『量子力学の解釈問題―実験が示唆する「多世界」の実在』(コリン・ブルース/訳:和田純夫/講談社ブルーバックス)
おれはいくつかある量子力学の解釈というものは、あくまで“解釈”であって、どの解釈を取るかは好みの問題にすぎないのではないか、しょせん、“ほんとうに”なにが起こっているのかなど、おれたちにはわかりっこないのではないか、宇宙が“そういうふうに”ふるまうのであれば、どう解釈しようが受け容れるしかないではないかくらいに思っていた。
だが、この本を読むと、なるほど多世界解釈というのはとても合理的で、オッカムの剃刀の切れ味が冴える考えかたなのだということがよくわかった。これが“正しい”んじゃないかと、ほとんど説得されそうになっちゃいましたな。惜しむらくは、おれには「多世界解釈はおかしい」と自信を持って反論できるだけの、あるいは、多世界解釈を強力に推すだけの、知識も能力もない。「なるほど、言われてみればそうですな」くらいの感じで、ほとんど納得しちゃうのである。近年の実験も多世界の実在を“示唆”(“証明”じゃないのだ。ここ重要!)しているとあっては、素人としては説得される以外にないじゃないか。
「まえがき」には、非常に挑発的かつ魅力的なくだりがある――「ここ数年【冬樹註:原著の刊行は二〇〇四年】、量子論の暗がりに突然の輝きが見られた。半死半生の猫、あるいは宇宙全体の状態を収縮させる力を備えた、意識を持つ観察者といった不思議な登場人物が現れる古い物語は、時代遅れとなった。新しい物語がいくつか登場し、そのうちの1つは特に有望である。それは我々に、古典的な宇宙を取り戻させる。ものごとはランダムではなく予測通りに振る舞い、相互作用の働く範囲は長距離ではなく局所的である。しかし犠牲も払わねばならない。我々が住む宇宙は、考えていたよりもはるかに、予想外の意味で広大であることを受け入れなければならない」
まあ、実際になにが起こっているのか、あるいは、量子力学的な現象をどう解釈す“べき”なのかについては、おれにはなんとも言いようがないのだが、ひとつたしかなのは、おれは多世界解釈が好きだということである。実際にこのようなことが起きているのであってほしいと思う。だって、なにより、こうであったほうが面白いじゃないか!
意識を持った存在とやらの“観測”が全宇宙のありように影響を及ぼすなんて考えかたは、どうも気色が悪い。意識を持った存在に特権的地位を与えているのが、なんとも気味悪い。そんなふうに思う人には、本書は一読の価値があると思うよ。あなたが物理学者であればいろいろとツッコミどころもあるのかもしれないが、そうじゃなければ、たぶん説得されちゃうと思いますな。少なくともおれには、意識を持つ存在になにか特別な力があると思うよりは、おれがいま認識しているこの世界とは決して情報交換できない世界がいっぱいあると考えるほうが、よほど合理的に思えるよ。
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