸山圭三郎みたいな人に“語学力”があるというのならわかるが、そこいらへんのただ外国語がしゃべれるだけの人に“語学力”があるなどといった表現には、非常に違和感を覚える。そもそも、日本語に関する知識が豊富でその運用能力にも優れた人を“語学力がある”というふうには、一般的には言わないではないか。それがおかしい。

 外国語を理解し駆使することが、すなわち、外国語や言語一般に関する学問に秀でていることであるといった感覚が、そもそも発展途上国的、あるいは、敗戦国的感覚なのではあるまいか? そりゃまあ、むかしは両者はほぼ一致していただろうから実用上問題はなかったであろうが、もはやそんな時代ではない。現在、日本語で一般的に“語学力”と呼ばれているものは、“言語力”とでも言い直したほうがよいと思う。学問と技能とをないまぜにするべきではないと思うのである。

 言ってることが抽象的でよく伝わらないかもしれない。伝わるかどうかよくわからないが、なんとか例を挙げてみることにしよう。

 たとえば、“食の安全”といったテーマが英語圏のメディアで取り上げられるとき、しばしば“You are what you eat.”というフレーズが使われる。まあ、英語が母語でない人間にもズバッと伝わる、いわゆる“キレのよい”英語的表現である。

 おれの認識で言えば、“You are what you eat.”という表現を、「ああ、ポパイが“I am what I am.”ってよく言ってたよなあ」などとゼロから自分の表現として感覚的に編み出せるのが“言語力”、これが英語圏では決まり文句的に使われている表現であると知っていて使えるのが“言語運用能力”、さらにこの表現の背景に、『美食礼賛』を著し焼き菓子にもその名を遺すブリア・サヴァラン“Dis-moi ce que tu manges, je te dirai ce que tu es (Tell me what you eat and I will tell you what you are)"などといった言葉や、ルドルフ・シェーンハイマー生物の動的平衡に関する発見の業績などに思いを致しつつ理解できるのが、単なる“教養”というものである。

 おれは、里田まいを言語力に優れた人だと考えるが、言語運用能力や教養に優れた人だとは考えない。おれが言っているのは、そういうことだとお考えいただきたい。

 ま、要するに、英語が反射的にしゃべれるだけのバカもたくさんいる、ということをおれは言いたいのである。もっとも、“単なる教養”というのは、クソの役にも立たないし、表立って表現されないことがほとんどであるものなのだけれどもね。



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コメント

 工学を学んで学位をとっても「技術者」と呼ばれます。もそっと、軽く「技術屋」と呼ばれることも多いですよね。
 工学の知識や経験は「術」なんです。

 そういうのとバランスをとって、外国語能力を「学」と呼ぶのではないでしょか。

投稿: 東部戦線 | 2008年9月14日 (日) 09時19分

>東部戦線さん

 本来、“工学者”と“技術者”とはちがう商売ですよね。鉋で木材を削るのが下手でも工学者にはなれるし、応力計算ができなくても大工さんにはなれる。

 有体物を作る分野ではまだそのへんのことははっきりしていますが、ソフトウェアのような無体物の世界となると、ご存じのように、めちゃめちゃレンジが広い。情報工学を修めた人から、少々プログラミング言語が操れます程度の素人まで、十把一絡げで“技術者”ですし(^_^;)。技術者に工学の知識はあるに越したことはないが、なくてもそれはそれで人足としてはやってゆけるというのが現状でしょう。そろそろソフトウェア業界も、ちゃんと職種の細分化をしないと成熟した業界にはなれないという危機感から、ITSSみたいなものが出てきたんでしょうね(まだまだ不完全とはいえ)。

 どう考えたって、プロジェクトマネジャーとプログラマは職種がちがうもんなー(職種がちがうのであって、上下貴賎があるわけではない)。で、プログラミングを極めたいと思って入ってきた人が、なりたくもないPMにならないと出世もできないし給料も上がらないなんて構造はまちがってますよね。まあ、さすがに近年は学生もよくわかっていて、職種の細分化がいいかげんで単線のキャリアパスしかないような企業は敬遠しはじめているようですが……。

 ちょっと話が切実な方向に逸れちゃいましたが(^_^;;)。

 英語でも、なぜか mathematics をやってる学者は mathematician なんですよね。歴史的慣用と言ってしまえばそれまでですけれども、やっぱりこの表現には“術師”の一種と見ているというコアがある。musician や magician の類なわけですよ、言葉の上では。私自身は、プロの学者とプロの術師に上下はないと思っていますが、やっぱり歴史的慣用としては、-cian のほうが“手を汚す”仕事をするだけに階層的に“下”というイメージがどうしても出てしまう。statesman と politician のニュアンスの差みたいなものを感じさせてしまう。ネイティブスピーカーにもそれが厭な人がいて、あえて mathematicist という言葉で押し通している人もいますが、まだまだ少数派です。

 astronomer と astrologist となると、数学者の場合とは関係が逆転しているところがまた厄介ですね。歴史というのは論理的でない(笑)。

投稿: 冬樹蛉 | 2008年9月15日 (月) 00時22分

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